文学理論 11
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グスタフ・ルネ・ホッケによると、古代ギリシアでは、ミメーシスの対義語はファンタジーだったらしい 文学理論というか言語学の文脈でもはや、文学が語られる方がいいと思う。 発想が40年くらい古くないか?
手元にある「言語学と小説」って本の出版が1977年、「詩学から言語学へ」が1980年だ 文学は量子論の文脈で語られたほうがよくね?
一部はすでに量子論で語られてるけどね。 文学は言語学と社会学どちらかで
語るしかない
これは未来永劫変わらない
残されたのはそのミックス加減だけだ 社会学と心理学じゃないの?
言語は突き詰めると認知機能の問題になるから 学問の体をなしてないものをそれ風に語るのってただのナルシスト
無知な子供だまして何が楽しいんだか >>177
残念ながら文系の学問にはそういうものが多い。
特に文学、哲学、経済学は学問の皮をかぶった自己満足。 178
もちろんわかってるよ
突き詰めるとなんて言い方するやつが嫌いなだけ ナルシストは自分にしか興味ないから無害でいいけど
ナルシストに劣等感を刺激されて叩く奴は場を荒らすから有害だと思う ノエル・キャロルの批評について
以降の情勢誰かわかる人いる? >>174
物理学で文学を語っても比喩か類推にしかならなそうだけど
たとえば、本には引力があるから人を引き寄せる
質量が大きいほど引力は強くなるから、分厚い本ほど人を引きつける
みたいな 笑 自分に興味を持つことは不可能じゃないか。そんな認識携帯人間にも
どんな生物にもないはず。 文芸批評って、便宜的に、
例えば「物語」とか「意味」とかみたいな、実際には読者の解釈によって生じることを、テクストに含まれている、または作者が生み出しているように表現することが多いから、
不要な混乱が生まれるよね >>187
小説の文章にまったく含まれていない「物語」や「意味」をどうやって読み手の解釈のみで生み出せるの?w 普通なら「読者がそういう風に解釈するように作者が誘導している」だろな >>190
読者の誘導というのは、推理小説限定じゃない? ……限定かどうかは問わないが
そういう誘導が、1)テクストに含まれていて、2)作者が産み出せることは、確かだ >>192
それは、その作者の表現ということだろ?
文体といってもいいけど。
意識的に誘導するのが推理小説。
無意識的な誘導というのは、その他のすべてかも知れないが、それをことさら誘導と名付ける理由は特にない。 読者の勘違いを誘発するような
仕掛けは伏線などでできるし
例えば登場人物の人種をはじめ隠して
語り、のちに鮮やかに示してこちらの
先入観を覆すとかそういう技法はある
ただそういうプロットではないものに
ついては個別の例を挙げてもらいたい >>194
誘導そのものを目的とするのは推理小説限定だよ。
もちろん、推理小説ではなくても、推理的要素を加える作品も多い。
それは誘導ということではなく、物語としての、未来のあるいは過去の不透明性を表現している。
推理的要素と物語の関係がわかりやすいのは、ドストエフスキーの5大小説だ。 >>196
君は、>>194なの?
それとも横から来た人? 推理小説みたいな特殊な例を出さなくても、
自分の意図が相手に伝わるように文章を書けば、それだけで立派な誘導でしょ
相手の解釈を導いてるわけだから
そもそも誘導っていう行為は、ふつうは正しい場所に導くことで、
相手を迷わせるための誘導は特殊な例だよな 件の誘導の話で
突然推理を持ち出すお爺ちゃんがバカなだけ
相手にきちんと創作の意図を伝えるように
考えて組み立てるなんて俳句ですら当たり前 ミステリの場合はマジック同様の「ミスディレクション」つまり誤誘導の能力が問われる >>198>>199
>自分の意図が相手に伝わるように文章を書けば、それだけで立派な誘導
それでは表現を誘導という言葉に変えてるだけになる。
推理小説の場合は、ことさら読者に錯誤をもたらそうとすることが多いから、誘導の例にあげた。
「相手を迷わせるための誘導」が推理小説には多いということ。 浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦の文芸批評の基本的立場を簡潔に説明しなさい 作者の意図や作品成立の背景事情を無視して
自分の主張や関心に合う部分のみ拾い上げて利用する それ作家がやってることだよな
批評家ってもっと公平なものだと思ってた 現象学以降は客観的事実をもとにした統一的世界像の描出ではなく
各主体の心理(関心)に基づく主観の提示の方が評価されるようになった
マルクス主義だとこの主観は全体の一部に過ぎず
社会進化という目的に合致したものこそが評価基準であり
また対象に過ぎないとされて
一種の疑似科学として猛威を振るったが
フランス現代思想ブーム以降はこの構造(科学)信仰も時代の風潮に過ぎず
ここから逸脱することが批評の本領なのだ、ということで
批評が一種の創作的役割を果たすようになった
まあ、近代小説自体が批評性が強く
それ故に作者の意図やそれを取り囲む時代的制約があらわれるものなので
単純に批評ではなく創作をすれば良いだけなんだけどね >>207
仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するのが小説。
仮構された作品世界の中で、人間がどう動いているのかを追求するのが批評。
いわば、現実そのものを対象とする小説に対して、抽象された現実の在り方自体までを対象とするのが批評であるともいえる。
どちらも創造的であると同時に、どちらも模倣的でもある。
人間の表現としては、抽象性が高い批評のほうが理念的であることになる。
ちなみに詩に関していえば、見かけとは逆に、感性をそのまま言葉にしようとする、もっとも抽象性が低い表現ということになる。 小説って 感動する小さい説ところ中心に編纂されるでしょ。大文字文学の方が。 怒りの ブドウが どうなったかは知らないけど 静かな 小麦は 無頼神さ。 研究者って、親亀こけたら皆こけたみたいなことがよくあるけど、
昔の文学研究者で、(今のところ)こけてない親亀に乗れてた人って波多野完治さんくらいしかいなそう >>213
人でいえば、ジャン・ピアジェになるのかな
認知心理学が親亀っていうつもりで書いたけど >>214
ピアジェに限らず、認知心理学自体はこけるほど体系化されてない、というか雑多な研究と思い付きのごった煮じゃないの?
波多野完治は、そもそも文学研究者ですらないんじゃない? >>208
>仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するのが小説。
別にそういう訳でもないけどね
近代小説は特定の政治的主張の宣伝のために
ロールプレイングゲームのように役割設定されたキャラクターを動かして
現実批判をしていたのが始まり
人間追及は自然主義以降だよ >>216
どれを想定してるの?
中国では史記の昔から、日本でも源氏物語の昔から、仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求してるんじゃない? 史記は小説ではない。
物語性を持った記録。
定義があやふやではどうしようもないよ。 史記は歴史を小説的手法で語っているのでしょうかねぇ。
逆に小説的手法で歴史をつくっていた大家は本多なにがしでしょうなぁ。 日本の民俗学でもっとも有名な語りの記録は
土佐源氏だと思うが創作という疑惑がずっとあるな
そういや >>218>>219
史記を小説といわない根拠はどこにあると思うの?
仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するという僕の定義には当てはまってるけど、もちろん、その定義が違うという反論はあるだろう。
それなら、君の小説の定義を提示しないといけない。
>>216を小説の起源とする根拠も示されていない。
もちろん、小説の言葉の起源ははっきりしているが、現代使われている小説の定義はそれとは別に、明確にする必要がある。
君たちの定義を聞かせて。 結局、定義次第でどうとでもなるんだから、そんなことはどっちでもいいんだよ こいつバカだろ
小説には大きく分けて2つの意味があるが
史記はどちらにも当てはまらないから
個人的な定義なんか披露する必要はない
どうしても小説と言いたい奴が独自定義を
勝手にすることは止めないよw 小説は文学ではないから分離させてもいいだろうに。
文学は定義どころじゃないが。、小説というと、小さい説を寄稿する
ような、恋文書の流れが始まりじゃないの。 物語を小説って言い換えて気が付かない
としたらリテラシーが足りないww
でドイツ語の勉強ははじめた? ものがたる のもの もむつかしいな。物神信仰もあるだろうけど、まもの けだもの
じゃないけど少し異常なことを語るような体験が詰まっていて、何か関係なしに
そこから現れることが体験できたり追記できたりするところなんかが面白い。 古事記は 日記とか、事始め、太古の詩学のようなものが、現代的な意味では入るだろうな。 太古の詩は酒を飲んだりタバコを吸ったりするとそれがきっかけじゃないんだけどなぜか思い出せるときがあるよ。
甘美なものであってさ。 信金の事件を彷彿とさせるデマの拡散を見るに、口承の起源はデマと嘘とでっち上げ
良いのだけが尾鰭ハヒレを伴ってより面白おかしく延々と語り継がれた
大抵はそれらが神話と呼ばれる >>222
それは文学理論は成立しないという意味? >>223
>小説には大きく分けて2つの意味がある
その2つの意味を書いてみて。 >>231
書いてるほうは、それが事実だと信じていたとは思わない? お爺ちゃんは自分で国語辞典も引けないのかな
史記を小説と呼ばないと成立しない俺理論って
どんな与太話だろう? 全くマルクス主義者のメンタリティだねえ
というよりも元々そういう性向だからこそ
絶対に反駁されない思想を選んだというのが
実情だろうな 絓秀実とかわりと最強気取ってて弟子筋も吠えまくりよ 史記が小説かあ
団塊左翼はバカだなあ
俺がとっちめてる旧仮名ネトウヨ(高卒大検)
よりもバカ
でお爺ちゃんは滝山コミューンは読んだの?
近所の書店で注文しなさい 被害妄想が酷いのが原理主義者らに共通した心性
たとえば正義のテロがありえるかどうかを尋ねると
「さては共謀罪に誘導しようとしているな」
と勘繰りだす
お前のことだよw >>232
「正しい分類」なんてものはないんだから、どうとでもなるよねって話 >>243
どうとでもなる、ということは文学理論は成立しないということだろ? 史記は小説とかいってるバカを
説得するのは不可能じゃないかな 漱石を異次元の読解で周囲を呆れさせ、
史記を小説だといって譲らない
ドイツ語が全くできないのに
マルクスを正しく理解していると自称
長い人生で何を学んできたのかな? 逃避をはじめたか
まあ史記が小説じゃないと気付いてしまったら
そうなるよね
>>45
英語読めないくせになに言ってるんだろうなww
この団塊左翼は
ほんとマヌケw 小説とは中国文学の定義では
正史や定説に反する稗史か私説くらいの意味だと思うが
史記は稗史や私説なのかな? >>244
個々人の定義や分類はどうとでもなるけど、他の人にもそれを認めてもらいたい場合は
共同体の同意を得られるかどうかが問題になってくるから 彼は長恨歌も小説というのだろうなw
でその定義が必要な理論の披露はしないのだろう
モノを知らないから仕方がない 自然科学の分野でも、2006年に「惑星」の定義が変わって、冥王星が惑星じゃなくなくなったりしたけど
定義や分類なんて、そんな風に流動的なもんだよ きちんとした権威団体が公に用語を
決めるのは当たり前の手続き
DSM-5の訳語とかと同じ
これは一般には流動的(たえず流れ動くさま。
情勢などが不安定で変化しやすいさま。)
とはいわない
変える合理性があるものが討議されて
科学者集団に管理されているのだから >>256
「固定」の対義語は、一般的には「流動」なんだから仕方ない 芥川賞をもらうようなタイプの作品は、詩か小説かっていうと小説だけど、文芸か小説かっていうと小説ではないってことになる 塵芥集以外にも日本の兵法書というか良書があるよ。荷風といった趣のものも。 >>249
正史というのは、史記よりずっと後の考え方だね。 >>263
>正史というのは、史記よりずっと後の考え方だね
そうだよ
小説という考え方もそうだけど? >>263
冥王星も惑星という言葉の遥か以前に
出現しているけどね
もっと言葉を学びなさい >>264
長恨歌は感性をそのまま言葉にしているの?
お爺ちゃんはアタマ大丈夫?
感性そのまま、であるかどうかの判定基準が
ないと詩かどうか判別できないよね
でその基準は?
芸術学をもう少し理解してから物言えな 芸術表現をしっかりと語るには以下が必要
1語学
2芸術学
3実作者であること
たとえば小西甚一は全部揃っているので
説得力があることが書ける
読書が趣味ですなんて糞の役にも立たない
揃っていないバカは謙虚にな ただの荒らしか
どうせ過疎スレだけど、量子君の方がおもしろかったな 今更学部の一年生に文学とは何かを読ませるよりピーターバリー読ませたほうがええような気がするの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています