0449吾輩は名無しである
2019/05/06(月) 22:31:38.05ID:76nO5UhD例えば、病院において、医者は何人もの患者を請け負うことになる
しかし患者からすれば医者は主治医一人になる
医師からすれば患者という多数に「共通」の健康を与えるが、患者からすれば「自分」の健康を求めるのみ、ということ
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ここの喩えは、一次的に、ひじょうに理解しやすいたとえです。しかし、もういちだん深くみると、どうでしょう?
さいしょ、その患者は「「自分」の健康を求めるのみ」の姿で、泣きながら名医のところへ行った。
だが、その患者はしだいに目覚めていった。おのれひとりの病苦がこの世界にあるのではないと。
医者さえも患者であった。病院の全てのひとが患者であった。さらに全人類が病者であった。こう理解したならば?
その患者は、身近なたったひとりを看護するために立ち上がった。つぎは一切衆生の看護婦になろうと決意しないだろうか?