スヴィドリガイロフは道徳的自主規制のないつまり自由な存在である
そういう意味ではナポレオン主義的ラスコーリニコフと似た存在でもある
しかし神を信じない虚無的な存在でもあるので
その自由も動物的欲求充足の世界に下降する
この動物的欲求充足だけでは生命の神秘や
生きる悦びには到達し得ない(とドストエフスキーは考える)
仏教用語をつかうのなら「無明」というやつでしょう
無神論的理想主義者であるラスコーリニコフが垣間見た自身の「影」が
スヴィドリガイロフだと思いますね
ラスコーリニコフはスヴィドリガイロフとの対話では押されまくっている
神がいないのなら道徳律も存在せず
欲望と力がせめぎ合う畜類の世界でも良いわけだから
ラスコーリニコフ的正義論の出る幕はないのね