大審問官における政治と宗教の問題は
地上の生活、つまりパンの事情から
形而上的な宗教の論理を捻じ曲げたことへの批判であり
この考えは懐疑主義的無神論が根底にある自己欺瞞の所産に過ぎない
福音書中でイエスが憎むのはこういう現実主義的宗教理解であり
それはドストエフスキー作品でも変わらない

しかし社会行為である伝道から政治性を排除することは不可能である
問題は信仰の純粋性を確保した上での伝道であり
カソリック的な天上/地上という使い分けから生じる
信仰の分裂とそこから生じる懐疑と虚無(社会主義もその一種)の克服が
作者の念頭にあったのだと思う
ゾシマ長老の死とアリョーシャの受けた天啓と世俗への回帰はその答えであり
かかる意味合いでカラマーゾフはやはり一定水準の解答を提示した
非常に完成度の高い作品であることは疑いえない