>>523
カラマーゾフにおいてはゾシマの訪問者が一番その可能性が出ているよ
ゾシマの言葉は隣人愛が根本にある
その暗い可能性が、訪問者の現在の自己自身を崩壊させる

他は例えばイワンもまた同じ可能性がある
アリョーシャの、あなたは殺していない、という言葉がイワンの、オレは殺していない、という言葉と重なったときにイワンの自己自身は崩壊する
自己自身は自己の中で現れるのではなく、他者との関係において初めて現れるものだから
イワンがアリョーシャの言葉、つまりは「隣人愛」を受け入れられないかぎり発狂は終わらない、と言える
そこにイワンのつまずきという大きな深い罪がある
この罪がイワンの分裂、悪魔の分身の生みの親です

上レスで話した事柄は、キリスト教を「とおして」、ドストエフスキーに「ついて」話ているよ
結局は同じことなんです
その対象について語るとき、その対象自身に関わろうとするけど、そのもの自体と関係するのではなく、その関係にさらに関わっている「最後の関係」について話しているにすぎない
だからこのスレッドで話すことはすべてドストエフスキーに帰着する
あくまでぼくの場合はだけどね