純文学5誌総合スレ第68巻目
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純文学5誌総合スレ第67巻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1538167985/
主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。
次スレは970を踏んだ人が建てて下さい。
985行っても建ってなかったら、他の人が建てても可。 ちょっと前までの中間小説作家は執筆ペースが異常だった
短編1000作とかな
今はエンタメでも多作しない作家が目立つ
良くも悪くも昔とは違う
あと、女性誌に多くの純文作家が書いてたというのも重要だよね >>181
>「プロ作家」からすれば、文筆だけで150万稼ぐのはたいへんなんだぞ、
>お前らやってみろってとこだろう。
たとえばノンフィクション作家である足立倫行が
イカの本を書いたときの年収がそれ以下
ただ落合信彦がナチの残党が〜とかモサドが〜といった与太話を書くと
その100倍近くはいくだろうね
結局は売れるかどうかということで
純文学の場合はまず売れない
しかし売れなくてもいい!有名になりたい!
と考えて樹海のような世界に入り込む人が後を絶たない 俺はボンボン育ちで勲章貰った作家の隣に住んでだけど、まあ豪邸住んでたよ。
無能な奴と有能との差が激しいのがこの世界。 >>187
それ無能有能関係なくない? 家柄じゃん 小説ってそこそこ読むのに時間がかかるし暇人のための娯楽ではあるな。 出版バブルの時は上から五十番目くらいの作家でも食えたが、今は三十番目くらいの作家しか食えなくなった。
まだ出版不況は続くし二十番目くらいまでになるかな。
昔よりプロ作家の枠が減っただけで無くなった分けではないが。 いろんな種類の仕事やっても結局才能次第だろ
重松清なんてゴーストの帝王時代、印税の取り分が
半端なかったらしいね。
彼が書くと売上がすごく良かったんだから当然だろうけど。 婚前交渉が是か非か?
なんて時代に性的放蕩を繰り返すのは無頼だったが、中学生が普通にセックスしてる時代にそれは無頼でもない。薬も普通に出回ってて。へー!あっそという感じ。
安田純平さんは現代の無頼ではある。拘束私小説書いたら読みたい。オファーは来まくってるだろう。 米最高権威の文学賞 芥川賞作家の多和田葉子さんが受賞
2018年11月15日 12時53分
アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」の翻訳文学部門に、芥川賞作家で
現在ドイツに住む多和田葉子さんの「献灯使」が選ばれました。
日本語で書かれた本の翻訳がこの賞を受賞するのは1982年に樋口一葉の作品集の
翻訳が受賞して以来36年ぶりです。
ニューヨークで14日、ことしの全米図書賞の授賞式が開かれ、このうち
「翻訳文学部門」に多和田葉子さんが日本語で書いた小説「献灯使」
が選ばれました。
多和田さんは東京生まれの58歳で、早稲田大学を卒業後、昭和57年にドイツに移り
住み、平成5年に「犬婿入り」で芥川賞を受賞し、ドイツ語でも数多くの小説や
エッセーなどを発表し、2016年にはドイツで最も権威のある文学賞「クライスト賞」も受賞しています。
今回受賞した「献灯使」は、大地震や原発事故といった大災害に見舞われたあと
鎖国状態になった日本が舞台の近未来小説で、100歳を超えて健康なまま生き
長らえる作家と、歩くことさえままならないひ孫の姿を通じて、時代を覆う閉塞感(へいそくかん)を描写しています。
全米図書賞には、1971年に川端康成の「山の音」、1982年に樋口一葉の作品集を、英語に訳した作品などが選ばれていて、日本語で書かれた本の翻訳がこの賞を受賞するのは、36年ぶりです。 ここでは震災文学は嫌われているが、現代日本を代表するトピックスだから強いよなあ 日本人作家がノーベル文学賞を取るとしたら村上春樹か多和田葉子かって感じなんだろう またこれでドイツ移住してるっつうのに日本人が快挙とか言い出すんだろうな。本が売れるならそれでもいいか。 むしろ多和田葉子はドイツ語でも文学を書ける移民として注目されているから
そういう文脈においての日本人性というかルーツは正しい意味で注目されるべきなのでは
最近の愛国オナニー的な自画自賛で麻痺してしまっているけど これはめでたいニュース
陰鬱な日本文学の現状を一瞬でも忘れさせてくれる清涼剤 指で数える程しかないだろ。有名な震災文学なんて。数さえ数えられない馬鹿が多いな。 中村光夫の、日本文学は二葉亭四迷や「破戒」からやり直すべきという問題提起はいまだに有効だと思うんだがどうなのかね
震災文学云々で思い出したけど、こないだの美しい顔だっけ? 完全に私小説リアリズムだったやろ。なんと言おうと震災なんて
大きなテーマ書く際に私小説リアリズムじゃ限界ありすぎると思うんだよな。なのになんで皆、誰に教わった訳でもなかろうに、
小説を書こうとすると私小説のフォーマットに落ち着くんだろうか。又吉火花、紗倉まなのやつ、ああいうのもみんなそうやんけ
私小説は短歌に源流があるという説もあるから、日本人には一番しっくりくるのかわからんが、表現形式としてやっぱり狭いし有効期限切れじゃないのかね。どうなのよ さくらまなの文体ってオリジナリティが完全に欠如したいかにもこれぞ純文学文体になっていてなんかとても残念だった記憶 多すぎる方がレヴェルが洗練されて勝ち残りが上昇するだろうね。 赤裸々な心情告白が純文学の大きな商品だが、ブログでいろんなの読めるし、純文学のライバルはブログでもある。 ぜんぜん捕まらないすばっしっこい鯉と赤裸々な心情告白。 前>>211訂正。
すばっしっこい→すばしっこい
または、
すばっしっこい→すばしこい メンヘルがメンヘルのままウダウダする救いのない感じの小説があふれてる。
それなら統合失調症の人のブログ読むので十分となる。 そんなのばっか読んでるからだろ。
小説なんか山ほどあるのに。
わざわざメンヘラ小説選んで読んでるのお前だぜ。 河出がまた求人出してる。
3年限定更新なしの契約社員ってそんなにコスパいいの?
面接とか、また一から仕事教えたりとか面倒じゃないのかな。
マスコミなんていくらでも応募あるんだろうから、安い時給でバイト雇ったほうが
経費かからないそうだけど。契約社員にして仕事は正社員並みとかなのだろうか。
ちなみに歩合制募集が文春と新潮、集英社はアルバイト契約だった。 誰でも出来る末端の仕事をやらせるわけだし、教育コストはかからない。 ベテラン作家が正面切って震災文学書かないのは様子見なんだろう。
新人に正面突破させて叩かれないようにしてから堰を切ったように行くつもりなのか?
新人の震災文学を急ぐ理由はそれしか見当たらない。 金原ひとみやいとうせいこう、源一郎が書いてたよ
源一郎以外ベテランではないが
源一郎はあちこちで審査員してるけどベテランなのかなあ 震災文学は被災者の感情の逆鱗にふれる可能性があるから、地位の確保された人は書きたくないのかも。
震災に原発と世界史の教科書に載るレベルの出来事である。 津島佑子も書いてるし川上弘美も多和田葉子も書いている ベテランが書いてないって認識はちょっとおかしいような いとうせいこうとか川上弘美の本は話題になったほうだと思うよ。 福島で作業員やってきて私小説書く新人が出ると面白い。無頼だ。
柳美里は福島移住して子育てするというロックさ。読まずにいられなかった。 無頼派は文学に来ないで漫画の方に行っちゃってるのかも 漫画って形骸化してない?実は。
専門学校や大学で教えだすとそうなる。
漫画村を経験した若者は漫画にもう金を出さない。 人は物語りすることをやめない。目利きの人は次の金脈を見つけてるんだろな。 >>185
昔の作家や存命の年長の作家はやはり「読書量」じたいが全然違う(もちろん人にもよるだろうが。
プロ文筆家になって以降は多くは「資料」として以外は活字は殆ど読まなくなったとは思うし)
あとは映画や音楽・落語など関連ジャンルにも詳しかったり。
●昔は娯楽も少なくラジオ以外は本でも読むしかなかった。漫画誌やTVの本格普及は
たぶん1960年代以降。映画館も安い名画座が多かった(ただこれも厳密にいえば安価でも
通い詰めればカネは掛かるので常連はやっぱりボンボンが多かった様だけど)
音楽・落語も「昔はラジオぐらいしかなくてそこから流れてくるアメリカンポップスや落語などに興味
を持った」「音楽の趣味のいい喫茶店に通い詰めてレコードを聴きこんだ」みたいなね。
同じ「音楽を聴く」でも後年の音楽がどんどんカジュアル化した時代とは集中度が全然違う。
ま、これだってカネがないと喫茶店にも通えませんが、、
●昔は受験もそんなに厳しくなかった。実は受験戦争が本格的に厳しくなるのは日本社
会全体が豊かになり「参戦」者が増えた70年代以降では?
戦前の旧学制時代や戦後の有名中高一貫・有名都立高あたりには「ただのガリ勉に見られたくな
くて読書や映画にも詳しい知的不良ぶる」みたいな文化がまだあった。そこから東大などに進むみたいなね。
そういう文化も70年代以降はどんどん廃れていく。
ここはやや強引な話になるが、やはり70年前後の日本の学生運動・左翼運動の崩壊は
大きく影響したと思う。既に70年代はシラケの世代、「そんな何でもマジになっちゃ
って仕様がないじゃん」「本なんか読んだって仕様がないじゃん」「取り敢えず学校の勉強ができて
大学さえ受かればいいじゃん、大学でも単位さえ取れればいいじゃん」みたいなね。
中高の部活なども昔はそんなに厳しくなかった筈。後年ほど部活などにエネルギーを取られなかった。
、、だから昔の作家・文筆家は実は知的に贅沢に育っている人が多い。
もちろん昔でもある一定クラス以上の家庭環境・学校環境に恵まれた人たちが大半だけどね。
あの辺は元からの「引き出し」の質量が実は全然違う。
色んな文体や物語のパターンを知ってるからどんどん「書き飛ばし」ができたんだと思う。 70年代以降〜現代は良くも悪くも日本社会がどんどん変わっちゃって(今やみなスマホなどに
気を取られて本を読むどころじゃない)、昔みたいな「中間小説書き飛ばし」的作家は
もうほぼ出てこれないでしょう。
強いて言えばラノベや文庫版時代小説の類を量産する人がいるぐらいで。
創作科の講師たちに「作家志望者でも殆どはロクに本も読まない」と嘆かれる時代です。
※ま、厳密にいえば今でも読書量だけは膨大な作家ワナビーはたまにいますが、じゃあ
それで「書ける」かといえば実はそうでもなく、、
>>230
漫画こそ机にへばり着いてネーム描いてアシスタントたちに指示を出して、、描くのに
もの凄いエネルギーがいるよ。画も結局は量を描かないと上手くならないし。
無頼派ぶってるだけの怠け者には無理な職業。
それでも売れたらゴルフや飲みの方が忙しくなってネーム以外はアシスタントに任せっきりという人も
たまにいるけどねw
強いて言えば「無頼派」とは違うけど、「読書などの教養はない、文章だめ、でも画は
描ける、キャラやプロットも作れる」人が一発逆転で成功できる職業ではあるけどね、、
「本や映画などにも詳しい」漫画家なんてせいぜい昔の手塚治虫・トキワ荘グループぐらいで、
売れてる人でも教養的なものは(自分の好きなこと以外は)実は何も知らない事が多い。
それでも画力と取材と自分のイマジネーションで一発逆転が有り得る。
まさに「才能」勝負の世界ではある。 >>231
「形骸化」っていうか、たぶん70〜80年代頃に「日本マンガ・アニメ」的な世界観・
ビジュアルがほぼ完成しちゃって、後はみなそれをなぞってるだけだもんなあ、、
古いマンガ・アニメ作家の多くが実は活字や実写映画から学んでいた。アニメもせいぜい
昔の欧米アニメとか観るぐらいで。
それ以降のマンガ・アニメがメインで育った世代が作り手に回ると逆にダメなんだろうね。
>>232
うん、でも具体的にそれは何? 少なくとも日本にはもう「金脈」なんかないよ。
今の日本の金脈とは流行りの排外主義言説とかそういうもんじゃねえの? 講談社まで
がケント・ギルバート本を出す時代。
あとはたまに『コーヒーのさめないうちに』とかああいうのが売れるぐらいで。 純文学作家で古典にならぶ美文を書ける作家は一人も現れていない。とりあえず次の天才はそれが出来る人。漱石でも微妙と評してた浅田彰は慧眼。タナシンも自分の文は紫式部に比べるとカスみたいなもんと言ってたから正直ではある。
美文調は泉、谷崎、三島、川端なんてたまに出るけど。あくまで美文もどきで美文ではない。 ベテランの震災文学ってトルストイやドストエフスキーくらいの長いやつあるの?
200枚くらいのじゃいまいち。 少なくとも村上春樹の「アンダーグラウンド」くらいは欲しいね。 これだけみんなが震災文学を話題にしてる。
まだ需要があるってことだね。
これじゃ編集者も方向転換はせずに、このままいくだろうな。
結局、変わらないことを望んでるのは読者の気がする。 >>242
というより決定版みたいなのがないからみんな探してるのでしょう 日本のみんなが経験しちゃったものなんだから
それをネタに、というよりはもう何書いても分類上は(その世代)なんだと思うよ。
戦後派みたいな感じで 日本のみんなっていうけど西日本はいたって普通だったよ 自分の足元が揺れるって経験だけを震災経験と言うならそうかもしれないけど、それだと多和田みたいなのは違うってなるよな。
ただ実際は兵隊に取られてない、疎開先になるほど空襲が来ない地域の終戦直前に生まれた赤ちゃんも戦争の影響は受けてるわけだし 土地を離れると、災害や事件が多い。逃げ回るより、イヴェントの復興や解決に
携わりたいなあ。 未映子のは全部読んでるけど、インハーだけはつまらなくて10Pも読まないでやめたよ
早稲田はこういうの好きなのだな 震災のトラウマをどう解消するか?死んだ息子のことをどう心の整理をつけるか?
震災には文学的なテーマがまだまだ満載だが。 満載なのはわかるけど、同時に読者も少ないだろうなってのもわかる >>252
アホやな。死者の弔いって定期的にベストセラーを生むテーマやなのに。膵臓は難病モノであてて。 >>234
赦す人という団鬼六の評伝が出てるんだけど、団はその手の読書の裏打ちとかとは関係ない人だったそうだ
ある日書こうと思ったら小説が書けた、それでエンタメ系の賞を取って作家になった。 >>236
それって浅田に騙されてないかなw
批評空間系の批評って「何が文学か自分たちが決める」みたいなところがある 大前粟生初めて読んだけどこういうのは最果タヒでお腹いっぱいですわ wikiの記事で比較すると、悲しいことに日本の震災は先のインドネシアの津波ほどの関心もない。世界各国語の記事で比較したらね。 小谷野さんのツイッター見に行ったら、預金通帳の残高が千いくらの画像を晒してるんだが、なんのネタなんだ?
まじで貯蓄ないのか? 文学は想像力と言いながらかなりルポ寄りの震災文学を求める編集者
高橋の戦記文学は想像力で書いたのでと否定
その狭間でちょっとした震災文学程度でお茶を濁して様子見のベテラン
取りあえず美人の新人で突破口目指す
↓
頓挫
↓
しょうがねえな、春樹のノーベル文学賞も不透明だし、
東北弁や関西弁シリーズで間を持たして様子見しとくか←new ! 文学というくくりでいうなら、個人的にはノンフィクションも文学だと思うのだけどね
ノンフィクションになら「震災文学」は溢れるようにあるだろうに 高橋は戦記文学が書けるなら
震災文学も書けそうだけど
興味ないんだろな >>236
>漱石でも微妙と評してた浅田彰は慧眼。
漱石の著作を美文と考える人はいないでしょう >>264
美文の基準が独自なんだろうね
で、普通美文と言われる作家を美文調と言って、本当の美文じゃないと仄めかす
その判断基準が正しいのか、ハッタリなのか 芥川賞とってキャラをアピールするのに成功したら何千万円か入るわけだし、フリーター、学生にとっては純文学も夢はあると思うが。
中堅企業以上の正社員だと微妙な夢となるが。 作家業って一発大きなヒット作当てても税金で大部分持ってかれるからやるせないよな
一定のファンを掴んで細々とやっていく方が良い 文化の香りのする都市でボンボン育ちをすると同じ住宅街に有名作家がいたりする。
今も上位の作家は稼いでる。
ランキング三十位あたりの人が食えなくなってる。
金に関係なく文学の芸術性を追求する方向も良い。 >>266
何千万入るのはもう過去の話だよ
印税の割合が減りまくっているから、10万部売れても一本に届かないのが現状 >>270
おらおら、コンビニは何千万だろ。キャラアピール出来たらという条件。高橋は微妙なフリーターでキャラ弱いしダメだったな。 >>271
あれらはほとんど例外だと思う
いわゆるあたりというやつ
外れてしまう方が確率としては高い >>272
だから何度も「キャラアピール出来たら」って言ってるだろ。読解力つけてくれよ。 >>273
キャラアピールってのも意味不明だぞ
おらおらの人はキャラではなく、作品で売れただろう つか村田はもともとああいうキャラでアピったことはない
西村にせよたなしんにせよ、自然体でアレなんだよ >>260
>あまり信念を貫いて仕事が減るのも困るなあ。
これが文筆業のみなさんのホンネだろう。 信念を貫く
好き勝手やってアップデートしない
似ているようで全然別もんだけどな 最果タヒは小説をもうちょい書いたら芥川賞を確実に取る。雑魚とはものが違う感がある、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています