★★★大江健三郎スレ4★★★
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大江健三郎
1935年1月31日生まれ
1994年 ノーベル文学賞受賞
2018年 大江健三郎全小説刊行開始
前スレ
★★★大江健三郎スレ3★★★
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1550408926/ いや全く。あれは愚行でしかないよ。日帝なんかこれっぽっちも肯定できないね。
しかし「僕たちの行動によって、一時期の日本は本当に自由になった。」という
ところに「よく似たヒロイズム」を見出すのは可能かもしれないなw ??「僕たちの行動によって、アジア諸国は本当に自由になった。」
こうですかわかりませんw >>449
別にヒロイズムじゃないよw
ただの事実。
学校から制服が無くなったり、自由に政治の話ができたり、教師と生徒を対等に見ることができたり、という小さな自由の世界が実現してたんだよ。 自由は嫌いじゃないな
ただお前が気に入らんだけさw若者がどうこうって所で反射的にムカついた(正直
まあ書いてるうちにその意見も割と一理あるような気がしてきたから、
矛を抑えることにする。
俺も大江の小説は嫌いじゃないから。 >>440
思考や行動力の質が変わったんだよ
60〜70年代に作られた知のヒエラルキーの下で人々が生きていないんだから
危機意識や目的意識の矛先も異なっているだろうし
往時の型に嵌めようとしても徒労でしかないのは当然かと >>451
そうした自由がもたらしたものってネオリベ的な意識のみであって
現在の資本主義を強固に下支えしているものじゃん
新しい生活様式ではない >>454
思考や行動力の質が、現状肯定、自民党肯定に変わったんだよね。
つまり自分という個人を失って、支配政治の流れに埋没して行く。
もうすぐ、愛国でなければ日本人ではない、というのが主流になるだろう。
縛られた自分や貧しい自分がヒーローとなる。 >>455
個人としての自由というのは、資本主義的経済活動の自由ではない。
資本の私有の自由は個人の自由と対立する。
労働者はいうに及ばず、資本家ですら、資本に自由を奪われる。
自由を縛られないこと、と定義するなら、資本主義はすべての個人が商品に縛られる。 >>456
それが思考停止の現状肯定に見えるけどなw
何が起きているかはもう少し刮目した方が良いよ
愛国の行き着くところは鎖国しかないんだよ
島国メンタルということではこの国の伝統的なものでもある
そうなると差別意識は対外的になるのをやめて国内に跳ね返ることになる
まあでも鎖国はもうムリなんで実質のない悪口が飛び交っているだけなんだけど
削りカスが積もるように国内での差別意識も醸成されていく
結果得するのは資本家だけだよ
>>457
その場合の自由の定義が不明瞭だね
衣食住の生活様式をヌキにして自由なんて定義できないからな
「芸術的な」自由、「文学的な」自由なんてものは、誰かに肩代わりされたものに過ぎない >>458
議論が拡散しちゃってるぞ?
鎖国が無理かどうかなんて議論はしていない。
愛国とは、ファシズムとは資本家のために使われる支配構造のことだ。
衣食住の生活様式とはなに?
僕の自由の定義よりもっと不明瞭だよ。
>「芸術的な」自由、「文学的な」自由なんてものは、誰かに肩代わりされた
これはまるで意味不明だな。
書けるなら具体的に書くべきだ。 >>459
こんな他愛もない会話にそういう厳密さを求めるか?
ならまず愛国とファシズムは同じものじゃない
また君はまだ自由を>>451の水準でしか定義していない
「学校から制服が無くなったり、自由に政治の話ができたり、教師と生徒を対等に見ることができたり」なんてのは自由でもなんでもない
制度を脱構築しただけで依然として制度の内側にある
この程度のことを自由と呼ぶのは、一方で制度を担っている人がいることを完全に無視しているからだよ ごめんちょっとおもんないから離脱するわw
無意味なやりとりな気がしてきた
またねw >>460
愛国とファシズムが同じとは書いてないよw
愛国も、ファシズムも、だ。
自由の定義はあの程度でいいと思ってる。
制服が無くなったり、自由に政治の話ができたり、教師と生徒を対等に見ることができたりも自由ということだ。
逆のことを考えてみればわかる。
制度を脱構築などでは無く、制度の改変を含んでいる。
制度の外側に出るというのは、例えば学校をやめるということだ。
そのなにが自由につながるのか理解できない。
あなたが勝手につまらないことを書いて、自分で無意味だと言って、なにが言いたかったんだ?
逃げるのは構わないが、もう少し考える力を養ったらどうか? 「大江健三郎全小説全解説」 作品の真ん前で考え 深い納得へ 朝日新聞書評から
評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2020年11月14日
https://book.asahi.com/article/13927968 長い間、積読していた『同時代ゲーム』(函入単行本初版)を年末に読む
大江の長編では最も難解らしいから、楽しみだ 畑正憲さんの「ムツゴロウの放浪記」に、もともと文学志望だった畑さんが文学を諦めた経緯がさらりと書いてある。
学部は違うが同じ東大に大江健三郎がいるのを知って、敵わないと思ったらしい。 >>462
>>440
村上龍みたいなやつだな。村上龍と同年代なんだろうか?
それにしても村上龍の若い頃の武勇伝って本当なんだろうか?
村上龍の妄想癖なのじゃないかという気がしないでもない。 >>467
大江健三郎の荒唐無稽さ(いい意味で)が味わえる大著だと思う もう新作の発表は期待できないけれど、大江が日本の現存作家では最も重要な作家だ
小説はほとんど所有しているので、まだ読んでない作品を大事に読んでいこうと思う 野崎歓『無垢の歌』
ーーうつくしいね、文章が!
大江健三郎書店っての、丸善だったかジュンク堂だったかで開かれたことあった。
大江健三郎の選ぶ100冊だったかな。野崎のも数冊選ばれていた。
この評論、まだ大江が読む体力があるのならば・・・ KOREAを学ぶよんじゃの修行2
李箱の言葉
2006/12/05
ジュンク堂七階の大江健三郎書店を少し覗いた。書棚に貼られていた大江直筆の本の紹介。
「ドンキホーテは全巻読むといい」
「ドストエフスキーだけで20代はみたせる」
「水許伝も西遊記も新しい翻訳がすごい」
「加藤周一の明確さは楽しい」
「心をこめて読む司馬遼太郎」
「ひさしさんの小説の独特さ」
「井丹の心の最良のところにタッチしてください」
「ミルチャ・エリアーデはすばらしい出発点になる」
「フランス20世紀の作家セリーヌ」
「鶴見さんより面白い哲学者はいない」
「才能!町田康」
「目取間さんは沖縄最良の作家」
「石井桃子さんの翻訳からすばらしく始まるものがある」
「アジアの雨雄 莫言/黄瑛」
「丸山正男に同時代の全体がある」
「サイードのように深い『現代人』はいない」
「山口昌男は世界に比類がない」
「われらの世代の最良の古井由吉」
「武満さんのように特別な人はいない」
「我らの国の天才安部公房」
「ヴェイユから出発する人がいてください」
「カネッティの自伝の独特な美しさ」
「『ロリータ』の新訳は信じがたいほどナブコフ」
「林京子にムダなものはなにもない」 大江が勧める本もいいけれど、まずは大江の小説をすべて読んでいくべきだろう
大江は小説家として高く評価されているのだから 1967年に大江の『万延元年のフットボール』が出版されて、
当時の若い世代の作家志望者が作家になるのを諦めたという
自分にはとてもこんなすごいものは書けないと 若者のヒーローじゃなくなってからの長い期間に
ずっといい小説を書いてる >>482
そうそうそれ大事
もっと大事なのはノーベル賞受賞で「あがり」ならないで
新境地ひらいて傑作、実験作をガンガンだしているところ 『僕が本当に若かった頃』は巧緻な短編集で、大好きだな 予告した通り、『同時代ゲーム』を読み始めた
予想に違わぬ、錯綜した大江らしい文体で、まことに結構だ
これを2ページ読んでやめた小林秀雄は情けないと言っておく 『同時代ゲーム』
歯痛で七転八倒する序盤でまず笑わせてくれる
このユーモア、グロテスク、エロス、迷宮のようにこんがらがった文体
からにじみ出てくる叙情・・・
やはり大江は唯一無二の小説家だ 同時代ゲームいいよね
大江文学の荒唐無稽さ(いい意味で)を十分に堪能できる 『同時代ゲーム』をきちんと読めない文壇の情けなさにため息が出る
中上健次の傑作『地の果て 至上の時』も読めなかったしな 読めてる読めてないはしらんけど
賞レースは完全に政治 文学賞のことはどうでもいい
まともな文芸批評がこの2作に関して発表当時書かれていない 大江にはいい批評家はずっといなかった
中上はある意味得もしたけどまともな批評はない 戦後から1960年代まではかなり文芸評論家がいたのに、
その人たちが亡くなっていったら、次の世代以降はあまりたいした人がいない
今は本当に批評不在の時代だから、新聞記者だった尾崎真理子が
大江の解説を書くしかなくなってしまった 読んだからなんだっていうの?このスレでもそこらへん不明
>>486みたいな薄い感想文なら他の小説にも余裕で当てはまるよね?
こんなことしか言えないなら読んでも読まなくてもいい >>495どの作家スレでも当てはまる、有っても無くても変わらないイチャモンだよね >>496
特定のレス一つへのイチャモンだから全然違うね
ブーメランすらヘタクソとか5chにいる意味ないよね 494以降のレス、大江について何も書いていない
大江の小説を読んでないなら、このスレに書きこむな >>493
大江が文学を終わらせてしまったからな
文学が生きてれば大江など生存を許されない存在だと思う。 >>499
文学が生きてた時代とは具体的にいつまでなのか気になるが。
80年代の池澤夏樹までという捉え方はよく聞くけど 一応既成の作家の中ではほとんど長老格みたいなもんじゃね池澤夏樹。
芥川賞選考委員やら何やらで。
それなりに佳作は書いてるけどあんま注目はされんな。個人的には河出でやった
文学全集の編纂はもっと評価されてもいいように思う
まとめると、
・龍と春樹あたりで文学でやれることは出尽くした。
・遅くとも中上健次の死をもって「完結」した
というのが無難な史観かね。 まあ不快なようなら消えますわ。どうぞどうぞ深甚たる日本文学の話題を続けてくださいな 不快ではないけど池澤夏樹を知らないんだよな。世渡りの上手い人というイメージしかない。一言で言い表すなら芸術院の会員でしょ。 池澤夏樹より親父の福永武彦が好き
『死の島』『草の花』 大江スレで池澤夏樹というのはアリなのかも知れないが
宇宙との応答(マクロコスモ/ミクロコスモ)、神話的枠組、
SF的ファンタジーテイストという作風(ラテンアメリカ文学にも通ずる)なら
先行作家である大江で十分だったような気がする
南方文化の土俗性に取材した作品なら
東峰夫の「大きな鳩の影」の方が優れていただろうし
大江や中上よりは都会的で洗練されているのだけど
あくまで理知的な都会人によって解釈された「土俗性」に過ぎないので
大江や中上のような本物の田舎者の性骨の太さには勝てないね
村上龍もこの点では中上に勝てないと脱帽していたわけであって
池澤夏樹は戦略的に間違えたような気がする
まあ、これは立松和平に対しても言えることなのだけど 誰も読まない長文を書き、何かを言った気になっている
市井の擬似インテリ高齢者の存在を観察するのは、
いつの世にも面白い
「吉本隆明によれば」
などと言い出しそうな点も 大江原作の映画すべて見た人いる?
われらの時代 (1959) 監督:蔵原惟繕
偽大学生 (1960) 監督:増村保造・原作「偽証の時」
飼育 (1961) 監督:大島渚
静かな生活 (1995) 監督:伊丹十三 >>518
岩波文庫の明暗の解説だけど
多分著作には未収録だと思う >>3
知ってる範囲だとあとこの二つ
原民喜「夏の花・心願の国」(新潮文庫)
本谷有希子「嵐のピクニック」(講談社文庫) そういえば新潮日本文学33石川淳集にも
若い読者のための架空講演と付した解説を書いていたな >>521
大江健三郎賞受賞作を入れていいなら長嶋有も岡田利規もそうじゃね(たしか) 尾崎真理子の『大江健三郎全小説全解説』どの通販でも書店でも品切れだね
講談社は増刷する気はあるのかね?
いずれ増刷するならその時買うが、いま転売屋から倍の値段で買う気はない あれって全小説の巻ごとの解説集めただけでしょう
それぞれの小説の解説って訳でもないからなぁ 「それぞれの小説の解説」の集合ですよ
大江の文業全体を見据えたうえでという意味ではバラバラの個別解説よりずっと良い 『偽証の時』という文庫未収録の短編を読んでいるが、
左翼の学生運動を批判的に眺める視点があって、
文学の持つ多面性をよくあらわしている
大江の小説はいいね >>526
しかも大江が個々の作品を発表した当時の有力な文芸評論家の批評も集めて掲載した上で、
尾崎自身の現在の評価を書き加えているから、読み物として面白いものになっている 大江も確か90年代以降は中国とか北朝鮮の体制批判してた気がするんだが
原爆実験のニュースを聞いて美しいと思ったのはまあ時代のアレ 国語の問題です
この文章は中国の核を称賛しているでしょうか?
中国の核実験を写したフィルムを深夜のテレヴィに見た時、僕をおそった暗い恐怖感のことを僕は永く忘れることがないだろう。
中国のある砂漠の一角にキノコ雲がおこった時、それを見守る中国の若い研究者たち、労働者たちを揺り動かした喜びの表情は、
客観的にいっていかにも美しく感動的であった。サルトルがわれわれに語った言葉をひけば、《核戦争の脅威に無防備のままさらされていると自覚している国》が
自力で核兵器を開発した喜びは、かれらの若い表情から直接につたわってくるものであった。
しかし核実験の直後、およそ軽装の防護服を身にまとったかれらが、放射能の荒野に、勇んで駆け出すのを見ると、
それは不安の念をひきおこさずにはいない。かれらには今、開発したばかりの核兵器の威力についての誇りにみちた知識はあるであろうが、
核兵器のもたらす人間的悲惨については、ほとんど知識がないのではないか、と僕は疑った。
ありていにいえば、当然、かれらはその知識に欠けているであろう。なぜなら、核兵器の悲惨について具体的に真実を知っている者たちのいる場所は、
この核時代にあっても、なお広島・長崎の原爆病院をおいてはほかにありえないからである。 ヒロシマ・ノートを読めばわかるが
当時の進歩派知識人の例に漏れず大江も中国にロマンティックな夢想を持っていたが
それに幻滅した端緒が中国の核実験である
というのが事実なのだがアホウヨがデマ飛ばして事実と真反対の話が流通している >>532
>>533
けっこう早い時期からわかってたんだな大江
教えてくれてありがとう! 誤解なきように付言するがここでがらっと大江が態度を変えて反中国になったわけではなく
おそらく何らかのシンパシーは消えずにのこっていたと思う
ただヒロシマノートにはこう記している
この核兵器の時代の、つい昨日まで、原水爆を所有しうる力をもちながら、しかもそれを所有しない国のイメージは、
もっとも新しい人間的な政治思想そのものを提示するイメージであった。しかしいま、僕がこのノートを書いている一九六四年十月、中華人民共和国はすでに、そのようなイメージの国ではなくなった。それは、とにかく、なにか別の国だ。
大江の核兵器に対するスタンスはヒロシマ・ノート連載の広島訪問で初めて形成されており、そのいっとう最初から
今時誰も取らない善悪二元論を自分は核兵器について取る
核兵器のもたらす悲惨は絶対悪であり全く許容できないと大江は宣言しており
いかなる核兵器も、どんな理由でも(共産陣営は敵陣営が持っているから仕方なく核を保有している、という当時まかりとおった理由も)許さないというもの
大江がどこかの核を称賛するなどということは絶対にない 大江のトランプ騒動への見解を見てみたい。
なにか言ってるんだろうか? トランプ騒動もそうだかこの一年くらい公の場から離れてないか?
めっきり露出が減った気がする >>537
去年の終わりごろ、朝日新聞にインタビューが載ってたな。
なんの話題だか忘れたが。 最近、大江がマイブームだ
ほとんどの大江の小説は単行本と文庫本で持っているので、
長編や短編をとっかえひっかえ読んでいる 評論・講演まで網羅的に含めた全集は
死後に出るのだろうか
40年前に岩波書店から出た「評論集」全10巻を
今買うか買うまいかと悩んでます
(読んで何かを得られる、という意味の価値はきっと低いでしょうが) 50年代60年代の時事的なエッセイは流石に今読むと古すぎるかもね
でも7、8巻にはいっている「全作品」に付された自己解説は「全小説」を横に置いて今読むとむしろ面白いかも
「同時代論集」には文学論も結構収録されているが、その後の>>3のような大江の文学関係のエッセイも合わせて
そこから選択編纂して「大江健三郎文学論集」みたいなのを岩波文庫あたりが出してくれるといいんだが >>541
文学論集でも政治論集でも、まとめられたものを気楽に読めるといいね。 三島由紀夫スポーツ論集
三島由紀夫紀行文集
がある以上は
大江健三郎天皇制論集
大江健三郎政治経済論集
大江健三郎海外文学論集
が出てもおかしくはない
が、その頃には私(昭和50年生まれ)はおそらく
既に灰になっているだろう 大江健三郎というのはほんと日本に存在しなくても良い存在だったなと
しみじみ思う。
今の日本でのコロナの問題もコイツが撒いた種が原因ということができる。
立憲民主党の国会ハイジャックとかな。 小谷野敦が大江の面白い逸話集みたいなのがあればいいのにと
筑摩の伝記本で書いてて共感したな
愉快な人物としての大江健三郎に光を当てるのも悪くないと思うんだ >>544
どういう意味?
こんなときはごちゃごちゃ言わずに独裁で取り決めていいだろってこと? >>544
何歳なの?15より上だったら人生後悔した方がいい。 大江の小説を読んで感想を書ける人があまりいない
評論やエッセイばかりだ >>545
わかる
大江の描く武満徹なんかのエピソードが
相手を尊敬しつつも崇拝するのではないユーモアのある書き方ですごく面白いとおもう
ああいうのを大江のバージョンで欲しいが
書ける・描ける人がいないのかもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています