【早稲田大学】渡部直己6【俺の女になれ】
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蓮實重彦:「不快ですから、批評家お辞めなさい」
柄谷行人:「オレ無関係だから知らん」
金井美恵子:「ピシッつ‼」(鞭の音)
後藤明生:「お待ちしてます」 >>321
その悪漢小説を映画化する場合は、渡部役は毛フサフサで体格良し顔良しのハンサムでないと様にならないわなw
まあ、ケン・ワタナビにやってもらおうではないかw 猫飛ニャ
先日、マキノ雅弘の「日本大侠客」(1966年、笠原和夫脚本)を何気に見ていたら「娼婦役」お竜(藤純子)が、ヤクザの親分に「俺の女になれ」と迫られるシーンがあり苦笑。
その後の「お竜」は、学生?の観客に寄り添われ「女神」役に上昇するわけだが、それはフェミニズム以前の心性だろう。 頭がおかしい奴に「君、頭おかしいよ」というほど、虚しいことはない♪
なんて「シクラメンの香り」(小椋佳)みたいだw
一応、字余りじゃないw 『男根女卑の時代の文学』(新潮社)
ー早稲田大学文学部の光と影ー
『ブンガク鮫の牙』(文藝春秋)
ー大判と小判の差異ー
『Wの悲喜劇』(太田出版)
ー渡部直己を論ずー
来年刊行予定 中村光夫も小林秀雄との出会いから終戦までの回想記を書いてるし誰かが書かないと昭和末期から平成の文壇模様が後世にわからなくなるから暇持て余してるはずの渡部が書くべきだ。 紀伊国屋書店で小林秀雄の本を読んでいるいかにも頭のよさそうな男の人がいたから一緒の本を手に取った瞬間にその男の人が本をひっこめたときはショックを受けたなあ、小林秀雄は二度と読むまいと思った。 昼の軍隊
2018-07-01
中上健次と「文壇」
「ホモソーシャル」については、金井美恵子の「ある微笑」という、
中上が死んだ時に書かれた追悼文に少し描き出されている。
一九八六年、ある文壇バーの閉店パーティーが行われ、そこに金井は参加していた。
中上は遅れてバーに到着すると、ポール・アンドラの家で開かれたパーティーに参加していたのだけれど、
さみしくなってここに来たと言う。そして、「どういう加減でそうなったのか、気がついてみると中上健次は、
編集者と批評家と若い小説家に、いつの間にか店内にガンガン響いていたモータウン・サウンドにあわせて、
まるで叱咤するかのように、さあ踊れよ、と声をかけ、
さらには強引にシャツを脱がせて上半身を裸にしてしまうものだから、あまりのことに、
こういうのって、醜悪じゃないの、と上半身裸の決して美しいとは言えない肉体群をアゴでしゃくって、
声をかけると、確かに醜悪だよな、と、脱げ脱げと叱咤し気合をかけるだけで
大事そうにカシミアのコートを着たままの当人は周囲を見渡しごく冷静に言い捨て」た。
その後、二人は金井の家で金井の姉と一緒に飲み直し、中上は泊っていった。
次の日、中上は前日の出来事を振り返り、「本当に日本の文壇はホモ集団だから、
あんたなんか仲間外れで、まともに批評もされない」と金井に言い、
金井が「あんたのことはみんな愛してるんじゃない? あの人たち」と返すと、
「みんな一列に並ばせてケツを出させて、順番に掘ってやろうかな」と「嬉しそう」に言ったらしい
(実際にその光景を想像したら、「気持ち悪いよなあ」と吹き出して笑ったそうだが)。
金井は中上のそれらの言動を、「愛に応えずにはいなかった中上健次」と表現し、
出来の悪い連中とあえて付き合う彼の行動原理を分析している。
また、中上はマッチョで無教養な物言いをすることがあったけれども、
他の奴らよりかははるかに知性的であったという風にこの追悼文では書いているのだが、
中上にあまり感心したことのない私としては、おぞましさばかりが印象に残った。 中上健次が「文壇」の中心となれたのは、小説の良し悪しだけではなく、
酒場で出来の悪い「男」にも惜しみなく「愛」を振りまいていたからだろう
(中上本人は他人事のように「ホモ集団」と言っているが)。そして、中上から愛を振りまかれた人々は、
金井が言うように、自分だけが愛されているのだと勘違いした。
その「愛」が、普通では考えられないほど過剰なものだったから。
だが、中上の本質は博愛主義なのだ。それはまるでキリスト教のようだが、
寵愛・教えを受けた「男」たちが、教祖について積極的に語り継ぐという構図はかなり似ている。
中上の暴力が「批評」として好意的に受け止められたのも、それが「愛」の裏返しであり、
文学に真剣なるあまり殴っているのだと、みんな解釈したからだった。
金井は追悼文の中で「過剰」という表現を使っていたが、「文壇」の不在について語る人々は、
今は過剰な人間がいないのだということを言っているのだろう。
フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan、1935年6月21日 - 2004年9月24日)
『ある微笑』Un certain sourire (en) (1956年)
朝吹登水子訳 新潮社 1956年 のち文庫 >>339
>今は過剰な人間がいないのだということを言っているのだろう。
渡部直己はじゅうぶん過剰だったと思うけど
中上は才能に溢れ周辺や世間に「文学」という幻想を抱かせたが
渡部にそういうものは無かった
自分がコース主任として権勢をふるっていた学内ですら
小娘ひとり騙せなかったんだから 死後の中上は栄光が減る一方だから、本人の身体的現前に魅力があったのではないだろうか。
小説あまりピンとこないんだよね 晩年の中上の文章は、細部の「元気さ」が足らなかったようですので。
その中上が他界してからもう丸26年が経つが、いくら人材不足とは
いえ見方によっては単なる暴力男子を褒めすぎるのもよろしくはない。
渡部直己が中上健次に共感するのは、酒癖の悪さもあるのだろうか。
世間のブンガク離れは、文壇村の考えてる以上に進んでいるのだが、
どうせ自覚もないのだろう。 フランスにはそこそこ中上売り込めてたけど、北米にではダメっしょ 御仏蘭西の文學も不可思議だわね。
現在の落ち込み様観ると、とてもバルトやフーコーを
産み出した国とは思えない。やはり、「泳ぎ疲れ」たのかね。 まあ、渡部には中上を褒める力はなかった。
かと言ってここで中上を褒めるのも虚しい。
幾ら何でもスペースが無いw なんであの時代に父殺しの主題が重要だったのかよくわからん 福嶋の本で「中上の作品は同時代に届いていなかった。一族の物語は時代に逆行していた。」みたいなこと書いていた 時代に逆行はしてないじゃないかなあ、
シネマでは『ゴッドファーザー』もあったし、
ファミリーを主題【餌】にするのはポピュラーなのら。 中上健次は過大評価。
三島と大江にマウント取りたい批評家にとって便利だっただけ だな
批評が発明した安全地帯
これ出せばオマエら黙るだろ、みたいなレベル
今も春樹が気に入らなくて引き合いに出す
奴いるだろうな
古典では上田秋成が少し似てる立ち位置かもw 人物
昭和天皇(1901年4月29日 - 1989年1月7日)
明仁(1933年12月23日 - )
角川源義(1917年10月9日 - 1975年10月27日)
角川春樹(1942年1月8日 - )
渡部敬太郎(1927年1月15日 - 1997年11月26日)
渡部直己(1952年2月26日 - )
小説
『豊饒の海』は、三島由紀夫の最後の長編小説。
1969年2月25日(奔馬)
漫画
『鉄腕アトム』は、手塚治虫のSF漫画作品
1952年4月から1968年にかけて、「少年」(光文社)に連載
『巨人の星』は、原作:梶原一騎、作画:川崎のぼるによる日本の漫画作品。
1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載
『美味しんぼ』は、原作:雁屋哲、作画:花咲アキラによる日本の漫画。
『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、1983年20号より連載。
『グラップラー刃牙』は、板垣恵介による日本の格闘漫画。
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載された。1991年43号 - 1999年29号
映画
『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』は、1980年に公開されたアメリカ合衆国の映画。
監督アーヴィン・カーシュナー
アニメ
『新世紀エヴァンゲリオン』は、ガイナックス・タツノコプロ共同制作による日本のオリジナルテレビアニメ作品。
1995年10月4日から1996年3月27日にかけて全26話がテレビ東京系列(TXN)で放送された。
監督庵野秀明
『ゲド戦記』は、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』の主に第3巻の「さいはての島へ」を原作とし、
宮崎駿の絵物語『シュナの旅』を原案とした長編アニメーション映画。東宝配給で2006年7月29日に劇場公開。
監督宮崎吾朗
ゲーム
『School Days』は、2005年4月28日にオーバーフローより発売された日本のアダルトゲーム。 中上を蘇らせるか否かは批評家の力次第だろう。
柄谷、渡部、浅田、四方田、蓮實らには無理だった。 中上を黄泉還りさせたって、酒ビンで殴りかかって来るだけだって。
それよりも高橋源一郎の悪−弊害を指摘したほうがマシかもしれん。
才能無いのが高源の文章読んだらこんなんでOKなのかと勘違いする。
元々高橋源一郎は群像新人賞の優秀賞だか止まりで、編集部が書かせ
ていてタケシの平成ナンタラとかいうクイズ番組で初めてからじゃな
いか、本人が勘違いしだしたのは? 因みにこの男と仲良しだったのは
皆さんご存知の渡部直己でございましたとさ、アーコリャコリャ。 >>347
>なんであの時代に父殺しの主題が重要だったのかよくわからん
中上自身がものすごい甘ったれで
母親や姉たちにエディプスコンプレックスや
エレクトラコンプレックスに近いものを抱いていた
また、中上に母親をとられたと逆上する同種の兄貴が居て
これが自殺までしたものだから中上少年に少なからぬ衝撃を与えている
そこから生じたであろう危機意識を神話的枠組で再構成するうえで
必要な添え物が父親だったに過ぎない
だからあっさりと自殺して「場」としての路地も消滅してしまう
王としての父が偽物なら、その仮定を中心に展開された物語も偽物に過ぎない
途中まではそういう偽物語を強引に腕力でねじ伏せてきたのだけど
最後の方はかなりきつくなっていた
だから中上の死後に行われた青野聰と安岡章太郎の対談では
「乳離れのできない甘ったれのくせに無茶しやがって…」と呆れられている
でもまあ、倒すべき権威など無いところで
本質的に甘えん坊にすぎない連中がイキっているという点では
団塊の生態そのものです
そういうニーズはあったわけです 団塊ってのは、高圧的で暴れりゃ相手が怯むと想ってるという
傾向がある。ビートたけしなんか感覚鋭いから、赤信号みんな
で渡ればコワクないってのは全共闘世代揶揄ってる。中上もどん
ぴしゃ世代ではあるが、とにかくキレやすいの多くてかなわん。
坂本龍一もすぐキレる。世代で区別するのは短絡的なのは承知
してるが、にしてもヤクザノリの男はかなり多い事は確かだ。 >>13
こぐま
なんじゃこれ、ひっでえなあ。前も言ったけど、もう黙ってなよ、あんた。
〈彼らは自身のファルス享楽を棚上げし、MeToo言う女性に脂下がっているだけではないのか〉の耐え難い下劣さよ…
ファルス的享楽てなんだよ、アホ。
おまえだってちんこ使ってセックスしたことやエロ本見て自慰したことくらいあるだろうってか。下劣すぎる。
>彼らは自身のファルス享楽を棚上げし、MeToo言う女性に脂下がっているだけではないのか
2018年8月31日
中西B/N・B
↓やはりこれあの事件についても見かけて実に嫌だったし、
アルジェントの事件ではネットでわらわらわいていた隠避な「やはり〜」という形での
「ファルス的享楽」の享受に賛成なさるということでしかないよな。
あといつからどうしてスガ氏にとって「ポピュリズム」は悪しきものになったのだろうか?
最近本当に言葉狩り問題ってなんだったんだろうと思うよ
2018年9月2日
猫飛ニャン助
「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等きけり。
されど我は汝らに吿ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、旣に心のうち姦淫したるなり。
もし右の目なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、
五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。(マタイ伝)
2018年9月2日 猫飛ニャン助
先日、精神分析史を研究する若い友人に、
全知と想定して転移していた(はずの)分析家をどのようにして「無」だと思うようになるのかと尋ねたら(パスの問題)、
個人的には、と断って「飽きるんだよね」と答えてくれた。当たり前のことかもしれぬが、蒙を啓かれた思いがした。
2018年9月3日
村上春樹のある種の傾向――『騎士団長殺し』にみる反復と逸脱の構造(1)
2017年3月25日 伊藤弘了
芸批評家の渡部直己は、(おそらくはある種の愛情の裏返しとして)『騎士団長殺し』の発売から二日後に、
さっそく自身のFacebookで(本作の主人公がFacebookをやっておらず世間の流行に無関心であるのとは対照的に)
「例によって一定の間隔で近所の人妻とのセックスシーンが出てきて、非モテ系男性読者の妄想に資したり」
することを批判している。
とても礼儀正しい主人公が、女性たちをその身体性において把握したがるという村上調の、
七十近くになって分かりや過ぎるセクシズム(馬鹿な読者向けサーヴィスとはいえ)は、
そろそろフェミニストの本格的な指弾を受けるような域に達している。
サザンの桑田じゃあるまいに、もう四十年近く、同じ事ばっか書いて、この人、よく飽きないよなあ……などと、
このように(しかも、よりによって、自分の誕生日の晩に)書き付けるわたしも、
まあ「例によって」属[原文ママ]かもしれないのだが、しかし、彼と此とは断じて同じではあらない(と思う)。 中上は過大評価されてるというコメントの大方はポストモダニストらの追随者達(本人たちは意識してないかもしれないが)の中から出て来てると思う。
中上は日本だけでなく欧米の研究者たちからも、ポストモダニズムの作家と見られる場合が殆どだろうが、ポストモダニズムが色あせた現在、それ以外の角度からの評価が出て来ないとなれば、中上の位置が宙に浮いてしまうのは当然なんだな。
それは他のポストモダニストの作家についても大体言えることだろうが。 まあ、スガは批評家として文壇で?ポジションを与えられてるんだから、フェミニストが村上春樹のセクシズムを糾弾するべきとか言わずに、自分が糾弾すれば良い。
スガは俺らのようなしがない5chネラーじゃないんだからw
渡部の件だってスガは福嶋だのみだったし、スガは何でも人頼みだなw 革命闘争の生き残りだぞ
逃げ回るのが得意に決まってるじゃないか シャシャキ威勢がいいわりに中上健次評価自分では言わないのな
基本チキン? 三島、大江、春樹は興味あるけど中上は全然興味が持てん。
小説家としての才能も大江と比べたら全然下でしょ。 批評空間は「中上を褒めないやつはバカ」というムードを一時醸成したが、
無理があったので今では誰もそんな圧を感じていない。
早稲田では今でもそうなのかもしれないけど。
あとみんな春樹がどうにお言い過ぎ。
他にも叩くやつがいくらでもいる春樹よりも、批評空間は宮沢賢治を潰せなかったのが失敗だと思うが。 >>362
スガはやっぱ小物だな逃げるだけで仄めかして終わりしかもネタレベル >>363
まとまって書けるスペースの無いとこですったもんだやってもしょうがないだろ。
それは簡単で内容のない批判についても言えること。
具体的にどこが駄目とはっきり指摘できるならばそれも可だが。
批評空間とは俺は全く立場が違う。
批評空間を批判して中上はどうこう言うのは違うと思う。 >>364
大江も才能ないでしょ
全然売れてないよね
新潮文庫もどんどんなくなって今や講談社文芸文庫の作家に生前になってしまっている >>369
ハスミンの物語批判とか、渡部スガ周辺の日本文学批評も、
宮沢賢治的なものを叩き潰すことが目標だったと言って良い。
だがそれは未遂に終わった。 https://president.jp/articles/-/26105
プレジデントの新記事、未公開の報告書を被害者側からの情報提供で紹介している
おそらく、渡部側は取材に応じなかったものと思われる
だとすると、最初のプレジデント記事は突撃で行われ、渡部側のチェックも経ないで記事化されたもので、
その後は渡部側はプレジデントの取材には応じていないのだろう
被害者側は早稲田に不服申し立てをしたらしいが、渡部側はどうなのか? 総長様の物語批判は単に物語を否定してるんじゃなく、
バルトが言うように「妾関係を意識」するということ
と無縁でなく、物語られているものと寄り添いながら、
露呈する魂を見逃がすべきでない、という意味に読める。
だからコレはイカンアレもイカンと、否定してるんじゃ
ないのに、渡部直己はすぐに頭ごなしに批判してしまう。
渡部直己は蓮實重彦から、ナニを学んでいたのか?
谷崎潤一郎はエロとは上手く付き合ってたと思う。
太宰治は己の助平さにコマされたんだと思われる。
三島由紀夫は自身の気の弱さに勝ちたかったんだと察する。 https://president.jp/articles/-/26105
早大"セクハラ口止め"調査委が認めた内容
1対1の問題が、組織的隠蔽に発展
早稲田大学文学学術院の現代文芸コースに通っていた元大学院生の女性が、渡部直己元教授からハラスメント
を受けた問題で、早大の調査委員会が未公表の報告書で、渡部元教授の行為だけでなく、元コース主任の
男性教授が被害女性に対して「口止めを受けていると感じる発言があった」ことや、女性が駆け込んだ早大の
ハラスメント防止室の対応についても「不適切だった」と認めていることがわかった。1対1のハラスメントは、
なぜ組織的な問題となったのか。早大のセクハラ問題、第5弾をお届けする――。 >>374
l一部抜粋、全文はリンク先で
被害女性や喫茶店で同席した元同級生の女性は「現代文芸コースがつぶれるかもしれないから、
口外しないでほしい」とコース主任が述べたと主張しているが、報告書では「教授は『学術院事務所
に言わないでくれ』または『いってほしくない』とは言っていないと明確に否定している」
「コース外に言わないことを求めたことまでは認められない」としている。
また、被害女性らに対して「ハラスメント委員会とかに言ってほしくない」と言ったことは、
男性教授が否定しているほか「本委員会の認識している資料等からは、
同発言の存在を認定することはできなかった」と結論付けた。
そのことについて被害女性は「この発言については、喫茶店で隣で会話を聞いていた元同級
の供述もあるはずです。それでも調査委に認めてもらえないのであれば、
どうすれば証明できるのでしょうか。また、この報告書には『本委員会の認識している資料』
というものが度々出てきますが、どんな資料なのかわかりません」と困惑する。 被害女性は早大に対して、報告書への異議を申し入れ
報告書は被害女性の主張について、すべてを認めたわけではない。認められない部分があったこと
について、女性は「報告書は公正さを欠いていると感じます」と話す。
「報告書は、公正さを欠いていると感じます。たとえば、私が提出した苦情申立書には、一連の事案とは別件で、
大学内で他の女性が被害となったセクハラ事案についても記載しました。その事案を巡っては、
とある男性教授が女子学生に体を密着させたと、その現場にいた複数の学生らが証言しています。
しかし報告書では『教授は、男女問わず、学生の肩や腰や腕に触ったことはない旨陳述する。
教授による学生への身体接触については、当事者双方の主張に食い違いがあり、本調査においては、
当該事実の存在を認定することができなかった』と、しています。報告書では全般的に、
教員や大学組織の人間が否定している部分に関しては、断定を避けています」
被害女性側は早大に対し、9月3日付で報告書に対する異議を申し入れた。女性は次のように話した。
「これではあまりにも学生の立場が弱すぎます。今後ほかの学生が申し立てをしても、相手方が否認する
限りおよそ立証不可能になってしまいます。それに今回の調査は報告書を見る限り、調査委は教員への調査に注力し、
学生への調査に力を入れていません。これを最終報告書とするのは問題であると考えます」
早大広報課は「調査につきましては、調査を踏まえての対応を何らかの形で示すことをもって完了と考えております。
その意味で、現時点では調査が継続している段階とご理解いただければ幸いです。処分するかどうか
含め現時点ではお答えできませんが、そのような場合もしかるべき時期に公表させていただきます」とコメントしている。 >>375
被害者側が録音してなかったのをいいことに渡部以外はシラ切って逃げるってことだな。
裁判に持ち込むしか方法は無いんじゃないか? 早大"セクハラ口止め"調査委が認めた内容
プレジデントオンライン 2018年9月4日
さらに、被害女性は、元コース主任とは別の男性教員から
「君がここまで成長できたのは、渡部先生のおかげなんだからちゃんとお礼を言ってあげて。
もうおじいちゃんなんだから」と言われたと主張している。
報告書によると、男性教員はその主張に対し、
「ぼくが教えたことの半分くらいは、ぼくが師匠である渡部教授(原文ママ)から教わったことです。
結局(被害女性)が祖父から受け取ったようなものだから、
よければ卒業までにひとことお礼を言ってあげてくれたらうれしい」などと発言のニュアンスを説明している。
早大セクハラ疑惑「現役女性教員」の告白
プレジデントオンライン 2018/6/22
また、被害を受けた女性が大学のハラスメント防止室に提出した「苦情申立書」によると、
男性教員は今年1月、教員と学生の懇親会に出席していた被害女性に対して、
「君がここまで成長できたのは渡部先生のおかげなんだからちゃんとお礼を言ってあげて。
もうおじいちゃんなんだから」などと発言したという。
6月の記事では「もうお爺ちゃんだから」(高齢でそろそろ退職するから)というニュアンスと思っていたが
9月の記事でまさかの「もうお祖父ちゃんだから」(渡部直己は君にとって祖父である)という事実に驚愕 >>364
>小説家としての才能も大江と比べたら全然下でしょ。
石原や大江の延長線上にあるのが中上であり
石原はデビュー作で早々と父権の失墜を提示して
戦後世代の孤独を書いている
大江も似たようなもので外部からの接触による
共同体からの離脱と自意識の発生を描いているが
中上の場合は「性」と「暴力」が関係性の網目の中から生じる場面を
独自の文章で描いている
石原や大江よりもそのあたりの描写が細かいんだよ
その上で主人公が主体性を確保している部分が評価されている
もっとも評価されているのは「枯木灘」くらいまでだけどね >>375
調査委は被害女性にヒアリングしたのかな?これ
したとしても被害女性に結果報告すらしてないって事でしょ >>380
被害者をナメてるとしか言いようがないわな 被害者女性が本気で渡部を告発するんなら、本名明かしてやる方が効果的だし、賛同する女性は圧倒的に増えると思う。
男子学生にも確実に反響を呼ぶだろう。
被害者女性のアイデンティティが曖昧なままではme tooは起こりにくいのが当たり前。
he or she,あるいはyouの実体が不明なのに、me tooとかwe tooとか言えるのかがむしろ不思議。
we tooの軽率さを批判した福嶋は良くやったと思う。 糞!何回見てもウケる
俺の女になれ(笑)
渡部の批評は消えてもこの珍セリフは文学史に残るw でも川上未映子に小説を書くように勧めて、編集者に紹介したりイベント設定したり全力でスター川上未映子として分断のスターダムにのし上げてやったのは
渡部の功績
本人のブログにも詩人歌手として活動していくつもりだったけれど、渡部先生の勧めで小説書くようになったと書いてあったしな
あれだけの作家を見つけた功績があるんだし、早稲田文学も売れたんだから多めに見てやれって気もする 渡部がいなかったら川上さんの作品読めなかったわけだろ
人を発掘する才能は抜群じゃん 市川真人のこれって「家族」意識ってことなんだろうからキモいな
>>378
>さらに、被害女性は、元コース主任とは別の男性教員から
>「君がここまで成長できたのは、渡部先生のおかげなんだからちゃんとお礼を言ってあげて。
>もうおじいちゃんなんだから」と言われたと主張している。
>
>報告書によると、男性教員はその主張に対し、
>「ぼくが教えたことの半分くらいは、ぼくが師匠である渡部教授(原文ママ)から教わったことです。
>結局(被害女性)が祖父から受け取ったようなものだから、
>よければ卒業までにひとことお礼を言ってあげてくれたらうれしい」などと発言のニュアンスを説明している。 中上健次推しなら「サーガ」誕生チャンスってあたりか プロになる気があるなら割り切る覚悟も大切じゃないの? >>394
その前提がクソだって話
なぜプロになるならセクハラを甘受しなきゃならんのか? なんでこんなに人権意識が低い奴らが多いの?
スケベジジイ批評家は全滅せよ >>379
枯木灘の英訳読もうと思ったら出てないのな
ビックリ >>386
それがすけべ爺の最大の汚点だろうがあほか >>386
こういうバカどこから涌いて出てくるんだろうな >>399
講談社インターナショナルや文化庁が
現代日本文学の紹介に力を入れ始めた頃に死んでいるから
そういう意味では村上春樹や吉本ばななは運がよかった あとフランス訳は三島とかの文脈の延長で読まれがちなのでフランス特有の日本へのオリエンタリズム的関心になってて、世界文学的には読まれにくい。
アメリカニズムに乗らず消費されなかったから勝利というロジックも作れるかもしれないが、失敗は失敗だろう。 日本といえば今やアニメと漫画の国なんだよね
ヨーロッパは特に
日本の文学など読まれていない
日本でチェコの文学と言われてもクンデラぐらいしか知られていないのと同じだと思う >>403
>フランス特有の日本へのオリエンタリズム的関心になってて
でもフランスでの訃報記事では
現代日本という無重力地帯で唯一重力を発生させていた
と総括されていたくらいだから
フランス人でも一連の紀州サーガがフカシにすぎない
という事はよく分かっていたと思いますよ
90年前後の日本経済が絶頂期だった頃に
インドの不可触賤民まがいの物語を出されても
それを真に受ける文明人はいません 中上健次自身も谷崎潤一郎のパスティーシュとかやってるから、「世界文学」を意識している現代作家の身振りよりは一昔前の態度という感じだ。
そういうところが埋もれている原因だと思う。 >>399
フォークナーの模倣だとすぐバレるから日本の外には売り出せないんだよ そんな似てるのか
フォークナー型大作家は結構いるけど >>407
フォークナーの模倣ってどういうことか、良ければ君の言葉で説明してくれないか? 被害者側女性が匿名なのはしかたないとして、しかし彼女をジャンヌ・ダルク視するのはどうか。
プレジデントは明らかにジャンヌ・ダルク化しているが、それを鵜呑みにはできないだろう。
MeTooとは、あきらかに、この「虚像の」ジャンヌにアイデンティファイすることだから、警戒されなければならないのだ。 >>409
無理だろ
強いて言えば『地の果て至上の時』にちょっとそれっぽいところがあるだけじゃんね
読んでもないアホが「サーガ」という響きに引きずられすぎてるんだろ >>410
猫飛ニャン助
先日、マキノ雅弘の「日本大侠客」(1966年、笠原和夫脚本)を何気に見ていたら
「娼婦役」お竜(藤純子)が、ヤクザの親分に「俺の女になれ」と迫られるシーンがあり苦笑。
その後の「お竜」は、学生?の観客に寄り添われ「女神」役に上昇するわけだが、
それはフェミニズム以前の心性だろう。
2018年8月31日 >>410
は?なに小僧福嶋の言霊みたいなこと言ってんだ?
弱小プレジデントががんばってなんとか報じたから被害者の
声が握りつぶされずにすんだんだろ。 おれは多少調べたが、なぜプレジデントごときが最初に知ることができ、その後も追っかけているのかが
、謎を解く一つのカギなんだよ ネットでオダあげてないで、少しは調べろよ 被害者についてだって、同級生に当たれば
どんな女かはすぐにわかる そんなもの、秘密でもなんでもない もちろん、被害者保護の立場から言わないが 怪獣がやってきて
ドカドカドカドカ
そして炎を吐き切らして
気合いをもらえるのだ
うおおおおお おそらく北海道の山奥で家族ドラマを描くヒトかと思ふ。 >>404
イギリス人に春樹の話されたから
ノーベル賞とりたくて
行動してんだよ〜アイツは〜って
ついつい話したら怪訝な顔された >>412
フェミというかヤクザが活躍してた時代だからねw 今夜は某所でマオイズムがマルクス主義の
ひとつなんだと認めないマルクス主義者に手を焼いたよ
なんで彼らはあんななんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています