★★★大江健三郎スレ4★★★
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大江健三郎
1935年1月31日生まれ
1994年 ノーベル文学賞受賞
2018年 大江健三郎全小説刊行開始
前スレ
★★★大江健三郎スレ3★★★
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1550408926/ >>36
ひどいね
今じゃ笑われて反論されて終わりだろう >>42
前スレでも5chのレスを本気で大江が書いたと思って擁護してたバカがいたけど大江が書いたと思ってけなすのも同じくらいにバカだぞ
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/book/1515398155/917 世の中も5ちゃんねるも頭の悪いヤツが多すぎる
謙虚ならいいが、いばるくせにバカだから腹が立つ いや、「万延」の女性たちの翻訳調の言葉は意識してやってると思うんだよ。
大江はなぜそうしたんだろう?と思ったわけ。 小説における口調はその人物の内面のありようを端的に表す
『個人的な体験』の火見子、『万延元年のフットボール』の菜採子はともに
精神的に自立した知的な女として造型されている
1960年代の日本文学では非常に革新的な女性像だった そこが男性でも代用可能な記号にすぎないって
ことなんです。
大江自身も自分の女性造型の限界を知って、
『燃え上がる緑の木』では、両性具有という
奇策を用いた。
いかが思われますか? 何をもって記号と言いたいのか分からないな
大江の描く受動的で思慮深い男性は記号じゃないわけ?
その理屈だと記号をはみ出さなくないか? “あり得なさ”とでも表現しましょうか。
現実世界で、読者の身の回りの生活空間で、
どうデフォルメしても該当するようなタイプは
いない女性なので、これは男性でもいいの
だけど、役の配分として女性にしただけ。
すなわち女性としての実在感は欠如した
記号的存在でしかない、と。
(今夜は落ちて、また数日後に来てみます) 読者の周りにいない女でも、知的レベルの高い層にはごく少数いるんだよ
東大、早稲田、慶應に進学した経験者なら実体験があるだろう
そういう体験がない読者にとって現実には存在しない女に映る その場合、大江以外のこの作家が書く女性なら“あり得る”という対比を提示する以外にないけど、そこで論じるのは不毛だろうね
それから君が限られた生活空間の中で果たしてどれだけの女性を知っているのかということも関わってくる
俺には大江の小説では男性も、“あり得る”ではなくて“読まれ得る”記号的に描かれているように見えなくもない
記号というのが何なのかまだはっきりしないけど >>47
両性具有という設定は設定として
あの主人公は転換後の女性で、女性として書かれているだろ
あのサッチャンとか静かな生活のマーちゃんの女性の語りを読んで
大江が女性を書けないというのは全く解せないな >>49
なんかこの人の身の回りを一般化してるだけっぽいな >>41
大江が「同時代」や「人類全体の」という言葉を多用して自身の小説を表現する以上、そこに偏差値による区分で読解の質に差が大きく生じるというオマエの考えは間違ってるんじゃないか? >>52
そうそう、
江國香織が『静かな生活』を女性の言葉の代弁として引用してて、江國みたいなまんこ臭い女作家にも女性の語りを受け入れられるなんて大江すげえなって思ったよね。 >>54
大江が人類全体のことを表現しても
読者がそれを的確に読解するには
頭が良くないとムリだと言っている
テメエみたいなバカにはわからんか 大江健三郎作品は、分類でいうドーマンという手法の呪術
「時間や空間が前後したり飛んだりする」のは、時系列通りに物事が語られるよりも複雑って事 >>56
大江の作品読解を偏差値で分けようという時点ですくなくともオマエには、大江の読者らしいハイレヴェルの知性は見受けられないし、攻撃的な性格から倫理観も感じられないな。
大江が文章を複雑に書いてる理由は本人が何度も言ってるように、読者に文章の途中でなんども立ち止まって文意を考える機会を与えるため。本人のエッセイすら読まずに勝手に判断するオマエの読み取りは自己満足のオナニーと変わらない。 その人、たびたび「東大、早、慶、(上智)」と言ってるけど、
その言い方するのは大抵、早大社学か二文卒もしくは
社学か文化構想在学中なんだよナw ダメだ、こりゃw
低能とはどうしても話が通じない
さらば、アホども 反論できなくなった薄バカが逃げていきました。
【終】
w >>59
そいつが何者かは知らんけどお前もいい歳なんだろう
早稲田では今は社学の方が法や国教より偏差値が高い
驚くべきは文構の方が文より偏差値が高いだけじゃなく
同時合格なら文構への入学者の方が多い
時代は様変わりしたんだよ >>62
ご出身者さん?
だったらゴメンね。
偏差値の高低が話の趣旨じゃないので、ご理解ください。 >>63
いやその言い方をするのはジジイなんだよナ
ジジイどもの口喧嘩にしては見苦しいナ
って思っただけだから気にしないでネ >>68
自分にたいして「この」とは普通日本人は言わないんだよ。バカなのかな? >>70
この早乙女主水介をなんと心得る?
額の傷は天下御免の向こう傷・・・・ 現代で大江みたいな作家になるにはなにを読んだらいいだろう
大江は「作家自身を語る」の中で、「現代の世界が生み出す本を読め」って言ってるから、やっぱり現代社会にコミットする本を読むことが大事なんだと思うんだけどどうだろう? >>76
そういうことを他人に聞く時点で失格だ
どうせ頭も悪いんだろうよ 「万延元年〜」の英語題名はサイレント・クライだが、
あまり合わないと思う。原題のエッセンスが全然感じられないし。
で、新案。「footballs in the century」というのはどうだろう?
フットボールには、「政治的に軽く扱われる人」みたいな意味がある。
「草莽」なんていうのと同じような意味だろう。
作中の万延元年の一揆の不良少年たちは英雄視された一方で利用された。
60年安保でも、鷹四が属したとされるブントも利用された。
「ザ・センチュリー」の定冠詞「ザ」は
万延元年一揆のあった19世紀とも、安保闘争の20世紀とも解釈できる、
というような。 万延〜の仏訳のタイトルは同時代ゲーム(Le Jeu du siècle)なんだよな 1967年発表だし、翻訳タイトルは『百年の孤独』でいいよ
同年発表のガルシア・マルケス作品の原題名は『孤独の百年』 >>78
確かにsilent cryだと「叫び声」かと思う >>79
芥川の「藪の中」が黒澤映画だと
「羅生門」
しかし、羅生門は芥川の他作品にもある
というややこしさに通じる >>77
煽りはいらないから真面目に答えてくれ
わからないのか? >>76
>やっぱり現代社会にコミットする本を読むことが大事なんだと思うんだけどどうだろう?
読者の問題意識によって「現代」のとらえ方が違う
現代に生きて思索する限り
たとえ古典文学が対象であっても
現代社会の諸問題にコミットしてしまうから 大江の昔のエッセイ
鯨の死滅する日
と
壊れものとし >そういうことを他人に聞く時点で失格だ
>どうせ頭も悪いんだろうよ
質問に答えられていない癖に偉そう、っていう1番使えないタイプ 燃え上がる緑の木の3巻半ばで挫折
淡々としすぎててキャラの感情に引っ張られるでもなくもう無理だ 3巻半ば!あとちょっとなのに!
感情に引っ張られるとかエンタメ的な読み方だと辛いかもしれないけど。 まあ数年寝かせて再読も全然有りだ
「大江健三郎を再読する」
なんてカッコイイじゃん ネバーエンディングストーリーじゃないけど
読み進めて行ったら自分がその物語の癌の元だった
その時に人間は精神崩壊するのか?
恥ずかしい立憲民主党を作るきっかけになったと言っても良い
大江健三郎の人生が今まさにそれなのだと思う 80年代以降では『僕が本当に若かった頃』という短編集が巧緻だった
『燃え上がる緑の木』はタイトルはいいのに、内容は凡庸 >>97
内容が面白い・面白くないということには色々意見があると思うが
内容が「凡庸」だろうか?
あれほどいろいろな要素がごた混ぜにつっこまれて「奇妙」な内容の小説もないと思うが ナボコフ『ロリータ』の解説が面白かった
小説でいちばん良いものが「ロマンチックな小説」とか 「水死」で
看護師をやってた古義人の妹アサが
国際女優と共同で(日本で公開不可能な)映画を製作したという設定になってたけど
これは事実をモデルにしたことなのですか?
だとしたら、モデルになった映画タイトルと女優名を教えてください >>101
嘘もつき続ければ本当になると堂々と思っている
反知性のけしからぬ不逞の大江の嘘に決まっているだろ >>97
>『燃え上がる緑の木』はタイトルはいいのに、内容は凡庸
内容というか記述様式(というしかないな)がわりとあっさりしたもので
レインツリー連作のようなものを期待していると肩透かしのような印象になる
まあ、あっさりとまとめた所がすごいんだけどさ 国際女優って懐かしい年への手紙にも出てきたよね?うろ覚えだが プロレタリア文学と言われて蟹工船などがあるけど
俺は大江健三郎の文学は共産主義文学なんだろうと思うね。
ほんと忌々しい文学だよ。 >>101
フィクションです
映画製作の話については前作の
「美しいアナベルリイ」を読んでください >>105
ギー兄さんの美しい村に映画撮影にくる女優は
吉永小百合をもとにしてると考えられますが
もちろん彼女が実際に映画をとりにきているわけではなくそこはフィクションでしょう
なお大江と吉永との関わりは「河馬に嚙まれる」の「四万年前のタチアオイ」で語られますが
ここで語られる内容は事実をベースにしているように見えます 大江は若い頃日本を卑下し、北朝鮮を賞賛する文章を書いたっけ
文才は認めるが、サルトルかぶれ以来共産主義万歳なのが悲しい >>110
実存主義と共産主義が相性良いなんて思ってるならサルトルもマルクスも読んだことないんだろうな 「懐かしい年への手紙」で大江が述懐しているように「セヴンティーン」と「政治少年死す」って政治はあくまで背景で、大江一流の痛々しい心理描写が生き生きしてる青春小説なんだよね ヤンキーとか童貞オタクってネットだと峻別されがちだけど要するに、趣味が違うだけの落ちこぼれ連中のことで、今も昔もヤンキーや童貞みたいな出来損ないが保守になっていく心理の過程を あんなにリアルに書いちゃったから、コンプレックスの塊のウヨの顔真っ赤にしてキレたんだけど、この事件の興味深い点ってさ この青春小説を、痛い青春小説として直視できずに政治小説としてしか批判できなかった当時の右翼の心理だよな。
これは少しも救いのないエピソードなんだけど、大江の青春小説を読んだ当時の右翼はだから入れ子構造の二層目の政治に逃げた
自分のコンプレックスの問題に向き合うよりかは政治に専念してたほうが楽だからしゃーないw このディスコミュニケーションって論理的に、実は文学が深く読者に届いた例なんだよね。
大江の筆の力って、ウヨを心理的にあれほど追い込んじゃうんだって感動したわ。
にしても本当に救いがない話だけど 政治少年死すが問題視されたのは風流夢譚騒動および嶋中事件と重なったから
右翼が騒いだのは騒ぐことで自分たちの力を誇示し勢力を拡大できるから
大江の筆力とは関係ありません 連投してるやつの時代背景への考慮の至らなさは修正主義者と同レベルだな
自分の感性至上主義というか、バカだなとしか >>118
自分のコンプレックスを隠すために右翼になると言うことの
何がリアリティがあるのか全くわからない。
大江の分身なのじゃないかと思うね
むしろ今は左翼にそう言うのは多いんじゃないのかね。
自分の出自(在日)を隠すと言うことも含めて。 >>113
実存主義などとうの昔に捨てているだろう。構造主義者。
構造主義とは科学的裏付けがあると見せかけた
共産主義と言っても良い。
ちなみに大江の師である渡辺一夫は共産主義者。 サルトルは実存主義者にして共産主義者
カミュが批判したスターリン体制をも擁護した 全小説のキンドル50%ポイント還元になっている
この機会に「宙返り」の巻を買ってやっとコンプした サルトルの実存主義はマルクス主義だよ
しかもヒューマニズム的解釈のマルクス主義だ
本家のマルクスだと産業労働者たるプロレタリアートが
労働関係のなかで構造化されて個人意識が階級意識にステージアップされて
これが革命と社会進化の主体になるんだけど
サルトルだとあくまで個人の自由が担保される
そうすると共産主義者として組織化することが困難になるのだが
「反抗」という形での主体性は残る
まあ、過激派好みの理屈だね
無責任なデマコギーでマウントをとる文学者が利用するのは便利な思想だよ
ただ、大江は学生運動が過激化する時代あたりから
この理論を捨てて構造主義(文化人類学と言語学)のほうに向かうんだな
だから転向したとか保守化したと
かつての読者である過激派から批判されるわけだ そうそう主体的であるのはあるべきだし理想だが結局人間は全体の一部でしかないというデカダンに落ち着くという >>128
時代の思潮の体現者としての大江についての本
小説の中身にはあまり踏み込めていない(文学批評として読むと物足りない)
大江が若きオピニオンリーダーみたいな役から降り始めた80年代以降の論の切れ味が悪くなる >>121
やっぱネトウヨって自覚ないんだw
この人たぶん本当に全くわからないんだろうな。インセルって客観性ないもんな。 >>125
構造主義ったってレヴィストロースとソシュール言語学から現在のポストポスト構造主義やメレオロジーに発展する学派は全く別物だよね?
文化人類学はハナから頭打ちの構造主義だし大江は後者を標榜したはしたけど、まぁアレだったよね >>120
あのさ、ウヨになるような落ちこぼれって時代背景関係なくいつの時代も一定数存在するんだね、ってレスなので笑 >>131
>文化人類学はハナから頭打ちの構造主義だし
>大江は後者を標榜したはしたけど、まぁアレだったよね
ロシア・フォルマリズムなんかにも手を出しているから
文化人類学一辺倒というわけでもないよ
結果はというと、仰るようにアレだったけど
歴史主義が支配的だった時代に文化相対主義的な構造論を持ち出すと
田舎者は浮かれてしまうんですよ
中上健次の言葉を借りるのなら「後進性が強みになる」というわけであってね >>133
いや、遠回りはいいからちゃんと実存主義と構造主義の話しよう?
基本から話そう。実存主義と構造主義はしばしば地動説と天動説に例えられるよね?
実存とは社会に対して個人の固有性から導かれるものを勝義とみなすことだ。つまり世界がどうであるかより、私にどう世界が見えているのかが私有財産である。
なんスレか前に実存主義とマルクスごっちゃになってるヒトいたけど、このへん勉強不足です >>134
ロシアフォルマリズム?表現主義は関係ないですね。
実存主義=唯脳主義、構造主義=脳の外に何らかの規則がある。から語り直そうか。 >>133
文化人類学的構造主義が純粋な構造主義って呼ばれるのは構造主義はダメだったってニュアンスを含んでるんだよ >>133
中上のその発言は、言っちゃえば歴史修正だよね。これは極めてアナーキーな発言で、血脈とか人種とかは修正してもかまわないって発言だよね。
でもさ、ネトウヨの何が悪いかってさ、美学的なセンスの悪さだよね。 大江が70年代に「遅れてきた高層主義者」とかいいだしてその周りの勉強始めてからも
別にアンガージュマンの思想も歴史的な展望において物事を見る視点も失ってないでしょ
どっちかをとればどっちかを捨てるってもんでもないよ 「水死」でアメリカの国際女優がDVDを送ってくれるというくだりがあったが
リージョンコードっていうんだっけ?あれの問題はどうなんだろうか?
三谷幸喜が自作映画をビリーワイルダーに送っても観てもらえなかったっていう
ドキュメントがあったけど >>130
子供ってのはそもそもからして保守的なんだよ
生まれながらにして父親や母親を批判して生まれてくる子供などいない。
コンプレックスがあるから右翼や保守になるとか片腹痛いとしか言いようがない。
大江のような左翼のデマだろ、まさに。 >>140
国際女優という言い方、ほんと気持ち悪いな。
国を手玉にする女優的なイメージだろうか。
もう左翼のおままごとは徹底的に断罪すべきだと思う。
人類の名誉がかかった問題だと思う。これ以上人間は
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