ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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「フォーンゾーンとは私のことですか?」
「お前以外に誰がいるというんだね」 >>670
米川訳には当時話題になった事件と書かれてるけど
ちょっともじったりしてるのかな
日本に置き換えると草なぎ剛とかどうだろう
「いいや、貴様がなんと言おうと貴様は草なぎなんだよ!」
あかんか >>674
最近ソープで焼け死んでニュースになったよね
有力者ではないがこの情報社会の時代で名前を晒されるのは不憫でならない
まさに売春宿で死ぬというのは、現代のフォンゾーンと思ってしまった
不謹慎にいうつもりではないです こんなのあるんだ、面白い
正教のクリスマスって2週間後にやるらしいね
ユリウス暦とかグレゴリウス暦とかの関係っぽい
よくはわからないけど 毎晩、罪と罰を聴きながら寝てる
いまも聴いてる
おやすみ 江守徹のコンパクト版に興味あるんだが
買った人いないか 罪よ罰だったらオーディオで最後まで聞くのに何時間くらいかかるの?
寝る前に使ってみようかとおもってる >>681
Febeってとこが日本最大のオーディオブック会社
検索して調べてみなさい オーディオ。ある意味きわめてもったいないことではないか?
オークションでもリアルの本屋でも、米川正夫の全集の罪と罰を精読することを勧めます。
もしあなたが初めて「罪と罰」を読むならば。
種々の困難があろうとも本道を行くべきです。
最初の出会いは「紙媒体」で、しかも三島由紀夫も引用した、そして多くの先輩たちがそれによって
熱病にうなされた米川訳でどうでしょうか?
早く読もうと焦るべきではない。恐ろしくゆっくり読み始めるのだ。まず最初の5行だけ声に出して。
気がついた時はペテルブルグの暗い巷にあなたはいる。 現代のように多忙かつ刺激に満ちた生活の中で、罪と罰やカラマーゾフを拝読することは
困難です。ぼく自身も読めません。しかし深い憧れをもっています。あの焦げ茶色の表紙の
米川が生涯かけて訳文を彫琢した... .... あれをテレビもネットもない暗い四畳半でふとんに横になりながら
読みふける生活を。もしそれを平成最後期の今 やれる人はひとつの奇跡だと思います。
もしこれらの傑作の世界にどっぷり浸って、現世に戻ってきたならば、あなたはもう二度と2ちゃんの
通俗的意見に与することはない。いかなる煽りにも微動だにしなくなる。根源的思考の武器でないか。
この芸術体験は他では代替がきかない。ぼくはそう信じている。それだけの価値はぜったいにある。 ドストエフスキーって性格は完璧な自己愛性人格障害だったみたいだな
作品からプンプン匂いがして目眩がしそう 私田舎住みで刺激無い生活だから読書してる
読書に没頭するという点では田舎はいいかもしれんね
都会からわざわざ行くものではないが 30過ぎないと分からないとか出てたけど早く読んだ方がいい
最初はちょっと我慢がいるが、あとは一気呵成に全部制覇
それからスピノザや古典にいってほしいね キリスト教、とくにロシア正教とプロテスタントの違いや
当時の社会状況が分からないと何歳になっても理解できないよ
ということは門外漢である日本人が無理して読む必要もないわけ
ただ、理解を深めようと思うのなら早めに読んで
すぐに関連書籍に目を通せばいい
もっともそれで理解できるのは作品そのものではなく、
ああいう作品を生み出したロシア文化だろうけど >>689
このくらいの気概を持って読まないとドストエフスキーは楽しめないかもね >>690は言葉を誤った
このくらい気概を持って読んだ方がドストエフスキーは楽しめるかな 日本の翻訳者でさえ完全に理解はしてはいないでしょ。
研究者でもない一般読者に無理な話をされてもね。 理解読解の次元ではだめだろうな。自分の女性(男性)関係と信仰を照らし合わせてみて、どうかというところだと思うよ。 文学を道徳として読みたいなら勝手だが
下手にキリスト教文献読み漁るより、バフチンや山城のを読んだ方が刺激的なドストを楽しめるようになるぞ 知識をなくして経験のみから読みとるのは危ないことである一方で、経験なくして知識のみに頼るのも同じようにおおくの誤謬を招いてしまう
ドストエフスキーは思想が強いために毒にも薬にもなると思う
最善を目指すべきならば、良く理解し良く使用できるように知識も思惑もかたよらないよう揃えなければいけないね
未成年読んでる(まだ途中)と言ったものだけど、カラマーゾフの原型がよく見られる
偶然ではあるけど、5大長編の最後に読むことになってよかったと思う
例えば、マカール老人から主人公アルカージイへ
「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだよ。…」
ゾシマとアリョーシャの関係の元になってるように思える >>696
あくまで最善を目指すならば、だから経験も加えてみた
読書は本来不可侵で自由でなければならないけども、読書に何が必要かを問うのもいいかもしれないね
白状すると自分の読書観は「ショーペンハウエルの読書について」から引用してみた 本を読む本、という本が文庫であるから読んでみ
好きな様に読むのが1番だよ ドストエフスキーの思想とか社会時代背景とか宗教論ロシア正教がとかあんま気にならんけどな
それより、唯一無二の熱気というか各々が語り出したら止まらない分裂病夢遊病者のような迫力っしょ カラマーゾフの最初の方を2ページ半ほど読めた。うれしい >>701
>ドストエフスキーの思想とか社会時代背景とか
>宗教論ロシア正教がとかあんま気にならんけどな
主人公の名前が分離派(ラスコーリニキ)を暗示する
ラスコーリニコフ(引き裂かれたもの)だからね
文字通り分裂症的な気質の持ち主が犯罪を犯して
(西欧によって)汚れたロシアの大地の隠喩である
聖娼婦に屈服して更生の道を歩むというお話
あるいみロシア正教をベースとする
スラブ主義的な勧善懲悪譚なのだともいえるのだけど
ドスト氏自身の気質と執筆当時の精神状態が色濃く投影されているせいか
作品のトーンは滅茶苦茶です 違う世界のことに思いをはせるとき、違う世界は体験できないから
そうおもったんだよね。 ドストの解釈って大正・昭和時代からなんら変わって無いね
どの論文見ても昔と一緒 そなんかなあ?
カラマーゾフ第2の小説を貴重な著作として読む見方は日本の社会思想史上の出来事としては基本の立ち位置として新しかったと受けとめているわ自分。
小林秀雄は真の芸術的天才の力を甘く見縊っていると思った、勿論良い意味でね。
ああ、ワーニカはピーテルへ行っちゃった私は彼を待ったりしない。
では皆さま、良いお年を! またまた、おめでとうございます。
死ねーですー
文学いたの看板すれまでも荒砂よ〜((o(^∇^)o))
つか
ころすぞ!
(*ノ▽ノ) 罪と罰は人間の限界というより遅れある文明の所産だよ。
カラマーゾフの兄弟を勧める。 まんこ太郎の罪と罰と読み比べしないとドストエフスキーを理解したことにはならんな >>706
いや、バフチン以降決定的に変わったでしょ
人生論的な読み方は事実上死滅した また手垢のついたポリフォニー云々かよ、古臭いぜ。うんざりだ。
>>712 「人生論的な読み方」って何だよ? 敷衍してくれ頼む!
ところで利根川にしてもアインシュタイン等々にしても
ノーベル賞受賞者は文学賞に限らずドストエーフスキーを精読、高く評価しているね。 ミウーソフ は こういう『 紋切り型』 に さっと ひと わたり 目 を 通し てから、 じっと 執拗
な 凝視 を 長老 に 投げ た。
彼 は 自分 の観察眼 を 尊重 する 弱点 を 持っ て い た。 もっとも、 これ は 彼 の 五十 という
年齢 を 勘定 に 入れれ ば、 たいてい 許す こと の できる 欠点 で ある。 実際、 この 年配 に
なる と、 賢い、 世慣れ た、 生活 に 不自由 を し ない 人 は、 誰 でも だんだん 自分をうや
まう よう に なるのである。ときとすると無意識に、そうなることもある。
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ぼくはずっとカラマゾフ冒頭部分にとどまっている。ぜんぜん先へ進まん。
上に引用したのは初めて長老が登場する場面だ。今手元にある自分の書籍には、10代の自分の
手によって、この箇所に赤鉛筆で四角く囲ってある。
「50になると こうなるんだなぁ」と思ったものだ。そうしていつのまにか この50という年
になった。
今の自分を考える。そうだ... おれは賢い。そして世慣れたといえば世なれている。そして暮ら
しにも不自由してるとはいえない。だから自分では思ってもみたことこともないが、
「自分 の観察眼 を 尊重」してしまい、このミウーソフのごとくになっているのか。 つまり「相手の偉大さ」自分なぞ計ることもできないゾシマの偉大さ・本物の聖人たるに、
『どの 点 から 見 ても、 意地悪 で、 高慢ちき な 老爺 だ!』と初見で断ずる。
もちろん少年とてそうなる場合もあろう。その場合若くとも心は50であるといえまいか。
そもそも他人に敬意をもって接するというのは、「表面の言動」「顔」はもとより「他のいかなる属性」とも関係ないのではないか。
誰かが引用してくれた「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだ... 」
この文に強い印象を受けて次の作文をのべた。
「このひとはすばらしい。コイツはだめだ。」ところがわれわれには絶対にそれを知ることができない。なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。 >>716
>「このひとはすばらしい。コイツはだめだ。」ところがわれわれには絶対にそれを知ることができない。なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
この、なぜなら、はイイね ドストエフ好きーのみなさんは他はどんな作家が好きなの? トルストイ、シェイクスピア、スウィフトかな
ドストエフスキーにもよく出てくる
それでは良いお年を! >>716
>なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
それはトルストイの考えでは? >>722
> >なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
>
> それはトルストイの考えでは?
あけおめ。トルストイの考えにちかいものがあるのw? ちょっとしか読んだことないからわからない。
これは自分としては「不軽菩薩」を念頭に置いて書きました。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」
未成年にあるという「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだ... 」
この文はほんとうにそのとおりだと生命に響きました。(未成年も読んだことありません) あけましておめでとう!
正月で読む時間がとれていい
何買っとこうかな >>720
カール・マルクス。生誕200年あけおめ
ドストエフ好きーなら何でも読める。 >>662
未成年でもフォンゾンの話が出てくる
(1869年末モスクワの魔窟で官史フォン・ゾンが殺害され、箱詰めにして貨車で送られた事件)
史実っぽいニュアンスだし、そうでなかったとしても、何度も書き記すくらいだからドストエフスキーにとってこの事件は何か意味を含ませているいるように思える 多分そういう人物を嫌いな人間に意味もなくぶつけると面白いだけじゃないかな ワルだった時の若きゾシマならフェラポントと互角に戦える 未成年終わった
他にくらべて宗教色が薄くて読みやすい小説で、これはこれでとても楽しめた
いくつかあるけど印象に残った言葉と疑問がある
1つは未成年ならではのどこか青々しい人生への賛美、主人公アルカージイ
「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」 もう一つはマカール老人の言葉
これはドストエフスキー自身のことをいっているじゃないだろうか?
いわゆる、初期の社会主義に傾倒して死刑宣告される前のドストエフスキー自身のことを言っている
「ほんとうの無神論者といえる連中もいる。だがそれがもっともっと恐ろしいのだよ、というのはそういう連中はしょっちゅう神の名を口にするからだよ。…そういうのがいるんだよ、うん、きっといるはずだと、わしはおもうな。」
なにしろ評判より物語がスムーズで、思っていたより面白く読めたがやっぱり彼の本は疲れるw
ちょっと読書は休憩しよう、ではー オーディオブック
上中下とすべ揃ったけど24時間以上あるから通しては聴けないな 「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」
ああ!美しい言葉だなぁ。おまえの引用はいつもすばらしいなぁ!!
おまえに負けたくねぇ。おまえは最強のライバルだ。もっと美しい引用文を持ってくるからな!! >>733
聴き終わるのに結構かかりそう
でも上中下そろってるなら買おうかな トルストイよりドストエフスキーのほうが早く生まれてるのな 今夜も おれたちのゾシマアニキの教えを聴こう!
なんとなれば そこには真に重要なことが書かれているからだ
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「今日 わし は 珍しく 気分 が よい が、 しかし それ は ほんの ちょっとの
間じゃ、 それ は わし にも よう わかっ て おり ます じゃ。 今わし は自分
の 病気 を 間違い なし に 見抜い て おり ます でな。あなた は わし が たい
へん 楽し そう な 顔 を し て おる と 言わ れ た が、 そのようなことを言う
てくださるほど、 わし にとって 嬉しい こと は あり ませ ん わい。
なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
て、 本当に 仕合わせ な 人 は、『おれは この世 で 神 の 掟を 果たし た』
という 資格 が ある の じゃ。 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべ
て の 殉教者 は、 みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
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全然関係ないが 青空の入力者校正者のかた、種々の困難はあるでしょうが、
米川訳のカラマゾフの公開を急いでください。
手入力で打ち込んでいます。 ゾシマ長老の「〜ですからの。」って喋り方はリアルで聞いたら落ち着く感じなんだろうね >>740
まず写真とって文字をとりこんでな
それを文書に返還するソフトを使う >>740
>なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
人間は幸福の追求を目的として生きている。これを抱いて書いた文豪は多い
トルストイもそうだし、哲学でいえばアリストテレスなんかも有名だし
でもただ幸福といわれても、その定義と本質またはその属性などが文豪によって違う
ドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうか
少なくとも彼のいう幸福の属性は信仰または祈りに違いないと自分は思うけど、その先が難しい まず地上の幸福と天上の幸福も違うし、自分の幸福と人間の幸福も違う
そもそも幸福を求める段階で幸福ではない状態でなければならない
なぜなら求めることは欠けていることを補うということだから
そうだとすれば、現状で幸福な者の幸福とは何なのか
わからないことだらけにハマりそうなので、まずはドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうかな? 81人の殺人で有罪となれば、「チェスボード・キラー(chessboard killer)」こと
アレクサンダー・ピチュシキン(Alexander Pichushkin)被告が殺害した48人や、
旧ソ連時代の最も残忍な殺人犯アンドレイ・チカチーロ(Andrei Chikatilo)が殺害した52人を上回ることになる。
ロシアの元警察官、新たな殺人自供 犠牲者80人超か
2018年1月11日 9:21 発信地:モスクワ/ロシア
http://www.afpbb.com/articles/-/3158078 ドストエフスキーって有名な作家なんですか?
ノーベル賞とか取ってるんですか?? やはり中学んときからドストエフスキーを読ませないと
今のゆとり教育では
ネットを利用したシリアルキラーの餌食になる少女達がまた発生する 「ちょッ、あわてるな!」
罪と罰のポルフィーリィのセリフ カラマーゾフを読んだとき、有名な大審問官はよくわからなくてその後のぞしま長老の若いころの話が面白かった想い出 >>743
> まず写真とって文字をとりこんでな
> それを文書に返還するソフトを使う
いつもありがとうございます。今から半年前かもっと以前か。同じようなグチを書いて
同じこと教えてもらった。
その時即座に試したのです。おかげでいろいろなワザを覚えることができました。「Online OCR」の技ですねw
しかし、詳しくは省くが、手作業による修正が多すぎて実用的でなかった。これからもよろしくお願いします >>744
いつも真正面から「幸福とはなんぞや?」と根源的な問題を書いて下さり感激してます。
しかし、レスをつけるのが難しく、はたと考えこんでしまった。 自分が引用した文を読み返したとき今回注目したのは、すなわち
「 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべて の 殉教者 は、
みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
の部分です。
この文の主語は「 正直な人」「 聖徒」「 殉教者」ですが、これらの共通点として
「 正直な人」であれば、ウソをつかないがゆえに損をする。太陽を覆い隠すほどの
誹謗中傷の弓矢を受ける。
「 聖徒」は信仰のゆえに、自分を捨てて、自分一個を無きものとして、聖人につき従う。
(イメージです。キリスト教のそれがどういうものかよく知りませんw)
「 殉教者」は権力者の迫害に命を奉る。
この三者の動機はすべて共通で『おれは この世 で 神 の 掟を 果たす』という誓いです。
しかしそもそも、この誓いは「どこから」来たのか? われわれ個人が力んだりふんばったりしたからといって出てくるものでしょうか? またこういう問題もある。
「正直」で損をし、「 聖徒」として娑婆のもろもろの夢と希望を断念し、「 殉教者」としていのちを捨てる。
ふつう世俗の意味ではぜんぜん幸福ではない。 >>753
おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」 つまり神によっての正しさと、人間によって正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない
そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから
ドストエフスキーはこう言った
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 「正義が勝つ」というか「非犯罪者が勝つ」という理をおしたいように思えるけど
キリストの神は悪を犯すものを同時に作っていて罪人(刑法を犯した者)を許せと言ってる
同性愛を禁じると同時に同性愛者自体も神が作ったものとしなくてはいけない
なぜならそれが実際に存在するし真実であるから
シリアルキラーも同じように、その性質すらも神が生み出したと解釈せざるをえない
昔の日本人がザビエルに問うた「神が正義なら何故この世界に悪を生み出してるのか?」
神義論的難問が常にある この世のすべての人は イエスキリストの表れである。
イエスキリスト愛すように貧しい人に接しなさい。 >>760
そうだね、それがドストエフスキーの根本かもしれない
悪を禁止するとともにその悪もまた在る
殺人を禁止するならば殺人者がまず必要となるために
もし正義は報われなければいけないとするならば、ドストエフスキーよりトルストイ好きになるのだろう
ドストエフスキーの結末はだいたい悲劇に終わるからね 殺す主体にあるわけじゃないから 死ぬ客隊にも縁遠く その時間捉えられた人類は数少ないだろう。 とらわれる とらえる ことのないものが時空間だから、確かに難しい表現だ。
客体≒客観の意 以下。 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています