ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured いや、まったく彼らは静寂な中にあって、「その時その時のために」と自己の鍛錬をしているのである。
古い古い昔の高僧、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも曲げること
なくそのままに保存して、時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている。
ああ、なんという偉大な思想であろう。この星はやがて東の空から輝きだすのである。
-------
今回これを読んで
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へ
かへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の
長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には
一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり
を想起した。わたしの中ではカラマーゾフの文中の教えも、即座に変換されて、仏法となるのだ。 眠れない時は、カラマーゾフを読もう。
なかでも、ゾシマ長老の教えを読もう。
それから一週間後に彼は死んだ。彼の 柩 は町じゅうの人の手で野辺送りされた。司祭長が切々たる
弔辞を述べた。人々は、おそろしい病気に彼の寿命がつきたことを嘆き悲しんだ。ところが、葬式が
すむと、町じゅうの者が私に背をむけて、私を客にむかえることさえやめてしまった。それでも、は
じめは小人数だったが、だんだん大勢が彼の供述はほんとうだったのだと信ずるようになり、しきり
に私を訪ねてきては、大いに好奇心をそそられ喜びを隠しきれずに根ほり葉ほり聞き出そうとかかった。
なぜなれば、人間はただしきひとの堕落と汚辱を好むものだからである。
ところで、苦しみ多かりし神のしもべミハイルのことは、今日にいたるまで日ごと祈祷を怠らないでいる。
(なぞの客末文)
〔E〕 ロシアの僧侶とその可能なる意義について
僧侶とははたして何者であろう? 現今、文明社会においてこの言葉はすでに冷笑をもって発しら
れている。
悲しいかな、事実、僧侶なかまには多くの徒食者、肉の奉仕者や、邪淫のやからや、傲慢な無頼漢
が交じっている。
世間の教養ある人たちはこの点を指摘して、「お前たちなまけ者だ、社会の 穀 つぶしだ、他人の
労働で生きている恥知らずな乞食だ」などと言っている。
しかし、僧侶のなかにも、真に謙虚、温厚な人たちがたくさんあって、
静寂な孤独のなかで熱烈な祈りをささげることを渇望している。 >>3
>なぜなれば、人間はただしきひとの堕落と汚辱を好むものだからである。
自分の卑しさではあるがこの事は分かってしまうw 全体の作品を思い返すと、罪と罰と地下って主人公だけの心の中の描写にこってるよね
カラマーゾフとか悪霊とかは色々な人の描写が出てくるけど
「ぼくの長編の基本は『罪と罰』なんです」と公言していた。手塚治虫は『罪と罰』を初期に漫画化している。だってさ
罪と罰を最高の作品とした人もおおいようだ たゆみなく働くがよい。夜眠りについたとき、『自分はなすべきことを果たさなかった』と思いいたったなら、すぐさま起きだしてそれをはたさねばならぬ。
もしも周囲の者が意地の悪い冷酷な人間ばかりで、お前の言うことに耳をかそうとしなかったならば、その前にひれ伏して、許しを乞うがよい。
なぜなれば、自分の言葉に耳を傾けさせ得なかったのは、事実、自分に罪があるからである。 病気が寿命?そんなことありえるだろうか。戦死にほうが確率が高いと。 書かれるはずだったカラマーゾフの続編のタイトル予想、誰かお願い >>5
>全体の作品を思い返すと、
>罪と罰と地下って主人公だけの心の中の描写にこってるよね
「罪と罰」執筆時のドスト氏は
病、借金、家庭内のいざこざなどの極限状況だった
もともと病的な気質の人が発狂寸前にまで追い込まれて書いた作品です
たしかに作品のあらすじや背景思想だけを整理すると
大したことは無いのかも知れないがあの心理描写だけは生々しい
本当の気違いでなければ思いつかないような飛躍がある
そういう所は本当にすごいと思いますね 第2のカラマーゾフで予想されていた皇帝暗殺で革命
平和な終焉を願って
革命と平和(若干トルストイ混じってるがw) 苦労と思考 て日本のPCパーツメーカーなんだけど
なんかドストっぽいなw ドストは現状の社会を肯定もしないけど急進的な流れには反対なポジションだったし、
そんな方向を目指す話だったのかもね おもしろい議論がなされているスレで、よーやく追いつきました。
ブックオフで100円で買っていたので、ドストエフスキーをお正月に初めて読みました。
地下室の手記。
自由・平等という近代主義的価値観の影響を受けた近代人をモデルに、これを徹底した人を主人公にし、
彼が自意識過剰さゆえに苦しみ、喜劇を演じる作品として解釈しました。
何回か笑っちゃいました。
ただ、アメリカ的価値観の教育を受けた戦後日本人の自分も当時の人より十分自意識過剰なはずなので無傷では読み進められませんでした。
現代人にとって普遍的な問題を扱っていること、主人公の心の動きが丁寧に表現されており、いろいろ考えさせられました。
今は、カラマーゾフの兄弟をいまよんでます。
よーやく3巻。
ブックオフで長編は買ってはいけないw途中で在庫がなくなる。
今のところ、ゾシマ長老の死ぬ前の話から腐臭がただようことによる登場人物のいろいろな感情が面白かったですねぇ。
最初のやまばかな。と思いました。 地下室は、リーズが主人公の子供を孕んで作品が終わった直ぐ後パパァ!逢いたかったよ♪と訪ねてくるのが正統派の読みなのですよ。
>>18
イワンに対しての発言。
アレクセイ「ちがうあなたじゃない!」(殺ったのはおれだよ)
……ってのも山場かな。
あー、殺人を教唆したのはイワンで、スメルジャコフは実行犯、有罪判決を受けるのはドミートリ―というのは完全なミスリーディングな。
主犯は、ヒョードル思想の姦通者「アレクセイ」な!
よろしく! >>18
地下室の感想面白かったよ
カラマーゾフはちとながいしこれから核心とも言える大審問官だね
読み終えられることを願ってます
「理性には恥辱と映るものも、心には全くの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか? 本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ。」byミーチャ 急進的なものについていけなかった時があったんだ。マイナスイメージだな。 牢屋にいるなり 捕虜になるなり 精神病院にいたなり実体験からじゃないと
殺人何て人間という下ろうが犯したところでさ。 カラマーゾフの続編が皇帝暗殺計画ってどういう根拠があるんだっけ 第2のカラマーゾフの予定作品名があったっぽい
ドストエフスキーは「続編」のタイトルを『子どもたち』と考えていたらしい。
『カラマーゾフの子どもたち』。
ドスト氏は1880年11月に現『カラ兄弟』の「ロシア報知」への連載を終えた際、 「ロシア報知」の編集者宛の手紙の中で、 「私としては貴兄とこれでお別れしたくはありません。私はまだ20年も生きて、書き続けるつもりなのですから。」 と言っていること。
妻アンナの後の回想記によれば、1880年11月に『カラ兄弟』の連載を終えた後、ドスト氏は妻アンナに、
1881年と1882年は、『カラ兄弟』の執筆・連載のために休刊にしていた「作家の日記」の執筆と刊行に専念し、 『カラ兄弟』の続編は、1883年から取り組むつもりだ、 と、もらした、とのこと。[以上、江川卓著『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』より おそらく、自分の予定では、カラマーゾフの兄弟はカラマーゾフの兄弟についての作品で、続編ではカラマーゾフの子供たちつまりアリョーシャに関わったあのコーリャとその仲間たちの成長(ときに社会主義に傾倒して暗殺計画まで)を書こうと思った晩年だったのかもしれない
ほんとうに読みたかった 最近、カミュのペストを読み返していて思う
ああだこうだと言い方は違えど求めてるものは同じような気がする
「結局」と、淡々たる調子で、タルーは言った。
「ぼくが心を惹かれるのは、どうすれば聖人になれるかという問題だ。
「だって、君は神を信じていないだろう。」
「だからさ、人間は神によらずして聖人になりうるかーーーこれが、今日のぼくの知っている唯一の具体的問題だ。」
カラマーゾフでイワンに言わせればこうなる
「飲屋でのわずかな時間をとらえて、いったい何を論じ合うと思う? ほかでもない、神はあるかとか、不死は存するかといった、世界的な問題なのさ。
神を信じない連中にしたって、社会主義だの、アナーキズムだの、新しい構成による全人類の改造だのを論ずるんだから、しょせんは同じことで、相も変わらぬ同じ問題を論じているわけだ、ただ反対側から論じているだけの話でね。」
ギリシャの時から幸福と人間(善性など)について考えるが、それは永遠に問題として残ってしまう
いつか人類はそれを知りうるのだろうか 異邦人とヘッセのナルチスとゴルトムントはドストっぽい >>29
ナルチスは同じく連想した
ヘッセの知と愛(ナルチスとゴルとムント)のように理性と感情、異邦人の必然と自由、蝿の王の理性と獣性、カラマーゾフの論理と信仰、こういう対立のある小説が自分は好むらしいと分かってきた
というより、少なからずとも小説はそういう二元論的な構造は含まれてるのだろうけど、はっきりとしてる小説は面白いよね >>28
シシュポスの神話とかはぐったりさせられるけど、異邦人とペストは新訳で読めばけっこういけるよ >>2
僧侶のことを私はこのように考えているのだが、これははたして偽りの考えであろうか、はたして思いあがった考えであろうか?
俗界や、民衆の上に君臨している神の世界では、神の御姿とその真理がはたしてゆがめられてし
まっていないかどうか見てみるがよい。
彼らは科学をもっているが、科学のなかにあるのは、五官に従属するものばかりである。人間のとうとき一半を形づくっている精神界はまったくないがしろにされ、一種の凱歌を奏し憎悪さえこめ
て駆逐されてしまっている。
----------------------------------------------------------------
現代日本の、あるいは全世界の(世界を知らぬから推定であるが)世間の人を見るに、まさに
われらは「科学をもっている」(例せばパソコンでありインターネットである)
それはまさに「五官に従属するものばかりである」
「彼らは静寂な中にあって、『その時その時のために』と自己の鍛錬をしている」
そのメンバーはいま、何処にあるや?
「古い古い昔の高僧、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも曲げることなくそのままに保存して」おる それに従事しているメンバーは
いったいいずこへ消えたのかっ?
「時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている」時至らずとも
この世界悪と戦う覚悟のできた友は、この日本のいずこにあらん!? ボクシングWBA世界ミドル級王者・村田諒太(32)の初防衛戦が決まった。
ときは4月15日、ところは横浜アリーナだ。
対するは同級10位のイタリア人、エマヌエーレ・ブランダムラ(38)。
「対戦相手のブランダムラから“仰天発言”が飛び出して、会見場の空気が一瞬にして凍りついたんです」
と現場で取材していたスポーツライターが明かす。
「会見の冒頭、ブランダムラが“日本に深い思い入れがある”と話を始めたのですが……」
彼は、強豪ひしめくミドル級で欧州王者だったというからそれなりに強いのだろうが、世界的には無名で、記者たちもその素性をよく知らなかった。
そこで、会見の最後にある記者が彼に質問した。 〈先程“日本に思い入れがある”と仰いましたが、細かく教えて頂けますか?〉
こんなときは大概、“スシが好き”などのグルメ方面、あるいは“ドラゴンボールのファンだ”なんていうアニメ方面に話が進む。
しかしブランダムラは、
〈私は仏教に帰依しておりまして……〉
ほう、そう来たか――とライターが膝を打った瞬間、 〈創価学会の池田大作氏が日本人であること、ここに故郷があるということで……〉
と“学会愛”を語り出したのだ。
「記者一同ドン引き。隣にいた村田は苦笑いしてました」(先のライター)
気まずい雰囲気のまま会見は終了。なお、この発言を記事にした社は無かった。
「ブランダムラは“(池田氏から)ご招待を受けるか、もしかしたら試合を観戦なさるかも”と言ってましたけど、
長らく公の場に姿を現していない池田氏が観戦に来たとしたら、きっと試合結果よりそちらの方が大ニュースですよね」(同)
とにもかくにも、学会員の皆さんはお見逃しなく!? >>32
いつの時代でもあらゆる物事について語る時、人は肉体を含んで考えるしかできないし、精神もまた肉体の上からしか語りえない
当たり前のことを言っているだけだけど、精神はそもそも人間の尺度とは一致しないんじゃないかな
生きている人間すべてと言っていいが、
つまり何人も決して自由(精神のみ)になりえない
必然(肉体)に支配され、その程度はおそらく大きい 結局思うのは、キリストは目指すべき近づくべきであって同じになることはできないじゃないかとおもうんだ
だからキリストと同じことができなくとも、近づこうとすればいい、ドストエフスキーも「近づく」ことで溜飲を下げようとしたのではないかとも思える
「いまだに彼らの叡知も、心の情熱も、その昔キリストの示された姿より、さらに人間とその尊厳にふさわしいような立派な姿を創出することができないのだからな。かりにその試みがあったにせよ、できあがるのは奇形ばかりなのだ。」カラマーゾフの兄弟ゾシマより >>34
重要な情報ありがとうございました。かならずブランダム応援します。 >>36
リアルタイムにカキコ読んでいるよ。深いのでレスに時間かかるよ。
肉体と精神か。。。
われわれはいつも肉体に負ける... しかしそうとばかりも言えない... >>36
SUBARASII SISAKU GA KAITEARU と思います。
その上で、
>>37
> 結局思うのは、キリストは目指すべき近づくべきであって同じになることはできないじゃないかとおもうんだ
> だからキリストと同じことができなくとも、近づこうとすればいい、ドストエフスキーも「近づく」ことで溜飲を下げようとしたのではないかとも思える
この場合キリストですね。「近づく」とは、どういうことか。キリストや仏、「古い古い昔の高僧、使徒や殉教者たち」を目指すものもあろう。あるいは宗教にかぎらず、深いあこがれ、
自分にとってのアイドル、慈愛深き母、雄渾なる父に憧れ近づこうとするひともいるかもしれない。
その目指すべき対境が すでに存在しないならば または無限の距離ならば、いかにしてぼくらは
一致せんとするのか?
近づくための方法・手立てがわからないのだ。口まねすることか、身振り手振り歩き方をまねることか。
どう考え、どう思索し、どう決断したか、考えぬくか? どこまでいってもぼくらの憧れのターゲット、頼る人、それに一致することはない。 こういうとき、ぼくはいつも法華経如来寿量品第十六の
----------------------------------------------------------------
是時諸子。聞父背喪。心大憂悩。而作是念。若父在者。慈愍我等。能見救護。今者捨我。遠喪他国。自惟孤露。無復恃怙。
是の時に諸の子、父背喪せりと聞いて心大に憂悩して、是の念を作さく、若し父在しなば我等を慈愍して能く救護せられまし。今者我を捨てて遠く他国に喪したまいぬ。自ら惟るに孤露にして復恃怙なし。
常懐悲感。心遂醒悟。乃知此薬。色香美味。即取服之。毒病皆愈。
常に悲感を懐いて心遂に醒悟し、乃ち此の薬の色・香・味美きを知って、即ち取って之を服するに毒の病皆愈ゆ。
----------------------------------------------------------------
の一節を思い浮かべる。
父が亡くなるという この激甚の悲しみは、この孤独は、どうすれば癒えるのか?
もし父がいませば、まさにわれらを常に慈しみ哀れみ、どんな場合も守ってくださるのに。
我は孤独だ。この宇宙でおれより一人ぽっちで誰にも頼れないものはいない。
.... しかし、法華経によれば、「常に悲感を懐いて」心、ついに醒悟し... とある。 >>41
理想の人格に近くためにヘッセはこう言った
結論からいうと簡単で、探さないこと求めないこと
「探り求めるために見いだすに至らないのだ。
探り求めると、その人の目が探り求めるものだけを見る、ということになりやすい。 その人は常に探り求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標にとりつかれているので、何ものをも見いだすことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない。
探り求めるとは、目標を持つことである。 これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。 」
アリョーシャもまた、探した結果に善いを見つけたとは思えない
神聖な教会という場所から猥雑な俗世に向かったに過ぎない
と、そんな感想を抱くけどね 態度未決定性もいいよ。創価は浪人スレに誘導。安置。
一つ 1 の数もなめちゃいけない。 蜘蛛の糸にそっくりだ
むかしむかし、一人の根性まがりの女がいて、死んだのね。そして死んだ後、一つの善行も残らなかったので、守護天使はじっと立って、何か神様に報告できるような善行を思い出そうと考えているうちに、やっと思い出して、神様にこう言ったのね。
あの女は野菜畑でネギを一本抜いて、乞食にやったことがありますって。すると神様はこう答えたんだわ。
それなら、そのネギを取ってきて、火の池にいる女に差し伸べてやるがよい。
それにつかまらせて、引っ張るのだ。もし池から女を引き出せたら、天国に入れてやるがいいし、もしネギがちぎれたら、女は今いる場所にそのままとどまらせるのだ。天使は女のところに走って、ねぎを差し伸べてやったのね。 さ、女よ、これにつかまって、抜け出るがいい。そして天使はそろそろと引っ張り始めたの。
ところがすっかり引き上げそうになった時、池にいた他の罪びとたちが、女が引き上げられているのを見て、一緒に引き出してもらおうと、みんなして女にしがみついたんですって。
ところがその女は根性まがりなんで、足で蹴落としにかかったんだわ。
「私が引き上げてもらってるんだよ、あんたたちじゃないんだ。これは私のネギだ、あんたたちのじゃないよ」女がこう言い終わった途端、ねぎはぷつんとちぎれてしまったの。
そして女は火の池に落ちて、いまだに燃え続けているのよ。天使は泣き出して、立ち去ったんですって。 法華経を唱えない仏教は、仏教とはいえないよ!
って創価学会の人から言われました... >>43
若い友「見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬこと!
一つの目標が持てて、それに邁進できるような恵まれた人がいるように見えて、それによって周りが見えなくなる!
目的がなくて悩んでる人の多くに共通する処方箋は、世界を旅することだと思う!世界を旅することによって、いろんな生き方や考え方、そして、今まで知らなかった新しい価値観を見出だすことができる。」
我「そうではない。
探り求め、ついに見いだすに至る。
探り求めると、その人の目が探り求めるものだけを見る。
その人は常に探り求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標にとりつかれている。
他の何ものをも見ず、他のいっさいを拒否する。
探り求めるとは、目標を持つことである。
その目標は目前にある。世界にはない。いろんな生き方や考え方、そして、今まで知らなかった新しい価値観など、ない。
ただあるのは、きみの目前にあるもの、すなわち御本尊とこの信心のみである。この一法のみに賭けよ!」 ヘッセのシッダールタだね
ドイツ生まれなのに東洋の宗教に興味を持つなんて不思議なことだ わたしたちは東洋人なのに、ロシヤのキリスト教信仰に興味を持つのと同じことではないでしょうか?
特殊の中にこそ普遍がある。
「いろんな生き方や考え方、そして、今まで知らなかった新しい価値観」それらは世界を旅して見出すものではなく、足下の泉にある。
自分は論理的なこと、書けていない。それをば自覚している。
自分が伝達したいことは、言葉で表現できないし、ましてや相手の心と行動を変えることは、むずかしい。
.... と同時に、「言葉の行間に」迫真性と魂はこもるものと信ずる。 >>52
うるせー!
統合失調症患者!
ドストスレまで荒らすなよ!!
くたばれ >>51
たしかにそうだね
東洋人の自分がロシア思想に興味を持っている >>55-56
DJ学術!
くだらないバカな支離滅裂な言葉しか書けないんだから
とっとと消えろ! この害毒を垂れ流すキチガイが
荒らすなよ うぜええええ!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています