>>324

創価相手にマジレスしてもしょうがないが、あまりに無知なのでちょっとだけ説明してやる

「革命か反抗か」は、サルトルとカミュの間でかわされた有名な論争だ
上に書いた定義もそれであり、オレの考えでも偏見でもない
革命か反抗かは、現実の社会運動に関る重要なもので、「人間革命」などというマヌケな言葉の遊びとはわけが違うのである
戦後のフランスでは、アルジェリア戦争をめぐって暴力による正義を受け入れるか否定するかは切実な問題であったのである
サルトルは革命を支持し、カミュはあくまで暴力を否定した
そして重要なのは、これは「カラマーゾフの兄弟」でのテーマでもあることである
ドストエフスキーは、ヘッセのように個人の救済のために小説を書いているわけではない
ドストエフスキーに限らず当時のロシアの作家はもっと社会的なのである
農奴解放後のロシア社会の改革が問題であった

書かれなかった13年後の現在の物語では、アリョーシャは、反抗的人間イワンと革命家コーリャの間で揺れ動くはずである

キリストが現在生きていたら革命家になっていただろうとベンリンスキイが書いているとコーリャが言う場面
コーリャ 「キリストは人道的な人格者だったのです。もし彼が現代に生きていたら、それこそ必ず革命家の仲間に入っていて、あるいは華々しい役目を演じたかもしれません、きっとそうですとも。」
アリョーシャ 「ベリンスキイが?覚えがありませんね。あの人はどこにもそんなことを書いていませんよ。」

ここで重要なのは、アリョーシャがベンリンスキイをよく読みこんでいることをドストエフスキーがほのめかしていることである
アリョーシャは、ゾシマの説教をおとなしく受け入れているだけのアホではないということである