☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド@☆☆☆
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>>337
読んだんですか、ちなみにオレは愛の新世界と四運動の理論を読んだけどほとんど理解できませんでした
デカルトの情念論を延長させて天体の運動と関連付けれたら立派なフーリエが出来上がる、みたいな感じでした
アソシアシオンで人間は生きていくべきとしました
ようは協同体ですね
ちなみに意外ですが、幼稚園なんかはアソシアシオンの「ファランジュ」です
アソシアシオンとは非営利の福祉団体のことで、今で言うボランティアの延長ですね
フーリエが目指すユートピアでは、その団体にキリスト教社会主義を足した世界観なんだと思われます
ドストエフスキーはフーリエ主義を研究するサークルであの有名な逮捕に繋がります
協同体はある意味で独自のルールを設けるので、政府から見れば異分子なんすよね
ショーペンハウエルは「生きる意志を否定せよ」です
ニーチェは「生きる意志を肯定せよ」です
ニーチェはショーペンハウエルの「意志」については影響を受けていますが、演繹された答え、最後に行き着く結論は背反対になったようです
ちなみにオレのオススメは「自殺について」です >>338
読んだは盛り過ぎました
正直に言うとページをめくりながら印字を眺めたってところです
デカブリストの乱を経験してるロシア官憲からしたらフーリエ主義は超危険分子でしょうね きっとそうですね
奇人狂人の本なんでしっかり読もうとするならかなりの覚悟が必要だと思われますw ロシアのロマノフ王朝は最終的にフーリエ主義等の後継のマルクス主義信者によって命脈を絶たれるわけですから
ドストエフスキーが生きたロシアの19世紀が激動の時代であることは間違いないですね ついでにゴーゴリの外套を再読してみようと光文社古典新訳文庫版ゴーゴリ「鼻/外套/査察官」浦雅春訳も図書館から借りてきた
冒頭部分を無断引用すると
「えー、あるお役所での話でございます……。まあ、ここんところはそれがどこのお役所であるかは申し上げない方がよろしいでしょうな。なにしろ、省庁にしろ、連隊にしろ、官庁にしろ、ひとことで申しまして、お役人ってえ人ほどこの世で気のみじかい人はございませんから。」
この調子で延々と終わりまで続くんだが正直最初のページで読む気が失せた
ゴーゴリのおもしろさを広く現在の読者に伝えようと編集部と翻訳者が決めたんでしょうな
落語の文体で訳せばみんなおもしろがるに違いないと
初代三遊亭圓朝の落語口演筆記を参考にして二葉亭四迷が『浮雲』を書いたと言われ明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼしたということは聞いたことがあるし
オレ自身も5代目古今亭志ん生が好きでCDを何枚か持ってるけど
この翻訳は少なくともオレには合わなかった
今の時代の若者はあまり本は読まないけどお笑い好き→お笑い?なら落語で って発想はどうなんでしょ
昔志ん生の落語をそのまま本にしたのを読んだことがあるけどイマイチだった覚えがある
落語は噺家が話すのを聞くのが面白いのであって素人が落語を読んでも噺家の話術レベルで読むことは難しいってことなのかもしれない
しかも江戸落語文体
上方こそがお笑いの本場とおそらく思ってるであろう上方の読者に受け入れられるんだろうか
「落語言うたら上方落語や辛気臭い江戸落語ことばで書いた本なんか読んでられるか」と一蹴されるのではないか
青空文庫からコピペ(岩波文庫版「外套・鼻 」平井肇訳と同一)
「ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。」
岩波文庫を借りてくればよかった >>343
赦してつかーさいよ
ウィキによると
「ドストエフスキーは、「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出でたのだ」と語ったと言われる。」
がそれは誤りで
「ドストエフスキーの全著作および書簡に、この言葉は存在しない(『作家の日記』に書いたとする松岡正剛の記述は誤り)。
この言葉(Nous sommes tous sortis du Manteau de Gogol)の初出は、フランスの外交官で文人のウージェーヌ=メルシオール・ド・ヴォギュエ(Eugène Melchior de Vogüé, 1848-1910)がその著作『ロシア小説』(Le Roman russe, 1886年刊)のドストエフスキーを論じた章で、
「四十年来文学の歴史に深く関わってきた一人物」の口に託した言葉であり、それがあたかもドストエフスキーその人の発言であるかのように誤って広まったとされている(青山太郎著『ニコライ・ゴーゴリ』(河出書房新社、1986年9月)、411ページ)。」
とのことです
ちなみに(前にも書きましたが)オレがいまだに読み終わらない「貧しき人びと」で言えば
ゴーゴリの「外套」が作品の重要なモチーフとして使われていますよね (続き)
ところでこの作品のエピグラフ
「いやはや、世間の小説家たちときたら、困ったものだ!
……ただもう地下の秘密を洗いざらいほじくり出すばかりではないか……
いや、なんとしても、あの連中がものを書くのを禁じるべきだ……
V・F・オドエフスキー公爵」
オレは昔からなんでドストエフスキーは処女作であるこの書簡体小説のエピグラフにこれを置いたのかわかりませんでした
今回
下っ端官吏のジェーヴシキンがゴーゴリの「外套」を読んでのぞき見趣味だ的に憤慨する場面を読んで
ああこれかと
つまり
バルザックが大成させた写実主義小説は貧富にかかわらず市井の人々の生活・心情の実際を掘り下げて活写する面白さが身上だと思います
下っ端官吏の悲劇(?)をペーソスとユーモアを持って書いた「外套」を読んだジェーヴシキンは
オレの惨めな人生を世間にバラしやがって##
と憤慨するわけです
この作品を書く前にドストエフスキーはバルザックの「ウジェニー・グランデ」を翻訳しています
文体修業ですかね
ドストエフスキーは自らも写実主義で小説を書くにあたって
人々の人生をリアルに切り取って物語にする写実主義小説というものが
一面から見れば暴露趣味露悪趣味のケシカランものだ
しかしそこが面白い
という思いをこのエピグラフで表現したのかなと思いました
それにしても処女作の冒頭に小説家がモノを書くのを禁止しろって文章を置くあたり
やはりタダ者ではない? >>342
なるほど
岩波の方が良さそうですね
これから読もうと思っているオレにはタイムリーなレスに感謝します >>346
是非感想を教えてください
ゴーゴリスレにも 是非 ナボコフはドストエフスキーは芸術未満下手くそで仰々しいだけの三流作家と
こき下ろしてますが、もちろん悪霊扱いされた西洋化したロシア人そのもの、ユダヤ人の妻を
持つナボコフからしたらあらゆる意味で否定しなければいけない存在だと思いますが
今、日本人がドストエフスキーを読む価値ってどういうところにあると思いますか? 光文社の外套はあれはあれで好きだけどね
外套も鼻も真面目に読むというよりあれくらいバカバカしい態度で読んだほうが楽しいのでないかい >>348
完全に芸術音痴のオレがお返しするのも烏滸がましいのですが私見として
個人的には時間に余裕のあった学生時代にはいろいろな作家の作品に手を出す余裕がありましたが
だんだんと暇も興味もなくなり今となっては娯楽趣味として単におもしろいから読んでるだけなので
今、日本人がドストエフスキーを読む価値とは何かという問いは難しいですね
ここからは脱線しますが最近思ったことを書きます
ユングによると個々の人間は思考・感情・感覚・直観タイプに分かれ
それぞれ生まれつき得手不得手の分野がありしかもそれぞれ外向的内向的に分かれるらしいんですが
例えばたまの休みにチェスの修行に海外へ行く棋士の羽生さんは(たぶん)思考タイプ
死の床の枕辺に夏目漱石の草枕の翻訳本が置いてあったというピアニストのグレン・グールドは感覚タイプじゃないかと
芸術(美)を好み素で楽しみ批評できるのが感覚タイプの人なのかなと思います
オレはむかし俗流心理テストでどのタイプかやってみたところ感情タイプと直観タイプに同点で当てはまるということでした
つまりものを考えることと感覚的に世界を感受し美しいものを美しいと感じる能力に乏しいと判定されたということで非常に憤慨した覚えがあります
でも当たってるなと
いまだにそのまんま生きているオレにとってドストエフスキーの芸術的価値を語るのは荷が重いですスイマセン >>349
同意です
でも関西人の方にはどうなんでしょうと今でも思います >>351
ゴーゴリ作品の語り口が上方言葉であろうが江戸弁であろうが、ほとんどの読者はそんなこと気にもしないと思うけど、どうですか >>348
価値自体が個人的な側面を持つので、すべての人に値する実りを求めることは難しいように思われます
まずは社会的な基準という意味で価値を求めれば教養です
世界的な文豪の内容を知ることは知識の獲得であり、特に知識を重んじる文明国において教養がある人間とは、社会的な人間の評価につながります
もう一つは私的な意味での価値
私が持つ形式の中でどれだけ根拠を求められるかどうかによっているような価値基準です
質問は、日本人が、ということなので、教養としての価値くらいしかないんじゃないでしょうか >>350
いえいえとんでもないです。
ただキリスト教圏の読者と日本人では明らかに享受のされ方が違うと思うのですが
ドストエフスキーをきっかけに作者の思索する魂の問題に同化するために東洋の島国の人間が
聖書を読みだしたりする例も多々あるじゃないですか、そういう魔術的というか一種の洗脳下というかそういうところでまともな批評は成立しないし、それはもちろん聖書も教養としてはいいと思いますけれど、文学者は教祖でも聖人でもないのでそうではなく文学(虚構の作り話)としての面白さを今みなさんどう受け取られているのか興味があります。 とても簡略化してしまうと、ドストは知性より心を大事にせよと
言いたいがために物語を構築している
心を重視する日本人に人気があるのは当然だ >>355
たまたまスマホのオススメ記事に
「佐藤優氏が解説、生誕200年ドストエフスキーの今読むべき2作品と読み方」というのがあったので知ったかぶりして貼ろうとしたら2ページめから有料でした(泣)
怪人佐藤優は「未成年」の愛読者としても有名ですが未成年とカラマーゾフをあげてるようです
ただタダで読める最初のページに
彼が外交官として赴任していた末期ソ連で
カラマーゾフの大審問官が予言書のようによく読まれてたというエピソードがあり
記憶にないのですが聖書の黙示録から苦よもぎ(国家崩壊の前兆?)の話が大審問官に引用してあって重ね合わせて読まれてたようです
ロシア語で苦よもぎのことをチェルノブイリと言うんだそうです
このスレでもどなたかが苦よもぎの話を書かれてますが
ドストエフスキーをより深く理解しようとした時どうしても聖書の知識は避けて通れないようですね
かく言うオレもロレンスの黙示録論は読みましたが黙示録だけでなく福音書も使徒行伝も手紙もましてや旧約もパラパラめくったことがある程度ですけど でも考えてみると作品を享受する価値が問われる作家というのも珍しいかも知れませんね
例えばキューブリックが監督しナボコフ自身が原作を脚色した映画「ロリータ」は名画らしいですが(読んでもないし観てもないオレが語るなって話になりますけど
でも時計仕掛けのオレンジと博士の異常な愛情は好きです)
今、日本人がキューブリックを観る価値はあるのかとかナボコフを読む価値はあるのかとかは考えたり話したりする機会は余りないかなと >>356
小説には作者の主張が書かれているという考えは根本的に間違っていると思います。
比較検証できない以上日本人が地球上の他地域の住人よりも心を重視しているとは言えない。
そもそもドストエフスキーが扱っているのは心というよりもっと具体的な自意識では?
>>357
予言書のように小説を読むって危険ですね。。それって権威の信奉ですよ、いかにもロシアな話ですね。 >>359
ハインラインのSF小説「異星の客」は1960年代アメリカのヒッピーたちに経典とあがめられ
チャールズ・マンソンが自らの聖典として愛読していたという噂(ウィキによるとデマらしい)があるくらいですから
予言書のように小説を読むって危険というのはあるかもしれないですね
でも権威の信奉すなわち悪いことという評価はどうなんでしょう
確かに無批判に権威を信奉し他者を巻き込んで不幸にするとしたらそれは完全に悪でしょうけど
そうでないなら権威を信奉するもしないも個人の自由ではないでしょうか
いかにもロシアというのもちょっと決めつけすぎてるかなーと 聖書の言葉は象徴の解釈の歴史でもあるのかもしれません
言葉通りに理解するか、象徴として解釈するかはその時々によるため分かりません
黙示録だと、「第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。」になります
この通り受け取るならば、物質的に何かかが落ちてくると解釈できますが、象徴として解釈するならば、ニガヨモギとはある種の苦難や不正、不道徳、偶像的廃教を指します
ニガヨモギという単語は旧約からあるようです
旧約において、ニガヨモギとは神からの解離を意味していると理解できます
申命記 29 17-18
またあなたがたは木や石や銀や金で造った憎むべき物と偶像とが、彼らのうちにあるのを見た。
それゆえ、あなたがたのうちに、きょう、その心にわれわれの神、主を離れてそれらの国民の神々に行って仕える男や女、氏族や部族があってはならない。またあなたがたのうちに、毒草や、「にがよもぎ」を生ずる根があってはならない。
ドストエフスキーもそうだけど、終末論における予兆(その時、もしくはその前の期間)はとても苦い苦難の訪れがあると多くの聖句に書かれています
産みの苦しみと呼ばれる苦難はキリストの再臨の条件になるため、再臨を望む人たちにははずせない患難なのかもしれません
正教会、とくにドストエフスキーでよく取り上げれた分離派の人々は「苦しみ」を重く見ていたように思います
個人的に虐げられた人々が好きだけど、心に引っかかって無意識的に染みつくような言葉があります
老人は言う、苦しみは違う苦しみで贖うしか方法はない、と >>362
老人は言う、苦しみは違う苦しみで贖うしか方法はないってなんなんですかこの絶望的なフレーズ
虐げられた人々は未読ですが(犬が出てきて老人が死ぬ出だしまでは読んだことがある)
このフレーズが出てくるんでしょうか(自分で読めで終わる話ですいません) >>363
反証可能性がないことなんてあり得ないから、個人的に断言することはしない主義なんだけど、そんなオレでも「虐げられた人々」はあらゆるドストエフスキーの中でもオススメです
時間が許すならばぜひ読んでみてください
この本のテーマは「あわれみ」だと思っています
アゾルカという犬が死んでスミス老人が死んで物語は始まりますね
ちなみに今、再読中です
どこの何ページだったかをメモっとかなかったので分かりませんが、このセリフに行き着いたらレスしておきます
まだ先になるだろうけどね >>355
レスの流れを読んできて思うのが
人間がナニを面白いと思うかというと
コレは真実を突いてるな!ってことをオモシロイと思うんじゃないかと
昨今のテレビ離れツイッターユーチューブ等SNS全盛の時代の趨勢を見ても
手の込んだ作り事より単純でも人間の生の姿に人はより興味を持つのかと
ドストエフスキーの小説がいまだに日本で読まれ続けているのは
作品は手の込んだ作り事なのでしょうが人間の生の姿を表現することに(少なくともある程度は)成功しているからなのかなと思いました >>361
いや読んでるロシア人のことではなく、佐藤優の物言いがロシアくさいなーと
『ソビエト崩壊末期、人々はドストエフスキーを予言書のようにこぞって読んだ』
(引用元がないので実際の発言は知りませんが)
こんな抹香臭くて大仰な物言いをする日本人はちょっとないなと、あ、この人正教の信者でしたっけ? >>366
昨日はスマホで書いたんで貼れなかったですけど
引用元を貼っときますんでご自身でお読みになってご判断ください
https://diamond.jp/articles/-/259168 日本ドストエフスキー協会のホームページに良い記事があったので少し長いですが引用させて頂きます。
ロシアの研究者の方のようです。
目的としてのドストエフスキー-------- リュドミラ・サラスキナ
「ドストエフスキーはもうすみずみまで研究されつくしているのではありませんか」――私は何とも答えに窮する質問をこれまで幾度となくされたものである。そんな場合、私はいつもこう答えることにしていた。ドストエフスキーの本当の理解はたった今始まったばかりです、なぜなら、ロシア古典作家の偉大な作品の真の読解をかつて妨げていた様々な足枷がようやく解けたのですから。
だが、どの時代にもその時代なりの足枷が存在する。思想的には無内容、倫理的には無節操、美学的には雑食性といった現今の風潮を目の当たりにするにつけ、そんな答えでは精神的には不誠実だし、言葉の上では不正確なことになりかねないと言われれば、確かにその通りだと納得せざるをえない。新しい状況になっても、さしあたりはある記号が別の記号に入れ替わっただけで、ドストエフスキーの測り知れない精神的自由と底知れない深淵性を、状況は相変わらず扱いかねている。ドストエフスキーをめぐる論争が、ものごとの些事ではなく、本質それ自体に関わることはいつの時代でも変わらない。 人々はいつもドストエフスキーの中に真実=正義の可能性を探し求めてきた。「ネクラーソフを超え、プーシキンを超え、民衆を超え、ロシアを超え、森羅万象を超える」あの真実=正義である。だが、それと同時に人々は効用の可能性も探し求めてきた――それはまるで、具体的な課題の数々、政治的、国家的あるいは宗教的な課題の遂行にドストエフスキーをあたらせ、その任務に差し向けることができるといわんばかりであった。ソヴィエトの政治宣伝が推奨したのは、資本主義体制に対する有能な論敵、公式的宗教とロシア貴族に戦いを挑む闘士、自由主義および小市民(プチブルジョワ)的なユートピア社会主義への批判者としてドストエフスキーを遇することであった。ドストエフスキーを知ることは有益でもあり、不可欠なことでもあると考えられたが、それは民衆にとってではなく、イデオロギー戦線で階級の敵との闘争に従事するインテリゲンツィア層にとってであった。ドストエフスキーが自ら引き受けることになろうとはよもや思いもよらなかったようなくさぐさが、彼のはたすべき任務と見なされたのである。
今や彼に期待されているのは、教導者、指揮者、精神的指導者としての役割である。ドストエフスキーならば、読者の手を引いて、どこかの終着点に先導して行ってくれるだろう、というわけだ。それというのも、その終着点はどうやらドストエフスキーの読者が目指すべき真の目的地のように考えられているからである。作家は予定のルートを律義に踏破した後で、終着点に向かって出発せんとする新たな一団を先導するために、ふたたび出発点に戻ってもかまわない。なぜならば、一度、終着点にたどり着いた人々は、もう決して彼を必要としないからである。 ドストエフスキーの中に手段――作家の思想や言葉のはるか彼方に存在する結果を達成するための効果的にして強力、確実な手段――しか見いだそうとしない人もいる。
だが、ドストエフスキーは手段ではない。ドストエフスキーは目的である。
ただこのことによってしか、文学史家における、そして何より文学それ自体におけるドストエフスキーへの一心不乱の熱中を(「偏執」でさえも)正当化することはできない。目的と見なすことで初めて、ドストエフスキーは、彼を読み、彼について考え、書く人に対して、本質的なことを明らかにする。彼本来の価値、最高価値において理解することで初めて、彼は人間を実際に甦らせることができる真の創造力、変容力を備えたものとして立ち現われるのであって、だんじて当座必要な――「最新の」と言いたければ、それでもかまわないが――使用説明書としてではない。 卒然と世を去り、わが身もろとも偉大な秘密を持ち去ったプーシキンに、ドストエフスキーはまさに目的として相対した。「かくして私たちは今や彼亡き後にこの秘密を解こうとしている」(1)。天才の秘密を解明するというこの人間の使命は、ドストエフスキーの目には小さなものとは映じなかった。どんな人間、もっとも惨めな人間でさえも、彼もまた秘密である以上、その謎を解明するという課題はドストエフスキーの目には屈辱的なことと映らなかった。まだ若かった少年時代に、彼は人間の秘密について予言的な言葉を口にしている。「人間は謎です。その謎は解かなければなりません。そして、その謎を解くために、たとえ一生を費やすことになろうとも、時を空費したなどと言ってはなりません。僕はその謎に取り組んでいます、なぜなら僕は人間でありたいと願うからです」 (2)。これに関して、私は次のことを指摘しておきたい。ドストエフスキーがこの時、念頭に置いていたのは、ロシア人の秘密、感覚的な自然人の秘密、あるいは神の恩寵にあずかる宗教人の秘密ではなかった。彼が信頼を寄せているのは、「人間」という言葉の普遍的な意義、そのもっとも一般的な意味――知性、自由意志、言語能力を授けられた被造物中の至高の存在、一人ひとりの人間――だったのである。
訳註
[1] 引用は、一八八〇年六月八日にロシア文学愛好者協会の大会でドストエフスキーが行った、いわゆる「プーシキン講演」の結語による。この講演原稿は、『作家の日記』一八八〇年八月第二章に発表された。
[2] 一八三九年八月十六日付の兄ミハイル宛の書簡。ドストエフスキーは当時一七歳、工兵学校在学中であった。
(訳:杉里直人:すぎさと なおと・ロシア文学)
Title: Достоевский как цель
Author: Людмила Сараскина >>369
ソ連の共産党がドストエフスキーを政治宣伝に使ってたとは驚きです
「お前らシャートフみたいになりたくないだろ?」と国民を脅してたとか
冗談です
でも確かにロシアの自由化によって新たな発見とかあるかもですね
ヒョードロフ伝の訳者は亀山さんと安岡さん(光文社文庫で貧しき人びとの新訳を出した)ですがこれもドストエフスキーを含むロシア文学研究の成果でしょうか
日本でも研究が進んで作家の日記とかもう少し身近に読めるようになるとおもしろい なんでやんねん
いつやんねん
やんねん三段活用
(≧∇≦)♪ >>374
さすがはわれらがスレ主
ええネタいっぱい持ってますやん
なんでもっと書き込んでくれんの 今や物語の享受媒体としては主流でなくなった小説なのだから
自分が面白いと思うものをそれぞれ好き勝手に読んだらいいと思うのだが
ことドストとなると凄いとか面白いとかいう声を聞く機会が割りと多いせいか知らんが
なんのために読むの?権威主義?と聞いてくるお方がたまにいらっしゃいますよね
何を読もうが勝手でしょとしか言いようがないし
逆にあなたの方がドス・コンなのでは?とも思ったりもしたりして話は変わるけど
中上健次はドストエフスキーが性に合わなかったらしく好きではなかったようだけど
当時は今より教養主義が強かったせいか
作家たるものドストエフスキーぐらい読んどかなくてどうすると全集を買い込んで
折りにふれてページを開いてはちょっと読み
こんなものならオレの方が上手く書けると気を引き立たせて小説を書いてたらしい
かなり前に彼のエッセイを読んだので
細部は違ってるかもしれません悪しからずご容赦ください その中上健次を敬愛する21歳の美人女子大生が今夜芥川賞を受賞した >>374
>>378
大天才!
諸学問「物理学、精神医学、哲学、心理学」等。現代的意味での源流はドストエフスキーに間違いないからね。
(蛇足ながら卑近な例では、文学(芥川)漫画(手塚)刑事ドラマ(コロンボ)もかな……) 21歳8か月での受賞は綿矢りさ金原ひとみに次いで芥川賞としては史上3番目に若い受賞だって
若けりゃいいってもんでもないだろうけど
慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部出身で現在慶應義塾大学文学部在学中って金持ちのお嬢様だな
で中上健次が好きだと
2020年「かか」で三島由紀夫賞を最年少で受賞し今年芥川賞受賞
華々しいな 読んでみようか?となる?
ならないなぁ、芥川賞も直木賞も糞の中の糞だ M1が今や若手(吉本)芸人を一気に全国区に引き上げるための吉本興業の仕掛けであるのと同様に
どっちの賞も菊池寛の思惑通りか知らんが
今や(メディアの華の座を映像文化に譲り売れなくなった)本を売るためのお祭りだからね
でも宇佐美りんが村上龍と中上健次を愛読してるってのはおもしろいなと思った
時間があれば読んで…
その時間を作るのが億劫なのが問題だが あれこれ色々調べてみても話を聞いてみても、ちゃんとドストエフスキーを読めてる人なんてほとんどいないんだな。やはりどんな意味だろうと娯楽で読むような代物じゃないし、そもそも自意識の矛盾に苦しむとなどという精神的人間そのものがすでに絶滅寸前の希少種。しかしツイッターによく流れてる
ドストエフスキー作中人物の引用文、なんか本人たちはアフォリズムのつもりで自分が賢く見えると思ってるのかなんか知らんが本当に莫迦でどうしようもない。 >>383
ちゃんとドストエフスキーを読めてるとは
どういうことを意味するんでしょうか
原語で読むのは当然の前提になるんでしょうね
翻訳でしか読めないオレには遠い世界です 娯楽で読むような代物じゃないというのもどうなんですかね
研究の対象にしかならないということなのかのか
それとも読むこと自体が何かの修行なのか
それとも楽しんで読む力がないだけの話なのか >>383
若々しくていいレスだと思いますよ
寺山修司には書を捨てよ、町へ出よう と煽られるでしょうけど 関係ないけど
萩原朔太郎の「無用の書物」という詩を思い出した
ググってみたらあったんでコピペさせてもらいます
無用の書物
蒼白の人
路上に書物を売れるを見たり。
肋骨みな痩せ
軍鶏の如くに叫べるを聴く。
われはもと無用の人
これはもと無用の書物
一銭にて人に売るべし。
冬近き日に袷をきて
非有の窮乏は酢えはてたり。
いかなれば涙を流して
かくも黄色く古びたる紙頁の上に
わが情熱するものを情熱しつつ
寂しき人生を語り続けん。
われの認識は空無にして
われの所有は無価値に尽きたり。
買ふものはこれを買ふべし。
路上に行人は散らばり去り
烈風は砂を巻けども
わが古き感情は叫びて止まず。
見よ! これは無用の書物
一銭にて人に売るべし。 ドストエフスキーと同じく金持ちの医者の息子に生まれ
詩集「月に吠える」「青猫」という大正モダン溢れる口語自由詩によって近代詩の確立者とも称される朔太郎だけど
私生活は思いのままに生きられたとは言えず
晩年に文語自由詩で諦念感の滲む「氷島」と言う詩集を出版してるんだがその中の一篇
自分の人生も読んできた書物も蔵書もすべては無用のものであったという破滅者の身もふたもない叫び声が吹きすさぶ空っ風にかき消される寂しさ
寒風で砂埃にまみれたこれらの書物の中には朔太郎が愛読したドストエフスキーも含まれているのかも知れません 亀山(俺の出身校先輩)・訳を初めに読んでしまった奴はドストエフスキーを一生涯ミスリードする運命。
郁夫くんはキリスト教理解が浅すぎる、「的外れ」な読解が多過ぎ。テレビドラマ化されたが内容冗談の域を出ない。
「罪」のアントは「信仰」である。 カラマーゾフの兄弟 詳註版はどんな感じですか?
買った人おられるか? >>391
図書館にないですか?
場合によっては他の地域からも借りられますよ
たとえば世田谷区とか杉並区などは身分証だけで借りられるはずですよ 図書館しばらく行ってないけど置いてあるもんですかねえ
出来たら購入したいので新訳の評価ちらっとでもこのスレで聞ければと思いましてねえ 『カラマーゾフ』には100箇所は誤訳があるらしいからな
夏頃までには水声社のを買いたいと思っている 再読のために買う予定です
こんな高いの買ったんだからともう一度読まないわけにはいかない
http://www.suiseisha.net/blog/?p=12018 しかしね?キミ、2万とかするなら羊皮で設えて貰いたかったとは思いましたよお 話かわるけど春馬君の罪と罰舞台BDで出して欲しいな
演技いいな
春馬君独立すれば良かったのに 水声社の高価本の造本はなかなかいいよ
チェーホフのを2冊もってる
書店で買うのではなく、直接水声社から送ってもらうほうがいい
少々安く買える 水声社のはもうほとんど在庫がないんじゃないですか?
買うなら今でしょ!
でもおすぎとピーコと杉里ってほんとですか? ロシアのテレビ局が2007年頃に製作したテレビドラマ「罪と罰」を見た
大作映画ほどの背景の作り込みはないかもしれないがロシア人製作スタッフがそれなりの製作費と思い入れを込めて作ったなりの19世紀のペテルブルク及びシベリアとそこに生きる人々の姿が見られて面白かった
印象的だったのがラスコーリニコフがオレが犯人なんじゃないの?と裁判所書記官だったかに凄んで見せるシーンで裁判所書記官がイケてる金持ちの伊達男っぽいいで立ちをしてたとこ
小説を読んだときはもうちょっと小物で貧相なイメージだったが考えてみれば裁判所書記官は19世紀ヨーロッパでも社会的エリートなわけで服装もピシッとしてるのが当たり前だわなと
ラスコーリニコフ役のウラジーミル・コシェヴォイがオレのイメージよりちょいバイタリティあり過ぎかつちょいワイルドだけどイケメンでまあイメージには合ってるし上出来のテレビドラマかなと >>401
ロシア現地で見たの?
ロージャは頭でっかちのひょろひょろイケメンのイメージ イケメンのイメージはないけど、春馬もロシアドラマ版もイケメンだね >>403
イケメンだと書かれてるよ。三浦春馬はぴったりのイメージだった 書いてあったか
因みにどこらへんで表記ありました? >>405
一番最初に宿から抜け出して金貸しババアの家にいくところに書いてあるよ
「ついでにいっておくが、彼は美しい目にくり色の毛をしたすばらしい美男子で、背は中背より高く、ほっそりとしてかっこうがよかった。」
米川訳 「彼は美しい暗色の目と栗色の髪の毛を持ったすばらしい美男子で、丈は中背よりも高く、
ほっそりとしてスタイルがよかった。」 小沼文彦訳 ついでながら、彼は黒い目がきれいにすみ、栗色の髪をした、おどろくほどの美青年で、背丈はややたかく、やせ気味で、均斉がとれていた。
工藤精一郎(訳) ドスちゃんの主人公ってだいたい美男子でしょ
ムイシュキンもスタヴローギンも
でも我々が考えるより髭もじゃで青白い風貌だよね >>411
ありがとう。Amazonで高評価だね。見たくなったよ 高い買い物になりますがよろしければ
オレのあほ話をしますと同様のシリーズで「カラマーゾフ」と「白痴」も新品で購入したのはいいんですが
アリョーシャとリーザと公爵のイメージがしっくりこずに全部見ずに二束三文で売ってしまいました
で今同シリーズの「悪霊」に興味津々だけど同じ轍を踏まないとは言い切れず
アマのレビューで何なんだあの後日談は##とありでもいつかは見てみたい カラマーゾフに関しては映像化作品避けたいとこだな、例え出来がよくとも
永遠の書物として人生に残しておきたい 読む前に観るのはまだしも、
読了後に観るのは避けたほうがいい
映像の方が記憶に残りやすいから
苦労して読んで得たイメージに上書きされる 映像で見るなら普通のドラマのほうが面白いんじゃね?物語的に
時間の無駄ってことはないだろうけど >>415
確かにそれは一理あるかもしれないが
ドラマの作り物とはいえロシア人が一応時代考証もしたであろう当時のペテルブルクの街並みや就中ラスコーリニコフとマルメラードフが出会う酒場の様子を見てみたかったのよ このスレで話題に出てた「フョードロフ伝」をドストエフスキーが出てくるとこ(ほんの数ページ)を中心に拾い読みしてみた
ニコライ・フョードロヴィチ・フョードロフ(1829-1903)はルミャンツェフ博物館の伝説的な司書かつ独創的な思想家として知られてるそうで
司書で思想家というとパリ国立図書館で司書をしてたバタイユを思い出す
フョードロフがまだ無名時代に彼の思想をペテルソンという友人兼弟子的な人がまとめた原稿をドストエフスキーに宛てて送り
読んで意見を「作家の日記」に書いてほしいと依頼したのが縁の始まりで
ドストエフスキーは1876年の「作家の日記」3月号で好意的に論評している(新潮社版ドストエフスキー全集17にも載ってる)
1876年と言えば未成年を連載中でカラマーゾフの構想を練っていた頃だろう
ドストエフスキーの反応に勇気づけられたペテルソンは師フョードロフの教えの基本的な命題を十分に記述した手紙をドストエフスキーに送り
ドストエフスキーはその返事(1878年3月24日付け書簡)で熱を帯びた調子でフョードロフの思想に感銘を受けたことを伝えている
その後フョードロフたちは彼の思想をまとめた著作の作成に取り掛かったが完成したのはドストエフスキーの死後まもなくだった
しかしフョードロフの思想の核はドストエフスキー宛の手紙で伝えられておりそれがカラマーゾフにも反映していると筆者は述べている >>419
俺もそのレス気になってた
報告サンクス!
未成年は1875年刊行だな
長編で影響を与えたとしたらカラマーゾフのみということになるのか >>418
あ、あんな序盤で?あそこでダメなら怒濤の超長文のセリフを読み続けるのはムリですね 罪と罰はめちゃくちゃ読みやすいしな
ムリっていうよりつまんねえって思ってやめるんじゃね しかしながらフョードロフの思想は日本人にはちょっと馴染みにくい
訳者の安岡治子の解説をそのまま写すと
「フョードロフの思想は、いかにもファンタスティックに見えるが、それでいて、理性や科学に基づいた合理的側面もあり、
しかもロシア正教や専制を重視するスラヴ派的保守の伝統も受け継ぐという、一見矛盾したさまざまな要素を総合した実にユニークなものである。
……ソルジェニーツィンによれば……フョードロフの著作を持っているだけでラーゲリ送りになったという。……
フョードロフの思想の根幹を成すものは、何といっても、あらゆるものを分離分化する近代の知のあり方への不信である。……
フョードロフにしてみれば、復活に関しても……文字通り肉体の復活をも念頭においている……
フョードロフの言説は、奇想天外、荒唐無稽とも思われるほど荒削りなもので……われわれ日本人は……馴染みにくいものだろう。しかし、
……フョードロフの提案は、やはり何かを切実に訴えかけてくる……ミクロコスモスとしての人間をマクロコスモスとしての宇宙に関連づけ、
人類がこの先どう進むべきか、、その方向を、永遠の時間、無限の空間にまで拡大して、これほど具体的に示した例は、めったにないからである。……」
オレは精読してないので何とも言える立場にないが
博物館の司書をやってたくらいだから当時の自然科学の最先端にも造詣は深かった上での思想ではあろうが
死者を肉体的にも復活させることが可能ってところはちょっと理解が難しかった
スラヴ派進歩派革命派入り乱れて思想的混迷のさ中にあった当時のロシアに出現した一人の特異な思想家といったところか ついでに目についたエピソードを一つ
「トルストイとフョードロフの困難かつ不釣合いな関係は、トルストイ自身にとっても奇妙なことに、八〇年代をとおして続けられていった。
フョードロフに対するトルストイの行き届いた、いささかおもねるような態度や、二人の口論、衝突については、それを実際に目撃した人々の多くの話がある。
息子のイリヤ・トルストイはこう回想する。「会話では、いつもかっとなって抑えがきかなくなる父が、ニコライ・フョードロフが話しだすとなると、ことに注意深く耳を傾け、彼に対していきりたつようなことは一度もなかった」
トルストイとは実際に行き来があったようですね
安岡女史の解説を再度引用すると
「……一九三〇年代以降、ソヴィエトではフョードロフの名はタブーとなった。しかし、フョードロフの復活や不死の思想は、革命後の多くの芸術家や科学者にも豊かなインスピレーションを与えていた。」とのことで
このスレでもどなたかがドストエフスキー(をはじめとするロシアにおけるロシア文学)研究は今現在新たな出発を始めているという論文を引用されてましたがまさにその通りのようですね >>425
フョードロフについてのレスがあったのでググってみたら少し出てきました
どうやら少しの範囲ではなくて多くの範囲に渡ってドストエフスキーに影響を与えている人のようです
しかもドストエフスキーとは正反対に、実践的生活面においてかなりできた人格者だったようです
一つの逸話(ロシア語から自己翻訳で読んだので正確ではありませんが)があります
教師だった時代、教え子の父親が病気にかかってしまい、その治療費のために全額与えてしまい、「葬儀代もすべて払った」ようです
ここで思い出さずにいられないのはラスコリニコフのこと
葬儀代を全財産を放棄して全部払ってやる、まさに罪と罰に書かれた逸話です
フョードロフ ロシア宇宙論
「自然の盲目の力を統御し、操ることは、人類が共同でおこなわなければならない偉大な事業だ。」「ついには敵意と無知と盲目、すなわち非親和性の究極の表現である死そのものを、殺さなければならない。」「すべての人が認識者となり、すべてが知の対象とならなければならない。」「同時にそれを人間を通じておこなうのだ。自然のなかに合目的性がないのは、人間自身がそれをもちこまなければならないからである。そして、そこにこそ最高の合目的性があるのだ。」(『ロシアの宇宙精神』110頁前後) >>426
>ドストエフスキーとは正反対に、実践的生活面においてかなりできた人格者
非人格者ドストエフスキーww
そうなんだろうなあ
>「自然の盲目の力を統御し、操ることは、人類が共同でおこなわなければならない偉大な事業だ。」
なるほどだから死者の肉体的復活なんだ 納得 かつ面白い
フョードロフに聞けたら聞きたい
不完全な人間が科学の発展によって万能の神と同様の力を手に入れられたとして
死者を復活させることができたとして不完全な人間を復活させて何の意味があるんですかと
これは東洋の日本人就中非人格者中の非人格者のオレだからこそだから抱く疑問かもしれませんが フョードロフが「敵意と無知と盲目、すなわち非親和性の究極の表現である死」と死を否定的にとらえているのに対し
同じ司書仲間(?)のバタイユが「生(個々人の意識/存在)=非連続」に対し「死=連続」と死を肯定的にとらえているのも真逆やんと面白いと思いました 「自然の盲目の力」に対する神の似姿としての人間という自然観も日本人と違ってて面白いですね
ロシア(ヨーロッパ?)的自然観は自然と人間を切り離して考え
一般的日本人は人間を自然の一部としてとらえる
だからフョードロフの思想が多少縁遠いのもやむを得ないのかもしれない 皇帝がそういう人だったもんね。
名前忘れたけど。
科学の力で自然を征服、みたいな。
ロシアは寒いから、あと権力者だから、そういう思想になるのかな、と思ったりしないでもない。 あーそういえば聞いたことがあるような
ロシア近代化の立役者にしてペテルブルクを作ったピーョトル大帝だったか誰だったか 比較対象になるようなもんでもないけど、息吹は感じる ググってみた
1920年、ドイツ人の母、カタリーナ・フェットとポーランド系アメリカ人の軍人の父、ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・シニアのあいだに、ドイツのアンダーナッハで生まれる。第一次世界大戦後のドイツの経済崩壊により1923年に一家はアメリカ合衆国のメリーランド州ボルチモアに移住、その後カリフォルニア州ロサンゼルスへ転居。幼年時代、ブコウスキーはしばしば失業状態にあった父親から虐待を受けていた。
1966年、ロサンゼルスの地下新聞『オープン・シティ』紙のコラム Notes of Dirty Old Man を担当。
1994年3月9日、カリフォルニア州サンペドロで白血病により死去。遺作となる「パルプ」を完成したすぐ後のことであった。彼の墓には「DON'T TRY(「やめておけ」)(「突っ張るな!」)」と刻まれている。
大文学者さん?
しかし詩人となると原文で読まんと味がわからなそう
クラシックを生んだヨーロッパではなくジャズを生んだアメリカに現れた才能って感じか Notes of Dirty Old Manて
地下室の手記的な
ポーランド系だとロシアは嫌いかも知らんが ビートルズの実質的ラストアルバム「アビーロード」のメドレー中の一曲「Mean Mr. Mustard」に Dirty Old Manて歌詞があるけどもしかしてここからいただいてたりして
ジョン・レノンはアイ・アム・ザ・ウォラスでエドガー・アラン・ポーの名前を使ったりしてるから読んでる可能性はあるかも
ノーベル文学賞を取った(オレはいいと思うけど一応草を生やしておこう)ボブ・ディランとも親交があったようだし >>432
短編だけ読んだことあるけど、
そこまで好きじゃない。嫌いでもないけど。
全然違くね?
ていうかドストエフスキーの真似なんて誰もできないだろうけど。 >>1
「朝鮮人の立ち入りは厳禁とします。」
なんだこれ。気持ち悪い。一回スレッドを落としたほうがいいよ
こんなスレッドで、よく何事もなかったかのように議論できるものだ >>439
いろいろあったからね
気に入らなければ前から続いてるドストエフスキースレか
スレ主が新たに立てた文学的ドストエフスキースレを使えばいい ドストエフスキーといえばむかし安部公房がTVを見てたらイラクかどっかの中東の戦争報道で
コーランの詠唱が響く中、画面に一瞬ドストエフスキーの本が落ちているのが写っていて
とてつもない衝撃を受けたと同時にかすかな希望も感じたという発言があってずいぶん印象的だったが、
ようやく最近になって意味がわかってきた。
作家の作り話にせよこれはドストエフスキーの作品について真価を語っていると思う。 >>439
あなたの言っていることが正しいと思う
俺も一応>>74で疑問を呈したつもりだったけど、今見直したら呈していなかった気もします
とにかくあなたに他のスレに行くよう促している人はどうかしていると思う
それと彼と別人であればこのスレを立てた人もね
まードストエフスキーもイワンにトルコ人の虐待の話をさせているから、そういった偏見があったようにも思うのだけど カラ兄の話中ではアリョーシャに対し誰もが、父親でさえもが本音トークを繰り広げていることに感嘆するのだですが、
スメルジャコフだけは接点がなかったのはなぜだか考えたことがありますか?
接点があったらあんな事件に発展しなかっただろうからとか、思うところはあるのですが
あとスメルジャコフの育ての親夫婦も接点がなかったといえばなかったですね
ちなみに完全に俺の読んだ記憶だけをもとにしているので、違っていたらあやまります >>443
>>あなたに他のスレに行くよう促している人はどうかしている
ってオレのことだろうけど
彼はこのスレを落とせと言ってるんであって
元からこのスレにいるつもりはないし
気にしないでここにいたっていい
それは彼の自由だろ
他人をどうかしてるとディスるなら
せめてそれぐらいは確認してからにしたほうがいいよ >>441
いい話だ
ちなみにドスト関係なくて恐縮だが
中東の紛争地帯で今読まれているのは漫画「進撃の巨人」なんだってね 創価学会関係者並びに朝鮮人の立ち入りは厳禁とします。ってのは確かによろしくはないのだろうが
本スレを創価学会員と思しき人物(朝鮮人かどうかは知らない)に荒らされてスレ主がこのスレを立ち上げ
渡りに船とばかり何人かこっちに移ってきたんだろうし
まあ言ってもたかが5chのスレッドだし次スレで直しゃあいいじゃんとオレは思ってる
まともな学会員と朝鮮の方には申し訳ない >>444
カラマーゾフ家の育ての親は同じだけど、兄弟の中でスメルジャイコフだけは身分が違うので仕方ないのかもしれません
使用人の子供はどこまで行っても使用人として扱われるし、愛情表現もまた変わってくるように思います 人種排除は因果関係がないですからね
差別せずに特定の何かを具体的に除きたいならば、それなりの根拠が必要になるように思います
そうしないと差別になってしまう
そうかについては因果関係があるので排除を宣言しても差別にはならないでしょう
散々煮湯を飲まされてきて、現に今だってスレチを辞める気配がありません
本スレはもはやドストエフスキーの面影がなくなってしまったし、その因果は根拠としては十分だと思います
一度落とす、という意見は最善の策だろうけど、スレッド成立(物理的な意味で)の現実的な観点から考えれば、落とすのも苦労するし、時間もかかるし、その間に誰かがレスすればその苦労も水の泡になるし、悪意の第三者には抵抗できないので、次スレから直せばいいというのにオレは賛成です
まあ、そろそろスレッドの半分になるのでその方が早いというのが思うところだけど、スレッドは総意さえあればなんとでも出来るのでお引っ越しもいいかもしれません 朝鮮人に対する差別の根っこは、自分が絶対に当てはまらない対象を悪者と決めつけることで、自分を安全な場所に置くのことにあると思うんで、決定的な暴力だと思うんだよね
朝鮮人は汝の隣人だと思う
しかしキリストとかは2000年以上前なのになんであんなに知的なの? >>451
論理的な論と演繹に同意します
差別は一方的な他者への暴力の源になりえる大きな要因だとオレも思っています
キリスト教については聖書ではないでしょうか
アブラハムの時代から、彼らのすべての規範は聖書にあるので、その聖書の中ででさんざん言うのは知恵を身につけよ、です 相変わらず、このスレもドストから遠く離れた書き込みばかりだ
ドストの文学のみを意見交換したいなら、文学的に語るスレッドがお勧めだ 深夜に書き込みしてるヤツ
仕事はなに?
ニートか? オレは個人事業主、なので労働開始時間はある程度自由
生活習慣がもう夜型なんで書き込みも夜になる
ランチ休憩は変わらないですけどね
だけどニートだっとして、何か問題があるんでしょうか >>456
「へえ、あなたはよくもまあ臆面もなく、えらそうな口をききますね!」 「働いてお金を稼がなけりゃいけないということは私にもわかってるんです」
○メラードフ ここと向こうはドストエフスキースレじゃないぞ。なんたら学会員とかいう知恵遅れを罵る為のスレだ。
ここだとアイツは言い返して来ないから好きなだけ詰っていいぞ。 >>449
このスレにこのままカキコむのもなんだかなって感じですし
ドストエフスキーを文学的に語れという枷も窮屈なので
ここはこのスレが曲がりなりにも今まで機能してきた最大の功労者である貴方に新しいスレッドを立てていただきたいということでいかがでしょうか
スレッド名は ☆☆☆ドストエフスキー統一スレッドA☆☆☆ とでもなんでもお好きに
問題になってる
「朝鮮人の立ち入りは厳禁とします。」はオミットして
カキコみルールも適当に決めていただいて(本スレがあまりに過疎って不快にさせる相手がいなくてつまらないのか最近カキコみが極端に減った創価のじいさんは出禁にしてもらいたいとこですが)
で立ったら誘導をこのスレにしてもらえればオレはそっちに引っ越します
何から何まで図々しい自分でやれって話ですがここは一つ
ご面倒でなければ
ご面倒ならオレはこのままここでくだらないレスをし続けます まず第一にこのスレを立てた人は今もって朝鮮人立ち入り厳禁を取り下げる気がさらさらなく、
更に彼はこのスレの内容に納得できないため、文学的に語るスレを立てた経緯があります
俺は>>439の苦言を重く見るべきだと思います
ですから
☆☆☆ドストエフスキー統一スレッドA☆☆☆
をどなたかが立ててくれたら、そちらに引っ越すのが最善だと思います
と書きながらpcもスマホも規制でスレを立てられない俺です
ぜひどなたかにお願いしたいです ☆☆☆ドストエフスキー統一スレッドA☆☆☆
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1611848496/
立てました
ただ個人的に思うのは、このスレもせっかくたててくれた人がおるので消化してもらいたいと思っています
次スレがある、という理由で理解してもらえればと思っています
あと半分くらいしかないしね >>463
ご苦労様です
浮足立って重複スレ立てちゃいまして申し訳ない >>464
こちらこそ間の悪さにすいません
次の次まであるということでやがて使わせてもらいます 『カラマーゾフの兄弟』って一応この人の最高傑作なんですよね?
最初のアレクセイが13年前に死んだって書いてあるから何かの伏線だと思って
最後まで読んでみたけど何の意味もなかった。
あとゾシマ長老は死んでも腐臭は発生しないとか言ってたくせに腐臭が発生し
たし、資料をアリョーシャ(アレクセイのことだよね?)が作成したのに何故
か別の人が作成したことになっていたし
銅の杵で殴ったくせに章の題名が誤審となったりとはったりと設定ミスにあふれ
た最低の作品としか思えなかった。 ある数学者がドストエフスキーの小説を読んで「この小説では一晩で二回月がのぼる」というようなことを言ったらしいな
でも「腐臭は発生しないとか言ってたくせに腐臭が発生した」というのは
はったりや設計ミスとは言わないんじゃないの? >最初のアレクセイが13年前に死んだって書いてあるから何かの伏線だと思って
誤読ですよ? 事件が13年前、本編である第2の小説が、今この現在時の出来事と示してある筈でしょう
「わざわざ」(太宰、、?) 罪と罰を読まないとかいうの買って途中まで読んでみたが下らなすぎて捨てた
こんなの出版して恥ずかしくないのかな >>471
一応気になって図書館で読んだけど、あれ本当にひどいね
よくあんな下らない企画を立ててそれが通ったと思うよ あれかw
会話内容流石に見るに堪えないよ
まさに下らない 『罪と罰』読まないと
ソ連映画の『カラマーゾフ』のエンディングを理解できないだろ
タイトルからしてクソなのに、よく買って読んだね
カネと時間の無駄遣い >>471,473
一応国内でそこそこ評価されてる作家たちの会話とも思えないほど頭悪そうなんだよね >>475
誰に評価されてるかでしょ
偏差値60くらいの自称意識高い系層の媚態にまみれた評価じゃないの? じえん に じえん を かさねても
あいきゅーはちじゅうきゅう は なおらないんだよなあ
みつを 佐藤優
「カラマーゾフの兄弟の新訳は実にすばらしい。
もともと亀山先生の翻訳は、ドストエフスキー以外についても正確で読みやすいという定評があります。
(略)
重箱の隅をつっつくような解釈の違いをあげつらって、「亀山の誤訳を見つけた」と騒ぐような輩がロシア屋には多いですから。
(略)
亀山訳は、語法や文法上も実に丁寧で正確なのです。これまでの有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している。」
(『ロシア 闇と魂の国家』亀山郁夫、佐藤優著 文春新書) 佐藤優の言ってること矛盾してるじゃないか
「丁寧で正確」なら
重箱の隅をつつかれても「誤訳」だと言われないだろ
亀山も佐藤も嫌い >>468
> 『カラマーゾフの兄弟』って一応この人の最高傑作なんですよね?
> 最初のアレクセイが13年前に死んだって書いてあるから何かの伏線だと思って
> 最後まで読んでみたけど何の意味もなかった。
> あとゾシマ長老は死んでも腐臭は発生しないとか言ってたくせに腐臭が発生し
> たし、資料をアリョーシャ(アレクセイのことだよね?)が作成したのに何故
> か別の人が作成したことになっていたし
> 銅の杵で殴ったくせに章の題名が誤審となったりとはったりと設定ミスにあふれ
> た最低の作品としか思えなかった。
何を見ても何を聞いても 最低にしか感じられないんじゃね?
これを猫に小判という。 >>482
> 水声社の『カラマーゾフ』読んだ人いないの?
>>483
> 自分は新潮社
なになに社とか、どーでもいいんだよ。米川読んどけばまちがいない。
誤訳とか枝葉なんか関係ない。その翻訳が文学として優れているかどうかだ。 >>481
> 佐藤優の言ってること矛盾してるじゃないか
> 「丁寧で正確」なら
> 重箱の隅をつつかれても「誤訳」だと言われないだろ
ぜんぜん矛盾してない。恐ろしくレベルが低いから解説するのもめんどいな。
> 亀山も佐藤も嫌い
亀山がダメなのは、「誤訳」うんぬんじゃなく、米川等一流の先行訳と比較して
文学作品として低レベルだからでしょう。知らんけど。 たとえば法華経は西暦265年に『薩曇分陀利経』として翻訳され、
つぎに竺法護訳『正法華経』として西暦 286 年に訳出された。
しかし
その後鳩摩羅什訳 『妙法蓮華経』が出て、これが絶対的な信仰の対象となっていく。
西暦384年頃だと思う。ググるのめんどくさいから適当だけど。
その後各国で各時代に、現代日本でも「サンスクリット語から納得する現代語訳をつくり
たい!」とか言って、学者先生が現代語訳とか言って数々出版している。
そんなものはぜんぶ意味がないのである!
羅什訳 『妙法蓮華経』は天台も伝教も日蓮大聖人も認める「仏の実語」であり、
1文字1文字がそのまま金色の仏なのである。
釈迦仏より日蓮が上であり、末法の御本仏であるのと同じく、サンスクリット語など誰からも相手にされておらず、羅什訳 『妙法蓮華経』が信仰の対象なのである。
その理由については、大聖人が御書において縷々述べられている。
これと同じ原理で
新しいから優れている――など、あるはずがないのである。
カラマーゾフの兄弟であれば、あなたが日本人なら、米川正夫訳か新潮社の訳あたり、
白痴ならば名前ど忘れしたけど なんとか浩二訳か米川。でよい。
現代つまり令和青年というのは、まさに昭和と比較して底辺です。そんな時代に出版されたものが文学教養盛んなる70年代までの訳出を超えることはできない。 水声社の『カラマーゾフ』3月までに買うから
そのうちに内容を報告する おい創価
『アンナ・カレーニナ』の第5部第17章の冒頭部分を翻訳してくれ >>491
『アンナ・カレーニナ』→ アンタ?カレーにな?
意訳: あんた、カレーかい? >>490
> おい創価
> 『アンナ・カレーニナ』の第5部第17章の冒頭部分を翻訳してくれ
この問は一体なんだ?ww
翻訳してくれとはどういう意味だ?
しかも原文を提示するわけでもない。
原文出せば、グーグル翻訳で文学的に翻訳してやる。
じつはアンナ・カレーニナは若き時に読んだ。最後まで読んだが...ぜんぜん頭に入ってこなかった!ww
前に俺は
>何を見ても何を聞いても 最低にしか感じられないんじゃね? これを猫に小判という。
と言ったが、そんな君らの感覚がまったくわからないわけじゃあないんだ。
しかし一方で、君らが感受性も読解力もないのもまた
厳然たる事実だ。
自分は底辺読者なのに古典的名作をくだらないと書く
その図々しさには辟易するではないかっ 亀山という翻訳者は名前がよく出るが
一言でこう片付けたい。
このコンピュータ・インターネット時代に
機械翻訳も、あらゆる資料情報も簡単にアクセスできる時代に
カラマーゾフという虎の威を借りる狐をやめろといいたい。
もしも本当にその人が記念碑的翻訳を出版したとしたなら、それは森鴎外も まっつぁおになるような
美しき名文で書かれているべきはとうぜんである。 翻訳の世界も色々あるんだねぇ
そもそも読者側が原文読んだ上でってとこでかいし 何が「グーグル翻訳」だ間抜け
法華の太鼓でぶん殴るぞジジイ! >>490
「ニコライ・レーヴィンが病床にあった県庁所在地の宿は、清潔や快適を旨とするほかに
優雅な趣をも出そうというきわめて殊勝な意図もとに、新しく改良されたモデルにならって
建てられた地方旅館のひとつであったが、この種の旅館は、そこへ押しかける泊まり客のせいで、
またたく間に現代ふうの設備が自慢の薄汚い居酒屋に変わってしまい、しかもそうした設備が
自慢なだけにかえって薄汚いだけの昔ふうの旅館よりもいっそうみじめなものになりはてて
しまうのである。」 「鉄の階段」の部分が【日本語訳】【英訳】とも翻訳者によってまちまち
【原文】の文法構造が俺には難しい 【原文】の1文が長すぎて、書き込めないんだ
ボルコンスキー女史も訳しきれていない
【木村訳】と【望月訳】ではまったく違うし 「ニコライ・レーヴィンが病床にあった県庁所在地の宿は、
清潔や快適を旨とするほかに、
優雅な趣をも出そうという、
きわめて殊勝な意図のもとに、
新しく改良されたモデルにならって
建てられた地方旅館のひとつであったが、
この種の旅館は、そこへ押しかける泊まり客のせいで、
またたく間に現代ふうの設備が自慢の薄汚い居酒屋に変わってしまい、
しかもそうした設備が自慢なだけに
かえって薄汚いだけの昔ふうの旅館よりもいっそうみじめなものになりはてて
しまうのである。」
-------------------
このトルストイの文は...なかなか特性を表してるな...なかなか素晴らしい例文を
引いてきたね。
ちょっと見直したぞ。ID:D/f2PfXL 君!
>>490
> おい創価
> 『アンナ・カレーニナ』の第5部第17章の冒頭部分を翻訳してくれ 別物?トルストイとドストエフスキーは19世紀ロシア文学の双璧であり、
トルストイを読むほうがドストエフスキーの訳わからん有象無象の凡人の解説を読む億万倍の価値がある。
亀山であれ、その他翻訳者、学者というのは、自分では何一つ創造できない一般人です。
もし彼らの解説書など読んで(ああ、そうだったのか)とか思えば、ドストエフスキートルストイとはそれこそ別物の ちっぽけな亀山等の境涯で理解してしまう。 そもそもトルストイやドストエフスキーが偉大なのは頭で作り上げた小説ではないからだ。
彼らの世界は体験から創出されている。
これらを解説書や学術的研究からアプローチしようとするのは根本的誤りであろう。
信心しかない! >>497の続き
「この旅館もすでにそうした状態にはいっていた。玄関番のつもりか何か知らないが、
入り口のところで煙草をふかしている汚れた軍服の兵隊。風の吹きぬける、陰気な
不愉快な鋳鉄の階段。汚れた燕尾服を着こんだいやになれなれしいボーイ。ほこりを
かぶった蝋細工の花束を飾ったテーブルのおいてある大広間。いたるところにある汚れ、
ほこり、不潔さ。」 >>505
>そもそもトルストイやドストエフスキーが偉大なのは頭で作り上げた小説ではないからだ。
>彼らの世界は体験から創出されている。
>これらを解説書や学術的研究からアプローチしようとするのは根本的誤りであろう。
>信心しかない!
あのねぇ、じいさん、小説家と言うものは体験だけで書くものじゃないんだよ、厖大史料を必要とするんだ
だから、それを読む方にもかなりの知識が必要とされるのである
ドストエフスキーもしかり
例えば、『カラマーゾフの兄弟』の原案である『大いなる罪人の生涯』についての書簡を見ろ
1868年12月 マイコフへの書簡
いま私の頭の中にあるのは、『無神論』という題の厖大な長編です。
しかしこの長編にかかるためには、その前に、無神論者や、カトリックや、正教信者の本を、それこそ一蔵書分も読破しなければなりません。
この長編は、たとえ仕事の間完全に生活を保証されていても、少なくとも二年先でないとできません。
人物はいるのです。われわれの階層に属するロシア人で、かなりの年配、それほど教養はないけれど、無教養というのでもなく、ある程度の官位ももっているのですが、それが突然、もうかなりの年になってから、神への信仰を失ってしまうのです。
一生涯、彼は勤務ひとすじに打ち込んできて、軌道を踏みはずすこともなく、45の年まで、これといって目立ったところのない人物でした。
神への信仰の喪失は巨大な作用を彼に及ぼします。
彼は新しい世代、無神論者、スラヴ派、西欧派、ロシアの凶暴な狂信者、隠者、聖人たちを訪ねて放浪します。
ときにはジェスイットのポーランド人、挑発者のわなにかかりもします。
そこから鞭身派の深みへ降りてもいきます。
そして最後にはキリストを、ロシアの大地を、ロシアのキリストとロシアの神を獲得することになるのです。 > あのねぇ、じいさん、小説家と言うものは体験だけで書くものじゃないんだよ、厖大史料を必要とするんだ
あのねえじいさんって...お前何歳なんだよ!www
> だから、それを読む方にもかなりの知識が必要とされるのである
> ドストエフスキーもしかり
罪と罰 味わうのに知識なんかいったか?
これは懐しいな。ひさしぶりに読んだわ。
↓
> 1868年12月 マイコフへの書簡
>
> 突然、もうかなりの年になってから、神への信仰を失ってしまうのです。
とつぜん、かなりの年になってから、信仰を失う...それ以前どういう信仰をしていたのだろう...?
むしろここからが、彼の信仰の始まりだったのかな。
> 神への信仰の喪失は巨大な作用を彼に及ぼします。
> 彼は新しい世代、無神論者、スラヴ派、西欧派、ロシアの凶暴な狂信者、隠者、聖人たちを訪ねて放浪します。
> ときにはジェスイットのポーランド人、挑発者のわなにかかりもします。
> そこから鞭身派の深みへ降りてもいきます。
> そして最後にはキリストを、ロシアの大地を、ロシアのキリストとロシアの神を獲得することになるのです。
まさにこれは君らのために書かれた言葉だ。
最後に「仏」を、日本を、日本の仏である日蓮大聖人と御本尊を獲得せえよ!
死ぬ前に南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と3回唱えろよ。そうでないと、知らんぞ!! >>509
> ソーカ頑張れ!
学会理解者になったね! 20年くらい前かな。
スカパーで『子連れ狼』見ていたら、
容貌怪奇な男が登場した。
歯並びが非常に悪く見るからに賤しい容姿の男。
演じていたのは金田龍之介だったかな。
スメルジャコフを連想した。 天知は「眉間の皺」がトレードマークだったね。
三島由紀夫が明智小五郎役に起用して賞賛した役者。
神経質そうでスメルジャコフを連想するのも当然か。 トルストイから人道主義みたいなのを引いたのがドストエフスキー? トルストイは女好き
ドストFスキーも女好き
どっちもスケベ トルストイは農奴の娘をとっかえひっかえ凌辱していたらしいが、ドストエフスキーはどうしていたのか? >>518
内容がくだらない。あんたらマトモなロシア文学の読者じゃないだろ?
一秒でわかるw
けっきょく、創価様がお出ましになるしかないのかよ? というか...ハッキリ言って
俺が見たことがあるすべての板すべてのスレのなかで たぶんここが最低低能。
例外が2人くらい いたかな。 思うになんでこんな低能カキコになるのかというと、
「自分と関係ない世界」ととらえてる。小説だしと。
とっかえひっかえ凌辱 ――、スメルジャコフのイメージは天知茂―― が精一杯のカキコとなる。
なんで!自分の事として読まないのかっ?
罪と罰を読めば、ラスコーリニコフとして生きよ!
カラマーゾフならば、アリョーシャだ。 俺はそうしてきた。 誰にも相手にされなくてさみしくなったか?じいさんw 人がいやがることやってりゃ人は離れてく
人にいやがられることして功徳がほしいとか
バカなの? >>526
良いこと書いてるじゃん、おれw
もっと虚心坦懐に受け止めなよ。 >>508
たとえば以下のドストエフスキーの言葉だ。
> われわれの階層に属するロシア人で、かなりの年配、それほど教養はないけれど、無教養というのでもなく、ある程度の官位ももっているのですが、
お前もある階層に属する日本人だよな。そして
>かなりの年配、それほど教養はないけれど、無教養というのでもなく、ある程度の官位ももっている
だよな? つまりここまではまったく同じだ。「無神論者」の主人公と。
> それが突然、もうかなりの年になってから、神への信仰を失ってしまうのです。
> 一生涯、彼は勤務ひとすじに打ち込んできて、軌道を踏みはずすこともなく、45の年まで、これといって目立ったところのない人物でした。
お前は、ある年に、とつぜん「神への信仰を失ってしまったか?」どうだ?
> 神への信仰の喪失は巨大な作用を彼に及ぼします。
そして「巨大な作用を及ぼしたか?」
そこを考えろ――というのだ。 >>518-519
> トルストイは女好き
> ドストFスキーも女好き
> どっちもスケベ
> トルストイは農奴の娘をとっかえひっかえ凌辱していたらしい
こんな内容じゃ、他板でもバカにされるだろう? トルストイは本当の話でしょう。
旦那いい加減にしてくれと詰め寄られたりして。 ドストエフスキーの父親は強姦魔
スケベというより変質者
女を見るとムラムラしてタケノコが成長してくる
やりまくったせいで領地の農奴に殺された
口(くち)より先にチンポから産まれてきた変態 > 女を見るとムラムラしてタケノコが成長してくる
健康じゃんw 何が悪いんだか? 価値観が狂ってんな >>15
> 必要もなく絡みに行ってんだから警察が把握しとくべきだろ
> なんで何事でもない事にしようとしてんの?
> どう見てもロリコン、どう見ても犯罪者だろ?
これなあ...昭和だったらこんなことが事案?
子どもに「トイレはどこ?」も聞いたらいけない――となると、ますます子どもたちはほったらかしにされ、
すごい世代断絶が起きて、ますますどーしょーもない社会ができるよな。 世界の5大ウイスキーとは(後進の日本メーカーが国際的な賞をもらうようになって宣伝文句として言ってるだけのような気もするが海外の評価もそれなりに高まっている様子)
スコッチ・アイリッシュ・バーボン(アメリカンウイスキー)・カナディアン・ジャパニーズ
またウイスキーは蒸留酒だがロシアを代表する蒸留酒はウイスキーではなくウォッカ
ドストエフスキー作品中に出てくる蒸留酒はウォッカのみでありウイスキーは一切出てこない たぶん よく読んでいないようだね
「コニャック」が出てくるでしょ カラマーゾフの因業おやぢが鍵付きの戸棚に入れているのが 中学生の時に友人の家に遊びに行った
その友人の家は典型的な豪農の家で
玄関が2つあった 普段は何方の玄関も使わず
裏玄関か勝手口を使う
で、ある時、一番格式の高い、式台の付いた玄関の壁に
短冊に書かれた日付が貼ってあるのに気付いた そのときはそのまま帰ったが・・・
たぶん、その友人宅を訪ねた日とその短冊の日付がわりと近くて
旧暦の日付かと思ったような記憶がある で、そのあと訪れたときに・・・
旧暦の日付じゃないことがハッキリしたので
友人に訊いてみた
因みに、その友人の家の宗教は「神道」 「よく気付いたね」とオレは言われた
その日付はその友人宅が昔、火事になった日の日付だそーだ
戒めのために貼り出してあると言われた それで質問なんだが、
創価的にはその短冊もダメなわけ? >>540
『分身』にはラム酒が出てきた
穴があったら入りたい バカ丸出しやなあ
一部仲良しがいればその国同士はお味方かい?
敵同士でも裏で商売してるとか、敵の敵は味方だとかは冷戦時代どころかこの世に国家というもんが出来てからずっと続いていることなんだよ
そんなたわけたこと言ってるんじゃない
この世界に近代国家が出来だしてから、日本とシナが連合して欧米に対抗したことがあるかって―の
現状もそう、めっちゃ些細な分野でもありゃしないだろ
日本はアメリカの顔色をうかがいながら中国と付き合ってやがるんだ
核がどうしたって?
アメリカが日本に核を持たせない理由に中国は関係なし
いいか、核ってのは先制攻撃はダメだが報復はOKって世界なんだ
これ考えたら一目瞭然だろ
唯一の被爆国であるということは、唯一核攻撃ができる国でもあるんだ
日本はアメリカに核を撃ち込むことが正当化できる唯一の国だってことだ
そんなことは国際社会が許さないとか人道的にもあり得ないってのは、現在の状況でしかない
将来世界の情勢とかがどうなるか分かったもんじゃないからな
上記のような理屈が堂々と正当化される世界になる可能性だってあるんだ
アメリカは今も昔もずっと潜在的にそのことに恐怖しているし、将来やばくなりうる可能性を排除しておくってのは当然の作戦でもある
だから日本が核を持つことをアメリカは絶対に許しはしない
中国の事なんか何も関係ないんだよ >>550
ドストエフスキー作品ではないが
『アンナ・カレーニナ』にはコニャックのソーダ割りが出てくる
コニャックのハイボールだ 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 ☆☆☆ドストエフスキー統一スレッドA☆☆☆ まとめ > まず匿名掲示板で相手の背景は語り得ない
> 匿名なので相手の申告が発話即事実とみなされる
> だから匿名の場所では事態を確定するだけの客観的事実確認ができない
> それは家の鍵を閉めたかどうかのレベルと同じで、自分しか知り得ない事実は発言そのものが意味を持たない
> まさにこれこそが偏見と恣意性です
そのとおりですね。しかしトータルで真実が浮かび上がるよね?俺がいいやつとわかるでしょwww > 先生、来世もよろしくお願いします、ぐらいの感じで……。大間違いだった。
何が大間違いだったのか?... もう自分はがんで十分戦ってきた。だから先生来世でまた よろしくおねがいしますなのだが
> 男がひとたび腹を決めたら、横になってでも戦える。100人ぐらいに電話して。先
> 生のもとに、はせ参じるためだもん」「真の勝利は、生きるか死ぬかじゃない。戦い続
> けるってこと。広宣流布ですよ。治った姿を見せるより、戦い続けて語りたい。そこに、 がんを超越した喜びがある」
生きたまま、この苦痛と戦いつつ、病気が治るより、病気のままの姿を見せつけつつ、
語りに語りたい!ということだ。
> 男がひとたび腹を決める
とは、どういうことだ? 貴様が日本人なら わかるはずだっ
一歩リートとか、ゆってるやつはわからん。
縁もゆかりもない ロシア人の神、ロシア人に夢中になっとるバカものは
いったいぜんたい どこだ?
> このスレは>>1がルールです
> どうか自由意志でやめてください
> お願いします
わかった。自由意志でやめる。
ドストエフスキーは偉大だから。しかしはるかに偉大なのは仏法であり、日蓮だということを憶えておきなさい。 ドストエフスキーの死因はなんだっけ?
病死だったことは確かだが。 ドストエフスキーの作品にはゴミカスしか登場しない
よくもまぁ下品な作品ばかり書いたもんだ
読んでいると自分自身が穢れるような気がする
殺人鬼、淫売女、妾、ロリコン野郎、結核病み、高利貸し、癲癇持ち、釜掘り さぞかし無害で無意味な
何の印象にも残らないような文学が大好きなんでしょうねえ ドフトエフスキーは史上一二を争う文才を持ったキチ〇イ ドフトエフスキーは20歳前後の若いころに読まないと意味が無いなあ。
歳とって分別着いてから読むと「まぁこんなもんか」という冷めた感想になる。 二月九日朝、二十五歳年下の妻アンナが七時ごろ眼をさますと、ドストエフスキーは
じっと彼女をみつめていた。
「アーニア、僕はもう三時間もずっと考えていたんだが、きょう僕は死ぬよ」
(中略)
八時三十八分、ドストエフスキーは息をひきとった。
世界文学史上の最高傑作ともいうべき『カラマーゾフの兄弟』は、その三カ月前に完成
していた。
山田風太郎「人間臨終図鑑」より
ぎりぎりだったんだな。未完で終わりかねない瀬戸際だった。よくぞ最後まで書いてくれた
ものだと、ため息をつくしかない。 享年60歳だからちょうど還暦か
今の感覚からしたら若いっちゃあ若い
しかし癲癇持ちで生涯金に苦労したが世界文学史に燦然と名を残したし
大往生と言えるかな 白痴読了
純真無垢なムイシュキン侯爵と荒ぶれワルのロゴージン、妖艶な美女ナスターシャ、
性格のきつい令嬢アグラーヤの4人の男女の複雑な恋愛関係が基本的な構図だが、
途中に差し挟まれる全く関係の無い挿話や一人独演会などが多いうえに、登場人物も多数で
他のドフトエフスキーの長編と比べると全体としてやや散漫な印象を受けるが、それでも
その単独挿話だけとりだして読んでもじゅうぶん面白いところが天才的。
日本では黒澤明が映画化したり、歴史家のEHカーが激賞したりと、世界的才人に愛されている作品。
特に最後のクライマックスへ向かっていく雰囲気描写に迫力があって凄かった。 ぴんから兄弟って、ピンチ!カラマーゾフの兄弟の略だと言う事実を知っている人間はもはや少数 >>571
おい小僧、のぼせ上がるのもたいがいにしとけよ。
てめえのそのオランウータン面をタコ殴りに殴ってチンパンジー面にしてやるからそう思え、この薄馬鹿。 >>569
世界文学の金字塔「カラマーゾフの兄弟」を完成した直後に
死んだんだから、そら大往生だろうな。作家として書くべきも
のはすべて書きつくして、下手に長生きして晩節を汚すことも
なく60歳で死んだんだから、理想的な死に方だろう。 悪霊は思想集団の殺し合いが埴谷雄高「死霊」に似ている。埴谷雄高がドフトエフスキーから
影響を受けまくったのだから当たり前か。
未成年は、前半が落ち着いた筆致で淡々と進み、賭博なども出てくる上に題名からしても自伝的青春小説かと
思って読んでいたら、そんなわけもなく、結末がハリウッド映画、例えるならコーエン兄弟の
映画のようだった。 >>577
「未成年」は日本でも海外でも過小評価されている。 『未成年』と『虐げられた人びと』はドストエフスキーが敬愛したディケンズに
最も近づいた傑作であり、さまざまな人間が葛藤するドラマチックな展開にしびれる
これに対し、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』は
キチガイが登場して素っ頓狂な言動を繰り広げ、現実にはありえないような
オーバーな表現が多く、文体に繊細さが欠ける憾みがある 「未成年」って新潮文庫に無かったと思うのだが。
最近その存在を知った。 ノルウエーブッククラブが選定した世界の偉大な小説ベスト100では
未成年は落選してるな。だけど作家別ではドストエフスキーが最多の4
作品が選出されてるからこれ以上優遇するわけにもいかないのだろう。 >>580
岩波文庫は品切れ中、新潮文庫は販売されている >>581
他人の評価を鵜呑みにするな
文学は読んだ人それぞれが評価すべきだ 「未成年」
本筋に関係しない登場人物もいて、
これが妙にいい味を出していた。 「未成年」の最後で主人公に大学進学を助言する賢い男性の存在が物語に厚みを持たせている。 ドストエフスキー本人は大学には行っていないが、行きたかったんだろうなあ。 >>586
大学に行かなくても旺盛な読書で深い教養、学識を身につけ、世界一の小説家になった。 未成年に出てくる最後ちょっと変になるが基本は優しい、主人公と会話も弾むおじさん
あれ殺された自分の父親の残影じゃないんですか
そんな風に感じたな 本棚から未成年を引っ張り出してきたら
大学のころ読みかけで挟んだままのしおりがでてきた >>587
馬鹿。
大学なんぞに行ってたらあのドストエフスキーは存在しないわ。 ドストエフスキーの文章は無茶苦茶でしょ、と宇野千代は書いている。
だけどその無茶苦茶なドストエフスキーが書いた「カラマーゾフの兄弟」
は他に比肩するものがない世界最高の小説だとも書いている。
文学の本質は文体とか整った綺麗な文章にあるのではないということだ。
粋で引き締まった文章を書いた作家宇野千代の発言だけに説得力がある。 宇野千代の言いなりか
自分の意見は皆無かよ
虚しいのお 自分の意見(笑)
久しぶりに間抜けな意見を聞いた。 有名文学者の見解に従う一般人は多いよね
自分では考えられないんだろう 結局さ、『カラマーゾフ』のテーマは
「復讐するは我にあり」なんだと思う
審判を下すのは神のみということ 主人公たちのその後が描かれていない
中途半端な終わり方だから読者が色々と想像できるので
有難がる輩が多い
「世界最高の文学作品」というのは大袈裟すぎる 主人公のその後が描かれていないというなら、どれも未完だ。
例えば戦争と平和のピエール・ベズーホフはその後どうなったか描かれていない。
読者が想像するしかない。カフカの城は20世紀を代表する偉大な小説だが、未完
であり主人公Kがその後どこへ行くか読者が想像するしかない。
そんな理由で小説の価値を判断するとはバカとしか言いようがない。 >>597
あなたが思う「世界最高の文学作品」は何ですか?
ぜひ読みたい >>598
トルストイの「戦争と平和」だろうな。読んでないなら読むことを勧める。
あとまだ完読はしてないが今読んでるプルーストの「失われた時を求めて」が
壮絶な内容で、もしかしたらこれが(自分にとって)世界最高になるかもしれない。
上に例にあげたカフカの城も世界最高かどうか知らんが、僕は感動したよ。
これくらいでいいか? >>599
その3作は傑作に間違いない
自分の好みを加味すると、ベストは『白鯨』だ しかし自分で書いてみて、世界最高傑作などという作品はないという事実に気がついた。サッカーのような審判がいないからだ。
ルールブックもない。自分の好きな作家や作品を盲目的に賛美し、反対に嫌いな作家や作品を執拗に貶す。そんなことは昔から誰
もがしてきた。この5ちゃんねるでも根拠なしに横行し、そして自分も無意識的にやってる。 https://jp.sputniknews.com/russia/202106248483947/
ドストエフスキーの生誕200周年に合わせ、新作映画がロシアで11月に公開
2021年06月24日 12:15
ドストエフスキーの生誕200周年に合わせ、
シリーズ映画『ドストエフスキーによる福音書』(4部作)が2021年11月にロシアで公開される。
同映画はモスクワ総主教府のヴォロコラムスキー・イラリオン府主教による著書を元にしている。
イラリオン府主教がリアノーボスチ通信の取材に応じた中で明らかにした。
イラリオン府主教の著書『ドストエフスキーによる福音書』は
モスクワのズボフスキー・ブリヴァールにある国立文学博物館で紹介された。
著書の中ではドストエフスキーのキリスト教観が4つの長編小説
(『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』)を基に分析されている。
その他、『未成年』や『作家の日記』に加え、メモや書簡、親類や友人による回想なども検証されている。
イラリオン府主教によると、このシリーズ映画は『ドストエフスキーによる福音書』と題され、
テレビでの全国放送が決まっているという。
イラリオン府主教は取材の中で、「制作作業をしかるべく終わらせ、
偉大な作家の生誕200周年を祝う国内のイベントに合わせて放送したい」と語った。
フョードル・ドストエフスキーは1821年11月11日(旧暦では10月30日)に誕生した。 ちょっとキザに書いてみよう。
「カラマーゾフの兄弟」の最後の別れは、文学史上最も美しいフィナーレである。
そこで想起するのは、同じく少年の死を少年と近しい者たちが回想し、そして別れ
ていく、トーマ・スマンの「ブッデンブローク家の人々」の最後である。これも同
じく切なく美しい。ドストエフスキーを尊敬していたマンが「カラマーゾフの兄弟」
からその着想を得たと想像する。 トーマ・スマンw
本当に読んでいるのかよオッサンw
解説書読んでるだけじゃないのかw トーマス・マンの墓の前でやっと会いに来られましたと言うがごとくに正座して首を垂れる北杜夫の写真を見た記憶がある しかし>>603のように感じる者は他にいるのかな。「カラマーゾフの兄弟」と「ブッデンブローク家の人々」の最終場面が
少年の死をめぐって少年と関係の深かった人たちの回想と言う点では似てる。 『魔の山』には『白痴』『カラマーゾフ』のパクリがある
『ドクトルジヴァゴ』にも『白痴』『カラマーゾフ』のパクリがある
日本人には不思議に思われる『カラマーゾフ』にある表現をロシヤ人に訊いたら「慣用表現」だという
ロシヤ人は古典文学の購読を熱心にするからその表現を慣用表現と思っているかもしれない
その表現がドストエフスキー以前にもあったかどうかは俺にはわからない
ドストエフスキー以後の小説家がパクって一般化したのかもしれない
機会があったら大学の先生に訊いてみるつもり 『白鯨』はまったく無味乾燥な文学作品だが丹念に読み込むべきだ
『白鯨』以降のアメリカ文学の作品にそのパクリがある
『白鯨』を読んでいないとわからない トーマ・スマンw
【誤字訂正】
>>610 の4行目
× 購読
○講読 独文学作品の理解のためには露文学作品の読み込みが必須だわな
「文学」においては「露文学」は世界文学の頂点にある
ロシヤ唯一の世界一だと思う 『白鯨』を無味乾燥と評するのを初めて見た
まあ、読んだ人がどう評するかは自由だが、
自分にとって『白鯨』はとても感覚に訴えてくる
艶麗にして崇高な文学作品なんだな トーマス・マンは兄貴のハインリッヒ・マンとローマで遊学してた頃ドストエフスキーやトルストイといったロシア小説を耽読してたから影響受けてる
「ゲーテとトルストイ」はじめロシア文学に触れた評論エッセイは多いし
新潮社のマン全集の評論の巻を図書館で一読するのをオススメする 無味乾燥な鯨に関する記述を調べてみたことがある
確か「呼吸孔」だったかな鼻先に一つだけあるもの
「ちょっと左側によっている」とあった
それは正確な記述だった
日本列島にある活火山の記述もある
オレは大方の意見に反し、北海道の樽前山だと思う
時間をかけてゆっくり読むべき、オレは5箇月かかった
途中で他の短編を4つ読んで息抜きした 連載中の文学は批評言論してはいけないわけじゃないんじゃないの? >>613
マンとかヘッセとかカフカなんかの20世紀文学はロシア文学の影響受けてるけど、それ以前はほとんどない
むしろホフマンがドストエフスキーにあたえた影響とかを調べると興味深いと思う >連載中の文学は批評言論してはいけないわけじゃないんじゃないの?
知らない ロシア文学とうか、乱暴に極論すればドストエフスキーが20世紀の文学を
決定したと言える。アンチも含めてだ。もしドストエフスキーがいなかったら
良し悪しは別に20世紀の世界の文学は随分違ったものになった気がする。 >>621
冒頭をロシア文学というか、に訂正。しかし面倒くさいな。 『魔の山』は主人公の病人がラストでいきなり戦場にやってくるんだな。
病人が出征しても足手まといになるだけだと思うんだが。 僕はドストエフスキーとトーマス・マンとカフカとプルーストが好きだな。
この4人に共通してるのはユーモアがあることだと思う。読んでいて声を
出して笑ったこともある。 ユーモアは一流文学作品に必須の要素だ
これは映画にもいえることだが、
巨匠はどんな深刻な題材でもユーモアを入れることを忘れない ドフトエフスキーってどうして「地下室の手記」から、それまでの初期中期の優しさ、楽しさ、ヒューマニズム
っぽいものを捨てて、人間の悪意むき出しの作風になったんですか?
それがのちの巨大な五大長編へとつながっていくから勿論いいんですけど。
嫁の看病に疲れたとかいうけど本当にそれだけ?なんか私生活であったんですか? 初期中期の優しさ、楽しさ、ヒューマニズムっぽいものって
具体的にどの作品を想定してるんでしょうか 『ステパンチコヴォ村とその住人』とか『伯父様の夢』といった文庫になっていない
明るい長編もあるのに、読んでない人がほとんどだよね
丸谷才一なんかはその2作が一番好きだといっていたな わが国の才能ある作家たち、平均的上流家庭の世界の生活をきわめて芸術的な筆致で描いたトルストイやゴンチャロフは、多数者の生活を描いたつもりでいた。
だが、私に言わせれば、彼らにしても例外者の生活を描いたのだ。
それどころか、彼らの生活こそ例外者の生活で、私のが一般的規則の生活なのだ。
私はロシアの多数者の本当の姿をはじめて引っ張り出したこと、その奇形的、悲劇的な特徴をはじめてあばきだしたことを誇りにしている。
その悲劇は、彼が自分は奇形だと意識しているところにある。
主人公としてみると、シルヴィオ(プーシキン『その一発』)やペチョーリン(レールモントフ『現代の英雄』)から
ボルコンスキー公爵(トルストイ『戦争と平和』)やリョーヴィン(トルストイ『アンナ・カレーニナ』)に至るまで、
いずれも「感心できない」けちくさい自尊心の代表者にすぎず、「育ちの悪い」人物たちだ。
彼らの更生が可能となるのは、素晴らしい手本のサクス(ドルジーニン『ポーリンカ・サクス』)、シュトルツ(ゴンチャロフ『オブローモフ』)、
ピエール・ベズーホフ(トルストイ『戦争と平和』)、ムラーゾフ(ゴーゴリ『死せる魂』)があるからだ。
しかし、それも彼らが表現したものがけちくさい自尊心の叙事詩以上のものではなかったからだ。
地下の悲劇を引き出したのは、私ひとりだけだ。
この悲劇は苦悩、自責、よりよいものを意識しているのにそこに到達できないこと、
そして、肝心なのは、これらの不幸な人間たちが、みんなこうなのだから更生する必要などないのだと明瞭に確信していることである。
ボルコンスキーはアナトールの足が切断されるのを見たとき更生した。そして、われわれはみなこの更生に涙を流した。
だが、本物の地下の人間は更生しようとしないだろう。
地下だ、地下だ、地下の詩人だ――雑文作家たちは、それがなにか私の不名誉のようにこう繰返したものだ。
これは私の名誉なのだ。ここには真実があるのだから。
(『未成年』創作ノート) >>627
貧しき人びと、賭博者、死の家の記録、虐げられた人びと
もちろんかなり暗い世界ではあるが。 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。
江川卓さんの、謎解き『カラマーゾフの兄弟』で取り上げられた。
去勢派の白いキリスト・スメルジャコフについて書きました。
これからも、ドストエフスキーについては、書いていきたいと思います。
よかったら、読んでみて下さい。
愛の爆撃(君にラブしています)
https://ameblo.jp/henomotin2/
お笑い『堕落論』(41) で書いています。
おもに、統一教会や韓国について書いています。 >>632
去勢派はマタイ5 30 を連想させるし、そのあたりが根拠になったのかもしれません
文字通り読むってことはそういうことにならざるを得ない様です
解釈ならば現実と整合性を保っていける
正解を付けのは難しいけど、宗教的に生きていける人は尊敬します
マタイ5章
30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である >>626
「地下室の手記」以降それまでの初期中期の優しさ、楽しさ、ヒューマニズム
っぽいものを捨てて、人間の悪意むき出しの作風になったというより
人間の悪意などのダークサイドに敢えて切り込んで描いていく方途を実現したのが「地下室の手記」なのではないかと いきなり貧しき人々を書いて激賞を受け舞い上がちゃったんだろう。
若気の至りというやつ。そういう事情だから普通ならデビュー作が最高傑作
となって終わるところだったが、粘ったなこの人。
奇怪な怪人、怪物をたくさん描いたが一方でアリョーシャのような天使のご
とき清純な人間をも描いた。
それだけは誰もマネが出来ないドストエフスキーの本領だったと思う。 新潮文庫からでているのを全部読み終わったのだが、
全部例外なく面白かった。さすが文豪。
この作家の小説は上質な映画のような展開をするんだよなあ。 続き
思い切り緊張感を高めたり、「ええ!」と思わせる展開をしたり、
少し驚くような結末などなど、いろいろな仕掛けがきちんとほどこされている。 >>628
> 『ステパンチコヴォ村とその住人』とか『伯父様の夢』といった文庫になっていない
> 明るい長編もあるのに、読んでない人がほとんどだよね
読んでないw 去勢派(スコプツィ(Скопцы)というらしい)はいくらなんでもカルトだろと思ったが
とあるブログに「正教会側からは「古儀式派」と同様に「ラスコーリニキ(分離派)」と呼ばれたため、
しばしばスコプツィを含む「霊的キリスト教」諸派は、「古儀式派」と混同される」と書いてあって
なるほどラスコーリニコフはスコプツィではなく正統から見た異端かと腑に落ちた 森鴎外が重訳した「鰐」は読んで面白い。とても「罪と罰」と同じ作者と思えない。
ドストエフスキーの翻訳としては早い方じゃないのかな。 評価イマイチの初期短編中わりに評判のいい「弱い心」を読んだが
キングの傑作「シャイニング」に似たシーンが出てきて興味深かった
大作家も大変なんやね >>639
> 去勢派(スコプツィ(Скопцы)というらしい)はいくらなんでもカルトだろと思ったが
> とあるブログに「正教会側からは「古儀式派」と同様に「ラスコーリニキ(分離派)」と呼ばれたため、
> しばしばスコプツィを含む「霊的キリスト教」諸派は、「古儀式派」と混同される」と書いてあって
> なるほどラスコーリニコフはスコプツィではなく正統から見た異端かと腑に落ちた
こんな他国の、自分とは関係ない宗派の無用の知識について、考えてる時間があったら
信仰を実践すべきはずなのに、そこに気が付かないのかい? 僕なんかもうドストエフスキーを読むという習慣がない 最近、『分身』と『永遠の夫』を読んだが、やはりドスト節は健在だったね
晩年の大作だけがこの作家の本領ではない 永遠の夫もレヴェルの高いイタリア映画みたいだったなあ 『未成年』面白い
レヴェルの高いソ連映画みたいだったなあ 最近、『未成年』を再読したのだが、やはりドスト節は健在だったね
晩年の大作だけがこの作家の本領であるね 「未成年」は妙にリアルというか、貧乏くさい世界であって、そこが良い。 『分身』はベルトルッチが映画化した
まさにイタリア映画だ こんなに胸が熱くなる作家に出会ったことがない
冷徹な皮肉さと裏腹の罪悪感による個人の苦しみ...
そこに社会史的な思想をぶち込んでくるスケール感。もはやカオスでありながら圧倒される。
最近だと進撃の巨人くらい、それに近いものは感じたけど。 カラマーゾフの兄弟もレヴェルの高い日本映画みたいだったなあ 白夜はフランスのブレッソンも映画化した
ヴィスコンティ版と甲乙つけがたい秀作 映画と言えば、ソ連の「カラマーゾフの兄弟」を見たことある。
これが目当てだったけれど、併映の同じソ連映画「誓いの休暇」に感心した。
主人公の名もアリョーシャだった。
年齢も20歳くらい、正義感が強く皆に愛される性格も似ていた。 ソ連映画の『カラマーゾフ』
NHKBSで放映したのを録画した
役者が年を食いすぎている
因業ジジイも滑稽だし
ラストシーンも原作とは違うし見る価値ないな >>654
ドストエフスキーの熱心なファンだった原節子がナスターシャ役を自ら
買って出て、黒澤明監督に映画化を提案したという。 >>659
その話には前段がある
芥川原作『薮の中』を映画化した「羅生門」で結果的に京マチ子が演じた役を黒澤は当初原節子にオファーした
原は演じたがったが、義兄の熊谷久虎が反対したため、断わることになった
その代わり、『白痴』ならOKと 今年の夏はドストエフスキーとチェーホフの中短編小説を読む。
さしあたり、久しぶりの再読「退屈な話」から初めて
その次はドストエフスキーの何か。 >>656
自分が持っている角川文庫『白夜』の表紙カバーはブレッソン版のスチール写真
映画を見てから本を買いに行った
1980年頃だね 三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より
(E)ロシアの僧侶とその可能なる意義について
敬愛する諸師よ、僧侶とははたして何者だろう? 現今、文明社会においてこの言葉は、すでに冷笑をもって発しられている。それのみか、中には 嘲罵の言葉として取り扱っている者もある。
<< 現代日本も同じ これは時を経るに従って次第に激しくなる。もっとも、悲しいかな、事実僧侶仲間には多くの徒食者や、肉の奉仕者や、 邪淫のやからや、傲慢な無頼漢が交っている。世間の教養ある人々はこの事実を指さして、
『お前たちはなまけ者だ、無益な社会の 穀つぶしだ、他人の労苦で生きてゆく恥知らずの乞食だ。』という。 しかし僧侶の中にも、真に謙虚温順な人たちがたくさんあって、静寂な孤独の中で熱烈な祈りを捧げることを渇望している。世間の人はあまりこの種の僧侶を指さし示さず、全然黙殺の態度をとっている。それゆえ、もしこれらの孤独を渇望する謙虚な僧侶の中から、ふたたびロシア全土の救いが現われるかもしれぬなどと言ったら、どのように驚くかしれないだろう! いや、まったく彼らは静寂の中にあって、『一時より一日、一日より一年と自己の鍛
錬をしているのである。今のところ、彼らは孤独の中に閉じこもって、古い古い昔
の 祖先、――使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも
曲げることなくそのままに保存して、時いたらば現世の 揺らげる真理の前 に、この
姿を掲げ示そ うとしている。ああ、なんという偉大な思想だろう。この星はやがて
東の空から輝き 出すのである。 << 僧侶とはなにか? キリストという言葉にとらわれてはならぬ。 私は僧侶についてこんなふうに考察する。これがはたして偽りだろうか、傲慢だろう
か? これを知るに は世間の人の現状を見るがよい。
人民の上に君臨している社会において、神の姿とそ の真理が曲説 されていないだろ
うか?
彼らの社会には科学がある。しかし、科学のうちには五官に 隷属するものより ほか
何一つない。人間の貴き一半を形づくっている精神界は、凱歌でも奏するような 態
度で駆逐され てしまった。いな、むしろ増悪をもって拒否されたのである。
彼らは自由を強調して いるが(これは最近 に至ってことに甚しい)、このいわゆる自
由の中に得るものはなんだろう。ただ、隷 属と自滅に過ぎぬで はないか! 何故かと
言うと、世間の人は、『お前らは欲望を持っているのだから、大 いにその満足を図
るがよい。なぜならば、お前らも貴族や富豪と同等の権利を持っているからだ。欲望
は恐るるところなく 満足させるばかりでなく、進んで増進さすべきものだ。』と叫
んでいる、――これが 彼らの教義である。 彼らはこの中に自由があると思っている。 ところで、この欲望増進の権利からいかなる結果が生じたか? ほかでもない、富者にあっては孤独と自滅、貧者においては羨望と殺人である。そのわけは、ただ権利のみを与えて欲望満足の方法を示さないからである。 光文社スレより、未成年が亀山訳で10月以降に出るそうだ やっと出るか、ヴェルシーロフは「わし」じゃなくて「わたし」って言ってくれよ >>674
『未成年』は最も好きなドスト作品なので、3つの翻訳を持っている
工藤訳ではわし、米川訳と小沼訳ではわたしになっている 日本語訳は、一人称の選択を間違えると作品全体が台無しになってしまう、日本語の恐ろしいところである 『未成年』は日本だけではなく海外でも注目度が低いんだよね。
イマイチ盛り上がりに欠けるままダラダラと話が進んでいくのは、これはこれで良いと思うんだが。 キリストは体格人種年齢宗派を広げすぎてるから失敗に終わるだろう。 30歳ニート、暇すぎて原書で読むためにロシア語始める >>677
他の大作のように狂人が登場しないからね
その分秘めやかに内的なドラマが進行するのがセンシティブな感銘につながる 白痴ほんと素晴らしいね
10代の頃に読んでたら今とは変わった人生歩んでたろうなと思えるレベル >>683
白痴は本当の傑作だな。読むたびに何か新しい発見がある。
プルーストも自分が読んだ中で最高の小説と書いてるね。 いきなり原卓也訳『カラマーゾフ』でもいいかも
江川卓訳の『罪と罰』『悪霊』なら、それぞれ1箇月で読了できる
『白痴』は木村訳がいいと思うけれど、結構手こずる
『未成年』は工藤訳しかない プラン@
『カラマーゾフ』⇒『罪と罰』⇒『悪霊』⇒『白痴』⇒『未成年』
プランA
『カラマーゾフ』⇒『罪と罰』⇒『白痴』⇒『悪霊』⇒『未成年』 『未成年』は先月光文社から亀山郁夫訳が刊行され始めた
『白痴』は河出の望月哲男訳か岩波の米川正夫訳がいいだろう
『悪霊』の江川卓訳は「スタヴローギンの告白」を巻末に置いているのが気に入らない
この章をしかるべき部分に置いている翻訳の方がいいだろう 亀の翻訳は勘弁だわ
望月訳はだらけた日本語で嫌い
米川訳『白痴』も悪くはないが、
木村の『白痴』は名訳だと思う
ただちょっと解かりにくい >>685
「貧しき人々」を最初に読むのもいいと思う。読みやすいし、泣ける。 ドストエフスキーに限らずトルストイやソルジェニーツィンでも、
木村浩の翻訳で感銘を受けたためしがない
誰かが木村訳を貶して学者バカと評していたが、同感だ >>687
自分が読んだ順が正にプラン2だった
個人的には良い順番だったと思う ドストエフスキーのすごさってどこなの?
人間の矛盾を肯定するというか、わざわざ表現した感じで、まあ面白いと言えば面白いのかなと思うけど、宗教とか時代背景が分からないと、やっぱ凄みは分からん系のパターンなんかね? 、
705 名無しさん@お宝いっぱい。 [sage] 2019/07/20(土) 10:58:59.85 ID:cQ08ta2z0
港区高輪に存在する、カルト宗教の施設です。この治療施設には密かに蛇神が祀られている
部屋があるそうです。
https://tokyo.moa-natural.jp/
世界救世教・東方之光・MOA
の内部では毒物や薬物による信者の暗殺が行われている。
お茶に細菌を混入させることにより、施設内で体調不良を訴えることなく、
一週間以内に発病させ、病院で死ぬ。なんの証拠も残らない。
オウムと同じように多数の優秀な医師が教団施設には勤務している。
港区にある高輪療院には常時医師が5-6名在中していて、保険適用の
アドバイスを行っている。
健康科学センターもあり、研究者や学者もいるが、暴力団山口組との癒着もあり、
生物兵器の培養が行われている可能性もある。
炭疽菌などをお茶に混入させて死亡させているとすれば、
オウム真理教と同じ警戒レベルの、生物兵器テロ組織とも考えられる。
http://www.mhs.or.jp/
現在、教団内では暴力団による宗教を派閥で乗っ取る方向で進められていて、
東方之光による、教団の独裁が計画実行されている。 >>693
頭の良さと感性の鋭さのない人間にはドストエフスキーの凄さは分からん >>691
> ドストエフスキーに限らずトルストイやソルジェニーツィンでも、
> 木村浩の翻訳で感銘を受けたためしがない
> 誰かが木村訳を貶して学者バカと評していたが、同感だ
木村の『白痴』読んだのか?美の極地だけど。木村は白痴だけを愛して入魂の翻訳をしたらしい。 >>695
> 頭の良さと感性の鋭さのない人間にはドストエフスキーの凄さは分からん
どちらもちがう感じがする。アリョーシャのごとき善を求める心ではないか?必要なのは。 この文学板のドストエフスキースレは昔から、アリョーシャと真反対な悪質性が強い退廃した不幸な人物ばかりが巣食っている。
ゆえに偉大な文学を愛好すれば幸福になるという方程式は絶対に成り立たないことが証明される。 地方貴族の話だろ
読む必要なし
ドストエフスキーの作品は
作り物臭くて飽きてくる 地方貴族の話だから読む必要がないと思うかどうかは人それぞれだからどうでもいいが
作り物臭い作品とそうでもない作品の差が激しい作家だとは思う 二重人格、虐げられた人々と、あまり傑作視されていない作品の中にもにも良作はある
ステパン村にも期待する >>703
一般的な評価なんか気にせず、自分で読んで評価しないと文学は面白くない
俺は『分身』は力作、『虐げられた人びと』は傑作と思っている
『貧しき人びと』は凡作 >>686
ドストエフスキーは他の大作家と違ってさくさく読めるのがいいところじゃない?
文体よりも構成とストーリーと人物像を味わう作家
だいたいの長編は風雲急を告げる展開だからスピードも大事
1作に1ヶ月もかけていたらかえって味わいが薄くなりそう まあでも白痴は作中の時間同様に間を空けながら読んでもずしんと来るものがあるかもね イッポリート:あの女を縛ってくれ、お願いだ、縛り付けてくれ!
ヴァーリャ:私もう死ぬわ!ああ、何で私たちがこんな目に!
レーベジェフ:手を出せ、手を突っ込むんだ、口ばっかりのろくでなし!燃えちまう、燃えちまう!
ガーニャ:ああ、いや、いや、いや!
ナスターシャ:燃えてる!燃えてる!燃えてる!
ロゴージン:好きだ!愛してるぜ、女王様!
イッポリート:死だ!死だ!
ヴァーリャ:兄さんを助けてあげて!助けてあげて!
レーベジェフ:この私なら歯でくわえてつかみだしましょう。跪いて、泥の中でも這いましょう。
ムイシキン公爵:ああ、なんて不幸な人たちなんだ!
レーベジェフ:跪いて!泥の中を!イモ虫のように這ってやる!
ナスターシャ:燃えてる!ぜんぶ燃えてる!ぜんぶ燃えてる!(中略)
イッポリート:みんな平気なんですね、ぼくがじきに死んでも!残酷な、冷たい人
たちだ!本当に死期が近いんですよ!2週間と言われたんです!
ナスターシャ:全部燃えるがいい!世界中の金が燃えてしまえばいい!ルーブリもドルもフランもマルクも円もシェリングも、みんな燃えるがいい!
ロゴージン:好きだ、お前が好きだ!お前の中には、世界中の女たちがいる!俺は彼女たちを感じる!俺は彼女たちを知っている!俺は彼女たちが欲しい!
ヴァーリャ:妹の愛!純粋な、神聖な、妹の愛!それは無私の愛!売ることも買うこともできぬ愛!この世の何よりも貴重な愛!永遠の、果てしない愛!
公爵:苦悩と痛み!世界の痛み!これこそわれわれを救ってくれるものだ!ほら、聞こえるでしょう、孤児や貧しき者の痛みが!虐げられ、辱められた者たちの痛みが! ナスターシャ:じゃあ、お聞きなさい、ガーニャ。最後にもう一度お前さんの性根を見てみたいの。三カ月も私を苦しめてくれたんだから、今度はこちらの番よ。この包みが見える?十万ルーブリ入ってるわ。これを今この暖炉に、火の中に投げ込むの!
そうして全体に火が回ったら、すぐに暖炉に手を突っ込みなさい。ただし手袋はしないで、むき出しの手でね。そうして火の中から包みを引っぱり出してごらん!見事取り出せたらあんたのものよ!十万そっくりね!みんなが証人だわ、この包みはあんたのものだって。私はあんたの性根をとっくり見せてもらうわ。あんたが私の金を取ろうと火の中に手を突っ込むのを見物しながらね!もし手をつっこまなけりゃ、そのまま燃えてしまうのよ。他の人は手を出しちゃ駄目!私のお金なんだからね!私のお金だろう、ロゴージン?
ロゴージン:ああ、お前さんのだ!お前さんのだぜ、女王様!
ナスターシャ:そう、じゃあみんなどいとくれ。邪魔はなし。レーベジェフ、火を
ちゃんと起こして!
レーベジェフ:ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が動きませんよ。
ナスターシャは暖炉の火掻き棒をつかみ、中のおきをかき立てたててから、包みを投
げ込んだ。
イッポリート:この女を縛るんだ!やめさせろ!
ヴァーリャ:だめ、だめ、だめ!ガーリャ、はやく!
レーベジェフ:(ナスターシャの前に跪く)ご主人様!女王様!全能の女神様!十万ですよ、十万!わたしに暖炉へ入れと命令して下さい。丸ごと入って見せましょう、この白髪頭をそっくり突っ込みましょう!足なえの病弱な妻がいて、子供は十三人――それもみんな孤児で、先週父親を葬ったばっかしで、腹を減らしているんですよ!
(暖炉に入ろうとする)
ナスターシャ:(レーベジェフを足で蹴りつけて)おどき!ガーニャ、何を突っ立ってるの?恥ずかしがってる場合じゃないわ!手を突っ込みなさい!運をつかむのよ!
ガーニャは火のついた包みを呆然と見ている。 >>704
確かに、分身は力作だが、貧しき人々は凡作。
あと永遠の夫も凡作だと思った ドストエフスキー五大作品はわかるけど3大作品ってなるとなんだろうな。罪罰、カラマーゾフとあと一つは? ドストから3つ選ぶなら、『未成年』『虐げられた人びと』
『ネートチカ・ネズワーノワ』だな
世評など俺は無視だから こいつずっとこのスレで同じようなこと言ってんな、暇すぎるだろ 「五大作品」なんて言うかなぁ?
「五大長編」とは言うがなぁ 『罪と罰』はサスペンスとしては秀逸
『白痴』はありそうもない話
『悪霊』はいまいちピンとこない話
『未成年』は割と面白い
『カラマーゾフ』はまとまりのない話がダラダラと続く
散漫すぎる
作者が生きていたなら書き直したんじゃないのかな ドストエフスキーを有難がるヤツって
大概読んでいないヤツが多いw 読んでいない人が有難がるってのはよく分からないね、大抵の読書家は好きな小説を偏愛するものだろう?
>>717のような人は物語としてしか小説を読めない人なんだろうけど、エンタメ風に楽しむ分にはそれでもかまわないでしょう ドストエフスキーの作品を
ロシア人がロシア語原書で読むのと
日本人が日本語に翻訳されたものを読むのとでは
後者の方が理解しやすいと言われている ロシア人にとってでさえドストエフスキーの文章が難解なのを
優秀な日本人翻訳者が整理して理解しやすい日本語にしている
それでも難解だ
だがそれゆえに有難がっている日本人も多い
ロシア人は小難しいことを考えずにエンタメ小説として読んでいる 少なくともロシア語の初歩を勉強してから
偉そうなことを言うべき 日本人もエンタメ小説として読んでますよ
読んでないのに批評だけ読んで読んだことにしたい馬鹿が偉そうなことを言いがちだけど ドストエフスキーの作品のどういう点に価値があるのか3行で教えて くだらない作家の一冊よりドストエフスキーの一ページの方が価値があると
とある作家が言ってた ドストエフスキーってロシア初の職業作家らしいけど、当時から結構読まれてたのか
同時代の評価はどんなだったのかな
今ほど神格化されてたのかな >>736
ロシア初の職業作家ってとこかな
これは、ステパンチコヴォ村の解説で読んだんだけど
作家活動以外の収入源を持っていなかったのは、ロシアではドストエフスキーが初めてだったということらしい 岸田首相、正月休暇用に購入した書籍『カラマーゾフの兄弟』を1巻で投げ出す「これは無理だな」長男に「読んで内容を教えてくれ」 [Stargazer★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1673335596/ >>740
これは情けないな
ドストエフスキーが読めないんじゃ、プルーストやフォークナーは
もっと読めないだろうな
プーチンが好きな作家だから、ドストを読もうと思ったのかな? ずーっと思ってたんだが、ドストエフスキー作品のめちゃくちゃ長い台詞のやりとりとか漱石のこころなどのありえないほど長い手紙とか、小説としての結構はどうでもいいのかな
若いころは「文学的時間」などというわかったようなわからんような言葉で言いくるめられてたけど 一国の宰相が『カラマーゾフ』を読了できないで投げ出すとは恥ずかしいかぎり
知的能力を疑うな バルザックの『谷間の百合』なんて、あの分厚い一冊が一通の手紙だからな
小説というテクストは現実世界の似姿であって、現実そのものではない
だからこそ、このテクストをさまざまな角度から研究する人たちがいる
小説と物語を峻別する批評精神を養いつつ読むと面白いだろう 五大長編で一番読了するのムズいって何?ちなみに俺は魔の山は読了した。 だれがキッシーにカラマーゾフを読めと言ったのか
その意図も知りたい >>745
人物が多くて殺人もなく邦訳が少ないという点でみたら未成年 >>745
魔の山はトーマスマンだろ
ドストエフスキー作じゃなく世界5大長編て意味?
そもそもそんなのあんのか? あ、そうか魔の山読了したからドストエフスキーの最難関作に挑戦したいって意味か そうだよ。未成年が一番難読なの?意外だな。五大の中だと一番知名度はないよな 【中止しろ】 コロナより、ワクチンで、死者でてる
://egg.5ch.net/test/read.cgi/cafe60/1671073993/l50
文庫で出た『ステパンチコヴォ村とその住人たち』はうまく書かれた小説で
退屈はしないんだが、読み終えたあと何も残らない
この長編があまり注目されてこなかったのもむべなるかなだ ドフトエフスキーは、偏執狂そのものだがこの小説群は慣れると癖になる。
彼は死刑寸前まで追い込まれ刑務所暮らしも経験していて並みの人生とはほど遠い行路を歩んで来た。
だからこそああいうシツコクねっちりとした小説を書き連ねたのだろう。 日本の作家に人気が高いから知名度があがったんだろうな
作家って自分の作品で引用文(もちろん作家、作品名も書く)使うのが好きだよね >>756
小説とは引用や模倣が当たり前の文学ジャンルであると知りたまえ 古い文庫本は黄色くなってシミまで出来て
同じ訳の新しいの買おうかなあ 古典とは引用はされるが、決して最初から最後まで読まれないものである >>758
そういう本には愛着が湧くけどな
高校生の時に新本で買った新潮文庫『罪と罰』は米川正夫訳だ
紙はヤケて茶色になっている
工藤精一郎訳に買い替える気はない >>760
米川氏の訳は味があって好きなんだが、なにせ文体が古いからほら
同じ作品でも訳違いで随分ニュアンスが変わってくるから別物として捉えた方が両方楽しめていいかも いや、米川正夫訳は意外と古めかしくはない
例を挙げよう
「とつぜん、彼の傍へソーニャが現われた。ほとんど足音も立てずに近寄ると、
彼と並んで腰を下ろした。時刻はよほど早かった。朝寒はまだ柔らいではいなかった。」 >>758
古い文庫は大切にしたいけどつい大切に扱ってしまうよね
新しい方が気軽に読み直せるので
私はヨネマサのカラマーゾフ新たに買い直しましたよ 工藤精一郎さんってハルピン学院でてるんだな
僕の父の従兄がここを出て総合商社マンとして勤務
ロシア語、仏蘭西語は英語以外に論文執筆できるレベル
1923年生まれだったからハルピン学院で間違いなく邂逅してる
このハルピン学院と上海にあった東亜同文書院大学は全寮制で学費は不要どころか
大日本帝国政府文部省から小遣い程度だが支給
この時代だと貧困家庭の出自でもアタマがピカ一ならここか
陸軍幼年学校かこの辺の大学へ進学
現在だと、46道府県の出資で僻地医療の改善を目指した自治医科大学とか
防衛大学校、防衛医科大学校、気象大学校、航空大学校
それから旧試時代の司法試験、これらは後5つは特別国家公務員で給与が出ます
防大が一番簡単で東京六大学、関関同立に合格できる程度のアタマがあれば
体力的に良い肉体に強靭な精神力があれば合格
ほかはちょとやそっとのアタマじゃ合格は覚束ない 亀山郁夫さんは、みなさんならどういう評価を下すんでしょうか? NHKでよくドスト語ってるよね
訳は読んだことないけど貴重な存在だとは思う まあ、ドストエフスキー自体がレイシストだからな
相手がポーランドとかドイツとか
露助ってのはそういうものなのだろうが >>766
メディアとうまく付き合うセルフブランディングに長けた人
無知ゆえの誤訳が多いし日本語の文章自体がうまくない
翻訳者としては二流だと思う >>770
なるほど、分かりました
市場調査能力は高いが、ロシア語に対する理念とか信念が無い
行政能力はあるが政治能力、カリスマ性は無い 簡単にいうと、米川さんとか工藤さんとの比較の対象外ってこったのん
米原万里、もう亡くなって久しいがこの人、みなさんはどう評価?
週刊文春に連載されていたエッセーは軽妙でセンスを感じましたがー 亀山の本一冊だけ『ドストエフスキー 謎とちから』買って読んだ事あるけどマジで国語力が拙すぎて何書いてるのか読み取れなかった
江川卓や中村健之介、望月哲男や山城むつみの評論と雲泥の差
まだ若手の高橋和之の方がマシ >>773
最後の若手っていうのは高橋知之のことかな
良くも悪くも学者バカで知識面では亀山よりは信用できるね
訳文は理詰めで小説の文章としては死んでいる >>772
米原万里ってロシア文学の翻訳したりドスト関連の著書出したりしてたかな
通訳というイメージしかないけれど 亀山郁夫の翻訳は問題ないが、どうもロシア文学者から人間的に嫌われているね
嫌いだから、翻訳にもケチをつけている印象だ 全く問題ないね
訳文の読みづらさや疑問点に立ち止まったことはない
解説にはほとんど目を通してないけど だよねー世間的には亀山さん、それなりに評価されてるし講演も別に問題はない
文学って好みの問題であり、肉好きな人は懐石や精進料理を貶すだろうし
その程度の好悪でしかないよねー
こんな5chっていう、とてもとても狭い世界で決められるべきものじゃ無いもんねー >>776
なんでー亀山郁夫さんがロシア文学の中の人から嫌われてるんだろう? 好悪は相半ばする作家こそ最高です
八方美人って誰からも愛されているように見えますが
実は誰からも必要とされてないし、誰からも愛されてないどうでもいい人
世間、社会のフロントにその世界から出たわけで
拍手と同時に矢面に立つ器量が無いとアカンはな とりあえず亀山信者は訳の読みやすさより彼の悪霊解釈を分かりやすく解説してくれ >>781
江川訳では『ドクトル・ジバゴ』は良かったが、『悪霊』はイマイチ、スタブローギンの告白が巻末なのもイヤ >>785
亀山訳でよかったよ
古典新訳文庫のゆるい文字組みも相まって切迫感よりも交響曲のような優雅さが感じられたね 女性は古本を非常に嫌がります
神田神保町界隈を散策してて古本屋に屯してるのは男のみ それじゃ、西村賢太みたいには絶対なれないわ
それこそ石原慎太郎に心底バカにされる人物だ 石原慎太郎の小説ってまだ生き残っているのかね?
タレント本路線以外のもので 新潮版の悪霊ってスタヴローギンの告白が巻末についてるだけど、2部8章が終わった段階で巻末に飛んで読んだ方がいいの?それとも掲載通り最後に読めばいいの? 校正の段階では3部1章としていたって注にあるから3部1章にはいるとき読めばいいのか?教えてドストエフスキー博士 そうやって悩む人は亀山訳か岩波文庫の米川訳、筑摩全集の小沼訳を読めばいいよ
なにせ江川訳のみ巻末なんだから >>792
慎太郎は政治家稼業に入る段階で作家はアルバイト感覚に成ったと思う
したがって、死んだら無に帰して頂いて結構というスタンスだと思う 亀山は8章の後か。そこで読むのがどうやらいいらしいな >>797
古本は処分して頂いて結構というスタンスね スタヴローギンの告白ってどっちにしろちょっと浮いてるよね >>799
あの人、凄く気が小さくて神経質な人
裕次郎さんの方が格段に度量がある >>800
たぶん当人は怒らんよ
それで良いのだ、って宣うはず 石原のことは石原のスレでやれよ
こっちはドストエフスキーにしか興味がないんだから 加賀乙彦さん逝去
著書品切れ絶版が多いよな
ドストエフスキー関連で欲しいのがあるが古本は嫌だ 国家が殺人をしていいのか?
この矛盾に心を砕いた御仁 髭長髪少なく有効な男性の兵力がいない。
そう考えると刑務所警察署もほとんど公務員を装った詐欺で法的に無効。
こんな古典時代はよかったのか。 >>809
加賀さんの書籍はレベルが高くベストセラーとは真逆ベクトルやでー
この人の本を読解できる人、皆無ですわ 法律は男性18才女性16才以上は全て結婚できるという無法。
政治力というのは対セクハラ暗殺力にも比する。 女性の美貌本質を守り童貞の心理を助けろ。公認心理師の出番。 ドストエフスキーはまだ若い完全な文学ではない。馬良政治力最高97は法律に勝る。 おれは明治大学政治学政界のドンだったけど法律には首をかしげざるを得ない。 訪問看護に来てもらってる。精神科デイケア作業所クリアした。
しかし警察や刑務所、裁判、プラスの権力なんて多重障害者宗教芸術のマイナス世界に無力だろう。精神身体知的心理神経障害など。 繁殖が奇跡的にあるということの邪魔でしかない権力。 星空の破壊力や祈祷の力と切り離され夜空に煙草を吸うこともできない場所が二つある。
刑務所と精神病院だ、皮肉だがリスペクト。 ある意味で星空から切り離された不自然な都市社会のその二点に強制的に滞在させることは
無効にしておく。 夜外出が出来てタバコが吸えるなら誰かは訪れるかもしれないな。
精神病院のほうがバリアフリーだから、刑務所は断っておいた。 そう考えて罪と罰やソフォクレスを読み返してみたまえ。 俺は精神科の君主に永遠にお仕えするから法律的にも精神病院以後へ誘導されてる。
プリズン(刑務所)の仲間にエール。 きついことという面で共感しあえるんじゃないか対立だけじゃなく。 人を苦しめるためではないその二つは。ひとを能力化していくんだ。 そういう意味では現代社会ではそんな施設は意味が分からない。古典研究など。 ドストエフスキーやソフォクレスに心理がいたらと。俺も心理で世界を作り替えた。 人間モノというのはつまらないがそのダークゾーンさ。 ある意味最強組織だと思う。ドストエフスキーがつまらなく見えるやろ。 デイケアの店舗に性欲の倫理が厳しいその組織を置けばいいさ。全世界。 精神分析鑑定で殺しの手法とヒーリング力を診てみる。 知らないこと体験ないことを下にして扱うということを避ける。 知らなかったでは済まされず知っていたなら悩むべきだ。障害のことは。 そっか、じゃ次はリノリウム張りの拘束室で抑制剤を注射され拘束着を装着されるんだね? 障碍者の疲弊考えると、仕事量は不自由なほうが膨大だ。 足腰の神経は奇跡や治療で治ったが。まあおしめのしつけ。
ある意味その二か所はサイコテレパシーの連帯ようなもので監視されてるとおもえ。 刑務所 ロウヒロイン 精神病院カオスヒロイン
なら警察病院精神科はニュートラルの稀有な属性だね。 ニュートラルヒロイン 誰もがダンジョンの他人でダンジョンの主人公。 まあ引退したらセリフでもいうね。隠れキャラキャル男じゃないが。 刑務所ブランドで呪いの武器造ればいいんじゃないの 精神病院は神防具。 ニュートラルヒロインは 精神攻撃スキルのようなものを考案すればいい。 人生をプロデゥースする側に立って初めてわかいDDTダブル童貞に先輩からの感謝を返せる。そういう意味では本当の自分にとってのヒロインはどんな属性でもいい時代の妖精に偏る姉ではなく統合失調症でもない。 自分のリアルな時間に若い現実時間が退屈にならない様に。 狂気と悪 ロマンとリアル 失われた時代、完璧な瞬間が無いこと。 要するに主観と客観の合一は無理だという問題。カントも思い出して。 自分に主観と客観があるとか他人にもあると想定できるということは究極確認も論証もしようがない。退屈と待たせるの時間論。 荒しているの「学術」さん笑?
益田裕介先生のYouTubeチャンネルへようこそ このスレで誰かが加賀乙彦のことを書いたら、アラシがやってきた
ドストエフスキーのことだけ語ろうぜ
新潮文庫はいい加減
スタヴローギンの告白を8章のあとに入れるべきだな 偏執狂なドフトエスキー関連の書籍は、古本じゃないとアカン
古本の黴臭い埃臭い、その質濃さこそ彼の精神を体現してます 小木貞孝博士は東京拘置所の医官で何人もの死刑囚の最後の脈を取った偉人
死刑停止で命拾いした『死の家の記録』を描いたドフトエスキーとは導通してまんがな 岸田文雄首相の思わぬ“挫折”…正月休暇用に購入した『カラマーゾフの兄弟』を1巻で投げ出していた!
https://smart-flash.jp/sociopolitics/217326/1 >>809
専門論文だと「拘禁反応」に対する論考があります
これはネット上で閲覧可能だ
加賀乙彦さんの小説はあまり売れませんから初版で絶版になった作品が多い
とても読者にモノを深く思考させる良品が多いが今の軽い時代には即応しません
https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E8%B2%9E%E5%AD%9D
PDFでDL可能です >>885
君の軽ーい頭なんか、カールのオジサンでも売買に参加はしません 創価学会の信心によるカラマーゾフの兄弟
tps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1675706846/
文学板トップを絶賛独走中。
ドストエフスキーと信仰の問題を創価学会の信心によって語り尽くす!
> カラマーゾフの因業ジジイが好きな変態プレイは何?
せんずりだよ。因業ジジイとはお前だよ。
15 名前:吾輩は名無しである []: 2023/02/07(火) 18:03:19.96 ID:DLJYs+3c
センズリが変態プレイかよソーカの爺さんw
>>15
> センズリが変態プレイかよソーカの爺さんw
カラマーゾフの兄弟についてのみ答えてやる。怖がらずに質問してみろ。
お前らは孤独で、なにも信じられず、この世の底辺だ。だから俺が怖い。
とくに文学板の連中は、2ちゃんの中でも最低の異常者の集まりです。
だからこそ信仰がいるんです。 トルストイの方が好きです。地下室の手記は凄いけど。 ジャズ・アンビエントから、少しずつSF的な顏を出してくる流れ
なかなかオモシロくないですか?
//youtu.be/f0og1UrDFy0 難しい悪霊とかも読むのか?凄いな。。。山城むつみさんがドストエフスキー本を出してたなあ。 どういう順番で読んでもよい
古本、新本、文庫、全集何でもいいから、ドストエフスキーの
長短編すべて揃えて読むべし
人生が変わって見えてくる 『悪霊』は難しくないだろ
『未成年』は途中で飽きてくる
工藤訳は解りやすいということだけが取り柄の翻訳 ドストエフスキーの全作品制覇はディケンズよりも楽かも
ディケンズ作品は入手困難なうえに、
『カラマーゾフ』よりも長い長篇が多すぎる あまり読まれていない『伯父様の夢』とか『ネートチカ・ネズワーノワ』
あたりが面白いんじゃないかな
読んでいる人が少ないという稀少性がたまらない >>626
やはり解説にもあるように、
1861年の農奴解放後の西欧化しようとしているロシア社会に疑問を感じた、
民衆から遊離して西欧思想に走った知識人らに対して懐疑的な目を向けてたんじゃないのか、
「そんなことやったってロシア社会は良くならんよ」って思て斜に構えたんじゃね >>905
『未成年』は岩波文庫の米川正夫訳で読んだが、
とても面白かった 地下生活者の手記、タイトルから思弁多めかと思ったら一応小説の筋はあるんだな
なんか来麦畑で捕まえて系の話だなって思った
風俗嬢に説教するおやじって現代でも使い古されたネタをまさか文豪が使ってるとはなあ・・・w 『宣告』という短篇は間違いなくドストエフスキーの最高傑作だ ソーニャ役は2002年のイギリスのドラマの子が一番可愛い 作家の日記って全然復刊されないね。
ドストエフスキーは人気あるのに不思議ね。 『作家の日記』には短篇小説も入っている
上のレスにある「宣告」もそう
とてもいいから、読まれないのは惜しい ドストを単に小説としてだけ読んでもいいが、
小説に現れたドストの思想を、マルクスやニーチェの哲学とジョイントして読めたら幅が広がるよな、うまく表現できないが、
そんな読み方してる香具師いないかい? 「作家の日記」はちくま文庫の小沼訳を読んだけど、岩波文庫の米川訳を読みたい。
河出の米川訳全集は持っているからそちらで読むことはできるのだが、文庫で読みたい。昔、古本に8000円の値がついていて諦めた。 自分が持っているのは新潮全集の川端香男里訳
この全集は緑の布装丁で手触りが好き >>923
薄っぺらい読み方しかできない方なんですね?
お気の毒ですw 一つの文に読点が四つw
こいつ小学校で国語をちゃんと習ったのかよ?
ただのマヌケだろww 工藤訳『未成年』が読みやすくて、
試しに亀山訳を読んでみたら全然肌に合わなかった 2chだったか、亀井訳『悪霊』を読んだ人が「ヴェルホヴェンスキー氏は・・・」と書き込んだら、「それはステパン先生だろ」と周囲からボコボコにされていた。 5chの文学板だったか、2chを読んだ人が「亀井訳『悪霊』」と書き込んだら、「それは亀山訳だろ」と周囲からボコボコにされていた。 >>932
人名の呼び方は亀山訳が嫌われる原因の一つ。
もっとも亀山は中学時代に「罪と罰」を読んで衝撃を受けたと言っているから、彼の翻訳の想定読者は中学時代の自分かもしれない。
ようするにジュブナイルと思えばいいんじゃないないかな? >933
単なる書き間違えでボコボコは可哀想だな
亀山訳を読んだというわけでもないのに >>931
そう、文章感覚は人それぞれだよね
自分はドストなら米川正夫訳が一番合う 『罪と罰』と『カラマ』しか読んでいないけど、オレは池田健太郎訳が好き。
池田訳『悪霊』を探しているのだがなかなか見つからない。 わしは望月哲男訳
良い訳かどうかは分からんが読んだ感触が残ってる
亀山訳の悪霊も嫌いじゃない、カラマーゾフはハマんなかったが 外大出のエリートの訳と職業翻訳家の訳ではかなり違うんだろうな?
前者は訳の「正確さ」に重きを置くだろう、
後者は正確さよりも「わかりやすさ・日本語としてこなれてる」ことを重視するだろうな? 日本語としてこなれていると、作者の文体の特徴が消えてしまう
ここが翻訳の匙加減の難しいところだろう
ところで、山城むつみの『ドストエフスキー』は必読だな >>941
そうでもない
俺はロシア語はわからないが外大出身の池内紀のカフカはこなれた日本語でわかりやすさを重視してると思う
そもそもカフカのドイツ語がこなれてて読みやすいが 亀山郁夫の後輩だが翻訳『カラマーゾフ』資産相続主題のサイコサスペンス物語にしか読めんだろう
誤訳と云う以前に基督教の無理解が酷過ぎ、低能・白痴丸出しで恥ずかしいてか悲しくなるわ
原作者と根底から世界観が異なる「全くの別物語」(!) 小林秀雄「続編と云うものが全く考えられない完璧な作品」の言葉、も滑稽。 『罪と罰』三浦春馬さん、ラスコーリニコフ演じてしまい結果、
心がもたなかった説。 いくら亀山が嫌いでもそこまで言わなくてもいいのに
いちおう外大の学長になったんだし、国際的にも認められている人みたいだし
俺は原卓也訳で読んだけど、亀山で気軽に読める今に世代が羨ましく感じる 水声社版の『カラマーゾフ』読んだ御仁はおらんのか? 【原卓也訳】もイマイチだからな
どの作品もイマイチだ 新潮文庫は【江川卓訳】『カラマーゾフ』に交代させるべきだ 佐藤優のドストエフスキー入門ていう新潮の文庫本がある
佐藤はキリスト教神学専攻してた人だが、
そのキリスト教神学の視点から見て訳しかたがおかしい訳もあると書いてあったわ 村上春樹はかなり高齢だが、彼の書く物語の主人公は基本的には若者、
その点で、村上文学はドストに近いと指摘する者もいる、
もまいらの村上文学に対する評価は? 村上はただの流行作家だろ
作品を読むのは時間のムダ 村上か、一言で云えば"sentimental"で終わり 「軸見文則」ってこのスレとしては如何?
カミュ、ドスト辺りのパクリで芥川賞詐取したクズな輩。
ド・田舎の3流以下のFラン塵(ごみ)大学出身な笑! 『地下室』の主題:「安っぽい幸福と高められた苦悩とどちらがいい?」
解答:「高められた幸福が一番に素晴らしい」 軸見文則はさ、「借りモノの苦悩」を以て
衆愚と化した無能な芥川賞審査員を巧く騙してさ笑! 中村のお手本はセリーヌだろ
カミュもドストエフスキーも全く似てない
どこがパクリなんだか
何も読んでないのバレバレ セリーヌは全く似てないだろw
まだドストのほうが分かる あすかalcoholガン決まり破目を嵌め捲りしまっt >>947
>>944は病人。孔子も、危ないやつには近づくな、と再三警告している。
関わらないのが身のため。 露文の翻訳者って外語大出が幅を利かせているような気がする。
米川正夫の影響か、はたまた二葉亭四迷まで遡るのか? 山城むつみの『ドストエフスキー』は『未成年』を
高く評価しているのが目新しい
もっと読まれてほしい長編だ どなたか後継スレを立ててください
【スレタイ】
☆☆☆ドストエフスキー統一スレッドA☆☆☆ ドストエフスキー、ドストエフスキー作品を語り合うスレッドです。
和気藹々とやりましょう。
【前スレ】
☆☆☆ドストエフスキー統一スレッド@☆☆☆
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1606958282/l50 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。