ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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大地にキスをするとはどういう意味だろうか
ロシア人にはわかるのかな ハルマゲドンはまだだろうけど
ロシアを脅かしたら核が中東国家にわたるだろうことは間違いないな
制裁とくかな ドストエフスキーは天才だよな。
空前絶後の大小説家! >>597
戦争が現実に近くなってる気がするよ
殺さなければ殺される瞬間に殺すより殺される方を選べるんだろうか
アリョーシャになりたいと今ここでは言えるけど Eテレ100分で名著で罪と罰放送されたの今知った
再放送しないかなまじで
大地にひざまずきなさいってタイトルだ
何を言ったのか気になるじゃないか 暗いと不平を云わずに、己から灯を点して生きなさい。
ーーー 聖パウロの言葉よりーーー ドストエフスキーの著作の結末って現実に意図的に似せている気がしする
悪いものが栄えたり良いものが損して終わったり、もっと正しく言えば、良いとも悪いとも言えない最後で終わらせることが多い気がするよ
シェイクスピアについてはもっとだけど
一方で、トルストイなんかは、善なるキャラクターは結構いい終わり方をする
これは取りも直さず、善は報いられなければならないというトルストイ的な思想が感じられる ドストエフスキーは善悪論なんだろうか
ドミトリーのような人間を根本的悪としてなく宗教的に救い在る存在としなければ、みたいなもんでないか >>610さん
善悪美醜の感覚を喪失したのではなく寧ろそれを超越した登場人物が『悪霊』にいるではないですか……。(^^♪
* * *
ところで、新改訳聖書が大幅に改訂されたね。
で、友人の牧師に勧められて『涙の理由』重松清・茂木健一郎(対談集)読み終えたところ。
以前雑談スレで挙がっていた「クオリア」って言葉は茂木さんが流行らせたのかな。
両人ともにドストエーフスキー、モーツァルトが大好きなのが伝わってくる。
4/5の脚注は個人的には不要だったけど『ジャン・クリストフ』の「燃える茨」の章では心揺すぶらされたなぁ、「涙」(!)馴染みの感覚として想起した。
では♪
(-^ ^-) アスタロトの宮殿もゲーム上では成立するけど、泣ける話だったな。 最善論とか弁神論が成り立つためには条件があるじゃないかな
それはきっちり規則どおりにする神がいること
だって今あるあり方が最善(または最悪)であるならば例外は許されなくなってしまう
だけどドストエフスキーは、神は人格を持った神としていると思うんだ
人格神であるからそれは可能だし、そもそも愛という概念もこの上なく例外的な行為ではないだろうか
神(人格神)はやろうと思えばなんでもできるがやらずに置いといてくれることもあるんじゃないかな
まさに慈悲とか慈愛を人間に与えてくれている、と理解すれば最善論も悪くはないと思うよ 自分の理解では、もう一歩でたどり着いた人物をあげるならばキリーロフなんだ
「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福なのを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただち幸福になる。
その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばらしいぼくは突然発見したんです」
「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。
もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」 >>613
成り立つかどうかじゃなく、キリスト教は二元論の「悪なる世界」「苦しみの世界」を否定したがために
神義論を肯定せざるをえなくなったんだよ >>615
その辺は知識がなくてね、修正ありがと
カンディードが自分の最善論の知識なんだ
>成り立つかどうかじゃなく、キリスト教は二元論の「悪なる世界」「苦しみの世界」を否定したがために
>神義論を肯定せざるをえなくなったんだよ
望まずにそういう論理ができたということ? 福一で作ってたのはもんじゅようの高濃度ウランで
結局核兵器用だからあってるのか 未成年読み出したけど評判よりずっと面白い
もっと早く読めばよかった そんなこと言ったらロリータ読み耽る中年はどうなんだw 『未成年』は激越な人物設定や展開がなく、もっともなめらかで面白い作品だと思う
世界的に人気薄だが、自分は最も好きなドスト作品だ 日本の自然主義文学とか好きな人は、『未成年』を好みそう 未成年はドストの作品では最後に読むべきである
それまでに他の作品を読んでおくんだな 『未成年』は20歳になる前に読んでおくべきである! ドストエフスキーの作品で、平均的な日本の少年少女が気楽に読めるような作品は一冊も無いと言って過言じゃないだろ。
これはロシアや他の欧米の少年少女でも、そう変わらんだろ。
罪と罰や、カラマーゾフ、死霊は少なくとも30才を超えないと読解できんよ。 ぜんぜん途中だけど読み始めておもったのは、ストーリーは他と比べるとすっごく読みやすい
が、ドストエフスキーならではの自分の経験がある程度ないとよく理解できない文章に当たる
例えば感情についての会話だと、
「理性的な信念はそれと同じ感情を生む。思想は感情から出て、今後はそれが、人間の中に定着しつつ、新しい感情を形作るのだ!」
言葉としてはわかるけど、いまいち何を伝えたかったのか実感がわかないw 主人公はロスチャイルドになりたいと思うんだよな
ロスチャイルド家こそ影の世界の王様なんだ >>627
> ドストエフスキーの作品で、平均的な日本の少年少女が気楽に読めるような作品は一冊も無いと言って過言じゃないだろ。
> これはロシアや他の欧米の少年少女でも、そう変わらんだろ。
これは同意だが。
> 罪と罰や、カラマーゾフ、死霊は少なくとも30才を超えないと読解できんよ。
罪と罰やカラマーゾフはむしろ10代で読むべきでないか?
たとえばカラマーゾフを例に取れば、「30才を超えないと読解できん」というのはどの部分をさすのか? >>515
> >「白痴」は元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった人物が
> >ロシアで色々あって結局元に戻ってしまったという悲劇
これはひどすぎる紹介文だ。之を読んで読みたいと思う青少年はいるだろうか?
「元はおバカだったがスイスで治療を受け善良そのものになった」という部分も正しいのか? >>553
>>554
カラマーゾフからボク自身も忘れている本質的引用をありがとう。しかし、いまは、考えられない。 >>558
> 「善なる神が世界を正しいものの為に作られてるとしたら何故この世界に悪があるのか?」
> カラマーゾフもそれが隠れてる気がする
隠れているどころか、ハッキリと明示されたメインテーマのひとつだよね。
> ドストエフスキーは陋劣であるが誠実で嘘のない正義としてミーチャを書いたのか
ミーチャが「陋劣である」というのはたとえば、どういうところがか? >>568
>ドミトリーの卑劣な行為に対して美くしいものの見返りがあった
それをドミトリー自身がはねつけた
自らを悪性としてしまったから?
ここが気になった。それはカチェリーナとのいざこざのことだと思うが?
卑劣だったっけ? >>570
> だけど魂にとって善いと言うのと、肉体にとって善いと言うのは反対だったりする
> 死は肉体的には悪だが魂にとっては肉体から解放される善の方法だったりもする
> 魂を信じるものにとっては、災害によろうが何だろうが死は善にもなる
この部分は非常にわかりづらい。これは余りにも偏頗な思想と感じられる。
どういうことか補足してほしい。 >>574
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない)
キリストのお兄さんは、いったいぜんたい「どういうところが偉いのか?」
キリストの理想とは「なにが美しいのか?」 >>634
ドストエフスキーはそういう風に書いてないがミーチャ自信が自分を悪く言うキャラだからね
ドミトリーはカミュの異邦人の主人公にも通じる
正直であるが故に不幸になった人みたい >>614
> 「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福なのを知らないから、
それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただちに
幸福になる。
> その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばら
しいぼくは突然発見したんです」
> 「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっ
ぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
> すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者に
は、すばらしい。
> もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけ
れど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょう
よ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」
------------------------------------------------------------------------------
ボクも同意するよ。深甚だな。悪霊をあまり愛読してないが、この引用箇所
を平たく簡単に言い換えると
「いっさいムダなことはない。すべてに意味がある。ありのまま」でないか
な? >>637
>ミーチャ自身が自分を悪く言うキャラだからね
そうだねw
> ドミトリーはカミュの異邦人の主人公にも通じる
> 正直であるが故に不幸になった人みたい
異邦人の主人公 ってそうなんだ >>638
引用箇所中もっとも異常もっとも激越に感じられるのは
> > 「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっ
> ぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。
> > すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者に
> は、すばらしい。
の部分と感じられますが、「事実として」残酷極まる現実が日々この世界では起きている。
イヴァンは「この世界を受け入れられない」といったが、キリーロフはちがった。
どちらもドストエフスキーが創造した登場人物だが、彼らは那辺が違うのか? >>639
ムルソーは「不幸」であるとは異なる気がします。
この世の善しか知らない、ヒューマニスト。
>>640
話は幾分逸れますけれど、序でながら『悪霊』主人公スタヴローギンは独自な立ち位置ですよね。
で、ドストエーフスキー自身の最晩年のメッセージを汲み取ると、
「残酷極まる現実があるにもかかわらず、人生全体は肯定しましょうよ」と。
『地下生活者』に始まる「安っぽい幸福<高められた苦悩<高められた幸福」に至る
3段階形式の価値観の発展、人間精神の進化(!)。
では♪ (-^ ^-) >>641
>>>639
>ムルソーは「不幸」であるとは異なる気がします。
>この世の善しか知らない、ヒューマニスト。
この世の善しか知らないとか超ファタンタジー >>640
個人的にはこの続きが面白いんだけど、このキリーロフのすべてはすばらしい、と言うセリフを聞いてスタヴローギンはこう言うんだ
「次に会うとき君は神を信仰しているだろう」
そして面白いのは、スタヴローギンがこれを見事に読み間違えるということ(あのスタヴローギンが!)
その次回再開でキリーロフはこう行き着いちゃう
「神がいないならばぼくが神になるよ、よし証明するから死んでみる」
イワンとキリーロフの違いもこのへんから憶測すればその相違の本質がわかるかもしれない
勝手に推測してみるよ↓ ドストエフスキーはどこかでこう言ってたと思う(たしかカラマーゾフのどこかだったと思うんだけど)
無神論になるか、熱狂的な信仰者になるか、この一歩前は同じところにみんながたどり着くしみんなこれを経験する
つまりすべてよし!存在や起こることの全肯定にまず行き着く
全肯定→じゃあオレ(内側)がすべて→キリーロフ(無神論)
全肯定→じゃあ神(外側)がすべて→ゾシマとかソーニャもかな(有神論)
全肯定も全否定もできず(中間で葛藤)→神はいるがその世界は認めない→イワンとかスタヴローギンも?
と、ぼくは憶測してるんだけどね
どうなんだろうかイマイチ確信まではいかないけど 無関心な人をのぞけば、無神論も有神論もこの世の最大の疑問である神の有無とその世界の是非に真剣に悩み、問題が解決できずに圧倒される
あるとき、悟るというか自分なりに理解するんだろう
で、何がきっかけかは分からないけど(というより、この違いこそが謎でありドストエフスキーの問い)無神論者か有神論者に行き着く
同じところにいたはずなのに展開される結果が真逆になる
何が理由でそうなるのか、ドストエフスキーはそれの思考実験を文学で試してみたのかもしれない何て考えながら自分の場合は読んでる キリストのお兄さんは、いったいぜんたい「どういうところが偉いのか?」
キリストの理想とは「なにが美しいのか?」
----------------------------------------------------------------------------------
前にボクがこう問うたことを敷衍して説明したい。
たしかにまちがいなく、ドストエフスキーやその他いっさいの西欧文化の粋ともいうべき芸術作品は、キリスト教信仰と不可分だ。
しかし、だからといって、キリストの事蹟、キリストの教え、そのものの内容はどうなのか?
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」(キリスト教とは言ってない)
というアリョーシャの信仰は美しく、無数の民衆の深く純真なそれもまた気高い。
気高い理由は、現実の生活を良くするからだ。悪を退け邪な欲望を断念し来世への希望と永遠の正義をたよりにし、今世の人生を修行と捉え、日々の現実の労苦や名状しがたき無力感を耐え忍ぶ。
端的にアレクセイとイヴァンをくらべれば、アレクセイのほうがこの人生を「良く」生きている。
彼はシンプルな信仰生活を送っているからだ。(実は内心において激闘してるのだが)シンプルなとは、教会やゾシマ師や同信の仲間の中にいて孤立していない)
以上をふまえれば当然キリストの教えは素晴らしいのか、と類推される。
しかし、待てよ。と止まって考えてみる。
これらはド氏が描いた文学作品中の姿だ。アリョーシャのいわゆる「キリストの理想」「キリストの教え」そのものをつぶさに考えて批判したことが我々にあるのか? >>641
> で、ドストエーフスキー自身の最晩年のメッセージを汲み取ると、
> 「残酷極まる現実があるにもかかわらず、人生全体は肯定しましょうよ」と。
この文から連想したのは まず第一に
イヴァンが あの「カラマーゾフ的な生活力」について語った(料理屋「都」の
ついたてのある奥で、大審問官を語る前に。)撓められた情熱が詩的に爆発したような あの場面ですね。 >アリョーシャ は ただ みんな とは 正反対 の 道 を 選ん だ だけで、 一
刻 も はやく 偉業 を 成就 し たい という 熱望には 変わり は なかっ た。
青年は皆ことごとく「はやく 偉業 を 成就 し たい と 熱望した」という
のだ。... 考えてみれば そうなのかもしれない。立身出世的な、いわゆ
る上級国民になりたいという願いの隠された奥にも、利他的な純真な希
望があるのかも。「君たちはどう生きるか?」という漫画が流行ってる
らしいが(駅のポスターで見たのだ)青年はみな「どう生きたら?」わ
からない。迷っている。死ぬまで迷うのかも、だが。
理想がなければ、酒やクスリや女、孤立した引きこもりの生活、満たさ
れない何かしかないではないか?小さな自分の殻に閉じこもって、最良
でも子どもや家族のことしか考えられないではないか。
「いや、それこそ人間として正しいのだ」とある人は言う。しかし現実
は、それで安心立命なのか?違うではないか。「みな、自分の持ち物を
隠し合っている」とゾシマが説いた通りである。 > 彼 は 真剣 に 考え ぬい て、 不死 と 神 は 存在 する という 信念
に ふかい 感動 を おぼえる と 同時に ごく 自然 に こう 自分 に 言
い きかせ た。「 不死 の ため に 生き たい、 中途半端 な 妥協 はと
りたくない」それと同様に、 もしも 彼 が 不死 と 神 は 存在 し な
い と 断定 し た なら ば、 ただちに 無神論者 や 社会主義 者 に なっ
た はず で ある
(略)
アリョーシャ には、 これ までの 生き方 は むしろ 奇怪 で 不可能
な こと にさえ 思わ れ た。 聖書 にも、「 もし あなた が 完全 に
なろ う と 思う なら、 すべて を 分かち 与え、 そして わたし に
従っ て き なさい」〔 マタイ による 福音書 第 十 九 章 二 一節〕
と ある では ない か。 そこで アリョーシャ は こう 自分 に 言い
きかせ た。「 おれ は『 すべて』 を 与え ない で 二 ルー ブリ を
与え たり、『 わたし に 従っ て き なさい』 を 実行 し ない で 祈
祷 式 だけに 出る という よう な こと は でき ない」
現代の我が国の青少年は、何に身を投じるのか?
無神論者になるものはいない。(無神論という概念自体が存在しな
い?)社会主義 者も流行らず、その数は少ない。
「自分の一票などで何も変わらない」と無力感にさいなまれている。
本当は、青年というものは「自分の命を投げ出して悔いない」理想
を求めている。 この世界は許しがたい悪もあり、不寛容で、堅苦しく、そうして自分は孤独ではないか?
日本中の友と世界の友と連帯したい。恋もしたい... 自分は女というものをいっさい知らないが。この宇宙のどこかに自分を待っている美しい少女がいるのでないか。 そうして豊かな生活、個人的繁栄も達成したい... しかしそれは二の次だ。
自分はこの世界を良くする布石となりたいのだ。名も知られない種になって、後の世に美しい花をさせたいのだ... 青年というものは こんなふうに考えていると推測する。
聖書の「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし。 」という言葉など知らなくとも無意識で思っているんだ。
『 わたし に 従っ て き なさい』といってくれる存在を探しているんだ!
このことは世界史日本史の尊い歴史を見ればわかることじゃないか? >>646
> アリョーシャ「兄さん、でもキリストがいるじゃないですか」
プロとコントラでイワンが虐殺とか子供の虐待とかの話をした後にいうセリフだよね
アリョーシャの、人間は罪を許し合わなければいけないという考えに対して、そんな世界は難しすぎるし、栄える楽園だってそういう血の上にしか建てられない
「それにそんなのできる人間はいない」というイワンの悪に見える世界への反抗、こてに対してアリョーシャがやっと出たセリフだったはず
「でも一人だけいましたよね…」
で、イワンが始める「大審問官ていう話があるんだけどね………」
記憶に頼っているので抜けているとこもあるけどこんな感じだったともう
はっきりと感想とこの言葉に対する意見が言えないので読み返す必要があるけど、おそらくは、キリストのみがそれを(なんと言えばいいか)っていうアリョーシャの世界感をあらわしているじゃないかな? >>650
>『 わたし に 従っ て き なさい』といってくれる存在 を探しているんだ!
誰に跪拝するかが、人か自分かそれとも神か、それが重要と未成年にあったよ
ふと思い出した 魅力的なキャラクターってやっぱりスタヴローギンだよね
>善悪、すべての偏見から自由になりうるのだが、その自由を手にいれた瞬間、私は破滅する。
カッコイイ そしてキリーロフも同じことを考えてる
> 生きても生きなくても同じになった人が、新人なのです。苦痛と恐怖を征服した人は自ら神となる。
2人とも善悪に乏しい
だからそれはとても危うい このスレだけ唯一ちゃんと議論とかしてるな。
「白痴」なんだけど、なーんか本筋が見えない作品。
白痴の主人公が一番マトモで回りはみんな狂ってるというオチ?
余命いくばくもない青年の告白もなんか安っぽい。
頭おかしい将軍の話は中身無くてイライラ。 >>660
そうだと思う
そのまともだった白痴はまた白痴に戻らなきゃならなくなるほどの世界は悲劇的ってオチ
でもムイシュキンとロゴージンで通夜して白痴に戻るあの瞬間、この瞬間のためにあの長編は読んでるのかもしれないとも思える
確かに、罪と罰とか悪霊とかカラマーゾフが劇的すぎて、白痴はなんか物足りなくなるのはよく分かる
それに会話がながいし(って他もだけど) >>660
自分は別に安っぽいとは思わなかった。
ムイシュキンを偽善家と思っていたのでは? キリスト公爵と言われている割には余命少ない青年にも冷酷なこと言ってるよね >>662
当時の新聞種になった猟奇的殺人事件の被害者にそっくりという話だったよね
「そうだろ、フォン・ゾーン?」
なんて直球なんだと読んだときは笑った イワンはボーイを呼んで、ウハーと茶と桜んぼのジャムを注文した。
「ぼくすっかりおぼえてるよ。僕はお前を、十一の年までおぼえてる。
そのときぼくは十五だったね。十一と十五という年は、兄弟がどうしても友だちになれない時分なんだね。僕はお前が好きだったかどうか、それさえ覚えがないくらいだよ。 「兄さんはそんなにぼくに会いたかったのですか?」
「会いたかったよ。僕は一度しっかり、おまえと近づきになって、
お前に僕という人間を知らせたい、それを土産にして別れたいのだ。
ぼくのかんがえでは、別れの前に近づきになるのがいちばんいいようだ。
ぼくはこの三カ月のあいだおまえがどんなふうにぼくをながめていたか、
ちゃんと見てとったよ、
お前の目の中には何かたえまなき期待、とでもいうようなものがあった。
これがどうにもがまんできないので、そのためにぼくはお前に近寄らなかったのさ。 しかし、終わりごろになって、ぼくもおまえを尊敬する気になった。つまり、
あの小僧しっかりした足つきで立ってるな、というような気持ちなんだ。
略
よしその立場がなんであろうと、またその当人がおまえのような小僧っ子であってもさ......
略
お前もどういうわけか、僕を好いてくれるようだね、アリョーシャ?」 >>665
実在じゃないのか
実在の人物(有力者で売春宿で殺されて醜態をさらした)をそのまま出してるならすごいとおもたけど
日本だとそんな人物いないかな >>669
ネットで実際の事件という歴史は見つからないようだ
フォンゾーンは小説上の架空の人物だろうけど売春宿で殺されるというのはとてもロシアっぽい 「フォーンゾーンとは私のことですか?」
「お前以外に誰がいるというんだね」 >>670
米川訳には当時話題になった事件と書かれてるけど
ちょっともじったりしてるのかな
日本に置き換えると草なぎ剛とかどうだろう
「いいや、貴様がなんと言おうと貴様は草なぎなんだよ!」
あかんか >>674
最近ソープで焼け死んでニュースになったよね
有力者ではないがこの情報社会の時代で名前を晒されるのは不憫でならない
まさに売春宿で死ぬというのは、現代のフォンゾーンと思ってしまった
不謹慎にいうつもりではないです こんなのあるんだ、面白い
正教のクリスマスって2週間後にやるらしいね
ユリウス暦とかグレゴリウス暦とかの関係っぽい
よくはわからないけど 毎晩、罪と罰を聴きながら寝てる
いまも聴いてる
おやすみ 江守徹のコンパクト版に興味あるんだが
買った人いないか 罪よ罰だったらオーディオで最後まで聞くのに何時間くらいかかるの?
寝る前に使ってみようかとおもってる >>681
Febeってとこが日本最大のオーディオブック会社
検索して調べてみなさい オーディオ。ある意味きわめてもったいないことではないか?
オークションでもリアルの本屋でも、米川正夫の全集の罪と罰を精読することを勧めます。
もしあなたが初めて「罪と罰」を読むならば。
種々の困難があろうとも本道を行くべきです。
最初の出会いは「紙媒体」で、しかも三島由紀夫も引用した、そして多くの先輩たちがそれによって
熱病にうなされた米川訳でどうでしょうか?
早く読もうと焦るべきではない。恐ろしくゆっくり読み始めるのだ。まず最初の5行だけ声に出して。
気がついた時はペテルブルグの暗い巷にあなたはいる。 現代のように多忙かつ刺激に満ちた生活の中で、罪と罰やカラマーゾフを拝読することは
困難です。ぼく自身も読めません。しかし深い憧れをもっています。あの焦げ茶色の表紙の
米川が生涯かけて訳文を彫琢した... .... あれをテレビもネットもない暗い四畳半でふとんに横になりながら
読みふける生活を。もしそれを平成最後期の今 やれる人はひとつの奇跡だと思います。
もしこれらの傑作の世界にどっぷり浸って、現世に戻ってきたならば、あなたはもう二度と2ちゃんの
通俗的意見に与することはない。いかなる煽りにも微動だにしなくなる。根源的思考の武器でないか。
この芸術体験は他では代替がきかない。ぼくはそう信じている。それだけの価値はぜったいにある。 ドストエフスキーって性格は完璧な自己愛性人格障害だったみたいだな
作品からプンプン匂いがして目眩がしそう 私田舎住みで刺激無い生活だから読書してる
読書に没頭するという点では田舎はいいかもしれんね
都会からわざわざ行くものではないが 30過ぎないと分からないとか出てたけど早く読んだ方がいい
最初はちょっと我慢がいるが、あとは一気呵成に全部制覇
それからスピノザや古典にいってほしいね キリスト教、とくにロシア正教とプロテスタントの違いや
当時の社会状況が分からないと何歳になっても理解できないよ
ということは門外漢である日本人が無理して読む必要もないわけ
ただ、理解を深めようと思うのなら早めに読んで
すぐに関連書籍に目を通せばいい
もっともそれで理解できるのは作品そのものではなく、
ああいう作品を生み出したロシア文化だろうけど >>689
このくらいの気概を持って読まないとドストエフスキーは楽しめないかもね >>690は言葉を誤った
このくらい気概を持って読んだ方がドストエフスキーは楽しめるかな 日本の翻訳者でさえ完全に理解はしてはいないでしょ。
研究者でもない一般読者に無理な話をされてもね。 理解読解の次元ではだめだろうな。自分の女性(男性)関係と信仰を照らし合わせてみて、どうかというところだと思うよ。 文学を道徳として読みたいなら勝手だが
下手にキリスト教文献読み漁るより、バフチンや山城のを読んだ方が刺激的なドストを楽しめるようになるぞ 知識をなくして経験のみから読みとるのは危ないことである一方で、経験なくして知識のみに頼るのも同じようにおおくの誤謬を招いてしまう
ドストエフスキーは思想が強いために毒にも薬にもなると思う
最善を目指すべきならば、良く理解し良く使用できるように知識も思惑もかたよらないよう揃えなければいけないね
未成年読んでる(まだ途中)と言ったものだけど、カラマーゾフの原型がよく見られる
偶然ではあるけど、5大長編の最後に読むことになってよかったと思う
例えば、マカール老人から主人公アルカージイへ
「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだよ。…」
ゾシマとアリョーシャの関係の元になってるように思える >>696
あくまで最善を目指すならば、だから経験も加えてみた
読書は本来不可侵で自由でなければならないけども、読書に何が必要かを問うのもいいかもしれないね
白状すると自分の読書観は「ショーペンハウエルの読書について」から引用してみた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています