紀州【中上健次】熊野 2
『十九歳の地図』いいな
若者、社会、人生を凝縮して描いた秀作 『灰色のコカコーラ』を読んで、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』を書いた
後者の方が断然出来がいい 灰色のコカコーラってぶっちゃけ大江のわれらの時代の焼き直しだよなぁ 「日本語について」は大江健三郎「戦いの今日」の模倣作 『十九歳の地図』は『岬』よりも優れている
これは少数意見だが、自信がある 明治以降の日本では、東京を中心とした鉄道網が敷かれてきた。全国のどこの駅にいようと、東京から離れるほうが「下り」、逆に近づくほうが「上り」だった。
しかし和歌山県の新宮は、戦後もなお上りが東京とつながらなかった。新宮を通る紀勢西線の下りは阪和線を介して大阪府の天王寺まで行けたのに対し、上りはせい
三重県の新鹿(あたしか)までしか行けなかったからだ。さらに先に行くには、矢ノ川峠(やのことうげ)という難所を越えねばならなかった
この難所を避けるルートで紀勢東線と西線がつながって紀勢本線が全通し、新宮から名古屋まで直通の列車が走り始めたのは
1959(昭和34)年7月。これでようやく上り列車で新宮から東京に行けるようになった。
作家の中上健次は、46年に新宮で生まれ、市内の小学校に通った。つまり中上の小学生時代には、紀勢本線は全通していなかった
全通する直前の新宮駅の時刻表を見ると、下りは準急「はやたま」や準急「くまの」など、天王寺ゆきの準急や普通が6本ある。一方、上りは紀伊木本(現・熊野市)ゆきか新鹿ゆきの普通しかない。
中上が77年に紀伊半島の各地を巡った体験を記したルポルタージュ『紀州』で最後に訪れたのは天王寺だった 中上は天王寺を、「半島の西のつけ根に当たる土地」としてとらえている。 「天王寺、その地名の響きは紀伊半島の者に一種独特なものがある。此処(ここ)
をくぐって半島から外へ出、此処をくぐって半島に入る。正直、私は何度、この土地に来ただろう。子供の頃から天王寺とは私を催眠状態にさせた。
紀州熊野新宮に生まれた私に此処は彼方(かなた)であった」 この感覚は、自動車がまだ普及せず、鉄道が陸上輸送の主役だった50年代に育まれたものだろう
う。『紀州』は中上自身が車を走らせながら書いた作品だが、天王寺に対する思いの深さは当時の交通事情を念頭に
置かなければ理解できないのではないか。 中上は天王寺を、「都会であり、近代」に見えたと回想する
それは東北人にとっての上野と同様、頭端式のホームがある終着駅でもあった。しかし中上は、天王寺の周辺に位置する日雇い労働者の街釜ケ崎や、遊郭があった飛田にも足を延ばす。
東京と変わらない都会に見えたはずの天王寺が、実は生まれ育った新宮のように「差別、被差別の回路」と無縁でなかったとしているのだ
ちなみに現在は、新宮から天王寺ゆきの列車はない。上り特急「南紀」は名古屋まで、下り特急「くろしお」は京都や新大阪まで通じ、新幹線に接続する。新宮は東京中心の鉄道網にすっかり組み込まれている 「挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、
かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の
独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始める。
大江健三郎や中上健次の長篇をめぐってしばしば口にされる読みにくさとは、そのような
言葉の独走によるものにほかならず、石川淳が駆使する上質の日本語には、そうした
波瀾万丈が本質的に欠けている。」蓮實重彦『小説から遠く離れて』 しかしそのような獰猛さが現代においてどれほどの価値を持つだろうか
獰猛さだけならスシローではしゃぐバカッターどもだって負けてはいないだろう >>318
では、現代では何が価値を持つのか、答えろ >>320
何も考えてないくせに偉そうなことを言うな、低能 >>322
お前はスシローではしゃぐのがお似合い
中上健次をろくに読んでないだろ >>323
無能お得意の決めつけっすね
考えずに済むからラクだよな レスが停滞しているから、蓮實の中上評を投下して、活性化したかった
ところが、頭の悪そうなガキしか食い付かない
ガッカリ いまだに蓮實中上と昔話に付き合ってくれる暇人をネットで探し続ける孤独老人
スシローのバカッターと同レベル ただでさえ見ず知らずの匿名掲示板で自分の考えを言うのだから
根本的に謙虚さがないと単なる荒らしみたいになって
結果子供の喧嘩みたいになる かまってちゃんを
エネルギーに溢れてるとは誰も思わんな 蓮實が40年近く前に書いた批評を引用して反応求めるのは確かにみっともないほどのかまってちゃんだ エネルギーに乏しい年寄りは謙虚になりがち、かまってほしそうにしがち 今の日本に物質的な意味における「絶対的貧困」は無い
しかし、精神的貧困は至る所にある
この辺が中上健次さんの時代とは全く違ってる
物質的貧困が、差別を生んでいた時代と
精神的な貧困が、差別やイジメを生み出してる時代の差
「衣食足りて礼節を知る」
「衣食足りすぎて礼節を忘れる」
足り無くても、過剰に足り過ぎるのも不幸の元になるんだね 今の時代の欠点は、良い意味での心の「溜め」が無い、ノッペラ棒な世界に溢れてます
メリハリが全く効いてないけど、規則や法令には無意味に従わせられるストレスフルな日々
うまくガス抜き出来ればいいけど、ここで躓くと癇癪玉が突然爆発して周囲も当人も破滅させられます
もしかすると、こういう破滅を誰かもっと上層部で胡坐かいてるクソ野郎がニヤニヤしながら観戦してるのかもしれないな
とくに、小泉内閣以降の日本でこの種の悪しきニヒリズムや虚無主義が蔓延ったと思う
誠意が無いというか、正気じゃ無いというか、自分だけが良ければ他はどうでも良いっていう感覚 >>337
其の要素を如実に体現して居るのが氏が「紀伊」等の著作等で言わんとする
大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性だね
大阪に於ける犯罪性や反社会的勢力、左翼や吉本興業の暗躍振りを目の当たりにすればまるでソウルの社会的問題と同属
特に巷を騒がす「たぬかな」為るインフルエンサー(不快な語句だが!)の横暴炎上振りは吉本興業のフォロワーだけに
不逞反日勢力の好む贅六精神が表れた醜悪さだ >>338
気持ちは理解できるけど、
福岡、広島、大阪東成で親爺の転勤で苦労させられた身からすると
ここで実体験させられたのが、アラユル事には「おもて」と「ウラ」が同時盤踞 >>338
<<大阪独特の事情に裏打ちされる韓国社会と酷似した特異性>>
これ違うよ、1988~90年まで鶴橋界隈の住人
それ以前は韓国遊学生として在日韓朝を冷静に観ましたけどズレてるいうか正鵠を外してる 通算1年以上、ソウルとプサン在住しましたが君、無いよね大韓民国に遊学在住経験は皆無や
あんたの云ってる事って変なバイアス、つまり偏見に塗れた狭量な視点でしかないわな、多いんだ貴方みたいな御方 人間関係の三都物語
東京で~友人に成りたければ、喫茶店で一度お茶すれば良い
大阪で~友人に成りたければ、居酒屋で一献お酒を交わせば良い
名古屋で~友人に成りたければ、彼の本宅御座敷の床の間を背にした席に座れば良い
でさー、コイツが使えないクズになり、乞食してまーす
さてさて、この参都人のそれぞれの対応が面白い
東京人が~乞食友人を視たとき、知らん顔して通り過ぎます
大阪人が~乞食友人を視たら~、「おい、おまえ何してんだ?、ここまで落ちぶれたか、アホー」
「しゃねーこっっち来い」と言いながら近くの一杯飲み屋で越し方行く末を語り合う
さーて名古屋人はどーしますか?
そもそもだ、絶対に乞食まで友人を堕とし込みさせません
ここでの教訓は、「簡単に友人に成れる」=「簡単に無関係な他人に成れる」
ゼニカネでしか繋がらない無意味な関係を幾ら構築しても時間の無駄
これを昔から示唆した有名な御伽噺でしたw ばかばかしいヒデー詐欺事件が発生しました、ここ最近
もうここまで馬鹿なウマシカしか日本の公教育が作成出来なかった事に大いに完敗と献杯を致します 物語の系譜はかなりエキサイティングではあるけど
読むのほんと骨折れる ケンザブロウノアニも3月3日に亡くなったんだよな
中上健次、大江健三郎文学と「格闘」 独自解釈記したメモ4枚発見
https://mainichi.jp/articles/20230408/k00/00m/040/201000c 6月にとうとう岩波文庫から中上健次短篇集が出るぞ〜
これで中上も古典に入ったな 岩波文庫『中上健次短篇集』
隆男と美津子/十九歳の地図/眠りの日々/修験/穢土
蛇淫/楽土/ラプラタ綺譚/かげろう/重力の都
10篇中6篇が現在文庫版で品切れになっている >>351
「十九歳の地図」と「蛇淫」が入っていて納得できる
この2作は映画化されているように魅力があるから >>351
『熊野集』と『鳩どもの家』からは1篇も選ばれていない 『中上健次短篇集』岩波文庫、刊行前なのに早くも重版決定 よっぽど初版少なくしていたのか
時々影響公言する作家が出るおかげか
生きていた時から売れる作家ではなかったけど
しぶとく今でも選集やら作家論やら出るな 純文学は売れない作家がほとんどで、死後50年以上経っても売れているのは太宰と三島くらい
文学の価値は大衆が本を買うかどうかではなく、研究者の論文が出続けること
中上健次に関しては昨年『中上健次論』が出て、話題になった 芥川とか漱石とか
ていうか死後50年だったら
エンタの方がみんな消えてる 好きな作家さんのスレは良いなあ。三島由紀夫は過剰評価されすぎだしな。三島由紀夫賞だったら断るわ。外人受け良すぎるだろ三島由紀夫って。中上けんじさんは海外でも有名なの? 中上はあまり英訳されていないから海外では無名だ
外国人にはあまり魅力がないのかな >>357
エンタメ小説は同時代に売れても結局後世に残らない
国語便覧の文学史を見てもエンタメは入っていない
娯楽として一時の退屈しのぎになるだけで、
それ以上の価値はないのがエンタメ
岩波文庫の緑にエンタメは入らない iBooksで買います全集。教えてくださり、感謝します。 46歳か。。。悲しい。今生きていたら、中上さんはどのように書くだろうかな? 紀州のドンファン事件をモチーフにして何か書いてほしい 生前は
大逆事件を書きたいと言っていた
書きたいがまだ力が足りないと
大石誠之助への言及も度々あったし
関心は続いていたんだろうけど
書けないまま死んだ >>349
確かに佐藤正午が岩波文庫的というのに入っているが、
緑に中上が入ったというのが重要だ
古典になったということだから >>366
秋幸という名前は大逆事件で処刑された幸徳秋水から取っている 岩波文庫の帯の文、何だかなーという印象
宮沢賢治みたいじゃないか
同じケンジだけどw 肯定するにしても否定するにしても
中上の危うい部分は消去されていくことで
こうやって岩波に入ったりしていく 岩波文庫収録の10作はすでに持っているが、記念すべき岩波文庫第1作であり、
カバー写真とか編者の解説の点から、この文庫を入手した
道籏は『千年の愉楽』を中上の最高傑作と捉えているのが分かった 岩波文庫の短篇集、売れ行き好調のようで、東京堂書店では文庫1位らしい
長編『鳳仙花』がいま文庫が出ていないので、同文庫から出せばいい
中上の母をモデルにした女の一生ものだから、岩波にふさわしい
『讃歌』は全編性描写だから、無理だろうが 四方田犬彦が今夏熊野大学で中上健次とパゾリーニを講演する
パゾリーニは父殺しのギリシャ悲劇『オイディプス王』を映画化した
邦題「アポロンの地獄」、1969年キネ旬ベストワン(しかもダントツ)
中上の『地の果て 至上の時』はこのギリシャ悲劇を現代に換骨奪胎したものだ 中上健次なんて秋元松代の作品の盗作ヤローだろw
いい加減で熊野大学なんて廃止しろw 被差別部落出身のライターは必ず中上健次に言及しなければならないみたいな、踏み絵的習慣は捨て去るべきだろ。
中上自身が差別観を固定化してしまってる現状がある。
むしろ、個人的な差異として、そのまま個性を認め合う方向に行くべき。
最近の人類学で流行のontological turnがそうだと聞いてるが。 >>378
大江と安岡の短篇集も岩波文庫の緑に入っている
三島の短篇集も出せばいいのにな 岩波文庫のステルス・マーケティングを止めてくれ。
朝日新聞の恥ずかしさ満載の柄谷押しも岩波のステマもみっともなさでは甲乙つけがたい。 中上の売り物であるはずの物質性など嘘も甚だしい。
彼の作品の多くの元ネタが秋元松代や石川淳であることは明白であり、それが盗作と言わないまでも、中上のどうしようもない表象的文化への埋没であると指摘しておこう。 >>384
妄想じゃなくて、柄谷への挑発だが。
韻踏み夫の絓秀実論を読んだが、絓秀実の作品を俺は読んでないので、韻踏み夫の引用がどうとも判断できないが、
ブランショの「明かしえぬ共同体」の最も?大切な要素であるimpersonalな関係を見落としてる点で駄目だろ。
これは絓秀実や柄谷のナムに致命的に欠けていたこと。無論、チンケな絓秀実のコネを当てにする森脇その他がmpersonalityに
欠けることは言うまでもない。 四方田犬彦が今夏熊野大学で「中上健次とパゾリーニ」を講演する
彼は二人の評論本をそれぞれ書いている
パゾリーニは父殺しのギリシャ悲劇『オイディプス王』を映画化した
邦題名「アポロンの地獄」で、1969年キネ旬ベストワン
中上の『地の果て 至上の時』はソポクレスを換骨奪胎した現代版だ 20世紀文学とはそういうものだ
ジョイス『ユリシーズ』はホメロス『オデュッセイア』
ナボコフ『ロリータ』はポー『アナベル・リイ』
大江健三郎『人生の親戚』はバルザック『村の司祭』 >>389
>>20世紀文学とはそういうものだ
俺は中上は換骨堕胎「ばかり」してるなと言ったんだが、正直、そこまで徹底して主張した訳じゃないが。
「20世紀文学とはそういうものだ」とか、あまり背伸びしない方がww 19歳の地図、英単語暗記カードを捨てて、肉体労働ばかりしている中上さん。アカの兄。 熊野大学での四方田犬彦の講演がどうだったか
情報がまったく出ていないのは何故なのか 中上健次のCD出版に際し、文芸誌の編集者の話しが語られています。一部分を省略して、転載しました。
中上を、同人誌「文芸首都」で知った。粗削りながらも、若者らしい力と、新しさを感じた。
文芸誌への執筆依頼の件で会いたいと書いたハガキを握りしめて、中上は受付へ現れた。出版社を訪ねるのも、編集者に会うのも初めてだった。
躊躇なく、袖口のほころびたセーター姿の若者を、サロンに入れた事は、問題になった。上司から、サロンは若者のたまり場ではないと注意された。詩を依頼した事を告げ、上司に言い返した。
予備校生と言ったが、その頃は学校に行かず、フーテンをしていた。
あなたが声を掛けてくれなければ、永山則夫のようになっていた。境遇が似ている、とも言っていた。二人は、新宿の同じジャズ喫茶にたむろしていたのだった。
「この世界は公平で、作品が全て」と言った時から、中上は一層深く、自分を慕うようになった。3歳違いの兄弟のようになった。
「岬」で芥川賞を受賞した。戦後生まれでは初めてで、29歳だった。当時、羽田空港で、肉体労働をしていた。
夜、記者会見場である新橋の第一ホテルに現れた中上は泥酔していたが、私の姿を見ると駆け寄ってきた。私の胸に顔を当て、ひとしきり泣きじゃくった後、小さな声で「あなたが、初めて俺を人間扱いしてくれた」と言った。
中上健次さんは、46歳の時、腎臓がんで、帰らぬ人となりました。 宇多田ヒカルは、中上作品について「日本の小説ではないみたい」と言った。
これは作品の構成の仕方が、欧米文学的だということだと思う。
中上という人は、日本文学においては、一、二の知的作家なのであって、
お涙頂戴みたいな人ではない。これは柄谷行人、浅田彰も言っていることである。
中上を世に出した、という自負をもつらしい編集者の、おそらく平々凡々たる生育環境のなかのありふれたことしか身をもって知らないであろう人物の、
あたかも「社会的弱者」をいたわるかのような、
上から目線、というか、バカさ加減には気色悪くて耐えがたいものがあるな。
死人に口なしなので、なんとでもいえる、ということなのだろう。 ちなみに、蓮實重彦の説話批判というのは、重点の置き方が間違っていると思う。
たとえば、三島由紀夫の作品の多くは、その内容は説話的であるが、その構成は小説的である。
日本の小説は、内容において説話的でないようにしていても、構成においては説話的なものがほとんどだと思う。
蓮實重彦は、「意味」を批判しながら、
自分自身はあんがい「意味という病」にとらわれていたということだろう。 日本文学、というか、マスコミ商売の何がダメかといえば、九割がたの一生涯学生サークル活動の延長をやっていたい人たちが、
組織内の人間として権限を持っていることだろう。その種の連中の農協の職員みたいな体質があらたまらないかぎり、寂滅するしかないであろう。 >>399
批判の正否はとっくに問題じゃないんだよ
誰についていきたいと思わせるかってだけ
蓮實はそこが上手だった 『地の果て 至上の時』の素晴らしさが分からない文芸評論家はダメだ
江藤淳、吉本隆明、川村二郎、蓮實重彦、誰も褒めなかった 中上の「浮島」での坂を下る時のキンマの描写は間違いで、キンマは上から引っ張りながら、ゆっくり降ろしていた。 >>397
とてもいい話だね。
中上は後年はやたらと大家ぶっていたし、海外在住が長くなるにつれ、日本文芸のエトスとして評論家に担がれた感ある
今にいたっては奇妙に伝説化されてるとまで言える
しかし原点はそこなんだよね そうだろうね
>>398みたいなのが80年代以降増えすぎたことによって
本来の書き方を改めざるを得なくなったということだろう