日記というジャンルについて語ろう
もしもアンネが生き延びていたら、彼女の希望通りジャーナリストとしても活躍していただろう。
平安期からの日記文学なんていかが?公開するのと非公開ではアウトプットが違うよな。公開日記に秘密を載せたりしないし、日記に公のことは書かないだろう。 死んでないと戦場の記事書けないんじゃないの。最後の一兵。 手に入らぬものに真実があり手に入る者には虚飾があった。嘘真の文学が日記です。 アミエルの日記が日記作品としては最有名最重要。卒論に引いたよ。日記について。 佐藤栄作日記は死後に公開されるであろうという想定のもとで記されており 大野伴睦や河野一郎の死に際しては悪口を書いている 中上健次の19歳の地図のようで非常に面白い そういえば永井荷風の日記も死後公開が前提で やはり悪口ばかりだな 文学は日本の教科じゃないから日本文学とかの流れでは。国文学は各国文学という意味だ。 日記は大きく三つに分かれると言うことだな。 A 公開を前提として書かれたもの B 死後公開を前提として書かれたもの C 非公開を前提とした書かれたもの D死後や生前に出版を前提としたもの。アンネの日記が代表的。 >>8 アンネの日記は本人が意図したのは、いわゆる性的な記述を除いた「生前版」だけだったっけ? だいたい日記を書いている相手がネコらしいから、公開もそれに届くようにかもな。 性的な記述は子供が目にしない様に削除されたんだろう。 最後まで隠してヒミツの日記の方が価値が高いのは当然だ。 読まれたら困るものを書く快楽を超えるものはない。 >>4 政治家の日記というのは、歴史資料的な価値に加えて文学的にも面白そうだな。木戸幸一の日記なんて読んでいたい。 今の政治家は日記なんてつけているのだろうか。そもそもその前に本を読んでいるのだろうか。 >>15 まあ、父親がその部分をカットしたのも分かる。ただ性に関する描写がある分だけ、文学的な価値も高い。 そもそも海外には読まれることを前提とした日記文学というのは存在するの? 不勉強にしてそういう作品を知らないが 宝ヶ池の沈まぬ亀 第1回 (青山真治) 2016年04月23日 1、これは京都です。 某日某夜、boidより依頼。日記のようなものを書こ うかと呑気に巡らし、しかし書けないことの多い身の上に つき不自由で心が寝違え首にならんか、いらぬ懸念。 洛北、亡霊伝説の深泥池の隣に位置する宝ヶ池からさら に山ひとつ越えた辺りに仮寓をみつくろったのが年の初め、 すぐ裏を叡電が駆け抜ける線路の手前は田圃、その向こう でぬっくり聳える叡山を見上げるロケーションに落着きす ぎるほど落着いてしまい休日ともなれば部屋から出ない。 正直云えば病み上がりに体力の信頼がおけないことも。 たまに息切れがひどく、たまに低血糖の発作。頭痛、発汗、 世界がナマで銀残しになる。おれのなかにIMAGICAが ある。点滅。倒れそうで倒れない。一度、品川で乗る直前 にそれはやってきて、売店で弁当とともに贖ったアーモン ドチョコの包装紙をホームに突っ立ったまま震える指で剥 いて唇に全部押し込むと、長年連れ添ったギブソン125 を抱えて座席に転げ込み名古屋まで意識を失った。以上が 低血糖のあらましである。社長のメニエルも心配だがこち らもなかなかどうして。それでも出かける社長に対してこ ちらは出ずに済むところは出ずに済ませようとすればただ でさえみなくなったものからさらに遠のく足。 引き籠る 理由として不満のないわけではない。 5番のバスは下りがいつでも遅れる、といって叡電は本 数に限りのあるうえ三十円高い、ホームセンターの商品が 七割がたダサくて不機能で使えない、まともな回転寿司に は出会えたがまともな中華に恵まれない。目黒のひっそり した場所につい先頃みっけた中華は無意味なほどうまい名 店で、うまいのだけれどノンアルコールビールを置いてい なくて毎日行くなら置けと談判するがこちらも京都住まい が決定してからの発見につき無理強いできる立場ではない。 新居の界隈は中華砂漠である。もちろん地下鉄に乗れば三 十分以内にも四条あたりに出してある店のいずれかの卓で メニューを開けているはずなのにそれさえ遠くて気が乗ら ないのがいまであるのだが、勤務先の傍にあるのさえまだ 試していないのはどうやら激辛を売りにしているようだか らで、こちとらそういうことはとっくに端から興味ない。 TBCN 襤褸は着ててもロックンロール 2013-04-02 a day in the life of mercy snow ミステリ作家の殊能将之氏が亡くなられたということで、旧作を再読しつつ、現在は失われた公式 サイト「a day in the life of mercy snow」の記述を振り返っている。 ちなみに、2000年から2010年にかけて執筆された「memo」欄の残存箇所のテクストをコピペして 保存していったら、総計してだいたい200万字だった。もし全体が残っていたら推定するに240万 字近く、原稿用紙に換算して約6000枚はくだらないだろう。 6000枚がどのくらいの数字かといえば、中里介山『大菩薩峠』1万5000枚、プルースト『失われた 時を求めて』邦訳1万枚、大西巨人『神聖喜劇』4700枚、古川日出男『聖家族』2000枚、……とい うふうに並べると、わかりやすいだろうか。 枚数としてはおそらく武田百合子の全作品は優に超え、「岩波全集版で3000ページ以上」という触 れ込みの40年以上にわたって書かれた永井荷風『断腸亭日乗』にもそれほど劣らないのではないか と思う。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる