≫それについて、紀元前1000年当時のフェニキア人は多神教であると俺は言ったのだが、
≫つまりユダヤの一神教と違うことを指摘した。

この無記名証券の起源が、「一神教」的な文化ではなく「多神教」的な文化にあるだろうという考えは、
的を射ているよう空きがする。
エルサレム神殿祭司長ツァドク家の一門やその従属集団(宗教貴族といえる)だというサドカイ派は、
支配者に対して迎合的だったとされる。たとえば、セレウコス朝の支配下にあっては、
ゼウス像と祀れと命じられて、はいはいということをきいたというのだ。
利益のためには偶像崇拝もわりと平気で受け入れる連中だということある。
ティベリウス帝ローマの支配下(イエスの時代)にあっては、
カエサルの像(三代のうちの誰かは忘れた)を祀れと言われて、そうしていたのではなかったか(ただ、記憶が確かではない)。
そのサドカイ派が、エルサレム神殿に集まる莫大な神殿税を元手にして金融業を営み、
そのためのノウハウを蓄積したということである。
つまり、柄谷行人の言う「紀元前ユダヤ教起源説」をとったとしても、
柄谷先生の説に反し、厳格な一神教徒(柄谷的には「モーゼ主義者」ということになる)が金融システムを発展させたのではなく、
むしろ偶像崇拝も受け入れるような輩(柄谷的には「黄金の仔牛」をあがめるような偶像崇拝者)がそれを発展させたということになるだろう。