【街とその】村上春樹【不確かな壁】Part2
いや、モテるはずがないキャラが気軽にあちこちでセックスやりまくる話ばかり書いている違和感が、村上春樹の全小説を覆い尽くしている! 村上春樹は人間がまるで描けていない。
それに尽きる。 『ノルウェイの森』は、率直に言って、私にはあまり面白くなかった。確かに、部分的には短編小説のような魅力を感じる箇所もあるにはある。しかし、全体として900枚もの長さに引き延ばすだけの力量が作者には備わっていないように思われた。 まあ話がとんでもつまらない
セリフも恥ずかしい
全体として読むに耐えないのは確かだな 批判すれば自分を偉く感じれるのかな
勘違いしすぎのアンチ脳で
まあネットじゃありきたりだな いや、そういう問題じゃない
自分が偉くなりたいとか、優越感を持ちたいなどと寸分も思っていない
ただひたすらに、つまらんのだ
そんなことも分からないのか? >>644
柄谷のいう文学の土着性って自ずと作家の逃れられない出自ってこといずれ含んでしまうんだけど、初期村上って土着性のようなものをすでに失った時代の、根無し草の若者たちの自由と孤独の都市文学を書いていたんだよね。でも別にこのテーマは安部公房がすでに書いてたんだけど。 >>663
ただね、土着性とは別に村上春樹には来歴否認のロマンってのがある。
ちょっと面倒くさい話なんだが、土着性って問題に関しては村上は羊を巡る冒険、つまりキャリアのかなり早い段階で作家の出自としての土着性ではなく、都市文学としての村上自身へのアンチテーゼとして、都市生活から逃げて北海道に逃げてそこに住み着いた地霊(村上は羊男をはっきり地霊のようなもの、と発言している)を描いている。
大江が土着性を描こうとすれば、どうしても四国を描かなければなかったのは、大江が四国でそれなりにいい家の子だったからだし、春樹に先駆けて都市生活者の孤独をテーマにした安部公房が描いた土着性、あるいは原風景は戦時の混乱した満州である。
春樹は団塊世代であり、中年に差し掛かったころにバブルの真ん中にいた世代だが、春樹の一見したところの土着性の無さってのは、バブル当時にさ、クラブで相手の本名も出自もなにも知らないけど、なんか良ければノリでヤっちゃう、みたいなエピキュリズムから少なくとも、固有名を確保したい、とする当時としては新しい文学だったので、固有名っていう哲学的なものの回復が問題なので、出自はテーマとしてはもう浅い、って時代感覚だっただろうことは、考慮したい。 >>664
泥酔してるのでちょっと固有名を思い出せないんだけど、あずまんがゲンロン0で測ったのかなんか知らないが、女一人に対して男二人が性的に開放されてて同居しているのは不健全だかなんだかみたいなことを書いてて、多分、あずまんはとにかく1人の人間がその輪郭を失っちゃうようなことは性にせよ言論にせよ不健全だからダメだって言っていて、実は村上春樹はその作品上で、同じことを言っているかも >>665
これを素面のときにめっちゃ説明したいんだけど、素面のときって、絶対5ちゃん開かない >>664
そんで、言うまでもなく春樹はフィッツジェラルドの愛読者である。
ギャッツビーは大金持ちで、財力にものをいわせれば好きなだけ快楽を得ることが可能だったが、ギャッツビーが求めていたのはただ1人の女性である。
ギャッツビーはただ一人の女性を騙すために、一つしかない愛のために、嘘をつくことに人生を捧げたのである。
うーん、柄谷は村上を土着性がないからダメだっていったんだっけ?
時代的には柄谷はテクノに引きずられてたんだろな。 >>667
的外れも甚だしいよね。
大江や中上の土着性から開放された自由な都市生活者の孤独が、それでもUターンやIターンせずに都市で孤独に炙れるってのが村上のフォーマットなんだからしょうがない。 団塊の世代の土着性がアメリカ文化に毒されてる日本の闇を描いたのが春樹の初期作品だろ 柄谷は全然文学わからないからありがたがっているのは馬鹿な権威主義者だけ
村上春樹がつまらい中身がないのは柄谷を持ち出さなくても読んだらわかるだろう誰でも