ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>237
>ほとんどの登場人物が絶望的な運命をたどる中で、
>ステパン氏は悲劇的でもあるがどこか明るい一面も担っているね
あの人の死は第二部のワルワーラ夫人との破局の時点で予言されている
(他にも狂女マリヤの口からも予言めいたことが語られている)
だから退屈な前半も読み飛ばしてはいけないと思う
ワルワーラ夫人がステパン氏に押しつけようとしたのは
シャートフ(イワン)の妹で百姓娘のダーシャ(保護する者という意味)であり
夫人は彼女の事を「天使のような子ですよ」といっていた
これに反発して家出したステパン氏がロシア民衆の原像として
「テンシイジョウナンデス…」と見初めたのが聖書売りのソフィヤ(知恵の意味)
進歩的領主であるワルワーラ夫人が理想像として擁した
二人の進歩的知識人としての息子たち(ステパンとニコライ)が死亡して
かわりに非常に土俗的な宗教的存在の娘たち(天使)が脇侍としてすり替わり、
と同時にワルワーラ夫人の意味も変容する
というのがあの作品の隠された意味だと思う
一種のイコンですね
ちなみにチホン庵室での告白でスタヴローギンが言及していた
アトスの修道院にあるイコンは「三本手の生神女」というマリヤ像で
その裏にあるのは聖人ニコラオス(ニコライ)であり
冤罪と子供の救済者として知られている >>255
> 俺はハバククの書
いちおう検索して目を通した。僕らの宗教には 不受余経一偈「余経の一偈をも受けざれ」という大切な教えがある。
他宗の、つまりキリスト教の経典などだね。いかなる教えもぜったいに信じてはいけないし、見てもいけない。
ときには破ることもあるねw 失礼と思ったからさ。 >>258
読んでないが、カキコの労力に対しレスつけさせてくれ。
> (他にも狂女マリヤの口からも予言めいたことが語られている)
> だから退屈な前半も読み飛ばしてはいけないと思う
前半こそがんばって読むんですね。
> ワルワーラ夫人がステパン氏に押しつけようとしたのは
> シャートフ(イワン)の妹で百姓娘のダーシャ(保護する者という意味)であり
> 夫人は彼女の事を「天使のような子ですよ」といっていた
> これに反発して家出したステパン氏がロシア民衆の原像として
> 「テンシイジョウナンデス…」と見初めたのが聖書売りのソフィヤ(知恵の意味)
>
> 進歩的領主であるワルワーラ夫人が理想像として擁した
> 二人の進歩的知識人としての息子たち(ステパンとニコライ)が死亡して
> かわりに非常に土俗的な宗教的存在の娘たち(天使)が脇侍としてすり替わり、
> と同時にワルワーラ夫人の意味も変容する
> というのがあの作品の隠された意味だと思う
> 一種のイコンですね
>
> ちなみにチホン庵室での告白でスタヴローギンが言及していた
> アトスの修道院にあるイコンは「三本手の生神女」というマリヤ像で
> その裏にあるのは聖人ニコラオス(ニコライ)であり
> 冤罪と子供の救済者として知られている
------------------------------------------------
あなたの悪霊への入れ込み方を見れば、立派な作品であることがわかる。とは言え、読む前に「
いわゆるネタバレ」的なことにはならない?w >>258
背景とかとても詳しいね
ステパン氏はワルワーラ夫人と何だかんだで一緒になると思ってたけどね、だけどソフィアを「選ぶ」ことに意味があるか
この関係こそ意味があるか
>>260
悪霊は難しいので把握して読むくらいがちょうどいいよ
ちなみにシェイクスピアも同じと個人的には思ってる >>261
> 悪霊は難しいので把握して読むくらいがちょうどいいよ
> ちなみにシェイクスピアも同じと個人的には思ってる
ハムレットとか把握しないでもいけたね 自分 は 身 の うち に ありあまる ほどの 生命 を 感じ て いる ので、 忘却 を 捜し求め て ついに この 草 の 汁 の なか に それ を 見つけ た、 けれども 自分 の 最大 の 願い は 一刻 も 早く 知恵 を 失う こと で ある、
-----------------------------
これはなんの譬喩か。気になる > 理想家 の 自由主義 者 よ、
……………………
おん み は 叱責 の 権化 として
祖国 の 前 に 立ち つづけ た
ネクラーソフ が そう 歌っ た 人物 なら ば、 たとい 退屈 では あっ ても、 その 気 に なれ ば
一生 そういう ポーズ を 取り つづける こと も でき た だろ う。 ところが わが スチェパン・
ヴェルホーヴェンスキイ 氏 は、実 を 言え ば そういう 人物 の 模倣 者 でしか なかっ た から、
時々 くたびれ て つい ごろりと 寝そべっ て しまう ので ある。
>敏感 な スタヴローギナ 夫人 が 生涯 を通じて 彼 を あらゆる 卑しい 傾向 から 守ろ う と し
た のは 言うまでもない。 実際、 スチェパン 氏 には 守り 役 が 必要 だっ た ので ある。 とい
う のは 彼 が どう かする と 奇妙 き て れつ な 人間 に なっ て、 高尚 な 文化人 の 悲哀 に 沈
ん で いる 最中 に、 とつぜん どん 百姓 の よう な 馬鹿笑い を 始め たり、 そう かと 思う と、
諧謔 まじり に 身の上 話 を 始める 瞬間 が あっ たり し た ので ある。 ところが スタヴロー
ギナ 夫人 が 何 よりも ぞっと し た のは、 この 諧謔 的 な 話しぶり で あっ た。
----------------------------
若いときに読んでいれば、中年?のこうした話は退屈だったかもしれない。が、今は
「身につまされる」ものがある。これは俺のことではないか? そしてわれわれの年代
の多くに共通する特質・傾向性ではないか、と感じた。 唐突で かつ ここに書く必要もないことですが、... 白痴を冒頭から読んでみたくなった
しかも紙の書籍で。それも自分が10代の時から親しんだ 故郷から持ちだして 今も手もとに残っている この唯一の 灰色の書籍で。 訳者の好みというのは、ひとことで言えないものがありますね。
ぼくは米川正夫が好きで、カラマーゾフも罪と罰も、とにかく出来るかぎり全部を、あの焦げ茶色の
全集で読みたかった人間だったが。
たまたま手にした、この木村浩訳白痴だけは別だった。ひとことでいうと「伊東静雄が書いたんじゃないか」と思わせるような詩的な文体なのです。
諸事情でなかなか作品そのものを読むことできないし、このスレにカキコできないのもストレスだが、
(ここが気になる、心配なんだ、ここは大切な場だ) 一行一行に魂がこもっている。限界まで彫琢しきっている。それは作品を愛しているからだ。
そうした点が、カラマーゾフや罪と罰における米川と、白痴における木村の共通するところであります。
おやすみなさい。 最後に書き忘れた。
青空文庫には邪悪なものを感じる。というのは、ドストエフスキー作品米川正夫訳などの作業進展が
遅すぎること。5年も6年?もなど、どう考えてもおかしい。ぼくがタイプでも校正でもやりたいくらいだ。
つべで朗読のひとは、膨大な量を、我が身を削って、やり遂げている。
事情があるのでしょうが、システム的におかしいのでしょう。寝る直前のフラフラで、多少酔っ払ったようなこと書きましたが。文章もめちゃくちゃですねw じっと見つめる瞳。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-c4da.html
なぜ、神聖ローマ帝国は英語に滅ぼされたのだろうか?
カール大帝が作った「スポーツ国家」を攻略するためには「女の子と話す」ことが
必要だった。
もっとも素直な言語はそのようにして作られた。
核兵器も出来た。 だ〜れもカキコしないじゃんw たちませい!!はカキコと言えんよw
そんなら、わいのゾシマネタ行くよ
「可愛い 名前 じゃ。 神 の 使い アレクセイに あやかっ た の じゃ な?」
「神 の 使い で ござい ます、 長老 様、 神 の 使い で ござい ます、 神 の 使い アレクセイ で
ござい ます!」
「なんと いう 聖 い 子 じゃ! 回向 を し て やる、 回向 を してやる!
それから お前 さん の 悲しみ も 祈祷 の 中 で 告げ て やろ う し、 つれあい の 息災 も 祈っ て
やろ う。
しかし な、 かみさん、 お前 さん つれあい を 捨て て 置く のは 罪 な こと じゃ、
これから 帰っ て 面倒 を 見 て やり なさい。 お前 さん が 父親 を 捨て た のを 子供 が 天国
から 見 た なら ば、 二人 の こと を つら がっ て 泣く じゃろ う。
どうして お前 は 子供 の幸せ に 傷 を つける の じゃ? なぜ と いう て、 子供 は 生き て おる、
おお 生き て おる とも、 魂 は 永久 に 生きる もの じゃ。 家 に こそ おら ね、目に見えぬ姿で
お前 が た 夫妻 の 傍 について おる の じゃ。 それに、 お前 さん が 自分 の 家 を 憎む などと
言っ たら、 どうして その 家 の 中 へ 入っ て 来ら れる もの か! お前 さん が た 二人 が、
父 と 母 が 一つ 所 に おら ぬ と し たら、 子供 は 一体どっち へ 行っ たら よい と 思う?
今 お前 は 子供 の 夢 を 見 て 苦しん で おる が、 つれあい と 一緒 に なっ たら、 子供 が お前 に 穏 かな 夢 を 送っ て くれる じゃろ う。 さあ、 かみさん 帰り なさい、 今日 の 日 にも 帰り なさい。」
「帰り まする、 長老 様、 あなた 様 の お 言葉 に 従う て 帰り まする。 あなた 様 は わたくし
の 心 を 見抜い て 下さ れ まし た。 ああ ニキートカ、 お前 は わし を 待ち兼ね ていさっしゃ
ろうなぁ、 ニキートカ、 さぞ 待ち兼ね ていさっしゃろうなぁ。」 と 女房 は また お 経 でも
唱える よう に 言い出し た。 けれど 長老 は もう 別 な 老婆 の 方 へ 向い て い た。 『 ニキートカ、 それ は わたし も 知っ て いる、 あの 子 は 神様 の 所 で のう て、
ほか に いる はず が ない。 けれども 今 ここ に、 わし ら の 傍 に 一緒 に おら ん、
前 の よう に ここ に 座っ て い ない ではない か!』
--------------------------------
と農婦が叫んだときの悲しみは、消えてなくなったのではない。
ところが、ゾシマに聴いてもらうことで、たしかに癒やされていく。
これが「人格の力」であり、傾聴の力である。なおかつ、ゾシマは正しい道を示す。
ダンナの元へ帰れと。
たとえば自分が若いとき、飼い猫のナムコが死んだ。自分の愚かさゆえに事故で死なせたのだ。
ぼくは誰にもそのことを、このような形で、聴いてもらっていない。
悲しみは、この世の情けなさは、おのが胸の中だけにしまわれていった。
例によって寝る直前であり、何を書いているか、自分でも分からなくなってきたがw
試みに問う!世界文学史上、ゾシマより親しみやすい、常に正しい道を示す、父の如き聖人と
いったものは描かれてきたのか? >>275
フェラポントよ!
> ゾシマなぞ腹の虫を甘味で満たしおった邪道だでな
この発想自体がおかしいのだ。甘いもの食べたらなんであかんの? 夫れ老狐は怩あとにせず
白亀は毛宝が恩をほうず
畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、
されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて
こう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、
いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、
此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、
譬へば衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし
方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや、
仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからず
いとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず
是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母・師匠等の心に随うべからず、
この義は諸人をもはく顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、
しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり、
内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、
比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。 息子 の ワーセンカ という のが、 どこ かの 陸軍 被服 廠 に 勤務 し て い た が、 その後、
シベリア の イルクーツク へ 行っ て、 二度 そこ から 手紙 を 寄越し た きり、 もう まる
一年 たより を し ない。 老婆 は 問い合わせ も し て 見 た が、 正直 な ところ、 どこ に
問い合わせ たら いい か わから ない ので あっ た。
「ところが せんだって、 スチェパニーダ・ べ ドリャーギナ という 金持ち の 店屋 の お
かみさん が、 ねえ、 プローホロヴナ、 いっそ 息子 さん の 名前 を 過去帳 へ 書き込ん で、
お寺 様 へ 持っ て 行っ て お 経 を 上げ て お もらい、 そう し たら 息子 さん の 魂 が 悩み
出し て、 手紙 を 寄越す よう になり ます、 これ は 確か な こと で、 何遍 も 試し た こと
が ある ん だ よ って。 こう スチェパニーダ さん が おっしゃる けれど、 わたし は どんな
もの だろ う かと 存じ まし て ねえ…… 一体 本当 で ござい ましょ う か、 そんな こと を
し て よろしい もの で ござい ましょ う か、 一つ お 教え なすっ て 下さい まし。」
「その よう な こと は 考える こと もなり ませ ぬ ぞ。 訊く のも 恥ずかしいこと じゃ。
生き て おる 魂 を、 しかも 現在 の 母親 が 供養 する という よう な こと が、 どうして
できる と お 思い なさる? これ は 大きな 罪 で、 妖法 にも 等しい こと じゃ。 しかし、
お前 の 無知 に 免じ て 赦し て 下さる で あろ う。 それ より お前、 すぐ にでも 味方 を し
て 助け て 下さる 聖母 様 に お祈り し て、 息子 の 息災 で おり ます よう に、 また 間違っ
た こと を 考え た 罪 を お 赦し 下 さり ます よう にと、 お願い し た が よろしい ぞ。
それから な、 プローホロヴナ、 わたし は お前 さん に これ だけの こと を 言う て おこ う、
―― 息子は 近い うち に 自分 で 帰っ て 来る か、 それとも 手紙 を 寄越す か、 どっち か
一つ に 違い ない。 お前 も その つもり で おる が よい。 さあ、 もう 安心 し て 帰り なさ
い。 わし は 言う て おく が、 お前 の 息子 は 元気 で いる。」 長老は深刻な悩みだけでなく、くだらない悩みにも答える。長年にわたるこうした地道な作業が自己をふりかえり、ゾシマをゾシマたらしめたのであろう。 なぜ、「くだらない悩みにも答える」のか?
本人にとっては「下らなくないからである」それこそ「よく生きるための」契機となるからである。 旦那を殺害した若い女房のこと。
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>「ちょっと お待ち !」 と 言っ て 長老 は、 いきなり 自分 の 耳 を 女 の 口 の 傍 へ 近づけ た。 女 は ほとんど 何一つ 聞き取る こと が でき ない くらい 小さな 声 で 続け て、 やがて まもなく 話し 終わっ た。
自分ゾシマ以外の誰にも聞かせてはならない相談事項。
>「三年 目 に なる の じゃ な?」 「三年 目 で ござい ます。 初め の うち は なんとも 思い ませ ん でし た が、 この 頃 では 病気 する ほどまでに 気 が ふさい で 参り まし た。」
事件からどれだけの時間が経過してるか、重要事項なのだろう。
> 「遠方 かな?」 「ここ から 五百 ベルスタ で ござい ます。」
>「懺悔 の 時 に 話し た かな?」 「話し まし て ござい ます、 二度 も 話し まし た。」
「聖餐 を 頂い た かな?」 「頂き まし た。 長老 さま、 恐ろしゅう ござい ます、 死ぬ のが 恐ろしゅう ござい ます。」
「懺悔 の 時 に 話し た か」「聖餐 を 頂い た か」いずれも宗教的に重要なのであろう。 やっぱ小説はドストで決まりだな
俺は先ごろついに「罪と罰」を読み終えてものすごく感動した。
文学とはこうあるべきものだ、とおもった。
このあとカラマを読もうと思うが長いからいつ読み終わることかと心配。
まだ買ってない
カラマを読み切った人がいたらコツを教えろ 読むだけ
長さに慣れるのに海外ミステリとかいいかな。キングとか
コツは急がば回れ 永遠の夫、が好きなんだが
あとがきにもあるように、タイトルが綺麗過ぎる
やはり、万年夫、みたいなのがいいな
万年床とかの万年
何が、永遠の夫、だよ
翻訳者は責任とって吊れ!
ってかもう死んでるか >>283
>このあとカラマを読もうと思うが
>長いからいつ読み終わることかと心配。
>まだ買ってない
その前に「悪霊」を読んだ方がいいし
できれば「白痴」と「未成年」も読んだ方がいい
ドストエフスキーが保守作家として決定的に転向したのは「悪霊」で
「未成年」もカラマーゾフへのつなぎとしては案外重要
それと「地下室の手記」と「未成年」は双子の様なもので
いわゆる「カーニバル理論」や「ポリフォニー小説」で評価すると弾かれてしまうが
当然のことながらバフチンの理屈でドストエフスキーは論じられない
とくに後期小説は カラマーゾフを読むコツは登場人物の名前にまどわされないことです
関係図をよくみながら読むのをオススメします >>287
> >このあとカラマを読もうと思うが
> >長いからいつ読み終わることかと心配。
よくわかりますw
> その前に「悪霊」を読んだ方がいいし
> できれば「白痴」と「未成年」も読んだ方がいい
> ドストエフスキーが保守作家として決定的に転向したのは「悪霊」で
> 「未成年」もカラマーゾフへのつなぎとしては案外重要
> それと「地下室の手記」と「未成年」は双子の様なもので
これについては「翻訳文の好みといっしょで」自分の読書体験からアドバイスするものでは?と感想を持った。
ぼくの観点からは、次のようにアドバイスする。「最高の作品から読むべき」
つまり「カラマーゾフから」です。
なぜなら、他の作品を読んでいる間に何らかの理由で、カラマーゾフに到達するのが、10年も遅れたらどうしますか?
細部の、メロドラマ的な、イリューシャと父の物語。3兄弟の姿。静謐な僧院。宗教的な高みと俗世の猥雑性。若いときほど、強くイメージが刷り込まれ、それ以降の人生の羅針盤となる。
カラマーゾフを読んだなら、かならず白痴・悪霊も読もうとするはず。
> いわゆる「カーニバル理論」や「ポリフォニー小説」で評価すると弾かれてしまうが
> 当然のことながらバフチンの理屈でドストエフスキーは論じられない
まったく同意。なぜなら彼らは批評家にすぎざるゆえ。カラマーゾフのような作品は、そのようなものを読書の便宜に必要とせず。 久々にドストエフスキーを読んだがやっぱりめちゃくちゃ面白いな
悪霊は初読だがスタヴローギンの自殺の理由がいまいちわからないからまた読み直す
ステパン共々イエスになぞらえられてる表現があるがこれと関係あるのかな 私は、自分がいっそ自殺すべきである、いやしい虫けらのようにこの地上から自分を掃き捨てるべきであることを知っている。しかし私は自殺が怖い、なぜなら心の広さを示すことを恐れるからだ。
私はそれがまたしても欺瞞であるだろうこと、無限につづく欺瞞の列の最後の欺瞞であるだろうことを知っている。心の広さを演じてみせるためだけに自己をあざむいてみて何になろう?
私の内部には憤怒と羞恥はけっして存在しえないだろう。したがって、絶望も。 >>291
「おまえは僧院を出ていっても、色々な敵を作り出すであろうが、その敵さえおまえを愛するようになる。また人生はおまえに数々の不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸福になることもできれば、人生を祝福することもできる」
ゾシマ長老の年若き兄
「お母さん、泣くのはおやめなさい。人生は楽園です。ぼくたちはみんな楽園にいるのです。ただぼくたちがそれを知ろうとしないだけなんです。もしそれを知る気になったら、明日にもこの地上に楽園が現出するのです」 〔I〕地獄と地獄の業火について。神秘的考察
諸氏よ、『地獄とはなんぞや』と考察するとき、余は次のごとく解釈する、『すなわち、
もはや愛しあたわざる苦悶である』時間をもっても、空間をもっても、測ることのできな
い無限の生活において、ある一つの精神的存在物は、地上の出現によって「われ在り、ゆ
えに、われ愛す」という能力を授けられた。彼は実行的な《生きた》愛の瞬間を、
一度、たった一度だけ与えられた。 「自殺について」
----------------------------------------------------------------
しかし地上において われとわが身をほろぼしたものは気の毒である。
まことに自殺者は気の毒である ! これより不幸な者はほかにないと余は思う。
彼らのために神を祈るは罪悪である、と人は言う。
そうして、教会も表面的には彼らを破門するようなぐあいである。
けれども、余は心の奥で、彼らのためにも祈ることができると考えている。
キリストも決して愛をとがめて、怒られるわけはなかろう。
余は自白するが、こういう人々のために一生涯、心のなかで祈っていた、今でも日ごと
祈っている。
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「サタンの倨傲?悪について」
しかし、地獄の中にも傲慢、残忍を押し通したものもいる。否定することのできぬ真理を
覚知し、かつ認識したにもかかわらず、サタンとその倨傲な精神に結合しきった恐ろしい
人間もいる。 >>290
彼の自殺の意味探求はチホンの告白をよむといいよ
チホンいわく、スタヴローギンのマトリョーシカに対する感情はキリスト者のそれとまで言ってる会話がある
再読するほどよく読んはいないので、解釈はいささか難しいけど、たしかそのへんだったと思う
自分も読み返してみよう! >>293
そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、
或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候
とみへて候。
さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は地獄其の人
の心の内に候。譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし。
仏と申す事も我等が心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、珠の中に財のあるが
ごとし。我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし。我等が心の内に仏
はをはしましけるを知り候はざりけるぞ。
たゞし疑ひある事は、我等は父母の精血変じて人となりて候へば、三毒の根本、淫欲の
源なり。いかでか仏はわたらせ給ふべきと疑ひ候へども、又うちかへしうちかへし案じ
候へば、其のゆわれもやとをぼへ候。
蓮はきよきもの、沼よりいでたり。せんだんはかうばしき物、大地よりをいたり。さくらは
をもしろき物、木の中よりさきいづ。やうきひは見めよきもの、下女のはらよりむまれたり。
月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいで
て我をかざる。 彼は実行的な《生きた》愛の瞬間を、一度、たった一度だけ与えられた。これがすなわち
地上生活なのである。それと同時に時間と期限が与えられた。ところが、いかなる結果が
生じたか? この幸福な生きものは限りなくとうとい賜物をこばんで、尊重することも愛好
することも知らず、嘲笑の目をもってながめながら、冷淡な態度をじしていた。
(引用者注、これはわれわれのことである) こういう人間でも、すでに地上を去れば、かの富者とラザロの寓話が示すように、
アブラハムのふところも見るだろうし、アブラハムと話をまじえることもあろうし、
天国も見、神の御もとに昇ることもあるかもしれないが、
まさに、人を愛さずに神の御もとへ昇り、自分を愛してくれた人たちの愛を蔑視したその
人間は、その愛してくれた人たちと接触するということに苦痛をおぼえるはずである。な
ぜなら、そのときはっきりとそういうことがわかり、すでに自分で自分にこう言い聞かせ
ることになるからだ。
「いまになってやっとわかった、いまさら愛することを熱望したところで、もはや愛の偉業
をたてることもできないし、犠牲になることもできない。なぜならもう地上の生活はおわっ
てしまって、アブラハムもたとえ一滴の生ける水(つまり昔の実行的な地上の生活の恵み)も
もたらしてくれない、そしてその生ける水で、地上にいた頃は蔑視していたが、いまは大い
に燃えさかっているこの精神的愛の渇望の炎を消してはくれないからだ。もはや地上の生活
はないし、これ以上その時間もないのだ ! 自分の命も他人のために喜んで投げだそうにも、
もはやそれはできない、というのは、愛の犠牲にささげることのできたあの生活は過ぎ去っ
てしまい、いまではあの生活とこの暮らしのあいだに底知れぬ深淵が横たわっているからだ」 http://www.rock.sannet.ne.jp/hg31cc/parable.html/para16.html
ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜい沢に遊び暮らしていた。ところが、
ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その
食卓から落ちる物で飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬が来て彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使い達に連れられてアブラハムのふところに送られた。
金持ちも死んで葬られた。そして黄泉(よみ)にいて苦しみながら、目を上げると、アブラハム
とその懐にいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで彼は声を上げて言った、『父アブラハムよ、私を哀れんでください。ラザロをお遣わし
になって、その指先を水で濡らし、私の舌を冷やさせてください。私はこの火炎の中で苦しみ
もだえています』。
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前良いものを受け、ラザロの
方は悪いものを受けた。しかし、今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
そればかりか、私たちとあなたがたとの間には大きな深遠が置いてあって、こちらからあなた
方のほうへ渡ろうと思ってもできないし、そちらから私たちの方へ越えて来ることも出来ない』
そこで金持ちが言った、『父よ、ではお願いします。私の父の家へラザロをお遣わしください。
私に5人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告して頂き
たいのです』。
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者がある。これに聞くが良かろう』。
金持ちが言った、『いいえ、父アブラハムよ、もし死人の中から誰かが兄弟達の所へ行ってく
れましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみ
がえって来る者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。 私もそう思います。
同じ人が長ったらしいレスしてますね >>289
確かに。
自分は罪と罰読んでカラマーゾフ行くのに10年以上空いてる。
それから悪霊・白痴 自殺は他人が追い込むものであって自己に決定権はない。
自分が自分を殺しているようで、その最低の行為まで追い込んだのは他人だ。
自殺に対する救済も考えなくてはならないが、決して本人のせいと
問い詰めないことだろう。その人を失ったあとでも。
自殺を思っても希望や願いを捨ててはいけない。最後まであきらめない生を持つ
者が勝者として自殺にこだわらず輝くだろう。 >>289
> > その前に「悪霊」を読んだ方がいいし
> > できれば「白痴」と「未成年」も読んだ方がいい
> > ドストエフスキーが保守作家として決定的に転向したのは「悪霊」で
> > 「未成年」もカラマーゾフへのつなぎとしては案外重要
-----------------
この方はホンモノのドスト愛好家です。最初は「罪と罰」から入り、発表時系列に主要作品から小作品まで読んだほうがよいに決まっている。
それは大前提として、別の視点を提出した。 >300>301
なんやコラ!何やコラ♪
>限りなくとうとい賜物をこばんで、尊重することも愛好することも知らず、嘲笑の目をもってながめながら、冷淡な態度をじしていた。
これはお前たちのことやでw 「限りなくとうとい賜物」とは、おれが引用したドストの文だよw 愚者もドストエフスキーを引くことができる。
自慰の目的にな。 ドストエフスキー 愚者?タロット最上位か。
自撫 自慰 とて可能背的世界が限界の時には有効な愛の形だと思うけど。
経験ないけど。 罪と罰といったって懲役を食らった間抜けな話であって、余り両書とは言えません。
入門ならカラマーゾフの兄弟をお勧めしますが。 気持ちいい。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ab0c.html
女性がきれいになるためには、「行きたい美容院に行く、近所の歯医者に行く」方法(現象学)
の研究が必要になる。
今は「子供のお弁当」「愛妻弁当」が主流だが、
いずれは「詩の解釈が抜群だ」という方向に向かうだろう。
スポーツ選手との結婚とサラリーマンとの結婚が変わらなくなってきたのだ。 ボクシングWBA世界ミドル級王者・村田諒太(32)の初防衛戦が決まった。
ときは4月15日、ところは横浜アリーナだ。
対するは同級10位のイタリア人、エマヌエーレ・ブランダムラ(38)。
「対戦相手のブランダムラから“仰天発言”が飛び出して、会見場の空気が一瞬にして凍りついたんです」
と現場で取材していたスポーツライターが明かす。
「会見の冒頭、ブランダムラが“日本に深い思い入れがある”と話を始めたのですが……」
彼は、強豪ひしめくミドル級で欧州王者だったというからそれなりに強いのだろうが、世界的には無名で、記者たちもその素性をよく知らなかった。
そこで、会見の最後にある記者が彼に質問した。 〈先程“日本に思い入れがある”と仰いましたが、細かく教えて頂けますか?〉
こんなときは大概、“スシが好き”などのグルメ方面、あるいは“ドラゴンボールのファンだ”なんていうアニメ方面に話が進む。
しかしブランダムラは、
〈私は仏教に帰依しておりまして……〉
ほう、そう来たか――とライターが膝を打った瞬間、
〈創価学会の池田大作氏が日本人であること、ここに故郷があるということで……〉
と“学会愛”を語り出したのだ。
「記者一同ドン引き。隣にいた村田は苦笑いしてました」(先のライター)
気まずい雰囲気のまま会見は終了。なお、この発言を記事にした社は無かった。
「ブランダムラは“(池田氏から)ご招待を受けるか、もしかしたら試合を観戦なさるかも”と言ってましたけど、
長らく公の場に姿を現していない池田氏が観戦に来たとしたら、きっと試合結果よりそちらの方が大ニュースですよね」(同)
とにもかくにも、学会員の皆さんはお見逃しなく!? 代表作とか知名度のある作からはいるのは定石だよね
だから罪と罰から興味を持つのは自然だし、自然だからこそ有名になったとも言える
そこまではよくある話だけど、ドストエフスキーの面白いところは次にじゃあ読んでみるか!と思って読んだら、他の作品もよむか!と次につながるところだよね >>310
> 罪と罰といったって懲役を食らった間抜けな話であって、余り両書とは言えません。
学術 さん !これはあまりにも単純化がひどすぎると思いますがw (というか世界中のだれ一人
同意しませんよw )
> 入門ならカラマーゾフの兄弟をお勧めしますが。
おれもホンネではそう思ってます(さらにいえば、米川訳で、と) 米川訳は、各登場人物が 生き生きした独特の方言?みたいのしゃべって、
だれがだれか混乱すること少ないですよ 悪霊も挫折した
白痴も挫折した
せめてカラマーゾフのゾシマの引用箇所の解説を完成させたい 私はは5大長編はあとは「未成年」だけを残すところとなってる
でも悪霊とかカラマーゾフは繰り返し何回か読みたい
2年に1回読めたらいい方だろうが /:::ヾ \
|::::::| カ ル ト |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-|ミ
/ヽ ──| ● | ̄| ● ||
< \_/ ヽ_/| マイ聖教しろ
ヽ| /( )\ ヽ
| ( ` ´ | |
| ヽ \_/\/ヽ/ |
ヽ \  ̄ ̄/ トルストイの復活を読み始めた
ドストエフスキーとやたら比べられるという理由で
これは思ってたよりかなり読みやすくてびっくり 株や為替の値動きの見方。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-e8fb.html
株価は女の値段。
円高は男の値段。
部落や在日差別はなくならない。「株価にいい影響があるんだ」
「男が女を愛する心を利用するのが経済」だとするのであれば、成熟経済とは理想と現実のギャップを
楽しめる時代を意味する。
「テレビは差別するためにある」 カラマーゾフの兄弟、最終的に江川訳か米川訳で悩んでるがどっちがいいんや? >>327
> カラマーゾフの兄弟、最終的に江川訳か米川訳で悩んでるがどっちがいいんや?
南無妙法蓮華経 、米川訳! 手もとにある電子テキスト(なんとか訳)を手作業で毎回1時間かけて
不完全ながら米川訳に修正してここに出している。ただのコピペではないのです。
それほどの労作業をあえてさせるほどの「翻訳」です。
米川訳のカラマーゾフは「原文を超えるほどの魂を持つ」ぼくはそう信じている。
学問的根拠などいっさいない。信じているのだ。
後続の江川であれ、なんとかであれ、だれであれ、米川訳の偉業という基盤があって、
それを参照しつつ、独自色を出そうとして、字句の選定に苦労したのだと推測してます。
「古いから」馬鹿げきった見識です。たとえば、即興詩人の翻訳文で、鴎外を超えることができますか? >>330
タブレットで読める人なら便利だし本がたまって置くとここまるとかないしいいんじゃない?
内容はなにも変わらないし
紙の本じゃないと読んだ気がしない自分にはない選択肢だけど プーシキンとゴーゴリへのリスペクト
ツルゲーネフをディスってる おちんちんむきむき体操 と某板で書いたら延々と粘着された >>332
わかるわ
ドストエフスキー派ならついでにナボコフもdisっても問題ない 元国事犯で死刑判決を受けた(恩赦で減刑)ドストエフスきーが
似たような境遇であったプーシキンを賛美する
しかしその褒め方はわりと慎重であり
晩年の演説でプーシキン文学の本質は秘密に包まれている、
としてその革命的性格についての言及を避けているのはそのため
もっとも同演説では
国民詩人たるプーシキンは民衆の生活や心情を描くと同時に
他国人の心情をも複写し得る偉才であり
これはプーシキンのみならずロシア国民の汎世界的性格に由来する
つまり、(汎世界的)ロシア人が(汎世界的)プーシキン文学に親炙する事こそ
世界を読み解き、世界を領導することにつながる
として、一種の超国家主義的文化革命を訴えている
他にも後期長篇ではフランスとの関係悪化を反映してか
フランスエリートやフランスかぶれを腐す部分が散見される
ようするにロシア知識人や上流階級の西欧への劣等感や反感を巧みについている
そういう意味では死ぬまで過激派であり煽動家だったとさえ言える >>336
プーシキンのなかに扇動家の一面を見つけるとは面白い見方だね
トルストイの言葉を借りれば、人間は例え売春婦や強盗者でさえ自分の立場を正当化し、自分を都合よく作り上げ、善悪の歪曲を見ないようにしてしまうという
まさにその代理者である扇動者の意思の属性はいったいどのに根ざしているのか、とつくづく思う
自らの世界では物足りずに他者の世界に介入したがる意思をもつ扇動者
駆り立てるのは欲望なのか善意の暴走なのか、はたまたただの自己不安とただの承認欲求からくるのか
本をよむ読者として多くの人がもつ個人的興味にすぎないけどね >319
悪霊はヴェルホーヴェンスキーに踊らされるいろいろな愚者の描き方が面白い >>342
お前、亀井訳で読んだだろ
ヴェルホーヴェンスキーって誰だよ >>339
>プーシキンのなかに扇動家の一面を見つけるとは面白い見方だね
プーシキンはデカブリストに友人が多く
それゆえニコライ1世に睨まれて
死因である決闘も保守派から仕組まれたものだとも噂されている
だからツルゲーネフもドストエフスキーも
プーシキン文学の本質について直接的言及をあえて避けている
ただし、根っからの煽動家体質であるドストエフスキーにかかると
たとえば「未成年」のヴェルシーロフが述べている
真のコスモポリタン=真のロシアインテリゲンチャ=真のロシア人=世界の指導者
という図式がプーシキンに適用され、
混乱の極みであった当時の西欧社会の救世主のようになってしまう
もちろんプーシキン文学に酔いしれているロシア国民もその一味と再定義される
この演説を聞いた民衆が喜んだのなんの
まるで1970年代のロックコンサートのような大騒ぎになってしまった
もっともこの7か月後にドストエフスキーは急逝して
さらに2か月後には皇帝アレクサンドル2世は暗殺されてしまう
だからちょうどいいタイミングで死んだのだともいえる >>344
詳しい説明どうも
なるほど、そうすると時代の流れとは扇動者の意思というより受ける側の大衆によって変わるのかもしれないと思った
プーシキンはもちろん偉大ではあるが、その偉大さとは大衆の意思によって作りあげられたともいえないか
むしろ大衆の意思というより大衆の希望といってもいい
英雄の偶像の創造とは、本人の意思よりも周りがうまく支持者を演じきったといえるのかもしれないね
まっさきにトルストイ(戦争と平和での)の英雄の創造の考え方を連想したけど、ここではスレチだがオルテガの大衆についての考え方も思い出した(まーこのへんは独り言になってしまうが)
「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」 スペードのクイーンなんて童話チックでコレがプーシキンかと面白く読んじゃたけどね
サン=ジェルマンのキャラなんて悪魔的でオカルトっぽくてよかったなあw 寝不足のため、ウェブからそのまま引用をひっぱってきます。
宗教的感情の本質というものは、どんな論証にもどんな過失や犯罪にも、
どんな無神論にもあてはまるものじゃないんだ。そんなものには、何か
見当ちがいなところがあるのさ。いや、永久に見当ちがいだろうよ。
そこには無神論などが上っ面(うわっつら)をすべって永久に本質をつかむ
ことができない、永久に人びとが見当ちがいな解釈をするような、何もの
かがあるんだ......」
(『白痴』第2編第4「ムイシュキン公爵の言葉より」
<(我流記号自分の所見をあらわす)
宗教的感情は自覚的無自覚的を問わずだれでもあるはずだ。しかしもし、
宗教的感情だけに、自己の内側だけに、とどまるならば、人間を育てない。
宗教的組織・グループの中で、内外の他人にかかわる中で、他人につくす中で、
ムダな感情や無意味な欲望の制御を鍛錬される。
この公爵の言葉は、まったくそのとおりで、信仰の本質と言ってもいい。 >343
江川訳ですよ。決めつけはよろしくないですな、ロジオン君。へ、へ、へ! トルストイ復活が上巻おわった
気になったとことして人間を河に例えてる描写があるんだけど、トルストイは東洋思想にも興味があったんだろうか(スレチでごめんよ
「人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変わりがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。
人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現れることになる。
そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。」 >>351
> トルストイ復活が上巻おわった
「つねに絶やさず読書し続ける」あなたの姿は、わたしたちの憧れであり、敬服します。
たしかに、中世の日本人が、吉田兼好?を現代文にしたような感じですね。
>トルストイは東洋思想にも興味があったんだろうか(スレチでごめんよ
東洋も西洋も、まじめに思索した結果は一致する、とぼくは解釈する。 >>351
> 「人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変わりがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。
> 人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現れることになる。
> そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。」
これはまぎれもなく、仏法の「十界互具(じっかいごぐ)」を表する。
「ベルグソン」の本を読んだたとがないが、ベルグソン的にいえば
生命の飛躍"élan d'amour"かwww
読んだこと無いのに適当に関連付けてごめんなさいw 『創造的進化』
1907年に第三の主著『創造的進化』を発表する。この本の中で、
ベルクソンは、スペンサーの社会進化論から出発し、『試論』
で意識の流れとしての「持続」を提唱した。そして、『物質と
記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へと
さらに押し進めた。これは、ベルクソンにおける意識の持続の
考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで押し進めたものといえる。
そこで生命の進化を押し進める根源的な力として想定されたのが、
"élan vital"「エラン・ヴィタール 生命の飛躍(生の飛躍)」である。
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うへぇ〜〜〜〜! ぜんぜん関係ねかった!!池田先生がいつも
ベルクソン、ベルクソン!ゆってたから、関係あるはずとおもってw 『新訳ベルクソン全集』が訳者の健康上の理由とやらでマズイことになってる
池田先生の医療チームは即刻出動すべきだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています