ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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トルストイ、シェイクスピア、スウィフトかな
ドストエフスキーにもよく出てくる
それでは良いお年を! >>716
>なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
それはトルストイの考えでは? >>722
> >なぜなら人間の中に、その生命の中に神秘があるからだ。
>
> それはトルストイの考えでは?
あけおめ。トルストイの考えにちかいものがあるのw? ちょっとしか読んだことないからわからない。
これは自分としては「不軽菩薩」を念頭に置いて書きました。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」
未成年にあるという「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだ... 」
この文はほんとうにそのとおりだと生命に響きました。(未成年も読んだことありません) あけましておめでとう!
正月で読む時間がとれていい
何買っとこうかな >>720
カール・マルクス。生誕200年あけおめ
ドストエフ好きーなら何でも読める。 >>662
未成年でもフォンゾンの話が出てくる
(1869年末モスクワの魔窟で官史フォン・ゾンが殺害され、箱詰めにして貨車で送られた事件)
史実っぽいニュアンスだし、そうでなかったとしても、何度も書き記すくらいだからドストエフスキーにとってこの事件は何か意味を含ませているいるように思える 多分そういう人物を嫌いな人間に意味もなくぶつけると面白いだけじゃないかな ワルだった時の若きゾシマならフェラポントと互角に戦える 未成年終わった
他にくらべて宗教色が薄くて読みやすい小説で、これはこれでとても楽しめた
いくつかあるけど印象に残った言葉と疑問がある
1つは未成年ならではのどこか青々しい人生への賛美、主人公アルカージイ
「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」 もう一つはマカール老人の言葉
これはドストエフスキー自身のことをいっているじゃないだろうか?
いわゆる、初期の社会主義に傾倒して死刑宣告される前のドストエフスキー自身のことを言っている
「ほんとうの無神論者といえる連中もいる。だがそれがもっともっと恐ろしいのだよ、というのはそういう連中はしょっちゅう神の名を口にするからだよ。…そういうのがいるんだよ、うん、きっといるはずだと、わしはおもうな。」
なにしろ評判より物語がスムーズで、思っていたより面白く読めたがやっぱり彼の本は疲れるw
ちょっと読書は休憩しよう、ではー オーディオブック
上中下とすべ揃ったけど24時間以上あるから通しては聴けないな 「人間は誰でも、自分の身に起こった出来事で、それが夢であろうと、占いであろうと、予感かあるいはそれに類したなにかであろうと、なにか幻のような、
異常な、とにかく普通ではないほとんど奇跡のようなものと見るような、あるいは見たいと思うような出来事の思い出を、人はひとつやふたつは持っているものである。」
ああ!美しい言葉だなぁ。おまえの引用はいつもすばらしいなぁ!!
おまえに負けたくねぇ。おまえは最強のライバルだ。もっと美しい引用文を持ってくるからな!! >>733
聴き終わるのに結構かかりそう
でも上中下そろってるなら買おうかな トルストイよりドストエフスキーのほうが早く生まれてるのな 今夜も おれたちのゾシマアニキの教えを聴こう!
なんとなれば そこには真に重要なことが書かれているからだ
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「今日 わし は 珍しく 気分 が よい が、 しかし それ は ほんの ちょっとの
間じゃ、 それ は わし にも よう わかっ て おり ます じゃ。 今わし は自分
の 病気 を 間違い なし に 見抜い て おり ます でな。あなた は わし が たい
へん 楽し そう な 顔 を し て おる と 言わ れ た が、 そのようなことを言う
てくださるほど、 わし にとって 嬉しい こと は あり ませ ん わい。
なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
て、 本当に 仕合わせ な 人 は、『おれは この世 で 神 の 掟を 果たし た』
という 資格 が ある の じゃ。 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべ
て の 殉教者 は、 みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
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全然関係ないが 青空の入力者校正者のかた、種々の困難はあるでしょうが、
米川訳のカラマゾフの公開を急いでください。
手入力で打ち込んでいます。 ゾシマ長老の「〜ですからの。」って喋り方はリアルで聞いたら落ち着く感じなんだろうね >>740
まず写真とって文字をとりこんでな
それを文書に返還するソフトを使う >>740
>なぜといって、人は 幸福 の ため に 創ら れ た 者 です からな。ぢゃによっ
人間は幸福の追求を目的として生きている。これを抱いて書いた文豪は多い
トルストイもそうだし、哲学でいえばアリストテレスなんかも有名だし
でもただ幸福といわれても、その定義と本質またはその属性などが文豪によって違う
ドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうか
少なくとも彼のいう幸福の属性は信仰または祈りに違いないと自分は思うけど、その先が難しい まず地上の幸福と天上の幸福も違うし、自分の幸福と人間の幸福も違う
そもそも幸福を求める段階で幸福ではない状態でなければならない
なぜなら求めることは欠けていることを補うということだから
そうだとすれば、現状で幸福な者の幸福とは何なのか
わからないことだらけにハマりそうなので、まずはドストエフスキーのいう幸福って何なんだろうかな? 81人の殺人で有罪となれば、「チェスボード・キラー(chessboard killer)」こと
アレクサンダー・ピチュシキン(Alexander Pichushkin)被告が殺害した48人や、
旧ソ連時代の最も残忍な殺人犯アンドレイ・チカチーロ(Andrei Chikatilo)が殺害した52人を上回ることになる。
ロシアの元警察官、新たな殺人自供 犠牲者80人超か
2018年1月11日 9:21 発信地:モスクワ/ロシア
http://www.afpbb.com/articles/-/3158078 ドストエフスキーって有名な作家なんですか?
ノーベル賞とか取ってるんですか?? やはり中学んときからドストエフスキーを読ませないと
今のゆとり教育では
ネットを利用したシリアルキラーの餌食になる少女達がまた発生する 「ちょッ、あわてるな!」
罪と罰のポルフィーリィのセリフ カラマーゾフを読んだとき、有名な大審問官はよくわからなくてその後のぞしま長老の若いころの話が面白かった想い出 >>743
> まず写真とって文字をとりこんでな
> それを文書に返還するソフトを使う
いつもありがとうございます。今から半年前かもっと以前か。同じようなグチを書いて
同じこと教えてもらった。
その時即座に試したのです。おかげでいろいろなワザを覚えることができました。「Online OCR」の技ですねw
しかし、詳しくは省くが、手作業による修正が多すぎて実用的でなかった。これからもよろしくお願いします >>744
いつも真正面から「幸福とはなんぞや?」と根源的な問題を書いて下さり感激してます。
しかし、レスをつけるのが難しく、はたと考えこんでしまった。 自分が引用した文を読み返したとき今回注目したのは、すなわち
「 すべて の 正直な 人、 すべて の 聖徒、 すべて の 殉教者 は、
みな ことごとく 幸福 で あっ た の ですじゃ」
の部分です。
この文の主語は「 正直な人」「 聖徒」「 殉教者」ですが、これらの共通点として
「 正直な人」であれば、ウソをつかないがゆえに損をする。太陽を覆い隠すほどの
誹謗中傷の弓矢を受ける。
「 聖徒」は信仰のゆえに、自分を捨てて、自分一個を無きものとして、聖人につき従う。
(イメージです。キリスト教のそれがどういうものかよく知りませんw)
「 殉教者」は権力者の迫害に命を奉る。
この三者の動機はすべて共通で『おれは この世 で 神 の 掟を 果たす』という誓いです。
しかしそもそも、この誓いは「どこから」来たのか? われわれ個人が力んだりふんばったりしたからといって出てくるものでしょうか? またこういう問題もある。
「正直」で損をし、「 聖徒」として娑婆のもろもろの夢と希望を断念し、「 殉教者」としていのちを捨てる。
ふつう世俗の意味ではぜんぜん幸福ではない。 >>753
おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」 つまり神によっての正しさと、人間によって正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない
そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから
ドストエフスキーはこう言った
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 >>756
> おそらくそれは、ぼくより詳しい人がいるだろうけど、それはキリスト教のいう救済とは現世の救済ではなくて、死後の救済をいってるという本質からじゃないかな、おそらくそこにキリスト教の本質があるのかもしれない
>
> 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る(ヨハネ福音)」
---------------------------------------------
一知半解でごめんよ。
「死後の救済」という側面はもちろんあろう。しかし、「 正直な人」が苦悩するにもかかわらず この現世において幸福となるのは、神と天が守るからであろう。なぜかならば、神と天は正直を愛するからである。 「正義が勝つ」というか「非犯罪者が勝つ」という理をおしたいように思えるけど
キリストの神は悪を犯すものを同時に作っていて罪人(刑法を犯した者)を許せと言ってる
同性愛を禁じると同時に同性愛者自体も神が作ったものとしなくてはいけない
なぜならそれが実際に存在するし真実であるから
シリアルキラーも同じように、その性質すらも神が生み出したと解釈せざるをえない
昔の日本人がザビエルに問うた「神が正義なら何故この世界に悪を生み出してるのか?」
神義論的難問が常にある この世のすべての人は イエスキリストの表れである。
イエスキリスト愛すように貧しい人に接しなさい。 >>760
そうだね、それがドストエフスキーの根本かもしれない
悪を禁止するとともにその悪もまた在る
殺人を禁止するならば殺人者がまず必要となるために
もし正義は報われなければいけないとするならば、ドストエフスキーよりトルストイ好きになるのだろう
ドストエフスキーの結末はだいたい悲劇に終わるからね 殺す主体にあるわけじゃないから 死ぬ客隊にも縁遠く その時間捉えられた人類は数少ないだろう。 とらわれる とらえる ことのないものが時空間だから、確かに難しい表現だ。
客体≒客観の意 以下。 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である てめーは ちんぽこ おっ勃てて無駄な射精でもしてろよ 射精はしたことないけど夢精はあるぞ。返す片名に性・身体知的精神障碍者差別者が多い。
全人口の100が障碍者だ。害さん。 マッチョなフェラポント神父も
「どうせわしが死んだところで…」みたいなことを言う マッシオの間違いじゃないか?死は速すぎて経験できないだろうな。ジェンケレービチと
哲学していないと。 >>770
>悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である
ドストエフスキーから?それとも聖書かな?
この指し示す考え方はとてもいい、が、問題は別問題であってそれは実践を自分が成せるかどうかだけど >>747
> ドストエフスキーって有名な作家なんですか?
> ノーベル賞とか取ってるんですか??
ドストエフスキーは世界的に有名な作家というよりも西洋の古典です。19世紀でたいして
古くないが、それにもかかわらず、ダンテ シェークスピア ゲーテ トルストイ などと同じく
文学作品という形式で、人類に不滅の寄与をなした。(すいません、変な文しか書けなくて。ひじょうにコンディション悪く)
ことにわれわれ日本人と縁が深く、なかんずく「私」にとって唯一無二です。
ぼくは16歳で世界文学に目覚めました。今も思い出す、ある図書館の暗い書棚の横で。
最初に読んだのは(記憶違いかもだが)ゲーテのファウストの第一部だった。
つぎがダンテの神曲の地獄編だった。そして三番目に手にしたのがドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟。
今ふりかえっても何もわからないボーズが読むのに「なんちゅー趣味や!」と嘆息するほどの、登山で言えばいきなりエベレストから始めるようなものか。
このような選択ができたのも、明治大正昭和の、文学好きな、有名無名の先輩読書人たちが
いたからこそと、推察します。
先にあげた「ダンテ シェークスピア ゲーテ ... ... につづく第六番目の大詩人大作家になるんだ!」と夜ふとんの中で夢想した。(その夢想は早くもハタチ前には消えました。はえーなw ) ぼくは論理的なことは書けないのだけれども ふと思いついたんだけども
あの少年時代 たくさん文学 読書してたころ、いまでいういわゆる「承認欲求」などというものは無かった。ただ、知らない外国の 知らない時代の 偉大なあるいは卑猥な
未知の信仰と 未知の習俗と 大人のまたは青年の 思考と感情とふるまいをのぞき
登場人物たちとのみ 対話してた。ぼくがたくさん読書してることなど だれも知らなかった。
それがいま、あれから何十年という時がたち、インターネットによって こうして第三者に
自分の読書体験について語れるし、批評も受けて、また他人が、ぼく以外の読書愛好家が
「なにを感じたか」知れることは なんたることか?
一見してぜんぜん繋がっていないように思える 技術革新と文学はじつは直結していた
飛躍しますが、「閉じていて」相互に関係ないと思われる世界、たとえばキリスト教と仏教
ロシアと日本なども、実は完全に「ひとつ」なのではあるまいか? 「四 信仰の薄い貴婦人」より
... ねぇ、 わたくし は よく 目 を つぶっ て、 こんな こと を 考える ので ござい ます―― もし すべて の 人 が 信仰 を 持っ て いるとしたら、 どこ から それ を 得 た の でしょ う?
ある 人 の 説によりますと、 すべてかういうことは、 初め 自然界 の 恐ろしい 現象 に対する 恐怖 の 念 から 起こっ た もの で、 神だの来世だのというものはないのだそう で ござい ます。
ところで、 わたくし の考えますに、こうして一生涯 信じ 通し ても、 死ん で しまえ ば 急 に 何もかも なくなっ て しまっ て、 ある 小説家 の 言っているように、『 ただ 墓 の 上 に 山牛蒡 が 生える ばかり』 で あっ たら、 まあ どう で ござい ましょ う。 それ は 恐ろしい こと で ござい ます! 本当に どう し たら 信仰 を 呼び戻す こと
が でき ましょ う かしら? もっとも、 わたくし が 信じ て おり まし た のは、
ほんの 小さい 子供 の ときばかりで、 それ も なん の 考えなしに 機械的 に 信じ て
い た のでございます……
どう し たら、 本当に どう し たら この こと が 証明 でき ましょ う か、 今日 わたく
し は あなた の お前 に ひれ伏し て、 この こと を お尋ね しよ う と 存じ て、 お 邪魔
に あがっ た ので ござい ます。 だって、 もし この 機 を のがし まし た なら、 生涯
わたくし の 問い に 答え て くれる 人 は ござい ませ ん もの。
どう し たら 証明 が でき ましょ う か、 どう し たら 信念 が 得 られ ましょ う か?
ほんとに わたくし は 不仕合せなの で ござい ます。
じっと 立っ て ぐるり を 眺め まし ても、 みんな たいてい どうでもいいような 顔 を し て い ます、 今の世の中に 誰 ひとり 、そんな ことを気にかける 人 は あり ませ ん。
それなのに、 わたくし ひとりだけ、 それ が たまらないので ござい ます。 本当に それ は 死ぬ ほど つろ う ござい ます、 死ぬ ほど!」 >>757
> つまり神によっての正しさと、人間にとっての正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない
究極的に、神の正しさと人間にとっての正しさは一致するものと思います。神の目的は
人間として至極あたりまえの 凡庸な「よい行為」を選択せしめること、その目的は幸福と理解します。
> そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
> なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから
地上的な幸福と一種天上的な絶対的な幸福は、相補的でなければならない。もしそうでなけば、偽善と観念論におちいりはしまいか?
フェラポントは「眠るときも膝をついたまま」であった。パンと水しか食さなかった。
ゾシマはイチゴジャムに舌鼓をうった。たとえゾシマといえども オマンマを食べずには生きられない。
> ドストエフスキーはこう言った
> 「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」
力強い、真実の言葉です。 昭和期に流行った世界文学全集の類
買った人のうちどれくらいの人が読んだのか怪しいものだが
ああいうのが流行ったおかげで今メルカリで安く買える >>770
> 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である
力強いが しかし意味がわからない >>781
>究極的に、神の正しさと人間にとっての正しさは一致するものと思います。
>地上的な幸福と一種天上的な絶対的な幸福は、相補的でなければならない。
ならばこう言い換えられるしこの方がしっくりくるので前言訂正するよ
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」ではなくて、
「人生の存在意義は虚妄であり、しかも、永遠である。」 >>783
そうだったんだ、やはり惹かれるし意味がつよい言葉をよく思いつくよね文豪は
> 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である >>786
> ならばこう言い換えられるしこの方がしっくりくるので前言訂正するよ
> 「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」ではなくて、
> 「人生の存在意義は虚妄であり、しかも、永遠である。」
待ってくれ。それはドストエフスキーの言葉じゃなかったの? どうあっても そこは
変えちゃダメだ!
「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」に決まっている!!
いっさいぼくに合わす必要などない。ぼくもそうしてる。心から同意できるときだけ「そうだね」といっておくれ。 >>788
その方が合理的だしこれからは原則そうしよう、まーでも読んでみて与った思考は自由だかから改変もいいじゃない時にはね それにあながち間違いではないよ、君がそういったのも
死後の世界があるとすれば、生前の世界は無関係ではなくて相互されていなければならない
補助作用でもいい
ドストエフスキーもそう考えていただろうし(ゾシマ思想とか)、キリスト教もそういう立場の一面はあると言っても間違いにはならないだろうし 死後の世界とかオカルトじゃん聖書はトンデモ本だな訳わからない事考えるより真面目に生きた方がずっといいわ >>791
死後の世界は国や宗教ごとによって違うからな
生前のその人間の死後の世界のイメージが実際の死後に影響するのかもしれん
オカルト的ではあるが イメージというか捉え方か
あるんじゃないかと考えてる人もいるだろうし逆にそんなものは無いって立場の人もいるし /ヾ ;; ::≡=-_ ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
/::ヾ ~~~ \
|.::::::| 法華講破門 |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-| ━━┓┃┃
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ヽ < \_/ ヽ_/|. ┃ ┃┃┃
ヽ| /( )\ ヽ 。 ┛
| ( `,,' ≦三三
| ヽ \_/ゝ'゜ ≦三三 ゜。 ゜マハーロ、バカヤロー、キンマンコ!!
ヽ ヽ \ ≧ 三三==-
\_\__-ァ, ≧=- 憚りながら、戒名貰って密葬したい・・・ヒデブッ!! でも文学とは形而上的でいいと思うけどね
唯物的なものは現実から、概念的なものは文学からとらえてバランスよくって感じで
死後の世界を巡らない神曲や亡霊の出てこないハムレット、永遠の魂を奪わないファウストなんて何を汲み取れるというのか
ドストエフスキー好きで(そう仮定するとだけど)唯物論の無神論者だったら、帰って危ないよw
キリーロフでも目指すのは悲劇だ >>795
>ここはフォン・ゾンばっかか
これ使おうとおもってて先をこされたw > 同性愛を禁じると同時に同性愛者自体も神が作ったものとしなくてはいけない
> なぜならそれが実際に存在するし真実であるから
突然すすりなき の 声 が ミーチャ の 胸 を ほとばしり 出 た。 彼 は アリョーシャ の 手 を 取っ た。
「ねぇおまえ、深き汚れだ、いまでもおれは深き汚れに 沈ん でる ん だ。 人間 という もの は 恐ろしく いろんな悲しい 目 に あう もん だ よ。 恐ろしく いろんな 不幸 を経験するもんだよ!
しかしおれは単に 将校 の 肩書き を 持って、 コニヤク を 飲ん だり極道な まね を したりする、虫けらのようなやつだと 思わ ない で くれ。
おれ はほとんど この こと ばかり 考え て る ん だ。 この 深き 汚れ に 沈ん だ 人 の こと をね。
中略 もしも自分の口からうそをついていないとすればのことだがね。
まったくいまとなっておれはうそをついたり、 空威張り を し たりしないように
願っているよ。 おれ が この 人 の こと を 考えるのは、 つまり おれ がそれと 同
じ よう な 人間 だ からさ。
堕落のふちより 魂を
振るい起こすを望みなば
古き母なる大地(おおつち)と
結び合えかし、とこしえに
しかし、 ただ どうして おれ が 大地 と永遠に 結び 合うの か、 それ が 問題
な ん だ。 おれ は 大地 に 接吻 も し なけれ ば、 大地 の 胸 を えぐることも し
ない。 おれ に 百姓 か 牛 飼い にでも なれ っていう の か? こうして おれ は
進ん で 行き ながら、 自分 が 悪臭 と 汚辱 に 足 を 踏み込んでいる のか、 それ
とも 光明 と 歓喜 の 中 へはいってるのか、 自分でも見分けがつかないのだ。
こいつ が どうも やっかい なの だ、じっさい この 世の中 では、
いっさい が 謎 な ん だ!
(つづく。長文引用) しかし神義論の仮定は異教徒などを含めるととんでもないことになるな
キリスト教を滅ぼそうとする異教徒すらも神の賜物としなければならなくなる
それらに打ち勝てという教えになるんだろうか >>801
そうなんだよね
自分に害をなす存在をも最善の構築のために肯定しなければならない
そこから始めて、世界のあり方もだから最善であると肯定しなければならない
イワンが入場料が高すぎると言ったのも頷ける /ヾ ;; ::≡=-_ ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
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そして、今の人間世界は「神にも失敗がある。また神の罰や地獄がある。」という
幻想(誤解)によって成り立っているが、
真実(正解)は「神は真に愛のみで、全知全能・完璧であり、失敗は有りえない。
神にも、また(常に神に導かれている)人間にも、完璧・成功(最善)しか起こらないし、起きていない」。
そして神は(神の目には悪人は誰もいないとし)全ての人間を愛し、
各自に最善の必要な物は全て与えているが >>805 >>803
その神義論が正しいとするならば、悪霊で、今ある在り方が最善であるとしたものはいた(無神論から始めているけど)、もう一人は信仰で
で、2つのやり方で世界を肯定しうおうと試みたものがいる
アリョーシャ「きっとまた会えます。過ぎ去ったことをお互い楽しく話し合っいます。」
永遠の魂(信仰による)で永生があるのだからと、この世のすべてはただ超えていくものだとした(とおもう) もう一人は悪霊からで、
まえにもレスがあったがキリーロフの思想だけど、
「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩き潰す者がいても、やっぱりすばらしい。叩き潰さない者も、やっぱりすばらしい。
すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。」
で、「すべてよし!、そは正し!」に至る
そう言って彼は「地上の永遠の生」と自由を主張するために自殺せざるをえなくなる
彼もまた無神論でありながら世界を最善とみなした
(根拠で無神論者の彼が世界を肯定できたかはわかりません) >>779
> 「四 信仰の薄い貴婦人」より
>
> ... ねぇ、 わたくし は よく 目 を つぶっ て、 こんな こと を 考える ので ござい ます―― もし すべて の 人 が 信仰 を 持っ て いるとしたら、 どこ から それ を 得 た の でしょ う?
こういうことを考えること自体が稀有ではないか? 「すべて の 人 が 信仰 を 持っ て いるとしたら」... そう、すべての人はなんらかの信仰を持っている。
> 神だの来世だのというものはないのだそう で ござい ます。
科学的に考えれば、心の奥底の疑念としては、それこそ最高度に合理的でないか。
> ところで、 わたくし の考えますに、こうして一生涯 信じ 通し ても、 死ん で しまえ ば 急 に 何もかも なくなっ て しまっ て、 ある 小説家 の 言っているように、『 ただ 墓 の 上 に 山牛蒡 が 生える ばかり』 で あっ たら、 まあ どう で ござい ましょ う。
『 ただ 墓 の 上 に 山牛蒡 が 生える ばかり』 というイメージが、昔読んだときとても印象に残った。 >>780
> それ は 恐ろしい こと で ござい ます! 本当に どう し たら 信仰 を 呼び戻す こと
> が でき ましょ う かしら?
「それは」とは、学問的にはどうやっても証明不能であるところの「来世」など無いという、極めて確度の高い大疑念のことである。
つぎに夫人は、「どう し たら 信仰 を 呼び戻す こと が できますでしょ う か?」とゾシマに問う。
なぜかならゾシマは民衆の父にして教師だからである。この場合価値があるのは、来世が存在してることを第三者的態度で「わかる」ことではない。
ゾシマが「信ずる」とおりに自分も信じようとしているのだ。
> もっとも、 わたくし が 信じ て おり まし た のは、
> ほんの 小さい 子供 の ときばかりで、 それ も なん の 考えなしに 機械的 に 信じ て
> い た のでございます……
そうだ... ホフラコーヴァは今迷って不安なのだ。つまり不幸なのだ。だからぜったいに信じられるものがほしい。子供のときに母親がそばにいないで泣いたように。... それで「千里を遠しとせず」ゾシマのもとへ集った。 >>780
> どう し たら 証明 が でき ましょ う か、 どう し たら 信念 が 得 られ ましょ う か?
> ほんとに わたくし は 不仕合せなの で ござい ます。
> じっと 立っ て ぐるり を 眺め まし ても、 みんな たいてい どうでもいいような 顔 を し て い ます、 今の世の中に 誰 ひとり 、そんな ことを気にかける 人 は あり ませ ん。
「みんな たいてい どうでもいいような 顔 を し て い ます」ああ、まさに真実の言葉。
だれも考えぬ。来世のことなど。あるかなきか思考してもわかるわけもなく、今の生活が大事なんだ。
ひとはどういうときに来世のことを考えるのか? ガンにおかされた時か?
ちなみにおれは、最近は来世のことしか考えないw。来世にすべてを賭けている。
カネモになることも、16人の美少女に囲まれて恋愛しまくることも。
> それなのに、 わたくし ひとりだけ、 それ が たまらないので ござい ます。 本当に それ は 死ぬ ほど つろ う ござい ます、 死ぬ ほど!」
ドストエフスキーはこのときのホフラコーヴァを評して「それ は 多く の 点 で真に 善良 な 資質 を もっ た、感じやすい上流 の貴婦人で あっ た。」とコメントしている。
>>782
> 信仰が薄い人が信仰が高い人だ。
と誰かが言ったが、このときの夫人は誠実に見える。しかしその後のホフラコーヴァを知るひと(つまりカラマゾフを読了したひとは 「信仰の薄い貴婦人」と著者が呼んだわけを
知ることになる) 罪と罰、カラマーゾフを読み終わって
今悪霊を読んでるんだけど
ドストエフスキーの小説のキャラクターはイケメンが多くてテンション上がります >>785
> > 悪とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て善である
>
> 力強いが しかし意味がわからない
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> 善とは私がなす行為の中にあり、他人が私になす行為は全て悪である
のまちがいでないか? それも神義論
「完全な善性である神が生み出したこの世界に悪などあるはずがない」
神との対話で言われてるのと同じ ていうか神義論あみだしたの日本人なんじゃあるまいか
ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人
日本の各地でザビエルは布教するのですが、
出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、
今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、
ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に
造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され
答えに窮していたようです。 神義論はユダヤの神を「完全な善」としてしまって生じた矛盾からくる問題なんだろうが
ユダヤ教にもある程度適用できる
例えば同性愛者の問題で、聖書中では神は明確に同性愛を禁止、否定してるが
リアルでは完全な生まれつきの同性愛者は実際存在する
だとしたらそれは神が生み出した、と考えなくてはならない
本質的同性愛者は存在しないのか?
精神病で同性愛になるとしなければいけないのか?
「同性愛なんてものは非ユダヤに起こるものであって、真性なるユダヤ人にはそんなものは存在しない」
とか考えたりするのだろうか 神義論について最近思うことがあるんだけどいいかな
ドストエフスキーが若い頃に傾倒していたフーリエはこう言った
「何にしろ、神の望むシステムに一番似ているのは社会主義である。」
つまりロボットのような世界で、そして善のみしか行わない集団、神を頂点にしか見ない人間
とりも直さず、神義論のいう善のみで創られた世界である
神は全知全能だからそう創ることができたはずであって、別にそうなっても正常だったし不思議はなかった でも注目しなければならないのは、そうならなかったという事!
ドストエフスキーの作品で答えを探してみる
ヒントは、ドストエフスキーがいつの間にか社会主義という集団から「個人」をあつかう物語と登場人物に特化していったという事
人間の意思をあらわそうとしているような最期の作品であるカラマーゾフの兄弟からもみえる
神の望む世界は本当は、「神の望むシステムに一番似ているのは民主主義(のような)である。」ではないだろうか?
つまり、ロボットのようではなくて、「まず」意思を持ってそれでも「善を目指す者」であり、善と悪を知った上でそれでも「善の世界を望む者」を神は望んだのではないだろうか? そう考えると、あくまで以上が正しかったならばだけど、善を完全に創る時に反対の概念も必要として悪も含んで世界を創られた
長くなってしまったがw、何が言いたいというかというとね
「人間が善さえ選ぶならば、この世界に悪があろうと神のいう善のみの世界は作れる」、「その悪でさえ善を完全にする為に必要だった要素ならば、悪も善に変わる、『つまりこの世界は善のみでつくられている!』」
屁理屈すぎるかなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています