ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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>>515
アルジャーノンは知能が急激にアップして周囲を見下したりしたけど
白痴の主人公はそういうのは全然無く最後まで善良な人間であった ナボコフはドストエフスキー嫌いだけあって文章の構築の仕方もぜんぜん違うよ
ドストエフスキーみたいな極端なキャラクターはいないって絶望しか読んでないけど カミュの異邦人を読んで白痴のムイシュキンをなぜか思い出して、なぜか考えると共通点があった
世界は嘘をつかないと生きていけないということ
嘘っていうと聞こえが悪くなるけど、厳密に言えば、フリをするとかお世辞をいうとか、とりつくろうと言ってもいいし、ようは世間に合わせることが必要
よくよく考えるとみんなで勝手に余計な世間を作って、わざわざ生きることを難しくして満足してはいないか
白痴の主人公も異邦人の主人公もそれができなかった為に、一方は死刑に一方は発狂するしかなかった
ドストエフスキーは白痴を美しい人に仕立て上げた
世間を生きれる人と嘘がつけない人、果たしてほんとうの白痴(異常)はどちらなんだろうね?
ドストエフスキーのすごい皮肉というか風刺を感じる ナボコフはロシア母国語なのに英語で書いててそんなに難解ではないんでしょ イヴァンは 自分 だけでは なく、 他人 も 軽蔑 し て いる
アレクセイは自分を尊敬し、 他人 も 軽蔑しない
ミーチャは自分を軽蔑し、他人を尊敬する
。。。。。のか?
スメルは病気だ
そしてこれらすべてをないまぜにしたのがドストの心だ。ドストだけでなく人間の心だ
仏法ではこれを十界互具(じっかいごぐ)と説く 皮肉な 懐疑 主義のイヴァン に友や恋人があったか?ましてや師匠というものは。
華麗な心とありあまる文才を持つイヴァンゆえに、彼に憧れるものはいる。
たとえばゾシマはイヴァンと同席した時、彼をどう考えたか? あ、おったな。ごめんw
カチェリーナがイヴァンを狙っていたんだけ ドストエフスキー は、 完璧 に 負け て しまう まで、 賭博 の テーブル を 去ら なかっ た。 完全 に うちのめさ れる まで、
そこ から 立ち去ら なかっ た。
不幸 が 完全 な もの と なっ て 初めて、 彼 の 魂 から 悪霊 が 立ち去り、創造 の 天才 が 魂 を 訪れ た ので ある
( ルネ・フュレップ = ミラー『 ルーレット を する ドストエフスキー』 序章 八 六 ページ)。 >>526
ドストエフスキー は すべて を 失う までは、 気分 が 落ち着か ない ので ある。 賭博 は 彼 にとって は 自己 処罰 の
ひとつ の 形式 だっ た。 まだ 若い 妻 に 何度 も 繰り返し て、 もう 絶対 に 賭博 は し ない とか、 今日 は 絶対 に 賭博
に 手 を ださ ない とか 約束 し たり、 誓っ たり し た の だっ た。
しかし 妻 の 証言 に よる と、 彼 は ほとんど 毎回 の よう に、 この 約束 を 破っ た。 勝負 で 大損 を し て、 自分 と
妻 が 極度 の 困窮 に 追いやら れる と、 彼 は そこ から 第二 の 病的 な 満足 を え た ので ある。
妻 の 前 で 自分 を 罵倒 し、 卑下 し、 妻 に 自分 を 軽蔑 する よう に 求め、 罪深い 年寄り と 結婚 し た こと を 悔やむ
が よい と 求める こと が でき た からで ある。
この よう に し て 良心 の 呵責 を 逃れる と、 その 翌日 は また 賭博 に でかける ので あっ た。 若い 妻 は
この 繰り返し に やがて 慣れ て いっ た。 という のは、 真 の 意味 で 二人 を 救っ て くれる こと を 期待 でき
る のは、 小説 の 執筆 だけで ある こと、 そして 二人 が すべて を 失い、 最後 の 持ち物 まで 質 に いれ た とき には、
小説 の 執筆 が 順調 に 進む こと に、 気づい た からで ある。 もちろん 彼女 は、 この 心理的 な 状況 を 理解 し た
わけ では ない。[ ここ で その 心理的 な 状況 を 分析 し て みる と] ドストエフスキー が[ 賭博 に 負け て]
自分 を 処罰 する こと で、 自分 の 罪悪感 を 満足 さ せる と、 執筆 を 妨げ て い た 原因 が 取り除か れ、
こうして 文学的 な 成功 への 道 を 進も う という 気分 に なる の だっ た
(フロイト ドストエフスキーと父親殺し) 母親の精神をを精神論的にさっすること(口げんか、口論)は、神経程度に触るから、
過程として親離れより将来はよくなるだろうな。
求道者でも、打合せ済みで、伝道、する師となるか。 平凡な口げんかでも血統的軋轢や、他者の配慮によって、
精神的殺害までは至らなかったんでしょう。 モノ の殺害 はラカニアン。人間同士者無意味だよ。 >>526
> 多分ギャンブル依存と創造性関係ないだろw
おれも、どんな偉い人が書いていても、そのまま信じてるわけじゃないから
だってフロイトとはいえドストを直接知ってるわけじゃないし
しかも、ドストのほうが上だし。
ドスト作品から直接に看取できるもの以外信じられないよ >>538
改行するのやめてくれませんか?
無駄にスクロールしないといけなくなる ID:fe77rUvi なんか書け
書かないやつのゆーことなんぞ聞かん。
これからもバシバシ開業してやるよww >>520
> カミュの異邦人を読んで白痴のムイシュキンをなぜか思い出して、なぜか考えると共通点があった
カミュの異邦人、読んだこと無い。
> よくよく考えるとみんなで勝手に余計な世間を作って、わざわざ生きることを難しくして満足してはいないか
最近こればっか言うけどね「ムイシュキンはドストエフスキー」だとおもう。当たり前ちゃぁ当たり前だけど。
君のいうとおり、
> 世界は嘘をつかないと生きていけない
だれでもしてる。
> フリをするとかお世辞をいうとか、とりつくろうと言ってもいいし、ようは世間に合わせること
だね。
でもさ、ドストエフスキーは、作品の中では、彼は世界に残る作品を書いてる自覚があったんだ。だからインチキや妥協をする必要はいっさいなかった!
誰に何と言われようと、損しようと、貧乏になろうと、自分の芸術と思想を抱きしめていた。なぜ抱きしめたか?というと
それがあまりに偉大なことを知っていた。罪と罰もカラマーゾフの兄弟も白痴も、徹頭徹尾終始一貫、人間の根本の問題から目を離さない、狂的なまでに執念深く、人前精神を追究した。
道徳性も天邪鬼も。
> 白痴の主人公も異邦人の主人公もそれができなかった為に、一方は死刑に一方は発狂するしかなかった
> ドストエフスキーは白痴を美しい人に仕立て上げた
> 世間を生きれる人と嘘がつけない人、果たしてほんとうの白痴(異常)はどちらなんだろうね?
> ドストエフスキーのすごい皮肉というか風刺を感じる
世間を生きれようが 生きれまいが、最後に死が来て、その人生の究極の総決算が来るのはいっしょ。ドストやカミュにかぎらず
たとえば鎌倉仏教の祖師たちはそれこそ。。。。 >>542
一つ一つレスありがとう
以前から持っている漠然とした疑問がある
死は誰にでも等しいしそのためにあらゆる運動は均等に見えるかもしれない
階段で登ろうと快適なエレベーターで登ろうと目的地は一緒だ
目的地とは死であって、王も奴隷もまぬがれない
でもどう生きたか、どう在り続けようかと願ったことは無意味なんだろうか
過ぎ去ってしまったものは何もなかったのと同義というのは本当なんだろうか
瞬間の感情みたいな外観のないものは無価値なのだろうか
最近わからなくなってきたよ 死が目的地なのだろうか。通過点に過ぎない過ぎ去ったことにも思う。
人によってライフタームが違うから、早く戦死する奴もいれば、長く
戦場で活躍するものもいるだろう。それを責めなくてもいい。
人生は無意味だ。死があるから?人生が有意味なのもまた死があるから。
過ぎ去った過去はどこにも保存できないけど、過去を内包することなしでは
人は生きられない。 >>544
>死が目的地なのだろうか。通過点に過ぎない過ぎ去ったことにも思う。
>人によってライフタームが違うから、早く戦死する奴もいれば、長く
>戦場で活躍するものもいるだろう。それを責めなくてもいい。
>
>人生は無意味だ。死があるから?人生が有意味なのもまた死があるから。
>過ぎ去った過去はどこにも保存できないけど、過去を内包することなしでは
>人は生きられない。
感動した >>543
> 死は誰にでも等しいしそのためにあらゆる運動は均等に見えるかもしれない
> 目的地とは死であって、王も奴隷もまぬがれない
死の平等性の側面は確かだ。
> 階段で登ろうと快適なエレベーターで登ろうと目的地は一緒だ
人生がどうゆう過程を通って完結するか。それが同じはずがない。なぜなら、死の向こう側には永遠の生命があるからだ。
> でもどう生きたか、どう在り続けようかと願ったことは無意味なんだろうか
「どう生きたか」行動が大切であるとよくいう。ぼくにはむしろ「どう在り続けようかと願ったこと」のほうが大切に感じられてきた。その願い その祈り その一念 が、来世の福徳を決めるのではないか?
> 過ぎ去ってしまったものは何もなかったのと同義というのは本当なんだろうか
> 瞬間の感情みたいな外観のないものは無価値なのだろうか
そんなはずがない。自分がいちばんわかってるはずだ!過ぎ去った美しい思い出は永遠である。
瞬間の感情、美しく尊い感情こそ、この宇宙と等価なのだ。 「我々、ペトラシェフスキー・サークルの同志は、処刑場に立ち、下された判決を聞き終えたが、後悔の念はいささかもなかった。
もちろん、私は、全員については証明できない。しかし、あの時、あの瞬間、全員とは言わないにしても、少なくとも我々の大多数の者が、自分の信念を否定することを恥辱と思った。そう断言しても間違ってはいないと思う」
「最初に我々全員に対して読み上げられた銃殺刑の判決は、ふざけた冗談ごとではなかった。判決を受けた者たちはみんな、その判決が執行されるものだと信じた。
そして少なくとも10分間、死を待ち受ける残酷な、底なしの恐怖の時間を耐えた。この最後の数分間に、我々の中のある者たちは、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した。
そして、いくつかの重苦しい事実を見出して慙愧したかもしれない(どんな人間にも、ひそかに良心のトゲとなっている事実があるものである)」
----------------------------------------------
「しかし、今この判決を受けることになった事件、我々の精神を捉えたその思想、その考えは、我々にとって、後悔を要しないものであるばかりか、かえって、何か我々を浄(きよ)めてくれるもの、我々の多くの罪がそれによって赦(ゆる)される殉教である、と思われた」
---------------------------------------------- (作家の日記)
最初ムイシュキンの「死刑とマリーについて語る」ところを引用したいとおもったが、あまりに長大になるためやめた。
----------------------------------------------
後悔を要しないもの
我々を浄(きよ)めてくれるもの
多くの罪がそれによって赦(ゆる)されるもの
----------------------------------------------
とドストたちは捉えた、というのだ。
>最後の数分間に、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した
その結論として、だ!! >>546
>人生がどうゆう過程を通って完結するか。それが同じはずがない。なぜなら、死の向こう側には永遠の生命があるからだ。
そうだねドストエフスキー読者として抜けてたよ、肉体滅んでも魂と永遠があることを >>537
作家の日記読んでるの?
それならレスで書かれてるのはありがたい >>549
> 作家の日記読んでるの?
> それならレスで書かれてるのはありがたい
ごめん。読んでないw ネット上から引用しただけ
恥ずかしいけど。いちおう言い訳として目がわるい老眼www やべぇよ。。。ウイルスにやられたみたい
かなりウソみたいなメチャクチャな症状
このスレの書き込みカッコよく偉そうに書いた後
トワxxっていうあるアイドルグループの悪口書きまくって、スレ荒らしまくったあと、なった。
もう2,3時間 トラブルシュートしてるが改善しない
いつこのスレに戻ってこれるかもわからん。マシンが重すぎる。... 天罰や!! >>322
>『 また はじまっ た ぞ、 また!』
虚言 >>354
キリスト教の救うべき罪人は同胞のみだろう(サマリア人のたとえ) >>413
キリストの神にかけるか
イスラムの神にかけるか
ユダヤの神にかけるか
仏教の涅槃にかけるか
ベットは多様だな >>555
上手いこと言うね、盲点だったわ
その4つに限定できるならば、そのうちの3つは同じ神を指しているのでベット先はそんなに難しくならないね ドストエフスキーはやはり神義論を考えたのだろうか
「善なる神が世界を正しいものの為に作られてるとしたら何故この世界に悪があるのか?」
カラマーゾフもそれが隠れてる気がする
世界は悪人が得をするようにできてるのか?だとしたら善なる神など存在するはずがない、
という路地側の人間であるドストの問いかけ
トルストイは「正義とはただ2つのみ、真実と勤勉、悪とはただ2つ、嘘、虚妄と怠惰のみだ」という
これも深いとおもたが神義論が隠れてたのか
これらだけは疑いなく真理でこの正義、悪は絶対神義論からもくずれることはない
盗んだり人を殴ったりなんてことは実は全く悪でもなんでもない、そう考えなければいけなくなる
法律は善悪の決まり事でなく社会の規範にすぎないと
ドストエフスキーは陋劣であるが誠実で嘘のない正義としてミーチャを書いたのか 悪があるのはなぜかって?善と悪はまったく別の経路から生まれたものじゃないかな。
人間の本質に暴力がある種族がいたっておかしくないし、暴力 イコール 悪
と即座に決めつけることもできない世の中だ。
己の内に善を探せ はエピクロスだが、悪は外形で目立ち、善は内面に宿る
ものかもしれない。善悪の戦いだって、あるいは優勢 あるいは劣勢
と、続いてきたなら多くのものが死んだだろう。短絡的な善悪二元論
に陥らないことだよ。善は孤立し、悪を憎み、復讐を果たすだろう
悪は繁栄するが、復讐され、滅ぶ時もあるだろう。 善悪という言葉にしても善=思いやりの心とかそんなんだろ
それじゃすべて同じ帰結になる キリスト教で危険なのは二元論を否定してるもんだから
良き神が存在しない=神は存在しないと、必然的になるということだな しかしドストエフスキーなんてヤクザものが本来読むべきでドスト自身もそっちをむしろ望んでるだろうに
なんで翻訳が丁寧語ばっかなんだ
これから決闘しにいく人間が敬語で会話してたり 主観 客観 だけが二元論となりうるかも。客観 テスト 主観 問答。
善悪は二次元的です。 ドストエフスキーの作品において個々の現存在と魂の両面がいかに
安定を保つかということを読み解くことが大事なんだよ 面白いテーマがあがっているね
許されざる方法ではあるけども、まったく視点と前提そのものを変えてみるよ
例えば、リンゴが目の前にあったとすると人間は目を使って見ていることになる(あたり前だね)
目は見る性質「のみ」を持っていて、器官は機能だけを持っている
目は「見るという性質のみ」を持ち、リンゴは「見られるという性質しか」持たない
そしてこれがポイントかな
見るものと見られるものだけに注目すると二元論になってしまうが、隠されているがその二つをつなぐ重要な役割があるんだ
太陽という光である、これがあると主観と客体が初めて調和されるという新しい機能がうまれる さて神が善も悪も含めてこの世界を創ったとするならば、善は善の性質しか持たず悪も悪の性質しかもちえない
神的なものは神的に限り悪的なものは悪的、美は美で醜は醜、そして魂は魂であり肉体は肉体のみの性質
もしこう分類するなら、善は神的や美や魂の部類にならないだろうか?
魂に関わるものは魂にとっての性質しか持たないはずだし、肉体に関わるものは肉体にとっての性質しか持たないはずになる
魂の性質に類似するものとは何だろうか、つまりは善である
つまり善いとは魂に関するものであると結論がでる
リンゴと目をつなげるものであった光ように、魂(善)と肉体(悪)をつなげるもの、曰く人間である
と、プラトンの思想を拝借して勝手に自分で強化してみたよw
名づけて三元論だw >>562
それはすごーくよくわかるよ
ドストエフスキーを読むぞってときは、なんか悪いものみたさを持って読もうとしてる気がする
怖いものみたさに似ているような >>566
神義論の悪は災害も含めての悪、悪い事で
もし神が悪を作ってるんだとしたらこの世の悪い行いは全て神によるものとなって
それだと神の善性が無くなる
肉体の欲などが悪?
ドストエフスキーは気付いてないだろうか
この世界がどちらかといえばむしろ卑劣な人間にこそ能力をあたえてるのかもしれないってことに
もしそうだとしたら神義論なんてあったもんじゃない、
神はこの世界を悪(欲や犯罪)のたまり場にしたいのか?
そう考えてしまわなければいけなくなる
ドミトリーの卑劣な行為に対して美くしいものの見返りがあった
それをドミトリー自身がはねつけた
自らを悪性としてしまったから? >>568
そういうことだよね
災害や悪意による死さえ善なるものとしなければならなく
神が善のみで創ったなら悪いものを用意するはずがないと
イワンも同じで、彼はこう表現した
「神の創りたもうた世界をそのまま受け入れるためには入場料が高すぎる」
でも、もう一歩踏み込んで、もう一つ隠れている存在を忘れていないか?
ドストエフスキーも再三言ってた存在がある
善にも悪にもなれる存在であり、理性も欲望も感情でさえ従えさせることができて、あらゆる可能性をもつもので人間のみに与えられた中間に位置するもの
自由意思がある だけど魂にとって善いと言うのと、肉体にとって善いと言うのは反対だったりする
死は肉体的には悪だが魂にとっては肉体から解放される善の方法だったりもする
魂を信じるものにとっては、災害によろうが何だろうが死は善にもなる
だけどこの世界観は、人間の自由意思を介入しない世界に限るという条件つきだと思うよ
神は愛を持って人間を自由につくってくれたのではなかったか
まさにドストエフスキーもそう言っているのではないか ならば弁神論など信じるより、自由意思を持って善いとは何か探して、自由意思で善い世界にしちゃえばいいじゃん
というのがトルストイでありドストエフスキーの真意とぼくは信じているよ 神義論をなんとか解決しようとしたのがその二人なんじゃないだろうか まずゾロアスター、マニ教、その他禁欲教の二元論がある
↓
キリスト教はそれらと一線を画すものとして「神の全き善性」を訴えた
↓
しかし世界は悪に満ちている
↓
神は悪を支持しているとしか考えられない
↓
神は全き悪である
この難題に何百年も悩まされてきたのがキリスト教
ドストも例外ではないだろう >>573
悲しいかな、理論では成り立ってしまうね
反駁したいがぼくには限界のようだ、しかしこれがあった
アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない) ライプニッツ最善論に対するルソーの見解
「人間に悪をもたらしているのは神であるよりも、人間そのものであると考えるからである。人間がもし野生人のように、素朴な生活をしていたならば、文明の災害に会うことはなかっただろう。
自然が強制してわたしたちを不幸にしてしまうとしても、それはわたしたちがそれにつけ加えてしまう不幸にくらべて、はるかに残酷ではありません」
災害を大災害にしているのはつけ加えられた不幸、これは文明の発展のことだろう
(日本でいう海ぞいの原子炉とか都会集中とかかな)
「宇宙の支配者の眼からみれば個々の出来事はこの世ではなにものでもなく、その摂理はひたすら普遍的であって、神は類と種を保存すること、および各個人がその短い人生を過ごす方法については心を煩わさずに、すべてを司どることで満足しているのだと考えられます。」 すべてに善ではないが全体にとっては善であるとしているね、でも善であるという姿勢はそのまま
「あなたはこの世では悪の存在にしか気がつかないのです。そしてこのわたし、無名で、貧乏で、ある不治の病に苦しめられているわたしは、隠遁地で瞑想にふけることに喜びを覚え、すべては善であると思っています。」
ルソーは神を信じていたから、それでも善とできた
「神が賢く、全能であるならば、すべては善です。神が正義にかなって万能であるならば、わたしの霊魂は不滅です。わたしの霊魂が不滅であるなら、三〇年の命はわたしにとってなんでもないものであり、しかも宇宙の維持にはたぶん必要なのです」 >>575
「修道士のように正しく生きろ」とドストは言っていない
ドスト自身が路地裏側の人間であり熱心な宗教者だから スネギリョフやマルメラードフといった弱き人たちの描写もうまい
苦悩を知らないと書けなさそうだ ドストエフスキーは24歳で、中年独身男の独白を創造したんだよ >>577
>>575うったものだけど、いつもの悪い癖でドストエフスキーから離れてしまったよ
路地裏側という表現はいいと思うので、そのイメージが自分の想定と一番合っているのは、発狂しだしたころのアリョーシャに拠っているイワンかな
ドストエフスキーの分身とは /ヾ ;; ::≡=-_ ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
/::ヾ ~~~ \
|.::::::| 法華講破門 |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-| ━━┓┃┃
/ヽ ──| <◎> | ̄|<・> | ┃ ━━━━━━
ヽ < \_/ ヽ_/|. ┃ ┃┃┃
ヽ| /( )\ ヽ 。 ┛
| ( `,,' ≦三三
| ヽ \_/ゝ'゜ ≦三三 ゜。 ゜マハーロ、バカヤロー、キンマンコ!!
ヽ ヽ \ ≧ 三三==-
\_\__-ァ, ≧=- 憚りながら、戒名貰って密葬したい・・・ヒデブッ!! >>582
フォン・ゾン、いいやお前はフォン・ゾンだ!お前がなんと言おうともな >>436
>ゴルギアスでソクラテスの悪意を感じろ
読み出してるけど言っていた意味がすごくわかった
彼の悪意は白々しくて微小させらるがw 86名盤さん2017/11/25(土) 17:38:40.21ID:xlnSTh21
一言で英語の歌詞って言ってもほんと色んなレベルがあるよね
内容は単純なんだけど、スピードが早くて分からないパターン
英語が崩れすぎて、歌詞見ないと分かんないパターン
内容がもはや詩のレベルで、解釈が必要なパターン
89名盤さん2017/11/25(土) 18:29:39.19ID:d2GSI7nZ
英語だから単純な詩が難解で抽象的な詩に見える事もあるけどな
「沸騰!人参!じゃがいも!たまねぎ!」とかいう歌詞を
「沸騰した人参がたまねぎをじゃがいもする」とか読んで「難解だ…」とか言ってる様なミスはけっこうあるよ
つなげて読まなければカレーでも作ってるんでしょって感じだけど
なんとか学校で習った英文法の順番で解釈しようとしてしまう
91名盤さん2017/11/25(土) 18:47:33.59ID:shRdyoEb
>>89
>沸騰した人参がたまねぎをじゃがいもする
これ全く冗談でもなんでもなくあるんだよな
特に英語の場合、動詞化した名詞も名詞化した動詞もかなりあるから
動詞としても名詞としても使う単語が「じゃがいも」の位置に来ると惨劇の幕開け 28 吾輩は名無しである (ワッチョイ 63f7-k06i)[] 2017/09/06(水) 14:09:33.12 ID:pOZJBQe+0
やっと罪と罰のオーディオブックが出たな
即買ったよ
まだ上だけだけど
その後、中を買った
今月、下が出るからそれも買う 来年の目標と1冊目は未成年を読むことにしよう
長編でゆいいつ読めていない 749 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/12/07(木) 03:31:42.14 ID:DXIg2GM1
いまから出発するよ、毎晩これ↓だよ
白目を剥き全身痙攣しながら絶叫し町内を歩く俺
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1507050152/
ネタじゃない
では出発 956 名前:Cal.7743 :2017/12/07(木) 05:53:01.65
おまえら眠たい話ばっかしてんじゃねえぞ
オレがロレックスに使った総額は5000万円超えだ
当時そんなオレを人は
ロレックスのジョー
と呼んでたよ
いまでも伝説になっとる
古株の歌舞伎町者に聞いてみろ 96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/12/07(木) 09:32:17.26 ID:at5Ll+mF
速報
ついに第三次世界大戦確定だな!
【AFP=時事】
(更新)
ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は6日、ホワイトハウス(White House)で声明を発表し、エルサレムをイスラエルの首都に認定する方針を表明した。
米国が数十年にわたり保持してきた方針を転換する歴史的決定で、中東の情勢悪化を招く恐れがある。
トランプ氏はホワイトハウスで行った演説で、「私は、エルサレムをイスラエルの首都として正式に認定する時が来たと確信した」と発表。
さらに、在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移転する手続きの開始も表明した。
大使館移転は、福音派キリスト教徒や右派ユダヤ系の有権者や献金者らが切望していたもので、トランプ氏が大統領選の公約として掲げていた。
エルサレムはユダヤ、イスラム、キリスト教の信者にとって聖地とされる都市で、数十年にわたり対立の火種となってきた。
トランプ氏の決定は、中東の同盟諸国の反対を押し切って行われたもので、これにより米国は同市をめぐる長年の論争に身を投じることになる。
トランプ氏は、自身の決断はイスラエル・パレスチナ間で続く激しい対立の解決に向けた「新たなアプローチ」の開始を意味するものだと説明。
「2国家共存」による中東和平を支持する米政府の姿勢に変化はないと強調した。
【翻訳編集】 AFPBB News
米、エルサレムをイスラエル首都と認定 トランプ氏が歴史的決定(AFP=時事)- Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171207-00000000-jij_afp-int 大地にキスをするとはどういう意味だろうか
ロシア人にはわかるのかな ハルマゲドンはまだだろうけど
ロシアを脅かしたら核が中東国家にわたるだろうことは間違いないな
制裁とくかな ドストエフスキーは天才だよな。
空前絶後の大小説家! >>597
戦争が現実に近くなってる気がするよ
殺さなければ殺される瞬間に殺すより殺される方を選べるんだろうか
アリョーシャになりたいと今ここでは言えるけど Eテレ100分で名著で罪と罰放送されたの今知った
再放送しないかなまじで
大地にひざまずきなさいってタイトルだ
何を言ったのか気になるじゃないか 暗いと不平を云わずに、己から灯を点して生きなさい。
ーーー 聖パウロの言葉よりーーー ドストエフスキーの著作の結末って現実に意図的に似せている気がしする
悪いものが栄えたり良いものが損して終わったり、もっと正しく言えば、良いとも悪いとも言えない最後で終わらせることが多い気がするよ
シェイクスピアについてはもっとだけど
一方で、トルストイなんかは、善なるキャラクターは結構いい終わり方をする
これは取りも直さず、善は報いられなければならないというトルストイ的な思想が感じられる ドストエフスキーは善悪論なんだろうか
ドミトリーのような人間を根本的悪としてなく宗教的に救い在る存在としなければ、みたいなもんでないか >>610さん
善悪美醜の感覚を喪失したのではなく寧ろそれを超越した登場人物が『悪霊』にいるではないですか……。(^^♪
* * *
ところで、新改訳聖書が大幅に改訂されたね。
で、友人の牧師に勧められて『涙の理由』重松清・茂木健一郎(対談集)読み終えたところ。
以前雑談スレで挙がっていた「クオリア」って言葉は茂木さんが流行らせたのかな。
両人ともにドストエーフスキー、モーツァルトが大好きなのが伝わってくる。
4/5の脚注は個人的には不要だったけど『ジャン・クリストフ』の「燃える茨」の章では心揺すぶらされたなぁ、「涙」(!)馴染みの感覚として想起した。
では♪
(-^ ^-) アスタロトの宮殿もゲーム上では成立するけど、泣ける話だったな。 最善論とか弁神論が成り立つためには条件があるじゃないかな
それはきっちり規則どおりにする神がいること
だって今あるあり方が最善(または最悪)であるならば例外は許されなくなってしまう
だけどドストエフスキーは、神は人格を持った神としていると思うんだ
人格神であるからそれは可能だし、そもそも愛という概念もこの上なく例外的な行為ではないだろうか
神(人格神)はやろうと思えばなんでもできるがやらずに置いといてくれることもあるんじゃないかな
まさに慈悲とか慈愛を人間に与えてくれている、と理解すれば最善論も悪くはないと思うよ 自分の理解では、もう一歩でたどり着いた人物をあげるならばキリーロフなんだ
「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福なのを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただち幸福になる。
その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばらしいぼくは突然発見したんです」
「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。
もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」 >>613
成り立つかどうかじゃなく、キリスト教は二元論の「悪なる世界」「苦しみの世界」を否定したがために
神義論を肯定せざるをえなくなったんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています