>>426
もう上レスですでに書かれているけど、個人的には二通りの見方がある

一つは、道理の門とは一線を越えなかったということ
法でもあり秩序でもある道理を踏みとどまって、そこに尋ねてはしたけれど最後まで枠に留まることを選択した、という道理がそこにある

もう一つは、道理に、自分より大きな存在からの許可を求めたということ
良心や道徳などの自己基準は自分より大きな存在に許可を求めて、それが与えられれば道理など弱いものに過ぎないとも解釈できる
許可さえあれば人は簡単に道理など踏み越える、という風刺としても読める

ただし共通する解釈として重要なのは、この物語の通り、道理とは彼のみに与えられた門であり、万人共通の道理があると思っているのは誤解だ、ということです
カフカは実在主義を個であることにこだわり、すべての感覚から発生する情緒もまた個人的なものであるとする考えはドストエフスキーと似ている概念だと思うよ
一匹の毒虫に変わったとしても全体は自分という個とは何も関係しない、ということです
どこまで行っても、すべては自分と自分の門の物語である、ということです