ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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>>969
割り切っていうとそういうことかな
現実社会に適するものはできる限り普通でなければいけない
量の程度を越えれば秀才だけど、質の程度はわきまえている
しかし特殊なケースで評価されるものは非凡人的になる
量の程度は個性によるけど、質の程度には無頓着でとても極端になる
簡単言えば躊躇がないから現実社会で不適合になる、だから天才として時に英雄として評価される
まー勝手な心理的な憶測だけどね ひとつ疑問なんだけど、たとえば正しいことをいう人は、その正しさに見合ううように自分自身も正しくないといけないのかな?(社会ではそうじゃないともちろん叩かれるけど、政治家とかそうだよね)
でもなぜなんだろう
小説家も書いている内容に見合った性格を持っていなければならないんだろうか?
技術と人格は分けて考えるべきなのか、一緒にして考えるべきなのか
技術も含めてそのものは何者であるといえるのか
法律を守らない法律家がいたらもちろんやだけどねw >>971
> ひとつ疑問なんだけど、たとえば正しいことをいう人は、その正しさに見合ううように自分自身も正しくないといけないのかな?(社会ではそうじゃないともちろん叩かれるけど、政治家とかそうだよね)
正しい人間なんてもんは、そんなバケモンはこの世にいないと思います。
自分はまったく正しくないが 正しいことを発言し続けなくちゃいけない。
そうして「叩かれ」たらいい。叩かれれば叩かれるほど どんどん立派になる、しあわせになっていく。
その確信でやっていきましょう!!お互いに 揚げ足をとるようだけど立派なんて化け物はいるのかい 「何が正しく、何が正しくないかどうかと言うことはーー人間の決められることじゃないさ。人間てやつは常に迷ってきたし、これからだって迷いつづけるのさ、しかも正しいとか正しくないとか決めようとするときほど、ひどい迷いに落ち込むのさ。」
戦争と平和でもう一人の主人公アンドレイがいう言葉だけど、そしてこれを言ったら何も始まらないがw、トルストイも正しさについては葛藤があったと予測できる
まーこれはほんと結局分からないと言ってるのと同義だがw
正しさとはなにか、自分に置き換えなくても正しい発言はいいのかわるいのか、考えてみるのもいいかもね
このへんはプラトンとかがいい分野かもしれない あまりにも有名な罪と罰の「自己確信」への言及
ラスコリニコフがシベリアで夢をみて復活の兆しを見る
病原菌とは過信した自己確信に他ならない
「この細菌は、理知と意志とを付与された幽霊であった。これに食い入れられた人たちは、たちまち悪魔に魅入られた狂人のようになるのだ。
人類は、いまだかってなかったほど強烈に自分が賢くてしっかりした者であると考え、自分の判断や信念を動かし難いものと考えるようになった。
全村、全市、全国民がこれに感染して。ことごとく狂人になってしまった。誰もかれもが不安な気持ちにとらわれて、互いに互いを理解せず、各自が自分一人だけ真理を把握していると考えて、他人を見ることが悩ましくなり、自分の胸を叩いたり、泣いたり、悶えたりする…。
誰が誰を裁いたらよいかもわからなければ、何を悪とし、何を善としたらいいのか、その区別さえもつかなかった。なにびとを罰し、なにびとを弁護したらいいのか、それもわからなかった。」
まるで現在の社会のようだね 深夜で、投稿すべきか迷いました。
ドストエフスキー氏の天才は
深い思想を こうした芸術的イメージで描けることです(何を今更ww あなたが前に記述してくれたとおり)
熱中してあなたの引用を読んでいる。明日のために、カキコせず寝るべきなんだが、あまりにも美、あまりにも重要部分のため、放置できなかった ぼくは夢想する。すべての国民がドストを読み、こうしたシーンについて、深く思索し討議することを。
そこに描かれていることは いったいなんなのか? 現代われわれの宗教生活に照らしあわせて 考えたとき
また、社会の諸矛盾に引き当てて これを考えたとき。。。それなのに、浅薄な愛や、 カズオ・イシグロってドストっぽいらしいけどどうなん そーなんだ
イシグロって人の小説はよく行く本屋だとSFの分類の棚にあるからそっち系かと思ってた
臓器移植のドラマ見たくらいの知識しかないけど ドストエフスキーが特に好きじゃない読書家から見て、
ドストエフスキーのもので完成されている作品は「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」みたいな感じですか?
ぶっちゃけでお願いします。 5大長編で完成度を比較すると
罪と罰 > カラマ > 白痴 > 悪霊 > 未成年
ですね。
罪と罰で頂点に達して、あとは下がるばかり。
ここぞ!と盛り返したのがカラマ。 >>981-982
おまえら馬鹿だねぇ。
カラマーゾフの兄弟は未完の作品で大切なのは描かれなかった第2の小説。
何も読めていない浅薄な輩の典型的な例だな。 罪と罰が頂点と言ってる人に対して、
「罪と罰クソ。カラマーゾフの兄弟こそ至高」って言うだけでマウント取れるもんなあ。 完成されていないってことは可能性が無限にあるということだから確かにもっとも至高であるとも言える
これはごもっともなんだけどね
でも罪と罰を一番にはソーニャの存在です
ソーニャとか最高じゃねw >>981
右に行くほど、行き当たりバッタリ感が強くなりますね
悪霊なんか、スタヴローギンの役割が、当初の構想に比べてドンドン大きくなっていってる。
逆に当初より小さくなっていったのが、ステパン先生。 『悪霊』で描けなかった中年同士の恋は、『未成年』で実現される。 悪霊はステパン氏の恋もあるけど、後半は政治的な方向に進む傾倒がつよい気がする
というか、悪霊って結構死んでるよね
ドストエフスキーばかり読んでると、最後は死ぬのが当たり前みたくなっってくるこの錯覚w >>983
アリョーシャがテロリストになるという物語か ヴィトゲンシュタインはカラマーゾフから罪と罰に回帰した 眠れない時は、カラマーゾフを読もう。
なかでも、ゾシマ長老の教えを読もう。 それから 一週間 後 に 彼 は 死ん だ。 彼 の 柩 は 町 じゅう の 人 の 手 で 野辺 送り さ れ た。
司祭 長 が 切々たる 弔辞 を 述べ た。 人々 は、 おそろしい 病気 に 彼 の 寿命 が つき た こと
を 嘆き 悲しん だ。 ところが、 葬式 が すむ と、 町 じゅう の 者 が 私 に 背 を むけ て、 私 を
客 に むかえる こと さえ やめ て しまっ た。 それでも、 はじめ は小人数 だっ た が、 だんだん
大勢 が 彼 の 供述 は ほんとう だっ た の だ と 信ずる よう になり、 しきりに 私 を 訪ね て き
ては、 大いに 好奇心 を そそら れ 喜び を 隠し きれ ず に 根 ほり 葉 ほり 聞き出そ う と かかっ た。
なぜなれば、人間はただしきひとの堕落と汚辱を好むものだからである。
(なぞの客末文) >>992
暗記するほどカラマーゾフを熟読した後に罪と罰へ回帰したんだよ それから一週間後に彼は死んだ。彼の 柩 は町じゅうの人の手で野辺送りされた。司祭長が切々たる
弔辞を述べた。人々は、おそろしい病気に彼の寿命がつきたことを嘆き悲しんだ。ところが、葬式が
すむと、町じゅうの者が私に背をむけて、私を客にむかえることさえやめてしまった。それでも、は
じめは小人数だったが、だんだん大勢が彼の供述はほんとうだったのだと信ずるようになり、しきり
に私を訪ねてきては、大いに好奇心をそそられ喜びを隠しきれずに根ほり葉ほり聞き出そうとかかった。
なぜなれば、人間はただしきひとの堕落と汚辱を好むものだからである。
(なぞの客末文) ところで、苦しみ多かりし神のしもべミハイルのことは、今日にいたるまで日ごと祈祷を怠らないでいる。 〔E〕 ロシアの僧侶とその可能なる意義について
僧侶とははたして何者であろう? 現今、文明社会においてこの言葉はすでに冷笑をもって発しられている。
悲しいかな、事実、僧侶なかまには多くの徒食者、肉の奉仕者や、邪淫のやからや、傲慢な無頼漢が交じっている。
世間の教養ある人たちはこの点を指摘して、「お前たちなまけ者だ、社会の 穀 つぶしだ、他人の労働で生きている恥知らずな乞食だ」などと言っている。 しかし、僧侶のなかにも、真に謙虚、温厚な人たちがたくさんあって、
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