ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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0462吾輩は名無しである
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2018/05/11(金) 16:35:04.14ID:1cpM2Esx
死の家の記録にシロートキンって名前が出てくるよな
素人菌
0467吾輩は名無しである
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2018/05/12(土) 00:45:28.17ID:V6PiO+Hu
遠藤周作沈黙の原作をはるかに超えると思える映画

マーティンスコセッシ監督サイレント?
0468吾輩は名無しである
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2018/05/12(土) 01:32:40.69ID:XatJJ2vA
>>460
白夜もおかしな人間の夢もドストエフスキーでは短編の部類だから先に読んじゃうのもいいかもね
100ページくらいだからけっこう読みやすいよ
0469吾輩は名無しである
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2018/05/13(日) 20:29:57.82ID:Xr8jQYJ/
地下室の手記の主人公は性根が腐りきってるね
5chでもあそこまでひどいのは中々いないんじゃないかな
0470吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 01:12:27.48ID:uV0z50qn
言い方の違いになってしまうが、性根が腐っていると言うより地下室の人間ほど気まぐれの自由を重要視する人間はいないよね
普通の人なら自分の私利私欲を理性的に認めるために他人の私利私欲も認めざるをえない
が、地下室の彼は一貫してそれを認めない
何故なら、人間とは常に理性で選択するのではなく理性に反して行動することもあるのだと主張して、それを高貴ととらえて実際に行ってしまう
だから同時に自分の利益も放棄せざるを得ない
ってこんな苦痛はごめんだよね普通w
0471吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 02:45:13.21ID:BxSCOXXr
>>470
内容を思い出せないが、的確な要約のおかげで「そんな感じだった」と。

こういうことが、「ドストエフスキーが青年に悪影響を与える」みたいに言われる論拠なのかな?
0472吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 02:47:14.39ID:BxSCOXXr
>>470
> 普通の人なら自分の私利私欲を理性的に認めるために他人の私利私欲も認めざるをえない

ただ、ふつうの人で「他人の私利私欲も認める」ひとなど、見たことない氣がするw
0474吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 03:41:30.58ID:BxSCOXXr
思うに、ふつうの人間、おれたち凡夫こそ、正真正銘の悪人・性根が腐ったネラーのような気がしてきた
0476吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 23:22:51.76ID:BxSCOXXr
>>470
>地下室の人間ほど気まぐれの自由を重要視する人間はいないよね

> 何故なら、人間とは常に理性で選択するのではなく理性に反して行動することもあるのだと主張して、それを高貴ととらえて実際に行ってしまう

> だから同時に自分の利益も放棄せざるを得ない

--------------
例によって本文は読まずに、君のコメントだけから考える。

「理性に反して行動することもある」というのは、おそらく事実であろう。疑問点もあるが。

「それを高貴ととらえる」ことはなぜなのか?それは地下室本文に説明してあるんだね?もちろん。
そうして、「自分の利益も放棄」することになるんだね?
0477吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 23:32:16.44ID:BxSCOXXr
>>457
> 以下の思想が逆転する物語
>
> 一人前の青年になってからは、一年増しに、いよいよ深く自分の恐ろしい性質がわかってきたのだが、なぜか前より幾らか平気になった。

これは「ドストエフスキー自身の青年時代」なのか。自分はこのような感覚を持った経験がないように思われるのだが。忘れているだけなのか?

「自分の恐ろしい性質」。。。「恐ろしい」とまで思ったことはないのだが。自分の性質を。
しかし、そこに深く思いを致すことが、非凡な天才の所以なのかも。

「なぜか前より幾らか平気になった。」
自己を肯定できるようになったのか?

> まったく、なぜかとしか言いようがない。というのは、いまだにその理由をはっきりさせることができないからである。おそらくそれは、おれの魂の中で、トスカが、憂愁が、烈しさを増していったためだろう。

ぜんぜんちがうらしい! 「おれの魂の中で、トスカが、憂愁が、烈しさを増していったためだろう。」

なんという悲劇的性質なんだ!
0478吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 23:44:37.96ID:BxSCOXXr
>>458
>この世のことはどこでもすべてどうでもいいという確信が、おれの心を捉えてしまったということ。おれはずっと以前から、そのことを予感していたが、

> 完全なる確信としては、ここ一年のあいだに、何かこう突然やってきたのだ。おれは忽然として悟った ── 世界が存在しようがしまいが、あるいはこの世の一切が消えてしまおうが、おれにとっては同じこと、どうでもいいことなんだ、と。

> そう、おれは、自分には何ひとつなかったということを、おのれの全存在をもって直感したのである。

--------------------
この感覚は、ちょっと見ると病的に感じるが、ちがうのか?

... しかし、ドストエフスキーだったとおもうが「わたしは人間だ。ゆえに人間的なものでわたしに無関係なものはない」(ぜんぜん思い出せない)と言っていた。つまりこれは、単に「病的感覚だ!」で済ますことではないんだ。

カラマーゾフでも、どの作品でも読めばわかるが、彼は憂愁もあれば、それに比例して巨大な人生の喜びの感覚を持っていた。

上の「おかしな」の文だってが、そうだ。わたしたちとぜんぜん無関係でないからこそ、美しさと深遠さをもって、胸に迫ってくるんだ。
0480吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 23:51:51.19ID:BxSCOXXr
ドストエフスキーは魂の熱量がぜんぜんちがう。

だから、彼の創作した登場人物たちも、常人には理解しがたい。

では、無関係か?といえば、そうではない。

私たちの人生の中で「そうした瞬間」はやってくるのだ。

たとえばミーチャが捕縛されて裁判にひきずり出され「魂の煉獄」を経るがごとき。
0481吾輩は名無しである
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2018/05/14(月) 23:53:58.58ID:BxSCOXXr
>>479
こんばんわw どんどん書いてくださいね。

ぼくも書けないときは、何も書けないww
0482吾輩は名無しである
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2018/05/15(火) 02:43:56.80ID:BL9XxiyC
>>476
>「それを高貴ととらえる」ことはなぜなのか?
彼は理性的な欲望つまり整った私利私欲を自他共に否定する
そうすると「自分が得するかたこうしよう」みたいな選択を嫌がり(これが性根が悪くみえるし理性的な選択の否定でもある)、気まぐれな自由という自分の意志のみを遂行しようとする

そうすると損得感情がないので現実的にはうまくいかないし、苦しみとは疑念であり否認であると主人公はわかっている、が、それでもそういう一般人にオレはならないよ!自由なんだよ!意思を持っているんだよ!
みたいな感じで現実に起こる不一致(苦痛)を高貴ととらえちゃう
まー自分を個別化して歪んた肯定の仕方だけどね
見てるひとはなんてひねくれてるんだと思うよねw
0483吾輩は名無しである
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2018/05/15(火) 02:47:10.59ID:BL9XxiyC
>>478
どうでもいい、これは悪霊でもよく出てくるけど、ようはドストエフスキーのニヒリズムとか虚無主義のことを言ってるんだろうね
彼が体験したニヒリズムを言葉するとそういう表現がピッタリだと思ったのかもしれない
0484吾輩は名無しである
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2018/05/15(火) 03:09:56.12ID:BL9XxiyC
>>478
>... しかし、ドストエフスキーだったとおもうが「わたしは人間だ。ゆえに人間的なものでわたしに無関係なものはない」(ぜんぜん思い出せない)と言っていた。
罪と罰でテレンティウスの言葉を引用するね
「homo sum: humani nil a me alienum puto. (TER. Heaut. 77)」
「我は人間。人間的なものにして我に無縁なるものはなしと思う」
0485吾輩は名無しである
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2018/05/15(火) 19:29:54.25ID:5ItepqfW
>>469

妙に説得力があるぞw
0486吾輩は名無しである
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2018/05/15(火) 19:33:19.25ID:V3WWECKb
>>483
>どうでもいい、これは悪霊でもよく出てくるけど

「白痴」でもよく出てきますよ
因果律によって現実理解に秩序と形式を与える「意識」
つまりカント風の悟性についての懐疑でしょうね

スイスの療養所で癲癇性の分裂病的な病理から
奇跡的に回復したムイシュキン公爵が
形式主義的名誉にこだわるロシア貴族社会と
営利追及の自由主義との相克の中で分裂して
やがて意識の薄明の中に帰っていく

ルソーの社会契約論では文明社会の成員の行動原理は
「自尊心」(名誉)と「利己心」(生存欲求)によって説明され
主に自尊心が闘争原因となり、利己心は憐みに派生して共同性の担保となるとされる
こういう考えにドストエフスキーは鋭い疑問を投げかける
その答えがムイシュキン公による「同情主義」の破綻なわけです
0488吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 00:49:16.20ID:BFNe1v9i
>初めは細くて砂糖のように白い指がパランパランとガラスをたたいていた窓が、開いたかと思うと、可愛らしい若い女性の顔がそこから覗いて、花の植木鉢を売り歩く行商人を呼び止める ─ ─

ドストエフスキー 白夜

上は長い文の一部だが、「細くて砂糖のように白い指がパランパランとガラスをたたいていた窓が」だが文法構造がわからん。

「細くて砂糖のように白い指」が主語で、その指が「パランパランとガラスをたたいていた」のかね?
0489吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 01:23:19.86ID:BFNe1v9i
皆が時には憐憫の情を抱き、時には同情的な愛情を抱くか、あるいは単にその存在に気づきもしないような、か細いひ弱な女の子が、

突然、一瞬のうちに、思いがけず、えも言われぬ素晴らしい美人に変身

─ いかなる力が、あの悲しげでもの想わしげな瞳に、あんな炎を煌めかせたのか? 
何ゆえにあの蒼白い瘦せこけた頰に赤みが差したのか? 
何があの優しい面差しを情熱で包んだのか? 
なぜあの胸はあんなに膨らんでいるのか? 
何があの哀れな女の子の顔に、力や生命や美を突然、呼び覚まし、あんな微笑みで顔を輝かせ、あんなに明るく火花のように煌めく笑いで生気を蘇らせたのか? 

こちらは辺りを見回し、誰かを探し求め、誰が原因なのかを言い当てようとする……。 
0490吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 01:27:45.03ID:BFNe1v9i
ところが、そんな一瞬は、あっという間に過ぎ去り、
ひょっとするともう翌日には、
以前と同様のもの想わしげで虚ろな眼差し、
同じ蒼白い顔、従順でおずおずとした物腰、
それに過ぎ去った興奮に対するどこか重苦しい憂愁や
悔しさの痕跡さえ目にすることになるのだ……。
それを見たこちらは、もう二度と取り戻せない一瞬の美が、
萎れてしまったこと、彼女がこちらの目の前で煌めいて
見せたのは、単なるまやかしで、実に空しかったこと、
0491吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 02:30:07.00ID:+87dynnL
>>488
>「細くて砂糖のように白い指」が主語で、その指が「パランパランとガラスをたたいていた」のかね?
だね
0492吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 02:38:42.66ID:+87dynnL
キリーロフ
自由というのは、生きていても生きていなくても同じになるとき(どうでもよくなるとき)、
はじめてえられるのです。
これがすべての目的です。
0493吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 12:11:55.08ID:r07yCyj4
キリーロフ「赤ん坊をハンマーで叩き潰すことも素晴らしい」
0495吾輩は名無しである
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2018/05/16(水) 16:41:19.51ID:ufu58L3H
>>486
自然状態について、本来人間は憐憫と同情を持って生まれたとするルソーと、人間は本来は敵対関係で生まれたとしたホップスと、どちらかが人間の本性に合っているんだろうかとこういう話でよく思う
結果として両者も人間間の服従契約の否定に至るが、出発点が違うのに同じ結論になるのはおもしろいよね
0496吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/16(水) 18:29:04.74ID:BFNe1v9i
>>495
> 自然状態について、本来人間は憐憫と同情を持って生まれたとするルソーと、人間は本来は敵対関係で生まれたとしたホップスと、どちらかが人間の本性に合っているんだろうかとこういう話でよく思う

------------
仏ならどちらもちがうと考えはしまいか? 憐憫と同情と慈悲も、敵対と闘争と勝他も、

どちらも人間生命に内在しており、縁に触れて出生(しゅっしょう)するのだと。

平たくいえば「善人も悪人もいない」善いことをするとき善人とよばれ、悪いことをするとき

悪人とよばれるのだと。
0497糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
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2018/05/16(水) 21:08:24.40ID:NagFM8PU
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/120449695

女は「なぜパートナーが自分とセックスしたがるのか?」の説明を与え続けている。
このことからアイドル作詞の曲を調べてみた。

穴井夕子。「簡単なこと」
https://youtu.be/NOlVeoY815s

酒井法子。「私が強いから」
https://youtu.be/0hUf2Yko7M0

新田恵利。「伝説だから」
https://youtu.be/iel72Qa4ZVU

瀬能あづさ。「天使の羽に抱かれろ」
https://youtu.be/4htekiGTB-Q

宮前真樹。「理屈じゃない。ガラクタたちが教えてくれる」
https://youtu.be/SlAUkz1yLtg
0499吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/17(木) 01:08:57.52ID:bxhiY0s8
天才バカボンがキリーロフやカミュのシシュポスと同じとは盲点だったわw
0500吾輩は名無しである
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2018/05/17(木) 06:27:50.44ID:RUzwxiNK
>>497

> 宮前真樹。

かなり売れそうで、それほどは売れなかった印象。
0501DJgensei artchive gemmar
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2018/05/17(木) 07:01:16.66ID:fa7Me6Ta
人間の持っているものは端くれながらでも闘争心でしょう。
0502吾輩は名無しである
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2018/05/17(木) 20:01:06.97ID:G05vddR9
キリーロフは昼夜逆転の生活を送っている。
夜中から朝方まで部屋を中をうろうろしながらずっと考えごとをしている
0503吾輩は名無しである
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2018/05/17(木) 22:29:16.16ID:QeQY1KEQ
>>501
>人間の持っているものは端くれながらでも闘争心でしょう。

それをドストエフスキーは
物質的欲求に由来する「生活の闘争」と
階級や名誉に由来する価値闘争に分類している
だから生存の維持に必要な物質的欲求が満たされた利子生活者になったら
名誉心などに起因する価値闘争から身を護るために孤立する
いわゆる「地下室人間」のイメージが提示される
0504DJgensei artchive gemmar
垢版 |
2018/05/18(金) 09:26:13.82ID:ZcLO9cBJ
善と悪は一人の人格の中に共存しえないでしょう。
0505吾輩は名無しである
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2018/05/18(金) 10:53:30.46ID:5m3hPjGj
そんなことはない。
0507吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/18(金) 20:32:55.45ID:6vMUdKhB
凡人に狂気は無く最も理性的な人間にこそ狂気は宿る
とはチェスタトンだったかな
ドストエフスキーも似たような事を言っていて
悪人であるには理性的でなければいけない
といったことを「未成年」でヴェルシーロフに語らせている

また、チェスタトンは
永遠について思索するよりも一瞬の決断についての方が大切だと言っているが
これと似たような事は「白痴」でも述べられている
永遠と瞬間が同期するという発想はドイツロマン主義にも見られるが
チェスタトンやドストエフスキーの瞬間というのはそういうものではない
諸瞬間で下される判断や状況の背後に潜む「秘密」について述べているわけで
それが5大長篇という一種の犯罪小説のモチーフにもなっている

トルストイが「人生論」でも述べているように
人間に自由意志は無いわけだね
0509吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 00:09:50.27ID:7/q3MY+o
>>507
トルストイにこそ当てはまる気がする
本当の倫理家の精神の一部は狂人なのだろう
0510吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 01:42:34.63ID:cdYacNLw
トルストイやドストエフスキーが自由意志についてどこまで自由としていたかは難しいが、ドストエフスキーについてはこの自由意志にこだわったのは確かだと思う
必然性と可能性の中でどこまで自由に意志できるかを探ってみたんじゃないかな?
そもそも自己が自由に意志するとは何なのか
そもそも自己とは何なのかを考えるとパンクするねw
0511吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 01:42:49.38ID:cdYacNLw
キルケゴールは人間とは精神であり自己であるとした
自己とは自己自身に関係に関わる関係であるとし、つまりは第三者の目の介入を必要として、それを人間の尺度としている
絶望している人間の尺度とは社会であり、世界であり、人間(他者)であると言っている
もし人間が自己の尺度を神とした場合、その人間の尺度はどんなに無限にかわるのか!と
また絶望とは、神の前にして、絶望して自己自身であろうとすることとも言っている

ヴェルシーロフやイワンは最後はで自己自身であること、理性を離さないこと、それらを見放さなかった
つまり絶望者である
じゃあ彼らはどうすれば救われたのか?
分からないことだらけでヤニなるよねまったくw
0512吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 02:35:05.59ID:cdYacNLw
>>511
>もし人間が自己の尺度を神とした場合、その人間の尺度はどんなに無限にかわるのか!と
訂正→その人間の自己はどんなに無限になるのか
ねようw
0513DJgensei artchive gemmar
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2018/05/19(土) 07:03:33.75ID:MCpeMuPC
自己なんて世界の0.00無限なのに、自由意思もひっくるめて、依存しすぎだね。
0514吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 14:48:06.30ID:5AgFDZ1k
「未成年」は節約生活ノウハウみたいな箇所が妙に面白いわけだが。
0515吾輩は名無しである
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2018/05/19(土) 20:03:37.10ID:Bl2peDdJ
しかしイポリートの夢に出て来る
三叉戟のような形態の蛇蝎は何を意味しているのか?
ギリシア神話における
ネプチューンによるイポリートへの罰のことなのか

監獄のような小部屋で三叉戟状の蛇にして蠍に追い詰められが
庇護者たる母とその知人男性は無力で
5年前に死んだ筈の愛犬ノルマ(黒犬)がほぼ相討ちという形で
イポリートを死の淵から救う

この悪夢から覚めた時にムイシュキン公が現れ
イッポリートを死の部屋から救い出す
しかし、この「救済」をイポリートは欺瞞だと糾弾する
で、この夢の事をどういうわけかムイシュキンは事前に知っていた

スイス的あるいはキリスト教的ムイシュキン公による善美と博愛の思想が
ギリシア的かつ能動的ニヒリストであるイポリートによって非難される
0516糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
垢版 |
2018/05/19(土) 20:26:29.94ID:5EbITBsq
詩の世界のヒーロー。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/118785946

一部抜粋。
「思い出のあるコミュニティー」だけが彼女の「世界の終わり」の願いを押しとどめていた。
フランス革命、パリコミューン、ロシア革命、ハンガリー動乱に学んだ日本は中学校の恩師をなかなか異動させないようにした。
「意味のある活動」をすれば恩師は自分のことを覚えている。
「世界に終わりがきてしまえばいいのに」
そう思った時に、母校の周りをうろついた。
「思い出のあるコミュニティーがないこと」
これが全体主義の起源である。
ノスタルジーを感じることが時には人間には必要だった。
【聖地巡礼の心理学とは、世の中に終わりが来てしまえばいいのに、ということと全体主義の克服にある】
https://youtu.be/BUI5M1myqSA
0517吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 01:13:55.20ID:Vj1yFAMB
>>515
ドストエフスキーは夢に特別な意味を与えているね
自身が癲癇とかで何かそういう夢を見たのかもしれない
0518吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 09:38:25.38ID:ixM7A+Ih
ドストエフスキーは何回読んでも新たな発見がある。
長い小説だから、読んでる途中でだらけていい加減に読んでしまう箇所が何箇所かある。
その箇所が二回目三回目に読むとき、新たな発見になるわけです。
0520吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 13:10:44.53ID:7plHb8d/
>>503
> それをドストエフスキーは
> 物質的欲求に由来する「生活の闘争」と
> 階級や名誉に由来する価値闘争に分類している

これは「地下室」本文に書かれているのですか? 特に気になったのは、

> だから生存の維持に必要な物質的欲求が満たされた利子生活者になったら
> 名誉心などに起因する価値闘争から身を護るために孤立する
> いわゆる「地下室人間」のイメージが提示される
0521吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 13:17:48.61ID:7plHb8d/
> だから生存の維持に必要な物質的欲求が満たされた利子生活者になったら
> 名誉心などに起因する価値闘争から身を護るために孤立する

ぼくにはどうも そう思われない。というのは、名誉心などに起因する価値闘争は夢の世界へ
と圧迫される氣がする。夢で、あるいは仮想世界で噴出するのでは。

ともあれ、このスレについていくために必須なのは「まず自分自身が読むことだ」読みもしないで、そこに書いてある字面だけおっても空転だ。イメージの共有ができてないからだ。
0522吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 13:22:20.08ID:7plHb8d/
>>484
> 罪と罰でテレンティウスの言葉を引用するね
> 「homo sum: humani nil a me alienum puto. (TER. Heaut. 77)」
> 「我は人間。人間的なものにして我に無縁なるものはなしと思う」

レスが遅れましたが、原典まで出して頂き感謝。強力な教養を相手にひけらかす為の武器としてではなく、ドストが「古典のなにを読んでいたか」

そして「彼がその文をどう解釈し、なにを引き出したか」
0523吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 21:06:30.20ID:7Fc4cGvq
>>504

ヘルマン・ヘッセ「カラマーゾフの兄弟、ヨーロッパの没落」 (1919年)

ドストエフスキーの諸作品において、ことにもっとも強い焦点を結んで「カラマーゾフ」において、私には私が自分の用語で「ヨーロッパの没落」と呼んでいる事柄が、おどろくほどの明瞭さをもって、表現されて予言されていると思われる
ヨーロッパの青年、とくにドイツの青年が、自分たちの偉大な作家と感じているものが、ゲーテでなくニーチェでもなく、じつにドストエフスキーであることは、私たちヨーロッパ人の運命にたいして決定的な意味をもつ
カラマーゾフの理想、古い古いアジア的な神秘の理想がヨーロッパの思潮になりはじめている
それが私がヨーロッパの没落とよぶところのものである
「アジア的」理想とは何であろう
いっさいを理解し、いっさいを肯定するために、あらゆる固定した倫理や道徳から離れるということである
長老ゾシマが第一にそれを告知し、アリョーシャがそれを実践し、ドミトリイおよびはるかにそれ以上にイワンがもっとも明瞭にそれを意識して述べたような、ひとつの新しい危険な恐ろしい神聖さを実現せんがために既存の固定した観念から離れるという方向である
イワンが物語の進行につれて、文明人からカラマーゾフ人に、ヨーロッパ人からロシア人に、形のととのった歴史的タイプから、未来のための無形式的素材になってゆく
最初彼の身をつつんでいた落ちつき、悟性、冷静、科学性の威容からずれ落ちていった、もっともぐらつきそうにもなかったカラマーゾフ族のひとりが、ヒステリー、ロシア性、カラマーゾフ的なものへ移行していった
ロシア的人間、カラマーゾフとは、殺人者であって同時にもっともデリケートなたましいの所有者である
それは申し分のない利己主義者であり、また申し分のない献身の英雄である
ヨーロッパ的な、確固たる、道徳的な、倫理的な、ドグマ的な立場から、この人間の真相をきわめることはできない
この人間のなかには外と内、善と悪、神と悪魔とが同時に存在しているのである
0524吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/20(日) 21:08:22.00ID:7Fc4cGvq
つづき

同時に悪魔でもある神とは、太古のデミウルク(原初的創造神)である
彼は劫初から存在した神である
彼のみが種々の対立の彼岸に立っており、昼と夜、善と悪との区別を知らない
彼は無でありまた全である
彼はわれわれには認識できない、われわれはすべて対比と対照によってのみ物を認識することができるのだから
われわれは個体であって、昼と夜、暖と冷の対立にしばりつけられており、神と悪魔の両者を必要とするのである
対立の彼岸、「無にして全」の中にはただデミウルク、善も悪も知らない全の神だけが生きているのである
ロシア的人間の本質、それは諸対立、諸特性、諸道徳から脱出しようともがく人間である
それは自己を離れ、個体化の原理という帳の背後の世界へ帰ろうとしている人間である
こういう人間はなにものをも愛せず、またすべてを愛する、なにものをも怖れず、またすべてを怖れる、なにごともなさず、またすべてをなす
こういう人間はふたたび原材料、形態のない霊的素材に戻ったのである
現行の形式では、こういう人間は生きることができない、ただ没落してゆくばかりである
この没落人、この恐ろしい幽霊をドストエフスキーは、彼の魔力をもって芸術の世界へ呼び出した
ロシア的人間はとっくにロシアの外に進出して、ヨーロッパの半ばを支配しているのである
ヨーロッパは疲れていることが明らかになったのである
ヨーロッパは故郷へ帰りたがっている、そして休息したがっている
そして創り直され、生まれ変わることを望んでいることが明らかになったのである
0525吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 01:00:42.27ID:UPtOGcn5
>>523
> ヘルマン・ヘッセ「カラマーゾフの兄弟、ヨーロッパの没落」 (1919年)

これの存在してることだけ仄聞してたが、まさか2ちゃんで引用してくれて、はじめて読むことになろうとは。ありがとう。

ヘッセは、考えてみれば、自分にとって、ドストの次に愛読した外国文学といえる。そのヘッセが、ドストエフスキーの系譜のひとりであることを感じた。

> ヨーロッパの青年、とくにドイツの青年が、自分たちの偉大な作家と感じているものが、ゲーテでなくニーチェでもなく、じつにドストエフスキーであることは、私たちヨーロッパ人の運命にたいして決定的な意味をもつ

ひとりヨーロッパ人にかぎらず、私たち日本人にとっても特別の文豪であろう。おそらくは、中国人韓国人アフリカ人にとっても。
0526吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 01:04:05.22ID:UPtOGcn5
「まず自分自身が読むことだ」と書いておきながら、日常茶飯事に
まぎれて読めてない。

カキコの時間はあるのに。だから私は彼を尊敬するというのだ。

わたしにとってカキコは簡単だが、ヨミコは恐ろしいほどの努力が必要なんだ。
0527吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 01:45:58.88ID:gfgyi6wS
ヘッセも文学上にてまぎれもない天才だよね
彼はアベルの血だけではなくカインの血もまた肯定しようと試みて、それを人間の本性のように書いている
迸る思いのままに生きること、二元論の同時性を求め、アブラクサスを神として、善と悪の同時共有曰く全一性の本質を人間に見出そうとしたように思える
一切は無くてつまりは一切は在る、ということ
ドストエフスキーの類似性をここに見る

ヘッセは、すべて無いならば「自分を自分で支配すること」で、創造を見つけようとしているように自分には読んで思えた
ヘッセは、自己からわき出る素直な感情を大切にしたと言っても間違いにはならないだろう
0528吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 01:46:29.25ID:gfgyi6wS
ではドストエフスキーはどうか
善と悪の概念がなくなったとき、上のレスであるように、単純に精神は疲れてしまいもたなくなる
自殺という結果のみがそこにある
そこで救済を見つめなければいけなくなる
ドストエフスキーは、すべて無いならば「自分を神に支配してもらう」ことで、創造を見つけようととしたのではないだろうか
それでは言い方がまだ足りないくらいに、雀が落ちるのもすべて神の意志でありように一切を委託する

個人的読解では、ヘッセは、善と悪や創造と破壊・秩序と混沌・理性と感情などを自己の中に求めることで幸福と自己実現を求めた作家だと思うんだ
一方でドストエフスキーは、それらを自己の外に置き、それらを自己の外に求めることで幸福を実現しようとしたのではないかと思っている
ぼくもまだまだ読みとれていない部分が多いとは思うが今のところはこんな感じが持ってる感想かな
0529吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 02:49:28.69ID:UPtOGcn5
>>507
> 諸瞬間で下される判断や状況の背後に潜む「秘密」について述べているわけで
> それが5大長篇という一種の犯罪小説のモチーフにもなっている

----------------------
なんとも謎めいた表現だが、しかし「そうだ!たしかにそうだ!」

目も覚めるようなフレッシュな視点を与えてくれた。

「諸瞬間で下される判断や状況の背後に潜む「秘密」」かっ...

カラマーゾフや罪と罰の、種々の場面が想起される。
0530吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 02:59:54.08ID:UPtOGcn5
>>527
最近、スレのみんなのカキコが盛んですねえ!

ところでヘッセですが、ぼくがもっとも読み込んだのは「ガラス玉演技」中の「3つのものがたり」です。

文庫本ですが、読みすぎて、すり切れてバラバラになり、押入れかどっかにあるはず。

カラマーゾフで、アレクセイとゾシマの関係性を自分に当てはめて

読んできたように、この「3つの物語」を読んでいた時は、30代なかばで、一種の精神的危機でした。

あなたはガラス玉を読みましたか?
0531吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 03:03:14.44ID:UPtOGcn5
ひじょうにハイレベルなカキコにレスをつけるのは難しい。

また逆に、ひじょうにシンプルだが、相手の考えに自分の信念を注入せしめるのも、また困難。
0532吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 04:05:16.94ID:UPtOGcn5
>>518
> その箇所が二回目三回目に読むとき、新たな発見になるわけです。

わたしも牛のように鈍重に、同じ箇所をくりかえし反芻して
語りたい。

「信仰のうすい貴婦人」より、ゾシマと母夫人の対話の場面。

オブドールスクの客僧が、「あなたはどうしてあんなことを
思いきってなさるのですか?」と訊く。

ゾシマ「このことはもちろん、今語るべき時でありませんじゃ。
少しくらい軽くなったのは、すっかり治ってしまったのと違う
し、それにまたほかの原因から起こることもありますでな。
しかし、もし何かあったとすれば、それは誰の力でもない、
神様の思し召しじゃ。一切のことは神様から出ているのじゃ。
時にどうか本当にお訪ね下され。」
0533吾輩は名無しである
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2018/05/21(月) 04:24:07.94ID:UPtOGcn5
時にどうか本当にお訪ね下され。」と彼は、僧に向かってつけたした。「でないと、いつでもというわけに参りませぬでな。病身のことゆえ、もう命数もかぞえ尽されておる、それはわたしも承知しておりますじゃ。」
------------------------------------------------

オブドールスクの僧は「単純ではあるが確固不抜の人生観と、深い信仰と、一種独特の頑固さを持っている」がゆえに、ひじょうに高位なゾシマに対しても、おずることなく、「たしなめるようなものものしい態度で」リーズの『治療』のことを、問いただした。

ゾシマはまったく対等な信仰の同志として対応している。

そして信仰による奇跡的な治癒を「ゾシマ自身が確信している」とわたしは解釈する。
また相手の僧の不信や猜疑に怒るということもない。なぜなれば、この
客僧の問は「礼を欠いているが」ゾシマ同様信仰への厳しい求道性に
由来する「無礼さ」であるからだ。
0535吾輩は名無しである
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2018/05/22(火) 02:37:26.98ID:yqcs1J7T
スレチだけどトルストイの民話集読んでみたけど面白かった
話も面白かったしトルストイだなーという所もあっていい作品だった
今は、イワンのばかの最初だけれどいずれドストエフスキーとの比較でもしてみたい
0536吾輩は名無しである
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2018/05/22(火) 10:15:09.31ID:GUp5aNKq
>>535
> スレチだけどトルストイの民話集読んでみたけど面白かった

スレチではないので、この断り書きは必要ない。トルストイとドストエフスキーは

相互に大変な影響を与え合っていたはず。
0538吾輩は名無しである
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2018/05/23(水) 00:38:54.84ID:O3IvnlGU
>>528
哲学的、あるいは厳密性をもって、正確性で、書けない。その前置きをしておいて、

ヘッセとドストエフスキーでは、おそらくは人生で見聞したものの量が違うのではないか。

たとえば、白痴であるが、死刑囚のイメージと思考について、縷縷書かれているが、

「それらはすべて、まさに彼自身のじっさいの体験と思考」に由来している。

またたとえば、カラマーゾフで、ゾシマと民衆のやりとり、これも実在の人物じっさいの会話が下敷きにあるのではないか。
0539吾輩は名無しである
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2018/05/23(水) 00:45:07.32ID:O3IvnlGU
>>523
>イワンが物語の進行につれて、文明人からカラマーゾフ人に、ヨーロッパ人からロシア人に、形のととのった歴史的タイプから、未来のための無形式的素材になってゆく
最初彼の身をつつんでいた落ちつき、悟性、冷静、科学性の威容からずれ落ちていった、もっともぐらつきそうにもなかったカラマーゾフ族のひとりが、ヒステリー、ロシア性、カラマーゾフ的なものへ移行していった
ロシア的人間、カラマーゾフとは、殺人者であって同時にもっともデリケートなたましいの所有者である
それは申し分のない利己主義者であり、また申し分のない献身の英雄である

イヴァンについてひとつの見地を与えてくれる。

ところでこれは、そのままラスコーリニコフにもあてはまるではないか?

そしてまた、われわれ自身にも。「カラマーゾフとは我自身のことなり。」

ロシア的人間とは、即 日本的人間なり!!
0541吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/23(水) 00:52:10.52ID:O3IvnlGU
>>503
> だから生存の維持に必要な物質的欲求が満たされた利子生活者になったら
> 名誉心などに起因する価値闘争から身を護るために孤立する
> いわゆる「地下室人間」のイメージが提示される

最近数ページ、カラマーゾフのホフラコーヴァとゾシマの対話のところを読んだ。

そのとき、ゾシマが「ある医者の告白として」人類全体を愛するが、身近にいる具体的人間を

愛せないという、話を持ちだした。そのとき、きみのこの「「地下室人間」のイメージ」という言葉を思い出したよw ああ、これだな、と。
0544吾輩は名無しである
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2018/05/23(水) 22:51:31.35ID:O3IvnlGU
>>543
ほんとにね。現実は、リアルは、いつもきびしいね

でもそれさえも、強い生命力があれば、乗り越えられるとおもうんだ

隣人が狂人であることの出現頻度が15%と仮定する

だとすると、職場でパワハラを受ける蓋然性は、75パーセントだろうか?

... そうだ、そうなのだ。僕達が生きてるこの世界は、そういう風にできてるのだ。

だから、ゾシマは「実践の愛」がいかに厳しいものか、説いている。

そもそも、宗教が創始され、必要とされる最大のワケは

人間関係の悩みなんだよ。もっとこれについて、書きたい気持ちもあるが、ドストエフスキーと離れるのでとめておく。
0545吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/25(金) 23:09:17.23ID:b5S+4Rxd
ゲーテファウストをゲット。岩波。

マシンの机に置き、手すきのときに、読んでいく心づもり。

まだ巻末の解説を読んでいるところ。

「凱歌をあげるのは止すがいい。
お前たちは人類と知識とに対して勝利を得たのではない」
0546吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/25(金) 23:11:59.58ID:b5S+4Rxd
Wir sehnen uns nach Offenbarung,
Die nirgends würd'ger und schöner brennt
Als in dem Neuen Testament.
Mich drängt's, den Grundtext aufzuschlagen,
Mit redlichem Gefühl einmal
Das heilige Original
(行数の都合で最初のみ)

森鴎外訳(1913年)

啓示がほしいとあこがれる。
あのどの傳よりも尊く、美しく
新約全書の中に燃えてゐる啓示がそれだ。
原本を開けて見て、
素直な感じの儘に、一遍
神聖なる本文を
好な獨逸語に譯して見たい。
かう書いてゐる。「初(はじめ)にロゴスありき。語(ことば)ありき。」
もうここで己はつかへる。誰の助(たすけ)を借りて先へ進まう。
己には語をそれ程高く値踏することが出來ぬ。
なんとか別に譯さんではなるまい。
霊の正しい示(しめし)を受けてゐるなら、それが出來よう。
かう書いてゐる。「初に意(こころ)ありき。」
軽率に筆を下さぬやうに、
初句に心を用ゐんではなるまい。
あらゆる物を造り成すものが意(こころ)であらうか。
一体かう書いてある筈ではないか。「初に力ありき。」
併しかう紙に書いてゐるうちに、
どうもこれでは安心出來ないと云ふ感じが起る。
はあ。霊の助(たすけ)だ。不意に思ひ附いて、
安んじてかう書く。「初に業(わざ)ありき。」
0547吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/25(金) 23:15:24.65ID:b5S+4Rxd
相良守峯訳(1958年)

その啓示は、
新約聖書に示されているものほど、
貴(とおと)く美しく輝いているものは外にはない。
あの原典をひもといて、
誠実な気持でひとつ、神聖な原文を
好きなドイツ語に訳してみたくなった。
こう書いてある、「太初(はじめ)に言葉ありき。」
軽率に筆をすべらせぬよう、
第一句を慎重に考えなければならぬ。
一切のものを創り成すのは、はたして意味(こころ)であろうか。
こう書いてあるべきだ、「太初(はじめ)に力ありき。」
ところが、おれがこう書き記しているうちに、
速くもこれでは物足りないと警告するものがある。
霊の助けだ。おれは咄嗟に思いついて、
確信をもってこう書く、「太初に業(わざ)ありき。」

日本語の格調は、時代を下るごとに、落ちていくのか。或いはまた、
鴎外が別格総本山なのだろうか。
0548吾輩は名無しである
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2018/05/25(金) 23:26:57.88ID:F8DrRvdx
聖人ともなれば周囲に煩わされたりしなくなるんですか?
例えば毎日の隣人の騒音とか
0549吾輩は名無しである
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2018/05/25(金) 23:42:38.26ID:b5S+4Rxd
>>548
> 聖人ともなれば周囲に煩わされたりしなくなるんですか?
> 例えば毎日の隣人の騒音とか

そんなこと、ないと思いますよ?

それにいわゆる「聖人さま」などというものは、存在しない

ゾシマといえど、凡夫です。ぼくらと同じく凡夫で、隣人の騒音にもいらつくし、

逆に「ウルセーッ」って文句言われたら、ビビりますねw

ただ、われわれと違うのは、一流の人格者で、深い信仰によって鍛錬されている点です。

あなたの疑問いっさいは、カラマーゾフ本文をたんねんに読めば、一点の曇もなく氷解するでしょう
0550吾輩は名無しである
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2018/05/26(土) 01:50:16.20ID:Mc7gFTqy
>>545
ファウスト読むのなら「時よ止まれ、お前は美しい」が何を意味するか考えて全体を読むと面白いよ
まー一つの読み方のオススメにすぎないけど
0551吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/26(土) 01:54:22.64ID:Mc7gFTqy
あーあと言い忘れた
ヨブ記にすごく似ているということ
ヨブ記の構想を受け継いでいるので概要だけても知ってるといいと思う
0553吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 14:06:06.15ID:QGADTz9k
>>552
> ヨブ記厨か

クズねらーかw? ドスト自身がだれよりもヨブ記厨でしょ?

わしらジャップには関係ないけどもおWWWWWWW
0554吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 14:11:01.90ID:QGADTz9k
ヨブ記は読んだことないんだけども
前に、
------------------------------------------------
ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜい沢に遊び暮らしていた。ところが、
ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その
食卓から落ちる物で飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬が来て彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使い達に連れられてアブラハムのふところに送られた。
金持ちも死んで葬られた。そして黄泉(よみ)にいて苦しみながら、目を上げると、アブラハム
とその懐にいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで彼は声を上げて言った、『父アブラハムよ、私を哀れんでください。ラザロをお遣わし
になって、その指先を水で濡らし、私の舌を冷やさせてください。私はこの火炎の中で苦しみ
もだえています』。
 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前良いものを受け、ラザロの
方は悪いものを受けた。しかし、今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
そればかりか、私たちとあなたがたとの間には大きな深遠が置いてあって、こちらからあなた
方のほうへ渡ろうと思ってもできないし、そちらから私たちの方へ越えて来ることも出来ない』
そこで金持ちが言った、『父よ、ではお願いします。私の父の家へラザロをお遣わしください。
私に5人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告して頂き
たいのです』。
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者がある。これに聞くが良かろう』。
金持ちが言った、『いいえ、父アブラハムよ、もし死人の中から誰かが兄弟達の所へ行ってく
れましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみ
がえって来る者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

------------------------------------------------
はそのイメージの鮮烈さに感動した。

こうした背景を知らずに、カラマーゾフ読んでいたことは、少しもったいなかった。
0555吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 14:51:13.18ID:RX3jslBc
聖書では創世記が重要である
創世記には、兄弟の争いがたくさん出てくる
ぜひ読んでおくべきは、カインとアベル、ヤコブとエサウ、ヨセフとその兄弟たちのところである
どれも兄弟たちは、親の愛と財産をめぐって争う
どれもカラマーゾフの兄弟に出てくる
0556吾輩は名無しである
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2018/05/27(日) 20:27:20.36ID:X0luJpuD
トルストイのイワンのばか・人はなんで生きるか、が読み終わったよ
トルストイ民話は、まるで子供の時に読んでいた童話のような世界になっていて楽しくてとても読みやすかった
それでいて主題は、どう生きるべきか、人間に与えられているものは何か、与えられていないものは何か、など哲学的な内容も含んでいてとてもよかった
0557吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 20:29:13.62ID:X0luJpuD
ドストエフスキーとトルストイの比較について思ったことは、両者とも「許し」について敏感であったという事がある
トルストイのこれらの民話では一番の主題がある
それは聖書の一つの聖句からきている、曰く、

「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
(マタイによる福音書十八章)

トルストイならではの、少し極端とも言える徹底した主張を感じた
やはり文豪だね
0558吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 20:29:25.72ID:X0luJpuD
トルストイを読んでいて、ドストエフスキー愛好家の自分としてまず思い出したのは悪霊だった
ステパン氏の言葉であった
他の作者を読んでいても、こういう風に頭の中で思考が繋がっていくから読書は面白いね

「まずすべての人を、常に赦しましょう……そして、ぼくらも赦してもらえるという希望をもちましょう。そうですよ、だれでもみなおたがいに罪を犯しているものですものね。万人が罪人(つみびと)なのですから!……」(悪霊ステパン氏)
0559吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 21:52:01.74ID:QGADTz9k
>>557
> トルストイのこれらの民話では一番の主題がある
> それは聖書の一つの聖句からきている、曰く、
>
> 「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
> イエスは言われた。
> 「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
> (マタイによる福音書十八章)
>

これは君の文にしてはめずらしく論旨不明確だ。聖書のきわめて有名な箇所であり、たいへんに重要性を含んでる核心的思想であるが


> トルストイならではの、少し極端とも言える徹底した主張を感じた
> やはり文豪だね

トルストイが「どうそれを表現したか?」書かれていない。
0560吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 21:59:41.30ID:QGADTz9k
>>555
> 聖書では創世記が重要である
> 創世記には、兄弟の争いがたくさん出てくる
> ぜひ読んでおくべきは、カインとアベル、ヤコブとエサウ、ヨセフとその兄弟たちのところである
> どれも兄弟たちは、親の愛と財産をめぐって争う
> どれもカラマーゾフの兄弟に出てくる

おっしゃるとおり、でしょう。... しかし私どもの信仰では「ぜったいに聖書等の外道の典籍を読んではいけない」という核心的教えがある。

それは、文化的狭量さなどではなく「なにが正しくなにが劣っているか」この世界と宇宙を明確に説明し、
行動しゆく規範なんです。

ふうつ一般人にはとうてい信ぜられぬが、もしこれを犯せば、想像もできないほどの罰がある。

ではなぜ?「君はカラマーゾフなどを読むんだい?」と問われれば、ここにもうひとつ秘密がありまして、

「開く」という義があり、それは生命の一瞬のあり方次第なんです。「カラマーゾフであれ、なんであれ、

仏法の眼(まなこ)から拝読している。」
0561吾輩は名無しである
垢版 |
2018/05/27(日) 22:04:24.16ID:QGADTz9k
> 「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

なぜなのか?

ぼくは「人間はすべて幼子(おさなご)だから」だと思う。
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