>>405
まず、こんな「創価学会の話ばかり聞かせて」ごめんな。厭になるよな。

> 「俺の頭脳はユークリッド的であり、地上的なんだ。だから、この世界以外のことはとうてい解決できないのさ。お前にも忠告しておくけど、この問題は決して考えないほうがいいよ、アリョーシャ、何より特に神の問題、つまり神はあるか、ないかという問題はね。」
> 理性には限界があるということ

ぼくが思うに、「 理性には限界がある」どころじゃない、ぼくたちはなにも知らないし、
だからこそ、理性ではなく知でもなく、ぼくなら仏教きみならキリスト教の信仰に賭けてみよう
とおもったんじゃないか?
理性や知から信仰が生まれるのではなく、信仰から「聡明さ」が生まれるんでしょ?他の優しさや勇気や力強さなどの徳性も。

> イワンには、じゃあどうすればいいのか、という始めても終わっても葛藤が残るだけです
> でも葛藤はいつも残り、この葛藤こそイワンの本当の本当の本質だと思います
> 肯定的にも否定的にも解決しない、ということです
> ではなぜ相反する自己を持とうとするのか
> デカルト風に言えば、われ葛藤す、ゆえにわれあり、です
> そう、私は在る、これがきっと彼にとってすべてなのかもしれません
> 我あり、という

イワンは、ぼくたちの生命の一側面を表している。ぼくたちの内部に確かに、カラマーゾフの登場人物たちが
ひとり残らずいる。ミーチャのようなワイルドな生活欲も。ヒョードルのごときアイロニカルなオヤジも。
ゾシマの慈悲と清澄さも。そしてもちろんアレクセイの純真も。