紀州【中上健次】熊野 2
>>251
俺は248と249を書いたけど、213を書いてないし、213の人物も知らん。
>>213
岩波書店の場合は石川淳の1967「至福千年」でも、同様の表現の改ざんがあったと推定されている(山口俊雄の石川淳﹁至福千年﹂論 ︱︿憑依﹀の論理学・︿憑依﹀の政治の)。
「至福千年」と中上の「千年の愉楽」は言葉の前後を入れ替えた感じだが、作風も下層民のアナーキーなエネルギーを描いてる点でも似ている。
山口俊雄によれば、石川淳は敗戦前後の頃、厚生省の外郭団体の仕事で全国の被差別部落を視察しており、穢多と非人の部落を混同すると思えないというのだが。
岩波は松原岩五郎や横山源之助らの明治2−30年代東京の貧民窟のレポートを出版しており、俺も昔、読んだが、差別語はカットされていたのか、どうか覚えてない。
>>254
知らなきゃそれで良い。
敢えて調べる必要があるスガじゃない。 中上文学を「路地文学」として論じるのはつまらないという人は、
そういうものでない文芸評論や研究論文でおもしろいものを例示すればよい。
それでもってすむことです。 熊野大学より、5chの中上スレの方がレベル上だろ。 路地って本当にあんなチンピラや荒くれ者みたいな人ばっかなの? 言われてみてみるとガチャピンたしかにかわいいね!
手足が短いのと困った目してるとことか >>256
そんなもの、ないだろう
あったら教えてくれ >>251
>>「路地」というぼかした表現を使用したと柄谷との対談で語っていたわけですが
その一方で新宿やその他国外の地域にも通じる概念的なものなのだとも述べていた筈で
日本の中上論でも、ウォルター・ベンヤミンの19世紀末の欧米の生活スピードの変化の
影響に触れる人がいたが、日本の中上の「路地」の場合は、平均的な速度の変化よりも、
その時点における加速が重要だ。
新宿の人込みにおいて生存するには、人込みを手際良く捌くために必要な優れた角加速度
や、絶対的な人込みに完全に服従する極度の従順さだろう。
エアコン取付助手の仕事で改良住宅の中に何度も長時間いた経験からすると、改良住宅の
家の中は非常に静かなんだ。
溶け込む 路地というのは中上的トポスを指す言葉であって、それ以上の意味はない
ましてや国家や資本に対抗するためのマルクス主義に依拠した概念であるわけがない
そんなことを書く輩は己の妄想を中上の路地を借りて垂れ流しているにすぎない >>264
路地がマルクス主義に依拠した概念であるとした輩なんて、このスレにいたか? >>264
幾らなんでも、路地がマルクス主義に依拠した概念であるとした輩なんて、このスレにいなかったと思うが。 >>267
126から引用すると、「したがって、中上の路地とは、国家に抗い資本に抗う、脱国家的かつ脱資本的な志向性をもつ社会として構想されていたと言えるだろう。」
ちゃんと「中上の路地とは」と断って書いてある。 そのマルクス主義者はマルクス主義を擁護するために中上の路地を借用して論じている 中上が路地を脱国家的、脱資本的な社会として構想していたとは笑わせる
中上のどのテクストにそんなことが書いてあるのか
マルクス主義者の妄想に他ならない >>272
264の「ましてや国家や資本に対抗するためのマルクス主義に依拠した概念であるわけがない」から、
随分とトーンダウンしたようだが。
>>273
逆に言えば、右翼や保守には夢がない。 柄谷は「地の果て〜」の文庫版解説で「路地」を舞台とする前資本期の差異化の運動が
その舞台崩壊とともに本格的に資本の運動へと移行することになった作品である
と述べていたと記憶している
この見解に則るのなら「路地」という伝統的共同体の解体によって
ここを出自とする「個人」たちが「資本の運動」の中で生きていく様が後期作品のテーマになると思いますね
少なくともそう考えた方が図式的にはマルクス主義における「交通」の理論に合致するでしょう
簡単に言うと(革命)運動の主体であるプロレタリアートという奴ですね
場所的制約がら解放された運動主体だから革命も可能になると思いますが 126の「中上健次論」の著者の渡邊英理阪大准教授は、
いわゆる公式的マルクス主義のような考え方をしていない。
ポストコロニアル理論、オートノミズム・マルクス主義、
こちらの近い考え方だ。
本源的蓄積の暴力によって、生産手段と分離させられた人たちが、
もれなくすべて自由な産業賃労働者としてのプロレタリアートになるものではない。
とくに植民地的な「場」においては、その種の「移行」は、そうスムーズにはいかない。
「路地」というのは、いわば内国植民地だと渡邊氏はいう(私もそれに同意する)
そして、「路地」のその内国植民地性には、
封建遺制的な要素もあるし、
どうじに、それを利用して近代においても新たにつくりだされてきたものされてきた要素もあるだろう。 ×つくりだされてきたものされてきた要素もあるだろう。
〇つくりだされてきた要素もあるだろう。 イコール産業労働者階級ではない、たとえば谷川雁などのいうような「プロレタリアート」というのは、
資本によって自らの労働(賃労働化していない労働をおおく含む)を搾取されるあらゆる人々、
つまりいまふうにいえば、協働するマルチチュード(ネグリ=ハート「帝国」)のことだろう。 ≫柄谷は「地の果て〜」の文庫版解説で「路地」を舞台とする前資本期の差異化の運動が
≫その舞台崩壊とともに本格的に資本の運動へと移行することになった作品
それに柄谷行人は、「前資本主義の差異化の運動」といっており、
本源的蓄積における権力および暴力の作用とはいっていないでしょう。
「地の果て…」のおける「路地の解体」は、
いかにもポストモダン的な「差異化」という言葉で表すべきものではないと
私は思う。
柄谷先生は、中上健次にたいする友情は失っていないのでしょうが、
批評においては中上文学を裏切っていますよ。 中上健次は「路地はどこにでもある」といっていた。
新宮市の同和地区である路地の消滅後にも、「路地」はどこにでもあるというわけですよ。
中上思想において、新宮市の路地は、なにも「路地」のなかで特別なものだとはされていない
(ただし、個人としての思い入れはあるだろう)。
「路地」は、同一平面上のリゾーム的な繋がりを持つ脱中心的な社会だから、
≫マルクス主義における「交通」の理論に合致する
これはその通りだと思います。 ×リゾーム的な繋がりを持つ
〇リゾーム的な繋がりを持つ「松坂牛的」(デリダとの対談)な 277の訂正
×生産手段と分離させられた人たち
〇生産手段とその労働を分離させられた人たち >>274
そう思うと「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない」って言う
チャーチルが言ったとか言わないとかされてる例のこの言葉って真理だよね 「物語こそ、わたしの議論のかなめであり、わたしの基本的な観点とは、探検家や小説家が世界の未知な領域について語ることの核心には、物語がひそむこと、また物語は、植民地化された人びとが、
みずからのアイデンティティとみずからの歴史の存在を主張するときに使う手段ともなるということである。帝国主義における主要な戦いは、土地をめぐるものであることはいうまでもない。
しかし、誰がその土地を所有し、誰がそこに定住し耕作するのか、誰が土地を存続させるのか、誰が土地を奪い返すのか、誰がいま土地の未来を計画するのかが問題になるとき、
こうした問題に考察をくわえ、異議をとなえ、また一時的であれ結論をもたらすのは物語なのである。ある批評家が示唆したように、国民そのものも物語である。物語る力、
あるいは他者の物語の形成や出現をはばむ力こそ、文化にとっても帝国主義にとってもきわめて重要であり、文化と帝国主義とをむすびつける要因のひとつともなっている。
きわめつけに重要なこと。それは植民地世界では、解放と啓蒙という大きな物語が、ひとびとを動員して、帝国主義的隷属に対してたちあがらせ、帝国主義を打破せしめたことであり、
その過程において、多くの欧米人もまた、そうした物語や、物語の主人公たちに心うごかされ、平等と人間の共同体をめぐるあらたな物語のために戦ったことである。」
(サイード著大橋洋一訳「文化と帝国主義」) 『地の果て 至上の時』新潮文庫の解説はマルクス主義者柄谷行人
やはりマルクス主義の観点にこだわって路地を論じていて非文学的だ
そこへいくと、講談社文芸文庫の解説を書いた辻原登は
もっと文学的にアプローチしているのだが、割とありきたりで面白みがない
インスクリプトのいとうせいこうの解説が中上のメタフィクションの
試みを解析していて、いちばん読み応えがある
『地の果て 至上の時』はまだまだ謎の多いテクストだ 『地の果て』は昔の彼女をレイプするところがなあ
そういう不快で不必要な部分を書いてしまう中上の “弱さ” 先日の熊野大学では、紀和鏡、奥泉光、いとうせいこうが
こぞって『地の果て至上の時』を強調したという もう半世紀ぐらい中上・柄谷・蓮實・浅田に忠節を尽くす「中上軍団」やな
律儀なこって 執筆当初は匿名性の記号的表現だった「路地」がいつのまにか構造的な概念に変容して
現実の「路地」の解体に遭遇してもなお物語としての「路地」が継続する
この物語では母権的な土壌であった「路地」の子供たちが
現代社会で活動する後日譚のような形で進行し、貴種転生譚のような色彩を帯びてくる
柄谷は四方田の悪影響だ、とこの部分を切り捨てたわけだけど
神話的な物語が歴史的な時間軸を持った物語に移行するにあたって
一種の再帰性として路地の物語が随伴(そして復活)するという作者の目論見もあっただろうから
そんなに簡単に歴史主義への移行がなされるとは思えない
安易な一般化を拒むというのが語り部である中上の基本姿勢だったので
階級意識という形で平準化されることを容認するとは思えない 中上の「秋幸」三部作は『アブサロム、アブサロム!』を下敷きにしている 「中上から見れば、ラシュディは路地の作家」
(柄谷行人「枯木灘」文庫解説) ともあれ、熊野隠国の封印は、新宮の路地を樹の一本もないかのような新開地風景に変えることで、
するすると解かれてしまった。マッチ箱ほどの一角におしこめられていた神呪は、
ブルドーザーの風とともに舞い上がった。卍字のかたちに結びあっていた憑依は、
純粋プロレタリアートの道をたどる者たちの間で、水の胎蔵界と火の金剛界の両面に沿って分裂した。
われわれは現代アジアの圧痛点に一人の物語作家を得た。
ゆくてはほとんど動かしがたいように思われる。
水と火の憑依の新たな大集合へ、南へ― (谷川雁 「憑依の分裂を知る者」) 谷川による読解ではどういうことが述べられていたかというと
ほんらい農耕上の不毛の地たる熊野新宮は交通の要衝でもあり
それゆえに朝廷から忌避・警戒される隠国として封印される存在であった
この特殊性は決して路地一般として把握されるものではない
また、この生産から隔離された抑圧条件はプロレタリアートとしての純粋性の土壌足り得るのだが
同時に豊かな海からも隔離された屈折した心情(ようするに疎外)から水の行という倫理志向につながる。
この憑依ともいうべき心情を養分として歴史改変と至福1000年的権力基盤の確立を目指す
いわば「王」として浜村龍造は位置づけられる
しかし、この水の憑依者と対をなす火の憑依者は補陀落渡海伝説につながる自由の求道者であり、
もはや権力の養分と化した「路地」を焼き払うことによってプロレタリアートの解放を目指したのだ
と、かなりロマンチックなことを言っていたわけです
龍造がメシア主義者として地上の権力を希求するものであるとするのなら
秋幸はこの権力を否定して魂の解放を目指す救済者ともいうべきか
まあ、谷川の読みをさらに展開した解釈ですけどね 宇多田ヒカルが好きな中上健次作品
岬、枯木灘、地の果て 至上の時、十九歳の地図、千年の愉楽、
熊野集、奇蹟、鳳仙花、十九歳のジェイコブ アメリカの作家で中上が関心を持ってたのはやはり?ジェームズ・ボールドウィンだろ。 作家と言っていいか微妙だが
エリック・ホッファーもそうだろ よし、宇多田ヒカルと宇佐美りんで中上健次に関する対談をしてもらおう。むかしテレビ番組の『タイプライターズ』に宇佐美りんがゲストで出ていた回、彼女が中上が大好きだと話をふったが、司会の又吉、加藤は見事なまでにスルーした。台本になかったので、反応出来なかったのだろう。まあシゲアキあたりは中上なんて読まないだろうし。 いや、マジでやるべき。そういう事をやらないからダメなんだよ。宇多田は。 というのは冗談です。やって下さい宇多田さんm(_ _)m よし、『文藝』編集長頼むわ。実現したら久しぶりに『文藝』買うから。 『十九歳の地図』いいな
若者、社会、人生を凝縮して描いた秀作 『灰色のコカコーラ』を読んで、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』を書いた
後者の方が断然出来がいい 灰色のコカコーラってぶっちゃけ大江のわれらの時代の焼き直しだよなぁ 「日本語について」は大江健三郎「戦いの今日」の模倣作 『十九歳の地図』は『岬』よりも優れている
これは少数意見だが、自信がある 明治以降の日本では、東京を中心とした鉄道網が敷かれてきた。全国のどこの駅にいようと、東京から離れるほうが「下り」、逆に近づくほうが「上り」だった。
しかし和歌山県の新宮は、戦後もなお上りが東京とつながらなかった。新宮を通る紀勢西線の下りは阪和線を介して大阪府の天王寺まで行けたのに対し、上りはせい
三重県の新鹿(あたしか)までしか行けなかったからだ。さらに先に行くには、矢ノ川峠(やのことうげ)という難所を越えねばならなかった
この難所を避けるルートで紀勢東線と西線がつながって紀勢本線が全通し、新宮から名古屋まで直通の列車が走り始めたのは
1959(昭和34)年7月。これでようやく上り列車で新宮から東京に行けるようになった。
作家の中上健次は、46年に新宮で生まれ、市内の小学校に通った。つまり中上の小学生時代には、紀勢本線は全通していなかった
全通する直前の新宮駅の時刻表を見ると、下りは準急「はやたま」や準急「くまの」など、天王寺ゆきの準急や普通が6本ある。一方、上りは紀伊木本(現・熊野市)ゆきか新鹿ゆきの普通しかない。
中上が77年に紀伊半島の各地を巡った体験を記したルポルタージュ『紀州』で最後に訪れたのは天王寺だった 中上は天王寺を、「半島の西のつけ根に当たる土地」としてとらえている。 「天王寺、その地名の響きは紀伊半島の者に一種独特なものがある。此処(ここ)
をくぐって半島から外へ出、此処をくぐって半島に入る。正直、私は何度、この土地に来ただろう。子供の頃から天王寺とは私を催眠状態にさせた。
紀州熊野新宮に生まれた私に此処は彼方(かなた)であった」 この感覚は、自動車がまだ普及せず、鉄道が陸上輸送の主役だった50年代に育まれたものだろう
う。『紀州』は中上自身が車を走らせながら書いた作品だが、天王寺に対する思いの深さは当時の交通事情を念頭に
置かなければ理解できないのではないか。 中上は天王寺を、「都会であり、近代」に見えたと回想する
それは東北人にとっての上野と同様、頭端式のホームがある終着駅でもあった。しかし中上は、天王寺の周辺に位置する日雇い労働者の街釜ケ崎や、遊郭があった飛田にも足を延ばす。
東京と変わらない都会に見えたはずの天王寺が、実は生まれ育った新宮のように「差別、被差別の回路」と無縁でなかったとしているのだ
ちなみに現在は、新宮から天王寺ゆきの列車はない。上り特急「南紀」は名古屋まで、下り特急「くろしお」は京都や新大阪まで通じ、新幹線に接続する。新宮は東京中心の鉄道網にすっかり組み込まれている 「挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、
かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の
独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始める。
大江健三郎や中上健次の長篇をめぐってしばしば口にされる読みにくさとは、そのような
言葉の独走によるものにほかならず、石川淳が駆使する上質の日本語には、そうした
波瀾万丈が本質的に欠けている。」蓮實重彦『小説から遠く離れて』 しかしそのような獰猛さが現代においてどれほどの価値を持つだろうか
獰猛さだけならスシローではしゃぐバカッターどもだって負けてはいないだろう >>318
では、現代では何が価値を持つのか、答えろ >>320
何も考えてないくせに偉そうなことを言うな、低能 >>322
お前はスシローではしゃぐのがお似合い
中上健次をろくに読んでないだろ >>323
無能お得意の決めつけっすね
考えずに済むからラクだよな レスが停滞しているから、蓮實の中上評を投下して、活性化したかった
ところが、頭の悪そうなガキしか食い付かない
ガッカリ いまだに蓮實中上と昔話に付き合ってくれる暇人をネットで探し続ける孤独老人
スシローのバカッターと同レベル ただでさえ見ず知らずの匿名掲示板で自分の考えを言うのだから
根本的に謙虚さがないと単なる荒らしみたいになって
結果子供の喧嘩みたいになる かまってちゃんを
エネルギーに溢れてるとは誰も思わんな 蓮實が40年近く前に書いた批評を引用して反応求めるのは確かにみっともないほどのかまってちゃんだ エネルギーに乏しい年寄りは謙虚になりがち、かまってほしそうにしがち 今の日本に物質的な意味における「絶対的貧困」は無い
しかし、精神的貧困は至る所にある
この辺が中上健次さんの時代とは全く違ってる
物質的貧困が、差別を生んでいた時代と
精神的な貧困が、差別やイジメを生み出してる時代の差
「衣食足りて礼節を知る」
「衣食足りすぎて礼節を忘れる」
足り無くても、過剰に足り過ぎるのも不幸の元になるんだね 今の時代の欠点は、良い意味での心の「溜め」が無い、ノッペラ棒な世界に溢れてます
メリハリが全く効いてないけど、規則や法令には無意味に従わせられるストレスフルな日々
うまくガス抜き出来ればいいけど、ここで躓くと癇癪玉が突然爆発して周囲も当人も破滅させられます
もしかすると、こういう破滅を誰かもっと上層部で胡坐かいてるクソ野郎がニヤニヤしながら観戦してるのかもしれないな
とくに、小泉内閣以降の日本でこの種の悪しきニヒリズムや虚無主義が蔓延ったと思う
誠意が無いというか、正気じゃ無いというか、自分だけが良ければ他はどうでも良いっていう感覚 >>337
其の要素を如実に体現して居るのが氏が「紀伊」等の著作等で言わんとする
大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性だね
大阪に於ける犯罪性や反社会的勢力、左翼や吉本興業の暗躍振りを目の当たりにすればまるでソウルの社会的問題と同属
特に巷を騒がす「たぬかな」為るインフルエンサー(不快な語句だが!)の横暴炎上振りは吉本興業のフォロワーだけに
不逞反日勢力の好む贅六精神が表れた醜悪さだ >>338
気持ちは理解できるけど、
福岡、広島、大阪東成で親爺の転勤で苦労させられた身からすると
ここで実体験させられたのが、アラユル事には「おもて」と「ウラ」が同時盤踞 >>338
<<大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性>>
これ違うよ、1988~90年まで鶴橋界隈の住人
それ以前は韓国遊学生として在日韓朝を冷静に観ましたけどズレてるいうか正鵠を外してる 通算1年以上、ソウルとプサン在住しましたが君、無いよね大韓民国に遊学在住経験は皆無や
あんたの云ってる事って変なバイアス、つまり偏見に塗れた狭量な視点でしかないわな、多いんだ貴方みたいな御方 人間関係の三都物語
東京で~友人に成りたければ、喫茶店で一度お茶すれば良い
大阪で~友人に成りたければ、居酒屋で一献お酒を交わせば良い
名古屋で~友人に成りたければ、彼の本宅御座敷の床の間を背にした席に座れば良い
でさー、コイツが使えないクズになり、乞食してまーす
さてさて、この参都人のそれぞれの対応が面白い
東京人が~乞食友人を視たとき、知らん顔して通り過ぎます
大阪人が~乞食友人を視たら~、「おい、おまえ何してんだ?、ここまで落ちぶれたか、アホー」
「しゃねーこっっち来い」と言いながら近くの一杯飲み屋で越し方行く末を語り合う
さーて名古屋人はどーしますか?
そもそもだ、絶対に乞食まで友人を堕とし込みさせません
ここでの教訓は、「簡単に友人に成れる」=「簡単に無関係な他人に成れる」
ゼニカネでしか繋がらない無意味な関係を幾ら構築しても時間の無駄
これを昔から示唆した有名な御伽噺でしたw ばかばかしいヒデー詐欺事件が発生しました、ここ最近
もうここまで馬鹿なウマシカしか日本の公教育が作成出来なかった事に大いに完敗と献杯を致します 物語の系譜はかなりエキサイティングではあるけど
読むのほんと骨折れる ケンザブロウノアニも3月3日に亡くなったんだよな
中上健次、大江健三郎文学と「格闘」 独自解釈記したメモ4枚発見
https://mainichi.jp/articles/20230408/k00/00m/040/201000c 6月にとうとう岩波文庫から中上健次短篇集が出るぞ〜
これで中上も古典に入ったな 岩波文庫『中上健次短篇集』
隆男と美津子/十九歳の地図/眠りの日々/修験/穢土
蛇淫/楽土/ラプラタ綺譚/かげろう/重力の都
10篇中6篇が現在文庫版で品切れになっている >>351
「十九歳の地図」と「蛇淫」が入っていて納得できる
この2作は映画化されているように魅力があるから >>351
『熊野集』と『鳩どもの家』からは1篇も選ばれていない 『中上健次短篇集』岩波文庫、刊行前なのに早くも重版決定 よっぽど初版少なくしていたのか
時々影響公言する作家が出るおかげか
生きていた時から売れる作家ではなかったけど
しぶとく今でも選集やら作家論やら出るな