ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >彼らが自由を欲求の増大とその迅速な充足と解するかぎり、自己の本性をゆがめているのである、
>そのわけは、自分の心のなかに多くの無意味なばかげた望みと習癖とまったく愚にもつかない思いつきを生みだすことになるからだ。
ほんとうに「自身の生命の中」に、無数の愚かしい無意味な希望と習慣や、思いつきを感ずる。
これをば、無くなるようにと、清らかな生命となるようにと、先ほど祈った。
下は、われわれ凡夫の姿です。
>彼らはたがいにうらやみあい、肉欲と自惚れを満足させるためだけに生きているのだ。うまい食事にありつき、馬や馬車や官位や奴僕をもつということがいまやすでに必要欠くべからざることと見られ、
この必要を充足させるためとあれば、命や名誉や人類愛まで犠牲に供し、それが充足できなければ、自殺さえしかねない。
金持ちでない者のあいだにもおなじようなことが見受けられるが、貧しい者は欲求不満と羨望をさしあたり飲酒でまぎらしている。だが、そのうち酒を飲むかわりに血まで飲みだすだろう、彼らはそこまで行きつくにちがいない。
私はみなさんに尋ねるが、こういう人間がはたして自由な人
間といえるだろうか? ロシアのそうしたグノーシス派は今現在どうなってるんだろうか >>400
多くの偉人達が、肉体のもつ欲望すなわち動物的個我をどうにかしようと試みてきた
理由としてはそれが幸福への至る道であるとしている
人間は自由を手に入れようとする一方で必然性(時間的、空間的なもの)に縛られてしまう
肉体的欲求とは機能にすぎないのにいつのまにか人生の目的へと変貌してしまう
自己が自由になるためには、それらの欲求を自己から排除すべきか、理性に従属させるべきか、もしくは自己と同化させて身をまかせるべきか
この問題はこれからも自己がある限り、解決できずに存在していくだろうね、まったく難儀なことだ 動物的個我の幸福を否定して、理性的幸福を求め、その動物的個我を理性に従わせる、肉体は精神がもつ目的の機能にすぎない
と、トルストイは人生論で述べている
「人間の真の生命、すなわち、人が他のあらゆる生命についての概念を作り上げるもととなる生命は、理性の法則におのれの個我を従わせることによって得られる、幸福への志向にほかならない。
理性も、理性への従属度も、空間によっても時間によっても決定されるものではない。人間の真の生命は時間と空間にかかわりなく流れているのである。」 何が最善かはさておき、本を読むのはやっぱりいいもんだね
色々な考えがあること自体を知ることができる >>401
ロシアって正教以外禁止っていうイメージだしそんな感じで公には認めていないんじゃないかな
あっても内緒でひっそりととだろうね >>405
グノーシス、つまり修道院や禁欲的な教義をやってるとこが今どうなってるのかってのを知りたい ステレオタイプな禁欲として断食とか粗食だね。
フェラポントがゾシマ長老を罵ってた理由のひとつが、ジャムを食べてるからということだったので。 シベリアで40年外界と断絶していた家族が
迫害から逃げた禁欲的な
原理主義キリスト教徒だったっけな
異端はいっぱいあるからどれがどれだが分からんが そーゆーのって一歩踏み外すと近親相姦一家になるからイヤよ >>410
>異端はいっぱいあるからどれがどれだが分からんが
ざっとこの位はあるわけです
↓
http://rossia.web.fc2.com/sp/narod/staroobryadtsi.html
ドストエフスきーの作品には分離派や去勢派が出てきますが
それは表面的な話で地域性を考えると更に増えるでしょう
西欧自由主義の影響を受けた貴族層から民衆の土俗信仰に目を向けた場合
同じロシアのキリスト教でもいろんな要素が出て来る そっかありがとう
そこにその家族の話でてたわ
ちなみにチャソーヴニャ派のルィコフ一家は、1930年代にソ連権力から逃れてハカーシヤのタイガに移り住み、以後1978年に地理学者によって «発見» されるまで世界から切り離されて家族だけで生きていたことで知られている。 そういえばパリコミューンの残党でルソー主義からカソリックへ改宗した
貴族のヴェルシーロフは自らを理神論者と位置付けている
だから農奴階級出身のマカール老人の遺品である
分離派の聖像を真っ二つに叩き割るのだけど
結局「二重人格」のゴリャートキンのように分裂してしまう
この聖像は2人の聖人を模したものであり
これをきれいに分割することによって
理神論者としての純化を目指したのかもしれない
まあ、一種の知的グノーシス主義と理解し得るわけです
たとえば「悪霊」でステパン氏の口を借りて言及していたように
快楽と苦痛は分離不可能であり
次作である「未成年」の第一部で述べられていたように
知と情もやはり分離不可能である
そして人知で観察し得るこれらの動きを「表層」とすると
さらに「深層」に何か神秘的なものが存在する、
というのが作者であるドスト氏の結論であり
ここからカラマーゾフに向かう >>414
>だから農奴階級出身のマカール老人の遺品である
>分離派の聖像を真っ二つに叩き割るのだけど
ここの場面を境にヴェルシーロフが変わっていくのはよく覚えている、そして大切な場面とも
罪と罰だとラスコリニコフの夢をきっかけに変わっていくのも何か大きな示唆があると感じる
一種の弁証論的な表現については、ドストエフスキーはうまいと思う おかしな人間の夢とか白夜とかマイナーなところ読んだひといる?
いたらどうだったか知りたい
って言っても買う予定だけどw ある意味「白夜」は「白痴」のプロトタイプだともいえる なぜ、ここのある人たちのように、どんどん読めるひとと
ぼくのように、なかなか読めないのといるのか?
ぼくも青春時代はバカバカ読書できてたのに
たしかに大量の新聞も読まないといけないし、それもあるけど。あと、目が悪くなったのも。
もう、羨ましいをとおりこして、悔しくなってきたよ
書籍に静謐なきもちで、向きあう時間が、とれない ドストエフスキーはおろか、マンガすら読めなくなってるんだよね
たとえば「白痴」という作品の価値を確信しており、ただ単に自分の青春時代の感性と思索を追体験したい、そう思っていてさえ、読めない
なにごとによらず、Linuxの勉強とかも持続的にとりくめない >>419
習慣てこともあるんじゃない?
最初の頃はドストエフスキーなんて数ページ読んでは疲れてテレビ見てのくりかえしだったし自分は
でも目が悪いのというのは難しい問題なのでオーディオに変えるとかもいいかもね
ここのスレでもやってた人がいたと思う
ま、読書はどっちにしろ焦らず自分のペースがいいよ >>421
ああ、起きててくれたんだね。いつも優しく親切な言葉をありがとう。
> 習慣てこともあるんじゃない?
これはまちがいない。ネット依存だね。ぼくは。Linux、ゲーム、2ちゃん、英語中国語の勉強(機械翻訳使ってるだけだけどw あと、OSもゲームもマンガも
ぜんぶワザと英語と中国語にしてる、慣れるため)
歳なのに、急激に知識をインプットしすぎてサ)
> 最初の頃はドストエフスキーなんて数ページ読んでは疲れてテレビ見てのくりかえしだったし自分は
おれだって、そうだったよ。言われてみれば。忘れていたんだね。いつしか、物語世界のメイルストロームに吸い込まれるまでは。
> でも目が悪いのというのは難しい問題なのでオーディオに変えるとかもいいかもね
> ここのスレでもやってた人がいたと思う
> ま、読書はどっちにしろ焦らず自分のペースがいいよ
つべに「白痴」の、幸運なことに、おれが読みたい「木村訳」の朗読があってさ。
高校時代に初読した、当時の書籍も手もとにある。あとは「焦らない」ことだね。
君にグチを聴いてもらったから、安心して寝るさ。 5大長編の場合は1日1章(40ページ)が適量
おそらく原書の事だろうけど
島田雅彦が学生時代に教官に訊ねたところ
そのくらいが妥当だと言われたそうだ
ドストエフスキーは古典文学の引用や隠喩、アナグラム、シンボリズムを
作中にふんだんに叩きこんでいるので
プーシキンやトルストイのようにはいかない 悪霊の下巻は8日で読めた。
上巻は中々進まなかったが >>423
> 5大長編の場合は1日1章(40ページ)が適量
この教えにちなんで、1日4ページを自分に課してまいります。
今からスタート。読めたら、報告投稿します!ありがとうございました 第一 編
白痴
僕 の 主治医 は こちら へ 帰る 路銀 として、 なけなし の 金 を 分け て くれ まし た。 それに、 あちら で およそ 二 年間 という もの は 自腹 を 切っ て 置い て くれ た ん です」 「じゃあ、 何 かね、 払っ て くれる 人 が い なかっ た という のかね?」
冒頭からここまで読んだ。2ページ半である。大不調のなか、ここまで読めたことに満足している。 主 治 医 ゴロが悪いな。ゴッド ポリティックス アールツト のほうが。 4ページずつだとかえって分からなくなると思うな
特に「白痴」はスピーチ合戦のようなところがあるから カラマーゾフって一節で題名とかつけてあるからキリよく読めるよね
他もそうしてくれるといいけど
1章だと長いときと短いときがあるからキリよく読みたい自分としてはちと困る
1章長さが違うのはあたりまえなんだけどね おはようございます、というより真夜中にこんばんわ
自分は聖教新聞をいちにち3部読むという、超人的作業に取り組んでいるのである。
二宮金次郎のごとく、外を歩いてる時も、読んでいるのである。これマジで。
この5年ほどの間に読まずにたまりにたまっておったのである。......... しかし、白痴を読むと宣言し、みんなが
注目してくれてるのだから、こんな時間であるが、読みます、いまから。 「ところで どう だ な、 公爵、 あんた は あちら で 教授 について 学問 を し て 来 た のかね?」
と 不意 に 薄 黒い 顔 の ほう が 尋ね かけ た。 「ええ…… 勉強 し まし た よ……」 「だが おれ
は まだ 何 も 習っ た ため しがない」 「なあに、 僕 に し た って ほんの ちょっと かじっ た ば
かりで」 と 公爵 は ほとんど わびる かの よう に 付け足し た、「 僕 は 病気 だっ た ので、 系統
的 な 教育 を うける だけの 能力 が ない 者 とさ れ て い た の です」
-----------------------------------
まで。
公爵のこの返しはいいね。優しさと、なんて言ったらいいのか、わざとらしい謙遜とは真反対の
ものがある。 彼らはなんでもかんでも知っている。彼らのしばしの間も休むことのない
物好きな才知や才能は一つの方面にのみ集注される、 ...... いうまでもなく、
現代の思想家に言わせれば、いっそう重要な人生の興味や見解に欠けた
方面へ向いているのである。
それにしても、『なんでも知っている』ということばの意味は、かなりに
限界をつけて考えねばならぬ。 ―― 誰それはどこに勤めていて、誰と知り
合っているとか、財産はどれぐらいで、どこの県知事をしていたとか、誰
と結婚して、持参金をいくらもらったとか、誰が彼の従兄弟にあたり、誰
がまた 従兄弟にあたるとか、等々、いずれも、こういったようなたぐいの
ことである。
略
自分の秘密という秘密を知られている人たちのほうでは、この連中がどん
な興味に動かされているのやら、むろん、見当はつくまいけれど、彼らの
多くは一つの完全な学問にもなぞらうべきこの知識によって、たしかに慰
められており、また自尊心をもち、さらにこのうえもない精神上の満足に
さえも到達している。しかも、なかなかおもしろみのある学問ではある。
私は学者や、文士、詩人や政治家たちの間にさえ、この学問のなかに、
おのれの偉大な妥協と目的を見いだし、いや、見いだしたばかりか、
ただそれのみによっておのれの出世をとげた人びとがいることを知っている。 >>428
> 主 治 医 ゴロが悪いな。ゴッド ポリティックス アールツト のほうが。
引用はキンドルの電子テキストで、この翻訳者は、なんたらというひとです。
自分は紙の書籍、木村浩訳で読んでいます。 「悪霊」ですが、場面転換が少なく会話中心で進む物語から、
シェイクスピアの戯曲を連想しました。
しかし、会話のまどろっこしさ、
登場人物の自己主張の強さはやはり桁違いで、
安定のドスト感に溢れていますね。(ここはある意味良い点。)
人によってはひたすら疲れると思います。
私はいつになったら面白くなるんだろうと思いながらちびちびと読みました。
(上巻一番の山場と思われる)日曜日の事件を経て第二部に移り、
物語の担い手も世代交代する。終盤になり、
彼らが街とその社交界を揺るがす気配をみせますが…?。
先行きは不安だけど最後まで見届けたいというところでしょう。 白夜は、地下室の自意識と未成年の若さゆえの理想が混じっているような印象がある
まだ途中なので結末は分からないが、主人公は夢想家として夢想の中に幸福と光悦の至高を見出そうとする、ただし一人ぼっちであるため同時に哀愁ただよう喪失感も見つけてしまう
興味がある人もおこるかもしれないという期待で、少しながいんだけど最初の方でよかった部分を勝手にのせてみるよ 彼らは現実の生活をしており、彼らの生活は他人に注文されたものではなく、夢や幻のように雲散霧消するわけでもない。その生活は永久に更新されていくから、いつまでも若々しく一時たりとも同じ姿ではないのです。
ところが臆病な空想ときたら、陰々滅々として、俗悪なほど単調で、これは影の奴隷、想念(イデア)の奴隷、突然、太陽を覆い隠し、あれほど太陽を大切に思っている真のペテルブルグの心を憂愁で締めつける、あの雲の最初の一片の奴隷なのです。
憂愁に捉われてしまったら、空想なんて何になるでしょう!あの尽きせぬ空想も、絶えざる緊張の中で、ついに疲弊し、憔悴してゆくことが感じられるのです。なぜなら、誰だっていずれは大人になり、以前の自身の理想からは脱け出して卒業してゆくものだからです。 理想は打ち砕かれ、バラバラの断片となり、灰燼に帰すのです。
もし他の生活がないのなら、この断片を組み合わせてなんとか作り上げざるを得ません。
ところが魂は、何か別のものを望み、要求するのです!
そこで夢想家は、火を掻き起こすように、自身の古い夢想を掘り起こし、この灰の中に、せめて小さな火の粉でもないかと探し求め、その火の粉に息を吹きかけ、新しく燃え上がった火で、冷えてしまった心を暖め、心の中にかつてあったものすべてを、
あれほど愛おしく心を震わせ血を滾らせ、目から涙をしぼり、あれほど華やかにこちらを騙したものすべてを再び蘇らせようと、空しい努力をするのです! >>436
>シェイクスピアの戯曲を連想しました。
ドストエフスキーはシェイクスピアが好きだったらそーいう影響はあったんだろうね
悪霊は下巻に入る前くらいからいろいろと動き出す感じに思えたよ
スタヴローギンもキリーロフもよく出て来るようになるし、自分は後半の方が面白く感じた 白夜といえば、冒頭の文が、美しかったね!
紙も電子も、手もとにないけど!!
ああ、見たいな。あの美しい出だしを。 >>441
ドストエフスキーは、思想家というより研ぎ澄まされた感覚を持っていたんですねえ!
かっこよく、書けない表現できないけどお!
激しく何かを感じていたんですねえ!!
考えてみれば、わたしたちさえも、若きころは特別の感受性を持っていましたねえ?
それを、美しい言葉で表現できる人を、詩人と呼ぶのですかねぇ! ほんとうに、きみらが抜き出してくる引用は美しいなぁ!
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理想は打ち砕かれ、バラバラの断片となり、灰燼に帰すのです。
略
火を掻き起こすように、自身の古い夢想を掘り起こし、この灰の中に、せめて小さな火の粉でもないかと探し求め、
その火の粉に息を吹きかけ、新しく燃え上がった火で、冷えてしまった心を暖め、心の中にかつてあったものすべてを、
あれほど愛おしく心を震わせ血を滾らせ、目から涙をしぼり、あれほど華やかにこちらを騙したものすべてを再び蘇らせようと、空しい努力をする
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この比喩はいっしょう忘れられないなぁ >>446
> 「キリストのヨルカに召された少年」
ああ、あれも忘れられない作品だね。それと「弱い心」
内容は忘れてしまってる。でも、美しさと儚さの印象だけが。 ドスト死後百何十年?? そんな最近の作家に、感じられないんだよね。
ぼくには。というのは、あまりに素晴らしい信仰と思想と芸術だからです。
この通俗的な(とぼくらには感じられる)現代とあまりに隔絶してるからです。 ぼくも、だいすきな箇所、美しい箇所の引用ガンガンしたいなぁ。
ところが電子テキストがぼくの納得のゆく翻訳文じゃないんですよね。 >>443
素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが
若き日にのみあり得るような夜だったのである。
空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それ
を振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどで
ある──
いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれ
な人間どもが住むことができるのだろうか?
これは親愛なる読者諸君よ、青くさい疑問である、ひどく青くさい
ものではあるが、わたしは神がしばしばこの疑問を諸君の心に呼び
醒ますように希望する!……
(米川正夫=訳)
ネットで見つけてきたよ。 …… それとも それ は、 たとえ 一瞬 でも 君 の 心 の 隣人 と なる
ため に 創造 さ れ た の だろ う か?…… Iv. トゥルゲーネフ
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エピグラフ として、この詩が。こちらは「安 岡 治 子 訳」 とくに初期のころだけどドストエフスキーの文章って意外と詩的だとおもう 白夜、最初から声に出して朗読したよ。
自分で言うのもおかしいけど、おれの朗読って詩人みたいなのw
美しい声で、精確な発音なの... おかしな人間の夢が読み終わったけどこれすごくイイね
とても気に入ってしまったし、なぜもっと知名度がないのかも不思議におもうくらいよかった
罪と罰でラスコリニコフが夢をみて復活するが、まさにあの夢の続きを予感させ、カラマーゾフで来世を信じない無神論者が死んでから千兆キロあるいたあの世界がある
どうでもよくなったおかしな人間が自殺を決意するが、ある夢から覚めると、すべての思想が逆転する
まるでキリーロフの死後をみているようだった 勝手ではあるけど、ドストエフスキー好きな人にはオススメしたいとまで思った
100ページくらいだしね
そしてドストエフスキーはやっぱ読み終わると、精神的に疲労する副作用もあるのでちと休憩
以下の思想が逆転する物語
一人前の青年になってからは、一年増しに、いよいよ深く自分の恐ろしい性質がわかってきたのだが、なぜか前より幾らか平気になった。
まったく、なぜかとしか言いようがない。というのは、いまだにその理由をはっきりさせることができないからである。おそらくそれは、おれの魂の中で、トスカが、憂愁が、烈しさを増していったためだろう。 この恐ろしいトスカは、おれの全存在を超えたある事情に関わっていた ── ほかでもない、それは、この世のことはどこでもすべてどうでもいいという確信が、おれの心を捉えてしまったということ。おれはずっと以前から、そのことを予感していたが、
完全なる確信としては、ここ一年のあいだに、何かこう突然やってきたのだ。おれは忽然として悟った ── 世界が存在しようがしまいが、あるいはこの世の一切が消えてしまおうが、おれにとっては同じこと、どうでもいいことなんだ、と。
そう、おれは、自分には何ひとつなかったということを、おのれの全存在をもって直感したのである。 あ、ちなみに、トスカとはロシア語で心が萎えた状態を意味する。らしいです
憂鬱に近いのかな >>456
> おかしな人間の夢が読み終わったけどこれすごくイイね
> とても気に入ってしまったし、なぜもっと知名度がないのかも不思議におもうくらいよかった
うわぁ!もう「おかしな」いったのか?早すぎるよぉ
君についていこうと精一杯がんばってんだぞぉ?
悪霊、白痴、白夜、ぜんぶが中途半端になるぅ 死の家の記録にシロートキンって名前が出てくるよな
素人菌 遠藤周作沈黙の原作をはるかに超えると思える映画
マーティンスコセッシ監督サイレント? >>460
白夜もおかしな人間の夢もドストエフスキーでは短編の部類だから先に読んじゃうのもいいかもね
100ページくらいだからけっこう読みやすいよ 地下室の手記の主人公は性根が腐りきってるね
5chでもあそこまでひどいのは中々いないんじゃないかな 言い方の違いになってしまうが、性根が腐っていると言うより地下室の人間ほど気まぐれの自由を重要視する人間はいないよね
普通の人なら自分の私利私欲を理性的に認めるために他人の私利私欲も認めざるをえない
が、地下室の彼は一貫してそれを認めない
何故なら、人間とは常に理性で選択するのではなく理性に反して行動することもあるのだと主張して、それを高貴ととらえて実際に行ってしまう
だから同時に自分の利益も放棄せざるを得ない
ってこんな苦痛はごめんだよね普通w >>470
内容を思い出せないが、的確な要約のおかげで「そんな感じだった」と。
こういうことが、「ドストエフスキーが青年に悪影響を与える」みたいに言われる論拠なのかな? >>470
> 普通の人なら自分の私利私欲を理性的に認めるために他人の私利私欲も認めざるをえない
ただ、ふつうの人で「他人の私利私欲も認める」ひとなど、見たことない氣がするw 思うに、ふつうの人間、おれたち凡夫こそ、正真正銘の悪人・性根が腐ったネラーのような気がしてきた 男道(革命)
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/02/post-7a32.html
男がホモとして体を売る能力を会社が買い取った。
そのために、日経平均株価は「会社の業績」であると同時に「女の値段」であることを意味した。
マルクス。
いまだ生きているナチズム。尾木ママ追放、美女歓迎。 >>470
>地下室の人間ほど気まぐれの自由を重要視する人間はいないよね
> 何故なら、人間とは常に理性で選択するのではなく理性に反して行動することもあるのだと主張して、それを高貴ととらえて実際に行ってしまう
> だから同時に自分の利益も放棄せざるを得ない
--------------
例によって本文は読まずに、君のコメントだけから考える。
「理性に反して行動することもある」というのは、おそらく事実であろう。疑問点もあるが。
「それを高貴ととらえる」ことはなぜなのか?それは地下室本文に説明してあるんだね?もちろん。
そうして、「自分の利益も放棄」することになるんだね? >>457
> 以下の思想が逆転する物語
>
> 一人前の青年になってからは、一年増しに、いよいよ深く自分の恐ろしい性質がわかってきたのだが、なぜか前より幾らか平気になった。
これは「ドストエフスキー自身の青年時代」なのか。自分はこのような感覚を持った経験がないように思われるのだが。忘れているだけなのか?
「自分の恐ろしい性質」。。。「恐ろしい」とまで思ったことはないのだが。自分の性質を。
しかし、そこに深く思いを致すことが、非凡な天才の所以なのかも。
「なぜか前より幾らか平気になった。」
自己を肯定できるようになったのか?
> まったく、なぜかとしか言いようがない。というのは、いまだにその理由をはっきりさせることができないからである。おそらくそれは、おれの魂の中で、トスカが、憂愁が、烈しさを増していったためだろう。
ぜんぜんちがうらしい! 「おれの魂の中で、トスカが、憂愁が、烈しさを増していったためだろう。」
なんという悲劇的性質なんだ! >>458
>この世のことはどこでもすべてどうでもいいという確信が、おれの心を捉えてしまったということ。おれはずっと以前から、そのことを予感していたが、
> 完全なる確信としては、ここ一年のあいだに、何かこう突然やってきたのだ。おれは忽然として悟った ── 世界が存在しようがしまいが、あるいはこの世の一切が消えてしまおうが、おれにとっては同じこと、どうでもいいことなんだ、と。
> そう、おれは、自分には何ひとつなかったということを、おのれの全存在をもって直感したのである。
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この感覚は、ちょっと見ると病的に感じるが、ちがうのか?
... しかし、ドストエフスキーだったとおもうが「わたしは人間だ。ゆえに人間的なものでわたしに無関係なものはない」(ぜんぜん思い出せない)と言っていた。つまりこれは、単に「病的感覚だ!」で済ますことではないんだ。
カラマーゾフでも、どの作品でも読めばわかるが、彼は憂愁もあれば、それに比例して巨大な人生の喜びの感覚を持っていた。
上の「おかしな」の文だってが、そうだ。わたしたちとぜんぜん無関係でないからこそ、美しさと深遠さをもって、胸に迫ってくるんだ。 ドストエフスキーは魂の熱量がぜんぜんちがう。
だから、彼の創作した登場人物たちも、常人には理解しがたい。
では、無関係か?といえば、そうではない。
私たちの人生の中で「そうした瞬間」はやってくるのだ。
たとえばミーチャが捕縛されて裁判にひきずり出され「魂の煉獄」を経るがごとき。 >>479
こんばんわw どんどん書いてくださいね。
ぼくも書けないときは、何も書けないww >>476
>「それを高貴ととらえる」ことはなぜなのか?
彼は理性的な欲望つまり整った私利私欲を自他共に否定する
そうすると「自分が得するかたこうしよう」みたいな選択を嫌がり(これが性根が悪くみえるし理性的な選択の否定でもある)、気まぐれな自由という自分の意志のみを遂行しようとする
そうすると損得感情がないので現実的にはうまくいかないし、苦しみとは疑念であり否認であると主人公はわかっている、が、それでもそういう一般人にオレはならないよ!自由なんだよ!意思を持っているんだよ!
みたいな感じで現実に起こる不一致(苦痛)を高貴ととらえちゃう
まー自分を個別化して歪んた肯定の仕方だけどね
見てるひとはなんてひねくれてるんだと思うよねw >>478
どうでもいい、これは悪霊でもよく出てくるけど、ようはドストエフスキーのニヒリズムとか虚無主義のことを言ってるんだろうね
彼が体験したニヒリズムを言葉するとそういう表現がピッタリだと思ったのかもしれない >>478
>... しかし、ドストエフスキーだったとおもうが「わたしは人間だ。ゆえに人間的なものでわたしに無関係なものはない」(ぜんぜん思い出せない)と言っていた。
罪と罰でテレンティウスの言葉を引用するね
「homo sum: humani nil a me alienum puto. (TER. Heaut. 77)」
「我は人間。人間的なものにして我に無縁なるものはなしと思う」 >>483
>どうでもいい、これは悪霊でもよく出てくるけど
「白痴」でもよく出てきますよ
因果律によって現実理解に秩序と形式を与える「意識」
つまりカント風の悟性についての懐疑でしょうね
スイスの療養所で癲癇性の分裂病的な病理から
奇跡的に回復したムイシュキン公爵が
形式主義的名誉にこだわるロシア貴族社会と
営利追及の自由主義との相克の中で分裂して
やがて意識の薄明の中に帰っていく
ルソーの社会契約論では文明社会の成員の行動原理は
「自尊心」(名誉)と「利己心」(生存欲求)によって説明され
主に自尊心が闘争原因となり、利己心は憐みに派生して共同性の担保となるとされる
こういう考えにドストエフスキーは鋭い疑問を投げかける
その答えがムイシュキン公による「同情主義」の破綻なわけです 燃えろ燃えろペチカよ燃えろ
燃えろ燃えろ地球のために >初めは細くて砂糖のように白い指がパランパランとガラスをたたいていた窓が、開いたかと思うと、可愛らしい若い女性の顔がそこから覗いて、花の植木鉢を売り歩く行商人を呼び止める ─ ─
ドストエフスキー 白夜
上は長い文の一部だが、「細くて砂糖のように白い指がパランパランとガラスをたたいていた窓が」だが文法構造がわからん。
「細くて砂糖のように白い指」が主語で、その指が「パランパランとガラスをたたいていた」のかね? 皆が時には憐憫の情を抱き、時には同情的な愛情を抱くか、あるいは単にその存在に気づきもしないような、か細いひ弱な女の子が、
突然、一瞬のうちに、思いがけず、えも言われぬ素晴らしい美人に変身
─ いかなる力が、あの悲しげでもの想わしげな瞳に、あんな炎を煌めかせたのか?
何ゆえにあの蒼白い瘦せこけた頰に赤みが差したのか?
何があの優しい面差しを情熱で包んだのか?
なぜあの胸はあんなに膨らんでいるのか?
何があの哀れな女の子の顔に、力や生命や美を突然、呼び覚まし、あんな微笑みで顔を輝かせ、あんなに明るく火花のように煌めく笑いで生気を蘇らせたのか?
こちらは辺りを見回し、誰かを探し求め、誰が原因なのかを言い当てようとする……。 ところが、そんな一瞬は、あっという間に過ぎ去り、
ひょっとするともう翌日には、
以前と同様のもの想わしげで虚ろな眼差し、
同じ蒼白い顔、従順でおずおずとした物腰、
それに過ぎ去った興奮に対するどこか重苦しい憂愁や
悔しさの痕跡さえ目にすることになるのだ……。
それを見たこちらは、もう二度と取り戻せない一瞬の美が、
萎れてしまったこと、彼女がこちらの目の前で煌めいて
見せたのは、単なるまやかしで、実に空しかったこと、 >>488
>「細くて砂糖のように白い指」が主語で、その指が「パランパランとガラスをたたいていた」のかね?
だね キリーロフ
自由というのは、生きていても生きていなくても同じになるとき(どうでもよくなるとき)、
はじめてえられるのです。
これがすべての目的です。 キリーロフ「赤ん坊をハンマーで叩き潰すことも素晴らしい」 >>486
自然状態について、本来人間は憐憫と同情を持って生まれたとするルソーと、人間は本来は敵対関係で生まれたとしたホップスと、どちらかが人間の本性に合っているんだろうかとこういう話でよく思う
結果として両者も人間間の服従契約の否定に至るが、出発点が違うのに同じ結論になるのはおもしろいよね >>495
> 自然状態について、本来人間は憐憫と同情を持って生まれたとするルソーと、人間は本来は敵対関係で生まれたとしたホップスと、どちらかが人間の本性に合っているんだろうかとこういう話でよく思う
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仏ならどちらもちがうと考えはしまいか? 憐憫と同情と慈悲も、敵対と闘争と勝他も、
どちらも人間生命に内在しており、縁に触れて出生(しゅっしょう)するのだと。
平たくいえば「善人も悪人もいない」善いことをするとき善人とよばれ、悪いことをするとき
悪人とよばれるのだと。 天才バカボンがキリーロフやカミュのシシュポスと同じとは盲点だったわw >>497
> 宮前真樹。
かなり売れそうで、それほどは売れなかった印象。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています