ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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スメルジャコフが針仕込んだパンを食べさせることを教えたって、あれ、本当の話かな? 白痴でトーツキイはなんであんなにナスターシャに
無茶苦茶されてて弱気なのか不思議。
おもいっきり恩人なのに。 >>485
そーとう悪いよねスメルジャイコフっていうか、そーいう実利がないのにする犯罪ってそーとう悪いよね >>486
ストレートには書かれてないけどトーツキイはナスターシャに
散々いやらしいことしたらしい
wikipediaではトーツキイの説明文に「ナスターシャを凌辱し」と書いてある カラマーゾフって実在の人物モデルにしてるんだな
同じような小説ってある?
現代日本に例えたら酒鬼薔薇と瀬戸内寂聴みたいなキャラを登場させて語り合いさせるみたいなかんじか 705 本当にあった怖い名無し[] 2017/11/22(水) 00:37:54.70 ID:u3UYHXu70
遂にやっちまったな!
脳移植成功!
http://news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/13922961/
これって絶対ダメなヤツだろ! 遂に永遠の命誕生か
10億くらいでみなが不老不死に >>491
悪霊がそういうかんじだよ
当時ロシアで、秘密結社にて内ゲバで1人殺したネチャーエフ事件というのがある
でそれで、ネチャーエフをモデルにピョートル・ヴェルホーヴェンスキーが描かれている ドスト以外ではいないのかな、そういう感じの書き方の人 >>495
シェイクスピアの史劇は実際の人物を登場(創作した)させて会話させてる
アントニーとクレオパトラ
トロイラスとクレシダ
ジュリアスシーザーはまさにそのまんまの実際の人しか出てこない
プラトンも基本的にはプラトンの考えたソクラテスとかアガトンを登場させて会話させる対話篇になってるよ
モデルというよりモデルそのままを使ってしまっているので、求められているのとちと違うけどね 加賀乙彦って作家はどうなの?
ドスの影響受けて新書も書いてるし、読んでないけど
長編で作品のテーマなんかもドスと似てるような。
他は埴谷ゆたか「死霊」が有名かな。
みんな読んでる? イワンカラマーゾフ、アリョーシャ。このふたりはドストエフスキーの内面をそのまま表出したものか。
ミーチャカラマーゾフ。
カラマーゾフ以前には見られなかった人物類型だと聞く。もしや「成長したドストエフスキー」ではないか? >>497
そうおもって読んでも間違えにはならないとおもうよ
ドストエフスキーの中で美しい人はキリストだったとすれば、それをテーマに白痴を書いたのだからキリストと想定できる >>500
ミーチャはほんとうに独特のキャラクターだよね
イワンやアリョーシャは原型を他の作品でも感じられるけど
新潮かなにかの解説であったんだけどこういう分類はどうだろうか?
影響を与える順序
ゾシマの兄→ゾシマ→アリョーシャ
アリョーシャの母、ゾシマ→アリョーシャ→イワン、ドミトリー、フョードル、コーリャ
グルーシェンカ、カテリーナ→ドミトリー
フョードル→ドミトリー、イワン、アリョーシャ スメルジャイコフが抜けてしまった
フョードル→イワン→スメルジャイコフ 176 名無しさん@1周年[] 2017/11/24(金) 13:49:10.39 ID:+mwFqiv60
レクサスLS、900万円以上が売れまくり!
http://autoc-one.jp/news/5000785/
月間売上が16倍ってよ
もうこの国には軽か高級車しか買う奴がいないんだな
ここまでの富裕層と貧困層の二極化が進むと
もう革命だろ
政府はいままで必死に隠してきたけど
そろそろ貧困層のデモ、暴動時期だろ
まあ、いまの日本人貧困層にはそんなパワーはないな
だから舐められる
この二極化はもっと進むよ
貧困層が哀れすぎる スメルジャコフって名前かわいそうだよな
日本人なら臭男みたいなもんだろ
そんなん歪むに決まってる くさおとかなずけられたら殺したくもなるわw
やっぱ真犯人はスメルジャコフじゃないのw ポチョムキンとかロシア語はなんで日本語と相性わるいのか 491 底名無し沼さん[] 2017/11/26(日) 13:25:46.00 ID:0enr5Y5u
俺は金持ちだからな、悪いけど
腕時計は826万円のをいまはしてる
前は1576万円のをしてたけど、落とした
だからいまは安物をしてるよ 「白痴」と「未成年」はどんな内容かと人に聞かれたらなんと答える。
これが今日の宿題です。 「白痴」は元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった人物が
ロシアで色々あって結局元に戻ってしまったという悲劇
とかどうでしょうか? あらすじは的確で何しろ短くまとめてあって初めての人や読む予定の人に伝えるならすごくいいとおもう
あとはドストエフスキーの言いたかった白痴とは何だったかを説明すると完璧に近づけるとおもうけど、これが大問題だ
ムイシュキン公爵は決して馬鹿ではなかった
が、人間的な何かが欠けていたため生活になじめなかった
では何が欠けていたのだろうか?
もしくは、何かが極端に発達しすぎていたために生活と乖離してしまったとも言い換えられる
どちらにしろ、その何って何なんだろうか? >ムイシュキン公爵は決して馬鹿ではなかった
これはロシアに戻ってきてからは馬鹿ではなくなったという意味、説明が抜けてしまったわるい
あと未成年については唯一読んでないので沈黙w >>56
中編も発売中だよ
後編は来月出るよ
いまは前編を毎晩、聴いてる >>511
>「白痴」は元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった人物が
>ロシアで色々あって結局元に戻ってしまったという悲劇
>
>とかどうでしょうか?
アルジャーノン >>515
アルジャーノンは知能が急激にアップして周囲を見下したりしたけど
白痴の主人公はそういうのは全然無く最後まで善良な人間であった ナボコフはドストエフスキー嫌いだけあって文章の構築の仕方もぜんぜん違うよ
ドストエフスキーみたいな極端なキャラクターはいないって絶望しか読んでないけど カミュの異邦人を読んで白痴のムイシュキンをなぜか思い出して、なぜか考えると共通点があった
世界は嘘をつかないと生きていけないということ
嘘っていうと聞こえが悪くなるけど、厳密に言えば、フリをするとかお世辞をいうとか、とりつくろうと言ってもいいし、ようは世間に合わせることが必要
よくよく考えるとみんなで勝手に余計な世間を作って、わざわざ生きることを難しくして満足してはいないか
白痴の主人公も異邦人の主人公もそれができなかった為に、一方は死刑に一方は発狂するしかなかった
ドストエフスキーは白痴を美しい人に仕立て上げた
世間を生きれる人と嘘がつけない人、果たしてほんとうの白痴(異常)はどちらなんだろうね?
ドストエフスキーのすごい皮肉というか風刺を感じる ナボコフはロシア母国語なのに英語で書いててそんなに難解ではないんでしょ イヴァンは 自分 だけでは なく、 他人 も 軽蔑 し て いる
アレクセイは自分を尊敬し、 他人 も 軽蔑しない
ミーチャは自分を軽蔑し、他人を尊敬する
。。。。。のか?
スメルは病気だ
そしてこれらすべてをないまぜにしたのがドストの心だ。ドストだけでなく人間の心だ
仏法ではこれを十界互具(じっかいごぐ)と説く 皮肉な 懐疑 主義のイヴァン に友や恋人があったか?ましてや師匠というものは。
華麗な心とありあまる文才を持つイヴァンゆえに、彼に憧れるものはいる。
たとえばゾシマはイヴァンと同席した時、彼をどう考えたか? あ、おったな。ごめんw
カチェリーナがイヴァンを狙っていたんだけ ドストエフスキー は、 完璧 に 負け て しまう まで、 賭博 の テーブル を 去ら なかっ た。 完全 に うちのめさ れる まで、
そこ から 立ち去ら なかっ た。
不幸 が 完全 な もの と なっ て 初めて、 彼 の 魂 から 悪霊 が 立ち去り、創造 の 天才 が 魂 を 訪れ た ので ある
( ルネ・フュレップ = ミラー『 ルーレット を する ドストエフスキー』 序章 八 六 ページ)。 >>526
ドストエフスキー は すべて を 失う までは、 気分 が 落ち着か ない ので ある。 賭博 は 彼 にとって は 自己 処罰 の
ひとつ の 形式 だっ た。 まだ 若い 妻 に 何度 も 繰り返し て、 もう 絶対 に 賭博 は し ない とか、 今日 は 絶対 に 賭博
に 手 を ださ ない とか 約束 し たり、 誓っ たり し た の だっ た。
しかし 妻 の 証言 に よる と、 彼 は ほとんど 毎回 の よう に、 この 約束 を 破っ た。 勝負 で 大損 を し て、 自分 と
妻 が 極度 の 困窮 に 追いやら れる と、 彼 は そこ から 第二 の 病的 な 満足 を え た ので ある。
妻 の 前 で 自分 を 罵倒 し、 卑下 し、 妻 に 自分 を 軽蔑 する よう に 求め、 罪深い 年寄り と 結婚 し た こと を 悔やむ
が よい と 求める こと が でき た からで ある。
この よう に し て 良心 の 呵責 を 逃れる と、 その 翌日 は また 賭博 に でかける ので あっ た。 若い 妻 は
この 繰り返し に やがて 慣れ て いっ た。 という のは、 真 の 意味 で 二人 を 救っ て くれる こと を 期待 でき
る のは、 小説 の 執筆 だけで ある こと、 そして 二人 が すべて を 失い、 最後 の 持ち物 まで 質 に いれ た とき には、
小説 の 執筆 が 順調 に 進む こと に、 気づい た からで ある。 もちろん 彼女 は、 この 心理的 な 状況 を 理解 し た
わけ では ない。[ ここ で その 心理的 な 状況 を 分析 し て みる と] ドストエフスキー が[ 賭博 に 負け て]
自分 を 処罰 する こと で、 自分 の 罪悪感 を 満足 さ せる と、 執筆 を 妨げ て い た 原因 が 取り除か れ、
こうして 文学的 な 成功 への 道 を 進も う という 気分 に なる の だっ た
(フロイト ドストエフスキーと父親殺し) 母親の精神をを精神論的にさっすること(口げんか、口論)は、神経程度に触るから、
過程として親離れより将来はよくなるだろうな。
求道者でも、打合せ済みで、伝道、する師となるか。 平凡な口げんかでも血統的軋轢や、他者の配慮によって、
精神的殺害までは至らなかったんでしょう。 モノ の殺害 はラカニアン。人間同士者無意味だよ。 >>526
> 多分ギャンブル依存と創造性関係ないだろw
おれも、どんな偉い人が書いていても、そのまま信じてるわけじゃないから
だってフロイトとはいえドストを直接知ってるわけじゃないし
しかも、ドストのほうが上だし。
ドスト作品から直接に看取できるもの以外信じられないよ >>538
改行するのやめてくれませんか?
無駄にスクロールしないといけなくなる ID:fe77rUvi なんか書け
書かないやつのゆーことなんぞ聞かん。
これからもバシバシ開業してやるよww >>520
> カミュの異邦人を読んで白痴のムイシュキンをなぜか思い出して、なぜか考えると共通点があった
カミュの異邦人、読んだこと無い。
> よくよく考えるとみんなで勝手に余計な世間を作って、わざわざ生きることを難しくして満足してはいないか
最近こればっか言うけどね「ムイシュキンはドストエフスキー」だとおもう。当たり前ちゃぁ当たり前だけど。
君のいうとおり、
> 世界は嘘をつかないと生きていけない
だれでもしてる。
> フリをするとかお世辞をいうとか、とりつくろうと言ってもいいし、ようは世間に合わせること
だね。
でもさ、ドストエフスキーは、作品の中では、彼は世界に残る作品を書いてる自覚があったんだ。だからインチキや妥協をする必要はいっさいなかった!
誰に何と言われようと、損しようと、貧乏になろうと、自分の芸術と思想を抱きしめていた。なぜ抱きしめたか?というと
それがあまりに偉大なことを知っていた。罪と罰もカラマーゾフの兄弟も白痴も、徹頭徹尾終始一貫、人間の根本の問題から目を離さない、狂的なまでに執念深く、人前精神を追究した。
道徳性も天邪鬼も。
> 白痴の主人公も異邦人の主人公もそれができなかった為に、一方は死刑に一方は発狂するしかなかった
> ドストエフスキーは白痴を美しい人に仕立て上げた
> 世間を生きれる人と嘘がつけない人、果たしてほんとうの白痴(異常)はどちらなんだろうね?
> ドストエフスキーのすごい皮肉というか風刺を感じる
世間を生きれようが 生きれまいが、最後に死が来て、その人生の究極の総決算が来るのはいっしょ。ドストやカミュにかぎらず
たとえば鎌倉仏教の祖師たちはそれこそ。。。。 >>542
一つ一つレスありがとう
以前から持っている漠然とした疑問がある
死は誰にでも等しいしそのためにあらゆる運動は均等に見えるかもしれない
階段で登ろうと快適なエレベーターで登ろうと目的地は一緒だ
目的地とは死であって、王も奴隷もまぬがれない
でもどう生きたか、どう在り続けようかと願ったことは無意味なんだろうか
過ぎ去ってしまったものは何もなかったのと同義というのは本当なんだろうか
瞬間の感情みたいな外観のないものは無価値なのだろうか
最近わからなくなってきたよ 死が目的地なのだろうか。通過点に過ぎない過ぎ去ったことにも思う。
人によってライフタームが違うから、早く戦死する奴もいれば、長く
戦場で活躍するものもいるだろう。それを責めなくてもいい。
人生は無意味だ。死があるから?人生が有意味なのもまた死があるから。
過ぎ去った過去はどこにも保存できないけど、過去を内包することなしでは
人は生きられない。 >>544
>死が目的地なのだろうか。通過点に過ぎない過ぎ去ったことにも思う。
>人によってライフタームが違うから、早く戦死する奴もいれば、長く
>戦場で活躍するものもいるだろう。それを責めなくてもいい。
>
>人生は無意味だ。死があるから?人生が有意味なのもまた死があるから。
>過ぎ去った過去はどこにも保存できないけど、過去を内包することなしでは
>人は生きられない。
感動した >>543
> 死は誰にでも等しいしそのためにあらゆる運動は均等に見えるかもしれない
> 目的地とは死であって、王も奴隷もまぬがれない
死の平等性の側面は確かだ。
> 階段で登ろうと快適なエレベーターで登ろうと目的地は一緒だ
人生がどうゆう過程を通って完結するか。それが同じはずがない。なぜなら、死の向こう側には永遠の生命があるからだ。
> でもどう生きたか、どう在り続けようかと願ったことは無意味なんだろうか
「どう生きたか」行動が大切であるとよくいう。ぼくにはむしろ「どう在り続けようかと願ったこと」のほうが大切に感じられてきた。その願い その祈り その一念 が、来世の福徳を決めるのではないか?
> 過ぎ去ってしまったものは何もなかったのと同義というのは本当なんだろうか
> 瞬間の感情みたいな外観のないものは無価値なのだろうか
そんなはずがない。自分がいちばんわかってるはずだ!過ぎ去った美しい思い出は永遠である。
瞬間の感情、美しく尊い感情こそ、この宇宙と等価なのだ。 「我々、ペトラシェフスキー・サークルの同志は、処刑場に立ち、下された判決を聞き終えたが、後悔の念はいささかもなかった。
もちろん、私は、全員については証明できない。しかし、あの時、あの瞬間、全員とは言わないにしても、少なくとも我々の大多数の者が、自分の信念を否定することを恥辱と思った。そう断言しても間違ってはいないと思う」
「最初に我々全員に対して読み上げられた銃殺刑の判決は、ふざけた冗談ごとではなかった。判決を受けた者たちはみんな、その判決が執行されるものだと信じた。
そして少なくとも10分間、死を待ち受ける残酷な、底なしの恐怖の時間を耐えた。この最後の数分間に、我々の中のある者たちは、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した。
そして、いくつかの重苦しい事実を見出して慙愧したかもしれない(どんな人間にも、ひそかに良心のトゲとなっている事実があるものである)」
----------------------------------------------
「しかし、今この判決を受けることになった事件、我々の精神を捉えたその思想、その考えは、我々にとって、後悔を要しないものであるばかりか、かえって、何か我々を浄(きよ)めてくれるもの、我々の多くの罪がそれによって赦(ゆる)される殉教である、と思われた」
---------------------------------------------- (作家の日記)
最初ムイシュキンの「死刑とマリーについて語る」ところを引用したいとおもったが、あまりに長大になるためやめた。
----------------------------------------------
後悔を要しないもの
我々を浄(きよ)めてくれるもの
多くの罪がそれによって赦(ゆる)されるもの
----------------------------------------------
とドストたちは捉えた、というのだ。
>最後の数分間に、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した
その結論として、だ!! >>546
>人生がどうゆう過程を通って完結するか。それが同じはずがない。なぜなら、死の向こう側には永遠の生命があるからだ。
そうだねドストエフスキー読者として抜けてたよ、肉体滅んでも魂と永遠があることを >>537
作家の日記読んでるの?
それならレスで書かれてるのはありがたい >>549
> 作家の日記読んでるの?
> それならレスで書かれてるのはありがたい
ごめん。読んでないw ネット上から引用しただけ
恥ずかしいけど。いちおう言い訳として目がわるい老眼www やべぇよ。。。ウイルスにやられたみたい
かなりウソみたいなメチャクチャな症状
このスレの書き込みカッコよく偉そうに書いた後
トワxxっていうあるアイドルグループの悪口書きまくって、スレ荒らしまくったあと、なった。
もう2,3時間 トラブルシュートしてるが改善しない
いつこのスレに戻ってこれるかもわからん。マシンが重すぎる。... 天罰や!! >>322
>『 また はじまっ た ぞ、 また!』
虚言 >>354
キリスト教の救うべき罪人は同胞のみだろう(サマリア人のたとえ) >>413
キリストの神にかけるか
イスラムの神にかけるか
ユダヤの神にかけるか
仏教の涅槃にかけるか
ベットは多様だな >>555
上手いこと言うね、盲点だったわ
その4つに限定できるならば、そのうちの3つは同じ神を指しているのでベット先はそんなに難しくならないね ドストエフスキーはやはり神義論を考えたのだろうか
「善なる神が世界を正しいものの為に作られてるとしたら何故この世界に悪があるのか?」
カラマーゾフもそれが隠れてる気がする
世界は悪人が得をするようにできてるのか?だとしたら善なる神など存在するはずがない、
という路地側の人間であるドストの問いかけ
トルストイは「正義とはただ2つのみ、真実と勤勉、悪とはただ2つ、嘘、虚妄と怠惰のみだ」という
これも深いとおもたが神義論が隠れてたのか
これらだけは疑いなく真理でこの正義、悪は絶対神義論からもくずれることはない
盗んだり人を殴ったりなんてことは実は全く悪でもなんでもない、そう考えなければいけなくなる
法律は善悪の決まり事でなく社会の規範にすぎないと
ドストエフスキーは陋劣であるが誠実で嘘のない正義としてミーチャを書いたのか 悪があるのはなぜかって?善と悪はまったく別の経路から生まれたものじゃないかな。
人間の本質に暴力がある種族がいたっておかしくないし、暴力 イコール 悪
と即座に決めつけることもできない世の中だ。
己の内に善を探せ はエピクロスだが、悪は外形で目立ち、善は内面に宿る
ものかもしれない。善悪の戦いだって、あるいは優勢 あるいは劣勢
と、続いてきたなら多くのものが死んだだろう。短絡的な善悪二元論
に陥らないことだよ。善は孤立し、悪を憎み、復讐を果たすだろう
悪は繁栄するが、復讐され、滅ぶ時もあるだろう。 善悪という言葉にしても善=思いやりの心とかそんなんだろ
それじゃすべて同じ帰結になる キリスト教で危険なのは二元論を否定してるもんだから
良き神が存在しない=神は存在しないと、必然的になるということだな しかしドストエフスキーなんてヤクザものが本来読むべきでドスト自身もそっちをむしろ望んでるだろうに
なんで翻訳が丁寧語ばっかなんだ
これから決闘しにいく人間が敬語で会話してたり 主観 客観 だけが二元論となりうるかも。客観 テスト 主観 問答。
善悪は二次元的です。 ドストエフスキーの作品において個々の現存在と魂の両面がいかに
安定を保つかということを読み解くことが大事なんだよ 面白いテーマがあがっているね
許されざる方法ではあるけども、まったく視点と前提そのものを変えてみるよ
例えば、リンゴが目の前にあったとすると人間は目を使って見ていることになる(あたり前だね)
目は見る性質「のみ」を持っていて、器官は機能だけを持っている
目は「見るという性質のみ」を持ち、リンゴは「見られるという性質しか」持たない
そしてこれがポイントかな
見るものと見られるものだけに注目すると二元論になってしまうが、隠されているがその二つをつなぐ重要な役割があるんだ
太陽という光である、これがあると主観と客体が初めて調和されるという新しい機能がうまれる さて神が善も悪も含めてこの世界を創ったとするならば、善は善の性質しか持たず悪も悪の性質しかもちえない
神的なものは神的に限り悪的なものは悪的、美は美で醜は醜、そして魂は魂であり肉体は肉体のみの性質
もしこう分類するなら、善は神的や美や魂の部類にならないだろうか?
魂に関わるものは魂にとっての性質しか持たないはずだし、肉体に関わるものは肉体にとっての性質しか持たないはずになる
魂の性質に類似するものとは何だろうか、つまりは善である
つまり善いとは魂に関するものであると結論がでる
リンゴと目をつなげるものであった光ように、魂(善)と肉体(悪)をつなげるもの、曰く人間である
と、プラトンの思想を拝借して勝手に自分で強化してみたよw
名づけて三元論だw >>562
それはすごーくよくわかるよ
ドストエフスキーを読むぞってときは、なんか悪いものみたさを持って読もうとしてる気がする
怖いものみたさに似ているような >>566
神義論の悪は災害も含めての悪、悪い事で
もし神が悪を作ってるんだとしたらこの世の悪い行いは全て神によるものとなって
それだと神の善性が無くなる
肉体の欲などが悪?
ドストエフスキーは気付いてないだろうか
この世界がどちらかといえばむしろ卑劣な人間にこそ能力をあたえてるのかもしれないってことに
もしそうだとしたら神義論なんてあったもんじゃない、
神はこの世界を悪(欲や犯罪)のたまり場にしたいのか?
そう考えてしまわなければいけなくなる
ドミトリーの卑劣な行為に対して美くしいものの見返りがあった
それをドミトリー自身がはねつけた
自らを悪性としてしまったから? >>568
そういうことだよね
災害や悪意による死さえ善なるものとしなければならなく
神が善のみで創ったなら悪いものを用意するはずがないと
イワンも同じで、彼はこう表現した
「神の創りたもうた世界をそのまま受け入れるためには入場料が高すぎる」
でも、もう一歩踏み込んで、もう一つ隠れている存在を忘れていないか?
ドストエフスキーも再三言ってた存在がある
善にも悪にもなれる存在であり、理性も欲望も感情でさえ従えさせることができて、あらゆる可能性をもつもので人間のみに与えられた中間に位置するもの
自由意思がある だけど魂にとって善いと言うのと、肉体にとって善いと言うのは反対だったりする
死は肉体的には悪だが魂にとっては肉体から解放される善の方法だったりもする
魂を信じるものにとっては、災害によろうが何だろうが死は善にもなる
だけどこの世界観は、人間の自由意思を介入しない世界に限るという条件つきだと思うよ
神は愛を持って人間を自由につくってくれたのではなかったか
まさにドストエフスキーもそう言っているのではないか ならば弁神論など信じるより、自由意思を持って善いとは何か探して、自由意思で善い世界にしちゃえばいいじゃん
というのがトルストイでありドストエフスキーの真意とぼくは信じているよ 神義論をなんとか解決しようとしたのがその二人なんじゃないだろうか まずゾロアスター、マニ教、その他禁欲教の二元論がある
↓
キリスト教はそれらと一線を画すものとして「神の全き善性」を訴えた
↓
しかし世界は悪に満ちている
↓
神は悪を支持しているとしか考えられない
↓
神は全き悪である
この難題に何百年も悩まされてきたのがキリスト教
ドストも例外ではないだろう >>573
悲しいかな、理論では成り立ってしまうね
反駁したいがぼくには限界のようだ、しかしこれがあった
アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない) ライプニッツ最善論に対するルソーの見解
「人間に悪をもたらしているのは神であるよりも、人間そのものであると考えるからである。人間がもし野生人のように、素朴な生活をしていたならば、文明の災害に会うことはなかっただろう。
自然が強制してわたしたちを不幸にしてしまうとしても、それはわたしたちがそれにつけ加えてしまう不幸にくらべて、はるかに残酷ではありません」
災害を大災害にしているのはつけ加えられた不幸、これは文明の発展のことだろう
(日本でいう海ぞいの原子炉とか都会集中とかかな)
「宇宙の支配者の眼からみれば個々の出来事はこの世ではなにものでもなく、その摂理はひたすら普遍的であって、神は類と種を保存すること、および各個人がその短い人生を過ごす方法については心を煩わさずに、すべてを司どることで満足しているのだと考えられます。」 すべてに善ではないが全体にとっては善であるとしているね、でも善であるという姿勢はそのまま
「あなたはこの世では悪の存在にしか気がつかないのです。そしてこのわたし、無名で、貧乏で、ある不治の病に苦しめられているわたしは、隠遁地で瞑想にふけることに喜びを覚え、すべては善であると思っています。」
ルソーは神を信じていたから、それでも善とできた
「神が賢く、全能であるならば、すべては善です。神が正義にかなって万能であるならば、わたしの霊魂は不滅です。わたしの霊魂が不滅であるなら、三〇年の命はわたしにとってなんでもないものであり、しかも宇宙の維持にはたぶん必要なのです」 >>575
「修道士のように正しく生きろ」とドストは言っていない
ドスト自身が路地裏側の人間であり熱心な宗教者だから スネギリョフやマルメラードフといった弱き人たちの描写もうまい
苦悩を知らないと書けなさそうだ ドストエフスキーは24歳で、中年独身男の独白を創造したんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています