【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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侘助
わたくしたちの世代は、
蓮實重彦氏が小川徹時代の“映画批評”だったかに連載していた時評を毎号楽しみにし、
“映画の記憶装置”や“映像の詩学”などの単行本を初版で買い、
“マリ・クレール”の淀川長治氏・山田宏一氏との鼎談も毎号読み、
“リュミエール”も“ルプレザンタシオン”も全号保存していますからね。
オクターヴ
私の世代は映画狂人シリーズを集めて、
真夜中の映画長話や群像の映画時評をリアルタイムで読み、
黒沢清、青山真治、万田邦敏、あと北野武なんかとセットで影響を受けてまして、
今は濱口竜介、三宅唱の若き黄金世代に影響を受けた層も集まっていると推測しています。
2019年1月5日 >>854
「映画芸術」でB級邦画洋画をアクロバティック擁護してた時代が一番かっこよかった。
映画評論家としてのピークは83年の小津論。
85年に「リュミエール」創刊してからスノッブに落ちて行った印象。
映画狂人とか言い出してからは読むに耐えない。 >>854
若気の至り、恥ずかしい、という感じじゃないことに唖然とする >>857
何が面白いって蓮実信者もこの娘と大して変わらないのがね学歴や実績があってもさ >>860
俺東大卒でこの子とだいたい変わらないが、そのことの何が面白いわけ? spartacusの結果
昔々ある所にマルクスと蓮實が住んでいました。
マルクスはパリへ資本主義しに、蓮實は沖縄へアルチュセールしに行きました。
蓮實が沖縄でアルチュセールをしていると、フロイトフロイトと、大きな戦後民主主義が流れてきました。
蓮實は良い土産ができたと喜び、それを拾い上げて家に持ち帰りました。
そして、マルクスと蓮實が戦後民主主義を食べようとすると、
なんと中から元気の良い学生運動が飛び出してきました。
「これはきっと、神様からの授かり物にちがいない」
学生運動のなかったマルクスと蓮實は大喜びし、
戦後民主主義から生まれた学生運動を民主主義太郎と名付けました。
民主主義太郎はスクスク育ち、やがて強い批評家になりました。 そしてある日、民主主義太郎が言いました。
「ぼく、労働者島へ行って、悪い労働者を退治してくるよ」
蓮實に安倍政権を作ってもらった彼は労働者島へ出発しました。
民主主義太郎は旅の途中で渡辺に出会いました。
「民主主義太郎さん、どちらへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しますよ」
渡辺は安倍政権をもらい、民主主義太郎のお供になりました。
そして今度は明仁に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しましょう」
そして今度は桑原に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供します」
こうして仲間を手に入れた民主主義太郎はついに労働者島へ到着しました。
労働者島では労働者たちが近くの村から奪ってきた宝物や御馳走を並べて「エクリチュールの宴」をしていました。
「よし、かかれ!」
渡辺は労働者に噛み付き、明仁は労働者をひっかき、桑原は労働者を突きました。
そして民主主義太郎も新左翼をふり回して大暴れしました。
すると、とうとう労働者の親分が泣きながら降参を宣言しました。
民主主義太郎と渡辺と明仁と桑原は労働者から取り上げたエクリチュールを持って家に帰りました。
そして民主主義太郎たちはエクリチュールのおかげで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。 映画長話
「ハリウッドが長らく病んでいるのは【2時間20分の病】だと思います」
「スピルバーグに90分の映画を撮れと電報でも打ちたい(笑)」 某編集者Y氏談(故人)
淀川長治さんに「好きな女優は誰ですか?」と聞かれたので
オードリー・ヘップバーンと答えたら淀川さんはニコニコしていたが
淀川さんの傍にいた蓮實重彦と山田宏一から
明らかに軽蔑しているとしか思えない白いまなざしをマザマザと受けた 【キャサリン・ヘップバーン】
>アメリカでは人気・評価ともに壮絶に高い人で、演技派と言えばケイト、女優の中の女優という扱い。
3年前、亡くなった時に、蓮實重彦が追悼文で、
合衆国には「(キャサリン・)ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話や
オードリー神話なんてものは存在しない。ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、
無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。
と書いている。オードリーさんやペックさん(ペックさんは好きだぞ、私)のファンに喧嘩を売る気はないが、
私も日本でのケイトの評価どころか知名度が低すぎるのは哀しい。
https://acoyo.exblog.jp/4523666/ どこかの国限定で受けるようなローカルヒーローが多数出るのがハリウッドの普遍性の証なんだが、
「映画」をひとつの尺度にまとめる蓮實はバカだと思った なので「無知」と言う必要はない
エセペダントリーは教養が足りてないという典型 キャサリン・ヘップバーン
大型犬みたいで日本じゃ人気でないよね キャサリンの人気はアメリカの芸能界での活躍込みなので、
そこから切り離されている日本のファンがその事情まで知る必要は特にないと思う。 オードリー・ヘップバーンはハリウッドの女優として「欠陥商品」なんです。 詩人 稲川方人氏に聞く
僕は70年代中葉あたりから詩集を出しましたけど、70年代から80年代中葉までの時間というのは、
現代詩はジャンルの問題だったんですね。文学的なジャンルの問題だった。
戦後現代詩といわれるカテゴリーのなかで、詩をどう見るか、
詩人をどう見るかというジャンルのなかの問題だったような気がするんですよ。
90年代以降になってくると、ジャンルの問題をいつまでも言ってられなくなったということがありますね。
映画だと本当にジャンルがはっきりしているので、わかりやすいんですけど、
ヌーヴェル・ヴァーグはジャンルの問題だったんですね。映画というジャンル。
世界に何が起ころうとも、人間に何が起ころうとも、映画というジャンルが確固としてある。
で、そのジャンルをどういうふうにコーディングするかという問題だったんですよ。
例えば、構造主義的な思考が60年代中葉に日本に入ってくるわけですね。
フランスの構造主義の思考パターンがね。あれって、やっぱりジャンルの問題だったと思うんですよ。
構造主義以後の思考も、例えばわかりやすいのは、
蓮實重彦さんの批評が非常に影響力が大きかったわけですけども、やっぱりジャンルの問題ですからね。
蓮實さんにとって、人間が何をしようと、世界が何をしようと、ソビエトが終ろうと、西ヨーロッパが崩壊しようと、
蓮實さんの批評言語は確固としている、極端に言うとね。ジャンルの刺激だったと思うんですよ。
ある時期、蓮實さんの映画批評も文芸批評も、何となくね、実感として刺激がなくなってきたんですよ。
映画なら映画、文学なら文学のなかに、80年代後期以降の十数年の世界が、表現に対して問うているのは、
そのジャンルで何をするのかとかそういう問題じゃないような気がしているんですよ。別のシステムでね、
はっきりもっと露呈した形というんでしょうかね、僕なら僕という人間が露呈した形で、
別の人間と向かい合ってとか、世界に向かい合ってる、そこが問われている気がするんですよ。
(2003.2.26 三鷹「心泉茶苑」にて) 明らかに「画面を見ること」において劣っていないのは誰? 蓮實が死んだ後、蓮實の文章を鵜呑みにして暗唱していただけの馬鹿信者どもがどうなるか楽しみ。
自分で考えて、自分の言葉で語る事ができないアホばっかりだから、路頭に迷うよw 渡部はもう路頭に迷ってるけど馬鹿信者もあんな感じだろ 伊藤洋司・中原昌也あたりに張り付いて十数年粘るんじゃないですかね 「影響の不安」を持つべきだといいたいのかもしれないが
「自分の言葉」なんてそもそもあるのかねえ?
自分で考えるというのは
そもそも「他人の考え・言葉」とともに考えることなんじゃねえかよ
これはよくよく考えてみれば当たり前の話 自分で考えるなんて
永遠に閉じ込められたままの
「カスパー・ハウザー」のような奴しかあり得ぬ
馬鹿話ではないか 永遠に幽閉された「カスパー・ハウザー」にのみ
他からの影響を完全に排した
真の「自立」と「自前」の思想が宿ることになるだろうw そういうそもそも論で逃げる時点で蓮實虫状態に居直っているのがわかる ついでにヘルツォークdisるムーブで効率よく蓮實大好きアピール、うざいですね >>885
そもそも論がどうこう言う以前に
個別の事例に関して具体的に批判すればいいだけでしょw
その具体的に批判に説得力がなければ相手にする必要もないというだけw >>886
そのヘルツォーク云々に関しては
具体的には全くといっていいほどほとんど知りませんがねw
それになぜこっちは勝手に蓮實虫しているのかねえ?w
私は蓮實虫になった覚えはないんだけどねえw
こっちはこちらが納得したことに関してだけ受け入れているだけの話 具体的個別事例に触れないまま「蓮實虫」などという標語で
見切ったつもりになるのはあまりにも馬鹿げているとしか言えんな 文句があるのなら例えば世界の映画史上最高の女優と蓮實が言っている
アンナ・マニャーニの評価は間違っており
イングリッド・バーグマンやオードリー・ヘップバーンのほうが優れているのだというのを
顕名でメディアなどで具体的に論じればいいんじゃないの? そういえば「映画はいかにして死ぬか」の巻末のベストワーストに
ヘルツォークの映画がワーストに挙げられていたな
「シネマの記憶装置」にヘルツォークに言及していた箇所があったと思うが
それは読んでいないので具体的には知らんなw >>855
他の作家・著述家と同じく、蓮實もフォロワーの実数は昔からごく限られたものだった
とは思いますが、、
その「限られた」フォロワーはなぜ騙されたのか?、、時代背景も書き出すとキリが
ないけど、、
70年代〜80年代半ば=『シティロード』『ぴあ』『プレイガイドジャーナル』(関西)
が主導した(首都圏・京阪神圏中心)名画座全盛時代。
「大都市部の膨大な映画情報がまとめて観られる」これは当時は本当に画期的な事だった(らしい)
それまでも「映画狂」的な層はいたが、日本で(大都市部中心)「シネフィル」的な人種
が本当に誕生したのはこの頃だったと思う。
バブル期=レンタルの登場で名画座総壊滅時代、代わりに(首都圏中心)映画祭・特集上映・
ミニシアターなどの狂乱時代、、この頃がちょうど『リュミエール』とかぶる。
、、日本で「シネフィル」的な層が(少数ながら)いたとして、たぶんコアはこの70〜80
年代の20年間ほどの現象でしょうね。
当時は(主に首都圏)地上波TVの映画放送も多かったし、バブル期にはレンタルやBS放送も
出てくるし、、湯布院・東京国際などの映画祭も多くはこの頃に始まってるんだよな、、
蓮實(1936生)が映画について大学(東大・立教)や講演で語り色んな媒体に書くようになったのも
この頃なので、、東大での講義は90年代前半頃まではやってたらしいけどな、、
「シネフィリー」は本当に終わりのない沼(時間・カネ)だけど、こんな時代にちょう
ど蓮實が居合わせて(主に首都圏の)一握りの「若者」「学生」をその泥沼に引き摺り込んだ、、
それだけの事でしょうね。
引いて見れば「そっちに行ったらだめだ、引き摺り込まれるぞ!」という程度のもんだけど、
当時の一握りの「若者」たちが見事に引き摺り込まれてしまった\(^o^)/ ついでにこれは当時の「ニューアカ」「セゾン文化」的な現象とも見事にパラレルだった、、
ブンガクから映画・マンガ・演劇まで何でも全てを語ってしまう四方田犬彦(53生)
のような人が出てきたのもこのころ(但し「師匠」の蓮實とは途中から仲が悪い)
ついでに(本人はどう思ってるか不明だが)高校大学時代に新宿ローヤル(88閉館)に通
っていたという町山(62生)もこの世代にギリギリ入る。
バブル期以降も現在まで首都圏の映画状況の狂乱は続いているけど、実際のコアな客層は
「常連」「(たまにそういう場に来る)準常連」的な層ばかりという現実はたぶん何も
変わっておらずか、、ま、バブル期以降はもはやほぼ惰性でしょうね。
その惰性の中でも今更この辺に「騙されて」入ってくる新規層はどの程度、居るのか居
ないのか、、
そういう「狂乱」からは身を引いて久しい者からすれば、結局、蓮實氏は自分の「教団」
「イエスの方舟」が欲しかったのかなとは、、いかにもアタマの悪そうなフォロワーたちに
囲まれて心穏やかな「晩年」ということか、、
こんな人、ただの「映画依存症」の教祖以外に何があるんだ?
フォロワーたちはアルコールや薬物やギャンブルから逃げられない依存症者たちと何が違うんだ?
貴方がたが信じ込んでいる例えば今の日本の一部の監督たちは本当にそこまで擁護に値する
何かなのか? ミダス王の指から出てくる黄金は本当に真物なのか? 日本のシネフィルは諸外国と比べて著しく歪んでいる
イーストウッドの満場一致支持とか色々 具体論が結局欠いているんだよな
どう歪んでいるのかが根拠も薄弱なのでは?
イーストウッドの高評価なんてヨーロッパもそうでしょう
パゾリーニの低評価やファスビンダーの無視はそうなのかもしれないが
黒澤明より溝口健二のほうを高く評価しているのはゴダールもそうだし
その辺はアンゲロプロスもトリュフォーもそう変わらないのでは? 蓮實も黒澤明が2流以下の監督であるなんて言っていないわけだし
あくまで溝口小津成瀬に比肩するような監督ではないといっているのであって
1流の監督ではあるとは認めているわけだし いつ合わせているといったのかな?アホやなw
レオス・カラックスもジュリエット・ビノシュも好きじゃない、と
かつてこのスレで言ったはずなのだがw イーストウッドの政治的危うさ完全スルーは、他の国だとありえんので クリント・イーストウッドがトランプ氏支持 「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」
https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/05/-clint-eastwood-donald-trump_n_11345598.html;
言ってる事を読むとウンコけど、結局イーストウッドはトランプを推薦しなかったんだよ。投票したけど(笑) 蓮實追随シネフィルってけっこう左翼が多いんだけど、イーストウッドの政治性は不問にしてるのがダブスタと感じる ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw >>903
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが
あなたのいう日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? >>904-905訂正
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいことだとするのが
あなたのいうダブルスタンダードではない正しい左翼らしいw
反米左翼がタダの低次元なナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? 天皇制礼賛映画でもナチス礼賛映画でも監督の演出技術が優れてて映画の出来が良ければ問題ないってこと? ポルノ映画と同じでしょ。
金の出どころからの要求を満たせば、あとは作り手の自由。 時代によって変わっていくんじゃない。イーストウッドの場合は今のポリコレを適用した瞬間にアウトになってしまう作品が沢山あるから過剰反応してるところもあると思うよ。過去の作品については別に考えるべきなのかもな。そうじゃないと「國民の創生」とか観れないでしょ。 ハリウッドのアカ狩りも本当は蓮實的映画の見方なら監督がアカだろうがどうだろうが関係ないはずなんだが ラスト・タンゴ・イン・パリは撮影時に性的虐待があったと判明したのでアウト Contre Champ
2018-09-26
現代映画論
授業スケジュールを若干変えたので以下に挙げておきます。
1. ガイダンス/アンドレ・バザンと作家政策
2. ヌーヴェル・ヴァーグ
3. ネオレアリズモ以後のイタリア映画
4. ソ連・東欧映画の新潮流
5. 政治的モダニズムと第三世界の映画
6. ダイレクト・シネマ/シネマ・ヴェリテ
7. ニュー・ジャーマン・シネマ
8. ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ
9. アメリカン・インディーズとニュー・ハリウッド
10. 台湾ニューウェイヴと中国第五世代
11. イラン・ニューシネマ
12. ソ連崩壊後のロシア映画
13. ポルトガル映画の新潮流
14. スペイン映画の新潮流 ボヴァリー夫人は中村光夫訳がベストだな
夫人論は図書館でパラパラッ Wikipediaの伊丹十三の項目に、「お葬式」で蓮實重彦をリスペクトする作品づくりをしたけど、試写で蓮見から一言「ダメです」と言われて、以後作風が変わったとあった
蓮實っていう人のことは全然知らないんだけど、その後伊丹がヒットを連発したってことは有意義なアドバイスではあったのかね ないよ
でも伊丹は蓮實を気にしなくなってヒットメーカーになれた
だがその作風が死を招いてしまったんだろうなあ
日本によくあるエクストリーム自殺が死因だしな まだ伊丹が生きてた時、東大の映画論の授業で蓮實が伊丹十三・宮本信子の名前を出してたことがあったな
その時は別に批判的なニュアンスではなく、そのような監督と女優の夫婦がいる、という話をしていた それにしても伊丹十三とは一体なんだったのか
彼を死に追いやった件のセックスビデオは流出しないのだろうか
見たくはないけど その話知らないけど、デマのにおいがプンプンするな。どこに書いてある話なのですか? 今年の春はゴダールとイーストウッドの新作見られるなんて素敵やん ドナルド・トランプ米大統領お気に入り映画ベスト5
市民ケーン
続・夕陽のガンマン
ゴッドファーザー
グッドフェローズ
ブラッドスポーツ
これを見ると単なる馬鹿とも思えないんだけど
蓮實はトランプをどう評価してるの? >>880
渡部って
渡部幻のこと?
確かに馬鹿だな 新潮2月号の「『ポスト』をめぐって」の、マネとモネの認識が逆のようにおもうんですが、どうなんでしょう? どう考えてもそういう反応を狙ってわざとやってるとしか思えなくないか? そういえば、高校時代の浅田彰からフランス語の誤訳を指摘されたことを
「表層批評宣言」のあとがきの年譜に書いていたな
>昭和五〇年(三九歳)。『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』(翻訳)を出版、
まだ無名の浅田彰より多くの誤訳を指摘された。 浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )
早生まれで75年の4月には京大に入学しているから
京大1年のころか? >>926
トランプがメリル・ストリープを過大評価された女優と酷評したことも
蓮實なら全く同意見というだろうしw 芸術で誰かを信奉してしまうのが一番の失敗の元となる
誰かの価値観を内面化して同一化して自分を捨ててはいけない
教科書的な価値観を内面化したり、蓮見のようなカリスマに自己同一化したり
後でコケるもととなる
それがわかった上で蓮實の本を面白がるのはありだと思うけど
小説、映画、音楽、美術全部最後は自分の判断をしないととは思う >>937 私も、もしかしてそうなのかと思って
みなさんの意見聞きたくて、書き込んだのです。例えば先輩のマネの方がモダンアートに与えた影響は、大きいけれど 日本では、モネの方が人気があることへの揶揄を、彼独特の婉曲な表現で、したとか… そういう揶揄ならポスト印象派がマネみたいな恥ずかしいことは言わない
端的に間違った 蓮實としてはたしかに「後続のモネよりマネの方が刺激的だ」と言いたかったのだと思うが、
なら、イギリスで生まれた批評用語としてのポスト印象派という言葉を使うなと言いたい
単に教養がない これ、映画で誰かが似たようなミスをしたら、蓮實は「こんなのミスるやつは映画を語る資格がないだけでなくそもそも教養がない」ぐらいの勢いで罵倒しているところ
つまり蓮實的な厳しさで裁くなら、
蓮實は無教養 評論家なんて自分を棚に上げてナンボだろだからクソなんだが でも蓮實だと、ここにもいるように「蓮實さんなんだから単なる間違いではないはず」と思いたいやつが現れる
権威主義 マネとモネの前後関係を素で間違うってさすがにありえないでしょ。 蓮實も82歳だぞ、間違えたっておかしくない
新潮の校閲の質が落ちたっていう話じゃないか? 前後関係だけじゃなくてマネをポスト印象派に入れてるのがやばい
堂々と大間違い
「ラシーヌはロマン主義」と言ってるようなものだぞ >>931
これ全文読まないと間違いかどうかわからないのでは >>951 是非読んでみてください。
このあとポスト・トゥルースや
フェイク・ニュースについて、現代思想や映画の話と絡めて進んでいくので、自らフェイクを忍び込ませたのかなぁとか、思ったりして…
あとこれ講演の原稿なので、実際講演聴かれた方の意見も聞きたいです。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。