ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>289
> > その前に「悪霊」を読んだ方がいいし
> > できれば「白痴」と「未成年」も読んだ方がいい
> > ドストエフスキーが保守作家として決定的に転向したのは「悪霊」で
> > 「未成年」もカラマーゾフへのつなぎとしては案外重要
-----------------
この方はホンモノのドスト愛好家です。最初は「罪と罰」から入り、発表時系列に主要作品から小作品まで読んだほうがよいに決まっている。
それは大前提として、別の視点を提出した。 >300>301
なんやコラ!何やコラ♪
>限りなくとうとい賜物をこばんで、尊重することも愛好することも知らず、嘲笑の目をもってながめながら、冷淡な態度をじしていた。
これはお前たちのことやでw 「限りなくとうとい賜物」とは、おれが引用したドストの文だよw 愚者もドストエフスキーを引くことができる。
自慰の目的にな。 ドストエフスキー 愚者?タロット最上位か。
自撫 自慰 とて可能背的世界が限界の時には有効な愛の形だと思うけど。
経験ないけど。 罪と罰といったって懲役を食らった間抜けな話であって、余り両書とは言えません。
入門ならカラマーゾフの兄弟をお勧めしますが。 気持ちいい。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ab0c.html
女性がきれいになるためには、「行きたい美容院に行く、近所の歯医者に行く」方法(現象学)
の研究が必要になる。
今は「子供のお弁当」「愛妻弁当」が主流だが、
いずれは「詩の解釈が抜群だ」という方向に向かうだろう。
スポーツ選手との結婚とサラリーマンとの結婚が変わらなくなってきたのだ。 ボクシングWBA世界ミドル級王者・村田諒太(32)の初防衛戦が決まった。
ときは4月15日、ところは横浜アリーナだ。
対するは同級10位のイタリア人、エマヌエーレ・ブランダムラ(38)。
「対戦相手のブランダムラから“仰天発言”が飛び出して、会見場の空気が一瞬にして凍りついたんです」
と現場で取材していたスポーツライターが明かす。
「会見の冒頭、ブランダムラが“日本に深い思い入れがある”と話を始めたのですが……」
彼は、強豪ひしめくミドル級で欧州王者だったというからそれなりに強いのだろうが、世界的には無名で、記者たちもその素性をよく知らなかった。
そこで、会見の最後にある記者が彼に質問した。 〈先程“日本に思い入れがある”と仰いましたが、細かく教えて頂けますか?〉
こんなときは大概、“スシが好き”などのグルメ方面、あるいは“ドラゴンボールのファンだ”なんていうアニメ方面に話が進む。
しかしブランダムラは、
〈私は仏教に帰依しておりまして……〉
ほう、そう来たか――とライターが膝を打った瞬間、
〈創価学会の池田大作氏が日本人であること、ここに故郷があるということで……〉
と“学会愛”を語り出したのだ。
「記者一同ドン引き。隣にいた村田は苦笑いしてました」(先のライター)
気まずい雰囲気のまま会見は終了。なお、この発言を記事にした社は無かった。
「ブランダムラは“(池田氏から)ご招待を受けるか、もしかしたら試合を観戦なさるかも”と言ってましたけど、
長らく公の場に姿を現していない池田氏が観戦に来たとしたら、きっと試合結果よりそちらの方が大ニュースですよね」(同)
とにもかくにも、学会員の皆さんはお見逃しなく!? 代表作とか知名度のある作からはいるのは定石だよね
だから罪と罰から興味を持つのは自然だし、自然だからこそ有名になったとも言える
そこまではよくある話だけど、ドストエフスキーの面白いところは次にじゃあ読んでみるか!と思って読んだら、他の作品もよむか!と次につながるところだよね >>310
> 罪と罰といったって懲役を食らった間抜けな話であって、余り両書とは言えません。
学術 さん !これはあまりにも単純化がひどすぎると思いますがw (というか世界中のだれ一人
同意しませんよw )
> 入門ならカラマーゾフの兄弟をお勧めしますが。
おれもホンネではそう思ってます(さらにいえば、米川訳で、と) 米川訳は、各登場人物が 生き生きした独特の方言?みたいのしゃべって、
だれがだれか混乱すること少ないですよ 悪霊も挫折した
白痴も挫折した
せめてカラマーゾフのゾシマの引用箇所の解説を完成させたい 私はは5大長編はあとは「未成年」だけを残すところとなってる
でも悪霊とかカラマーゾフは繰り返し何回か読みたい
2年に1回読めたらいい方だろうが /:::ヾ \
|::::::| カ ル ト |
ヽ;;;;;| -==≡ミ ≡=-|ミ
/ヽ ──| ● | ̄| ● ||
< \_/ ヽ_/| マイ聖教しろ
ヽ| /( )\ ヽ
| ( ` ´ | |
| ヽ \_/\/ヽ/ |
ヽ \  ̄ ̄/ トルストイの復活を読み始めた
ドストエフスキーとやたら比べられるという理由で
これは思ってたよりかなり読みやすくてびっくり 株や為替の値動きの見方。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-e8fb.html
株価は女の値段。
円高は男の値段。
部落や在日差別はなくならない。「株価にいい影響があるんだ」
「男が女を愛する心を利用するのが経済」だとするのであれば、成熟経済とは理想と現実のギャップを
楽しめる時代を意味する。
「テレビは差別するためにある」 カラマーゾフの兄弟、最終的に江川訳か米川訳で悩んでるがどっちがいいんや? >>327
> カラマーゾフの兄弟、最終的に江川訳か米川訳で悩んでるがどっちがいいんや?
南無妙法蓮華経 、米川訳! 手もとにある電子テキスト(なんとか訳)を手作業で毎回1時間かけて
不完全ながら米川訳に修正してここに出している。ただのコピペではないのです。
それほどの労作業をあえてさせるほどの「翻訳」です。
米川訳のカラマーゾフは「原文を超えるほどの魂を持つ」ぼくはそう信じている。
学問的根拠などいっさいない。信じているのだ。
後続の江川であれ、なんとかであれ、だれであれ、米川訳の偉業という基盤があって、
それを参照しつつ、独自色を出そうとして、字句の選定に苦労したのだと推測してます。
「古いから」馬鹿げきった見識です。たとえば、即興詩人の翻訳文で、鴎外を超えることができますか? >>330
タブレットで読める人なら便利だし本がたまって置くとここまるとかないしいいんじゃない?
内容はなにも変わらないし
紙の本じゃないと読んだ気がしない自分にはない選択肢だけど プーシキンとゴーゴリへのリスペクト
ツルゲーネフをディスってる おちんちんむきむき体操 と某板で書いたら延々と粘着された >>332
わかるわ
ドストエフスキー派ならついでにナボコフもdisっても問題ない 元国事犯で死刑判決を受けた(恩赦で減刑)ドストエフスきーが
似たような境遇であったプーシキンを賛美する
しかしその褒め方はわりと慎重であり
晩年の演説でプーシキン文学の本質は秘密に包まれている、
としてその革命的性格についての言及を避けているのはそのため
もっとも同演説では
国民詩人たるプーシキンは民衆の生活や心情を描くと同時に
他国人の心情をも複写し得る偉才であり
これはプーシキンのみならずロシア国民の汎世界的性格に由来する
つまり、(汎世界的)ロシア人が(汎世界的)プーシキン文学に親炙する事こそ
世界を読み解き、世界を領導することにつながる
として、一種の超国家主義的文化革命を訴えている
他にも後期長篇ではフランスとの関係悪化を反映してか
フランスエリートやフランスかぶれを腐す部分が散見される
ようするにロシア知識人や上流階級の西欧への劣等感や反感を巧みについている
そういう意味では死ぬまで過激派であり煽動家だったとさえ言える >>336
プーシキンのなかに扇動家の一面を見つけるとは面白い見方だね
トルストイの言葉を借りれば、人間は例え売春婦や強盗者でさえ自分の立場を正当化し、自分を都合よく作り上げ、善悪の歪曲を見ないようにしてしまうという
まさにその代理者である扇動者の意思の属性はいったいどのに根ざしているのか、とつくづく思う
自らの世界では物足りずに他者の世界に介入したがる意思をもつ扇動者
駆り立てるのは欲望なのか善意の暴走なのか、はたまたただの自己不安とただの承認欲求からくるのか
本をよむ読者として多くの人がもつ個人的興味にすぎないけどね >319
悪霊はヴェルホーヴェンスキーに踊らされるいろいろな愚者の描き方が面白い >>342
お前、亀井訳で読んだだろ
ヴェルホーヴェンスキーって誰だよ >>339
>プーシキンのなかに扇動家の一面を見つけるとは面白い見方だね
プーシキンはデカブリストに友人が多く
それゆえニコライ1世に睨まれて
死因である決闘も保守派から仕組まれたものだとも噂されている
だからツルゲーネフもドストエフスキーも
プーシキン文学の本質について直接的言及をあえて避けている
ただし、根っからの煽動家体質であるドストエフスキーにかかると
たとえば「未成年」のヴェルシーロフが述べている
真のコスモポリタン=真のロシアインテリゲンチャ=真のロシア人=世界の指導者
という図式がプーシキンに適用され、
混乱の極みであった当時の西欧社会の救世主のようになってしまう
もちろんプーシキン文学に酔いしれているロシア国民もその一味と再定義される
この演説を聞いた民衆が喜んだのなんの
まるで1970年代のロックコンサートのような大騒ぎになってしまった
もっともこの7か月後にドストエフスキーは急逝して
さらに2か月後には皇帝アレクサンドル2世は暗殺されてしまう
だからちょうどいいタイミングで死んだのだともいえる >>344
詳しい説明どうも
なるほど、そうすると時代の流れとは扇動者の意思というより受ける側の大衆によって変わるのかもしれないと思った
プーシキンはもちろん偉大ではあるが、その偉大さとは大衆の意思によって作りあげられたともいえないか
むしろ大衆の意思というより大衆の希望といってもいい
英雄の偶像の創造とは、本人の意思よりも周りがうまく支持者を演じきったといえるのかもしれないね
まっさきにトルストイ(戦争と平和での)の英雄の創造の考え方を連想したけど、ここではスレチだがオルテガの大衆についての考え方も思い出した(まーこのへんは独り言になってしまうが)
「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」 スペードのクイーンなんて童話チックでコレがプーシキンかと面白く読んじゃたけどね
サン=ジェルマンのキャラなんて悪魔的でオカルトっぽくてよかったなあw 寝不足のため、ウェブからそのまま引用をひっぱってきます。
宗教的感情の本質というものは、どんな論証にもどんな過失や犯罪にも、
どんな無神論にもあてはまるものじゃないんだ。そんなものには、何か
見当ちがいなところがあるのさ。いや、永久に見当ちがいだろうよ。
そこには無神論などが上っ面(うわっつら)をすべって永久に本質をつかむ
ことができない、永久に人びとが見当ちがいな解釈をするような、何もの
かがあるんだ......」
(『白痴』第2編第4「ムイシュキン公爵の言葉より」
<(我流記号自分の所見をあらわす)
宗教的感情は自覚的無自覚的を問わずだれでもあるはずだ。しかしもし、
宗教的感情だけに、自己の内側だけに、とどまるならば、人間を育てない。
宗教的組織・グループの中で、内外の他人にかかわる中で、他人につくす中で、
ムダな感情や無意味な欲望の制御を鍛錬される。
この公爵の言葉は、まったくそのとおりで、信仰の本質と言ってもいい。 >343
江川訳ですよ。決めつけはよろしくないですな、ロジオン君。へ、へ、へ! トルストイ復活が上巻おわった
気になったとことして人間を河に例えてる描写があるんだけど、トルストイは東洋思想にも興味があったんだろうか(スレチでごめんよ
「人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変わりがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。
人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現れることになる。
そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。」 >>351
> トルストイ復活が上巻おわった
「つねに絶やさず読書し続ける」あなたの姿は、わたしたちの憧れであり、敬服します。
たしかに、中世の日本人が、吉田兼好?を現代文にしたような感じですね。
>トルストイは東洋思想にも興味があったんだろうか(スレチでごめんよ
東洋も西洋も、まじめに思索した結果は一致する、とぼくは解釈する。 >>351
> 「人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変わりがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。
> 人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現れることになる。
> そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。」
これはまぎれもなく、仏法の「十界互具(じっかいごぐ)」を表する。
「ベルグソン」の本を読んだたとがないが、ベルグソン的にいえば
生命の飛躍"élan d'amour"かwww
読んだこと無いのに適当に関連付けてごめんなさいw 『創造的進化』
1907年に第三の主著『創造的進化』を発表する。この本の中で、
ベルクソンは、スペンサーの社会進化論から出発し、『試論』
で意識の流れとしての「持続」を提唱した。そして、『物質と
記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へと
さらに押し進めた。これは、ベルクソンにおける意識の持続の
考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで押し進めたものといえる。
そこで生命の進化を押し進める根源的な力として想定されたのが、
"élan vital"「エラン・ヴィタール 生命の飛躍(生の飛躍)」である。
------------------
うへぇ〜〜〜〜! ぜんぜん関係ねかった!!池田先生がいつも
ベルクソン、ベルクソン!ゆってたから、関係あるはずとおもってw 『新訳ベルクソン全集』が訳者の健康上の理由とやらでマズイことになってる
池田先生の医療チームは即刻出動すべきだ >>355
彼はホントすばらしいよな?
ベルクソンまでは読めないけど、恥ずかしいから、おれもカラマーゾフ
悪霊白痴罪と罰の再読は、なんとかする。
いっしょにがんばろー! お金に困らないカップル。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/04/post-ad3e.html
子供がキスした?
スポーツのうんちくさえ聞いてくれればいいよ。
ソクラテスは「誰とでも話す」ことだけで修羅場を生き残った。
「なぜ小テストをやるのか?」
天皇陛下のためなんだよ。 >>345
>まっさきにトルストイ(戦争と平和での)の英雄の創造の考え方を連想したけど
西欧かぶれで民族意識の低く懐疑主義&虚無主義的な知識人よりも
素朴な信仰に根差した民衆の方が優れている
というのがトルストイやドストエフスキーの基本的考えであり
ドストエフスキーが作中でもトルストイ作品を持ち上げるのは
2人とも考えが近いから
ただし、2人の生きた時代は
西欧社会においては啓蒙主義の動揺期であり
ロシア社会においては貴族社会の解体期だった
で、世界的には産業資本の登場による
大衆社会への移行期で貨幣経済の浸透が進んでいた
ドストエフスキーの作品で「貨幣」と「身分」リンクするのは
そういう背景がある 復活おわった、なにこれというくらいスラスラ読めるし、トルストイの思想が詰まっていて感動すらあった
名作はやはり名作たる所以があると思えた
思想の部分はまだ頭で整理できていないので、ドストエフスキーとの比較について勝手にのせてみるよ 罪と罰でラスコリニコフに対して娼婦ソーニャがいたように、シベリアについていったように
復活ではネフリュードフに対して娼婦カチューシャがいて、そして(復活ではネフリュードフであるが)シベリアについていく
そして両方とも深い眠りから覚め、改悛を目覚め、これから新しい生活が始まると締めくくっていく
トルストイのいう善行とははっきりしたものであった。それは、何についてもゆるすこと
これは一切について、状況や質や量にかかわらず、誰でも許すということ
誰が許されるか許さないはか分からないだから、神にまかせておいて、人は自分のことに心を払えばいいと
ドストエフスキーと比べると良識的というか理想主義というか、そういう感じの印象を個人の感想としては思った
何しろいい作品に当たってよかったと思いました
でわでわ >>358
> 西欧かぶれで民族意識の低く懐疑主義&虚無主義的な知識人よりも
> 素朴な信仰に根差した民衆の方が優れている
> というのがトルストイやドストエフスキーの基本的考えであり
カラマーゾフの諸所に出てきますね。この考えは。
「西欧かぶれで民族意識が低」いがゆえに、「懐疑主義&虚無主義」となり
西欧かぶれの知識人たるゆえに、また労働という土壌からも切り離され、「素朴な信仰に根差した」
民衆同士のつながりから孤立している
「素朴な信仰に根差した民衆の方が優れている」のは、道徳性と現実において人間としての振る舞いが優れている
イメージとしてはイヴァンと「信心深い農婦」を対比せよ。 そしてこれは「いわゆる思想ではない」
人間的精神的つながりから孤立すれば、かならず不道徳になっていく
同じ表現の繰り返しになるが「素朴な」信仰という点が大事なんだ、たぶん
イヴァン的な、先鋭的な、思想ではない そのニヒリストの系譜としては
ラスコーリニコフ―スタヴローギン―ヴェルシーロフであり
実際小林秀雄はそういう捉え方をしている
もっとも小林の場合は観念に「憑依され」て過激な行動に走る
といった悪霊的な見方を採用するのだけど
これは小林が直面した1930年代の大衆運動が背景にある
あるいはシェストフ的読解とかね
ただ、「未成年」のばあいは
パリコミューンから離脱したロシア知識人による
ジュネーヴ思想(おもにルソー主義)への懐疑が述べられているので
小林の見方だと上手く料理できない 罪と罰は多少とも危険な書物だから、カラマーゾフの兄弟から入門しなされ。 >>344
>プーシキンはデカブリストに友人が多く
それゆえニコライ1世に睨まれて
死因である決闘も保守派から仕組まれたものだとも噂されている
だからツルゲーネフもドストエフスキーも
プーシキン文学の本質について直接的言及をあえて避けている
「デカブリスト」とは何かまずひっかかる。ググって調べるのがとうぜんであるが、体調不良のためキャンセルw
それにしても、われらの突出した、一種 神にも比肩される、とでも呼ぶしかない、大文豪であるところのドストエフスキーさえも こうした社会情勢の背景に掣肘されることを知る。
一作品世界の内部だけを深読していっても、なかなかつかめないことだと
思いました。
>根っからの煽動家体質であるドストエフスキー
これはカラマーゾフや罪と罰のたとえば、どういう箇所から、そう知れるのでしょうか? 自分でも気がつかないうちに「扇動されちゃってる」のでしょうか?w
>真のコスモポリタン=真のロシアインテリゲンチャ=真のロシア人=世界の指導者
以上の図式は、未成年を未拝読のため、「聞いた記憶がある」といった程度ですが、これを「自分自身にあてはめて」
「我は真のコスモポリタン=我は真の日本インテリ=我は真の日本人=われこそは世界の指導者!!」
と決意してまいりますッッッ ありがとうございました!
>プーシキン文学に酔いしれているロシア国民もその一味と再定義される
プーシュキンさえそうならば、より偉大なドストエフスキー文学に酔いしれているわたしたちは、なおいっそう上記図式に当てはまる、と言っていいではないですか? >>364
> 罪と罰は多少とも危険な書物だから、カラマーゾフの兄弟から入門しなされ。
「罪と罰」はどういった点が危険で、「カラマーゾフ」のほうが入門に適していると、お考えでしょうか? >>363
> そのニヒリストの系譜としては
> ラスコーリニコフ―スタヴローギン―ヴェルシーロフであり
上記では、ラスコーリニコフしか知らない。自分は、ドスト文学の7割しか知らないのだろうか...?
いちどアタックを決意した未踏峰を最後まで登坂すべきか。死を覚悟して?
> これは小林が直面した1930年代の大衆運動が背景にある
秀雄なりに、誠実にドストと対話したのですね。というか、ドスト愛好家で誠実一路に向き合わなかったひとは、ひとりもいないだろうと予測する。
> パリコミューンから離脱したロシア知識人による
> ジュネーヴ思想(おもにルソー主義)への懐疑が述べられているので
> 小林の見方だと上手く料理できない
これはミウーソフのことですね?あなたの説明で「ああ、そういうことだったんだ!」と自分の頭の中にあるミウーソフのセリフが、連結する。
こうした世界史的背景を知らなくとも(また16歳の僕には知る由もなかった)大きな感動を与えてくれる。
まさに「名作はやはり名作たる所以があると思えた」ですね!!
そういった意味に於いて「罪と罰」と「カラマーゾフ」は特別な地位ですね。
文学芸術の愛好家でなくとも、インテリでない一労働者であっても、少年から老年まで!
かつて、息子ブッシュ大統領がロシア訪問してプーチンに初めてあうとき、ブレーンから「罪と罰」を読みきってから会うようにと宿題を出されたと、ブッシュ自身が語っているのをCNNで見た。 刑法が誤報で乱発濫用されたりするから、未成年でも少しづつ楽しめる
カラマーゾフなんかがよろしいかと思う。 ともあれ、あなたが居てくださるから、米川正夫や江川卓のような
ロシア文学の権威がぼくのバックにドーンとついてくださってるような安心感がある。
ぼくは安心して作品世界のみに集中すればよい、と感じられる。 「罪と罰」は毎年新潮文庫の100冊に載ってるくらいだから
ドスト入門にはちょうどいいとは思うのだが
ドスト作品では罪と罰だけは読んだって人も多いのではないかな? >>368
おはようございますW
ありがとうございます
生活のリズム乱れ、すごい鼻詰まりで、3時間しかねれなかったよww
また夜に来ますね! だいすきです。あなた方ドストエフスキー愛読者は、ぼくの分身なんですから。 素朴な疑問だが。
ムイシュキン公爵はたしかに世間知らずではあったが、
知能そのものはそれほど低くなかったのではないか? >>373
> ムイシュキン公爵はたしかに世間知らずではあったが、
> 知能そのものはそれほど低くなかったのではないか?
ムイシュキンは、第一遍まで読んだぼくのイメージでは、知能も教養もひじょうに高く(ドストの分身ですからあたり前ですが)
少年期青年期を通じて「深く魂を形成する経験を積み重ねてきた」という印象です。 〔E〕 ロシア の僧侶 と その あり う べき 意義 について
神父 の みなさん、 僧侶 とは そもそも 何者 で あろ う? 今日 の 文明 社会 では、
この 言葉 は すでに ある 者 からは 冷笑 を ふくん で、 また ある 者 からは 悪口 を ふく
め て 口 にさ れ て いる。 しかも それ は 時 とともに ひどく なっ て き て いる。 悲しい
かな、僧侶 の 社会 にも なまけ者 や 猥漢 や 厚顔無恥 な 無頼 の 徒 が かなり 多い こと
は たしか だ。 俗界 の 教養 人 たち は この 点 を 指摘 し て、「 お前 たち なまけ者、
社会 の 穀 つぶし ども は、 他人 の 労働 で 生き て いる 恥知らず な 乞食 だ」 などと
言っ て いる。
------------------------------------------------
ここは、現代日本でもまったく同じようにいわれている。考えられている。そして
ゾシマ自身「 悲しい かな、僧侶 の 社会 にも なまけ者 や 猥漢 や 厚顔無恥 な 無頼 の 徒 が かなり 多い こと は たしか だ。」と認めているのだ。 >彼ら は 科学 を もっ て いる が、 科学 の なか に ある のは、 五官 に 従属 する もの
ばかりで ある。 人間 のより 高尚 な 半分 で ある 精神 の 世界 は まったく ないがしろ
にさ れ、 一種 の 凱歌 を 奏し 憎悪 さえ こめ て 追放 さ れ て しまっ て いる。
科学と精神が対置されている。
>そして 俗界 は 自由 を 宣言 し、 最近 とみに それ が 顕著 に なっ て き て いる。
が、 われわれ の 見る ところ その 彼ら の 自由 とは なん で ある か、 隷属 と
自殺 行為に すぎ ない では ない か!
> なぜなら、 俗界 では こう 言っ て いる、『 欲求 が ある なら、 それ を 充足 さ せる
が よい、 なぜなら お前 たち は 高位 高官 の 者 や 富豪 と 同等 の 権利 を もっ て いる
の だ から。 おそれ ず 欲求 を 満足 さ せよ、 それどころか 欲求 を 増大 さ せる が よい』
―― これ が 現代 の 俗界 の 教義 で ある。 そして 彼ら は 自由 とは そういう もの だ と
思っ て いる の だ。
わたしごときが注釈入れるより、そのまま読むべき。 >>376
>『 欲求 が ある なら、 それ を 充足 さ せる
> が よい、 なぜなら お前 たち は 高位 高官 の 者 や 富豪 と 同等 の 権利 を もっ て いる
> の だ から。 おそれ ず 欲求 を 満足 さ せよ、 それどころか 欲求 を 増大 さ せる が よい』
「高位 高官 の 者 」は、地位と権力を持つ。「富豪」は、物質的な財産を持つ。
前者は現代日本でいえば安倍総理であり、テレビでもてはやされる官僚ですね。元大阪市長の
橋下も合致するでしょう。後者は、孫正義でしょうかw?
当時ロシアの世間法のひとは「おまえらは安倍や橋下や孫正義と 同等 の 権利 を もっ て いる!」
「おそれ ず 欲望 を 満足 さ せろ、 それどころか欲望を 増大させろお!!」と言っていた、というのです。
これはちょっと見ると、現在日本と合致してないように見えるが、心の奥底を見れば同じかもしれない。 生活リズム狂うから、ここまでにしとく。どこまでも書きたいけどww 今の正教の僧侶ってどうなってんだろ
カトリックの司祭は消えつつあるけど >>373
>ムイシュキン公爵はたしかに世間知らずではあったが、
>知能そのものはそれほど低くなかったのではないか?
ドストエフスキーのいう白痴とは知能的な白痴とよばれるる状態を意味していないよね、確かに
そもそも自己が白痴であるならば
その自己自身が白痴であること自体を知りえないはずだが、ムイシュキン自体が自分を白痴と呼ばれていたことを自己と切り離して自分で知っているため、彼は自分の白痴を一定の期間の状態にすぎないと自覚できている、なので一般的な白痴とは意味が異なる
で、問題は、ドストエフスキーのいう白痴の意味とは何を言っていたのか?これが問題だよね 悪霊で一番後味が悪いのは、シャートフ暗殺よりもピョートルが国外逃亡成功してそのまま物語から退場したことだな 確かに。ピョートルも痛い目あってほしかったよな
読んでて結構ムカつくキャラであったし >>381-382
そのスッキリしないラストが『悪霊』のいいところだと思うんだけど・・・・ >>382
>読んでて結構ムカつくキャラであったし
わかるわ
老獪で詐欺師的で陳腐で嘲笑的な感じが鼻に付く
でもまー、昔でさらにロシアで指名手配犯てことはロクな未来はないんだろうけどねw いえ、主役もその周辺人物もみんな無残な最期だったのに、ニコライ以上に分かりやすい悪だったピョートルだけ生還したのがすっきりしなくてね。
最後まで逃げおおせたピョートルは、捉えどころのない雲をつかむような「インターナショナル」を擬人化した存在なのかね…
罪と罰や死の家の記録みたいな「いい結末」とはまったく違うシニスムまで描くのがドストエフスキーの面白さなのだが… ドストエフスキーとトルストイで比較すれば物語の終結についてだと思う
トルストイはどこかで、善は最後には報われなければならない(唯物面かもしくは精神的に)、という思いが強くあらわれている
一方でドストエフスキーは、現実には悪が報われ善が落とされることもあるため(その方が多いため)それでいい(むしろ当然、というよりだからいい)、となっていると読むたびに思わされる(感想として)
悪霊は自殺、カラマーゾフはシベリアいき(未完成だけどね)、白痴は白痴者にまた戻り、みたいな悲劇であり、自分としては悲劇的最後のほうが現実よりかなともおもう
個人的には主人公がよく最後に殺されちゃうシェイクスピアなんかもドストエフスキーよりだと思うけどね >>382
「南総里見八犬伝」みたいな単純な勧善懲悪ではないところがこの作品の良さでしょう。 『罪と罰』や『白痴』と違って、物語が完結せず、開かれているんだよね。
モデルとなった事件で、ネチャーエフが国外逃亡した、という理由もあるんだろうけど。 ステパン先生とピョートルのからみとか、スタヴローギンの子を産んだマリィのその後とか伏線というか風呂敷を包み切れてない部分もあると思う。
あと、この作品はツルゲーネフが不満だったんだよね。 悪霊の【マリィ】
「ひひひ」と奇妙な笑い方をする人物である。
頭がおかしい故に、兄のレビャートキンから普段から鞭で打たれている。 18世紀以降のロシアキリスト教カルト団体である
霊的キリスト教には「鞭身派」というのがいた
「悪霊」の「マリィ」や「マトリョーシャ」には鞭身派的
意味合いが含まれているとも考えられる
霊的キリスト教団体には「去勢派」というのもおり、
これは乳房や男根を切断して文字通り煩悩を「断」っていた
彼らは自らを「白い鳩」としていた
女を毛嫌いし、欲望に対しての克己心の強さを自負する
「未成年」の主人公アルカージイの思い出で話に
「白い鳩」が出て来るのも去勢派を示唆しているのかもしれない
去勢派はフィンランド、カナダ、コロンビアに追い出されて
やがてバプテスト派に合流した
そういえば「未成年」にはタチヤナ伯母の女中として
謎のフィンランド人女性マーリヤが登場する
マーリヤは金銭に目がくらんで買収されるユダ的人物である
主人であるタチヤナは生涯独身を貫く道徳的人物であり
鳥の様な風貌を持つ女性(そして庇護者)として描かれている >>387
>カラマーゾフはシベリアいき(未完成だけどね)
カラマーゾフは悲劇に感じられない。大きな希望みたいなものを感じて終わる。罪と罰もか。
これこそ信仰の力でないか。だから「信仰とは希望の異名なり」だ。 >>391
> 松田聖子で見分ける「ドイツ寄りかフランス寄りか」
> について。
読みましたよ。おもしろく軽みがあり、しかしほんとうに突き詰めた思索ではないと感じた。
ペダンチックであり、西洋哲学者をアクセサリーとして扱ってはいまいか?
ぼくはこういうひとは信用しません。 >>394
> 霊的キリスト教団体には「去勢派」というのもおり、
> これは乳房や男根を切断して文字通り煩悩を「断」っていた
> 彼らは自らを「白い鳩」としていた
> 女を毛嫌いし、欲望に対しての克己心の強さを自負する
スメルジャコフが、「去勢派」だと解題のところに書いてあったと記憶する。米川の。
> 女を毛嫌いし、欲望に対しての克己心の強さを自負する
などまさに符合するが。
ドストは、当時のロシア宗教界のそうした一派を登場人物に反映させることによって、ありのままの
ロシアの現実を描ききろうとしたのか?
分離派というのも よく聞きますが? >>376
> >彼ら は 科学 を もっ て いる が、 科学 の なか に ある のは、 五官 に 従属 する もの ばかりで ある。
彼ら(現代日本人、マイクロソフト社・グーグル社・アマゾン社に支配されおる私たちである)
わたしたちは、五官すなわち眼 耳 鼻 舌 身 意(げんにびぜっしんい)の六根のみで端末を操作し、そこに「精神」はないのである。
> 人間 のより 高尚 な 半分 で ある 精神 の 世界 は まったく ないがしろ
にさ れ、 一種 の 凱歌 を 奏し 憎悪 さえ こめ て 追放 さ れ て しまっ て いる。 >それならば、この欲求増大の権利からいったいどんな結果が生じているか? 富める者には孤独と精神的自殺が、貧しき者には羨望と殺人がおきている、
「富める者」となったことがないので、よくわからない部分もあるが。
「貧しき者には羨望と殺人」これは、そのとおりであろう。煎じ詰めれば、である!
>そのわけは、権利は与えられても、欲求充足の方法はまだ示されていないからである。
>彼らの説くところによれば、世界は、距離が短縮され、思想が空気を通じて伝達されることによって時とともにますます統一され、四海同胞的まじわりを結びつつあるという。
これはまさに現代のインターネット社会のことであろう。グローバル化グローバル化!と叫ばれて久しい。
>いや断じてこうした人間の統一を信じてはならない。
ドストは(ゾシマは)こんなことを信じては相成らん、と言っているのだ。それはなぜか?次の段落は、重要だが、こんど。 >彼らが自由を欲求の増大とその迅速な充足と解するかぎり、自己の本性をゆがめているのである、
>そのわけは、自分の心のなかに多くの無意味なばかげた望みと習癖とまったく愚にもつかない思いつきを生みだすことになるからだ。
ほんとうに「自身の生命の中」に、無数の愚かしい無意味な希望と習慣や、思いつきを感ずる。
これをば、無くなるようにと、清らかな生命となるようにと、先ほど祈った。
下は、われわれ凡夫の姿です。
>彼らはたがいにうらやみあい、肉欲と自惚れを満足させるためだけに生きているのだ。うまい食事にありつき、馬や馬車や官位や奴僕をもつということがいまやすでに必要欠くべからざることと見られ、
この必要を充足させるためとあれば、命や名誉や人類愛まで犠牲に供し、それが充足できなければ、自殺さえしかねない。
金持ちでない者のあいだにもおなじようなことが見受けられるが、貧しい者は欲求不満と羨望をさしあたり飲酒でまぎらしている。だが、そのうち酒を飲むかわりに血まで飲みだすだろう、彼らはそこまで行きつくにちがいない。
私はみなさんに尋ねるが、こういう人間がはたして自由な人
間といえるだろうか? ロシアのそうしたグノーシス派は今現在どうなってるんだろうか >>400
多くの偉人達が、肉体のもつ欲望すなわち動物的個我をどうにかしようと試みてきた
理由としてはそれが幸福への至る道であるとしている
人間は自由を手に入れようとする一方で必然性(時間的、空間的なもの)に縛られてしまう
肉体的欲求とは機能にすぎないのにいつのまにか人生の目的へと変貌してしまう
自己が自由になるためには、それらの欲求を自己から排除すべきか、理性に従属させるべきか、もしくは自己と同化させて身をまかせるべきか
この問題はこれからも自己がある限り、解決できずに存在していくだろうね、まったく難儀なことだ 動物的個我の幸福を否定して、理性的幸福を求め、その動物的個我を理性に従わせる、肉体は精神がもつ目的の機能にすぎない
と、トルストイは人生論で述べている
「人間の真の生命、すなわち、人が他のあらゆる生命についての概念を作り上げるもととなる生命は、理性の法則におのれの個我を従わせることによって得られる、幸福への志向にほかならない。
理性も、理性への従属度も、空間によっても時間によっても決定されるものではない。人間の真の生命は時間と空間にかかわりなく流れているのである。」 何が最善かはさておき、本を読むのはやっぱりいいもんだね
色々な考えがあること自体を知ることができる >>401
ロシアって正教以外禁止っていうイメージだしそんな感じで公には認めていないんじゃないかな
あっても内緒でひっそりととだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています