>>523
>それを「愛」と名付けるのか?
アブラハムにとって愛する子を神の御手に委ねることは自分自身を愛するように愛するという愛そのものだよ
だけど一般という主観性からみたらアブラハムの子を生贄にするという行為は殺人になる、むしろ狂気にうつる「暗い可能性」がそこにはある

これが愛と感じられなかったあなたもつまずいた、と言えるんだよw
というぼく自身もつまずいているけどね
だからキリストはつまずかない者はさいわいである、と語るのだけれど、だからつまずいていともわるいとも言わない
つまずかないものはさいわいである、文字通りそのまま
だから
>>523
>つまずいたら、そのつまずいた大地に手をついて、おのが体を持ち上げて、何度でも再起せよ。
その先を肯定すること、それもまた一つの絶望であり一つの罪である、キルケゴールは解釈するんだ
このへんはキリスト教とか正教の考えが基礎になるので聖書を少しで読まないと理解は難しいと思う
少なくとも無知な自分の場合はそうだった