大江健三郎や中上健次って近代文学でどれ位凄いの? [無断転載禁止]©2ch.net
中上健次の生い立ち
和歌山県新宮市で父、鈴木留造と母、木下千里との間に生まれる。
千里が健次を妊娠中、留造が他の女性を2人妊娠させていたことが発覚する。
千里は留造と離別、一人で健次を産む。
留造は妊娠させた女性のうちの一人と結婚、健次の半年違いの妹にあたる女児が生まれる。
留造はさらにこの女性との間に2人の男児をもうける。
千里には前夫の木下勝太郎との間に既に4人の子供があり、留造と別れたあとは女手一つで行商をしながら子供たちを育てる。
やがて、男児一人を連れた土建業を営む中上七郎と出会い、末子の健次を連れて同居、
4人での生活をはじめ、健次が中学生の時、千里は健次とともに中上七郎のもとに入籍した。
1953年、新宮市立千穂小学校に入学する。
小学6年生の終わり頃、12歳年上の異父兄・木下行平が首吊り自殺するという事件が起こり中上は大きな衝撃を受けた。 いわゆる「部落」というのは性的に放縦ではないので
どちらかと言うと文化人類学の交叉婚や同族婚のように
婚姻にあたっては「筋」厳格に重んじる地域が多く
地域内でも家格を重視する
だから部落内の民主化を推進する解放同盟があるわけで
中上のケースは非常に稀であり
彼のように複雑な家庭環境を持つ人物が
たまたま血統や居住地域という面で「部落」に分類されていただけ
そういう意味では中上の部落小説は非常に誤ったイメージを流布するものなのね
というか中上は歴史的経緯がよく分かってないからね
それでも文学として自我論や物語論の側面で評価できる部分がある >>133
中上健次の「岬」「枯木灘」の主人公の家庭環境や境遇が
中上のそれと一致する部分がたくさんあるね
親父が女癖が悪くあちこちの女に子を産ませてるところ、
主人公にたくさん兄弟がいるところ、若くして兄を亡くしてるところ、
主人公が肉体労働に従事してるところetc
中上自身がモデルになってるのかな >>135
作者自身がモデルというより、肉体労働者なんかは、実際にやってみないと分からないところがあるからな
普通の文人タイプには無い、貴重な人生経験 >>135
>主人公が肉体労働に従事してるところetc
>中上自身がモデルになってるのかな
労働経験は羽田の貨物業務くらいで
土方の経験はないよ
貨物業務だって職長レベルで指示をしていたそうだから
どのくらい肉体を使っていたのかも怪しい
土方として基礎工事などに従事している人はちょくちょく体を休めるので
中上の小説の様に忘我の境地にはならないと思うけどね ほんとうに土方の経験があるのは
佐藤洋二郎や東峰夫だよ
中上の小説から肉体労働者の部分を引っ張り出して
評価の対象にすべきではないよ
零細とは言え造船会社の御曹司である吉本隆明が
セクシュアリティとしての労働を描いている、と持ち上げていたけど
中上がそういうフィクションを作品に持ち込んで
神話的性や欲望に対置させただけなのね
つまり文学的操作の結果に過ぎない
作品内でステレオタイプに加工された部落問題とかもそう 昔部落の人と飲んだけど、部落は最悪なことをして最悪なところにいるらしい。
そこまで人が嫌がることをできる方が才能あるよ。 >>140
お前なんか全然駄目だ。
俺は先祖は武士ばかりで百姓以下は一人も混じっていない家系で、家老など上の部類だが、悪い奴の計略に引っかかったお陰で、部落に暫く住むことになったせいで、部落出身者の疑いを掛けられることになった。
だが、部落を落ち着いて観察出来たお陰で、随分勉強になった。
しかも、俺は部落関係ブラック企業で暫く働き、部落出身者ではないせいで随分いじめられた。
お前なんか、元々頭が悪い上に経験も不足していては何もカニも分らんよ。
元々お前は阿保なんだから。 >>137
お前は底抜けの阿保だな。
家業が土建なら息子は正式な従業員じゃなくても
手伝うだろうが。 ここは部落民の来て良いスレじゃないぞ
あっちへ行ってろチョオリンボめ 昔、中上が天皇と文学の関係について言及したのを
realkyoto で浅田彰に批判された件については中上が可哀想に思えた。
浅田ぐらいは中上を理解してやれよと。
やっぱり、最高権力者が国の文学の起源に?これほど関与した例は他の国では余りないのでは?
日本書紀の「大坂に 継ぎ登れる 石群(いしむら)を 手越し(たごし)に越さば 越してむかも」については、ちゃんとした読みが公にされてない。
それは国文学者たちに肉体労働の経験が皆無だから。
まあ、世界的に学者は肉体労働の経験が無いから、色々不都合が生じるw 小説家って職業自体が現代版の河原芸人みたいなもんだろ。 >>142
>家業が土建なら息子は正式な従業員じゃなくても
>手伝うだろうが。
手伝ったこともないのにしたり顔で書いているから
「いつ作業したんだよw」と組の人間からからかわれていたんですけどね >>143
>あっちへ行ってろチョオリンボめ
それは長吏のことであり
簡単に言うと警察であり公務員だからね
警察・金融・芸能・風俗部門管掌の特殊公務員と
その構成員あるいは業界人であり中上の書いた部落民は
劇画的かつステレオタイプ
そもそも日本で一番最初に同盟休校を実施して政府に抗議したのは
岩〇具〇の本貫地であり旧準門跡寺領なんだな
一筋縄ではいかない問題なんだよ
小田実が同和問題を出世の道具にしやがって、と怒るのはある意味正しい
中上の小説の本質に同和問題はそれほど関係ないんだよ
だいたいこの分野における中上の知識は大したことないから >>146
源氏物語なんかは虐げられて死んだ貴族の無念を弔うための神事だとも言えるわけで
それはまさに天皇の職域とも重なる
こういう形で文学が発展してきた国は確かに少ないと思う
たいがいは覇王の正統性を捏造するために修辞学が用いられてきたから
日本の権力構造はやっぱり特殊だ >>151
中上の書いた部落民は劇画的かつステレオタイプ
という表現はすごく腑に落ちる >>152
源氏物語の「鎮魂」の側面を折口信夫が発見し、井沢元彦が強調してる。
鎮魂には征服や不正な権力奪取などの正当化の意味もあった訳で。
平家物語などはもっと鎮魂の面が強い訳で。
源氏物語に関しては「源氏見ざる歌詠みは」というぐらいで、むしろ源氏物語は見るものだったという面に注目すべきだろう。
それは折口などが全然やってないことであって、中上はそこに踏み込もうとしていたような。
>>153
部落の人間は概して劇画的な表現を好むんだが。
君は部落の人間として言ってる訳? >>153
中上の描いた秋幸の姉3人はそれぞれ違った生を生きてたと思うがな。
ただ、中上は部落の人間の一つの共通点に注目していた。
それがツルハシを振るうことへの愛着の仕方ではないかと俺は思う。 秋幸としごと 「岬」のなかの一節
彼は、区切りのつくところまで、土を掘り起しておこうと思った。つるはしを打ちつけた。
見事に根元まで入った。引き起す。土はふくれあがり、めくれる。つるはしを置いて、
シャベルに代えた。腰を入れ、シャベルのかどに足をかけ、土をすくった。外に、ほうり出す。
汗が出た。まだ塩辛かった。いつも掘り方の時、塩辛い汗が出る間は、息をするにも力がいった。
それが、水のようになってしまえば、体は嘘のように楽になった。
掘り方に体が馴れ、力を入れ、抜く動きにぴったり息が合っているのだった。特に掘り方は、好きだった。
なによりも働いたという感じになった。この単純さが好きだった。
現場の横の、切りひらかれていない山の雑木が、ゆれている。
つるはしをふる、スシャベルですくいあげる。腕の筋肉が動き、腹の筋肉が動く。それは男らしかった。
彼は、安雄や女の人夫の話をききながら、区切りがつくまで、掘りすすめた。
彼は、土方仕事が好きだった。他の仕事や商売よりも、貴いと思っていた。
朝、日と共に働きはじめ、名日と共に働き止める。単純で、泥まみれになる仕事だが、思いがけない事にも出会う。 ツルハシって彫刻家の彫刻刀みたいなもんだからね。
ミケランジェロの時代の彫刻家は、皆がそうだったわけじゃないが、少なくともミケランジェロの場合は大変な肉体労働者でもあった。
彫刻の原材の多分何十トンもある大理石を切り出し場から彫刻制作の現場まで運ぶ作業に携わり。ミケランジェロは2度ほど?死にかけたことがあったという。
こういう危険な労働は、中上の短編「浮き島」に登場するキンマ引きにも通じる。
キンマ引きは切られた杉を束ねて大きな台に乗せて、山の坂を降ろしてくるが。足場の木のレールの上が滑り過ぎるとキンマ引きは下敷きになって死んでしまう。
文学板で長すぎる行がありますとか、100字程度で文句付けるな馬鹿野郎。 敗戦の時反撃しないでテレビ出演視聴三昧の天皇は天皇ではない。下格。終戦にもちこんだ
アメリカ兵の系譜が天皇をつげばよい。 中上を上げている奴の年齢はだいたいわかるね。
今読むと、あんなののどこがいいんだか。神話性?そんなものどの物語にでもこじつけられる。
権威主義の読み物
もう中上なんて若者に読まれることないだろうな >>26
言うほど論文の例えになるレベルのマックのクチコミって多いか? 中上にはもう読者なんていないとかほざいてた奴らは、今年の芥川賞受賞者のインタビューを見たか?
「推し、萌ゆ」の作者は中上の大ファンだったぞw 大江健三郎はとにかく長寿で他の日本人作家より沢山読書して色々書いたので単純に偉いと思う。中上健次は読んだ事ないが昔のサブカルの人という印象と安部公房がどっかで誉めてた事と方言文学を書いた人ということしか知らん。近代文学?で序列を付けたいという事なら大江健三郎で3rd tierぐらいじゃないかね?日本人では最高の部類でしょう、同じ賞の受賞者の川端康成よりは間違いなく上位の一人だと思う。 読んだこともない匿名がなぜ語りたがるのか
自分で気づいてなさそうだがゴミ以下の意見だぞ 中上は読まなくていいからとりあえず「青春の殺人者」だけ見て 読んだことないのに評価しようとは無謀な奴がいたもんだ 文学板は半分以上がその手合いでしょう
作品そのものとは無関係な序列の話ばかりしている
このスレからしてそうですが 他人を腐すより自分の意見を言えよ。中上健次は余程の暇人じゃなきゃ読む必要はないレベルの作家だと思っている、他に重要な作家がありすぎるから。個人の読書の方針として優先順位の序列を付けるのは当然必要。中上健次を読ませたいならどこがいいのか自分の考えぐらい言えないのか? まずは代表作の『枯木灘』くらい読んでから貶してもらいたいね
ひとつも読んでないヤツはどの作家であれ、貶す資格はない 読まずに決め付けてる奴が正当性を主張する世界って異常すぎる
いくらアホ優勢の時代でも許し難いわ 誰も中上健次を読んでないのに評価なんてしてないだろw
どうでも良いこと書き込んでないで中上健次の小説を読んだならそれについて何か言えば?
何も言えないなら読んでないのと一緒じゃないの?匿名の掲示板でさえ自分の意見を言えないの?それともなんか突っ込まれると思ってビビってんの?少しは建設的な発言できないの?
まぁ何にせよダサすぎだなお前ら。所詮こんなとこに来る連中は中上健次ファンはこのレベルか。 自殺した年長の兄や生き別れとなった他の兄弟たちへの負い目が
ああいう形での物語創作の動機となったとしか思えない
よく男流や神話と言うけれど基本的に母と子の物語であり
自分の分身とも言うべき兄の死によって
おもに心理面で母子間の亀裂が子供の側に生じ
それが自己の不安定化の原因となった
この不安定な自我の再構成のためにああいう凝った物語をつくりだし
同時に自己の原罪意識を転嫁する極悪人としての実父像を捏造したのだろう
もちろんこの欺瞞性は作者本人がよく分かっていたことだと
容易に推測し得る
実際は捨て子でもないのに憐れな捨て子と自己同定して
それをバネに選民に転化するフェイクストーリーのほころびを
補てんしていくところが宗教あるいは神話的だとはいえるけど
生身の人間がこういう偽りの生を生きざるを得なかったのは
なかなか切ない話だ 物語の意味分かってなさそう
偽りの生もクソもない
中上は一貫して作家として振る舞ってた >>185
読んでいないヤツに作品批評を書くのはむなしいから書かないだけ
早く読め >>185
>誰も中上健次を読んでないのに評価なんてしてないだろw
>>174で
>中上健次は(略)昔のサブカルの人という印象
>>179で
>中上健次は余程の暇人じゃなきゃ読む必要はないレベルの作家だと思っている
と「読んでないのに」評価しているようだが? >>174で、
>中上健次は読んだ事ないが昔のサブカルの人という印象
と「中上健次は昔のサブカルの人」と「評価」するにあたって、ご丁寧にも自分で「読んだ事ないが」と断っているが、これは「読んでないのに評価なんてして」(>>185)いることを意味しないのか? 芥川賞受賞作品で凄いと思ったのは
中上健次 岬
古井由吉 杳子
だけどな。表現力の凄さって言うかね。
大江は読んだことないから知らない。 >>1
現代でも読まれてる順なら
三島=漱石>谷崎>大江>中上
だろうな。 過去の文豪との比較での印象で言えば
漱石=鴎外>谷崎>川端>三島>太宰>芥川>大江>中上
だろ今の評価は。 >>194
この中だとというか
日本の小説家の中で最も大きな仕事をしたのは
大江で間違いないだろう
さして好きではない今でも
その仕事の大きさが飛び抜けていることは認めざるを得ない >>191
大塚英志が「南回帰船」をネタにしてたからな 中上はサブカルとかポップな事もしたかっただろうけど向いてない。軽いノリというのを装いたくても装えない。
だから(本人の意思とは無関係に)文学に集中できた。 灰色のコカ・コーラ
黄金比の朝
タイトルがカッコいい初期の2作品
高校生の時、真夜中に読み耽ったな
岬はよく分からんかった
きっかけはふいに本屋の棚から手に取った村上龍との対談集
ジャズと爆弾
だったな 大江の次のノーベル賞作家は村上春樹じゃなくて多分女性作家だよ。
多和田葉子や小川洋子あたり。 >>204
大江の嫉妬があるらだろ。受賞者は投票権もあるらしいな。 >>205
そんな矮小な思想の人物じゃないだろ大江は
百歩譲ってそうだとしたら日本人受賞者すらださないだろ、
このスレでこんなに頭小さい奴がいるとは 多和田葉子や村上春樹の受賞は有り得ない。
同じポストモダンの作家として多和田や村上より世界的に遥かに
評価の高いピンチョンがノーベル賞をもらってない。
さらに多和田はドイツ語で創作するにあたって、確実に必要なド
イツ人のパートナーの存在を明らかにしてない。
まるで、多和田が独学でドイツ語を完璧にマスターしたという幻
想を与えてる。これは駄目だろう。こういう狡いことは何処でも
認められるわけがない。それは馬鹿な日本の文壇でしか有り得な
いw しかしペンネームっていうのは代表者がいるけどみんなだから、そういう現実の読み方してるほうがいいだろうな。 大江と中上比べちゃいかんだろ
段違いで大江の方が上なんだから?? >>206
いや大江はそう言う人間だろ。
大江はポーズで世間を騙している。
だから俺は村上春樹は絶対に受賞はないと思っているよ。
何故か。大江の立ち位置が弱まるから。 >>211
それはお前の主観か?それとも客観的事実があるのか?それをはっきりしろ、お前が個人的に大江健三郎という作家が嫌いで個人的な思いからそれらを述べているとしたら是非ともやめて頂きたい エロ小説と巷で噂されているものは、ノーベル賞なんて絶対にとれないよ。
それほど格式と権威がある。 大江とか中上は今もこれからも読まれない
それが最大の評価だよ >>207
ドイツ語くらいなら独学でできる
多和田の小説は奇妙なドイツ語で書かれた作品というドイツ人の評もあるくらい、完璧とは言えないもの 中上は文体の作家
その点で春樹と共通する
しかし文体自体は対極にある
文体というものが作者の人格やら生き様やらを背負ってるからだろう >>207
ポストモダン?評価?全然タイプの異なる三作家じゃん
読んですらいないだろう 春樹は多分ノーベル賞無理。
小川洋子あたりが取りそう。 文学っぽくないもんな
ノーベル文学賞は芥川賞の上位版だと思ってる フォークナースレで中上お勧めされてハマりました
最近の作家だと赤松利市さん好んでます 中上さんの小説読んだが読みにくい事この上なかったぞ 読みやすいのがよい小説というのはど素人の浅知恵
読みにくい作家こそ精神を鍛えてくれるありがたい存在 うん読みにくいから駄目とも読みやすいのが小説として良いとも言ってないからね 1、細雪
2、春の雪
3、万延元年のフットボール
4、砂の女
5、こころ
6、山の音
7、黒い雨
8、金閣寺
9、晩年
10、枯木灘 >>226
近・現代文学名作マイ・ベスト10
9、10位はサービス 愛好する日本近代小説20作(発表順)
金色夜叉、青春、其面影、雁、明暗、或る女、暗夜行路、痴人の愛、仮装人物、迷路、
雪国、死霊、壁、邪宗門、万延元年のフットボール、春の雪、死の島、
限りなく透明に近いブルー、地の果て 至上の時、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、 何冊読んだ上でのベストだよw
単に「私の読んだ小説」を並べただけじゃねえか いま三島の「宴のあと」を再読中
前から春の雪、金閣寺に並ぶ傑作と思っていた
執筆時の三島35〜6、五十代ヒロインと初老の元役人の人物像をよく書き切った
美徳のよろめきと違い性格造形は慎重に企図されている
心理描写が多いにもかかわらず違和感がないのは、作者が背伸びせず青年の視点でとらえた五十、六十代の姿を巧妙に潜り込ませているから
翻訳されると世界二位という評価を得た 中上さんは、だいぶ落ちるな
創造力、構想力……
読んで一度も面白いと思ったことはなかった。
島国の、さらに地方の一小説家という感じ。
三島、川端、谷崎レベルとくらべると。
優れた小説は、読むからに作家の頭の良さが感じられるから。
大江さんは、頭の良さは評価するが、小説は陳腐ではないがつまらない。 大江と中上は読者を選ぶ作家だ
ある程度文学的素養がないと面白さが分からない
だから本の売れ行きも良くはない
しかし玄人は評価するから文学史には残る 読書なんていいとこ取りで十分
とりあえず、
人間失格、斜陽、女生徒、金閣寺、春の雪、地獄変、偸盗、歯車、 徳田秋声も読者を限定する玄人好みの作家
中上健次は秋声を高く評価していたな 個人的には中上より後藤明生の方が好きだわ。両者語りについてかなり考えてる作家だけど価値観は対照的だと思う。中上は自身の素材の豊富さを売りにしてた部分があるが、後藤は素材なんて関係ない、文学は方法論だってところまで振り切ってる人だ。「挟み撃ち」と「夢かたり」と「笑坂」「吉野大夫」でそれは結実している。後藤はポストモダンの頂点の一つだと思う。残念ながら後藤の著作は半分以上手に入れるのが難しい。数年前刊行された著作集も短編連作をかいつまんでしか載せてないから十全とした良さに欠ける。年末年始の休みを使って「壁の中」を読むよ。 後藤明生は蓮實重彦が持ち上げた作家だが、文学史に埋もれるだろう
方法だけの作家など面白くも何ともないから 「方法だけの作家など面白くもなんともない」のは頭でっかちな方法論だけに終わってる作家に言えることだと思う。こう書いたらこうなるっていう方程式に従って満足してる作家のことだ。後藤はそうじゃない。彼の一番の特徴は目の良さだ。テキストを解釈する力がずば抜けてる。特にプラトンの読み方には興奮するものがあった。その目のつけどころの新鮮さに、真似できない感性がある。しなやかに感性に基づいた方法論は十分意義がある。 >>238
テクスト解釈がすぐれているなら、評論家になればいい
小説家は人間が生きている現実をいかに描くかが肝要だ
大江、中上は現実と格闘したことが小説に窺える
後藤にそれがあるかな? >>239
北朝鮮で敗戦を迎えたこと、自分が正統な日本語と思っていたものが植民地方言だったこと等、どうしようもない矛盾を抱えた作家だよ。一冊でも読めばその辺りはわかるはずなんだけど。読まないで適当な批判するのはどうかと思うな。
そうした主題が後藤の場合悲観に終わらず笑いとして捉え、さらにそれは構造であり、世界を縛る法則にまで普遍化するのが面白いところだけど、小説である限り散文なのだからそこまで客観に突っ切ることは重要だと思うね。大江だって日本文学は人生の感想を述べることに終始していて方法化の志向が衰退してるって書いてんだろ。人生の真実を語るだけの文学はもう古いよ。 古いか否かは文学にとって本質的ではない
大江も中上も人間を描くこと、方法にも自覚的であったことが共通している
まぎれもなく第一級の作家だよ >>239
評論家になればいいとかずいぶん的外れな反論で草、だいぶズレてんなww そんなに後藤がいいなら、後藤のスレ立てて一人で褒めてればいいだろ 古井由吉の評価がこの2人より低いよね。
死んだ時もあまり取り上げられなかったし。 今だと大江が死んでも
そんなには取り上げられないような気がする
せいぜい一週間ぐらいで雑誌も1回ぐらいで 古井は死後発覚した山崎ナオコーラの件で大幅に格を落とした印象が。 ググったら若いころケツ触られたって話か
画像もググったらこんなブスよく触ったなと思った あんな怪電波みたいな文章垂れ流すやつに自制心なんかないだろ
まともな理性もってりゃ、もっとまともな文章書くよ 古井もコーラ自身もおとしめる嫌な現実が伝わっただけ。 大江健三郎はシリアスな内容をギャグ漫画として書いてるような感じが不思議 >>257
大江はユーモアとグロテスクが好きだからな >>5
ほんとそれ
批評家バブル終焉と共に消え去る程度の存在 「まったく読まれてない」からどうなの?としか思わない。え?まだ中上すら読んでないの?って感じ はっきりいって中上と大江読むぐらいなら、ゲーテの小作品読んだ方がはるかに有意義だと思うよ
中上と大江の全作品読んだ感想ですw ゲーテの全作品を読んだが、感動したものは一つもなかった
大江と中上には幾つも感動させられたな
人それぞれだ >>264
ゲーテ読んだことないけど、やっぱすごい? 「おれ別に若くねえし」とか思うよな。偏見かも知れないけど😂 スゴイよ~~
大江健三郎の仰せ
「現に東海村の原子力発電所からの電流は、いま市民の生活の場所に流れてきています。
それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。
それは人間の生命の新しい威力をあらわすでしょう」
「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。
このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」 最新の文學界だっけ、松浦が古井と大江だけは新作出たら必ず読んでいたけどもうそんな作家がいなくなってしまったと書いていたのは 松浦はすばるだかに中上との思い出を書き、最近彼の全集を読み直し、
『地の果て 至上の時』をフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』
のようだと評価していたな >>272
フォクーナーをありがたがっているのは大学の英文学教室の中だけだとか
ポール・セローの本を読んだらアメリカの作家についても忌憚のない批評がなされていたな 大学の講師が「駅で大江健三郎を見かけたことがあるが、ひとりで笑いながら手紙を破っていた。怖かった」と言っていた
誰からの手紙だったのだろうか 【冒頭無料】安藤礼二×菊間晴子 司会=横山宏介「君は大江健三郎を知っているか──国民的作家の『ヤバさ』をめぐって」 @harukok_21 #ゲンロン240216
https://www.youtube.com/live/I6tY285yT20?si=4_RZb7uso_33N1eD >>272
松浦って古井が死んだときもブランショに近いとか言ってたね
(対談相手の堀江敏幸には「そうですか?」とやんわりかわされていた)
作家を作家でたとえるねえ
お笑い芸人でも食リポで「食べ物を食べ物でたとえるな」みたいに馬鹿にするけど、それで自分より優れているかもしれない作家たちを俯瞰で(上から)評価したことになって、ヘタしたらスノッブな読者に感心までされるんだからいいご身分だよね 同ジャンル内での◯◯は△△のようだ、というような言い回しには、双方に対して深い理解やリスペクトを示すこともなく、それを指摘する自分の視点を押し出すということしかない
このポジショニングの取り方って日本の文芸批評のなかで作り上げられた害悪の一つだね
自分を大きく見せかけたい人の小手先の技術
いまだにSNSでも溢れかえっている
表象文化論的には似ているというところからだけでいくらでも饒舌に語りうるんでしょうけども 中上も大江も、蓮実や渡辺や柄谷などポストモダン系の批評家に
持ち上げられていただけ。今や文庫本も続々と廃刊になりつつある。
だって面白くないもんね。 今を生きるヒントみたいなものはほとんどないかもね
違う世界の閉じられた空間のお話のように聞こえるものが多い
それでいて読んで格別に面白いということもない
近代文学なんかはそうでもないんだけどな
小説の方法ってやつは所詮時代の産物で耐久性が低いんだろうね 大江にも中上にも今も読むに耐えうる傑作はわずかながらにあるとは思うけどね >>283
大江は岩波の短編集が結局最後まで残るかもしれない
万延元年のフットボールは厳しいかな
文章があれこれ言われるけど、物語に面白さがあれば文章なんて奇怪であるのは一種のブランドになる
しかし物語がテーマにしろ古い
学生運動時代の問題意識だから、共同体がどうのっていう話は今は誰にも響かないんじゃいのか 名作扱いされている個人的な体験や枯木灘、千年の愉楽あたりは文句なしにいいんじゃないの
逆張りする必要なし
80年代以降の大江は自己言及が多すぎてファンじゃないと読みきれないが、この先はファンになるまでの入口が見つけにくくなってくるだろう
人生の親戚、取り替え子あたりはギリいけるか?キルプの軍団もまあアリ? 今でも結果は出ていると思う。
大江や中上は文庫本でもあまり読まれていない。
太宰や三島が相変わらず人気で読まれ続けているのにね。
三島の後はやっぱり村上春樹になるだろうな。
大江健三郎はノーベル文学賞獲ったのに、あまり読まれていない。
単純に考えて、面白くないもんね。 仲俣暁生 @solar1964
ハン•ガン『別れを告げない』の書評を書き終えてあらためて思ったけど、
これは百倍よくできた『羊をめぐる冒険』だな。村上春樹さんには悪いけど、歴史への踏み込みが遥かに深い。
『羊』が書かれた時代、韓国はまだ軍政下だったから、むしろ『ねじまき鳥』と比較すべきかもしれないが。