ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>148
非常に体調壊した。カゼだけどw セキがとまらん
復活したらヨロピクね! 良心の呵責とその赦しを最も感じたセリフ
ドストエフスキーの内的な心理での赦しをここまで明確になっているパラフレーズはないのではないだろうか
決して行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
そもそも「赦し」とは心理的な感情なんだろうとも思える
「じゃ、だれだ、だれなんだ?」もはやほとんど凶暴にイワンが叫んだ。それまでの自制がすべて、一挙に消え去った。
「僕が知っているのは一つだけです」なおもほとんどささやくように、アリョーシャは言った。「お父さんを殺したのは『あなたじゃ』ありません」
「〈あなたじゃない〉! あなたじゃないとは、どういうことだ?」イワンは愕然とした。
「あなたがお父さんを殺したんじゃない、あなたじゃありません!」アリョーシャが、しっかりした口調でくりかえした。
三十秒ほど沈黙がつづいた。
「俺じゃないことくらい、自分でも知っているさ。うわごとでも言ってるのか?」青ざめた、ゆがんだ笑いを浮かべて、イワンが言い放った。 よぅお前ら
つい最近やっとカラマーゾフの兄弟読み始めたわ
まだ50ページぐらいまでだけど、この独白録みたいな語り手って誰? >>152
カラマーゾフの兄弟は特に語り手が登場人物というのはないよ
物語を進めるただの形式ではないかな
最初の10ページくらいは名のとおい著者よりだけど
悪霊なんかだと「私」が語るのは立派な登場人物の一人ということになってるけど あと結構ドストエフスキーではよくあるこの独自録的な、語り手がいるような文章
そして誰もが思うだろうけど異様に一個の会話が長い
人セリフで2ページとか、今の本じゃありえないw 『罪と罰』は、最初はラスコーリニコフの一人称の告白小説の形式で書いていたが、途中ですべてを焼き捨てて、3人称形式に変更した
その形式とは
「目に見えないが、すべてを知っている存在としての作者からの話。ただし作者は主人公からいっときも目をはなさないこと」 『カラマ』の「私」は、読者にルポタージュ感を与えていると思う。
初めて『カラマ』を英訳したコンスタンガーネットは、あの序文を省略してしまった!! 『人殺し』 だの『 人でなし』 といった 言葉 が アリョーシャ の 胸 に 痛く ひびい た。
「お前 は まだ それ を 知っ て い ない ん だ。 あの 女 は ある 書類 を にぎっ て いる ん だ よ、
兄貴 が 自分 で 書い た もの で、 親父 を 殺し た のは 兄貴 だ という こと を 数学 的 に はっきり と 証拠立て て いる 書類 を」
「そんな もの が ある はず は ない!」 と アリョーシャ は 叫ん だ。
「どうして ある はず が ない ん だ? 僕 は この 目 で 読ん だ ん だ ぜ」
「そんな 書き もの なんて ある はず は ない さ!」 と アリョーシャ は のぼせ た よう に なっ て くり返し た。
「 ある はず は ない よ、 だって 犯人 は 兄さん じゃ ない ん だ もの。 おとうさん を 殺し た のは 兄さん じゃ ない もの、
兄さん じゃ ない もの!」
イワン は 急 に 足 を とめ て、 「じゃ、 お前 の 考え じゃ、 犯人 は だれ な ん だ?」 と、 見 た ところ 妙 に ひ やや かな 調子
で 聞い た が、 その 問い の 調子 には なにやら 見下し た よう な 響き さえ こめ られ て い た。
「だれ か って こと は 自分 で 知っ て いる くせ に」 と アリョーシャ は おだやか な、 胸 に しみ入る よう な 調子 で 言っ た。
「だれ な ん だ? あの 癲癇 もち の 気 ちがい の ばか が やっ た という 例 の 寝 空言 か? あの スメルジャコーフ が
やっ た という?」 アリョーシャ は ふと、 自分 が ぶるぶる ふるえ て いる のに 気がつい た。
「だれ か って こと は 自分 でも 知っ て いる くせ に」 という 言葉 が 力 なく 彼 の 口 から 洩れ た。
彼 は 息づかい が 荒く なっ て き て い た。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「じゃ、だれだ、だれなんだ?」もはやほとんど凶暴にイワンが叫んだ。(以下略)
------------------------------------------------------------------------------------------- >>151
> 良心の呵責とその赦しを最も感じたセリフ
> ドストエフスキーの内的な心理での赦しをここまで明確になっているパラフレーズはないのではないだろうか
> 決して行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
あなたの引用箇所の前の部分を添加。
この所はぼくにとっては難しい。上の表現ではまだむずかしい。もう少し分かりやすく単純化して解説してほしい。 >>160
一つ一つぼくが感じた感想と上のレスの真意を説明するよ
まず良心の呵責については、
イワンは物理的に殺してはいないのにも関わらず、父殺しに罪悪感を感じている
何に罪悪感を持っているのだろうか→
それはスメルジャイコフに殺人すら許されると扇動し思想を与えた罪は大きいと彼は自覚している
起こったことすべての原因を自己に課す(法の罪ではなく罪悪感として)、これこそが最大の「懺悔」ではないか
そして赦しについては、
アリョーシャのみがイワンの心の中の良心の呵責を見透かして、「あなたじゃない!」とアリョーシャのみがイワンに伝えた
この心の中まで察して、というのが、何より重要!
イワンは告白せずアリョーシャはすべてを見透かして!ということ
それを踏まえて考えると、
>決して行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
>そもそも「赦し」とは心理的な感情なんだろうとも>思える
人が自分の罪を告白してそれを許す人がいる
これが一般の許しであるけど、ドストエフスキーはイワンとアリョーシャを通じて、「本当の後悔とは誰にも打ち明けられないほどの罪悪感を背負う」ことであり、「本当の許しとはすべてを見透かして『おまえは悪くない!』って言ってやる」ことじゃないかな?とおもったんだ
これが、行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
ぼくがドストエフスキーを賛美する理由でもある
彼はとても人間の内面を重要視していて、行為のみではなくて内的心理に焦点と価値を見出している 自分が後悔していて誰にも打ち明けられられないのに、心を察して「悪くない!と言ってくれる
こんなに許されることはないだろう
これ以上の懺悔と許しがあるのだろうか、と思ったのが上の場面
>>161の続きでした >>160
ふと今思いついたんだけど、これは大審問官も同じではないかな
最後を思い出してほしい
あの十字架の人は大審問官に「何もいわず接吻して」去って行く
すべてを悟って何も言わず接吻して終わる
これらに懺悔とか言葉という行為はまったく存在しない
行為のない、内的な懺悔と赦しのみが存在する
ってすごく形而上学的で観念的になってしまったw
悪い癖がでてしまったw
スルーでw でも一応書いとくよ 第五篇第七章
もうかなり遅かったが、イワンはまだ眠らずに物思いにふけっていた。その夜、彼が床についたのは大そう遅く、二時すぎだった。
しかし、筆者はここで彼の思考の流れを伝えるのはやめておこう。
まったく意外なさまざまな欲望が彼を苦しめていた。例えば、もう真夜中すぎだというのに、とつぜん階下へおりて行って戸を開け、
別棟に飛び込んで行ってスメルジャコーフをぶちのめしてやりたい気持がむらむらと沸き起こるのである。そのくせ、何のためにと
聞かれても、あの下男が憎らしくてたまらないのだ、あれはこの世にふたりといない無礼千万な男だという以外には、いかなる正
確な理由も述べられなかっただろう。
一方この夜の彼は、ある正体不明の屈辱的な臆病風に一度ならず肝をひやされ、そのために突然、肉体的な力まで失ったかのよ
うな感じがしていた。頭がずきずき痛んで、目まいがしていた。まるでこれから復讐でもしに行くように、憎悪に胸をしめつけられていた。 さっきの会話を思い出すとアリョーシャまでが憎らしくなり、時々は自分さえも憎悪した。
このことは後に思い出して非常にふしぎな気がしたが、それはきのうの朝カチェリーナの家で明日モスクワへ発つと大見栄を切った
時、心のなかで『嘘つけ、行くものか。いま大口をたたいているようにそう簡単には別れられまい』と自分にささやいたのをはっきり覚
えていたからである。
ずっと後になってその夜のことを思い出すたびに、イワンは自分が何度か突然ソファから立ちあがって、人に見られるのをひどく
恐れるようにこっそりとドアを開けて階段の上に出たのと、とくに激しい嫌悪を感じながら思い起こした。
--------------------------------------------------------------------------------------------
階段へ出ると、彼は階下の部屋で父親が身動きしたり歩きまわったりする物音に耳をすましていた。それもかなり長いあいだ、
五分ほどもある奇妙な好奇心にかられて、息を殺し胸をどきどきさせながら耳をすましていたのだが、何のためにそんなことを
したのか、何のために耳をすましていたのかはもちろん自分にもわからなかった。この《行為》を彼はその後、一生のあいだ
《醜い行為》と呼び、一生涯心の奥底で、魂の秘密の部分で、わが生涯の最も卑劣な行為と考えていた。
-------------------------------------------------------------------------------------------- 『そうだ、おれはあの時あのことを期待していたのだ、確かにそうだ! おれは望んでいたのだ、
殺人を望んでいたのだ! だが、はたしておれは殺人を望んでいたのだろうか、ほんとうに望ん
でいたのだろうか。……スメルジャコーフを消さねばならんぞ!……今スメルジャコーフを殺す
勇気がないぐらいなら、おれはこのさき生きている価値はない!……』 自分が今回目を通した部分は引用した箇所のみ。その上で、次の感想を、今の時点で感じた。
>イワンは物理的に殺してはいないのにも関わらず、父殺しに罪悪感を感じている
何に罪悪感を持っているのだろうか→
それはスメルジャイコフに殺人すら許されると扇動し思想を与えた罪は大きいと彼は自覚している
起こったことすべての原因を自己に課す(法の罪ではなく罪悪感として)、これこそが最大の「懺悔」ではないか
「物理的に殺して」なくとも、現代日本の法律でも、犯罪教唆に当たるのでないか。しかり、文字通り有罪ではないか? イヴァンこそ主犯ではないか。
スメルジャコフもイヴァンも、父を軽蔑し憎み、「こんな奴は死んでも構わない!」と考えていた、そうした
家庭の土壌においては、「思想を与えた」そして勝手に妄動してスメルジャコフがやった――― などという
レベルではないのでないか。
スメルジャコフはイヴァンの鏡像ではないのか。
スメルはやってない、ドミートリイのバカがやったのだ!と自分を欺いていたのではないか?
生命の奥底で、ジャコフがやったと、理解していたか。
そしていよいよアレクセイによって知らされて、彼の精神は崩壊したのか。 >>159
> 『人殺し』 だの『 人でなし』 といった 言葉 が アリョーシャ の 胸 に 痛く ひびい た。
> 「お前 は まだ それ を 知っ て い ない ん だ。 あの 女 は ある 書類 を にぎっ て いる ん だ よ、
> 兄貴 が 自分 で 書い た もの で、 親父 を 殺し た のは 兄貴 だ という こと を 数学 的 に はっきり と 証拠立て て いる 書類 を」
> 「そんな もの が ある はず は ない!」 と アリョーシャ は 叫ん だ。
> 「どうして ある はず が ない ん だ? 僕 は この 目 で 読ん だ ん だ ぜ」
> 「そんな 書き もの なんて ある はず は ない さ!」 と アリョーシャ は のぼせ た よう に なっ て くり返し た。
> 「 ある はず は ない よ、 だって 犯人 は 兄さん じゃ ない ん だ もの。 おとうさん を 殺し た のは 兄さん じゃ ない もの、
> 兄さん じゃ ない もの!」
-----------------------------------------------------------
アレクセイはすべてを仏のごとく知見する。いっさいの事象を如実にありのままに見る。
その外面とは裏腹にドミートリイが極めて崇高な人格であることを知っていた。ゆえに証拠がなくとも、ミーチャがやってないことを見抜く。 では有名な、ネットでも解釈をめぐって論争?となっているアリョーシャの「あなたじゃない」とは、何なのか? わたしは他人の意見などいっさい信じない。
亀山訳がどうたらとか、バカげた話しであるとさえおもう。一訳者の為に、その本質的価値が揺らぐような
軟弱なものではない。カラマーゾフは。
ドストエフスキー以外の、評論家の意見を信じれば(自分で解釈に苦しむ箇所など)、「その評論家の宗教観人間観」を取り入れたことになる。
大事なのは「自分がどう受け取ったか」だ。どう「生きたか」だ。.... そうだ、カラマーゾフを読むものは、ことごとくカラマーゾフのごとく生きなければならん。 わたしは他人の意見などいっさい信じない。
亀山訳がどうたらとか、バカげた話しであるとさえおもう。一訳者の為に、その本質的価値が揺らぐような
軟弱なものではない。カラマーゾフは。
ドストエフスキー以外の、評論家の意見を信じれば(自分で解釈に苦しむ箇所など)、「その評論家の宗教観人間観」を取り入れたことになる。
大事なのは「自分がどう受け取ったか」だ。どう「生きたか」だ。.... そうだ、カラマーゾフを読むものは、ことごとくカラマーゾフのごとく生きなければならん。 イワンとアリョーシャが飲み屋で語り、別れる所まで読みました。
途中読むのを挫折しそうになりましたが、ここまで読んだので最後まで読もうと思います。
二頭大尉とアリョーシャの再会が楽しみです。 末っ子アレクセイにとって 何が大切なのか?
それは「兄を救うこと」だ。兄とは「ふたりの兄」両方である。
死んでしまった父と下男はしょーがない。彼らは神のみ手に任せれば良い。
この世に罪のない人間はいない。ドミートリイもイヴァンも罪のかたまりだ。アレクセイ自身もだ。
誤れる裁判によって、ドミートリイはシベリア送りになろうとしている。国法を犯すことになるが、カネと人脈の力によって、ドミートリイはぜったいにゆかせない。
ではイヴァンは? 難しいが本文を引用しながら考えたい。(2ちゃん専ブラの具合悪く、投稿に時間かかりそ。
はやく、みんなも書いてくれ!) >>172
> イワンとアリョーシャが飲み屋で語り、別れる所まで読みました。
最高に素晴らしいところのひとつだよね
> 二頭大尉とアリョーシャの再会が楽しみです。
あのシーンも一生忘れられないね
>途中読むのを挫折しそうになりましたが、ここまで読んだので最後まで読もうと思います。
あなたには勇気がある。 >>173
イワンを法で罪に問うことは出来ないんじゃないかな
殺されるかもしれない可能性を予知したのはイワンに限らない設定でスタートしている
以前にキリストの姦淫について話しがあったのを思い出した
カラマーゾフの兄弟では殺人であるが、誰もがフョードルに死んで欲しいと心では思っていた
イワンもそれに過ぎない、そこで殺人が起こって、なぜ自分の所為だと思ったんだろうか
心で思うだけでそんなに悪いことなのだろうか
誰かの死を願った者は多数いる、行為にした者は少数だろうけど >>173
だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」マタイによる福音書5−28
トルストイもドストエフスキーもこの立場を支持したのではないだろうか
心の中で思うことさえ罪としなければならないと
ここからぼくの勝手な持論になるけど、罪悪感、つまりは「人間は誰もが罪を負っている」というカラマーゾフの兄弟の思想にはある前提が必要となる
行為ではなく、思ったということを罪とするかどうかである
これが懺悔するということ、悔いるということ、罪を自覚するということ
すべてが心の中で存在する!
>わたしは他人の意見などいっさい信じない。
とても綺麗な言葉だね 人間が罪の意識を感じるには、そこにスコープに入ってる必要があるんだよなあ
むしろ、罪悪感のない行為こそ問題にしなきゃあならないと思うんだがなあ >>178
善をなそうとして悪をなしてしまうということ?
一方通行の善意のような?
もしそういう意味なら、同じくそうおもう
野蛮といわれたハンムラビ法典の、歯に歯をの、故意を厳しく罰した姿勢こそ…って範囲をひろげすぎた
ただ、人間は生れながらに罪を追う存在である、とカラマーゾフの兄弟のようにした場合、悪を思う心がある、という前提が必要に思えてならない
「だから誰でも罪を負っている」とできる
あくまで、この罪を限定の問題とした時に限るけど
人間の問題はそもそも限定できず、また簡単に出来ないけどね、難しい 分かりずらかったかもしれない
ようははっきりいうと、「極端に人間は性悪な存在」と見なさないと、「誰もが」罪を持っているという結論は出来ないんじゃないか、とい問題にぼくは今ぶち当たって陥っているんだ
そんなに卑下するべきなのかと思い考えている
でもどうしても他に答えが見つからない >わたしは他人の意見などいっさい信じない。
とても綺麗な言葉だね
---------------------------------------
他人の意見を信じない、というより、「評論家の解釈を信じない」のほうが適切な表現だった。
それがどんなに物凄い有名なひとでも。名前だけ聞いたことあるバフチーンとか。
学術的分析より、アレクセイやイヴァンやミーチャが、人生をどう悩み、師匠の言葉をどう受け取り、女をどう愛し、どういう 心 を 抱い て、 どう 行動 し た か、 そして 「どう なっ た のか?」を
自分の人生に無意識のうちに取り入れていると思うんだ。それでこそ、カラマーゾフを自得した、と言えるんじゃないか。
ねじれた文章ごめん 誰かの意見を見たり聞いたりすると、レスを見ただけでも、そうかもしれない一理あるとおもう
そして、いいや違うんだ!とおもってみたりする
肯定して否定して肯定する
とても疲れる
いい加減、思考停止か完全に思考に盲目になりたいとおもう時もあるけど、だけど、ドストエフスキーは多彩かつ対になる登場人物を生みだして文学上で会話させている
これは頭の中で、肯定と否定を繰り返し、それを終わらせなかったという証拠ではないだろうか
まさにプロとコントラの連続性
ならば自分もそうしよう
にしても疲れたので休憩、またね 鋭い読み方を教えてくれる人は確かにいるんだけどそういう人は大概作家になってると思うんだよね
でもその読み方すら自分が読んだ体験の一部を刺激する程度だなあ ベンヤミンとか小説という枠じゃないとこで実力発揮した人思い出したんで184は一部撤回 >>181
> ようははっきりいうと、「極端に人間は性悪な存在」と見なさないと、「誰もが」罪を持っているという結論は
出来ないんじゃないか、とい問題にぼくは今ぶち当たって陥っているんだ
「人間は性悪な存在」というより「いっさいは繋がり合っている」ということじゃないか?
人間は単独的に存在する性悪や性善などない。なんとなれば、いっさいの事象は連関しているから。
悪も善も。美も醜も。ゆえにスメルジャコフの罪は、イヴァンの罪であることはもちろん、アレクセイの罪でもある。
このことはゾシマの説教という形で解説されていた。
たとえば宅間守が子どもたちを8人殺したのは、僕たちの心が宅間という形をとって現れたに過ぎない... とい
う側面は明確にある。
つまり宅間が主張したように「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供
でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」
聖容疑者が障害者を16人殺したのも、僕らの己心にある「障害者差別」が伝播していった結果である。
(あえてキチガイじみた断定口調で書いてみた)
--------------------------------------------------------------------------------------------
「 泣く のは お よし よ、 人生 は 天国 な ん です よ、 そして われわれ は みんな 天国 に いる のに、 それ を
知ろ う と し ない だけな ん です、 これ を 知ろ う とさえ すれ ば、 明日 にも この世 に 天国 が 出現 する のに」
「ご 親切 に ありがとう ござい ます、 僕 には どこ と 言っ て なん の 取り柄 も ない のに あなた は 僕 を 愛し て
くださっ て いる、 どんな わけ で 僕 みたい な 男 を 愛し て くださる ん です か、 どうして いま まで 僕 は この こ
と に 気 が つか なかっ た のか なあ、 これ を あり がたい と 思わ なかっ た のか なあ」 「いっさいは大海のようなものであって、ことごとく相合流し相接触しているがゆえに、一端に触れれば他の一端に、
世界の果てまでも反響するのである」
「この地上においては、多くのものが人間から隠されているが、その代わりわれわれは他の世界−天上のより高い
世界と生ける連結関係を有しているところの、神秘的な尊い感覚が与えられている。それに、われわれの思想、感
情の根源はこの地にはなくして、他の世界に存するのである。哲学者が事物の本質をこの世で理解することは
不可能だというのは、これがためである。神は種を他界より取ってこの地上にまき、おのれの園を作り上げられた
のである。そして人間の内部にあるこの感情が衰えるか、それともまったく滅びるかしたならば、その人の内部に
成長したものも死滅する。そのときは人生にたいして冷淡な心持になり、はては人生を憎むようにさえなる」
ゾシマ
--------------------------------------------------------------------------------------------
僕 の 大事 な 大事 な、 なつかしい、 喜び を 与え て くれる おかあさん、
そう な ん だ よ、ほんとう に 人間 は だれ でも いろんな 人 や いろんな こと で すべて の 人 にたいして 罪
を 持っ て いる ん だ よ。 僕 は これ を どう 説明 し たら いい のか わから ない ん だ けど、 そう に ちがい ない
という こと は、 胸 が 苦しく なる くらい 感じ て いる ん だ。 それなのに、 いったい どうして 僕 たち は こう やっ
て なん にも 知ら ず に、 腹 など たて ながら 暮らし て き た ん だろ う ね?」 ――「 いったい 年 が なん です、 月 が なん です!」 と 兄 は 絶叫 する、「 なに も 日数 なんか 数える こと は
ない、 人間 が 幸福 を 知り つくす には、 一日 あれ ば 十分 です よ。
みなさん、 なん だって われわれ は 喧嘩 を し たり、 おたがいに 自慢 し たり、 たがい に 受け た 侮辱 を 忘れ ず
に い たり する ん でしょ う。 それ より いきなり 庭 へでも 出 て、 いっしょ に 散歩 を し たり、 ふざけ たり し て、
たがい に 睦み あい、 ほめ あい、 接吻 し あお う じゃ あり ませ ん か、 そして 自分 たち の 人生 を 祝い ましょ う
よ」――
「 神 の 小鳥 たち、 喜び の 小鳥 たち、 お前 たち も 僕 を 許し て おくれ、 僕 は お前 たち にも 罪 を おかし た ん だ
から」 もう こう なる と、 だれ ひとり 家 の 者 で それ が どういう こと なのか わかっ た 者 は い なかっ た。 が、 兄 は
嬉し泣き に 泣い て こう 言う ので ある。「 そう だ、 僕 の まわり には これ ほど 神 の 栄光 が 満ち あふれ て い た の
だ、 小鳥、 木々、 草原、 空 と、 それなのに 僕 ひとり だけが 汚れ に まみれ て 生き、 僕 だけが すべて を けがし て い
た の だ、 そして こうした 美 と 栄光 に 気づい て い なかっ た の だ」――
僕 が こうして 泣い て いる のはいる のは 悲しい から じゃ なく て、 うれしい から なん だ よ。
僕 は 自分 の ほう から 小鳥 たち にたいして 罪 を 負い たい のさ、 ただ お かあさん に 説明
でき ない けど ね、 だって 僕 には 小鳥 たち を どういう ふう に 愛し て やっ たら
いい のかさえ わから ない くらいな ん だ もの。
僕 が だれ にたいして も 罪 が あっ たって いい でしょ う、 その かわり
こっち も みんな から 許し て もらえる わけ だ からね、 そう すれ ば もう 天国 だ よ。 そう なれ ば 僕 は いま 天国 に い
る こと に なる じゃ ない か?」 >>186
なるほど
すべては単独性ではなく同時にすでに存在してる
ヘッセのシッダールタを思い出した
あとメフィストフェレス(こっちはややこしくなるので控えるけどw)
今度こそ本当に疲れたので休憩するw また
「これは石だ」と彼は戯れながら言った。「石はおそらく一定の時間のうちに土となるだろう。土から植物。あるいは動物、あるいは人間が生じるだろう。
昔なら、私はこういっただろう『この石は単に石にすぎない。無価値で、迷いの世界に属している。
だが、石は変化の循環の間に人間や精神にもなれるかもしれないから、そのゆえにこれにも価値を与える』。以前ならたぶん私はそう言っただろう。
だが、今日では私はこう考える。この石は石である。動物でもあり、髪でもあり、仏陀でもある。私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、
『ずっと前からそして常にいっさいがっさいであるからだ。』」 ハムレットの
アレクサンダーも死ねばワイン樽の蓋になるってのが子供心に突き刺さった記憶があるな
>>170
殺害を示唆するのはダメで
女に優しくして惚れさせちまうのはいいんかい?ということだよ。 また間違えた。
まあ一切合切は同じなら結構
俺は安直だと思うけどね この世のものはすべて破壊から生じてるんだよなあ
反捕鯨の船はいろんなものをぶっ壊して作られてるんだよなあ
自分の問題意識に罪悪感を感じたり許されたりすることは即物的なものだと思ってるから
俺の心には全然響かないな 一 ゾシマ 長老 と その 客 たち
アリョーシャ は 胸 に 不安 と 苦痛 を いだき ながら 長老 の 庵室 へ はいっ て いっ た とき、
ひじ かけ 椅子 にかけて 客 たち に かこま れ て 客 と 静か に 明るい 話 を かわし て いる 長老 の 姿 だっ た。
この世 を 去ろ う と する 長老 の 言葉 なら どんな 言葉 でも それ こそ かたく 信じ て 疑わ なかっ た から、
「親愛 なる みなさん と もう一度 心ゆく まで お話 を し、 みなさん の なつかしい お 顔 を 拝見 し て、 わし の 心 の うち を もう一度 吐露 し ない うち は、 死に ませ んじゃ」 「よう帰った、せがれ、よう帰った、アリョーシャ、 いよいよ帰ってきたな、
わいも、いまに帰っくるじゃろうと思うておった。」
アリョーシャ は そば へ 進み 寄っ て、 額 が 床 に つく くらい 低い お辞儀 を し た とたん に、 泣き だし て しまっ た。 なに かが 胸 から ほとばしり 出る よう な 感じ で、 心 は ふるえ、 大声 で 泣き たい 気持ち だっ た 「どう し た、 お前、 泣く のは まだ 早い ぞ」 長老 は にっこり 笑っ て、 右手 を アリョーシャ
の 頭 の 上 に のせ た。「 この とおり、 わし は 腰 を かけ て 話 を し て おる、 もしか し たら
まだまだ 二十年 も 生きのびる かも しれ ん じゃ ない か、 きのう、 ヴィシェゴーリエ から 来 た、
あの リザヴェータ という 女の子 を 抱い て い た、 気立て の いい、 やさしい 女房 が 言っ て
おっ た よう にな。 主 よ、 あの 母親 にも、 娘 の リザヴェータ にも ご 加護 あら ん こと を
( 彼 は 十字 を 切っ た)。 ポルフィーリイ、 あの 女の 喜捨 を わし の 言っ た ところ へ とどけ
て くれ た かな?」
「さあ、せがれ、起きなさい」 と 長老 は アリョーシャ に むかっ て 語 を つい だ。
「 お前 の 顔 を よく 見せ て くれ。 家 へ 帰っ て、 兄さん に 会っ て き た かな?」
長老 が こんなに きっぱり と まちがい なく ふたり の 兄 の うち の ひとり だけ について
聞く のが、 アリョーシャ には 不思議 で なら なかっ た、―― だが、 どっち の 兄 の こと
を 聞い て いる の だろ う? これ は つまり、 ひょっとしたら、 長老 が 自分 を きのう
も きょう も 町 へ やっ た のは、 その 片方 の 兄 の ため なのでは ある まい か。
「兄 の うち の ひとり には 会っ て まいり まし た」 と アリョーシャ は 答え た。
「わし が 聞い て おる のは、 きのう わし が 額 ずい た あの 上 の 兄さん の こと だ」
「あの 兄 には きのう は 会い まし た が、 きょう は どうしても 見つかり ませ ん でし た」
と アリョーシャ は 言っ た。
「急い で 見つける が よい、 あした また 出かけ て いく の だ、 急ぐ の だ ぞ、なにもかも
棄てて 急ぐ の だ ぞ、 まだ いま の うち なら、 なに か 恐ろしい変を未然に防ぐことができ
ようもしれぬ。
わし は きのう、 あの 人 が これから なめる 大きな 苦しみ にたいして 頭 を さげ た の だ」 >>184
ここ探してたんだ、おかげで見当がついた >>190
自分はシェイクスピア(絵本のやつ、多分ヴェニスの商人)子供の頃読んで、みんな悪いやつばっかで怯えていたよ
みんな大人になったら悪くなるのかと
意外と遠からずで困るw 「 あなたの お 言葉 は あまりに も 漠然と し て おり ます…… いったいどのような苦しみが兄 を待ち伏せし
ているの でしょ うか?」
わし が お前 を あの 兄さん の ところ に やっ た のは、 アレクセイ、 弟 たる お前 の 顔 が 兄さん を 救う
こと に なる かも しれ ぬ と 思っ た からなの だ。
しかし、 すべて は 神さま の おぼしめし 次第 だ、 われわれ の 運命 も。
『 一粒 の 麦 が 地 に 落ち て 死な なけれ ば、 ただ 一粒 の まま で ある。 しかし、 もし 死ん だら 豊か に
実 を 結ぶ よう に なる』これ を おぼえ て おく が よい。
ところで、 アレクセイ、 わし は 心 の なか で 生涯 に 何度 お前 の その 顔 を 祝福 し た か しれ ない、
この こと を 知っ て おく が よい」 と 長老 は おだやか な 笑み を たたえ ながら 言っ た。
「 わし は お前 の こと を こう 考え て おる の だ。お前 は この 僧院 の壁を 出 ていっても、やはり 僧侶と
して世の中に 暮らすのじゃぞ。
いろいろ多くの敵を作るであろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。
また人生はおまえにかずかずの不幸をもたらすけれど、その不幸によってお前 は 幸福 になり、 人生 を
祝福する よう にもなり、 ほかのひとにも祝福させることができるであろう―― これ が いちばん 大事 な
こと なの だ。 まあ、 お前 は そういう男 なの だ。 神父 の みなさん」 --------------------------------------------------------------------------------------------
ゾシマの周辺にいる僧侶たちは、全員ことごとく「この世 を 去ろ う と する 長老 の 言葉 なら どんな 言葉
でも それ こそ かたく 信じ て 疑わ なかっ た」
アレクセイも強固に信じた。
1. 自分には兄を救う使命がある
2. しかし、究極の結果は「 神さま の おぼしめし 次第 だ、 われわれ の 運命 も」
3.『 一粒 の 麦 が 地 に 落ち て 死な なけれ ば、 ただ 一粒 の まま で ある。 しかし、 もし 死ん だら 豊か に
実 を 結ぶ よう に なる』
兄ドミートリイであれ、自分アレクセイであれ、ひと粒の麦であり、「もし 死ん だら 豊か に 実 を 結ぶ」のだ、恐れるな!
4. 破滅に瀕した兄の宿命さえ転換しうる「弟 たる お前 の顔」と長老が呼ぶところの特別のなにかを自分はもっていると。
そんなことは分からないし、ぜんぜん思いもしないことだけど「長老さまが云うのだからそうなのだ!」
5. その他多くの教えと予言があるが、略す
--------------------------------------------------------------------------------------------
ぼく自身からアレクセイへ
アレクセイよ。ぼくたちは凡夫だ。臆病や惰性から逃げられない。長老がいったとおり、「自分に対しても他人に対しても
気難しくなることを避けよう!」
もう今夜は寝よう。そして明日こそ、兄ドミートリイをはじめ、大切な人たちのために働こう。あせることなく、確実に、
ボチボチやろう。約束だよ。
(2017年9月日本のぼくから1800年代のロシアにすむ君へ) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >3.『 一粒 の 麦 が 地 に 落ち て 死な なけれ ば、 ただ 一粒 の まま で ある。 しかし、 もし 死ん だら 豊か に
>実 を 結ぶ よう に なる』
根拠を感じられない
やだなあ。妄想を抱くほどあなたが不幸であることは感じる >>202
5. で略したもっとも重要な教えと予言こそ
「いろいろ多くの敵を作るであろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。
また人生はおまえにかずかずの不幸をもたらすけれど、その不幸によってお前 は 幸福 になり、 人生 を
祝福する よう にもなり、 ほかのひとにも祝福させることができるであろう―― これ が いちばん 大事 な
こと なの だ。 まあ、 お前 は そういう男 なの だ。」
>『 一粒 の 麦 が 地 に 落ち て 死な なけれ ば、 ただ 一粒 の まま で ある。 しかし、 もし 死ん だら 豊か に
>実 を 結ぶ よう に なる』
>根拠を感じられない
論理的根拠などありません。「信」の一字のみが根拠です。 聖書にある
一粒の麦が落ちて多くの麦が実るというのは、
イエスの受難のことであって
人間が死んでも多くは実らないよ
むしろ、人間には裁きが下る
正教会でどう言ってるのか知らないが 聖書には私のようになりなさいという言葉もあるから
その言葉を借りれば
間違ってはないなあ ドストエフスキーはカラマーゾフの兄弟で何でこの聖句を持ってきたんだろう?
キリスト教ではイエスのことだろうけど、カラマーゾフの兄弟ではもちろん、これってアリョーシャのことを言ってるんだよね?
俗世に旅立つ一粒の麦ととらえてるんだけど、合ってるのかな >>206の補足
ゾシマを慕う教会のなか=麦わら
無神論者と欲の蠢く俗世=地に落ちる(死)
居心地のいい清らかに生きられる教会から、猥雑な世界に旅立つアリョーシャは多くの人にであって(特に兄弟)、不幸を背負い人々に益をもたらす
彼は地に落ちなけれならない
自分はこう読んんで、この一文をドストエフスキーは使用したとおもっている
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 特に読みたい本がなかったので本屋行ったんだけど、
アンチユートピアを置いるコーナーに新訳でゴールディングの蠅の王があったので買ってみた
ぼくはロシア文学の他になんとなく選ぶのがイギリス文学なんだけど、縁があるのかな
オーウェル、ハクスリー、デフォー、ウェルズ、特にスウィフトが好き
って、ドストエフスキーと離れるが、蠅の王楽しみだ いっしょに、マンの魔の山か、オーウェルの1984か、トルストイの戦争と平和かを
読まないか?
一日1ページしか読めないけども。
スレを立てて、その1ページ毎に、感想をカキコしていくから 『魔の山』は読む人いないんじゃない?
挫折者多すぎ!
『戦争と平和』を1日1頁w
10年計画? トルストイとかでも短編なら1年で終わるからいいかもねってそれでも1年だけど 今日、よくいく本屋で、イワンイリイチの死とガリヴァー旅行記の新訳見つけたので確保したった
蠅の王読み終わりそうだけど、つぎがあるっていいね
スウィフトは再読になるけど >>213
ドンキホンテはそろそろ読もうと思っているんだ
もし読んでたらどうだったか教えて下さい
漠然な質問で悪いけど > ほとんど 県下 一帯 を 回ら ない ばかりの 勢い で、 手当り次第 の 人 を つかまえ ては、
自分 を 棄て た アデライーダ の こと を 涙 ながら に 訴える ので あっ た。
なぜフョードルは、涙 ながら に訴えたのでしょう?
>しかも その 上、 夫 として 口 に する のも 恥ずかしい よう な 結婚 生活 の 詳細 を 平気
で 伝え て い た。 それ という のも、 こうして 皆 の 前 で 辱め られ た 夫 という 滑稽 な
役回り を 演じ ながら、 いろんな 色どり まで し て 己 れ の 恥 を こと 細か に 描い て 見
せる のが、 彼 にとって 愉快 なばかりで なく、 自慢 な こと か なんぞ の よう にさえ 思わ
れ た らしい。
『ねえ、 フョードル・パーヴロヴィチ、 あんた が そうした 位 を 授かっ た こと を 思え ば、
つらい には つらい だろ う けれど、 ご 満足 でしょ う ね。』 と 口 の 悪い 連中 が 言っ た。
それ ばかりか、 おまけ に 多く の 人 の 言う 所 では、 彼 は ときどき 道化者 の 面目 を 新た
に し て 人前 へ 出る のが さも 嬉し そう で、
その 効果 を 強める ため に、 わざと 自分 の 滑稽 な 立場 に 気 の つか ない よう な ふり を
し た。 もっとも、 それ は 彼 の 一面 を 現 わし て いる ナイーヴ な 行為 だっ た かも しれ ない。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
お笑い芸人や、他のスレでマジキチ荒しとして活動してるオレみたいなものか とうとう 彼 は 出奔 し た 妻 の 行方 を 突き 留め た。 彼女 は、 かの 教員 とともに 流れ 流れ て ペ
テルブルグ に 落ち着い て、 放埒 至極 な『 解放』 に 耽溺 し て い た。
フョードル は 急 に 騒ぎ出し て、 自分 で ペテルブルグ へ 出かける 準備 を し た、―― なん の 為 か
という こと は、 むろん 自分 でも わから なかっ た が、 実際 その とき 本当に 出かけ かね まじ い 勢
い で あっ た。 しかし この 決心 を 採っ た とき、 彼 は 元気 を つける ため 旅行 前 に、 一つ 思い切っ
て 浮かれる のが 当然 の 権利 だ、 と すぐ に 考えつい た。
ところが ちょうど この 時、 妻 が ペテルブルグ で 死ん だ という 通知 が、 里 の 方 へ とどい た ので
ある。 彼女 は なんだか 急 に どこ かの 屋根裏 の 部屋で 死ん だ らしい。 一説 には チフス だ と いう
が、 また 一説 には 餓死 だ とも いっ て いる。 フョードル は 酔っ払っ て いる 最中 に 妻 の 死 を 聞く
と、 いきなり 往来 へ 駆け出し て、 両手 を 空 へ 差し上げ ながら 嬉し さの あまり、『 主 よ、 今 こ
そ、 あなた は み 言葉 の とおり に、 この 僕 を 安らか に 去ら せ て ください ます』と 叫ん だ という
話 も ある が、
また 一説 には、 小さな 子供 の よう に しゃくり上げ て 泣く 様子 が、 たまらない ほど 嫌 な 奴 では
ある けれど、 見 てる のも かわいそう なくらいで あっ た、 とも 伝え て いる。 おそらく 両方 とも
本当 なので あろ う。
つまり 解放 を 悦ぶ と 同時に、 解放 し て くれ た 妻 を 悼ん で 泣く、 この 二つ が ごっちゃ に なった
ので あろ う。 多く の 場合、 人間 という もの は( 悪人 でさえ)、 我々 が 概括 的 に 批評 を 下す よ
りも、 ずっと 無邪気 で 単純 な 心 を 持っ て いる。 我々 自身 だって そう なので ある。
--------------------------------------------------------------------------------------------
よくフョードルをゲスいという。これのいったいどこがゲスいのか?人間の真実でないか? 読むの早いな
ドンキホーテはそんなに面白いもんじゃなかったよ なぜ、ホワイ? この世界には言語の壁があるのだろう?
どうして僕らはコイツにいつまでも苦しめられるのだろう?
なぜ、英語なんかムリに使わないといけないのか?
外国文学を素直なキモチで読みたいのに、翻訳者のために、
あーでもないこーでもないと混迷に陥るのか?
もし音楽なら、そんな苦悩はないよな? 美術の鑑賞も。
おそらくはドンキホーテの問題も、言語の壁に由来してるのでは?
世界の偉大な詩人たちの詩はおそらくは
この世のものとも思われぬほどに美しいのだろう... しかし、我らはドイツ語や
英語を解さないがゆえに
決してそれをば味読することできぬのだろう >>220
バベルのように人間が集まるとろくなことをしなくなるので、神によってわけさせられた
ってそーいうのは求めてないか
言葉はすべての業の始まりでもあると考えられている
そしてすべての行いは言葉で考えることが前提にある
言葉には力があるんだろう
それにしても、なぜ言葉が違うのか、なぜ肌の色が違う人がいるのか、子供の頃から今でも不思議に時々思うよね?
まったく分からないことばかりだ イリイチの死への態度は拒絶から始まり怒りや戦い絶望を通過して許容していく過程が書かれている
やっぱりトルストイはすごいと言わざるを得ない
(この際好き嫌いは省くけど)
まだ途中だけど気になったところ、主人公は自らの死の途中にいる
「私が存在しなくなったとしたら、一体何が存在するのか?………いやだ、まっぴらだ!」
この「まっぴらだ!」って、的確で明確な死への態度に惹きつけられる
まっぴらだ! 「カエサルは人間である。人間いつか死ぬ。したがって人間はいつか死ぬ。」
これが主人公には受け入れられない
だって「自分」は人間一般ではなくて、自分から見た自分は、あらゆる感情と思考を持った自分は、「特別」なのだ!
人間一般じゃあない!
言葉で説明できないけどすごく分かる
とても分かる
さて、続きを読まねば 人間が死ぬのかなんてどーでもいいんだよね
自分が死ぬかが問題だ >>218
>よくフョードルをゲスいという。これのいったいどこがゲスいのか?人間の真実でないか?
何度かこのスレでみてる答えになってしまうけど、人間には善も悪も両方元々持って生まれるということなんだろう
悪の部分を見ればそう見えるし善もまたしかりだよね
最近読んだ本の言葉をさっそくかりればw、
人間の中という無人島で、理性のラルフと獣性のジャックで生存をかけて戦っているのだろう >>218
ただしフョードルに限って、彼の根本にある象徴は自意識からくる羞恥心のなせるわざではないかな
ぼくはそう思うんだ
恥ずかしいと思う時って去勢をはったり、少し自分のことを誇大して虚言してしまったりする
(自分はそういう時があったと振り返ってみる)
そういう象徴としてゲスいフョードルで、ドストエフスキーは人間に備わっている一部分を書いてみたかったのではないだろうか ドストエフスキーからつくづく自分は離れられないなあとおもう
再読予定のガリヴァー旅行記についても、悪霊にでてくるから興味が湧いたし、トルストイもロシア繋がりはドストエフスキーからきてるだろうし、結局の発生源はドストエフスキーになってしまう
話が変わるけど、ガリヴァー旅行記は本当にオススメ
ヤフーの始まりとかラピュタの元になる空飛ぶ島ラピュータとか、一応旅行記だけど、あれは人間への壮大な皮肉になっている
全然旅行記の分類じゃあないとおもう
最後の1ページが終わって、あんなに人間が嫌いになった本はなかった
でも本当にオススメの本かな、ドストエフスキー好きなら本当に一度は読んでほしい
それにしても、ドストエフスキーが悪霊で引用するなんて、シェイクスピアのようにスウィフトも好きだったんだろうか?
なにか知ってる人いる?
疲れたので寝ます、ではまた >>169さん
>では有名な、ネットでも解釈をめぐって論争?となっている
>アリョーシャの「あなたじゃない」とは、何なのか?
実定法の話は度外視して(実行犯・スメルジャコフ)、人間的な良心の観点よりは
「フョードル」が殺人教唆人、「アレクセイ」が真犯人。
(然し、神的な意味合いの罪から逃れているのはアレクセイただ一人。勿論遺産を
ひとりでせ占めているのは蛇足だろうし一見無関係だが第二話の伏線になっている) >>100さん
『地下室の手記』リーザに対する執着。実は主人公はリーザを妊娠させている。
苦悩を深化させる契機は、自分の子どもを身籠らせた事実を「魂の内奥」で感じ取って
良心の呵責に苛められる際の防衛機制に相違ない、という人間的ダイナミズム。 >>206、>>208さん
『カラマ―ゾフ兄弟』
エピグラフ。「一粒の麦……」は描かれる筈だった第二の小説の内容を示唆しています。
(所謂、二部構成にしたのはゲーテのファウストの影響が大)
因みに、第一の小説の読解は「一切を見抜く透明な意識(天使⇔悪魔)の持ち主アレクセイの当時の
自己の無力さゆえに、ギリシア神話的必然なる展開に導かれるフョードルの殺人教唆(未必の故意)に拠る
自殺を未然に防げない経緯・顛末が厳密に徹底的なリアリズムの見地から描かれている」が成立します。
……この解釈、続編第二の小説に引き継がれます。
P.S.
序ででもないけれどもドストエーフスキーの初恋の相手の名前はリーザ(!)。
亀山先輩、そうでしょう?
では〜♪ (-^ ^-) ガリバーはホラ話の裏に情報の濃さを感じるw俺も好きだな
デフォーはロクサーヌってのも面白いらしいけど未読
俺もイギリス文学好きなの多いな
ついでに俺が未読だったらおすすめしたい古典はホメロスだな >>232
>実定法の話は度外視して(実行犯・スメルジャコフ)、人間的な良心の観点よりは
>「フョードル」が殺人教唆人、「アレクセイ」が真犯人。
面白い発想と思いつつもちょっと気になったんで質問してみるよ
フョードルは自殺の意思があったといこと?
この殺人を止めるのに、イワンではなく、アレクセイが1番近くにいたということ?
これは面白い受け止めかただね、自分にはなかった
未必の故意があるとすればイワンだと自分はおもっているんだ
そして、ドストエフスキーからギリシャ神話的な展開を連想できるとはすごいね
シェイクスピアならとても簡単だけどw >>220
バベルのように人間が集まるとろくなことをしなくなるので、神によってわけさせられた
ってそーいうのは求めてないか
イヤおれも同じエピソードを。思い浮かべた。人間の傲慢への何かなんだよな?
CPU換装に失敗して、ほとんどの時間トラブルシュートに奪われている。
かつ2ちゃん専ブラまたしても使えない。(諸君は普通のブラウザで書き込んでるのか?)
早く何とかして、文学美術思想について語りまくりたい!!
>言葉はすべての業の始まりでもあると考えられている
そしてすべての行いは言葉で考えることが前提にある
言葉には力があるんだろう
それにしても、なぜ言葉が違うのか、なぜ肌の色が違う人がいるのか、子供の頃から今でも不思議に時々思うよね?
まったく分からないことばかりだ
何も考えられん状態だ! ニヤニヤしながら肛門に小指を入れてる奴がいるんですよ〜
な〜に〜!やっちまったな!
男は黙って、バット!
男は黙って、バット! 牛島訳(岩波文庫) \6,070
岩根訳(彩流社) \9,720
岡村訳(水声社) \21,600
翻訳3種を比較しながら読むとなると小1年かかる。
3万数千円掛かるがやってみようか。 >>237さん
『カラマーゾフの兄弟』。深く読み込むと限界状況に於ける人間的実存の根源的な問いが前面にでてきます。
「愛しく可愛い天使アレクセイよ。罪深きおれ(フョードル)を殺めるだけの愛情と勇気を具えているか?」
〈第二の小説〉を視野に入れ……永遠を尺度にカラマーゾフを解釈した場合、原罪の問題まで遡及しなくては。
何故、人間は神から離れている状態「罪」にあるのか、と。
では♪ (-^ ^-)
cf. 自分も初読時には第一部の尊属殺人。
ワーニカが真犯人、スメルジャコフは実行犯、アリョーシャは殺人を止め得ない立場のひとと浅薄に解釈。 ロベール・ブレッソン
スリ 罪と罰を下敷き
バルタザールどこへ行く 白痴中のエピソードから
白夜
やさしい女 >>243
彼もまたカラマーゾフの一員ということだね
正直にはまだ理解できていないけれど、再読の際は、そういう真犯人としての視点から読もうとおもう アリョーシャを真犯人とする説大嫌いだからマジで第二部の前にドストエフスキーの死が来てよかったわ
天使でいてほしい >>246さん
>マジで第二部の前にドストエフスキーの死が来てよかったわ
……芸術家の想像力を甘くみ過ぎてはいけないかな。
スタヴローギンより深遠でより遥かにパワフルなアレクセイ。
超人にして全人、再来の日は近い。
ちなみに>>246さんは旧約聖書、新約聖書は読み通した経験ありますか?
神学、哲学、心理学については興味はありますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています