紀州【中上健次】熊野 2
浅田彰「昭和の終わり、平成の終わり」 【実のところ、被差別部落出身であることを公表して作家活動を行っていた中上健次には、一般社会の上に排除された天皇と下に排除された被差別部落民が背中合わせの存在だという神話的構図に惹かれがちなところがあった。たとえば『日輪の翼』(1984年)では、作家が「路地」と呼ぶ被差別部落が再開発のために地上げされ、追い出された老婆らを若者らが日本各地の霊場に連れて行ったあげく最後に東京の皇居前広場にたどりつく。そこで嬉々として清掃奉仕をする老婆らをおいて、若者らは新宿歌舞伎町でホストになるのだが、彼らが老婆らを見る目はあくまでも優しい。私は、ノーマルな日常社会の上にある聖なるものと下にある賎なるものの通底という神話的構図を批判しつつも、私なら直ちに否定してしまうそうした構図を中上健次が複雑なニュアンスをこめて扱っていることをいかにも彼らしいと思っていた。いずれにせよ、すでに海外に出ることが多くなっていた柄谷行人と中上健次は、「日本の外に出れば天皇をめぐる神話的構図など意味を持たない、ただマイノリティの横の連帯(アソシエーション)あるのみだ」という線で再び一致することになるのだが、それは少し後の話である。】 〈マゾヒズムの場合、法のすべては母へ投入される。そして母は象徴的空間から父を排除してしまう。〉〈ドゥルーズ「マゾッホとサド」〉 〈かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。〉 (中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収) 高橋文樹の木澤佐登志著「ニック・ランドと新反動主義」 についての書評から 〈ここら辺のリバタリアンの思想的裏付けについては本書を読んでほしいのですが、僕の抱いた印象は「スキゾ・キッズのリア充番」です。 スキゾ・キッズというのは、浅田彰が『逃走論』で開示したモデルで、「分裂症的(スキゾフレニック)」に軽やかに色んな場所へ逃走していく生き方でした。〉 高橋文樹さんは、あまりこの種のことに詳しくないので、それについて書かれていないが、 いうまでもなく「逃走論」におけるスキゾというのは、 ドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」から来ている。 そのズキゾというのは、ようするにカントの言うような超越論的統覚がばらけ気味ということです。 近年、カント哲学を精神分析的解釈する柄谷行人の本を読めばわかりますが、 これは「マゾッホとサド」においてドゥルーズが称揚した「マゾヒスト的」というのと非常に似ているのです。 ジャック・デリダ、中上健次 『穢れということ −ジャック・デリダvs中上健次−』 中上健次は、1986年時点ですでに、日本を松阪牛に見立て、 それをリゾーム的なものとして批判しています。 浅田彰は、デリダと中上の対談の現場にいながら、それに気づいていなかった、 ということになるでしょう。 浅田 [私なら直ちに否定してしまうそうした構図を中上健次が複雑なニュアンスをこめて扱っていることをいかにも彼らしいと思っていた。] その中上らしさを、もし良いと思っているならば、見習ったらいいと思うのだが、 どうもそうはならないようだから、良いとは思っていないのだろう。 6の補足 「自己意識とは欲望である」(ヘーゲル「精神現象学」〉 7の補足 いわば、リゾームは,中心のない多方向に展開していく関係性のことだ。 家父長的規範(「父」であるような超自我)からの逃走(浅田の「逃走論」のきも)と 欲望の多方向性による偶然的接続による多様な生を(ヘーゲル哲学的な目的論的生成、ではない非目的論的な生成) 「リゾーム」という概念を示して肯定した、といえると思う。 中上健次は、日本におけるドゥルーズ思想の受容の仕方が、 時流に合わせた天皇主義のモデルチェンジにしかならない ということに気づいていたといえると思う。 ×「父」であるような超自我 〇「父」であるような自我理想と同一視されるような超自我 死後急速に存在感なくなって行った作家だな 生前は何で文壇的にのさばってたんだろう? 中上の『軽蔑』は朝日新聞に連載されたが、合田佐和子の挿絵が毎回女の眼だけを描く特異なものだった しかし、単行本になった際、その挿絵は本のどこにも使われなかった あれはとても残念で、自分は連載時の1回分の新聞切り抜きを単行本に挟んである 作品はいいと思った。少なくとも村上龍とかよりは。比較してはいけないんだろうけど。 安里 朖 @St8GWBikWwNVhOV · Jun 21 裕仁下血時から死亡後にかけてだったか、中上健次の熱狂的な天皇礼賛文をよみ「とんでもねえ天皇主義者だ」と憤激して以来ずっと貶し続けてます。世の中全体が天皇熱にうかされてた時、それを更に煽り立てるような中上には恐怖すら感じた。日本人の天皇に対する脆弱性を探る上での好個の例というべき。 安里 朖 @St8GWBikWwNVhOV · Jun 21 あるに決まってます。で、あるに決まってるものに抵抗するのが左翼です。中上健次の雑文は「日本文化と天皇の絆」に抵抗しないどころか、それを称揚するもの。要は右翼耶蘇教徒・三浦朱門がいみじくもいう「天皇制は日本人の体質」をそのまま体現したような文。そんなゴミと魯迅を比較してはいけない。 Quote Tweet Kentaro_SUZUKI @suzuken2002 · Jun 21 Replying to @St8GWBikWwNVhOV 「日本文化と天皇の絆」、あるに決まっているじゃないですか? とむしろ詩人安里ミゲルさんにいいたい。「いきものががり」も当時のポスモダも「天皇の絆」です。その文化が嫌だからアニメやアニメ的日本映画ドラマを私はあまり見ませんがそれだけならまだ「楽」で、魯迅の為した国民性改造が必要です。 安里 朖 @St8GWBikWwNVhOV · Jun 24 『紀州』の抜書1つよんでも、中上健次の2流文学者ぶりがよく分る。深沢七郎は三島小説を"少年文学"と正しく称した。三島由紀夫も2流だが、文章家としては1流。少なくとも表面上はピカピカしてるのが三島の特徴。それに引替え中上は文章も2流以下で 安里 朖 @St8GWBikWwNVhOV · Jun 24 中上健次は、文壇的諸事情から柄谷行人を始めとする同世代(近辺)の文壇人からよってたかってゲタを履かされ、実物よりも大きく見えてるだけの典型的文壇作家。このクラスの商業文人に比べれば、大西巨人は確かに偉大だ。ポスモダとも結託した「吉本隆明の時代」(ヒデザネ)の産物としての価値しかない。 穢れや賤しいということを幾分、ポジティブに捉えてみせたところに中上のメリットがある。 我々はそれをさらにぐんと、推し進めるべきだろ。 近代の平等の原則から言えば貴と賤とみなされてる者もあなたや私がそうであるようにありふれた人間でしかありえないってことなんだが 中上の小説を貴種とか賤民といった視点で読み解くのは空しいし、勝手にやってろと思う あまりに被差別部落に拘泥した読解というしかないからだ それよりもテクストの言葉を綿密に読み解いていくべきだ 彼が文体や物語といかに対峙したか、『地の果て 至上の時』を読め 柄谷を筆頭とした中上一派的な批評家たちがまだぞろぞろいて福田和也以外はなかなか中上については否定的に言い難い空気があるんだろうな そのうち急速に萎むのは間違いない やるならちゃんとやってほしい 否定してやったぜ以外何も言っていないのに等しいのではあまりにも 父殺しの主題がそもそもよく分からん 秋幸はなんで龍造を殺したのかもよく分からん 神話とギリシア悲劇からみる「父殺し」の普遍性 島田雅彦 中上健次はもともと、神話やギリシア悲劇が好きだというのがある。 また、精神分析や文化人類学(この場合は「父殺し」と「王殺し」とが重なることがある)的な図式を あえて用いているというところもある。 のちには、中上はそれからずれて、↓の方向に行ったということもあるだろう。 「桜川」だったと思うが(ただし記憶が不確か)、龍造が随分と弱々しい人物として描かれていたのでなかったか。 〈マゾヒズムの場合、法のすべては母へ投入される。そして母は象徴的空間から父を排除してしまう。〉〈ドゥルーズ「マゾッホとサド」〉 〈かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。〉 (中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収) ↑の書き込みは、「神話とギリシア悲劇からみる「父殺し」の普遍性」島田雅彦 からの引用ではない。 島田氏の批評文は、参考になるので、いちおう挙げておいただけ。 中上健次論 : 王殺しと物語の定型の破壊 増田真奈美 26で書いたようなことは、↑の論文に詳述してあった。 それと、26の引用文中で中井先生が「超自我」といっているものは、 たぶん「自我理想」というほうが正確なのではないかと思う。 「 このように『羊をめぐる冒険』は『千の顔を持つ英雄』と正確に対応している。少なくともぼくにはそう思える。それは繰り返すが村上春樹の小説をキャンベルによって解釈したのではなく、『羊をめぐる冒険』がキャンベルの神話論に従って「物語論」的に物語られているからである。より正確にぼくの印象を記すならば、恐らくこういうことだ。 村上春樹は「同時代」のアメリカ小説ージョン・アーヴィングやスティーヴン・キングやトルーマン・カポーティ、『スター・ウォーズ』や『地獄の黙示録』に共通の構造があることに「同時代としてのアメリカ」を書く前後には気がついていて、そしてその構造を抜き出す際に、キャンベルを明らかに参照している。 一方では、キャンベルの『千の顔を持つ英雄』の中で単一神話論の構造に従って紹介されていった古今の神話の一部を「ジャンク」として作中に引用している。つまり構造と素材の双方を借用していくことで村上春樹の中に「物語メーカー」というアプリケーションがインストールされたのである。 それが『羊をめぐる冒険』で起きたことである。これ以降、村上春樹はこのアプリケーションのプログラムをリナックスのユーザーのようにあれこれといじりまわしながら本格的に小説を書き始めるのである。」 「 村上春樹論、ないしは中上健次論が物語論として語られる時、一つの共通したアングルとして語られるのは、彼らは物語の構造を文学に敢えて導入することでそのような物語の構造やそれのもたらす陳腐さを顕わにした、という主張である。 (中略)同じ批評家の、ともに構造しかない小説を選択した中上と村上への評価が一八〇度違うのは「文壇」の二人に対する「空気」の問題でしかないが、例えば「村上春樹イエローページ」で加藤典洋も同じような評価を実は村上にしている。 (中略)恐らく四方田もそうであるように、物語構造が「主体」や「自己実現」というベタな主題を小説に代入してしまったことを村上なり中上の文学の支持者は受け入れ難いようにぼくには思える。」大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿ー構造しかない日本』 wiki 『旅芸人の記録』(希: O Θίασος、翻字: O Thiassos)は、テオ・アンゲロプロス監督のギリシャ映画。 旅芸人の一行が19世紀の牧歌劇「羊飼いのゴルフォ」を上演しながら、アトレウス家の古代神話を基にギリシャを旅し、1939年から1952年の政治史を中心としたギリシャ史が旅芸人の視点から語られる。「現代ギリシャ史と風景を横断する旅」をテーマとし、ギリシア神話に依拠した、叙情詩的、叙事詩的な作品である。 ≫秋幸が実の父を殺そうとする動機 「父殺し」「王殺し」(隆造=「蠅の王」)は、神話的な物語の十八番の演目だから、 話の中心に持ってきたということだろう。 たしか「地の果て…」には、フレーザーの「金枝篇」からの引用があっただろう。 けっきょくのところ、暴れん坊将軍が悪い幕閣の役付きをやっつけるようなものとして、 その種のお話では、「父殺し」「王殺し」のテーマはお決まりなわけです。 wiki 『金枝篇』(きんしへん、英: The Golden Bough)はイギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書である。金枝とはヤドリギのことで、この書を書いた発端が、イタリアのネーミにおける宿り木信仰、「祭司殺し」の謎に発していることから採られた。完成までに40年以上かかり、フレイザーの半生を費やした全13巻から成る大著である。映画「地獄の黙示録」でカーツ大佐(マーロン・ブランド)の愛読書として映るシーンがある。 中上健次は、村上春樹とおなじで、 ポストモダニズムの作家ですよ。 わたしは、ポストモダン的な作風が悪いとは思わないので、 これは肯定的な意味です。 wiki エレクトラコンプレックス(ドイツ語: Elektrakomplex、 英語: Electra complex)は女児のエディプスコンプレックスを指し、ユングによって提唱された名称。コンプレックスを日本語訳し、エレクトラ複合と呼ぶこともある。 秋幸三部作はエディプスコンプレックス 「旅芸人の記録」のほうはエレクトラコンプレックス、 それが主題、こういうことでしょう。 [父親であるとかまえる気など毛頭ないというようにボソボソと話しはじめた実父を見て、私はやりきれなかった。これが私の小説の主人公秋幸が自然そのものの化身とも、蠅の王とも呼んだ浜村龍造かと腹さえ立ち、これでは秋幸という私生児の物語の主人公がかわいそうすぎるじゃないかと、嘲いさえしたのだった。] (熊野州「桜川」) 中上が文学的想像力を駆使して浜村龍造を造型したことが分かる 中上の小説で最も魅力的な人物だった 地域開発の記録文学/思想文学 : 中上健次『地の果 て 至上の時』をめぐるメモランダム 渡邊英理 ↑の論文に詳しいが、中上文学には、 日本の戦後の「下部構造」の根幹といえる権威主義的開発体制の「マイクロポリティクス」の様相についての批判 という面があるだろう。 養父が土方の親方で、実父が流れ者から名士になりあがったデベロッパーということで、 そういうものに対する肉感を伴う分析がある。 その種の分析力というのは、村上春樹や村上龍のようなありふれた中間層から出てきた人にはなかなか身につかないものだ。 春樹の場合は、核になる文化的背景が学生むけの消費主義文化的風俗、龍の場合は、背景子供向けの劇画・マンガ文化的風俗みたいなことになるので、 私が思うに、中上とちがって、大人の鑑賞にはむかないところがある。 三島由紀夫の場合には、開発主義についての官僚的な計画者レベルの観点というのはあるのだが、 机上の分析というかんじで、肉感がとぼしい。 柄谷行人 「(「熊野集」は)物語=民俗学的空間と、私小説=自然主義的空間という日本近代文 学の「起源」において構築された二つの制度を脱構築する」 浜村龍造って田中角栄じゃないの? 角栄は賛否両論あるが下層への利益誘導という正の側面が確実にあるし殺すような対象でもないような 角栄的なものを引き継いだ自民党勢力は小泉に殺されたわけで秋幸は小泉か? 秋幸は龍造を殺していない。 龍造は自分で縊死する。 ちなみに、おなじ「金枝篇」を引いている「地獄の黙示録」では ウィラード大尉はカーツ大佐を殺す。 そして、ウィラードは「王国」を大佐の遺言に従って 破壊する(ナパーム弾による爆撃を軍に要請)。 秋幸は路地の跡地を燃やすが、あくまでもそこはすでに路地が破壊されたあとだ。 「地の果て…」の結末には、神話的物語のクライマックスとしては、 やや拍子抜けするようなズレがある。 Apocalypse Now Kurtz Compound Destruction Deleted Scene with Credits ↑最初の劇場公開時にあったシーンなのだが、 完全版などではカットされているので、 見たことのない人もいるかもしれない。 >>49 あえて物語を封印して、反物語としての小説を書いたわけだ これをよしとする者と肩透かしと思う者とで評価が割れる 蓮實重彦は中上の小説は山口昌男の図式的な中心と周縁理論のヴァリエーションと言ってたな 中上は柄谷と仲良かったけど中上のバックグラウンドは柄谷じゃなくて山口と吉本なんだよな 蓮實は山口理論を超えられるのが中上の力と四方田みたいなあるいは春樹を評した加藤みたいなこと言ってたけどw >>36 だから物語の構造に強いられてるのであって心からのリアリティがないってことじゃないの? <天皇>のいない世界 : 『地の果て至上の時』の象徴界 柴田勝二 ≫蓮實重彦は中上の小説は山口昌男の図式的な中心と周縁理論のヴァリエーションと言ってたな これは一面的な読解だ。 むしろ中上の小説世界は、 「アポロ的なものとディオニュソス的なもの」「中心と周縁」「サンボリックとセミオティツク」 こうしたものからズレていって、しまいはリゾーム的なところにいきつく。 中上の文学世界に最も近しかったのは、吉本や山口の思想ではなく、 浅田彰の思想だった。 [中上は自らの路地を対外的に見出した「路地」の上位に据える. 気は全くなく、 それらを同一平面上に並べたリゾーム的な繋がりを持つ、 フラットで、脱. 中心的な世界を見ていた](今井亮一「中上健次とガルシア・マルケス」) . 恋愛とは、まさに安定した秩序=コスモスがつき破られ、そこに混沌とした渦巻き=カオスが湧き出してくる体験ではないだろうか。 前者の安定した社会関係、言語と主体からなる秩序を、クリステヴァはサンボリックと名づけ、 後者のコスモスのなかに侵入しそれを解体する暴力的な力をセミオティックと名づけるのである。 そうすると、たとえば恋愛という体験は、サンボリックとセミオティックのせめぎあうプロセスとして記述することが可能になるわけだ。 ----------『現代言語論』 立川健二 山田広昭 共著 p. 141から144 より。 吉本、山口、そして三島に似ているのは、むしろ蓮實重彦のほうですよ。 人は、自分で似ていると思うものではなく、 あいつと私は違うと拒否しているものに実は似ている、ということがありがちなのです。 [安定した秩序=コスモスがつき破られ、 そこに混沌とした渦巻き=カオスが湧き出してくる体験] 蓮實重彦的な映画愛・小説愛によって生じる「陥没地帯」というのは、 読み取りのコード(物語=コスモス)がセミオティツクなものに 「不意打ち的」に侵入されることで 陥没するところのことだから、まさに↑の引用文にあるようなことです。 路地の解体というのは、↑で言及した方がいる列島改造論 それに代表される土建中心の国家資本主義と生政治の結合で、 低開発地域の開発は、55年体制下の地方改善事業、同和対策事業として 自民党と社会党などの談合の産物だたっといえる。 「地の果て…」で路地の跡地に小屋をしつらえて仮住まいしているような連中、 それらがのちに「日輪の翼」で流民化する連中になるわけだが、 これは、国家資本主義+生政治のソーシャルリベラリズム体制内に居場所のない サバルタンーノマドみたいなものだろう。 今の50歳未満の文壇・論壇人などは、1970〜1980年代はよかった、みたいなことを言うものが多い。 そういう人たちは、↑の中上作品にあるような批判をどのように評価するのか。 ×低開発地域の開発 〇低開発地域としての被差別部落の解体と再開発 作中の秋幸の親族、現実の中上健次の親族には、 国のおこなった低開発地方開発事業、同和対策事業からの受益者が多い。 なお、柄谷行人の実家もたぶん、おなじくその受益者だろう。 汚い汲み取り便所の掘っ立て小屋から清潔な水洗トイレの住宅に 建て替えることの何が問題なのか、さっぱり分からんな 自民党も社会党も同意した政策だ 青山真治 / 路地へ中上健次の残したフィルム (Trailer) これでも「失われた路地へ」ということが主題ということらしい。 「失われた〜」というのは、なにか大切なものを喪失したようなときにいうだろう、 「失われた時を求めて」みたいに。 青山監督のような中上文学の熱烈なファンは、とりあえずそういう気分なのだろう。 中上健次の本心がどうだったのかは知らない。 中上の親族のおおくは、「汚い汲み取り便所の掘っ立て小屋から清潔な水洗トイレの住宅に 建て替える」ことを含む同和対策事業による路地の再開発でがっぽり儲けただろう。 >>67 俺もそれ自体は間違ってると思わない みんな団地に住みたいからつくるとか でもそれが文学の主題にならないか?って言われたらなるでしょ それも色んな読み方ができるって事なんじゃないの。俺は被差別部落の歴史を知らないからそういう読み方をできないけど。でも中上は全部作り物だって自分で言ってるね。 中上の部落は迷路のような路地だが、地形的には色んな部落=路地があるんだよ。 部落=迷路ではない。 部落=路地を前近代の構造の一つと見ることも可能だが、それらの構造は完全に消滅した訳ではないし、残った構造から過去を再現視することも易しい。そして、それはかなり有意義なことでもある。ポスト構造主義の良い所は構造を絶対視しなかった点ではないか? 卑近なところで言えば、武蔵小杉は大型台風に見舞われた以後はウンコ杉と言われてるが、さらに食料自給率の低下が危惧されたり、再生可能エネルギーが注目されてる中で、人間が食事から摂取する栄養は6割から7割に過ぎず、ウンコの利用価値は非常に高い。 武蔵小杉とか便利なのかも知れないけどめちゃくちゃ混むよな面倒臭い 渋谷か新宿に電車乗り換えなしで30分以内に行ける街ならどこでもいい駅からは徒歩10分が限度 >>渋谷か新宿に電車乗り換えなしで30分以内に行ける街 タワマンのデヴェロッパーかよw >>78 でもそれが最低限じゃない?それ以上はめんどくせーわ 枯木灘を何の知識もなく読んだら被差別部落が絡む小説なんて分からないよね 千年の愉楽以降のならず者たちが跋扈する路地ってのも実状から言えばどうなん? その通り。被差別部落の話だとは前提知識なしに読んでもわからないよな。 和歌山及び新宮には行ったこと無いけど枯木灘は路地どうこうより地方の小さな都市のあのなんとも言えない感じは上手く描いてるなと思う >>80 西日本の人間には若くても、鋭い奴はピンとくるんだよ。 念のため、バイアグラじゃないよw 中上文学は『橋のない川』や『青年の環』のような部落差別をテーマとしていない かれが部落出身でも、そういう作品を書く意志はなかった かれは戦前の徳田秋声の自然主義文学を戦後ただ一人受け継いだ作家だ 自然主義リアリズムを戦後にいかに脱構築したか、それが読みどころだ 中上は部落の唯物的なところを強調したが、それには長所も短所もあった。 部落差別がテーマなら、もっとはっきり部落であることを書いてるわな。 その程度のことは誰でも分かるよ。 >>85 >>自然主義リアリズムを戦後にいかに脱構築したか、それが読みどころだ 大杉重男がそういうことを言ってるらしい。 デコンストラクションは批評の手法だと思うが、中上がどの作品でやったのか、 知りたいね。 いま大した文芸評論家がいないので、 大杉重男には徳田秋声と中上健次で1冊評論を書いてもらいたい 自分は『地の果て 至上の時』が中上の最も批評的なテクストだと見ている 中上健次は、戦後生まれとしては、 研究論文の数が圧倒的に多い作家だ。 精神分析、民俗学、記号論、コスコロ、カルスタ、フェミニズム(肯定的なものはオバの語りなどが対象になる)、 ほとんどすべての批評理論でもって論じられている。 研究論文を読めば十分だろう。 >>67 の方がいうような政策の対象から漏れるような連中がいる。 グラムシのいう「サバルタン」にあたるような者たちだ。 「その土地のもっとも不毛な空き地の、定住を忌む思いの直接的表現としてのテント、バラックに 拠り、どのような定職にもつかず、自由な結婚をいとなみ、体制をゆすり、近親者にくらいついて ――水への馮依を拒否する一群は、事態の深部において、火に馮依する者である」 「今日もしプロレタリアートの純粋な心情というものがありうるとすれば、 (谷川雁「馮依の分裂を知る者――中上文学・二泊三日の旅から」 (『国文学 解釈と教材の研究』(一九八五年三月号)) ×「今日もしプロレタリアートの純粋な心情というものがありうるとすれば、 〇「今日もしプロレタリアートの純粋な心情というものがありうるとすれば、 その最大公約数のごときものがここに示されている」 >>89 研究論文はつまらない 文芸評論家の面白い評論を読みたい 大杉の『小説家の起源』は面白かった >>85 >>かれは戦前の徳田秋声の自然主義文学を戦後ただ一人受け継いだ作家だ 自然主義リアリズムを戦後にいかに脱構築したか、それが読みどころだ その読みどころの箇所を大まかで良いから教えてくれ。 そんなカッコいいことが、スガにおべっかを使う大杉に出来るのか疑問なので。 わたしは、ユリイカや國文学のような準学術誌に載るような批評のほうがレベルが高く、 文芸誌に載るようなものよりも面白かったと思う。 ユリイカの原稿料は昔から安かった? 原稿料が安いほど原稿のレベルは上がるとか思ってる編集者もいるにはいた。 だが、今は通用しないかも。 ユリイカの安い原稿料への不満の声があちこちで上がってる。 やはり、編集者のレベルが下がったからではないか? 今のユリイカは、何も方向性が分からず、自力推進力も無くて、大海原に浮かんでる浮遊物に過ぎないと思うが。 「地の果て…」などではとくに、 「路地」の跡地にたてたバラックなどに仮住まいしているような 流動的な日雇い下層労総者からの略取・詐取といったものが、 社会的再生産の過程において、重要な資本蓄積の機会として描かれている。 「熊野集」でも、同和対策事業に乗って儲けるためには、 いかに上手にその種の下層労働者を「奴隷化」するかが肝心、 みたいなことが作者の姉夫婦の例を挙げて示されている。 中上文学にあっては、本源的蓄積は、資本主義の成立時にあった一過性のものではなく、 今現在も継続しているプロセスとして理解されているといえる。 上で引用した谷川雁の批評文にしても、そうしたことを踏まえて中上文学を論じたわけだ。 ところが、最近の「文壇」系の思想家は、本源的蓄積それ自体を「幻想」であるかのように言うことが多い。 これは中上の盟友であったはずの柄谷行人の「世界史の構造」などから出ているもので、 「子分」の大澤真幸などは、はっきり「幻想」という言い方をしている。 「本源的蓄積」について何も共産党的マルクス主義のように理解しなくてもよい。 中上文学的な「路地の消滅」にしても、共同体の慣行としてのコモンズが 収奪され解体していく過程なのだと考えられる。 不払い労働、家事労働、ジェンダーによる役割分業、あるいは、義理人情がらみの貸し借り、 こういうものは、コモンズが相互扶助的な働きを失ってしまうと、 たんなる因習的な桎梏や収奪のための道具になる。 「階級」ではなく「身分」の観念によって維持されていた「路地」のコモンズが収奪され解体していく過程が、 資本主義社会において継続するプロセスとしての本源的蓄積の過程だったといえる。 中上的な被差別部落の文学的活用って本当にいいことなん? 被差別部落出身でもなんでもない者が千年の愉楽系の被差別部落小説書いたらいろいろ問題かも・・・ 中上健次の部落青年文化会は、部落解放同盟の新宮支部とは仲が悪かっただろう。 熊野大学も部落解放同盟からは迷惑がられていたのではないか。 とくに石原慎太郎を講師にして催したときは、 右翼反動を講師に招くとは、なんたること、みたいな非難があったと思う。 中上健次と共産党系の全解連や自民党系の全国自由同和会との関係については、 どうなのか知らない。知っている人がいたら、それに関して教えてほしい。 >>67 川べりに停めた舟の中で生活する人達は船の端っこから排尿排便をする習慣があって、 そういう習慣も継続性が強い。なかなか、近代的トイレの設備に馴染まないんだよ。 中上の「浮島」の木馬引きは避けがたい危険さが大き過ぎて、木材の運び方は実際とか なり違っていたのではないかという気がする。現代ではピアノや金庫などの重量物を 運ぶ現場労働者は理詰めで考えるタイプの人が多くて、「浮島」のキンマ引きのような やり方でやれと押し付けられたら、拒否すると思う。多分、山の上の方で太い切り株に 長いロープを引っかけて、そこからロープを伸ばしてキンマの後部を強固に把握しながら、 屈強な男4−5人がゆっくりとロープを緩めながら、キンマの先頭に立つ者の誘導によって キンマを降ろしていったのではないか? 現場肉体労働でも、土方と鉱夫と重量物運搬者ではかなり気質は違うような。 友常勉のpdf論文の「報告/部落史研究における身分・階級・ 物語・コモンズ」が凄く参考になった。 部落解放同盟やマルクス主義は中上文学とは無関係だ もっとテクストの読解に即したものを読みたい 今月、阪大准教授(女性)の『中上健次論』が上梓されるが、 さてどうか >>109 >>部落解放同盟やマルクス主義は中上文学とは無関係だ そのように君が思うのは君の勝手だ。 >>108 【では擦れ違った四屯トラックはどこから材木を運んで来たのかと訊くと、山から山へケーブルを渡し て下の里の窪地にそのケーブルで運んで来た材木を集め運んでいるのだと言った。道がなくともケーブ ルを張れば材木出しは出来る。昔、秋幸が耳にした山の斜面を利用して軌道の上を木ゾリに乗せて運ぶ 木馬出しや、斜面に板を張ってその上を滑らせる修羅出しは過去のものだった。木馬出しも修羅出しも 川の支流まで運び、雨が降り、水嵩が上るのを待つ。材木を組みたてそのうちの一本だけカンヌキの用 をする材木を抜きとれば充分な水嵩の勢いに乗って次々と川を流れ落ちる、網場という方法は紀伊半島 の山の中から材木を出すのに都合よく蛇行する熊野川に適切な方法だった。水嵩と共に流れ出した材木 はバラバラに流れても決まったところで溜りをつくり、筏師らはそこで待ち受け、筏に組み、セリ市と 製材工場のひしめくその土地めざして川を流しておりてゆく。林道が整備され、林道の充分でないとこ ろはケーブルが張られトラックが待ち受けるようになったのは、最近の事だった】 (「地の果て 至上の時」) 高校受験対策高校以降が大事。フロイト診るととくにそう思う。 だから熊野詣なんてルートが大事。精神科なんてあほ。ネオナチ大社じゃねーけど。 若い時代とか序盤だからって下の値打ちのモノでは文学の商売成り立たん。 インカレ(大学院留学生私服大会優勝です)ってことのほうがいいのに。 高校教師は現場にいない哲学文学倫理宗教技芸体育作文小論文男子校限定 あたりうろうろ。 でも何でも教えれるけどな。 >>111 近畿地方南部の筏流しでの身体の使い方から、日本の重量物運搬での身体の使い方が生まれたと いう気がする。日本の2大引っ越し屋の堺とアートはどちらも大阪の河内が発祥なので、作業員は 和歌山出身の貧民が多かったと想像されるのでw ダンジリの上で踊ったりするのは、筏流しから来てるのでは?という気もする。 >>121 自己レスだが、戦前の和歌山や奈良の林業では高知からの出稼ぎが多かったと言われてるので、或いはキンマ引きのような荒っぽい仕事は 高知人がかなり請け負ってたかも。 重量物を担ぐ時のバンド(帯)の結び方はアートと堺では違ってて、堺では片方を引っ張ればすぐに解けるようになってるが、これは階段 作業で事故になると思った時に上方にいる側がピアノの脚に引っかけた帯を瞬間で外して、自分がピアノと一緒に下方の相方を押し潰さな いようにという配慮からそうなったというが、これは高知由来の技術かも。偶然だが、アートの高知出身の大先輩でその帯の結び方を知っ てる人がいた。要は、落ちるものは流れに任せよということ。 高知と堺、河内、和歌山は中世から交流が盛んだった。 >>109 その阪大準教授の論文の内容はすでに援用した。 「地域開発の記録文学/思想文学 : 中上健次『地の果 て 至上の時』をめぐるメモランダム」 渡邊英理 ≫マルクス主義は中上文学とは無関係 あいにく渡邊英理さんの考え方は、 ネオマルクス主義的である。 [路地が解体された後の世界の「職なしゲットー」や、そこで生み出される「廃棄可能な人間たち」。その萌 芽は、すでにして『地の果て』における路地跡の「空地」/「原っぱ」に住まうヨシ兄ら、野宿状態の労働 者たちに萌されている。かつて、中上は、「何度も小説にしたこの路地がたえず新しい読み終る事のない本と してある」と言った。たえず新しい読み終わる事のない路地には、かつてあったことだけでなく、読者の「い ま・ここ」に起こっていること、すなわち、それが書かれた時点では未来に属する出来事までも、書き込ま れている。そのような本として路地を、路地の小説を、いま、この時代に再読することができる。路地なき 後の世界をも、中上の路地は、小説という形をもって、つかみとっていたのである。 ] (渡邊英理 上記の論文の結びの文) 「本書は、路地を舞台とする中上健次の小説群、路地小説をめぐって書かれている。路地とは、(再)開発を表象する空間であるが、同時に、(再)開発に抗する文学的かつ理論的な構え、思想的なビジョンである。ビジョンとしての路地の核心は、その「仮設」性に見出すことができる。[…]脱中心的で偶発性に開かれ、その未決の複数性と多義性ゆえに群れとして形象化されうる路地の「仮設」性は、[…](再)開発に対する抵抗性において、国家と資本に益する「生産性」へと還元されることを拒み、[…]それとは異なる社会のあり方を探求する構えでもある。したがって、中上の路地とは、国家に抗い資本に抗う、脱国家的かつ脱資本的な志向性をもつ社会として構想されていたと言えるだろう。」 (渡邊英理) ようするに、中上文学における「路地」は、リゾーム的なものだということになる。 文学作品をどのように解釈するかは自由だ しかし路地をマルクス主義擁護のために解釈するのはシラケる 時代遅れで実験失敗済のマルクス主義バンザイと 脳内で雄叫びをあげてればいいだろうよ 物理学者が物理をやる時に、いちいちニュートンだとかアインシュタインを引用する必要を感じるでしょうか? 彼らはそれを利用するが、自分がどれだけ師の意見に忠実かを示す証しとして引用符や脚注や賛辞を使う必要なんてない。他の物理学者たちだって、アインシュタインが何をやり、何を発見し、何を証明したかぐらいは心得ているから、読んでいきながらなるほどと思うだけです。今の時代に歴史をやるには、直接的であれ間接的であれマルクス思想につながる概念を全く使わないでやるとか、彼が説明を与え定義づけた視野に立たずしてやるなんてことは不可能です。つきつめれば、歴史家であることとマルクス主義者であることの間にどんな違いがあるのかとさえ思えるほどです。(中略) で、議論もマルクスによって定義され体系化されたその全体的視野の内部で初めて始まるわけです。その相手というのが、実際にはマルクス理論ではないのに、ただ共産主義理論のルールを操るという理由でマルクス主義者を自認してはばからない連中です。まあルールと言ったって共産党が決めたもので、党からマルクス主義者だと公認されるためのマルクス利用マニュアルのようなもんですがね。 (ミシェル・フーコー「監獄についての対談−−本とその方法」ちくま学芸文庫、フーコー思考集成IV所収) ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」 (聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12 〈マルクス〉 … マルクスを読んだのはニーチェと同じ時期でした。素晴らしいと思いました。彼の生み出した さまざまなコンセプトは、私にとって今でも役立つものです。そこにはひとつの批判、根本的な 批判が存在しています。『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に 完全に貫かれた作品です。現在私は、自分を完全にマルクス主義者だと考えています。 例えば、「管理社会」について書いた記事は(月刊ロートル・ジュールナル1号 1990年5月号に 掲載、ミニュイ社刊『記号と事件』に収録、邦訳河出書房新社)、マルクスが彼の時代には知り えなかったことを語っているにもかかわらず、完璧にマルクス主義的なテクストです。 マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解でき ません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは 何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返 らなければなりません。 131さんは、中上文学を論じたもので、マルクス主義とかかわりのないものを 一部でいいから引用して貼ればいいんですよ。 非常に少ないとは思うけれど、全然ないというものでもないでしょう。 >>123 「地の果て」のヨシ兄の鴨緑江で筏流しをやった話だが、彼とほぼ同世代の長野出身で 満州で運送屋をやってた人の話では、満州人や朝鮮人はしんどくなると荷物を落とすと いうんだな。中上の筏流しやキンマ引きが神話化されてる感は拭えない。筏流しで重い 材木を竿で押しやるのはいわゆる「ナンバ」に過ぎん。 >>128 君のは創価の考え方だ。 創価は部落青年の知的関心を啓発することに全く無関心だが、中上は部落青年のために 熊野大学を開いた。マルクスは中上の知的関心の一つに過ぎない。君が気にし過ぎだろ。 創価には部落出身者が非常に多いにも関わらず、創価は部落出身者の知的向上を嫌うの はおかしい。 そもそも、日本のネオマルクシストの「第一人者」だとされることの多い柄谷行人と若いころからの親友で、 お互いに影響し合っている間柄なのに、 その中上健次が思想的にマルクスと無関係なわけがないだろう。 現代思想の先駆者の「三巨人」マルクス、フロイト、ニーチェ、 とうぜん中上健次は、これらから多大な影響を受けているわけですよ。 大杉重男あたりにマルクス主義とは無縁な中上論を期待する 徳田秋聲『あらくれ』から中上は何を学んで『鳳仙花』を書いたか >>136 阿保馬鹿の絓秀実に気持ち悪いおべっか使ってたのが大杉。 中二っぽいよな。中国も華国と華の方が華やいでええ。 「媒介する言葉と路地の夢 : 中上健次とフランツ・ファノン」 渡邊英理 話題の阪大准教授には↑のような論文もあった。 「俺、それまで大江健三郎の影響をものすごく受けていて、戦後民主主義の路線にとらわれていた。そうなんだ、平和と民主主義をほとんど鵜呑みという感じでね。それが、あの一〇・八でゲバ棒を持ったとき、一八〇度転換した。無茶苦茶に殴りかかってくる機動隊に対して、自衛のために棒を持ったわけだろう。その棒一本で、完全に大江健三郎の言ってることなんかが引っくり返った。 要するに、暴力に対してどう思うか、暴力をどんなふうに位置づけるかということなんだ。 それで、いろんな本を読んだよ。その中で、なるほど、これじゃないかと思ったのがフランツ・ファノン。暴力には二種類ある。権力をフォルスと言う、それに対して抑圧された者が押し返す力をバイオレンスと言う。これが暴力なんだとファノンは言うわけね。だから、暴力というのは、弱い人間にふるうものとは違うんだ。弱いからこそ打ち返すんだという暴力論が、俺たちの間で信念となっていた。 目がさめた気がしたね。あっこれなんだと思ったんだよ。それで俺は大江を超える、大江の文学論からの呪縛を超える。それは同時に、戦後民主主議を超える論法を身につけることなんだ。そうすると、俺は自前で考えなくちゃいけない。それで、二十二ぐらいのときに初めて、自前でものを考えるということが出てきた。 そうだね。その頃、すでに書き始めていたから、そういう考え方はぴったり俺の書くものにくっついている、そうだろう。しょっちゅう機動隊に殴られていたんだよ、それまで。それで自衛のために棒を持って打ち返した。そのとき、打ち返さなくちゃいかんという」論法に転換したんだよ。」 (つかこうへいによるインタビュー。『中上健次発言集成5』p138-9、及び『現代文学の無視できない10人』所収) ↑の中上健次の言うことには、どうやら記憶違いがあるらしく、「弱いからこそ打ち返す暴力」云々というのは、 ファノンではなく、ジョルジュ・ソレルの著書の書いてることなのだそうだ。 ただ、著者について記憶違いがあったとしても、論旨は変わりないだろう。 >>141 >>↑の中上健次の言うことには、どうやら記憶違いがあるらしく、「弱いからこそ打ち返す暴力」云々というのは、 ファノンではなく、ジョルジュ・ソレルの著書の書いてること それは誰の意見なのでしょうか? >>104 石川淳がそういうことをかなり一貫してやってる。 1957年の「諸国畸人傳」や1967年の「至福千年」、 「狂風記」1980などもそうだろ。 >>142 関根洋司という人が書いていた。どういう人なのか知らないが、 この方のブログを読む限りでは、かなり知識が豊富な人なので、 間違いはないだろう。 ソレルの「暴力論」では、暴力には二種類あって、 ひとつは体制側のフォルスとしての暴力、これは軍事力・警察力など国家の暴力装置の働きの全般、 もうひとつはヴァイオランスとしての暴力で、これは労働者の意志からの自然発生的なものであり 必ずしも物理的な力の行使ではなく、たとえばストライキやサボタージュのような むしろ平和的な形をとって現れるべき暴力ということだ。 確かに中上健次のいったこととだいたい同じである。 今調べてみたら、 ジョルジュ・ソレル 暴力論 - Wikipedia - NAMs出版プロジェクトhttp://nam-students.blogspot.com › wikipedia_12 「(ソレルの)こうした暴力の倫理性の強調は,現代ではF.ファノンに受け継がれている。」 ということだった。 すると中上健次は、記憶違いしたのではなく、 ソレルから影響されたファノンの著書の暴力の倫理に関するところをを読んで、 ↑の引用のように言ったのだろう。 >>145 やっぱり、NAMでしたか。 中上健次はなぜ、社青同解放派と接点が無かったのか、 という疑問がある。柄谷も中上が部落出身であることを 長らく知らなかったらしいが。中上の芥川賞受賞作を読 んで直ぐに、高校時代に部落解放運動を経験してた俺の 友人は直ぐにピンと来て、大学の学園祭の講演者として 中上を呼び、鋭い質問を発して中上を狼狽えさせた。 それは、中上の故郷に対する思いについて尋ねたのだっ たが。 >>146 プルードン→ソレル→ファノン→中上 なるほど、深読みすれば、NAM的には、↑のように言いたいのですかね。 >>146 社青同解放派は、ローザ・ルクセンブルク主義的で、レーニン主義にたいしては批判的だっただろう。 だとすると、本源的(原始的)蓄積は、資本主義の成立時の一過性のものではなく、 資本主義社会においても継続しているプロセスだという考え方をとっていたはずだ。 中上文学には、「路地」=内国植民地という見方があるだろう。 「ポスト・コロニアル資本主義と移民の自律性」 北川眞也 「植民地主義とは暴力であり,その質については様々であるが,特に以下の2点が強調されてきた。ひとつは法外の暴 力(ファノン1969,ンベンベ2005),もうひとつは本源的蓄積の暴力(マルクス1973,ルクセンブルク2001,Mezzadra 2008) である。双方を厳密に分離させるのは困難ではあるが,本報告は主として後者から問題にアプローチする。 『資本論』第1巻でマルクスによって論じられた本源的蓄積は,生産者と生産手段を切り離す過程として,自らの労働 力を売ることでしか生存を維持できない賃労働者をつくりだす「資本の前史」として位置づけられている(「血と火の文 字で人類の年代史に書き込まれている」(1973:933))。この暴力的過程を経て,労働力商品の存在と売買が自明視される資 本主義社会が成立するとされた。 しかしながら,本源的蓄積の暴力で生産手段から切り離された人びとのすべてが,「自由な」賃労働者になるわけでは ない。この人びとが,プロレタリア階級(賃労働者=市民=男性)という集団的形象へとたどり着いたのは,およそ西ヨー ロッパのみだ(この地理については Federici 2004)。とりわけ,ヨーロッパの外,いわば植民地においては,資本主義へ の「移行」の問いは,断じてこのような直線的過程ではない。 植民地は,資本主義の「外部」とされてきた。資本の拡大再生産にとって,非資本主義的「外部」(空間的なものにせ よそうでないにせよ)が必要とされること,さらにはすすんでつくりだされることが,現代のグローバル資本主義下にお いてもまた強調されてきた(ハーヴェイ2005,Mezzadra 2014)。」 マルクス主義理論を中上文学にはめこもうと必死だな 時代遅れで、カワイソス 019.12.24特集 講演 交換様式と「マルクスその可能性の中心」 文:柄谷行人 文學界12月号 そういうことは柄谷行人先生に言ってください。 柄谷はあと数年しか生きられない年寄りだから放置でいい マルクス主義と生きた人生をもう否定できはしない 問題はいま40歳前後のマルクス主義者で、転向するなら最後のチャンスだ >>150 >>中上文学には、「路地」=内国植民地という見方があるだろう。 その一方で18世紀西ヨーロッパのロマン主義のgeopoeticsの高山への憧れの反対が路地と いう気も捨てられないw少なくとも、中上は路地にロマンを抱いていた。 路地は植民地というよりも、縄文という先住民族の居住地の残存ではないか? >>155 自己レスだが、路地を近代人の眼で見て、「路地は強者に追い立てられたマイノリティ弱者がいやいや住まわされた場所である」 という考えには疑問がある。 古代のトロイとギリシャが戦ったトロイ戦争だが、ヨーロッパで迷路のことをtorojaborgトロヤンブルグともいうが、迷路は嫌われる 場所ではない。 >>156 付け加えると、迷路は路地の典型としてある。 というか中上の実父と母は生粋の新宮の同和地区出身じゃなくてどこかから流れて住み着いた人たちなんでしょ? 絶対的非暴力は結局のところ、すでにでき上がった世界、それもうまくでき上がった世界という観念に立脚している。」 「われわれは純粋さと暴力のあいだで選択するのではなく、多様な種類の暴力のあいだで選択するのである。われわれが受肉している限りで、暴力とはわれわれの宿命なのだ。」 (メルロ₌ポンティ「ヒョーマニズムとテロル」) 高山 文彦 著 『エレクトラ―中上健次の生涯』 https://kmoto.exblog.jp/20716925/ 健次は母ちさとにとっては、六番目の子であった。父親は戸籍上木下勝郎となっているが、実父は鈴木留造といい、背中に荊の刺青をしているところから「イバラのトメ」と異名を持つ荒くれ者で、背丈は百七十センチあまりあり、筋骨隆々とした体つき、指の関節はごつごつして木の節のように太かった。「三度の飯より喧嘩好き」と自分からも言っている。 鈴木留造は三重県の南有馬の被差別部落出身の私生児で、戦後直後の混乱期に流れ者のようにして新宮にやってきた博徒であった。またちさとも八人兄弟の末っ子として生まれ、戸籍上の父親は丸太を曳く馬の下敷きになって死んだ後、母親が別の男と出会って生まれた私生児だった。 ちさとは木下勝郎と所帯を持ったが、夫を失って終戦前後四人の子供を食わせるために行商人となり闇市に出入りしていたときに留造と出会った。ちさとはまだ二十八歳の女盛りで、留造と夫婦同然のように生活をしていた。 しかし留造は自分の男ぶりにものを言わせてよそに女を二人もつくり、一人の女に子を孕ませた。ちさとがそれを知ったのは健次を身籠もって半年を迎えた頃だった。ちさとは自分から留造に三行半を突きつけた。 つまり健次は母親も父親もよそ者の私生児の血を引く「部落の落ちこぼれの子」だったのだ。 >>162 貴種流離譚もありますよ、ぐらいで良いんじゃ? >>165 中上は自分が雑賀氏の末裔かもしれないとか匂わせてるだろ。 色んな出自の可能性に言及してる。 大体が浜村孫一なんてのは、西日本の太平洋岸の神社の伝承では ありふれた名前のような気がする。 >>166 そういうのはただのフカシw 自分は日本と朝鮮人の混血とフカシてた立原正秋は、正真正銘朝鮮人だったと死後判明している 日本文学の場合、 名家の出とそうでないのは見事に二分されてるような気がする 「そうでない方」の一部が後付けで名家への願望から出自を韜晦するのもお約束 織田作之助は魚屋の家で明治以降に織田を名乗ったのに、 「織田信長の子孫」と真顔で吹聴し、 家族が呆れたとさ 松根東洋城 - 俳人。侯爵・伊達宗城(武家華族)の孫。 吉井勇 - 歌人。伯爵・吉井幸蔵(勲功華族)の長男。1926年5月15日 襲爵。 白洲正子 - 芸術評論家、随筆家。白洲次郎の妻。伯爵・樺山愛輔(勲功華族)の次女。 鶴見俊輔 - 哲学者、評論家。伯爵・後藤新平(勲功華族)の外孫。 川本三郎 - 評論家。子爵・西四辻公堯(公家華族)の外孫。 武者小路実篤 - 作家。子爵・武者小路実世(公家華族)の次男。 九鬼周造 - 哲学者、京都帝国大学教授。男爵・九鬼隆一(勲功華族)の三男。 中上健次は「路地」を美化し過ぎたような気もする。 路地の労働者の勇壮な面を取り上げすぎのような。 路地には軟弱な退廃の面も強いのでは? 路地なんて中上の小説を論じる上でどうでもいい それより秋声、谷崎、大江、古井、フォークナー、セリーヌからの影響が重要だ >>172 >路地なんて中上の小説を論じる上でどうでもいい フォークナー経由で「路地」を発見したんじゃないの? 柄谷との対談で後進性が武器になる、という旨のことを言っていたと記憶している それでも文学的印象操作で再構築するには困難とでも感じたのか 宮本常一を訪ねて民俗学知識を仕入れたようだけど 佐野 眞一の「旅する巨人」によると 生前の宮本は中上の部落理解は暗くて浅いとこぼしていたそうだけど まあ、そうだろうね でも小説としてはそれでも構わないんだろうね >>175 不勉強でわからないんだけど 「部落」の中で育った中上を浅いと評するのはどういう理由だったの? 中で育った故に客観性がないってこと? 宮本常一自体『忘れられた日本人』でしか知らないしそれも読んだことなくて ちなみに自分は中上の小説を論じる上で路地を抜きにするなんて考えられないと思っている 「部落についての理解が浅い」って中上が野間宏と安岡章太郎に言ったんじゃなかったか 出典書いてくれてんじゃん、検索すればすぐに出てくるよ 宮本と中上の捉え方の違いについては当時の時代の変化も大きいんじゃないかね 深い・浅いにしても対象が動的であれば浅くもなるだろうという気がする >>177 逆に「中上は部落の構造が全く分かってない」と、宮本常一に言われて、 中上は宮本に返しをできなかったはずだが。 その宮本の発言は、旅行関係の広報誌での、若手学者達との座談会の場での 出来事だったとうろ覚えで俺は記憶してるが。 二つの「お前(ら)は分かってない」を併せてみると、中上の発言が先だった 感じだな。 >>176 中上の部落理解は「後進性が武器になる」で表されるように、近代人の立場に 立ち過ぎてて、それでは部落民の生活の楽しさや嬉しさの理解の邪魔になると いうことは宮本は考えてたと思う。 近代人の立場に、立ち過ぎるもクソもない。部落民なるもののイデアに囚われて教条化していたということだろう。まるで文化遺産として保護されるべきものでもあるかのようなてつきだ。 >>180 >>まるで文化遺産として保護されるべきものでもあるかのようなてつきだ。 幾つかの例として、日本の皮革や竹細工などは部落産業そのものではないかもしれないが、 保存の対象になるだろ。 中上の小説に出てくるヨシ兄などの筏師の技術は歴史的に?部落産業とはとても言い難いか もしれないが、戦前の鴨緑江の事例を見ると、実際の業務は中国人が担当してたという論文 もあるので、筏師が路地から出ていたのかもしれないが、その筏流しが和歌山新宮で保護さ れている。 >>175 本物の部落民に言われたら学者も言い返せない図式が根底にあるような 須磨にも部落あるけど逆に言論など自由奔放すぎるところが男性にはマイナス。 しかし部落ぐらいだろう妖艶になれるのは。 頭が小さいとかまじまじと見れないとか。リアルブラック部落は知っておいた方がよい。 中学は最低ぐらいの教育効果と効率で賞金も安い。閉鎖してもいいぐらい。 早く塾やゼミナールなどに入って高校から中学の成績結果問わないから参加して。 覗きたかり人間関係またぎとり男子は排除。クラブチームにでも入ってな。 >>176 >「部落」の中で育った中上を浅いと評するのはどういう理由だったの? >中で育った故に客観性がないってこと? 中上は戦後生まれで地域はすでに開発が進んでいたので その歴史的経緯がわからず、それゆえ民俗学者の宮本の教示を受けたが その結果として書かれた小説は宮本によると「暗くて浅い」ものだった、ということ でも、中上の私見として書かれた小説だから事実とちがっていても意見としてはそれでも良いわけ 柄谷や四方田は事実としての「路地」と中上にそれほどの関係はなく中上が文学的に考想したものだとしているわけね だからと言って「路地」を文学的に否定することにはならないの 文学なんて主観以外の何物でもないからね どういうふうに「暗くて浅い」のか書かなければ、しょうがないだろう。 部落の歴史の実態は〜だが、 中上文学における描き方は〜であって、 それは〜というわけで暗くて浅い歴史理解にもとづくといえる、というふうにして、 〜のところを具体的に書かなければ しょうがない。 網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』 むしろ網野善彦などに継承されているであろう宮本の民俗史学に描かれている「部落史」のほうが、 ファンタジックで、中上健次が描いた「暗くて浅い」ほうの「部落史」が、 リアルだということはないか。 ことに「暗い」のほうは、特にそうなのではないかというような気がする。 公界が苦界でもあるのは、もとより中世からで、近世になってきゅうに苦しくなったのではないのではないだろうか。 ただし、あくまでも、わたしはそんな気がする、ということだ。 ちょっと喩えが異なるけど、有象無象のニューアカ軍団より 脱構築と言いながら核心を掴みたくてしょうがなかった柄谷一派の方が暗くて浅い みたいな印象としてならわかる 沖浦和光は、下の対談本しか読んだことがないのだが(ただし、読んだのは十代の時)、 徳田分派の同志だっただけあって?やはり網野善彦とにたかんじで、 ファンタジックだったと思う。 日本の聖と賤 著者 野間宏, 沖浦和光 著 中上健次の秋幸三部作は、 はじめは湿潤なかんじがあるけれど、おわりは殺伐としたかんじばかりになる。 吉本隆明などはそれが気に食わなくて、中上は変に勉強したせいでダメになった、 みたいなことをいったと思うのだ。 しかし、わたしとしては、殺伐としているほうが実態だと思うわけです。 宮本常一の「土佐源氏」は完全なフィクションではないか?との評判が学者達の間で評判になって、 宮本は激怒しながら否定したというが、あの主人公を被差別部落民とすれば?被差別部落の中の性 の明るさが見えて来るのと共に、柳田国男的烏滸の笑いの要素が多分あったことも思わせる。(「烏 滸」の読み方と意味は :おこ愚かなこと。)「おこ」は現代の西日本の民俗芸能に残る「俄にわか」 を代表と思ってもらえば良い。 宮本は部落民の世界には暗い面もあるが、その面ばかりと捉えては理解が浅すぎで、明るい面も大き いのだと。 柳田の説明では烏滸は笑いの中では、巧妙な技術で他人を笑わせるのではなくて、いわゆる、「笑わ れる」下等の芸とされてるもの。前者がサタイア諷刺とすれば、後者はファルスという喩えは近いが、 少しズレてる気もする。 >>198 吉本隆明の批評眼はあまり信用していない 『岬』『枯木灘』から『地の果て 至上の時』への飛躍こそ 中上文学最高の醍醐味だと思っている 後者の情感やリズムをあえて消した文体が「父殺し」という 物語を回避していくさまを読んでいくのがスリリングで素晴らしい 中上と宮本常一の関りと共に、中上が土方巽についてかなりの熱心さで発言してる一方で、 俺の知り合いの被差別部落の人間で、やはり土方の暗黒舞踏に深入りしていた人間がいるの だが、その男は即興演奏にも強い興味をもって、長らく活動してるんだが、なぜ、日本の即 興芸能の代表である「俄」に関心を向けないのか、不思議でしょうがない。 昔の日本で即興芸能に関心を持った代表と言えば、まずは井原西鶴を挙げるべきだろう。好 色一代男の中の「末社楽遊び」や彼の俳諧の即吟など。 中上のエリック・ドルフィーへの傾倒も、中上の即興性への強い興味を示すものだろう。 「もっと深くて厚いんだ」と中上健次は言ってたよ確か 路地は肉体への束縛や抑圧そのものなんだよ。そして、束縛や抑圧への抵抗が加速能力を成長 させる。 サラブレッドの調教でも、普段から厳しく調教されて、レースでも厳しい騎手に走るコースを 指示され続ける馬ほど、きつい坂道をものともせず、急カーブをきっちり素早く回って来れる。 中上がエリック・ドルフィーに惹かれたのも、ドルフィーの演奏の聴き手に出し抜けを食らわ す加速力の素晴らしさだろう。音楽評論家はドルフィーにemancipation of dissonance不協 和音の解放を見るが。 「私たちのエディプス的両親とは、既に内面化され、すでに理想化された両親についての幻想的解釈である。ポスト・エディプス期の超自我は、子供の情念化され情熱的に変化する関係のエディプスという物語〈イストワール〉の単純線的な展望[遠近=歴史]に固定する、幻想的なドラマのクライマックスである。エディプス・コンプレックスはエディプス的諸関係の理解不能を抑圧する」 (レオ・ベルサーニ「フロイト的身体―精神分析と美学) ≫路地は肉体への束縛や抑圧そのものなんだよ 「抑圧そのもの」であった路地(龍造と秋幸の関係)₌「エディプス・コンプレックス」の解体が 路地なき後の「路地」としての「エディプス的諸関係の理解不能」を現出させる。 >>208 俺は「路地」で全国の被差別部落の路地のカーブの連続や未だに残る歩道の狭さなど、具体的な肉体的束縛や肉体的抑圧のことを指したつもり。 高知県などは浦戸大橋の歩・自転車道の狭さで、日本中の自転車で来高した人達の 怒りを買っているが、そういう人間に対する抑圧や虐めの代表が路地なんだ。高知なんて、全県が被差別部落のような地形であって、カッコいい住宅地などほゞ無い。 どうして↑のような異常な人の異常な書き込みがなくならないのか。 和歌山も高知も粗野な人間が多いな また其れをよしとする風土でもある さて、本題の永井荷風についてであるが、荷風の随筆『傳通院』の記述を巡って、次の箇所に注目する(『荷風随筆』第1巻岩波書店1981年)。 「嘗ては六尺町の横町から流派の紋所を付けた柿色の包みを抱へて出て来た稽古通ひの娘の姿を今は何処に求めやうか。久堅町の穢多町から編笠を冠つて出て来る鳥追の三味線を何處に聞かうか。時代は變つたのだ」。 一般に流布している本では、この「の穢多町」の部分が、何の注釈もなく削除されて「久堅町から編笠を冠つて出て来る鳥追……」となっているとのこと。 このようにされてしまうと、たとえば「鳥追」という被差別民が担ってきた芸能のことが分からなくなってしまいかねないのである。 さらには、大正元年、この「久堅町の陋屋で困窮のうちに病没」した石川啄木のこと、あるいは徳永直の『太陽のない街』は、大正15年の共同印刷ストライキを描いたものだが、この久堅町界隈が作品の舞台となっており、 「テキストの改竄がこの土地の記憶をないがしろにするものである」、と著者は指摘する。 >>212 近畿から西は小さな山と谷が多くて、地形的にそういう場所で育つ と背骨が歪むと思う。それが性格に影響してるかも。 今や地域差で気質を判別するよりはたとえば5chで毎日レス待ちしているような人種は乏しい不労所得者か陰気な貧乏人ばかりで私生活でも孤立していて気持ち悪い、みたいにネットのどのエリアに居着いているかのほうが妥当性があるように思うけどね カミツキガメさんは、自分のことを告白しているわけだよ。 ほうぼうのスレッドに書きこむたびに、 つぎは数か月後にくる、とかといいながら、 毎日毎日書きこんでいるのだから。 けっきょく、カミツキガメさんの行為は、 プロ固定が5ちゃんねる文学板という生業の場を奪われたかのように思い込んで やけになっているということではないだろうか。 ↑いつ来ても見かけるこの無職で話し相手のいない老人が何年もに渡り毎日書き込んでいることだけは知っている >何年もに渡り 「渡り」wwwww 日本語不自由朝鮮人wwwww 「亘り」だぞチョンのジジイwwwww 【『文學界』9月号の特集は、第一特集が「声と文学」と題し、 作家・アーティスト・批評家たちにより声と身体と文学の関係が探られる。第二特集は、「『ジョン・フォード論』を読む」と題し、ついに完成した蓮實重彦のライフワークに対し蓮實重彦本人も交えてその映画論に迫っていく内容となっている。他にも島田雅彦と中島岳志による緊急対談「テロルと孤独」を始めとする重厚な記事・連載が揃っている。激しく変動し続ける社会に対し作家たちは何を思うのか。 斧田小夜は今回、エッセー「屈せない娘より、父へ」を寄稿した。破滅派より6月に『ギークに銃はいらない』を出版するなど、SF小説家として新たな活躍の場を広げ続ける斧田は、『文學界』で何を語るのだろうか?「屈せない」が意味するものとは?ぜひ読んでおきたい一冊である。 また、6月に発売された斧田小夜の作品集『ギークに銃はいらない』も併せてお読み頂きたい。】 (Juan B) 島田雅彦と中島岳志による緊急対談も「テロルと孤独」と題している。 「連帯を求めて孤立を恐れず」(谷川雁) 中上健次を賞賛していた谷川雁にしても↑のように言っていた。 だったら、孤立というのも、そう悪いものでもないだろう。 谷川雁の著作・経歴を見ればお前のような甘ったれた孤立(体調ガーとわめきながら働きもせずに話し相手欲しさに毎日5chとにらめっこw)を奨励してなどいないことは分かりそうなもんだがねw 毎度おなじみの自分に言い聞かせるためだけの方便だなw でも今はこんなやつばかりだね、どの板も 他人様にかまってもらうための話題が異なるだけで wiki ルンペンプロレタリアート(独: Lumpenproletariat)とは、カール・マルクスが使用した用語で、プロレタリアート(労働者階級)のうち階級意識を持たず、そのため社会的に有用な生産をせず、階級闘争の役に立たず、更には無階級社会実現の障害となる層を指す呼称[1]。略して「ルンプロ」ともいう。 ルンペンプロレタリアート(Lumpenproletariat)の用語は、「襤褸(ぼろ)、浮浪者、悪漢」などを意味する「ルンペン」(独: lumpen)と、労働者階級を意味する「プロレタリアート」(独: proletariat)より作られた。 谷川雁はルンプロこそが変革の担い手だと言っていたのだから、 5ちゃんねらーのようなものに期待していたのだろう。 wiki ルンペンプロレタリアートを革命の基盤として評価したのが、ミハイル・バクーニンである。バクーニンは、ルンペンプロレタリアートは貧困に苦しむ「下層の人々」であるが故に「ブルジョワ文明による汚染をほとんど受けておらず」、だからこそ「社会革命の火蓋を切り、勝利へと導く」存在であると捉えた 谷川雁の考え方はこちらに近いわけだ。 2ch黎明期に言われていたようなことだろうなw ファンタジーヲタみたいなもんだ しかも仲間がいないからタチが悪いw お前はただの自分の世界を邪魔されたくないだけの無職の爺さんですよ 「路地」の跡地のバラックなどに住んでいる(不法占拠している) ヨシ兄らのような「クズ」がルンペンなわけだよ。 いまだ革命の可能性を論じるヤツはアホ 国政選挙をやるたびに自民党が第一党であることを見ようとしない 国民が革命を望んでいない しかし実際には谷川も中上も制度の下で(も)よく働いたわけだ かたや彼らが生み出した幻影は変革の力になるどころか現代のガチクズのためのシェルターにしかなっていない 文学的であったり、理念的であったりする極端な例が生み出す物語に幻惑されて、自分の人生を食い潰しただけじゃん あちこちにいるよ、そんなクズなら ≫でも今はこんなやつばかりだね、どの板も 以前は違っていたといわんばかりなのだが、 ずっとそうではないの。 それとも、プロ固定が失業していなくなり、 カミツキガメさんだけになったのが違うのか。 だいたい、平日の午後に続けて書きこんでいる者が、 自分は高齢者でもなく、また、それなりの立場を有している かのようなところからあれこれ言うのが異常だと思うのだけれど。 ≫しかし実際には谷川も中上も制度の下で(も)よく働いたわけだ ルンペンを称揚しながらそうしたとすれば、それは言行不一致、自己矛盾ということだ。 共産党の不破元議長が豪邸に住んでいるようなこととおなじく、むしろ恥ずべきことだな。 >>232 ずっとか?どこもみんな若かったし、ここまで悲惨じゃなかっただろう プロ固定とか失業とかってのは意味不明だな、この板で金が動いたことなんかないんじゃない? この板以外を含めても平日の午後に書き込むのなんてたぶん数ヶ月ぶりよ お前みたいに毎日こんな変わり映えのしない板にいると数日ぶり数週間ぶり数ヶ月ぶりのことでも昨日今日のことのように感じるんだろうけど、こちとらそんなに覗いてすらいないよ >>233 彼らの生涯をもって称揚していたと見るかどうかは解釈の範疇だろう いずれにしても言行不一致と思うなら参照しなければいいだけ 参照したのはお前じゃん 以前のほうがよほどひどかっただろう。 ムー大陸、N、論先生、その他、精神異常者の固定ハンドルがたくさんいた。 ビートたけしの真似をする精神異常者もいなくなったし、 いまのほうがましですよ。 ID:2hM7PR4z これは続けて書きこんでいるだろう。 ≫数ヶ月ぶりよ 数か月後にくる、とか、数か月ぶり、とか、 そういうどうでもいい嘘をつくくらいならば、 書きこまなければいいと思うのだが。 >>235 いやあいつらは鬱陶しくても面白かったじゃん お前はとにかくつまらないよ 上記の引用の数々からしても断片的なウンチクだけの人 今後役に立ちそうなものは一つもない ボケ防止のリハビリを見てるみたいで萎える 嘘もついてないつもりだけどな だって意味ないじゃん 例外はあるかもしれんよ? どのレスか指摘してくれたらそうだとか違うとか言えるけど 自分ではっきり記憶しているのは最近だと7月下旬の書き込みからかな その前は数ヶ月空いてるはず それにしてもつまらんね お前はうんちく披露以外でいざ普通に会話するととにかく陰気なんだよね そりゃ孤立するわな ≫嘘もついてないつもりだけどな ≫だって意味ないじゃん 意味のないことを執拗にしているから精神異常だというのだ。 ≫いやあいつらは鬱陶しくても面白かったじゃん あなたが、その精神異常のプロ固定の生き残りだから、 そういうだろう。 ビートたけしの真似をする精神異常者が、いまは名無しで書きこんでいるとか。 >>239 だから指摘していいよって言ってんじゃんw 他人に向かって執拗に嘘つきとだけ言い続けるほうが精神異常の症例っぽいだろ? こんだけ相手にしてもらっておいてよくそんな嘘つき呼ばわりできるよねw お前みたいなやつにこんなふうに親切に向き合ってあげてるの俺くらいだろう? >>240 妄想始まってんじゃんw それって自己紹介だったりするのかな?俺は本当は〇〇なんだー!って? 俺はコテハンにする理由がわからないから一度もつけたことがない コテハンにするくらいならノイズの少ないブログとかで発言したほうがいいし、承認欲求とかもないし、仲良くなりたいと思う人もいないし、昔からコテハンにするほど頻繁には見に来ていない 昔のコテハンを褒めてお前をけなすから俺が昔のコテハン、って論理がおかしいよ そこに違和感を認められなくなるというのは、匿名掲示板に書き込み過ぎた弊害だよね 匿名Aが〇〇を庇ったら「〇〇ご本人登場」みたいなね、実際にはほとんどの場合、そんなもんじゃないよ レスを待つほどのやりとりでもないのでこっちはもう終わります ご随意に中上スレに戻して下さい ネット中毒というか、カミツキガメさんにとっては、 5ちゃんねるにおいて自分がどのように思われるかということが、 きわめて重大なことなのでしょう。 そういうことで、釈明の書き込みを長々とするのでしょう。 ≫レスを待つほどのやりとりでもないのでこっちはもう終わります ≫ご随意に中上スレに戻して下さい いちいちこういうどうでもいいことを書きたがる。 とにかく、5ちゃんねる文学板が、この人にとっては、 気になって気になって仕方がない、たいへんに重要な場なのだろう。 芥川賞を受賞するまでの、浄徳寺ツアー、鳩どもの家、19才の地図あたりまでは、中上は 「匿名性」に対して好意的だった気がするが、芥川賞受賞作の「岬」に始まる、熊野サーガで 匿名性に対してニュートラル中立になり、1980年から群像で連載が始まる「熊野集」で、中 上の春日地区土地改良開発の主体である中上の親戚の実質的な実名に近い暴露が始まったあた りまでの中上健次の変化は匿名性から実名性への変化として、注目されるべきな気がするが。 話は変わるが、柳美里が文壇バーで文芸批評家の絓秀実をぶん殴ったという話は割と有名な話 だが、韓国の文学を紹介することに積極的だった中上に親しみを多分抱いていた柳からすれば、 中上と親しかった絓秀実から、失礼な対応を受けたことは大変なショックだったに違いないと 共に、いかにもな絓秀実の性格を思わせるエピソードではあるw 受けた柳美里 >>248 追加として言えば、中上の実名性への転換や、中上自身の素性の暴露は柳美里の共感を誘った。 その結果が柳美里の「石に泳ぐ魚」ではないか? だが、柳美里の芥川賞受賞の1994年の2年前に中上は亡くなっていた。 だから、絓秀実は心置きなく柳を嬲ろうとした。 仮に、柳のアイデンティティがもっと匿名性で守られていれば、柳によるプライバシー侵害や名 誉権の侵害の裁判事件は起きなかったろう。書き手のアイデンティティが不明なのだから。 作者の実存と小説が不可分に受容されている作家に対して その仮定が何のためになされているのかさっぱり分からない ようするに>>213 における荷風随筆『傳通院』の記述を巡る話は 中上文学における匿名性→実名性という転換を補強するための例証だったわけですか? まあ、別の人のか書き込みなのかもしれませんが 確かに中上は批評家による「根拠づけ」を回避するために 「路地」というぼかした表現を使用したと柄谷との対談で語っていたわけですが その一方で新宿やその他国外の地域にも通じる概念的なものなのだとも述べていた筈で 中上が日本の被差別部落の構造に還元しきれない特殊性というか固有性に迫れているかと言えば・・・ 千年の愉楽以降の路地の仮構は大失敗だったのではないか・・・ 中上は別に路地をテーマに小説を書いてないから、さほど路地について突っ込んでいない 読み手が路地にとらわれた論考を書くと、途端につまらなくなる それよりも血族の愛憎にこそ中上文学の真髄があるだろう >>248 いかにもなとか言われても全然知らんわ 名前は見かける奴だけど >>251 俺は248と249を書いたけど、213を書いてないし、213の人物も知らん。 >>213 岩波書店の場合は石川淳の1967「至福千年」でも、同様の表現の改ざんがあったと推定されている(山口俊雄の石川淳﹁至福千年﹂論 ︱︿憑依﹀の論理学・︿憑依﹀の政治の)。 「至福千年」と中上の「千年の愉楽」は言葉の前後を入れ替えた感じだが、作風も下層民のアナーキーなエネルギーを描いてる点でも似ている。 山口俊雄によれば、石川淳は敗戦前後の頃、厚生省の外郭団体の仕事で全国の被差別部落を視察しており、穢多と非人の部落を混同すると思えないというのだが。 岩波は松原岩五郎や横山源之助らの明治2−30年代東京の貧民窟のレポートを出版しており、俺も昔、読んだが、差別語はカットされていたのか、どうか覚えてない。 >>254 知らなきゃそれで良い。 敢えて調べる必要があるスガじゃない。 中上文学を「路地文学」として論じるのはつまらないという人は、 そういうものでない文芸評論や研究論文でおもしろいものを例示すればよい。 それでもってすむことです。 熊野大学より、5chの中上スレの方がレベル上だろ。 路地って本当にあんなチンピラや荒くれ者みたいな人ばっかなの? 言われてみてみるとガチャピンたしかにかわいいね! 手足が短いのと困った目してるとことか >>256 そんなもの、ないだろう あったら教えてくれ >>251 >>「路地」というぼかした表現を使用したと柄谷との対談で語っていたわけですが その一方で新宿やその他国外の地域にも通じる概念的なものなのだとも述べていた筈で 日本の中上論でも、ウォルター・ベンヤミンの19世紀末の欧米の生活スピードの変化の 影響に触れる人がいたが、日本の中上の「路地」の場合は、平均的な速度の変化よりも、 その時点における加速が重要だ。 新宿の人込みにおいて生存するには、人込みを手際良く捌くために必要な優れた角加速度 や、絶対的な人込みに完全に服従する極度の従順さだろう。 エアコン取付助手の仕事で改良住宅の中に何度も長時間いた経験からすると、改良住宅の 家の中は非常に静かなんだ。 溶け込む 路地というのは中上的トポスを指す言葉であって、それ以上の意味はない ましてや国家や資本に対抗するためのマルクス主義に依拠した概念であるわけがない そんなことを書く輩は己の妄想を中上の路地を借りて垂れ流しているにすぎない >>264 路地がマルクス主義に依拠した概念であるとした輩なんて、このスレにいたか? >>264 幾らなんでも、路地がマルクス主義に依拠した概念であるとした輩なんて、このスレにいなかったと思うが。 >>267 126から引用すると、「したがって、中上の路地とは、国家に抗い資本に抗う、脱国家的かつ脱資本的な志向性をもつ社会として構想されていたと言えるだろう。」 ちゃんと「中上の路地とは」と断って書いてある。 そのマルクス主義者はマルクス主義を擁護するために中上の路地を借用して論じている 中上が路地を脱国家的、脱資本的な社会として構想していたとは笑わせる 中上のどのテクストにそんなことが書いてあるのか マルクス主義者の妄想に他ならない >>272 264の「ましてや国家や資本に対抗するためのマルクス主義に依拠した概念であるわけがない」から、 随分とトーンダウンしたようだが。 >>273 逆に言えば、右翼や保守には夢がない。 柄谷は「地の果て〜」の文庫版解説で「路地」を舞台とする前資本期の差異化の運動が その舞台崩壊とともに本格的に資本の運動へと移行することになった作品である と述べていたと記憶している この見解に則るのなら「路地」という伝統的共同体の解体によって ここを出自とする「個人」たちが「資本の運動」の中で生きていく様が後期作品のテーマになると思いますね 少なくともそう考えた方が図式的にはマルクス主義における「交通」の理論に合致するでしょう 簡単に言うと(革命)運動の主体であるプロレタリアートという奴ですね 場所的制約がら解放された運動主体だから革命も可能になると思いますが 126の「中上健次論」の著者の渡邊英理阪大准教授は、 いわゆる公式的マルクス主義のような考え方をしていない。 ポストコロニアル理論、オートノミズム・マルクス主義、 こちらの近い考え方だ。 本源的蓄積の暴力によって、生産手段と分離させられた人たちが、 もれなくすべて自由な産業賃労働者としてのプロレタリアートになるものではない。 とくに植民地的な「場」においては、その種の「移行」は、そうスムーズにはいかない。 「路地」というのは、いわば内国植民地だと渡邊氏はいう(私もそれに同意する) そして、「路地」のその内国植民地性には、 封建遺制的な要素もあるし、 どうじに、それを利用して近代においても新たにつくりだされてきたものされてきた要素もあるだろう。 ×つくりだされてきたものされてきた要素もあるだろう。 〇つくりだされてきた要素もあるだろう。 イコール産業労働者階級ではない、たとえば谷川雁などのいうような「プロレタリアート」というのは、 資本によって自らの労働(賃労働化していない労働をおおく含む)を搾取されるあらゆる人々、 つまりいまふうにいえば、協働するマルチチュード(ネグリ=ハート「帝国」)のことだろう。 ≫柄谷は「地の果て〜」の文庫版解説で「路地」を舞台とする前資本期の差異化の運動が ≫その舞台崩壊とともに本格的に資本の運動へと移行することになった作品 それに柄谷行人は、「前資本主義の差異化の運動」といっており、 本源的蓄積における権力および暴力の作用とはいっていないでしょう。 「地の果て…」のおける「路地の解体」は、 いかにもポストモダン的な「差異化」という言葉で表すべきものではないと 私は思う。 柄谷先生は、中上健次にたいする友情は失っていないのでしょうが、 批評においては中上文学を裏切っていますよ。 中上健次は「路地はどこにでもある」といっていた。 新宮市の同和地区である路地の消滅後にも、「路地」はどこにでもあるというわけですよ。 中上思想において、新宮市の路地は、なにも「路地」のなかで特別なものだとはされていない (ただし、個人としての思い入れはあるだろう)。 「路地」は、同一平面上のリゾーム的な繋がりを持つ脱中心的な社会だから、 ≫マルクス主義における「交通」の理論に合致する これはその通りだと思います。 ×リゾーム的な繋がりを持つ 〇リゾーム的な繋がりを持つ「松坂牛的」(デリダとの対談)な 277の訂正 ×生産手段と分離させられた人たち 〇生産手段とその労働を分離させられた人たち >>274 そう思うと「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない」って言う チャーチルが言ったとか言わないとかされてる例のこの言葉って真理だよね 「物語こそ、わたしの議論のかなめであり、わたしの基本的な観点とは、探検家や小説家が世界の未知な領域について語ることの核心には、物語がひそむこと、また物語は、植民地化された人びとが、 みずからのアイデンティティとみずからの歴史の存在を主張するときに使う手段ともなるということである。帝国主義における主要な戦いは、土地をめぐるものであることはいうまでもない。 しかし、誰がその土地を所有し、誰がそこに定住し耕作するのか、誰が土地を存続させるのか、誰が土地を奪い返すのか、誰がいま土地の未来を計画するのかが問題になるとき、 こうした問題に考察をくわえ、異議をとなえ、また一時的であれ結論をもたらすのは物語なのである。ある批評家が示唆したように、国民そのものも物語である。物語る力、 あるいは他者の物語の形成や出現をはばむ力こそ、文化にとっても帝国主義にとってもきわめて重要であり、文化と帝国主義とをむすびつける要因のひとつともなっている。 きわめつけに重要なこと。それは植民地世界では、解放と啓蒙という大きな物語が、ひとびとを動員して、帝国主義的隷属に対してたちあがらせ、帝国主義を打破せしめたことであり、 その過程において、多くの欧米人もまた、そうした物語や、物語の主人公たちに心うごかされ、平等と人間の共同体をめぐるあらたな物語のために戦ったことである。」 (サイード著大橋洋一訳「文化と帝国主義」) 『地の果て 至上の時』新潮文庫の解説はマルクス主義者柄谷行人 やはりマルクス主義の観点にこだわって路地を論じていて非文学的だ そこへいくと、講談社文芸文庫の解説を書いた辻原登は もっと文学的にアプローチしているのだが、割とありきたりで面白みがない インスクリプトのいとうせいこうの解説が中上のメタフィクションの 試みを解析していて、いちばん読み応えがある 『地の果て 至上の時』はまだまだ謎の多いテクストだ 『地の果て』は昔の彼女をレイプするところがなあ そういう不快で不必要な部分を書いてしまう中上の “弱さ” 先日の熊野大学では、紀和鏡、奥泉光、いとうせいこうが こぞって『地の果て至上の時』を強調したという もう半世紀ぐらい中上・柄谷・蓮實・浅田に忠節を尽くす「中上軍団」やな 律儀なこって 執筆当初は匿名性の記号的表現だった「路地」がいつのまにか構造的な概念に変容して 現実の「路地」の解体に遭遇してもなお物語としての「路地」が継続する この物語では母権的な土壌であった「路地」の子供たちが 現代社会で活動する後日譚のような形で進行し、貴種転生譚のような色彩を帯びてくる 柄谷は四方田の悪影響だ、とこの部分を切り捨てたわけだけど 神話的な物語が歴史的な時間軸を持った物語に移行するにあたって 一種の再帰性として路地の物語が随伴(そして復活)するという作者の目論見もあっただろうから そんなに簡単に歴史主義への移行がなされるとは思えない 安易な一般化を拒むというのが語り部である中上の基本姿勢だったので 階級意識という形で平準化されることを容認するとは思えない 中上の「秋幸」三部作は『アブサロム、アブサロム!』を下敷きにしている 「中上から見れば、ラシュディは路地の作家」 (柄谷行人「枯木灘」文庫解説) ともあれ、熊野隠国の封印は、新宮の路地を樹の一本もないかのような新開地風景に変えることで、 するすると解かれてしまった。マッチ箱ほどの一角におしこめられていた神呪は、 ブルドーザーの風とともに舞い上がった。卍字のかたちに結びあっていた憑依は、 純粋プロレタリアートの道をたどる者たちの間で、水の胎蔵界と火の金剛界の両面に沿って分裂した。 われわれは現代アジアの圧痛点に一人の物語作家を得た。 ゆくてはほとんど動かしがたいように思われる。 水と火の憑依の新たな大集合へ、南へ― (谷川雁 「憑依の分裂を知る者」) 谷川による読解ではどういうことが述べられていたかというと ほんらい農耕上の不毛の地たる熊野新宮は交通の要衝でもあり それゆえに朝廷から忌避・警戒される隠国として封印される存在であった この特殊性は決して路地一般として把握されるものではない また、この生産から隔離された抑圧条件はプロレタリアートとしての純粋性の土壌足り得るのだが 同時に豊かな海からも隔離された屈折した心情(ようするに疎外)から水の行という倫理志向につながる。 この憑依ともいうべき心情を養分として歴史改変と至福1000年的権力基盤の確立を目指す いわば「王」として浜村龍造は位置づけられる しかし、この水の憑依者と対をなす火の憑依者は補陀落渡海伝説につながる自由の求道者であり、 もはや権力の養分と化した「路地」を焼き払うことによってプロレタリアートの解放を目指したのだ と、かなりロマンチックなことを言っていたわけです 龍造がメシア主義者として地上の権力を希求するものであるとするのなら 秋幸はこの権力を否定して魂の解放を目指す救済者ともいうべきか まあ、谷川の読みをさらに展開した解釈ですけどね 宇多田ヒカルが好きな中上健次作品 岬、枯木灘、地の果て 至上の時、十九歳の地図、千年の愉楽、 熊野集、奇蹟、鳳仙花、十九歳のジェイコブ アメリカの作家で中上が関心を持ってたのはやはり?ジェームズ・ボールドウィンだろ。 作家と言っていいか微妙だが エリック・ホッファーもそうだろ よし、宇多田ヒカルと宇佐美りんで中上健次に関する対談をしてもらおう。むかしテレビ番組の『タイプライターズ』に宇佐美りんがゲストで出ていた回、彼女が中上が大好きだと話をふったが、司会の又吉、加藤は見事なまでにスルーした。台本になかったので、反応出来なかったのだろう。まあシゲアキあたりは中上なんて読まないだろうし。 いや、マジでやるべき。そういう事をやらないからダメなんだよ。宇多田は。 というのは冗談です。やって下さい宇多田さんm(_ _)m よし、『文藝』編集長頼むわ。実現したら久しぶりに『文藝』買うから。 『十九歳の地図』いいな 若者、社会、人生を凝縮して描いた秀作 『灰色のコカコーラ』を読んで、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』を書いた 後者の方が断然出来がいい 灰色のコカコーラってぶっちゃけ大江のわれらの時代の焼き直しだよなぁ 「日本語について」は大江健三郎「戦いの今日」の模倣作 『十九歳の地図』は『岬』よりも優れている これは少数意見だが、自信がある 明治以降の日本では、東京を中心とした鉄道網が敷かれてきた。全国のどこの駅にいようと、東京から離れるほうが「下り」、逆に近づくほうが「上り」だった。 しかし和歌山県の新宮は、戦後もなお上りが東京とつながらなかった。新宮を通る紀勢西線の下りは阪和線を介して大阪府の天王寺まで行けたのに対し、上りはせい 三重県の新鹿(あたしか)までしか行けなかったからだ。さらに先に行くには、矢ノ川峠(やのことうげ)という難所を越えねばならなかった この難所を避けるルートで紀勢東線と西線がつながって紀勢本線が全通し、新宮から名古屋まで直通の列車が走り始めたのは 1959(昭和34)年7月。これでようやく上り列車で新宮から東京に行けるようになった。 作家の中上健次は、46年に新宮で生まれ、市内の小学校に通った。つまり中上の小学生時代には、紀勢本線は全通していなかった 全通する直前の新宮駅の時刻表を見ると、下りは準急「はやたま」や準急「くまの」など、天王寺ゆきの準急や普通が6本ある。一方、上りは紀伊木本(現・熊野市)ゆきか新鹿ゆきの普通しかない。 中上が77年に紀伊半島の各地を巡った体験を記したルポルタージュ『紀州』で最後に訪れたのは天王寺だった 中上は天王寺を、「半島の西のつけ根に当たる土地」としてとらえている。 「天王寺、その地名の響きは紀伊半島の者に一種独特なものがある。此処(ここ) をくぐって半島から外へ出、此処をくぐって半島に入る。正直、私は何度、この土地に来ただろう。子供の頃から天王寺とは私を催眠状態にさせた。 紀州熊野新宮に生まれた私に此処は彼方(かなた)であった」 この感覚は、自動車がまだ普及せず、鉄道が陸上輸送の主役だった50年代に育まれたものだろう う。『紀州』は中上自身が車を走らせながら書いた作品だが、天王寺に対する思いの深さは当時の交通事情を念頭に 置かなければ理解できないのではないか。 中上は天王寺を、「都会であり、近代」に見えたと回想する それは東北人にとっての上野と同様、頭端式のホームがある終着駅でもあった。しかし中上は、天王寺の周辺に位置する日雇い労働者の街釜ケ崎や、遊郭があった飛田にも足を延ばす。 東京と変わらない都会に見えたはずの天王寺が、実は生まれ育った新宮のように「差別、被差別の回路」と無縁でなかったとしているのだ ちなみに現在は、新宮から天王寺ゆきの列車はない。上り特急「南紀」は名古屋まで、下り特急「くろしお」は京都や新大阪まで通じ、新幹線に接続する。新宮は東京中心の鉄道網にすっかり組み込まれている 「挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、 かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の 独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始める。 大江健三郎や中上健次の長篇をめぐってしばしば口にされる読みにくさとは、そのような 言葉の独走によるものにほかならず、石川淳が駆使する上質の日本語には、そうした 波瀾万丈が本質的に欠けている。」蓮實重彦『小説から遠く離れて』 しかしそのような獰猛さが現代においてどれほどの価値を持つだろうか 獰猛さだけならスシローではしゃぐバカッターどもだって負けてはいないだろう >>318 では、現代では何が価値を持つのか、答えろ >>320 何も考えてないくせに偉そうなことを言うな、低能 >>322 お前はスシローではしゃぐのがお似合い 中上健次をろくに読んでないだろ >>323 無能お得意の決めつけっすね 考えずに済むからラクだよな レスが停滞しているから、蓮實の中上評を投下して、活性化したかった ところが、頭の悪そうなガキしか食い付かない ガッカリ いまだに蓮實中上と昔話に付き合ってくれる暇人をネットで探し続ける孤独老人 スシローのバカッターと同レベル ただでさえ見ず知らずの匿名掲示板で自分の考えを言うのだから 根本的に謙虚さがないと単なる荒らしみたいになって 結果子供の喧嘩みたいになる かまってちゃんを エネルギーに溢れてるとは誰も思わんな 蓮實が40年近く前に書いた批評を引用して反応求めるのは確かにみっともないほどのかまってちゃんだ エネルギーに乏しい年寄りは謙虚になりがち、かまってほしそうにしがち 今の日本に物質的な意味における「絶対的貧困」は無い しかし、精神的貧困は至る所にある この辺が中上健次さんの時代とは全く違ってる 物質的貧困が、差別を生んでいた時代と 精神的な貧困が、差別やイジメを生み出してる時代の差 「衣食足りて礼節を知る」 「衣食足りすぎて礼節を忘れる」 足り無くても、過剰に足り過ぎるのも不幸の元になるんだね 今の時代の欠点は、良い意味での心の「溜め」が無い、ノッペラ棒な世界に溢れてます メリハリが全く効いてないけど、規則や法令には無意味に従わせられるストレスフルな日々 うまくガス抜き出来ればいいけど、ここで躓くと癇癪玉が突然爆発して周囲も当人も破滅させられます もしかすると、こういう破滅を誰かもっと上層部で胡坐かいてるクソ野郎がニヤニヤしながら観戦してるのかもしれないな とくに、小泉内閣以降の日本でこの種の悪しきニヒリズムや虚無主義が蔓延ったと思う 誠意が無いというか、正気じゃ無いというか、自分だけが良ければ他はどうでも良いっていう感覚 >>337 其の要素を如実に体現して居るのが氏が「紀伊」等の著作等で言わんとする 大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性だね 大阪に於ける犯罪性や反社会的勢力、左翼や吉本興業の暗躍振りを目の当たりにすればまるでソウルの社会的問題と同属 特に巷を騒がす「たぬかな」為るインフルエンサー(不快な語句だが!)の横暴炎上振りは吉本興業のフォロワーだけに 不逞反日勢力の好む贅六精神が表れた醜悪さだ >>338 気持ちは理解できるけど、 福岡、広島、大阪東成で親爺の転勤で苦労させられた身からすると ここで実体験させられたのが、アラユル事には「おもて」と「ウラ」が同時盤踞 >>338 <<大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性>> これ違うよ、1988~90年まで鶴橋界隈の住人 それ以前は韓国遊学生として在日韓朝を冷静に観ましたけどズレてるいうか正鵠を外してる 通算1年以上、ソウルとプサン在住しましたが君、無いよね大韓民国に遊学在住経験は皆無や あんたの云ってる事って変なバイアス、つまり偏見に塗れた狭量な視点でしかないわな、多いんだ貴方みたいな御方 人間関係の三都物語 東京で~友人に成りたければ、喫茶店で一度お茶すれば良い 大阪で~友人に成りたければ、居酒屋で一献お酒を交わせば良い 名古屋で~友人に成りたければ、彼の本宅御座敷の床の間を背にした席に座れば良い でさー、コイツが使えないクズになり、乞食してまーす さてさて、この参都人のそれぞれの対応が面白い 東京人が~乞食友人を視たとき、知らん顔して通り過ぎます 大阪人が~乞食友人を視たら~、「おい、おまえ何してんだ?、ここまで落ちぶれたか、アホー」 「しゃねーこっっち来い」と言いながら近くの一杯飲み屋で越し方行く末を語り合う さーて名古屋人はどーしますか? そもそもだ、絶対に乞食まで友人を堕とし込みさせません ここでの教訓は、「簡単に友人に成れる」=「簡単に無関係な他人に成れる」 ゼニカネでしか繋がらない無意味な関係を幾ら構築しても時間の無駄 これを昔から示唆した有名な御伽噺でしたw ばかばかしいヒデー詐欺事件が発生しました、ここ最近 もうここまで馬鹿なウマシカしか日本の公教育が作成出来なかった事に大いに完敗と献杯を致します 物語の系譜はかなりエキサイティングではあるけど 読むのほんと骨折れる ケンザブロウノアニも3月3日に亡くなったんだよな 中上健次、大江健三郎文学と「格闘」 独自解釈記したメモ4枚発見 https://mainichi.jp/articles/20230408/k00/00m/040/201000c 6月にとうとう岩波文庫から中上健次短篇集が出るぞ〜 これで中上も古典に入ったな 岩波文庫『中上健次短篇集』 隆男と美津子/十九歳の地図/眠りの日々/修験/穢土 蛇淫/楽土/ラプラタ綺譚/かげろう/重力の都 10篇中6篇が現在文庫版で品切れになっている >>351 「十九歳の地図」と「蛇淫」が入っていて納得できる この2作は映画化されているように魅力があるから >>351 『熊野集』と『鳩どもの家』からは1篇も選ばれていない 『中上健次短篇集』岩波文庫、刊行前なのに早くも重版決定 よっぽど初版少なくしていたのか 時々影響公言する作家が出るおかげか 生きていた時から売れる作家ではなかったけど しぶとく今でも選集やら作家論やら出るな 純文学は売れない作家がほとんどで、死後50年以上経っても売れているのは太宰と三島くらい 文学の価値は大衆が本を買うかどうかではなく、研究者の論文が出続けること 中上健次に関しては昨年『中上健次論』が出て、話題になった 芥川とか漱石とか ていうか死後50年だったら エンタの方がみんな消えてる 好きな作家さんのスレは良いなあ。三島由紀夫は過剰評価されすぎだしな。三島由紀夫賞だったら断るわ。外人受け良すぎるだろ三島由紀夫って。中上けんじさんは海外でも有名なの? 中上はあまり英訳されていないから海外では無名だ 外国人にはあまり魅力がないのかな >>357 エンタメ小説は同時代に売れても結局後世に残らない 国語便覧の文学史を見てもエンタメは入っていない 娯楽として一時の退屈しのぎになるだけで、 それ以上の価値はないのがエンタメ 岩波文庫の緑にエンタメは入らない iBooksで買います全集。教えてくださり、感謝します。 46歳か。。。悲しい。今生きていたら、中上さんはどのように書くだろうかな? 紀州のドンファン事件をモチーフにして何か書いてほしい 生前は 大逆事件を書きたいと言っていた 書きたいがまだ力が足りないと 大石誠之助への言及も度々あったし 関心は続いていたんだろうけど 書けないまま死んだ >>349 確かに佐藤正午が岩波文庫的というのに入っているが、 緑に中上が入ったというのが重要だ 古典になったということだから >>366 秋幸という名前は大逆事件で処刑された幸徳秋水から取っている 岩波文庫の帯の文、何だかなーという印象 宮沢賢治みたいじゃないか 同じケンジだけどw 肯定するにしても否定するにしても 中上の危うい部分は消去されていくことで こうやって岩波に入ったりしていく 岩波文庫収録の10作はすでに持っているが、記念すべき岩波文庫第1作であり、 カバー写真とか編者の解説の点から、この文庫を入手した 道籏は『千年の愉楽』を中上の最高傑作と捉えているのが分かった 岩波文庫の短篇集、売れ行き好調のようで、東京堂書店では文庫1位らしい 長編『鳳仙花』がいま文庫が出ていないので、同文庫から出せばいい 中上の母をモデルにした女の一生ものだから、岩波にふさわしい 『讃歌』は全編性描写だから、無理だろうが 四方田犬彦が今夏熊野大学で中上健次とパゾリーニを講演する パゾリーニは父殺しのギリシャ悲劇『オイディプス王』を映画化した 邦題「アポロンの地獄」、1969年キネ旬ベストワン(しかもダントツ) 中上の『地の果て 至上の時』はこのギリシャ悲劇を現代に換骨奪胎したものだ 中上健次なんて秋元松代の作品の盗作ヤローだろw いい加減で熊野大学なんて廃止しろw 被差別部落出身のライターは必ず中上健次に言及しなければならないみたいな、踏み絵的習慣は捨て去るべきだろ。 中上自身が差別観を固定化してしまってる現状がある。 むしろ、個人的な差異として、そのまま個性を認め合う方向に行くべき。 最近の人類学で流行のontological turnがそうだと聞いてるが。 >>378 大江と安岡の短篇集も岩波文庫の緑に入っている 三島の短篇集も出せばいいのにな 岩波文庫のステルス・マーケティングを止めてくれ。 朝日新聞の恥ずかしさ満載の柄谷押しも岩波のステマもみっともなさでは甲乙つけがたい。 中上の売り物であるはずの物質性など嘘も甚だしい。 彼の作品の多くの元ネタが秋元松代や石川淳であることは明白であり、それが盗作と言わないまでも、中上のどうしようもない表象的文化への埋没であると指摘しておこう。 >>384 妄想じゃなくて、柄谷への挑発だが。 韻踏み夫の絓秀実論を読んだが、絓秀実の作品を俺は読んでないので、韻踏み夫の引用がどうとも判断できないが、 ブランショの「明かしえぬ共同体」の最も?大切な要素であるimpersonalな関係を見落としてる点で駄目だろ。 これは絓秀実や柄谷のナムに致命的に欠けていたこと。無論、チンケな絓秀実のコネを当てにする森脇その他がmpersonalityに 欠けることは言うまでもない。 四方田犬彦が今夏熊野大学で「中上健次とパゾリーニ」を講演する 彼は二人の評論本をそれぞれ書いている パゾリーニは父殺しのギリシャ悲劇『オイディプス王』を映画化した 邦題名「アポロンの地獄」で、1969年キネ旬ベストワン 中上の『地の果て 至上の時』はソポクレスを換骨奪胎した現代版だ 20世紀文学とはそういうものだ ジョイス『ユリシーズ』はホメロス『オデュッセイア』 ナボコフ『ロリータ』はポー『アナベル・リイ』 大江健三郎『人生の親戚』はバルザック『村の司祭』 >>389 >>20 世紀文学とはそういうものだ 俺は中上は換骨堕胎「ばかり」してるなと言ったんだが、正直、そこまで徹底して主張した訳じゃないが。 「20世紀文学とはそういうものだ」とか、あまり背伸びしない方がww 19歳の地図、英単語暗記カードを捨てて、肉体労働ばかりしている中上さん。アカの兄。 熊野大学での四方田犬彦の講演がどうだったか 情報がまったく出ていないのは何故なのか 中上健次のCD出版に際し、文芸誌の編集者の話しが語られています。一部分を省略して、転載しました。 中上を、同人誌「文芸首都」で知った。粗削りながらも、若者らしい力と、新しさを感じた。 文芸誌への執筆依頼の件で会いたいと書いたハガキを握りしめて、中上は受付へ現れた。出版社を訪ねるのも、編集者に会うのも初めてだった。 躊躇なく、袖口のほころびたセーター姿の若者を、サロンに入れた事は、問題になった。上司から、サロンは若者のたまり場ではないと注意された。詩を依頼した事を告げ、上司に言い返した。 予備校生と言ったが、その頃は学校に行かず、フーテンをしていた。 あなたが声を掛けてくれなければ、永山則夫のようになっていた。境遇が似ている、とも言っていた。二人は、新宿の同じジャズ喫茶にたむろしていたのだった。 「この世界は公平で、作品が全て」と言った時から、中上は一層深く、自分を慕うようになった。3歳違いの兄弟のようになった。 「岬」で芥川賞を受賞した。戦後生まれでは初めてで、29歳だった。当時、羽田空港で、肉体労働をしていた。 夜、記者会見場である新橋の第一ホテルに現れた中上は泥酔していたが、私の姿を見ると駆け寄ってきた。私の胸に顔を当て、ひとしきり泣きじゃくった後、小さな声で「あなたが、初めて俺を人間扱いしてくれた」と言った。 中上健次さんは、46歳の時、腎臓がんで、帰らぬ人となりました。 宇多田ヒカルは、中上作品について「日本の小説ではないみたい」と言った。 これは作品の構成の仕方が、欧米文学的だということだと思う。 中上という人は、日本文学においては、一、二の知的作家なのであって、 お涙頂戴みたいな人ではない。これは柄谷行人、浅田彰も言っていることである。 中上を世に出した、という自負をもつらしい編集者の、おそらく平々凡々たる生育環境のなかのありふれたことしか身をもって知らないであろう人物の、 あたかも「社会的弱者」をいたわるかのような、 上から目線、というか、バカさ加減には気色悪くて耐えがたいものがあるな。 死人に口なしなので、なんとでもいえる、ということなのだろう。 ちなみに、蓮實重彦の説話批判というのは、重点の置き方が間違っていると思う。 たとえば、三島由紀夫の作品の多くは、その内容は説話的であるが、その構成は小説的である。 日本の小説は、内容において説話的でないようにしていても、構成においては説話的なものがほとんどだと思う。 蓮實重彦は、「意味」を批判しながら、 自分自身はあんがい「意味という病」にとらわれていたということだろう。 日本文学、というか、マスコミ商売の何がダメかといえば、九割がたの一生涯学生サークル活動の延長をやっていたい人たちが、 組織内の人間として権限を持っていることだろう。その種の連中の農協の職員みたいな体質があらたまらないかぎり、寂滅するしかないであろう。 >>399 批判の正否はとっくに問題じゃないんだよ 誰についていきたいと思わせるかってだけ 蓮實はそこが上手だった 『地の果て 至上の時』の素晴らしさが分からない文芸評論家はダメだ 江藤淳、吉本隆明、川村二郎、蓮實重彦、誰も褒めなかった 中上の「浮島」での坂を下る時のキンマの描写は間違いで、キンマは上から引っ張りながら、ゆっくり降ろしていた。 >>397 とてもいい話だね。 中上は後年はやたらと大家ぶっていたし、海外在住が長くなるにつれ、日本文芸のエトスとして評論家に担がれた感ある 今にいたっては奇妙に伝説化されてるとまで言える しかし原点はそこなんだよね そうだろうね >>398 みたいなのが80年代以降増えすぎたことによって 本来の書き方を改めざるを得なくなったということだろう 中上健次なんか同作家だから、高卒なのにあれだけ出世したのにね。社会弱者の同作家。 家は建設会社で社長の御曹司。金持のぼんぼん。中上健次の悪口は熊野の路地で01、2年ころいろいろ聞いたよ。 同利権、パチンコ利権、食肉利権。ぜんぶいわゆる「差別」と結びついている。創価利権も 宇多田ヒカルさんが、中上さんの作品について「日本の小説とは違うみたい」と言っていたのを思い出しました。確かに、作品構成の仕方が欧米文学っぽいところがあるかもしれませんね。 中上さんは、日本の文壇の中でも、数少ない知性的な作家の一人だと思います。お涙頂戴のような作品は書かず、常に独自の視点で社会や人間を見つめていました。柄谷行人さんや浅田彰さんも、中上さんのことを高く評価していましたよね。 しかし、中上さんの作品を世に送り出した編集者の方は、おそらく平々凡々な環境で育ち、社会の底辺にいる人々の苦労を本当には理解できていないのではないでしょうか。そんな方が、あたかも「社会的弱者」をいたわるかのような上から目線の態度で中上さんについて語る姿には、正直言って腹立たしさを感じました。 もう中上さんは亡くなってしまったので、何を言われても何も言い返せません。しかし、だからといって、編集者の方が好き勝手なことを言っていいわけではありません。中上さんの作品を本当に理解するためには、もっと謙虚な姿勢で向き合う必要があるのではないでしょうか。 read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる