ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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主観 客観 だけが二元論となりうるかも。客観 テスト 主観 問答。
善悪は二次元的です。 ドストエフスキーの作品において個々の現存在と魂の両面がいかに
安定を保つかということを読み解くことが大事なんだよ 面白いテーマがあがっているね
許されざる方法ではあるけども、まったく視点と前提そのものを変えてみるよ
例えば、リンゴが目の前にあったとすると人間は目を使って見ていることになる(あたり前だね)
目は見る性質「のみ」を持っていて、器官は機能だけを持っている
目は「見るという性質のみ」を持ち、リンゴは「見られるという性質しか」持たない
そしてこれがポイントかな
見るものと見られるものだけに注目すると二元論になってしまうが、隠されているがその二つをつなぐ重要な役割があるんだ
太陽という光である、これがあると主観と客体が初めて調和されるという新しい機能がうまれる さて神が善も悪も含めてこの世界を創ったとするならば、善は善の性質しか持たず悪も悪の性質しかもちえない
神的なものは神的に限り悪的なものは悪的、美は美で醜は醜、そして魂は魂であり肉体は肉体のみの性質
もしこう分類するなら、善は神的や美や魂の部類にならないだろうか?
魂に関わるものは魂にとっての性質しか持たないはずだし、肉体に関わるものは肉体にとっての性質しか持たないはずになる
魂の性質に類似するものとは何だろうか、つまりは善である
つまり善いとは魂に関するものであると結論がでる
リンゴと目をつなげるものであった光ように、魂(善)と肉体(悪)をつなげるもの、曰く人間である
と、プラトンの思想を拝借して勝手に自分で強化してみたよw
名づけて三元論だw >>562
それはすごーくよくわかるよ
ドストエフスキーを読むぞってときは、なんか悪いものみたさを持って読もうとしてる気がする
怖いものみたさに似ているような >>566
神義論の悪は災害も含めての悪、悪い事で
もし神が悪を作ってるんだとしたらこの世の悪い行いは全て神によるものとなって
それだと神の善性が無くなる
肉体の欲などが悪?
ドストエフスキーは気付いてないだろうか
この世界がどちらかといえばむしろ卑劣な人間にこそ能力をあたえてるのかもしれないってことに
もしそうだとしたら神義論なんてあったもんじゃない、
神はこの世界を悪(欲や犯罪)のたまり場にしたいのか?
そう考えてしまわなければいけなくなる
ドミトリーの卑劣な行為に対して美くしいものの見返りがあった
それをドミトリー自身がはねつけた
自らを悪性としてしまったから? >>568
そういうことだよね
災害や悪意による死さえ善なるものとしなければならなく
神が善のみで創ったなら悪いものを用意するはずがないと
イワンも同じで、彼はこう表現した
「神の創りたもうた世界をそのまま受け入れるためには入場料が高すぎる」
でも、もう一歩踏み込んで、もう一つ隠れている存在を忘れていないか?
ドストエフスキーも再三言ってた存在がある
善にも悪にもなれる存在であり、理性も欲望も感情でさえ従えさせることができて、あらゆる可能性をもつもので人間のみに与えられた中間に位置するもの
自由意思がある だけど魂にとって善いと言うのと、肉体にとって善いと言うのは反対だったりする
死は肉体的には悪だが魂にとっては肉体から解放される善の方法だったりもする
魂を信じるものにとっては、災害によろうが何だろうが死は善にもなる
だけどこの世界観は、人間の自由意思を介入しない世界に限るという条件つきだと思うよ
神は愛を持って人間を自由につくってくれたのではなかったか
まさにドストエフスキーもそう言っているのではないか ならば弁神論など信じるより、自由意思を持って善いとは何か探して、自由意思で善い世界にしちゃえばいいじゃん
というのがトルストイでありドストエフスキーの真意とぼくは信じているよ 神義論をなんとか解決しようとしたのがその二人なんじゃないだろうか まずゾロアスター、マニ教、その他禁欲教の二元論がある
↓
キリスト教はそれらと一線を画すものとして「神の全き善性」を訴えた
↓
しかし世界は悪に満ちている
↓
神は悪を支持しているとしか考えられない
↓
神は全き悪である
この難題に何百年も悩まされてきたのがキリスト教
ドストも例外ではないだろう >>573
悲しいかな、理論では成り立ってしまうね
反駁したいがぼくには限界のようだ、しかしこれがあった
アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない) ライプニッツ最善論に対するルソーの見解
「人間に悪をもたらしているのは神であるよりも、人間そのものであると考えるからである。人間がもし野生人のように、素朴な生活をしていたならば、文明の災害に会うことはなかっただろう。
自然が強制してわたしたちを不幸にしてしまうとしても、それはわたしたちがそれにつけ加えてしまう不幸にくらべて、はるかに残酷ではありません」
災害を大災害にしているのはつけ加えられた不幸、これは文明の発展のことだろう
(日本でいう海ぞいの原子炉とか都会集中とかかな)
「宇宙の支配者の眼からみれば個々の出来事はこの世ではなにものでもなく、その摂理はひたすら普遍的であって、神は類と種を保存すること、および各個人がその短い人生を過ごす方法については心を煩わさずに、すべてを司どることで満足しているのだと考えられます。」 すべてに善ではないが全体にとっては善であるとしているね、でも善であるという姿勢はそのまま
「あなたはこの世では悪の存在にしか気がつかないのです。そしてこのわたし、無名で、貧乏で、ある不治の病に苦しめられているわたしは、隠遁地で瞑想にふけることに喜びを覚え、すべては善であると思っています。」
ルソーは神を信じていたから、それでも善とできた
「神が賢く、全能であるならば、すべては善です。神が正義にかなって万能であるならば、わたしの霊魂は不滅です。わたしの霊魂が不滅であるなら、三〇年の命はわたしにとってなんでもないものであり、しかも宇宙の維持にはたぶん必要なのです」 >>575
「修道士のように正しく生きろ」とドストは言っていない
ドスト自身が路地裏側の人間であり熱心な宗教者だから スネギリョフやマルメラードフといった弱き人たちの描写もうまい
苦悩を知らないと書けなさそうだ ドストエフスキーは24歳で、中年独身男の独白を創造したんだよ >>577
>>575うったものだけど、いつもの悪い癖でドストエフスキーから離れてしまったよ
路地裏側という表現はいいと思うので、そのイメージが自分の想定と一番合っているのは、発狂しだしたころのアリョーシャに拠っているイワンかな
ドストエフスキーの分身とは /ヾ ;; ::≡=-_ ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
/::ヾ ~~~ \
|.::::::| 法華講破門 |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-| ━━┓┃┃
/ヽ ──| <◎> | ̄|<・> | ┃ ━━━━━━
ヽ < \_/ ヽ_/|. ┃ ┃┃┃
ヽ| /( )\ ヽ 。 ┛
| ( `,,' ≦三三
| ヽ \_/ゝ'゜ ≦三三 ゜。 ゜マハーロ、バカヤロー、キンマンコ!!
ヽ ヽ \ ≧ 三三==-
\_\__-ァ, ≧=- 憚りながら、戒名貰って密葬したい・・・ヒデブッ!! >>582
フォン・ゾン、いいやお前はフォン・ゾンだ!お前がなんと言おうともな >>436
>ゴルギアスでソクラテスの悪意を感じろ
読み出してるけど言っていた意味がすごくわかった
彼の悪意は白々しくて微小させらるがw 86名盤さん2017/11/25(土) 17:38:40.21ID:xlnSTh21
一言で英語の歌詞って言ってもほんと色んなレベルがあるよね
内容は単純なんだけど、スピードが早くて分からないパターン
英語が崩れすぎて、歌詞見ないと分かんないパターン
内容がもはや詩のレベルで、解釈が必要なパターン
89名盤さん2017/11/25(土) 18:29:39.19ID:d2GSI7nZ
英語だから単純な詩が難解で抽象的な詩に見える事もあるけどな
「沸騰!人参!じゃがいも!たまねぎ!」とかいう歌詞を
「沸騰した人参がたまねぎをじゃがいもする」とか読んで「難解だ…」とか言ってる様なミスはけっこうあるよ
つなげて読まなければカレーでも作ってるんでしょって感じだけど
なんとか学校で習った英文法の順番で解釈しようとしてしまう
91名盤さん2017/11/25(土) 18:47:33.59ID:shRdyoEb
>>89
>沸騰した人参がたまねぎをじゃがいもする
これ全く冗談でもなんでもなくあるんだよな
特に英語の場合、動詞化した名詞も名詞化した動詞もかなりあるから
動詞としても名詞としても使う単語が「じゃがいも」の位置に来ると惨劇の幕開け 28 吾輩は名無しである (ワッチョイ 63f7-k06i)[] 2017/09/06(水) 14:09:33.12 ID:pOZJBQe+0
やっと罪と罰のオーディオブックが出たな
即買ったよ
まだ上だけだけど
その後、中を買った
今月、下が出るからそれも買う 来年の目標と1冊目は未成年を読むことにしよう
長編でゆいいつ読めていない 749 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/12/07(木) 03:31:42.14 ID:DXIg2GM1
いまから出発するよ、毎晩これ↓だよ
白目を剥き全身痙攣しながら絶叫し町内を歩く俺
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1507050152/
ネタじゃない
では出発 956 名前:Cal.7743 :2017/12/07(木) 05:53:01.65
おまえら眠たい話ばっかしてんじゃねえぞ
オレがロレックスに使った総額は5000万円超えだ
当時そんなオレを人は
ロレックスのジョー
と呼んでたよ
いまでも伝説になっとる
古株の歌舞伎町者に聞いてみろ 96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2017/12/07(木) 09:32:17.26 ID:at5Ll+mF
速報
ついに第三次世界大戦確定だな!
【AFP=時事】
(更新)
ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は6日、ホワイトハウス(White House)で声明を発表し、エルサレムをイスラエルの首都に認定する方針を表明した。
米国が数十年にわたり保持してきた方針を転換する歴史的決定で、中東の情勢悪化を招く恐れがある。
トランプ氏はホワイトハウスで行った演説で、「私は、エルサレムをイスラエルの首都として正式に認定する時が来たと確信した」と発表。
さらに、在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移転する手続きの開始も表明した。
大使館移転は、福音派キリスト教徒や右派ユダヤ系の有権者や献金者らが切望していたもので、トランプ氏が大統領選の公約として掲げていた。
エルサレムはユダヤ、イスラム、キリスト教の信者にとって聖地とされる都市で、数十年にわたり対立の火種となってきた。
トランプ氏の決定は、中東の同盟諸国の反対を押し切って行われたもので、これにより米国は同市をめぐる長年の論争に身を投じることになる。
トランプ氏は、自身の決断はイスラエル・パレスチナ間で続く激しい対立の解決に向けた「新たなアプローチ」の開始を意味するものだと説明。
「2国家共存」による中東和平を支持する米政府の姿勢に変化はないと強調した。
【翻訳編集】 AFPBB News
米、エルサレムをイスラエル首都と認定 トランプ氏が歴史的決定(AFP=時事)- Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171207-00000000-jij_afp-int 大地にキスをするとはどういう意味だろうか
ロシア人にはわかるのかな ハルマゲドンはまだだろうけど
ロシアを脅かしたら核が中東国家にわたるだろうことは間違いないな
制裁とくかな ドストエフスキーは天才だよな。
空前絶後の大小説家! >>597
戦争が現実に近くなってる気がするよ
殺さなければ殺される瞬間に殺すより殺される方を選べるんだろうか
アリョーシャになりたいと今ここでは言えるけど Eテレ100分で名著で罪と罰放送されたの今知った
再放送しないかなまじで
大地にひざまずきなさいってタイトルだ
何を言ったのか気になるじゃないか 暗いと不平を云わずに、己から灯を点して生きなさい。
ーーー 聖パウロの言葉よりーーー ドストエフスキーの著作の結末って現実に意図的に似せている気がしする
悪いものが栄えたり良いものが損して終わったり、もっと正しく言えば、良いとも悪いとも言えない最後で終わらせることが多い気がするよ
シェイクスピアについてはもっとだけど
一方で、トルストイなんかは、善なるキャラクターは結構いい終わり方をする
これは取りも直さず、善は報いられなければならないというトルストイ的な思想が感じられる ドストエフスキーは善悪論なんだろうか
ドミトリーのような人間を根本的悪としてなく宗教的に救い在る存在としなければ、みたいなもんでないか >>610さん
善悪美醜の感覚を喪失したのではなく寧ろそれを超越した登場人物が『悪霊』にいるではないですか……。(^^♪
* * *
ところで、新改訳聖書が大幅に改訂されたね。
で、友人の牧師に勧められて『涙の理由』重松清・茂木健一郎(対談集)読み終えたところ。
以前雑談スレで挙がっていた「クオリア」って言葉は茂木さんが流行らせたのかな。
両人ともにドストエーフスキー、モーツァルトが大好きなのが伝わってくる。
4/5の脚注は個人的には不要だったけど『ジャン・クリストフ』の「燃える茨」の章では心揺すぶらされたなぁ、「涙」(!)馴染みの感覚として想起した。
では♪
(-^ ^-) アスタロトの宮殿もゲーム上では成立するけど、泣ける話だったな。 最善論とか弁神論が成り立つためには条件があるじゃないかな
それはきっちり規則どおりにする神がいること
だって今あるあり方が最善(または最悪)であるならば例外は許されなくなってしまう
だけどドストエフスキーは、神は人格を持った神としていると思うんだ
人格神であるからそれは可能だし、そもそも愛という概念もこの上なく例外的な行為ではないだろうか
神(人格神)はやろうと思えばなんでもできるがやらずに置いといてくれることもあるんじゃないかな
まさに慈悲とか慈愛を人間に与えてくれている、と理解すれば最善論も悪くはないと思うよ 自分の理解では、もう一歩でたどり着いた人物をあげるならばキリーロフなんだ
「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福なのを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただち幸福になる。
その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばらしいぼくは突然発見したんです」
「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。
もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」 >>613
成り立つかどうかじゃなく、キリスト教は二元論の「悪なる世界」「苦しみの世界」を否定したがために
神義論を肯定せざるをえなくなったんだよ >>615
その辺は知識がなくてね、修正ありがと
カンディードが自分の最善論の知識なんだ
>成り立つかどうかじゃなく、キリスト教は二元論の「悪なる世界」「苦しみの世界」を否定したがために
>神義論を肯定せざるをえなくなったんだよ
望まずにそういう論理ができたということ? 福一で作ってたのはもんじゅようの高濃度ウランで
結局核兵器用だからあってるのか 未成年読み出したけど評判よりずっと面白い
もっと早く読めばよかった そんなこと言ったらロリータ読み耽る中年はどうなんだw 『未成年』は激越な人物設定や展開がなく、もっともなめらかで面白い作品だと思う
世界的に人気薄だが、自分は最も好きなドスト作品だ 日本の自然主義文学とか好きな人は、『未成年』を好みそう 未成年はドストの作品では最後に読むべきである
それまでに他の作品を読んでおくんだな 『未成年』は20歳になる前に読んでおくべきである! ドストエフスキーの作品で、平均的な日本の少年少女が気楽に読めるような作品は一冊も無いと言って過言じゃないだろ。
これはロシアや他の欧米の少年少女でも、そう変わらんだろ。
罪と罰や、カラマーゾフ、死霊は少なくとも30才を超えないと読解できんよ。 ぜんぜん途中だけど読み始めておもったのは、ストーリーは他と比べるとすっごく読みやすい
が、ドストエフスキーならではの自分の経験がある程度ないとよく理解できない文章に当たる
例えば感情についての会話だと、
「理性的な信念はそれと同じ感情を生む。思想は感情から出て、今後はそれが、人間の中に定着しつつ、新しい感情を形作るのだ!」
言葉としてはわかるけど、いまいち何を伝えたかったのか実感がわかないw 主人公はロスチャイルドになりたいと思うんだよな
ロスチャイルド家こそ影の世界の王様なんだ >>627
> ドストエフスキーの作品で、平均的な日本の少年少女が気楽に読めるような作品は一冊も無いと言って過言じゃないだろ。
> これはロシアや他の欧米の少年少女でも、そう変わらんだろ。
これは同意だが。
> 罪と罰や、カラマーゾフ、死霊は少なくとも30才を超えないと読解できんよ。
罪と罰やカラマーゾフはむしろ10代で読むべきでないか?
たとえばカラマーゾフを例に取れば、「30才を超えないと読解できん」というのはどの部分をさすのか? >>515
> >「白痴」は元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった人物が
> >ロシアで色々あって結局元に戻ってしまったという悲劇
これはひどすぎる紹介文だ。之を読んで読みたいと思う青少年はいるだろうか?
「元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった」という部分も正しいのか? >>553
>>554
カラマーゾフからボク自身も忘れている本質的引用をありがとう。しかし、いまは、考えられない。 >>558
> 「善なる神が世界を正しいものの為に作られてるとしたら何故この世界に悪があるのか?」
> カラマーゾフもそれが隠れてる気がする
隠れているどころか、ハッキリと明示されたメインテーマのひとつだよね。
> ドストエフスキーは陋劣であるが誠実で嘘のない正義としてミーチャを書いたのか
ミーチャが「陋劣である」というのはたとえば、どういうところがか? >>568
>ドミトリーの卑劣な行為に対して美くしいものの見返りがあった
それをドミトリー自身がはねつけた
自らを悪性としてしまったから?
ここが気になった。それはカチェリーナとのいざこざのことだと思うが?
卑劣だったっけ? >>570
> だけど魂にとって善いと言うのと、肉体にとって善いと言うのは反対だったりする
> 死は肉体的には悪だが魂にとっては肉体から解放される善の方法だったりもする
> 魂を信じるものにとっては、災害によろうが何だろうが死は善にもなる
この部分は非常にわかりづらい。これは余りにも偏頗な思想と感じられる。
どういうことか補足してほしい。 >>574
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない)
キリストのお兄さんは、いったいぜんたい「どういうところが偉いのか?」
キリストの理想とは「なにが美しいのか?」 >>634
ドストエフスキーはそういう風に書いてないがミーチャ自信が自分を悪く言うキャラだからね
ドミトリーはカミュの異邦人の主人公にも通じる
正直であるが故に不幸になった人みたい >>614
> 「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福なのを知らないから、
それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただちに
幸福になる。
> その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばら
しいぼくは突然発見したんです」
> 「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっ
ぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
> すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者に
は、すばらしい。
> もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけ
れど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょう
よ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」
------------------------------------------------------------------------------
ボクも同意するよ。深甚だな。悪霊をあまり愛読してないが、この引用箇所
を平たく簡単に言い換えると
「いっさいムダなことはない。すべてに意味がある。ありのまま」でないか
な? >>637
>ミーチャ自身が自分を悪く言うキャラだからね
そうだねw
> ドミトリーはカミュの異邦人の主人公にも通じる
> 正直であるが故に不幸になった人みたい
異邦人の主人公 ってそうなんだ >>638
引用箇所中もっとも異常もっとも激越に感じられるのは
> > 「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっ
> ぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
> > すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者に
> は、すばらしい。
の部分と感じられますが、「事実として」残酷極まる現実が日々この世界では起きている。
イヴァンは「この世界を受け入れられない」といったが、キリーロフはちがった。
どちらもドストエフスキーが創造した登場人物だが、彼らは那辺が違うのか? >>639
ムルソーは「不幸」であるとは異なる気がします。
この世の善しか知らない、ヒューマニスト。
>>640
話は幾分逸れますけれど、序でながら『悪霊』主人公スタヴローギンは独自な立ち位置ですよね。
で、ドストエーフスキー自身の最晩年のメッセージを汲み取ると、
「残酷極まる現実があるにもかかわらず、人生全体は肯定しましょうよ」と。
『地下生活者』に始まる「安っぽい幸福<高められた苦悩<高められた幸福」に至る
3段階形式の価値観の発展、人間精神の進化(!)。
では♪ (-^ ^-) >>641
>>>639
>ムルソーは「不幸」であるとは異なる気がします。
>この世の善しか知らない、ヒューマニスト。
この世の善しか知らないとか超ファタンタジー >>640
個人的にはこの続きが面白いんだけど、このキリーロフのすべてはすばらしい、と言うセリフを聞いてスタヴローギンはこう言うんだ
「次に会うとき君は神を信仰しているだろう」
そして面白いのは、スタヴローギンがこれを見事に読み間違えるということ(あのスタヴローギンが!)
その次回再開でキリーロフはこう行き着いちゃう
「神がいないならばぼくが神になるよ、よし証明するから死んでみる」
イワンとキリーロフの違いもこのへんから憶測すればその相違の本質がわかるかもしれない
勝手に推測してみるよ↓ ドストエフスキーはどこかでこう言ってたと思う(たしかカラマーゾフのどこかだったと思うんだけど)
無神論になるか、熱狂的な信仰者になるか、この一歩前は同じところにみんながたどり着くしみんなこれを経験する
つまりすべてよし!存在や起こることの全肯定にまず行き着く
全肯定→じゃあオレ(内側)がすべて→キリーロフ(無神論)
全肯定→じゃあ神(外側)がすべて→ゾシマとかソーニャもかな(有神論)
全肯定も全否定もできず(中間で葛藤)→神はいるがその世界は認めない→イワンとかスタヴローギンも?
と、ぼくは憶測してるんだけどね
どうなんだろうかイマイチ確信まではいかないけど 無関心な人をのぞけば、無神論も有神論もこの世の最大の疑問である神の有無とその世界の是非に真剣に悩み、問題が解決できずに圧倒される
あるとき、悟るというか自分なりに理解するんだろう
で、何がきっかけかは分からないけど(というより、この違いこそが謎でありドストエフスキーの問い)無神論者か有神論者に行き着く
同じところにいたはずなのに展開される結果が真逆になる
何が理由でそうなるのか、ドストエフスキーはそれの思考実験を文学で試してみたのかもしれない何て考えながら自分の場合は読んでる キリストのお兄さんは、いったいぜんたい「どういうところが偉いのか?」
キリストの理想とは「なにが美しいのか?」
----------------------------------------------------------------------------------
前にボクがこう問うたことを敷衍して説明したい。
たしかにまちがいなく、ドストエフスキーやその他いっさいの西欧文化の粋ともいうべき芸術作品は、キリスト教信仰と不可分だ。
しかし、だからといって、キリストの事蹟、キリストの教え、そのものの内容はどうなのか?
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない)
というアリョーシャの信仰は美しく、無数の民衆の深く純真なそれもまた気高い。
気高い理由は、現実の生活を良くするからだ。悪を退け邪な欲望を断念し来世への希望と永遠の正義をたよりにし、今世の人生を修行と捉え、日々の現実の労苦や名状しがたき無力感を耐え忍ぶ。
端的にアレクセイとイヴァンをくらべれば、アレクセイのほうがこの人生を「良く」生きている。
彼はシンプルな信仰生活を送っているからだ。(実は内心において激闘してるのだが)シンプルなとは、教会やゾシマ師や同信の仲間の中にいて孤立していない)
以上をふまえれば当然キリストの教えは素晴らしいのか、と類推される。
しかし、待てよ。と止まって考えてみる。
これらはド氏が描いた文学作品中の姿だ。アリョーシャのいわゆる「キリストの理想」「キリストの教え」そのものをつぶさに考えて批判したことが我々にあるのか? >>641
> で、ドストエーフスキー自身の最晩年のメッセージを汲み取ると、
> 「残酷極まる現実があるにもかかわらず、人生全体は肯定しましょうよ」と。
この文から連想したのは まず第一に
イヴァンが あの「カラマーゾフ的な生活力」について語った(料理屋「都」の
ついたてのある奥で、大審問官を語る前に。)撓められた情熱が詩的に爆発したような あの場面ですね。 >アリョーシャ は ただ みんな とは 正反対 の 道 を 選ん だ だけで、 一
刻 も はやく 偉業 を 成就 し たい という 熱望には 変わり は なかっ た。
青年は皆ことごとく「はやく 偉業 を 成就 し たい と 熱望した」という
のだ。... 考えてみれば そうなのかもしれない。立身出世的な、いわゆ
る上級国民になりたいという願いの隠された奥にも、利他的な純真な希
望があるのかも。「君たちはどう生きるか?」という漫画が流行ってる
らしいが(駅のポスターで見たのだ)青年はみな「どう生きたら?」わ
からない。迷っている。死ぬまで迷うのかも、だが。
理想がなければ、酒やクスリや女、孤立した引きこもりの生活、満たさ
れない何かしかないではないか?小さな自分の殻に閉じこもって、最良
でも子どもや家族のことしか考えられないではないか。
「いや、それこそ人間として正しいのだ」とある人は言う。しかし現実
は、それで安心立命なのか?違うではないか。「みな、自分の持ち物を
隠し合っている」とゾシマが説いた通りである。 > 彼 は 真剣 に 考え ぬい て、 不死 と 神 は 存在 する という 信念
に ふかい 感動 を おぼえる と 同時に ごく 自然 に こう 自分 に 言
い きかせ た。「 不死 の ため に 生き たい、 中途半端 な 妥協 はと
りたくない」それと同様に、 もしも 彼 が 不死 と 神 は 存在 し な
い と 断定 し た なら ば、 ただちに 無神論者 や 社会主義 者 に なっ
た はず で ある
(略)
アリョーシャ には、 これ までの 生き方 は むしろ 奇怪 で 不可能
な こと にさえ 思わ れ た。 聖書 にも、「 もし あなた が 完全 に
なろ う と 思う なら、 すべて を 分かち 与え、 そして わたし に
従っ て き なさい」〔 マタイ による 福音書 第 十 九 章 二 一節〕
と ある では ない か。 そこで アリョーシャ は こう 自分 に 言い
きかせ た。「 おれ は『 すべて』 を 与え ない で 二 ルー ブリ を
与え たり、『 わたし に 従っ て き なさい』 を 実行 し ない で 祈
祷 式 だけに 出る という よう な こと は でき ない」
現代の我が国の青少年は、何に身を投じるのか?
無神論者になるものはいない。(無神論という概念自体が存在しな
い?)社会主義 者も流行らず、その数は少ない。
「自分の一票などで何も変わらない」と無力感にさいなまれている。
本当は、青年というものは「自分の命を投げ出して悔いない」理想
を求めている。 この世界は許しがたい悪もあり、不寛容で、堅苦しく、そうして自分は孤独ではないか?
日本中の友と世界の友と連帯したい。恋もしたい... 自分は女というものをいっさい知らないが。この宇宙のどこかに自分を待っている美しい少女がいるのでないか。 そうして豊かな生活、個人的繁栄も達成したい... しかしそれは二の次だ。
自分はこの世界を良くする布石となりたいのだ。名も知られない種になって、後の世に美しい花をさせたいのだ... 青年というものは こんなふうに考えていると推測する。
聖書の「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし。 」という言葉など知らなくとも無意識で思っているんだ。
『 わたし に 従っ て き なさい』といってくれる存在を探しているんだ!
このことは世界史日本史の尊い歴史を見ればわかることじゃないか? >>646
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」
プロとコントラでイワンが虐殺とか子供の虐待とかの話をした後にいうセリフだよね
アリョーシャの、人間は罪を許し合わなければいけないという考えに対して、そんな世界は難しすぎるし、栄える楽園だってそういう血の上にしか建てられない
「それにそんなのできる人間はいない」というイワンの悪に見える世界への反抗、こてに対してアリョーシャがやっと出たセリフだったはず
「でも一人だけいましたよね…」
で、イワンが始める「大審問官ていう話があるんだけどね………」
記憶に頼っているので抜けているとこもあるけどこんな感じだったともう
はっきりと感想とこの言葉に対する意見が言えないので読み返す必要があるけど、おそらくは、キリストのみがそれを(なんと言えばいいか)っていうアリョーシャの世界感をあらわしているじゃないかな? >>650
>『 わたし に 従っ て き なさい』といってくれる存在 を探しているんだ!
誰に跪拝するかが、人か自分かそれとも神か、それが重要と未成年にあったよ
ふと思い出した 魅力的なキャラクターってやっぱりスタヴローギンだよね
>善悪、すべての偏見から自由になりうるのだが、その自由を手にいれた瞬間、私は破滅する。
カッコイイ そしてキリーロフも同じことを考えてる
> 生きても生きなくても同じになった人が、新人なのです。苦痛と恐怖を征服した人は自ら神となる。
2人とも善悪に乏しい
だからそれはとても危うい このスレだけ唯一ちゃんと議論とかしてるな。
「白痴」なんだけど、なーんか本筋が見えない作品。
白痴の主人公が一番マトモで回りはみんな狂ってるというオチ?
余命いくばくもない青年の告白もなんか安っぽい。
頭おかしい将軍の話は中身無くてイライラ。 >>660
そうだと思う
そのまともだった白痴はまた白痴に戻らなきゃならなくなるほどの世界は悲劇的ってオチ
でもムイシュキンとロゴージンで通夜して白痴に戻るあの瞬間、この瞬間のためにあの長編は読んでるのかもしれないとも思える
確かに、罪と罰とか悪霊とかカラマーゾフが劇的すぎて、白痴はなんか物足りなくなるのはよく分かる
それに会話がながいし(って他もだけど) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています