(我)ぼくにとって、それは少しも疑問にならなかった。その回答はこうである。

おお、彼はよく知っていた! 常に労役と悲哀、――いな、それよりもなおいっそう、常日頃の生活に
付きまとう不公平や、自己の罪のみならず全人類の罪にまで苦しめられているロシア民衆の謙虚な魂
にとっては、聖物または聖者を得てその前に倒れ 額きたいというより以上の強い要求と 慰藉はない
のである。

(我)このことは、ロシア民衆あるいは民衆と、抽象的にとらえてはならぬ。これは僕ら自身のことを言っている。僕ら自身の不幸な青春の魂について言っている。


『たとえ我々に、罪悪や、不義や、誘惑などがあっても構いはしない、地球の上のどこそこに
は、神聖で高尚な方がおいでになる。あの人は、我々に代わって真理を持っていらっしゃる、真理を知
っていらっしゃる、つまり真理は地上に亡びていない証拠だ。して見ると、その真理はいつか我々にも伝
わって来て、神様が約束されたように、地球全体を支配するに違いない。』とこんなふうに民衆は感じ
ている、感じているのみか考えてさえいる。アリョーシャにはそれがよくわかった。そして長老ゾシマが民衆の考えているのと同じ聖人であり、真理の保管者であるということを少しも疑わなかった。その点におい
て、彼自身もこれらの有難涙に暮れる百姓や、子供を長老の方へ差し出す病身な女房などと変わり
はなかった。