ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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ドストエフスキーの思想とか社会時代背景とか宗教論ロシア正教がとかあんま気にならんけどな
それより、唯一無二の熱気というか各々が語り出したら止まらない分裂病夢遊病者のような迫力っしょ カラマーゾフの最初の方を2ページ半ほど読めた。うれしい >>701
>ドストエフスキーの思想とか社会時代背景とか
>宗教論ロシア正教がとかあんま気にならんけどな
主人公の名前が分離派(ラスコーリニキ)を暗示する
ラスコーリニコフ(引き裂かれたもの)だからね
文字通り分裂症的な気質の持ち主が犯罪を犯して
(西欧によって)汚れたロシアの大地の隠喩である
聖娼婦に屈服して更生の道を歩むというお話
あるいみロシア正教をベースとする
スラブ主義的な勧善懲悪譚なのだともいえるのだけど
ドスト氏自身の気質と執筆当時の精神状態が色濃く投影されているせいか
作品のトーンは滅茶苦茶です 違う世界のことに思いをはせるとき、違う世界は体験できないから
そうおもったんだよね。 ドストの解釈って大正・昭和時代からなんら変わって無いね
どの論文見ても昔と一緒 そなんかなあ?
カラマーゾフ第2の小説を貴重な著作として読む見方は日本の社会思想史上の出来事としては基本の立ち位置として新しかったと受けとめているわ自分。
小林秀雄は真の芸術的天才の力を甘く見縊っていると思った、勿論良い意味でね。
ああ、ワーニカはピーテルへ行っちゃった私は彼を待ったりしない。
では皆さま、良いお年を! またまた、おめでとうございます。
死ねーですー
文学いたの看板すれまでも荒砂よ〜((o(^∇^)o))
つか
ころすぞ!
(*ノ▽ノ) 罪と罰は人間の限界というより遅れある文明の所産だよ。
カラマーゾフの兄弟を勧める。 まんこ太郎の罪と罰と読み比べしないとドストエフスキーを理解したことにはならんな >>706
いや、バフチン以降決定的に変わったでしょ
人生論的な読み方は事実上死滅した また手垢のついたポリフォニー云々かよ、古臭いぜ。うんざりだ。
>>712 「人生論的な読み方」って何だよ? 敷衍してくれ頼む!
ところで利根川にしてもアインシュタイン等々にしても
ノーベル賞受賞者は文学賞に限らずドストエーフスキーを精読、高く評価しているね。 ミウーソフ は こういう『 紋切り型』 に さっと ひと わたり 目 を 通し てから、 じっと 執拗
な 凝視 を 長老 に 投げ た。
彼 は 自分 の観察眼 を 尊重 する 弱点 を 持っ て い た。 もっとも、 これ は 彼 の 五十 という
年齢 を 勘定 に 入れれ ば、 たいてい 許す こと の できる 欠点 で ある。 実際、 この 年配 に
なる と、 賢い、 世慣れ た、 生活 に 不自由 を し ない 人 は、 誰 でも だんだん 自分をうや
まう よう に なるのである。ときとすると無意識に、そうなることもある。
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ぼくはずっとカラマゾフ冒頭部分にとどまっている。ぜんぜん先へ進まん。
上に引用したのは初めて長老が登場する場面だ。今手元にある自分の書籍には、10代の自分の
手によって、この箇所に赤鉛筆で四角く囲ってある。
「50になると こうなるんだなぁ」と思ったものだ。そうしていつのまにか この50という年
になった。
今の自分を考える。そうだ... おれは賢い。そして世慣れたといえば世なれている。そして暮ら
しにも不自由してるとはいえない。だから自分では思ってもみたことこともないが、
「自分 の観察眼 を 尊重」してしまい、このミウーソフのごとくになっているのか。 つまり「相手の偉大さ」自分なぞ計ることもできないゾシマの偉大さ・本物の聖人たるに、
『どの 点 から 見 ても、 意地悪 で、 高慢ちき な 老爺 だ!』と初見で断ずる。
もちろん少年とてそうなる場合もあろう。その場合若くとも心は50であるといえまいか。
そもそも他人に敬意をもって接するというのは、「表面の言動」「顔」はもとより「他のいかなる属性」とも関係ないのではないか。
誰かが引用してくれた「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだ... 」
この文に強い印象を受けて次の作文をのべた。
「このひとはすばらしい。コイツはだめだ。」ところがわれわれには絶対にそれを知ることができない。なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。 >>716
>「このひとはすばらしい。コイツはだめだ。」ところがわれわれには絶対にそれを知ることができない。なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
この、なぜなら、はイイね ドストエフ好きーのみなさんは他はどんな作家が好きなの? トルストイ、シェイクスピア、スウィフトかな
ドストエフスキーにもよく出てくる
それでは良いお年を! >>716
>なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
それはトルストイの考えでは? >>722
> >なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
>
> それはトルストイの考えでは?
あけおめ。トルストイの考えにちかいものがあるのw? ちょっとしか読んだことないからわからない。
これは自分としては「不軽菩薩」を念頭に置いて書きました。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」
未成年にあるという「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだ... 」
この文はほんとうにそのとおりだと生命に響きました。(未成年も読んだことありません) あけましておめでとう!
正月で読む時間がとれていい
何買っとこうかな >>720
カール・マルクス。生誕200年あけおめ
ドストエフ好きーなら何でも読める。 >>662
未成年でもフォンゾンの話が出てくる
(1869年末モスクワの魔窟で官史フォン・ゾンが殺害され、箱詰めにして貨車で送られた事件)
史実っぽいニュアンスだし、そうでなかったとしても、何度も書き記すくらいだからドストエフスキーにとってこの事件は何か意味を含ませているいるように思える 多分そういう人物を嫌いな人間に意味もなくぶつけると面白いだけじゃないかな ワルだった時の若きゾシマならフェラポントと互角に戦える 未成年終わった
他にくらべて宗教色が薄くて読みやすい小説で、これはこれでとても楽しめた
いくつかあるけど印象に残った言葉と疑問がある
1つは未成年ならではのどこか青々しい人生への賛美、主人公アルカージイ
「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」 もう一つはマカール老人の言葉
これはドストエフスキー自身のことをいっているじゃないだろうか?
いわゆる、初期の社会主義に傾倒して死刑宣告される前のドストエフスキー自身のことを言っている
「ほんとうの無神論者といえる連中もいる。だがそれがもっともっと恐ろしいのだよ、というのはそういう連中はしょっちゅう神の名を口にするからだよ。…そういうのがいるんだよ、うん、きっといるはずだと、わしはおもうな。」
なにしろ評判より物語がスムーズで、思っていたより面白く読めたがやっぱり彼の本は疲れるw
ちょっと読書は休憩しよう、ではー オーディオブック
上中下とすべ揃ったけど24時間以上あるから通しては聴けないな 「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」
ああ!美しい言葉だなぁ。おまえの引用はいつもすばらしいなぁ!!
おまえに負けたくねぇ。おまえは最強のライバルだ。もっと美しい引用文を持ってくるからな!! >>733
聴き終わるのに結構かかりそう
でも上中下そろってるなら買おうかな トルストイよりドストエフスキーのほうが早く生まれてるのな 今夜も おれたちのゾシマアニキの教えを聴こう!
なんとなれば そこには真に重要なことが書かれているからだ
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「今日 わし は 珍しく 気分 が よい が、 しかし それ は ほんの ちょっとの
間じゃ、 それ は わし にも よう わかっ て おり ます じゃ。 今わし は自分
の 病気 を 間違い なし に 見抜い て おり ます でな。あなた は わし が たい
へん 楽し そう な 顔 を し て おる と 言わ れ た が、 そのようなことを言う
てくださるほど、 わし にとって 嬉しい こと は あり ませ ん わい。
なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
て、 本当に 仕合わせ な 人 は、『おれは この世 で 神 の 掟を 果たし た』
という 資格 が ある の じゃ。 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべ
て の 殉教者 は、 みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
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全然関係ないが 青空の入力者校正者のかた、種々の困難はあるでしょうが、
米川訳のカラマゾフの公開を急いでください。
手入力で打ち込んでいます。 ゾシマ長老の「〜ですからの。」って喋り方はリアルで聞いたら落ち着く感じなんだろうね >>740
まず写真とって文字をとりこんでな
それを文書に返還するソフトを使う >>740
>なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
人間は幸福の追求を目的として生きている。これを抱いて書いた文豪は多い
トルストイもそうだし、哲学でいえばアリストテレスなんかも有名だし
でもただ幸福といわれても、その定義と本質またはその属性などが文豪によって違う
ドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうか
少なくとも彼のいう幸福の属性は信仰または祈りに違いないと自分は思うけど、その先が難しい まず地上の幸福と天上の幸福も違うし、自分の幸福と人間の幸福も違う
そもそも幸福を求める段階で幸福ではない状態でなければならない
なぜなら求めることは欠けていることを補うということだから
そうだとすれば、現状で幸福な者の幸福とは何なのか
わからないことだらけにハマりそうなので、まずはドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうかな? 81人の殺人で有罪となれば、「チェスボード・キラー(chessboard killer)」こと
アレクサンダー・ピチュシキン(Alexander Pichushkin)被告が殺害した48人や、
旧ソ連時代の最も残忍な殺人犯アンドレイ・チカチーロ(Andrei Chikatilo)が殺害した52人を上回ることになる。
ロシアの元警察官、新たな殺人自供 犠牲者80人超か
2018年1月11日 9:21 発信地:モスクワ/ロシア
http://www.afpbb.com/articles/-/3158078 ドストエフスキーって有名な作家なんですか?
ノーベル賞とか取ってるんですか?? やはり中学んときからドストエフスキーを読ませないと
今のゆとり教育では
ネットを利用したシリアルキラーの餌食になる少女達がまた発生する 「ちょッ、あわてるな!」
罪と罰のポルフィーリィのセリフ カラマーゾフを読んだとき、有名な大審問官はよくわからなくてその後のぞしま長老の若いころの話が面白かった想い出 >>743
> まず写真とって文字をとりこんでな
> それを文書に返還するソフトを使う
いつもありがとうございます。今から半年前かもっと以前か。同じようなグチを書いて
同じこと教えてもらった。
その時即座に試したのです。おかげでいろいろなワザを覚えることができました。「Online OCR」の技ですねw
しかし、詳しくは省くが、手作業による修正が多すぎて実用的でなかった。これからもよろしくお願いします >>744
いつも真正面から「幸福とはなんぞや?」と根源的な問題を書いて下さり感激してます。
しかし、レスをつけるのが難しく、はたと考えこんでしまった。 自分が引用した文を読み返したとき今回注目したのは、すなわち
「 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべて の 殉教者 は、
みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
の部分です。
この文の主語は「 正直な人」「 聖徒」「 殉教者」ですが、これらの共通点として
「 正直な人」であれば、ウソをつかないがゆえに損をする。太陽を覆い隠すほどの
誹謗中傷の弓矢を受ける。
「 聖徒」は信仰のゆえに、自分を捨てて、自分一個を無きものとして、聖人につき従う。
(イメージです。キリスト教のそれがどういうものかよく知りませんw)
「 殉教者」は権力者の迫害に命を奉る。
この三者の動機はすべて共通で『おれは この世 で 神 の 掟を 果たす』という誓いです。
しかしそもそも、この誓いは「どこから」来たのか? われわれ個人が力んだりふんばったりしたからといって出てくるものでしょうか? またこういう問題もある。
「正直」で損をし、「 聖徒」として娑婆のもろもろの夢と希望を断念し、「 殉教者」としていのちを捨てる。
ふつう世俗の意味ではぜんぜん幸福ではない。 >>753
おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」 つまり神によっての正しさと、人間によって正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない
そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから
ドストエフスキーはこう言った
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 「正義が勝つ」というか「非犯罪者が勝つ」という理をおしたいように思えるけど
キリストの神は悪を犯すものを同時に作っていて罪人(刑法を犯した者)を許せと言ってる
同性愛を禁じると同時に同性愛者自体も神が作ったものとしなくてはいけない
なぜならそれが実際に存在するし真実であるから
シリアルキラーも同じように、その性質すらも神が生み出したと解釈せざるをえない
昔の日本人がザビエルに問うた「神が正義なら何故この世界に悪を生み出してるのか?」
神義論的難問が常にある この世のすべての人は イエスキリストの表れである。
イエスキリスト愛すように貧しい人に接しなさい。 >>760
そうだね、それがドストエフスキーの根本かもしれない
悪を禁止するとともにその悪もまた在る
殺人を禁止するならば殺人者がまず必要となるために
もし正義は報われなければいけないとするならば、ドストエフスキーよりトルストイ好きになるのだろう
ドストエフスキーの結末はだいたい悲劇に終わるからね 殺す主体にあるわけじゃないから 死ぬ客隊にも縁遠く その時間捉えられた人類は数少ないだろう。 とらわれる とらえる ことのないものが時空間だから、確かに難しい表現だ。
客体≒客観の意 以下。 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である てめーは ちんぽこ おっ勃てて無駄な射精でもしてろよ 射精はしたことないけど夢精はあるぞ。返す片名に性・身体知的精神障碍者差別者が多い。
全人口の100が障碍者だ。害さん。 マッチョなフェラポント神父も
「どうせわしが死んだところで…」みたいなことを言う マッシオの間違いじゃないか?死は速すぎて経験できないだろうな。ジェンケレービチと
哲学していないと。 >>770
>悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である
ドストエフスキーから?それとも聖書かな?
この指し示す考え方はとてもいい、が、問題は別問題であってそれは実践を自分が成せるかどうかだけど >>747
> ドストエフスキーって有名な作家なんですか?
> ノーベル賞とか取ってるんですか??
ドストエフスキーは世界的に有名な作家というよりも西洋の古典です。19世紀でたいして
古くないが、それにもかかわらず、ダンテ シェークスピア ゲーテ トルストイ などと同じく
文学作品という形式で、人類に不滅の寄与をなした。(すいません、変な文しか書けなくて。ひじょうにコンディション悪く)
ことにわれわれ日本人と縁が深く、なかんずく「私」にとって唯一無二です。
ぼくは16歳で世界文学に目覚めました。今も思い出す、ある図書館の暗い書棚の横で。
最初に読んだのは(記憶違いかもだが)ゲーテのファウストの第一部だった。
つぎがダンテの神曲の地獄編だった。そして三番目に手にしたのがドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟。
今ふりかえっても何もわからないボーズが読むのに「なんちゅー趣味や!」と嘆息するほどの、登山で言えばいきなりエベレストから始めるようなものか。
このような選択ができたのも、明治大正昭和の、文学好きな、有名無名の先輩読書人たちが
いたからこそと、推察します。
先にあげた「ダンテ シェークスピア ゲーテ ... ... につづく第六番目の大詩人大作家になるんだ!」と夜ふとんの中で夢想した。(その夢想は早くもハタチ前には消えました。はえーなw ) ぼくは論理的なことは書けないのだけれども ふと思いついたんだけども
あの少年時代 たくさん文学 読書してたころ、いまでいういわゆる「承認欲求」などというものは無かった。ただ、知らない外国の 知らない時代の 偉大なあるいは卑猥な
未知の信仰と 未知の習俗と 大人のまたは青年の 思考と感情とふるまいをのぞき
登場人物たちとのみ 対話してた。ぼくがたくさん読書してることなど だれも知らなかった。
それがいま、あれから何十年という時がたち、インターネットによって こうして第三者に
自分の読書体験について語れるし、批評も受けて、また他人が、ぼく以外の読書愛好家が
「なにを感じたか」知れることは なんたることか?
一見してぜんぜん繋がっていないように思える 技術革新と文学はじつは直結していた
飛躍しますが、「閉じていて」相互に関係ないと思われる世界、たとえばキリスト教と仏教
ロシアと日本なども、実は完全に「ひとつ」なのではあるまいか? 「四 信仰の薄い貴婦人」より
... ねぇ、 わたくし は よく 目 を つぶっ て、 こんな こと を 考える ので ござい ます―― もし すべて の 人 が 信仰 を 持っ て いるとしたら、 どこ から それ を 得 た の でしょ う?
ある 人 の 説によりますと、 すべてかういうことは、 初め 自然界 の 恐ろしい 現象 に対する 恐怖 の 念 から 起こっ た もの で、 神だの来世だのというものはないのだそう で ござい ます。
ところで、 わたくし の考えますに、こうして一生涯 信じ 通し ても、 死ん で しまえ ば 急 に 何もかも なくなっ て しまっ て、 ある 小説家 の 言っているように、『 ただ 墓 の 上 に 山牛蒡 が 生える ばかり』 で あっ たら、 まあ どう で ござい ましょ う。 それ は 恐ろしい こと で ござい ます! 本当に どう し たら 信仰 を 呼び戻す こと
が でき ましょ う かしら? もっとも、 わたくし が 信じ て おり まし た のは、
ほんの 小さい 子供 の ときばかりで、 それ も なん の 考えなしに 機械的 に 信じ て
い た のでございます……
どう し たら、 本当に どう し たら この こと が 証明 でき ましょ う か、 今日 わたく
し は あなた の お前 に ひれ伏し て、 この こと を お尋ね しよ う と 存じ て、 お 邪魔
に あがっ た ので ござい ます。 だって、 もし この 機 を のがし まし た なら、 生涯
わたくし の 問い に 答え て くれる 人 は ござい ませ ん もの。
どう し たら 証明 が でき ましょ う か、 どう し たら 信念 が 得 られ ましょ う か?
ほんとに わたくし は 不仕合せなの で ござい ます。
じっと 立っ て ぐるり を 眺め まし ても、 みんな たいてい どうでもいいような 顔 を し て い ます、 今の世の中に 誰 ひとり 、そんな ことを気にかける 人 は あり ませ ん。
それなのに、 わたくし ひとりだけ、 それ が たまらないので ござい ます。 本当に それ は 死ぬ ほど つろ う ござい ます、 死ぬ ほど!」 >>757
> つまり神によっての正しさと、人間にとっての正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない
究極的に、神の正しさと人間にとっての正しさは一致するものと思います。神の目的は
人間として至極あたりまえの 凡庸な「よい行為」を選択せしめること、その目的は幸福と理解します。
> そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
> なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから
地上的な幸福と一種天上的な絶対的な幸福は、相補的でなければならない。もしそうでなけば、偽善と観念論におちいりはしまいか?
フェラポントは「眠るときも膝をついたまま」であった。パンと水しか食さなかった。
ゾシマはイチゴジャムに舌鼓をうった。たとえゾシマといえども オマンマを食べずには生きられない。
> ドストエフスキーはこう言った
> 「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」
力強い、真実の言葉です。 昭和期に流行った世界文学全集の類
買った人のうちどれくらいの人が読んだのか怪しいものだが
ああいうのが流行ったおかげで今メルカリで安く買える >>770
> 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である
力強いが しかし意味がわからない >>781
>究極的に、神の正しさと人間にとっての正しさは一致するものと思います。
>地上的な幸福と一種天上的な絶対的な幸福は、相補的でなければならない。
ならばこう言い換えられるしこの方がしっくりくるので前言訂正するよ
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」ではなくて、
「人生の存在意義は虚妄であり、しかも、永遠である。」 >>783
そうだったんだ、やはり惹かれるし意味がつよい言葉をよく思いつくよね文豪は
> 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である >>786
> ならばこう言い換えられるしこの方がしっくりくるので前言訂正するよ
> 「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」ではなくて、
> 「人生の存在意義は虚妄であり、しかも、永遠である。」
待ってくれ。それはドストエフスキーの言葉じゃなかったの? どうあっても そこは
変えちゃダメだ!
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」に決まっている!!
いっさいぼくに合わす必要などない。ぼくもそうしてる。心から同意できるときだけ「そうだね」といっておくれ。 >>788
その方が合理的だしこれからは原則そうしよう、まーでも読んでみて与った思考は自由だかから改変もいいじゃない時にはね それにあながち間違いではないよ、君がそういったのも
死後の世界があるとすれば、生前の世界は無関係ではなくて相互されていなければならない
補助作用でもいい
ドストエフスキーもそう考えていただろうし(ゾシマ思想とか)、キリスト教もそういう立場の一面はあると言っても間違いにはならないだろうし 死後の世界とかオカルトじゃん聖書はトンデモ本だな訳わからない事考えるより真面目に生きた方がずっといいわ >>791
死後の世界は国や宗教ごとによって違うからな
生前のその人間の死後の世界のイメージが実際の死後に影響するのかもしれん
オカルト的ではあるが イメージというか捉え方か
あるんじゃないかと考えてる人もいるだろうし逆にそんなものは無いって立場の人もいるし /ヾ ;; ::≡=-_ ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
/::ヾ ~~~ \
|.::::::| 法華講破門 |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-| ━━┓┃┃
/ヽ ──| <◎> | ̄|<・> | ┃ ━━━━━━
ヽ < \_/ ヽ_/|. ┃ ┃┃┃
ヽ| /( )\ ヽ 。 ┛
| ( `,,' ≦三三
| ヽ \_/ゝ'゜ ≦三三 ゜。 ゜マハーロ、バカヤロー、キンマンコ!!
ヽ ヽ \ ≧ 三三==-
\_\__-ァ, ≧=- 憚りながら、戒名貰って密葬したい・・・ヒデブッ!! でも文学とは形而上的でいいと思うけどね
唯物的なものは現実から、概念的なものは文学からとらえてバランスよくって感じで
死後の世界を巡らない神曲や亡霊の出てこないハムレット、永遠の魂を奪わないファウストなんて何を汲み取れるというのか
ドストエフスキー好きで(そう仮定するとだけど)唯物論の無神論者だったら、帰って危ないよw
キリーロフでも目指すのは悲劇だ >>795
>ここはフォン・ゾンばっかか
これ使おうとおもってて先をこされたw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています