ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured おお、速攻レス、ありがとう
今夜遅くに返信する。もし生きていたならばwwww
オレ今 地獄の亡者状態なんだ >>180
> この地下室の快楽についての箇所は、ドストエフスキーならではの日常の普段の何ら平凡な感情に価値を見出すやり方がハッキリ出ていて、らしさを感じさせられるね
ここしか読んでない。歯痛のとこ。これって「日常の普段の何ら平凡な感情」とはいえんと思う。激痛やで?
らしさ全開だけど。
ラッセルの
> いわく、退屈の反対は苦痛ではなくて興奮であり、退屈さえしのぐことができるなら苦痛という快楽でも構わないと
苦痛をなめてる!金持ちの、健康人のたわ言の印象を受けてしまった >>181
君の持論のほうがラッセルより納得いったw また後で書く ぼくは何としても「ここにドストエフスキーの思考の秘密」というか「何かある」というか、そう感じるんだ。だからしつこく引用するんだ。
俺は丸ひと月も歯が痛んでいたんだ。だから、快楽があるのは知っているのさ。(快楽?)
この場合は、もちろん、黙ったまま腹を立てているわけじゃない。うめき声をあげるのだ。ただしこのうめ
き声は、あからさまなうめきではない。これは悪意のこもったうめき声なのだ。(悪意のこもった?)
この悪意がある点こそが肝腎だ。こういううめき声には、苦しむ者の快楽がにじんでいるものだ。
そこに(快楽を感じなければ、人はうめき声を出したりはしない。)(??)
<(自分の考え)以下の叙述はその通りその通りと。自分も無意識でこんな風に感じてるが、こんな文章化できない。
----------------------------------------------------------------
これは君たち、いい例だから少し発展させよう。このうめき声には、まず第一に、俺たちの意識に
とって実に屈辱的なこの痛みの無意味さがにじんでいる。
つまり、自然法則という奴は、もちろんこちらはそんなものを気にしちゃいないのだが、それでも
やっぱりその自然法則ゆえに苦しめられているというのに、向こうはまるきり平気ときている。
うめき声にあらわれているのは、闘うべき敵の姿は見えないのに、痛みはある、という意識だ。
いかに優秀な歯科医のワゲンハイム先生が何人かかっても、自分は完全に歯の奴隷だという意識、
誰かがその気になれば、こちらの歯の痛みは止まるのだが、その気にならなければこのままさらに
三ヶ月も痛み続けるだろうという意識だ。
そして最後に、それでもなお承服しないで抵抗するのなら、後は自分の慰めのために己が身を殴り
つけるか、さもなければいやというほど拳骨で壁をぶっ叩くしかない、他には文字通り何一つすべ
きことがないのだという意識である。
---------------------------------------------------------------- 退屈ですることがないから死ぬ
というのがドスト的虚無の本質で
なぜすることがないのかというと
地に足がついていないインテリだから
死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑し
その行動も暴走することもある
ドストの主張する土壌主義というのは
簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
このあたりはトルストイの労働観と変わらない
ロシア人はすぐ百姓に回帰する >>185
読書していていつも思うのは、結局は自分の体験した経験と現実的に連想できる部分でしか読み取れないということ
当たり前のことだけどね
ようは自分からすると、この引用の箇所から読み取れたのは疎外感であった
不幸が起こっているもの(痛みの中にいるもの)は、幸せのなかにいるもの(苦痛の外にいるもの)の世界の環境から外されている孤独感
>>186
>死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑(する)
まさにニヒリストを一言であらわしているね たとえばスタヴローギンの虚無は
ハイデガーの実存哲学にもつながる所があると思うのだけど
きちんと自殺に持って行くところが誤魔化しがなくていいね
神への信仰ということで日々の労役にいそしむ農奴も
虚無思想から自殺に向かう貴族も
自由意志の欠如という意味ではそれほど変わらない
まあ自殺が唯一の証明なのかも知れないけど
そこに善悪という価値は生じない
マトリョーシャの自殺は自発的信仰の放棄に由来する絶望であるが
こういう一般庶民の生活苦を合理化するため(つまり生につなぎとめる)
の思想すらスタヴローギンには無かったというわけで
この事実の発見こそが虚無をさらに強化する
というのは貴族的優越意識すら持てなくなるわけだから
最下層の貧民で小心かつ非力な小娘ですら「捨てる」ものがあるのに
美貌の青年貴族にはそんなものは最初からないわけです
そこで「罪」とか「人類の黄金時代」といった小癪なことを言い出すのだけど
そんなことは言い訳に過ぎない、ということが聡明な彼にはよく分かっている 肺病の私は本を読むのが好きであった。いな本だけが楽しみであった。
「良書は最良の大学のかわりをする」
この哲人エマソンの確信をオーストリアの作家ツヴァイクは若き日の向学の指針とした。
・若き日に、「青春の一書」と呼べる良書に出合えた人生は幸せである。
・薄給をやりくりして蓄えた小遣いを持って、神田の古本屋街に飛んでいき、望みの本を見つけて
は、はやる心を抑えて家路を急いだ。
寝る間も惜しんで、一ページ、また一ページと噛みしめるように読み進め、感銘する言葉を見つ
けるたびに、ワラ半紙の雑記張に書き写したことを、懐かしく思い出す。
・先人たちとの心の対話は、計り知れない魂の滋養となった。
名著を通し、先哲が遺してくれた精神の宝の遺産を受け継ぐことができる。
そこには、いかなる試練にも立ち向かう勇気が漲る。そして、あらゆる苦難に打ち勝つ智慧と力
が湧いてくる。
命を賭して綴られた文字は、不滅の命を持つ。
真剣なる人生の格闘が凝結した名著には、人類を益する力が込められている。
幾世紀の風雪を超えた書物の生命力は、試練と戦う人間を励まし、その生命力を奮い起こす。 コミュニケーション不全の社会に対話を復活させるには、まず言葉に精神性、宗教性の生気を吹
き込み、活性化させていかなければならない。
その活性化のための最良、最強の媒体となるのが、古典や名作などの良書ではないでしょうか。
・私の経験に照らしても、若いころから古典や名作に親しむ習慣をつけるということは、後々にい
たるまで、計り知れない財産となっていくものです。
・今、なぜ読書なのかといえば、第一に、それは読書経験が、ある意味で人生の縮図を成している
からです。
・古典や名作は、ダイジェスト本や結論だけを要約したものを読んで事を済ますわけには、決して
いきません。
苦しく困難な登はん作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書です。
・ひとり机に向かっての読書もそれなりの意味をもちますが、習慣化とういう意味からも、友人や
教師と一緒に、意見を交わしながらの読書経験は、一層意義深さを増すに違いない。
・人生の達人であった恩師の言々句々から学んだことは、本との付き合い方は、人間の付き合い方
と同じことであり、良書に触れることは、良き師、良き友をもつことと変わるものではないとい
う貴重な教訓でした。
・今、なぜ読書か。
その第二の意義として、蓄えられた読書経験は、巷にあふれ返るバーチャル・リアリティー(仮
想現実)のもたらす悪影響から魂を保護するバリアー(障壁)となってくれるでしょう。
・第三の意義として、読書は青少年のみならず、大人たちにとっても、日常性に埋没せず、人生の
来し方行く末を熟慮するよいチャンスとなるでしょう。
・いくら“活字離れ”がいわれても、否“活字離れ”の時代であればあるほど、私は、時代に抗して、
古典や名作と一度も本気で格闘したことのない青春は、なんと寂しく、みすぼらしいものかと訴
えておきたいのであります。
以上、池田先生 >>186
> ドストの主張する土壌主義というのは
> 簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
--------------
違うんじゃないかなっ!って感じちゃう
君の文は素晴らしいが、ドストはもっと際限なく深きものゆえ >>187
> 読書していていつも思うのは、結局は自分の体験した経験と現実的に連想できる部分でしか読み取れないということ
----------
君のこの文もまた重要だか、これとは別の面があるような気がしちゃう!
もっともっと もっとだ! もっと思索を深めてくれ >>188
君は悪霊を持ち出したかっ
それはまずいぞ。なぜなら俺はそれを読んでない。読んでたら批判しまくるんだがな!
ハハハ!(地下室風) 君が知識人なのは分かっている。にもかかわらず、反旗を翻すぞ
完全に納得いかないものには 1ルーブル=100コペイカでいいらしいな
死の家の記録にあった
ついでに1コペイカで玉ねぎ1個買えるみたいやね >>181
>やりがいとは適度なストレスに他ならない
そうかもしれない。その「適度」というのが また難しいね。
> そうするならば、苦痛もまた快楽に他ならない
ここでは、当てはまらないと思う。これは言葉の遊びではないか?(ごめん。ここんとこ
荒廃しててさ)
> 苦痛をあらわすことは自己顕示と注目をもらえるという、自意識にとっては何よりの褒美にもなるのかもしれないね
これは素晴らしい指摘だな。そうか、そうだったか!自己顕示と注目。。。 >>186
> 退屈ですることがないから死ぬ
こういう人物は罪と罰でいえばスヴィドリガイロフ?白痴では、該当者なし?
カラマーゾフでは、スメルジャコフかい?
> というのがドスト的虚無の本質で
> なぜすることがないのかというと
> 地に足がついていないインテリだから
> 死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑し
> その行動も暴走することもある
ガイロフは暴走しまくってんな。「死を覚悟した虚無」なんて、自分には理解しがたいし、
まゆつばで、抽象的で、だから罪と罰や地下生活者より、円熟期のカラマーゾフのほうが
肯定的な、信仰的な、円満で、理想的な、小宇宙がそこにないか?息づまるような、どこまでも暗い罪と罰よりも。
> ドストの主張する土壌主義というのは
> 簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
土壌主義これはカラマーゾフではまず前にぼくが引用したミーチャの詩を思い出す。
たしかにカラマーゾフのいたるところに頻出してたワードだと思う。
それは「地に足つけてきちんと働け!くらいの発想」なのかい?
記憶だけで書くが、「産みの大地から もぎはなされた 我が国の青年は... 」みたいなフレーズが頭のどこかに残っている。
それはもっと宗教的な意味合いを含むものと思っていた。もっとトータル的な、そして
民衆の信仰、民衆の生活 その苦悩その喜び 共同性、との分離かと。もちろん
「地に足つけてきちんと働け!」を含むだろう。
>このあたりはトルストイの労働観と変わらない
ロシア人はすぐ百姓に回帰する
うまく表現できないけど、こうしたことはロシア固有のはずがない。現代日本人だって
端的に言って、インテリ層、生活レベルの差、「民衆から切り離されている」といって過言ではないのでないか。あなたなら的確な表現で書けるはずだ。 >>196
自分の悪い傾向で、論理で詰めると言葉遊びとの境界がわからなくなる
やりがい≦快楽orやりがい≦ストレス
ストレス≦苦痛が真ならば
苦痛はやりがいの一種なので最初に戻り=快楽
上の根拠はこんな感じ
言葉遊びの域を出られないかもしれないけどw
>>188
スタヴローギンの考察は的確だね
> 最下層の貧民で小心かつ非力な小娘ですら「捨てる」ものがあるのに 美貌の青年貴族にはそんなものは最初からないわけです
これが破滅に至った本質だと同感する
貧民の少女に美貌の高級貴族が持ち得ないということ
ドストエフスキーは面白い設定とキャラクターを創り出すものだと、これが魅力でもあるよね >>195
いつのどこの玉ねぎよ?
日本のは年によって全然値段が違う >>195
1コペイカでタマネギ一個か
こういう感じでとらえるとわかりやすい 時代という概念があったかw
確かにいつのタマネギがによって変わってくる
タマネギ一つとっても分からなくなるとかw
難しい >>187
> 読書していていつも思うのは、結局は自分の体験した経験と現実的に連想できる部分でしか読み取れないということ
読書にかぎらず映画鑑賞などのバーチャルリアリティで、前から不可思議に思っていたこと。ある映画を見て感動して、ヤフーシネマ?なんか忘れたけどレビューするサイトがあんのよ。この感動を他人のひとと共有したーいって見に行くと「ハァ〜〜〜?」
「クソみたいな作品!」とか。見るひとによってすさまじいまでの感覚の齟齬は、そういうことで説明できるんだね。
とはいえ「夢見るような心」があれば、何歳になろうとも、先の池田先生の言葉を借りれば
「命を賭して綴られた文字は、不滅の命を持つ。
真剣なる人生の格闘が凝結した名著には、人類を益する力が込められている。
幾世紀の風雪を超えた書物の生命力」
そうした書物であれば「自分の体験した経験と現実的に連想できる部分」を超えて
否はるかに超えて、感動と、人生をゆっくり益していくような「そうしたあるもの」を与えてくれるのではあるまいか?逆にそれを古典的名著と呼ぶのではないか?まさにドストエフスキーではないか。
> ようは自分からすると、この引用の箇所から読み取れたのは疎外感であった
> 不幸が起こっているもの(痛みの中にいるもの)は、幸せのなかにいるもの(苦痛の外にいるもの)の世界の環境から外されている孤独感
「疎外感と孤独感」これこそ何と言おうか人類を分断し、小学校の教室から、世界歴史の
二国間の争いにいたるまで、悪魔が取りついて、人間を苦しめているのだ。
「たったひとり」に慈愛を注ぐ 気遣う「別のたったひとり」がいれば。
白痴でマリーが周囲のいっさいの人物から捨てられてるのに、ムイシュキンだけが愛を注いだ。やがて子どもたちがマネをしだした。ムイシュキンのことが好きだったからである。
これを現実世界で達成するのが宗教の役目だと思います。 オレの書いてることはナ!
ぜんぶオレの考えじゃないから!!
ぜんぶ学会の教えだからなWWW
ワシに逆らう奴はぜんいん仏罰当てたるけぇWWW 自分は江川卓の訳がすきなので本文の終わりには新しい小説を読むような感じで解説も楽しみにしている
悪霊の解説でスタヴローギンの告白ついてこう述べている
少し上のレスと被るのだけれど苦痛について述べている
苦痛とは他の苦痛で紛らわせることができ、そういうやり方でしか即効的に軽減する方法はないと
それは肉体的な苦痛だけではない、精神的な苦痛も含まれる スタヴローギンは足の悪い女と意図もなく結婚したり、少女を陵辱してみたり、とにかく自己を卑下して怒りとともにその快感を味わおうとする
この行為についてこういう考察がある
ぼくも共感しているんだ
「はげしい痛みに苦しんでいる人間が、ほんの一瞬でも苦痛を軽減できる姿勢を見いだそうとして、ベッドの中でもがきまわる姿にそれは似ている。」 彼は虚無感におそわれいて、おおよそ他の生き方ができない
虚無とは生きることにまったく価値を見出さないこと
ならばその苦痛は他の苦痛でまぎらわすしかなくなる
生に対する苦痛は生で起こる苦痛を求めるしか方法がないなんて、まったく絶望的というか暗い話だよね
だからこそのキリスト的な救済が必要、ということなんだろうけどね マルメラードフも家族のために酒をやめてちゃんと働けばいいのに
それができないんだよな
どうしても自ら破滅に向かいたがる人種 5チャンネルノ ミナサン コンニチハ
アナタハ カミヲ シンジマスカ
アナタハ フシヲ シンジマスカ 三浦海岸の海開きを待て。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/03/post-b7a3.html
キルケゴールは「週末に女のこと会える」から教会に行った。
しかし、カントは「地球という惑星が作り出す波の音」を作り上げ、男女の「セックスへの旅」
を作り上げた。
ニーチェのように「神は死んだ」と思うのであれば、父親も海は認めてくれるだろ。
結局、カントは何が言いたかったのか?
「ちんちんをデカくする方法が分かったのだ」
人類が何かを見失わないようにしたかったのだ。 >>207
レスを読んで悪霊を読みたくなったよ
まだ手に入ってないんだけど >>206
> スタヴローギンは足の悪い女と意図もなく結婚したり
が
> 「はげしい痛みに苦しんでいる人間が、ほんの一瞬でも苦痛を軽減できる姿勢を見いだそうとして、ベッドの中でもがきまわる姿にそれは似ている。」
の心理的説明たりうるか、解せない。
読んでないのにコメント 無謀だけどもw
読んでないといってもさすがにまったく読んでないんじゃないよ。訳が合わなかったのかなw
池田健太郎で。 ステパン氏が息子のピョートルに言い渡したように
「快楽を味わうにはそれと同量の苦痛が必要」である
また、この物語の祖述者であるG氏(アントン・ラヴレンチエヴィチ)
に述べているように「退屈に殺されないためには努力が必要」だ
ステパン氏は良心という内なる神に基づく自由精神(意識)によって
このような獣性に打ち克てると第1部1章で述べていたが
ステパン氏の年少の友人であり、かつての教え子
あるいはもう1人の息子(つまり分身)ともいえる
スタヴローギンは克服できなかった
といってもスタヴローギン「スタウロス(十字架)の人」は
愚鈍で意志薄弱なのではなく
自ら望んで快楽/苦痛の狭間に身を置く意思強固で理知的人物であり
そうしなければ生の実感を得られない虚無そのものと言って良い
快楽と苦痛の交差する場として設定されている
スタヴローギンの性格は人間存在の露出といっても良い
亀山郁夫が言うように生来のサディストだからとは思えないし
その無軌道な生も信仰喪失の常況に由来するからでもない
どちらかというと自意識によって神(善悪)を捕らえようとした
挑戦者的性格が強い >>216
す、すごいな。プロか。最初の16ページだけ読んでみよっかな。。。
訳はおすすめとか ありますか? といっても電子テキストで選べないからアレだけど。 死ん だ って、 車 の 跡 なんぞ 見え ねえ、 どう すりゃ いい ん だ、 道 に 迷っ ちまっ た。
悪霊 の やつ に 野原 へ 連れ込ま れ て、 ほうぼう 引き まわさ れ て いる んで さあ。 ……
……………………………… 悪霊 め が うようよ、 追わ れ て 行く わ、 あの 悲し げ な 歌声
は どう だろ う? 家 の 精 の 葬式 の 歌声 か、 それとも 魔女 の 嫁入り の 歌 か。
―― A・プーシキン
-----------------------------------
読みだした。テキストの入手に手間取った。 彼処 の 山 に、 多く の 豚 の 一群、 食し 居 たり し が、 悪霊 ども その 豚 に 入る を 許し
給わん こと を 請い たれ ば、 イエス 許し 給う。 悪霊、 人 を 出 でて 豚 に 入り たれ ば、
その 群、 崖 より 湖水 に 駈け 下り て 溺れ たり。 飼う 者 ども この 起こり し 事 を 見 て
逃げ 往き て、 町 にも 里 にも 告げ たれ ば、 人々 あり し 事 を 見ん とて 出 で、 イエス
に 来り て 悪霊 の 出 で たる 人 の、 衣服 を つけ、 慥 なる 心 にて、 イエス の 足下 に
坐し おる を 見 て 懼 れ あ えり。 かの 悪霊 に 憑かれ たる 人 の 救わ れ し 事柄 を 見 し
者 ども、 これ を 彼ら に 告げ たり。
ルカ 福音書、 第 八 章 三十 二 節 〜 三十 六 節
------------------------
う〜ん... 謎めいてる。エクソシストみたいなもんか? スチェパン・ヴェルホーヴェンスキイについて
皮肉的な叙述から始まるのですね。。。 >>216
善悪とは生得的でもなく後天的でもなく、とらえようとするもの限定にあらわれるのかもしれないね
イワンやスタヴローギンやラスコリニコフはその類いのキャラクター設定といえる
彼らはしかも理知で捕まえようとした
ソーニャは真逆のやり方でそれをすべて神に委託するわけだけども、この大局観が読者としては面白い ソーニャって美人なんですか?
イギリスのドラマ版だと女中のナスターシャの方が綺麗だったが >>217
>訳はおすすめとか ありますか?
亀山訳でなければ良いと思いますが
どういうわけか亀山訳だとマトリョーシャの年齢が14歳になっているので…
悪霊では「2」「3」「5」「12」「20」といった数字が頻出し
キーワードになっているようなので
ここは亀山意訳の14歳ではなく、数えで12歳とした方が良いのでは
たとえばリーザが22歳でその婚約者が33歳(あるいは32)
ダーシャが20歳、(女の腐ったような)ステパン氏と
女専制主義者ワルワーラ夫人との交友期間(つまり居候期間)が20年とか
ピュタゴラス学派によると男は2で女は3(あるいはその逆)で結婚は5で
宇宙も5(あるいは+1で6)という解釈で
ドスト氏はわりとそういう数秘術に凝った人です
亀山先生はそういうことがよく分かっている筈なのに14歳にしてしまう キリ―エフとはKirillo Belozersky Monastery(キリロ ベロゼルスキー修道院)の
所在地名からとったらしくKirilloというのはCyril という聖者からとったそうです
またCyriとは「主」(Kyrieキリエですね)「強いもの」という意味の他に
教会、膨張、アーチ状の天井(ドーム)というニュアンスがあるそうです
で、スタウロスとは古代ギリシア語で
これがラテン語のcrux(十字架)と意訳されたわけですが
正しくは柱あるいは棒杭
ラストで天井(Cyriキリーロフ)の下で棒(スタウロス)のようにぶら下がる
その遺書が「鉄棒曳」とリーザに揶揄されたダーシャに宛てられる
という象徴的な配置が読み取れるのかもしれません
そう考えるのならメルヴィルの「ピエール」に似た終わり方です
最初のG氏との対話でキリーロフは
真の強者は強靭な意志の元で自由を獲得すべく自死を選ぶ
と述べていますがこれは伏線なんですね
キリーロフ自身(天井、主の意味)も含めて 十 八 世紀 に 書か れ た イギリス の 風刺 小説 の 主人公 ガリヴァー は、 国民 全部 が 十 センチ
ほどの 身の丈 しか ない 小人国 から 帰国 し た とき、 自分 を 巨人 と 考える 習慣 が つい て い
た ので、 ロンドン の 町 を 歩き ながら 通行人 や 馬車 に 向かっ て、 道 をよ け て注意 しろ、
踏みつぶす ぞと 大声 で 叫ん だ そう で ある。 自分 が 相変わらず 巨人 で、 相手 は 小人 だ と
思い込ん で い た の だ。 そこで 人々 は 彼 を あざけっ て 罵倒 し た。 手荒 な 御者 は この
《 巨人》 を 鞭 で なぐりつけ さえ し た。 だが、 これ は 正しい こと だろ う か。 まったく
習慣 という もの は 何 を しでかす か わから ない もの で ある。
<この風刺は俺自身にあてはめたとき、どんな意味をもっているのか? 彼 は また、 一 四 一 三年 から 二八 年 にかけて ドイツ の 小 都市 ハナウ に 生じ かけ た
自由民 権的 な、 ハンザ 同盟 的 意義 と、 結局 それ が 実ら なかっ た 特殊 な 漠然たる
理由 について、 輝かしい 学位論文 を 発表 し た。 この 学位論文 は、 当時 の スラヴ 派
連中 の 急所 を たくみ に 手ひどく 突い た もの だっ た ので、 彼 は たちまち スラヴ 派
の あいだ に 大勢 の はげしい 敵 を 作る 結果 と なっ た。
<スラヴ 派とは何か?また この論文が「急所 を たくみ に 手ひどく 突きえた」理由はどう推測されるのか? 『 ファゥスト』 第二 部 を 連想 さ せるがごときスチェパンの寓意 詩
やがて、 舞台 が またもや 一転 し て、 こんど は 荒涼たる 土地 が 現われ、 そこ の 峨々 たる
断崖絶壁 の あいだ を 文明 人 で ある ひとり の 青年 が さまよい ながら、 ある 草 の 葉 を む
しり取っ ては、 その 汁 を すすっ て いる。 そうして 妖精 から どうして その 草 の 汁 を 吸う
のかと きか れる と、 青年 は こう 答える。 自分 は 身 の うち に ありあまる ほどの 生命 を
感じ て いる ので、 忘却 を 捜し求め て ついに この 草 の 汁 の なか に それ を 見つけた、
けれども 自分 の 最大 の 願い は 一刻 も 早く 知恵 を 失う こと で ある、 と( この 願い は
少々 過剰 な 気味 が ある)。 すると 不意 に 筆舌 も 及ば ぬ 美 青年 が 漆黒 の 馬 に うち また
がっ て そこ へ 駆けつけ て 来る。 後ろ には あらゆる 民族 の 群れ が あふれん ばかり につき
従う。 その 美 青年 は 死 の 象徴 で あり、 すべて の 民族 が 死 を 待ちこがれ て いる の だ。
やがて 終幕 に なる と、 とつぜん バベルの塔 が 現われる。 力自慢 の 力士 たち が、 新しい
希望 の 歌 を 歌い ながら、 いまや 塔 を 建て 終わろ う と し て いる。 そう し て これ で もう
てっぺん が 仕上がる という その とき、 オリンポス 山 の 主神 か 何 か 支配 著 たる 神 が、
滑稽 な 恰好 で すたこら 逃げ出す。 すると それ に 気づい た 人類 が 彼 の 座所 を わが 手 に
おさめ、 新しい 事物 の 洞察 力 を 身 に つけ て ただちに 新しい 生活 を 始める
----------------
梗概だけきけば天才的な匂いがする 自分が読みだして初めて、悪霊らしいイメージの一説が出てきました。今夜はここまでに。 >>226
巨人の国で尊大な人間と扱われるのが当たり前の習慣になったためガリヴァーはロンドンで傲慢になった
馬の国で良識と譲渡を持って扱われるのが当たり前の習慣になったためロンドンでは人を人間を嫌悪して閉じこもる
習慣にとって良識が主人でもいいし、悪徳が主人でも
よくて、その人間の鏡といってもいいかもね
ドストエフスキーの言葉を借りれば、「人間とは、どんなことにも、すぐ慣れる動物である。私には、これこそ、人間の最上の定義であると思える。」 >>224
> キリ―エフとはKirillo Belozersky Monastery(キリロ ベロゼルスキー修道院)の
> 所在地名からとったらしくKirilloというのはCyril という聖者からとったそうです
> またCyriとは「主」(Kyrieキリエですね)「強いもの」という意味の他に
> 教会、膨張、アーチ状の天井(ドーム)というニュアンスがあるそうです
>
> で、スタウロスとは古代ギリシア語で
> これがラテン語のcrux(十字架)と意訳されたわけですが
> 正しくは柱あるいは棒杭
>
> ラストで天井(Cyriキリーロフ)の下で棒(スタウロス)のようにぶら下がる
--------------------
キリーエフ
> 教会、膨張、アーチ状の天井(ドーム)
なぜかこの一句だけが 頭の中に叩きこまれました。早くキリちゃんやスタちゃん出てこないかな。
と思って読みだしたが、ぜんぜん出てこない。 >>230
「人間とは、どんなことにも、すぐ慣れる動物である。私には、これこそ、人間の最上の定義であると思える。」
この一節の出典と 前後の文脈は どうだったんだろう?と思いました。ありがとうございました。 >>231
そうとう後にならないと出てこないよ
悪霊の前半は夫人とステパン氏の馴れ初めで終わる なぜこんなにスチェパン氏に対して 皮肉的なの?
なぜいじわるな書き方なの? 罪と罰、白痴、カラマーゾフの愛読者のぼくには
不思議だなぁ! ステパンは色々問題行動とかもあった(と思う)が
基本的に善良な人物なんだよな
元農奴の人からも慕われたし 象徴としての役割さえ果たしていれば良い。
https://www.youtube.com/watch?v=-fkopce-aeU
男性のシンボルの真実。情報戦。信用される王子様と万世一系。 ステパン氏は上レスでもあるように自堕落な人格を持っているけどとても善良な人だと思う
「ああ、ほんとうにもういちど生きたい!」
異常なほどの生命力をみなぎらせて、彼は叫んだ。「人生の一分一分、一刻一刻が、人間にとって至福の時でなくちゃならない…そうでなくちゃ、ぜひともそうでなくちゃ!
そうすることが、当の人間にとっての義務なんです。これは、人間の掟なんです――隠された掟、でも、必然的に存在する掟……ああ、ペトルーシャに会いたい……彼らみんなに……シャートフにも。」
ほとんどの登場人物が絶望的な運命をたどる中で、ステパン氏は悲劇的でもあるがどこか明るい一面も担っているね 717 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :2018/03/28(水) 03:35:37.41 ID:ROkM9gwS0
そろそろ互いの肛門を舐め合おうじゃないか、諸君、 「ああ それ は、」 と 長老 が 言っ た。「 それ は 昔 『 ラケル わが子 ら を思い嘆きて
慰むことを得ず。なんとなれば子らは有らざればなり』と ある のと 同じことじゃ。
これ が お前 たち 母親 にとってこの世のおきてなの じゃ。 ああ 慰め られ ぬ が よい、
慰め られる こと は いら ぬ、 慰め られ ず に 泣く が よい。 ただ な、 泣く たび ごと
に 怠り なく、 お前 の 子供 は 天使 の 一人 と なっ て、 天国 から お前 を 見おろし な
がら、 お前 の 涙 を 見 て 悦ん で、 それ を ば 神様 に 指さし て おる という こと を、
忘れ ぬ よう に 思い出す の じゃ ぞ。 お前 の 母親 として の 大きな 歎 き は まだまだ
続く が、 しまいに は それ が 静か な 悦び と なっ て、 その 苦い 涙 も 静か な 感動 の 涙、
もろもろの罪を救い心 を 浄 め る 涙 と なる で あろ う。 お前 の 子供 に 回向 を してや
ろ う。 名前 は なんと いう の じゃ な?」
------------------------------------------------
(我)ぼくは この文を 青春時代の感動のままに 今もまったく同じ気持ちで 精魂込めて
手入力で打った。
『 ラケル わが子 ら を思い嘆きて慰むことを得ず。なんとなれば子らは有らざればなり』は
ぼくが唯一丸暗記している聖書の語句とも言える。 『 お前 は 馬鹿 な 奴 じゃ、 何 を 泣く こと が ある か、 うち の 子 も 今 きっと 神様 の 所 で、
天使 達 と 一緒 に 歌 を 歌う て おる に 違い ない。』 と つれあい は 申し ます が、 その くせ
、 自分 でも 泣い て おる ので ござい ます。 見る と やっぱり わたくし と 同じ よう に、 泣い
て おる ので こ ざり ます。 わたくし は そう 申し まし た。『 ニキートカ、 それ は わたし も
知っ て いる、 あの 子 は 神様 の 所 で のう て、 ほか に いる はず が ない。 けれども 今 ここ
に、 わし ら の 傍 に 一緒 に おら ん、 前 の よう に ここ に 座っ て い ない じゃ ない か!』
------------------------------------------------
(我)このような叙述は、自分が体験したか、実際に見聞したのでなければ、ぜったいに書けまい。
頭脳からひねくり出したものではないのだ。
母は「神様 の 所 で、 天使 達 と 一緒 に 歌 を 歌う て おる」ことではなく、わが子に会いたいというのだ。 ゾシマ自身が体調が悪く衰弱が進んでおり死に近い存在となっているが、ひと時 自分を愛し求める民衆のために 心をくだき身をけずっているのだ。
2ちゃんねらーなら この場合何というか。試しにぼくが例文を作ってみせる。
「おい、ババァ。人間つーもんはナ、だれでも死ぬんだよ!いつまでもくよくよしてんじゃねーよ。子供のことは早く忘れて自分と旦那のこと考えろよwwwww 」
集中力がとぎれて自分の本性があらわになってしまったがw しかし、ゾシマとねらーはどこが違うのか?
「ああ 慰め られ ぬ が よい、慰め られる こと は いら ぬ、 慰め られ ず に 泣く が よい。」
なんという神秘的な言葉か! そう当時のぼくは感じた。そして
「ただ な、 泣く たび ごとに 怠り なく、 お前 の 子供 は 天使 の 一人 と なっ て、 天国 から お前 を 見おろし ながら、 お前 の 涙 を 見 て 悦ん で、 それ を ば 神様 に 指さし て おる という こと を、
忘れ ぬ よう に 思い出す の じゃ ぞ。」
これは『確信』を示す。祈りと回向の力への。天体の運行よりも確実に、人間を癒やし、諸罪をきよめ、かならず亡き子に届くことを。いかにいわんや 生きている子に対しておや。(別の農婦への
指導の中にあった)
「 お前 の 母親 として の 大きな 歎 き は まだまだ続く が、 しまいに は それ が 静か な 悦び と なっ て、 その 苦い 涙 も 静か な 感動 の 涙、もろもろの罪を救い心 を 浄 め る 涙 と なる で あろ う。
」となるであろうと。
おかしなことに、思春期のぼくは、子もいないのに、少年であるのに、『これは自分に言われた言葉であり、かつこのゾシマの予言のごとくなるであろう」と感じた。
そして、しめくくりに
「お前 の 子供 に 回向 を してやろ う。 名前 は なんと いう の じゃ な?」
こんな偉い こんな凄い 長老が、我が子のために祈ってくれる回向をしてくれる、というのだ。 ぼくが時間を割いてカラマーゾフの、今の場合とくにゾシマについて
ここにカキコしていくのは、ドストエフスキーへ導いた亡き母への報恩のためです。
そして母だけではない。青春時代に出会った、無数のぼくを助けてくれた人たちへの
回向です。
ミスタイプ多く、ほとんどが長文引用で、大したこと書けませんが、あまりに意義深き
特別の力を帯びているとしか 言いようがありません。カラマーゾフと こうした場面は。 >>243
死後の世界をどういう形でさえも信じること、再会の可能性を与えられていること、ドストエフスキーの最も書きたかったことはこの「希望」だったのかもしれない
ただ、来世ではなくこの世で亡き者にもう一度再会したいと願う心情は、時に永遠さえも支払うほどの対価になりうるだろうし、生者なら誰でも同じ思いにかられるだろうけどね
「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。
「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって。またお互いにみんなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」
半ば笑いながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。 >>233
> そうとう後にならないと出てこないよ
> 悪霊の前半は夫人とステパン氏の馴れ初めで終わる
これ聞いてショック受けて悪霊ちょっと止まりましたw ありがとう >>244
君はいつもぼくが言いたいことをかんぺきに理解してくれている。
惰弱なおれだから、今朝も体調不良してしまったゼ。慎重なレスをつけたいからこそ
時間をおくれ。 >>223
>悪霊では「2」「3」「5」「12」「20」といった数字が頻出し
この数字にもとずいてネットポーカーで大勝負展開してる、全財産負けてもイイ
なんとなれば、ネトゲしてる時間がもったいないのと、『賭博者』の世界を体験したいから 学生さん、私をあわれんでください
私は酒のみですが貧乏、pどん底になるとあわれんでもらえるのがうれしいんですよ 僕はこんなに頭がいいんです。頭のいい僕を皆さん褒めて下さい
皆さん僕を認めて下さい。僕の承認欲求を満たしてください
まで読んだ >>244
> 死後の世界をどういう形でさえも信じること、
人間にとってふだん忘れているが不変不滅の、この希望について。
>再会の可能性を与えられていること、ドストエフスキーの最も書きたかったことはこの「希望」だったのかもしれない
ほんとうにそう思う。言われて気がついた。カラマーゾフの世界を貫徹してるものは「希望」だ。
全世界の「カラマーゾフの兄弟」の愛読者の諸君!きみらは次に引用する箇所をよく知っているだろうし、ぼくのごとく愛してることと思う!!
ヨブの物語について。
------------------------------------------------
『ああ! なんたることだ!以前の 子供ら はいなくなったのに、以前の子供らが
永久に奪い去られたのに、どうして彼はこの新しい子供らを愛することができたのか?
どんなに新しい子供らが かわいく思われるにもせよ、以前の子供らのことを思い出して、
前と同じように十分な幸福を味わいうるだろうか?』
ところが、 それ は 可能 なのである。大いに可能 なので ある。
昔の 悲しみ は 人生 の 偉大 な 神秘 によって、 しだいしだいに しずか な感激に満ちた 喜び へと 変わっ て いく。若いときの 沸き たつような 血潮 の かわり に、つつましく晴れ晴れとした 老年 が 訪れる のである。
余は日々の日の出を祝福し、余の心は依然として日の出に向かって歌を歌うけども、しかしどちらかというと、むしろ入り日のほうを愛する。
------------------------------------------------
この先が美しいのだ、すばらしいのだ!ところがぼくは疲れてしまって、もう手入力できない。
もう一度ここを再読してくれ。
これは、人生の暗い格闘を経て、晩年のドストエフスキーがたどり着いた境涯を示すのでなかろうか?これこそ「希望」ではないか。 >>244
> 「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。
> 「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって。またお互いにみんなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
> 「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」
> 半ば笑いながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。
---------------------------
。。。このカラマーゾフのエピローグの大団円については、きみと同じく特別の思いがある。
また今度書きたい。ひとことだけ。白痴で企図された「真に肯定的な人物」の創作は、カラマーゾフの
アリョーシャにいたって完璧に達成された。 >>250
> 僕はこんなに頭がいいんです。頭のいい僕を皆さん褒めて下さい
> 皆さん僕を認めて下さい。僕の承認欲求を満たしてください
違うんだよ。感激なんだよ!僕たちカラマーゾフの読者は、感激を抑えきれないんだよ!!
涙なしに読めないんだよ。「未知の世界へのあこがれ」であり、「人生を愛し続けたい」
「いい人間になりたい」それしかないんだ。過去の苦悩と笑顔をもって決別しようという
願いなのさ! ヨブ記は文学として読めると思うんだ
世界最古の文学なんて言われることもある
デフォーもロビンソンクルーソーはヨブ記を元にしたなんて言われている、ほかにも参考にした文豪は多い
(信仰で読んでるかたが気を悪くしたら悪いけど)
さすがに聖書の全読はできないけどヨブ記が一番好き >>237
>ほとんどの登場人物が絶望的な運命をたどる中で、
>ステパン氏は悲劇的でもあるがどこか明るい一面も担っているね
あの人の死は第二部のワルワーラ夫人との破局の時点で予言されている
(他にも狂女マリヤの口からも予言めいたことが語られている)
だから退屈な前半も読み飛ばしてはいけないと思う
ワルワーラ夫人がステパン氏に押しつけようとしたのは
シャートフ(イワン)の妹で百姓娘のダーシャ(保護する者という意味)であり
夫人は彼女の事を「天使のような子ですよ」といっていた
これに反発して家出したステパン氏がロシア民衆の原像として
「テンシイジョウナンデス…」と見初めたのが聖書売りのソフィヤ(知恵の意味)
進歩的領主であるワルワーラ夫人が理想像として擁した
二人の進歩的知識人としての息子たち(ステパンとニコライ)が死亡して
かわりに非常に土俗的な宗教的存在の娘たち(天使)が脇侍としてすり替わり、
と同時にワルワーラ夫人の意味も変容する
というのがあの作品の隠された意味だと思う
一種のイコンですね
ちなみにチホン庵室での告白でスタヴローギンが言及していた
アトスの修道院にあるイコンは「三本手の生神女」というマリヤ像で
その裏にあるのは聖人ニコラオス(ニコライ)であり
冤罪と子供の救済者として知られている >>255
> 俺はハバククの書
いちおう検索して目を通した。僕らの宗教には 不受余経一偈「余経の一偈をも受けざれ」という大切な教えがある。
他宗の、つまりキリスト教の経典などだね。いかなる教えもぜったいに信じてはいけないし、見てもいけない。
ときには破ることもあるねw 失礼と思ったからさ。 >>258
読んでないが、カキコの労力に対しレスつけさせてくれ。
> (他にも狂女マリヤの口からも予言めいたことが語られている)
> だから退屈な前半も読み飛ばしてはいけないと思う
前半こそがんばって読むんですね。
> ワルワーラ夫人がステパン氏に押しつけようとしたのは
> シャートフ(イワン)の妹で百姓娘のダーシャ(保護する者という意味)であり
> 夫人は彼女の事を「天使のような子ですよ」といっていた
> これに反発して家出したステパン氏がロシア民衆の原像として
> 「テンシイジョウナンデス…」と見初めたのが聖書売りのソフィヤ(知恵の意味)
>
> 進歩的領主であるワルワーラ夫人が理想像として擁した
> 二人の進歩的知識人としての息子たち(ステパンとニコライ)が死亡して
> かわりに非常に土俗的な宗教的存在の娘たち(天使)が脇侍としてすり替わり、
> と同時にワルワーラ夫人の意味も変容する
> というのがあの作品の隠された意味だと思う
> 一種のイコンですね
>
> ちなみにチホン庵室での告白でスタヴローギンが言及していた
> アトスの修道院にあるイコンは「三本手の生神女」というマリヤ像で
> その裏にあるのは聖人ニコラオス(ニコライ)であり
> 冤罪と子供の救済者として知られている
------------------------------------------------
あなたの悪霊への入れ込み方を見れば、立派な作品であることがわかる。とは言え、読む前に「
いわゆるネタバレ」的なことにはならない?w >>258
背景とかとても詳しいね
ステパン氏はワルワーラ夫人と何だかんだで一緒になると思ってたけどね、だけどソフィアを「選ぶ」ことに意味があるか
この関係こそ意味があるか
>>260
悪霊は難しいので把握して読むくらいがちょうどいいよ
ちなみにシェイクスピアも同じと個人的には思ってる >>261
> 悪霊は難しいので把握して読むくらいがちょうどいいよ
> ちなみにシェイクスピアも同じと個人的には思ってる
ハムレットとか把握しないでもいけたね 自分 は 身 の うち に ありあまる ほどの 生命 を 感じ て いる ので、 忘却 を 捜し求め て ついに この 草 の 汁 の なか に それ を 見つけ た、 けれども 自分 の 最大 の 願い は 一刻 も 早く 知恵 を 失う こと で ある、
-----------------------------
これはなんの譬喩か。気になる > 理想家 の 自由主義 者 よ、
……………………
おん み は 叱責 の 権化 として
祖国 の 前 に 立ち つづけ た
ネクラーソフ が そう 歌っ た 人物 なら ば、 たとい 退屈 では あっ ても、 その 気 に なれ ば
一生 そういう ポーズ を 取り つづける こと も でき た だろ う。 ところが わが スチェパン・
ヴェルホーヴェンスキイ 氏 は、実 を 言え ば そういう 人物 の 模倣 者 でしか なかっ た から、
時々 くたびれ て つい ごろりと 寝そべっ て しまう ので ある。
>敏感 な スタヴローギナ 夫人 が 生涯 を通じて 彼 を あらゆる 卑しい 傾向 から 守ろ う と し
た のは 言うまでもない。 実際、 スチェパン 氏 には 守り 役 が 必要 だっ た ので ある。 とい
う のは 彼 が どう かする と 奇妙 き て れつ な 人間 に なっ て、 高尚 な 文化人 の 悲哀 に 沈
ん で いる 最中 に、 とつぜん どん 百姓 の よう な 馬鹿笑い を 始め たり、 そう かと 思う と、
諧謔 まじり に 身の上 話 を 始める 瞬間 が あっ たり し た ので ある。 ところが スタヴロー
ギナ 夫人 が 何 よりも ぞっと し た のは、 この 諧謔 的 な 話しぶり で あっ た。
----------------------------
若いときに読んでいれば、中年?のこうした話は退屈だったかもしれない。が、今は
「身につまされる」ものがある。これは俺のことではないか? そしてわれわれの年代
の多くに共通する特質・傾向性ではないか、と感じた。 唐突で かつ ここに書く必要もないことですが、... 白痴を冒頭から読んでみたくなった
しかも紙の書籍で。それも自分が10代の時から親しんだ 故郷から持ちだして 今も手もとに残っている この唯一の 灰色の書籍で。 訳者の好みというのは、ひとことで言えないものがありますね。
ぼくは米川正夫が好きで、カラマーゾフも罪と罰も、とにかく出来るかぎり全部を、あの焦げ茶色の
全集で読みたかった人間だったが。
たまたま手にした、この木村浩訳白痴だけは別だった。ひとことでいうと「伊東静雄が書いたんじゃないか」と思わせるような詩的な文体なのです。
諸事情でなかなか作品そのものを読むことできないし、このスレにカキコできないのもストレスだが、
(ここが気になる、心配なんだ、ここは大切な場だ) 一行一行に魂がこもっている。限界まで彫琢しきっている。それは作品を愛しているからだ。
そうした点が、カラマーゾフや罪と罰における米川と、白痴における木村の共通するところであります。
おやすみなさい。 最後に書き忘れた。
青空文庫には邪悪なものを感じる。というのは、ドストエフスキー作品米川正夫訳などの作業進展が
遅すぎること。5年も6年?もなど、どう考えてもおかしい。ぼくがタイプでも校正でもやりたいくらいだ。
つべで朗読のひとは、膨大な量を、我が身を削って、やり遂げている。
事情があるのでしょうが、システム的におかしいのでしょう。寝る直前のフラフラで、多少酔っ払ったようなこと書きましたが。文章もめちゃくちゃですねw じっと見つめる瞳。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-c4da.html
なぜ、神聖ローマ帝国は英語に滅ぼされたのだろうか?
カール大帝が作った「スポーツ国家」を攻略するためには「女の子と話す」ことが
必要だった。
もっとも素直な言語はそのようにして作られた。
核兵器も出来た。 だ〜れもカキコしないじゃんw たちませい!!はカキコと言えんよw
そんなら、わいのゾシマネタ行くよ
「可愛い 名前 じゃ。 神 の 使い アレクセイに あやかっ た の じゃ な?」
「神 の 使い で ござい ます、 長老 様、 神 の 使い で ござい ます、 神 の 使い アレクセイ で
ござい ます!」
「なんと いう 聖 い 子 じゃ! 回向 を し て やる、 回向 を してやる!
それから お前 さん の 悲しみ も 祈祷 の 中 で 告げ て やろ う し、 つれあい の 息災 も 祈っ て
やろ う。
しかし な、 かみさん、 お前 さん つれあい を 捨て て 置く のは 罪 な こと じゃ、
これから 帰っ て 面倒 を 見 て やり なさい。 お前 さん が 父親 を 捨て た のを 子供 が 天国
から 見 た なら ば、 二人 の こと を つら がっ て 泣く じゃろ う。
どうして お前 は 子供 の幸せ に 傷 を つける の じゃ? なぜ と いう て、 子供 は 生き て おる、
おお 生き て おる とも、 魂 は 永久 に 生きる もの じゃ。 家 に こそ おら ね、目に見えぬ姿で
お前 が た 夫妻 の 傍 について おる の じゃ。 それに、 お前 さん が 自分 の 家 を 憎む などと
言っ たら、 どうして その 家 の 中 へ 入っ て 来ら れる もの か! お前 さん が た 二人 が、
父 と 母 が 一つ 所 に おら ぬ と し たら、 子供 は 一体どっち へ 行っ たら よい と 思う?
今 お前 は 子供 の 夢 を 見 て 苦しん で おる が、 つれあい と 一緒 に なっ たら、 子供 が お前 に 穏 かな 夢 を 送っ て くれる じゃろ う。 さあ、 かみさん 帰り なさい、 今日 の 日 にも 帰り なさい。」
「帰り まする、 長老 様、 あなた 様 の お 言葉 に 従う て 帰り まする。 あなた 様 は わたくし
の 心 を 見抜い て 下さ れ まし た。 ああ ニキートカ、 お前 は わし を 待ち兼ね ていさっしゃ
ろうなぁ、 ニキートカ、 さぞ 待ち兼ね ていさっしゃろうなぁ。」 と 女房 は また お 経 でも
唱える よう に 言い出し た。 けれど 長老 は もう 別 な 老婆 の 方 へ 向い て い た。 『 ニキートカ、 それ は わたし も 知っ て いる、 あの 子 は 神様 の 所 で のう て、
ほか に いる はず が ない。 けれども 今 ここ に、 わし ら の 傍 に 一緒 に おら ん、
前 の よう に ここ に 座っ て い ない ではない か!』
--------------------------------
と農婦が叫んだときの悲しみは、消えてなくなったのではない。
ところが、ゾシマに聴いてもらうことで、たしかに癒やされていく。
これが「人格の力」であり、傾聴の力である。なおかつ、ゾシマは正しい道を示す。
ダンナの元へ帰れと。
たとえば自分が若いとき、飼い猫のナムコが死んだ。自分の愚かさゆえに事故で死なせたのだ。
ぼくは誰にもそのことを、このような形で、聴いてもらっていない。
悲しみは、この世の情けなさは、おのが胸の中だけにしまわれていった。
例によって寝る直前であり、何を書いているか、自分でも分からなくなってきたがw
試みに問う!世界文学史上、ゾシマより親しみやすい、常に正しい道を示す、父の如き聖人と
いったものは描かれてきたのか? >>275
フェラポントよ!
> ゾシマなぞ腹の虫を甘味で満たしおった邪道だでな
この発想自体がおかしいのだ。甘いもの食べたらなんであかんの? 夫れ老狐は怩あとにせず
白亀は毛宝が恩をほうず
畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、
されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて
こう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、
いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、
此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、
譬へば衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし
方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや、
仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからず
いとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず
是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母・師匠等の心に随うべからず、
この義は諸人をもはく顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、
しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり、
内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、
比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。 息子 の ワーセンカ という のが、 どこ かの 陸軍 被服 廠 に 勤務 し て い た が、 その後、
シベリア の イルクーツク へ 行っ て、 二度 そこ から 手紙 を 寄越し た きり、 もう まる
一年 たより を し ない。 老婆 は 問い合わせ も し て 見 た が、 正直 な ところ、 どこ に
問い合わせ たら いい か わから ない ので あっ た。
「ところが せんだって、 スチェパニーダ・ べ ドリャーギナ という 金持ち の 店屋 の お
かみさん が、 ねえ、 プローホロヴナ、 いっそ 息子 さん の 名前 を 過去帳 へ 書き込ん で、
お寺 様 へ 持っ て 行っ て お 経 を 上げ て お もらい、 そう し たら 息子 さん の 魂 が 悩み
出し て、 手紙 を 寄越す よう になり ます、 これ は 確か な こと で、 何遍 も 試し た こと
が ある ん だ よ って。 こう スチェパニーダ さん が おっしゃる けれど、 わたし は どんな
もの だろ う かと 存じ まし て ねえ…… 一体 本当 で ござい ましょ う か、 そんな こと を
し て よろしい もの で ござい ましょ う か、 一つ お 教え なすっ て 下さい まし。」
「その よう な こと は 考える こと もなり ませ ぬ ぞ。 訊く のも 恥ずかしいこと じゃ。
生き て おる 魂 を、 しかも 現在 の 母親 が 供養 する という よう な こと が、 どうして
できる と お 思い なさる? これ は 大きな 罪 で、 妖法 にも 等しい こと じゃ。 しかし、
お前 の 無知 に 免じ て 赦し て 下さる で あろ う。 それ より お前、 すぐ にでも 味方 を し
て 助け て 下さる 聖母 様 に お祈り し て、 息子 の 息災 で おり ます よう に、 また 間違っ
た こと を 考え た 罪 を お 赦し 下 さり ます よう にと、 お願い し た が よろしい ぞ。
それから な、 プローホロヴナ、 わたし は お前 さん に これ だけの こと を 言う て おこ う、
―― 息子は 近い うち に 自分 で 帰っ て 来る か、 それとも 手紙 を 寄越す か、 どっち か
一つ に 違い ない。 お前 も その つもり で おる が よい。 さあ、 もう 安心 し て 帰り なさ
い。 わし は 言う て おく が、 お前 の 息子 は 元気 で いる。」 長老は深刻な悩みだけでなく、くだらない悩みにも答える。長年にわたるこうした地道な作業が自己をふりかえり、ゾシマをゾシマたらしめたのであろう。 なぜ、「くだらない悩みにも答える」のか?
本人にとっては「下らなくないからである」それこそ「よく生きるための」契機となるからである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています