【資本と国家と】柄谷行人の晩年【エホバに対抗する】
この顔に カチンと来たら 即通報
,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ 柄谷スレを やりたいんだよ
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、
(品川区八潮団地前交番) 資本と国家に対抗する運動が「エホバ」に回収されたらもう元の木阿弥やで 914考える名無しさん2023/05/23(火) 07:11:29.740
エホバの証人王国会館、4回行ったけど
入会を迫られる事はないよ。
今、旧約聖書・歴代第2を世界同時に読んでる。
それが最初の30分かな。
後の90分弱も決まったパターンで、その回のテーマ毎に
兄弟姉妹(信者)が準備した朗読、コメントをする。
「分りません」は誰も言わない。
飽きない構成、小綺麗な部屋(これも世界共通)で
札幌の代ゼミを思い出した。
賛美歌を3回歌ったりもあるけど、聖書というか
そこに書かれたイスラエル史、旧約・新約の成立に
関心ある人は、行って面白いと思う。
915考える名無しさん2023/05/23(火) 07:52:49.600
20日、旭川で井上靖賞授賞式があって、審査員の川村湊のスピーチ、受賞者の吉増剛造の講演を見ました。 ものみの塔とか東京タワーポートタワー通天閣京都タワーのようなのもあるな。
そう考えるとまあ信頼できそうだ。
エホバはヤハウエー系だけどものみの塔のほうが都市宗教として現代的にも成立していないか。 まあ癒しだのと勧誘に応えれば信仰できて詳しくなれるかも。 トウキョウは神社仏閣教会とか少ないよな。ある意味信仰スペックに人口が多すぎたら
不幸だ。関西のほうがすみやすい。 若いころは増上寺で参禅したり鬼子母神に行ってたけど、のちの世死んだあとが
安心な方がいいよ。出会いがあって。 都会は人が冷たいねえ。宗教施設が少ないからかもな。 みんなが進んで参加するようでない選民のような宗教的尺度の評価は大事かもな。 ある意味宗教学かなんかで宗教文学の宗教ガイドとかそんなもん作らん? 人間を超越しているような能力に興味ありませんかとか。 住居やオフィスの現世に執着する東京のようなところより京都みたいな方が
精神生活精神世界が大分いいだろう。 靖国参拝とか大学院時代は欠かしたことなかったけど東京の不安とはそういうものか。 ある意味そういう面で東京というのは若い都なんだろう。 確かに信仰する見返りがあるからトウキョウ人は損をしていると思う。 例えば遠野物語しかない仙台の津波の救済の問題とかもある。 あれは東大の来世人さらいじゃないのかとか。そういう宗教の界的な仕事。 たとえば浄土真宗の方に人がなぜ集まるのか。ある意味予後がいいんだと思う。 エホバと言えば、やはりヤハヴェのことだろう。
ヤハヴェ教の儀式でヤハヴェの名を呼ぶときにadonaiアドナイと発音するのはadon-adonisアドニスとの
関連からだろうが、近東の地域の神々がそれぞれに重なる性格を持ちながらも、完全には一致しない差異を
ほぼ必ず持っていた事情があるだろう。一部の神話では、アドニスは狩りの途中で巨大なイノシシに殺されるが、
その時のアドニスの流血は聖なるものとして多くの地元の女達が悲しんだ神話が祭に転化してる。そういう神話から、輸血拒否の
エホバの信者の経典が出来上がったのではないか?
イノシシの類縁である豚の血を畑にまくのは豊穣を祈る儀式なのは焼畑民の習俗だが、アドニスが海洋民のフェニキア人の神だからか、
東南アジアでも豚の血は豊穣と結びつけられる。
大体はmelqartメルカートやmolochモロクなど西セム族の神には幼児を生贄にする儀式があったという。そこから
少年アドニスの生贄の話も出て来たんじゃ?
時節柄、ジャニー喜多川のジャニーズ=日本的アドニスの生贄を連想させるのでつい書いてみたが、この話は柄谷行人とは一切関係ないwww
ジャニーズやBTSがホモ・エロチックなことは言うまでもない。 この顔はもしかして、柄谷さん本人にも少し似てませんか?
>>1
,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ 柄谷スレを やりたいんだよ
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、 柄谷の「意味という病」の題名にはおかしなことが取り敢えず、2つある。
先ず、そもそも、意味は病なのか?ということ。
第二は「意味という病」の英訳本の題名がsickness as meaningであること。これはmeaning as sicknessとすべきと思うが。
俺個人的には、あるいは柄谷行人的には、「意味という病」は超ド級の愚作ではないかという期待があるが。 chaco
@imawriter1105
38分
デカルトは方法序説をラテン語ではなくあえてフランス語で書いた。なぜか?
柄谷行人は「主語を消したかったから」という理由を挙げてる。
だからコギトエルゴスムは「我思う故に我あり」じゃなくて
「思うわ故にあるわ」と関西弁で訳すべきだったと言ってる >>28
>>だからコギトエルゴスムは「我思う故に我あり」じゃなくて
「思うわ故にあるわ」と関西弁で訳すべきだったと言ってる
柄谷や浅田彰は東京寄りの人であって、今さら関西人面はして欲しくない。
浅田もはっきり関西嫌いを表明してたと思うが。 ≫デカルトは方法序説をラテン語ではなくあえてフランス語で書いた。なぜか?
≫柄谷行人は「主語を消したかったから」という理由を挙げてる
「主語を消したかったから」フランス語ではなくラテン語で書いた、と逆でなければ、
意味不明だろう。
しかし、逆にしたところで、
wiki
「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis[1]、羅: Cogito ergo sum)は、デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われているが、一様でなく、その解釈について争いがある。ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセル(Étienne de Courcelles)がラテン語に訳し、デカルト自身が校閲し[2]、Ego cogito, ergo sum, sive existo との表現がされている。デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』(Principia philosophiae)ではego cogito, ergo sum[3]、『省察』では、Ego sum, ego existo [4]と表現されている[5]。
じっさいは、↑のようなことなので、柄谷行人がいったことは、いつものようにテキトーな思い付きに過ぎないということがわかる。
なお、この「われ思う…」に関することは、前々前々スレあたりでも、書きこんでいる。 主語がなくなったら全てをエホバに呑み込まれちゃいますよw There is no such thing as Japanese Marxism
An interview with Kojin Karatani
Brian Hioe and Houston Small
There is no such thing as Japanese Marxism, but rather a set of problems particular to Japan, which our Marxists were confronted with. That is, they were faced with reality, which could not be explained with the formula of historical materialism. However, this kind of experience is not unique to Japan. For example, faced with the reality of China, Mao went beyond the confines of Marxist principles and advocated socialist revolution by peasants. This revolution by peasants is applicable to other developing nations, and it therefore carried with it some universal significance. Yet this should not be seen as the matter of “Chinese Marxism.”
In order to further relate our experience, let me take an example of “German Marxism.” Frankfurt School philosophers had to begin with Marxism’s defeat in the face of Nazism. They took seriously so-called relative autonomy of the superstructure, and even went on to introduce psychoanalysis, which previously was denounced as bourgeois ideology. German experiences formed such Marxism. Some Marxists in Japan had a similar experience; they too were defeated by fascism. But that was the fascism peculiar to Japan, namely “emperor-system fascism.” In Europe fascism did not coexist with monarchy, so then why was emperor-system fascism possible in Japan? Marxists had to explain all this. Following the Russian Marxists (the Comintern), the Japanese Communist Party regarded Japan’s political system as an absolutist monarchy where capital colludes with the emperor, representing the landlord class. It is clear that, their view was based upon economic determinism. They advocated overthrowing the emperor as absolute monarch, but it was absurd to make such claims in this period. Financial capital was dominant and universal suffrage had been implemented since 1925. Naturally they failed to bring forth a huge number of converts. This was not just because they were persecuted, but because they lost support from the populace. It only encouraged a fascist movement, which upheld the emperor as the symbol of anti-capitalism and anti-communism.
The Japanese Marxists were totally defeated by this fascism. That induced some Marxists to heed to state and nation after the war, because the formula—that the political superstructure is determined by the economic basis—evidently did not suffice. They resorted to sociology, semiotics, psychoanalysis, etc. Actually these people were the best part of Marxism in Japan, but still, I gradually began to separate myself from their tendency to overemphasize the autonomy of superstructure and while making little of the economic base. I tried to get back the economic base, but from the viewpoint of the mode of exchange in place of mode of production. In this regard, I would say that I was influenced by the Marxist economist Kohzo Uno. He was an economist specializing in Marx’s Capital, but was not part of left politics of any kind, either old or new. In his view, Capital is a science, while historical materialism is an ideology that served as a “guiding thread” toward Capital. Also he claimed that Capital could prove the necessity of crisis in the capitalist economy, but not the necessity of socialist revolution. I gather that socialism was first and foremost an ethical-practical matter for Uno. He was a kind of Kantian Marxist, though he never said so manifestly.
For Uno, capitalism is basically merchant capitalism. In my view, this is to consider the capitalist economy from the exchange of money and commodity, the mode of exchange, whereas Marxists generally start from the capitalist and proletariat, the mode of production. You can see how Uno paved the way to my theories. But it is true that he did not give any thought to the state and the nation.
This is all to indicate our Marxist current, where I formed my ideas and thoughts. Actually, I learned Uno’s economics not because I was a Marxist, but because I was a student in an economics department. Up to 1970s, Uno’s reading of Capital was compulsory to the students of law and economics at the University of Tokyo. These students were expected to be the elites in the government offices and business world. It is interesting to think that people who learned from Uno about the fatal fragility of capitalism were gathering at the core of the capital-state, just when Japan’s industry was rising and overwhelming the U.S. industry. And as those who learned American market-economy theories replaced them, Japan’s economy began to fall off! 日本的マルクス主義というものではなく、むしろ日本特有の諸問題、それに我方のマルクス主義者は立ち向かったのである。つまり、史的唯物論の公式によって説明されえなかった現実に彼らは直面したのである。とはいえ、この種の経験は日本特有のものではない。たとえば、中国の現実に直面して、毛(沢東)は、マルクス主義の原則の枠を超え、そして農民による社会主義革命を提唱した。この農民による革命は、他の開発途上国に適用できるのであり、それゆえ普遍的な意義をもっていた。今以てこれは「中国的マルクス主義 」の問題と見なされるべきではない。
我々の経験をさらに関連づけるために、「ドイツ的マルクス主義」の一例を挙げよう。フランクフルト学派の哲学者らは、ナチズムに直面したマルクス主義の敗北から始めねばならなかった。彼らは、いわゆる上部構造の相対的自律性を真摯に受け止め、そしてそれまでブルジョア・イデオロギーとして非難されていた精神分析を導入するに至った。ドイツの経験がそういうマルクス主義を形成した。日本にも似たような経験をしたマルクス主義者がいて、彼らもまたファシズムに敗北した。しかし、それは日本特有のファシズム、「天皇制ファシズム 」なるものであった。 ヨーロッパでは、ファシズムは君主制と共存できなかったのに、では、なにゆえ日本では天皇制ファシズムが可能だったのか? マルクス主義者は、このすべてを説明しなければならなかった。ロシアのマルクス主義者(コミンテルン)に倣い、日本共産党は、日本の政治体制を、資本が地主階級を代表する天皇と結託した絶対君主制とみなした。彼らの見方が、経済決定論に基づいていたのは明らかである。彼らは、天皇を絶対君主だとして打倒することを提唱したが、しかしこの時代にそうした主張をするのはばかげていた。金融資本が支配的であり、そして1925年からは普通選挙が実施されていた。当然ながら彼らは大勢の回心者をつくり出すことはできなかった。それは単に弾圧されたからではなく、民衆の支持を失ったからだった。それは、天皇を反資本主義と反共主義の象徴として戴いたファシスト運動を助長しただけだった。
日本のマルクス主義者は、このファシズムに徹底的に敗れた。それを契機に、一部のマルクス主義者が戦後には、政治的上部構造が経済的土台によって決定されるという公式では明らかに十分でなかったとし、国家とネーションに関心を向けた。彼らは社会学、記号論、精神分析などに依った。実際、それらの人々は日本におけるマルクス主義の最良の部分であったが、それでも、私は上部構造の自律性を強調しすぎて経済的土台を軽んじる彼らの傾向から、次第に自らを隔てはじめた。私は、経済的土台を取り戻そうと試みた、生産様式に代わる交換様式の観点からだが。 この点では、私はマルクス主義経済学者宇野弘蔵の影響を受けたと言えるだろう。彼はマルクスの『資本論』を専門とする経済学者だったが、新旧を問わず、いかなる左翼政治にも属さなかった。彼の見解では、『資本論』は科学であり、史的唯物論は『資本論』への「導きの糸」として役立ったイデオロギーである。また、『資本論』は資本主義経済における危機の必然性を証明できるが、しかし社会主義革命の必然性は(証明)できない、と彼は主張した。私は、宇野にとって社会主義は何よりもまず倫理的・実践的な問題であったと考える。彼はある種ののカント・マルクス主義者であったが、けしてそうはっきり言わなかった。
宇野にとって、資本主義は基本的に商人資本主義である。私の見解では、これは資本主義経済を貨幣と商品の交換、交換様式から考察するのであるが、対して、マルクス主義者は一般的に、資本家とプロレタリアート、生産様式から出発する。宇野がいかに私の理論への道を切り開いたか、おわかりいただけると思う。しかし彼が国家とネーションについて何ら考察を付与しなかったのは事実である。
これは全て我々のマルクス主義の流れを示すものであり、そこで私は自らの思想や思考を形づくった。実際には、私が宇野派経済学を学んだのは、マルクス主義者だったからではなく、経済学部の学生だったからである。1970年代頃まで、東京大学の法学部と経済学部の学生達には、宇野の『資本論研究』が必修であった。これら学生達は、官公庁や経済界のエリートとなるのを期待されていた。宇野から資本主義の致命的な脆弱さを学んだその人々が、ちょうど日本の産業が台頭し、アメリカの産業を圧倒していた時期に、資本制国家の中枢に集まっていたと考えると、それは興味深いものがある。そして、アメリカの市場経済理論を学んだ人たちが彼らに取って代わり、日本経済は没落を開始した! 経済学部の学生は経済学でもしてろ。政治や文学では成功できない。 日本経済がいいからといって他学部のことが出来るかというと別だ。 >>36
×この種の経験は日本特有のものではない
〇この種の経験は日本独特のものではない
>>38
×彼はある種の
〇彼は一種の >>36
×この種の経験は日本特有のものではない
〇この種の経験は日本独特のものではない
>>38
×彼はある種の
〇彼は一種の >>36
×「天皇制ファシズム 」なるものであった
〇すなわち「天皇制ファシズム 」であった >>38
>>宇野から資本主義の致命的な脆弱さを学んだその人々が、ちょうど日本の産業が台頭し、アメリカの産業を圧倒していた時期に、資本制国家の中枢に集まっていたと考えると、それは興味深いものがある。そして、アメリカの市場経済理論を学んだ人たちが彼らに取って代わり、日本経済は没落を開始した
やっぱり、柄谷を熱心に読む奴は馬鹿だw
宇野の授業が当時の東大の法学部や経済学部の必修だったからといって、宇野の講義を真に受けてた奴が経済界で出世したとか多分殆ど無いだろ。
宇野の読者は革マルや共産党に就職してるだろwww 大澤真幸の「本源的蓄積」だが、
ヤクザ、マフィア、宗教カルトなどの巨万の富の闇経済の殆どは略奪やごまかしによる本源的蓄積だろ。
大澤はエエカッコして建て前的に、本源的蓄積を否定して見せたが、他人の斎藤幸平と直接話す時は本音を言うしかなかった。
海運の給油にしても、精確に給油量を測ったり、給油の成分を精確に表示することを嫌う風潮が未だに世界に残っている。品質が基準に達してない燃料を販売して正規の価格を請求する図々しいことを大手給油会社が繰り返しやる。
ガソリンスタンドを回るローリーの運転手その他関係者も色々と誤魔化しをやってる。世界の経済はちょろまかしで成り立ってると言っても過言じゃない。
ジャネットも他人事じゃないwww ≫ジャネットも他人事じゃないwww
まったく意味が分からない。
斎藤幸平は、神宮外苑再開発反対集会の際におくったメッセージで、
「本源的蓄積・原始蓄積」に替えて、「略奪による蓄積」(ハーヴェイ)という言葉をつかった。
「略奪」だとどうも暴力的なイメージばかりが強調されて、もっとスマートな今風のものに考えが及ばなくなるおそれがある。
だから「詐欺と略奪による蓄積」というほうがいいだろう。 ≫略奪やごまかしによる本源的蓄積だろ。
「ごまかし」を加えたところは、適切である。 古本買取販売の大手ブックオフも一時は凄い勢いだったが、
セコハン商品の全般に、品質に対して対応する価格の幅は店によって非常に大きくなる。古本の買い取り販売においては売る側と買う側の交換は、新品の時の売る側と買う側の関係よりも遥かに複雑になり、その分、店側が圧倒的に有利であり、個人の売り手や買い手から多大な搾取をしていると言えるだろう。これも本源的蓄積だろう。 東京教育大学の政治学で政治後見職してればいい。教職な。 文学の歌学というのがその他皆をつなぐような頂点な気がするが、歌物語、歌集。歌論。日本社会でも。 柄谷も家系が歌人ということを女性は特に忘れないで。
たとえば5chでもプロモーションを張ることで歌物語の機能も掲示板が果たす。
返歌があってもいいし恋愛の歌も原理的には詠じれる。
https://www.youtube.com/watch?v=Em_Tva01NKY
宮内省楽部から連絡。これも宮内省式部官たちの作品だ。 山原を皆で遠征して歌を紡いで戦う体育会文化芸術があるのに。 例えばラジオやクラブディスコ、人生とはそういうものだ。
天皇をほめたたえる歌だの天皇の御成歌だの、だれにでも参加経験できない世界。
学歴全入は質が悪い。歌人たちの歌、舞それにこしたことはない。 日本舞踊だとか、連歌だとかそういうことが出来ている柄谷スレの株も上がる。 日本舞踊がヒップホップダンスにいるとか、R&Bの作曲に歌集がいるとか。
ヒップホップde紅一門、プロデゥース。祭りや太鼓
それはある種人生のの勤めをあるクール終えた後の古典現代芸能の完成系でもある。 仏陀ブランドもあるけど密教って光源氏は知らないんじゃないか。 居酒屋バーのインテリダジャレ。とリリックの韻。柄谷家も密教芸術デビューしたら。 紫の上の出家 盛り上がるとこだろう。仏縁が切れた光源氏。 後の世。紫式部は世の中恋においては諸葛孔明以上の策師だ。 There is no such thing as Japanese Marxism
An interview with Kojin Karatani
Brian Hioe and Houston Small
I doubt if Trotsky and Lenin thought of the possibility of simultaneous world revolution seriously. After the February Revolution in 1917 there appeared two kinds of assemblies in Russia: the parliament and the soviet, which may be said to represent bourgeois democracy and proletarian democracy respectively. The Bolsheviks were minorities in both. Then Trotsky and Lenin plotted the so-called October Revolution—practically a military coup—despite objection by all cadres of the Bolsheviks except Stalin. This coup did not only close the parliament but also gradually turned the soviet democracy into the Bolshevik’s dictatorship.
What is more, the October Revolution was good news to Germany, whose military was therefore released from the Eastern Front. No doubt it delayed the revolution in Germany. Actually, Germany had helped Lenin to return to Russia from Switzerland for that purpose to begin with. So I don’t think Trotsky and Lenin seriously expected the ensuing revolution in Germany. They probably anticipated it, but from different concerns. The revolution would certainly take place there as soon as Germany lost the war. But this prospect made them think of taking power in Russia in advance. They gave priority to their leadership and hegemony in the international revolutionary movement rather than the simultaneous world revolution. It is futile to think of the world revolution based upon Lenin or Trotsky. Nevertheless, I think the idea of the simultaneous world revolution should not be relinquished. In Philosophy of Right, Hegel criticized Kant’s idea of the federation of nations, for it only functions with the support of a powerful state, which is capable of punishing violations of international law. For Hegel, no hegemony (or world-historical state), no peace. Such a view is still popular. When the United Nations objected to the unilateralism of the U.S. policy concerning the Iraq War, an American neo-conservative ideologue criticized the UN and its supporters, dismissing them as merely expressing “Kantian Idealism.”
Is Kant’s federation of nations really an idealism, which lacks a footing of real power, military or financial? For sure, it is not based upon such powers, but it is not simply idealistic, either. It is based upon a different kind of power, although Kant himself did not specify what it is. The idea of the modes of exchange was indispensable for explaining this. I differentiated various kinds of powers, according to which mode of exchange it belongs to. For instance, political or military power is related to the mode of exchange B, and the power of money comes from the mode C. There is another power, which comes from mode A. That is the power of gifting. To take an example, in tribal society, if someone fails to return to the gift, that person is believed to be cursed. He or she is ostracized or expelled from the community, which was equal to death for them. In fear of such things, people never breach rules. In this kind of society, there is no need for punishment by the state. It may be said that the power of gift is the same as the power of community or public opinion. In this sense, the power of gift is not exclusive to the primitive society. The mode D, which is the mode A’s restoration on the higher dimension, also has this power of gifting in abundance, but only in the higher form. You may call it the power of love, if you like. Perpetual peace or the world republic will be based upon this real power, which is far stronger than other powers.
Let us suppose that one nation publicly renounces the right to wage war. No state can invade them, because if it does, it is sure to be blamed or ousted by the international community. Renunciation of military power brings real power to the nation, namely the power of gift or love. I think that the power that will bring the world republic into reality must be something like this. It is logically false to counter the state and capital by means of military power and financial power. トロツキーとレーニンが、世界同時革命の可能性を真剣に考えたかどうかは疑問である。1917年の二月革命の後、ロシアには、国会とソビエトという二種類の議会が出現して、それぞれブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義を代表したと言えるだろうか。ボルシェビキは、この両方で少数派であった。そののち、トロツキーとレーニンは、スターリンを除くボルシェビキの全幹部が反対にもかかわらず、いわゆる十月革命(実質的には軍事クーデター)を企てた。このクーデターは、国会を閉鎖しただけでなく、ソビエト民主主義を次第にボルシェビキの独裁体制へ変えた。
さらに、十月革命はドイツにとって朗報であり、その(ドイツの)軍は東部戦線から解放された。疑いなく、それはドイツにおける革命を遅らせた。実際、ドイツはそのために最初からレーニンがスイスからロシアへ帰る手助けをしていた。だから、トロツキーとレーニンが、ドイツにおける後続の革命を真剣に期待していたとは私は思わない。彼らはおそらくそれを予期していたが、異なる懸念からだった。ドイツが戦争に負けたら、すぐそこで革命が起こるのは確かである。しかし、この見通しは、彼らに、前もってロシアで権力を握ることを考えさせた。彼らは、世界同時革命よりも、国際革命運動における彼らのリーダーシップとヘゲモニーを優先した。レーニンやトロツキーに基づいて世界革命を考えるのは無駄である。そうはいっても、世界同時革命という思想が放棄されるべきではないと思う。 ヘーゲルは 『法の哲学』の中で、カントの国家連合のアイデアを批判し、国際法違反を罰しうる強力な国家の支援によってのみそれは機能するとした。ヘーゲルにとって、覇権 (あるいは世界史的国家) がなければ平和はない。そのような見方はいまだポピュラーである。国連がイラク戦争をめぐるアメリカの単独行動主義に異を唱えた際、アメリカのネオコン・イデオローグは国連とその支持勢力を批判し、「カント的観念論 」を表明しているに過ぎないと切り捨てた。
カントの国家連合はまさしく、軍事的、財政的な実力の拠り所を欠く観念論なのだろうか? 確かに、それはそうした力に基礎づけられたものではないが、しかし単なる理想論でもない。それは違う種類の力に基礎づけられている、カント自身はそれが何であるかは明示しなかったけれど。これを説明するために、交換様式という考えが不可欠だった。私は、さまざまな種類の力を、それがどの交換様式に属するかに応じて、分別した。例えば、政治的又は軍事的な力は交換様式Bに関わり、そして貨幣の力は交換様式Cに由来する。もう一つの力は交換様式Aに由来する、それは贈与の力である。 一例をあげると、部族社会では、もし誰かが贈り物に返礼を欠いた場合、その人は呪われると信じられている。彼又は彼女は村八分にされたり、共同体から追放されたりするが、それは彼らにとっては死に等しいことだった。そうしたことを恐れて、人々は決して掟を破らない。この種の社会では、国家による罰は必要ない。贈与の力は、共同体や世論の力と同じと言えるかもしれない。その意味で、贈与の力は原始社会に限ったことではない。交換様式Aの高次元での回復である交換様式Dも、この贈与の力を豊かに持っているが、それは高次元での形のみである。お望みならそれを愛の力と呼んでもよい。恒久平和や世界共和国は、他の力よりはるかに強いこのリアルな力に基づくであろう。
ある国が交戦権を公に放棄したとしよう。いかなる国家もそれらを侵略できない、なぜならもしそれを行えば、国際社会から非難されるか又は追放されるのは確かだからである。軍事力の放棄は、その国に真の力、すなわち贈与あるいは愛の力をもたらす。世界共和国を現実のものとするであろう力とは、このようなものでなければならないと思う。軍事力と金融力を以て国家や資本に対抗するのは論理的に間違っている。 >>66
>>レーニンやトロツキーに基づいて世界革命を考えるのは無駄である。そうはいっても、世界同時革命という思想が放棄されるべきではないと思う。
柄谷行人や千坂恭二らのような革命漫談家がこういうことを言うわな。 >>63
>>64
>>65
The Zapatistas, a guerrilla group in Chiapas, Mexico, conveyed their opinions and situations widely through the Internet and obtained supports from various individuals and groups from all over the world, including the United Nations. This kept the Mexican government from intervening. It is often called a new revolution of the information technology era, but in my view its strength lied in the time-honored power of gifting or community.
Another example is the so-called Third World movement in the ’50s and the ’60s, which without arms and money was able to stand up against the First and the Second Worlds. They resorted to the UN as Vijay Prashad vividly accounts in his Darker Nations: A People's History of the Third World (2007). They must have been aware of the inherent power of the UN. That was the power of the gift, and the power of international community.
It is true that the UN today has fallen under the domination of money and arms, so to speak. Nevertheless, it still has a good potential of being transformed into a Kantian federation of nations. For that purpose, countermovements against capital and state in each nation are also necessary. If the UN is to mediate these revolts, they will not be divided. Revolution in each nation will be unified and create a simultaneous world revolution. メキシコ・チアパス州のゲリラ・グループ「サパティスタ」は、インターネットを通じて彼らの意見や立場を広く伝え、そうして国連を含む世界中のさまざまな個人や団体から支援を得た。これによってメキシコ政府からの介入を阻んだ。それは情報技術時代の新たな革命としばしば呼ばれるが、しかし私の見解では、その強みは、昔ながらの贈与や共同体の力に在った。
他の例は、50年代から60年代のいわゆる第三世界運動で、それは武器やお金なしに、第一世界と第二世界に対抗し立ちあがることができた。ヴィジャイ・プラシャドが彼の『褐色の世界史―第三世界とはなにか』の中で鮮明に語っているように、彼らは国連に頼ったのである。彼らは、国連の本来の力を分かっていたに違いない。それは贈与の力であり、そして国際社会の力であった。
たしかに、今日の国連は、いうなれば、金と兵器の支配の下に陥っている。とはいえ、カント的な国家連合へと変貌する良いポテンシャルはまだもっている。そのためには、各国における資本と国家に対する対抗運動もまた必要である。もし国連がこれらの抵抗を調停するならば、それらは分断されないであろう。各国の革命は統一され、そして世界同時革命が生起するだろう。 ちょっと前の発言にしろ、革命を口にする者がバーグルエン賞をニコニコ顔で貰ったりしませんw >>71
×他の例
〇もう一つの例
けっきょく、ただ思い付きを連ねただけだろう。
ロシア革命、カントの国家連合、部族社会の贈与互酬、そして、メキシコのゲリラのネットを使った戦略、
かつての第三世界の独立運動と国連の話、そして、資本と国家に対抗する運動に国連がかかわって、
それがどういうわけか世界同時革命につながる、という、何の具体性も現実性もない、まるで夢物語なのであった。 学歴自体男性同性愛望まない妊娠迫るだけだから国公立大学病院以外店舗閉めるよ。
セクハラ望まない妊娠が残るようだとそこも閉める、私立病院私立大学病院も一緒にね。 食えないように餌付けしといて食えると望まない妊娠とか。 ある意味権力も簡単だけどそんな片棒担がされるなよ。 顔が小さくスタイルがよく能力が高い実権とそれ以外を混ぜちゃいけないわけ。 男が得するように意識や欲望が破られているようではだめ。 孤独ということ 社会には孤独がない 。それで欲望がすり替わって夫選びを間違う。
本当に結ばれて幸せだろうか。現時点ではそうは言えない。 別に俺は妻帯しないけど孤独でいい。本来あったはずの夫と結ばれるなら助力はするさ。 簡単に女が釣れるようにしている意識が女性の中にあってそれは男性が集団でつくったものだ
そして多くの女性もそのために悪をなしている。 本当にこの人でよかったのかはそういう面から考えてみる。無意識深層。 真に男が欲しいという欲望まで到達しているかどうかだ。 まあある意味若い時代の学歴なんかは女も男も欲望性欲が未熟なんだよ。 今から大人の恋に走っても間に合うぜ。学歴と縁を切っても。 世界の男性女性がいるということの中で現象学のように自分をかっこにいれて
いる。 大学や学校じゃない学問のほうに5chもシフトする。 ある意味学問の仕方を覚えることが学歴であってその後のほうが大事だ。 生涯学習ということもあるだろう。もっと上の男というハングリーさ。 嫌な思い出嫌な男と抱き合わせになっていない方がいいと思う。
だから学歴から退却する自由選ばない自由の確保も大事だ。 >>33
>>36
×この種の経験は日本特有のものではない
〇この種の経験は日本独特のものではない
×それは日本特有のファシズム
〇それは日本の特異なファシズム だいたい学歴の祖孔子やソクラテスなど経営陣もルックスから性格本質問題ある人物だと思うよ。 孔子の徳やソクラテスの心も復讐のために過ぎないかもしれない。 ニーチェはルサンチマンという概念で人の恋愛を無価値化した。 ある概念が恋愛性欲の本音永遠の真理ならすべてを否定する二ヒリスムもまた復讐にからめとられ
ている。 母と二人手をつなぎ訪問勧誘に廻った八潮団地の思い出 > ミキプルーンの苗木
それがプレゼントだったわけですか?w 哲学板から
615考える名無しさん2023/05/28(日) 19:21:58.970
成田、斎藤、國分
この辺が幅きかせてるRIZINレベルだからまだ五反田も存在感を維持できてるんだよな
UFCレベルの思想家が出てきたら壊滅するだろうが
RIZINもUFCも八百ですからw
ついでに今日のダービーも八百。 Phospho
@ura__osoi
宇野常寛の村上春樹論読んでるけど余りに読みやすすぎて結構防衛本能がでてしまう、暇と退屈の倫理学とかもそうだったけど人文系で読みやすくておもしろいものはその論考が妥当かどうかは置いといてじぶんのなかのなぞの危機感のスイッチが作動しちゃう
40才以降の柄谷の文章にも言えることだろ。柄谷の場合の読みやすさとは何らかの簡略化や省略なんだよ。 ジャネットは書き込み禁止にされたか。柄谷に逆らったばかりにw 柄谷行人『言葉と悲劇』
〈1980年代に日本に顕著にあらわれたのは、いわゆる消費文化の異様な昂進です。それは、現代の文脈ではポストモダニズムと呼ばれるでしょうが、日本史の文脈では、いわば「文化文政」的なものの復活だといえます〉 wikiによれば、文化文政期に入り、江戸時代の文化の中心は上方から江戸に移り、文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた[2][3]。享楽性を増したということか。
上方から江戸に重心が移り、文学は非知性化の度合いが強まった。珍奇や怪奇なものに人気が出た。
歌舞伎でも鶴屋南北とか。
現代演劇でも先代の市川猿之助のスーパー歌舞伎やピーター・ブルックのような奇を衒った演出が人気を呼んだ。
空を飛んだり、妖怪が煙を吹いたりとかで空間的な度合いが高まって行く。
柄谷が浅田彰や岡崎乾二郎らと同様にモダニズムをほぼフォルマリズムと同一視していたように、
柄谷的には文化文政時代の前がフォルマリスティック=モダニズムに見えていたのではないか?
ポストモダニズムが相対主義だと言っても、出鱈目に無責任に相対化してる訳じゃなくて、フォルム形をとらないものには
上田秋成の「菊花の契り」に出て来る死人の霊の朧な姿で登場させる。それに奥行きがあるのかどうかは分からないが。
良く知らんけどw
小林秀雄の態度を「見えるものには見えるであろう」的だと批判する柄谷だが、小林はスエデンボルグ的なのか、エドガー・アラン・ポー的なのか。
村上春樹の新作「街とその不確かな壁」でも、個人図書館の亡くなった館長を見えると主張する語り手、司書、イエローサブマリンのTシャツの
少年らと、その他の、亡くなった館長を見ることが出来ない人達がいる。その理由は単なる騙し絵的な仕掛けにあるのかも。見る角度や体勢が違うとか、
色に対する感性の違いとか。よく分からんがw
bricollageブリコラージュなどもポストモダニズム的だろう。間に合わせ的な修復や補完でフォルマリズム形式的な捉え方をしにくい。
123で柄谷のポストモダニズム受容の限界が見える。 柄谷はNAMが出来る時に、複数の人の入会を止めさせようとしたリ、実際に止めさせたろ。ある場合には、「新しい酒を盛るには古い器は向かない」とかの侮蔑的セリフで関西ブント出身者を拒否したこともあった。
そういう柄谷の個人的な思惑の混入したアソシエーションは駄目だろ。あくまでimpersonal個人的でない、人間関係が
アソシエーションには必要だったはず。 柄谷さん、100歳以上まで生きてください。良いサプリメントを取って健康に気をつけてください。あなたの大好きなタバコはやめましたか?僕は1日3箱吸います。 wwwでも、昔、批評空間で愛煙家の本の広告載せてましたね。浅田彰さんに柄谷さんタバコやめろと怒られていたwww懐かしい。 哲学板より
27 名前:考える名無しさん 2023/06/02(金) 14:53:47.08 0
瑛藻 @akquadlet
6h
>伝統的なキリスト教神学で言うところの聖霊を「力」と置き換えることによって、
目に見えないが確実に存在する事柄について柄谷氏は語っているのだ。
柄谷神学の誕生と呼んでもいいと思う。(佐藤優)
柄谷行人『『力と交換様式』を読む』
これは素直な読み方だ。
これは間違いだろう。
「力と交換様式」において、柄谷の関心がform形からforce力に変わったというべきだ。そして、これは柄谷がマンネリズムを今さら学んだというに過ぎない。
人体の形の変形に注目したミケランジェロが人体の変形の原因が力であることに気付いたことがマンネリズムの出発点だった。 斎藤幸平は江戸時代について、「経済成長をしない循環型の定常型経済」だったというのであるが、
江戸時代の乱開発というのは、調べてみればわかるが、ちゃんとした研究によれば(意外と)すごかったというのである。
なお、江戸時代に化石燃料をつかわなかったというのは産業革命前なので
それは当たり前なのである。そのかわりに薪を使ったわけだ。 >>斎藤幸平は江戸時代について、「経済成長をしない循環型の定常型経済」だったというのであるが、
江戸時代でも成長志向はあったと思う。
大坂、近江、越後、甲府、伊勢とか、起業心や商売気の強い人達は多くいた。
ただ、鎖国中であり、イノヴェーションは無かったか。
斎藤幸平も柄谷らと同じく、幕臣派だから江戸時代を礼賛するだろ。
維新派とは相容れんだろ。 江戸時代と対応する期間は中国、朝鮮、日本などの東アジア、東南アジアの全域が無成長時代だろ。 交換様式X,Dにする為の具体的な方法がわかりません。昔なら地域通貨とか不買運動とか柄谷さんは言いましたが。 金銭的な格差がある以上、公平でないし、平和的とも言えないかと。 柄谷行人や浅田彰が編集人だった「批評空間」の発行者である福武書店=後のベネッセ・コーポレーションだが、
創価学会や統一教会との関係が噂されて来た。新興宗教の殆ど全部が偶像崇拝であることを思えば、批評空間がモダニズムの
最も肝心な要素である偶像崇拝の根底的な忌避=iconoclasmイコノクラズムへの言及を避け、モダニズムをフォルマリズムと同一視するという
矮小化に批評空間が向かったのも、なるべくしてなったことだったと納得できる。 ははあ。出版社は太田出版でしたな。印刷会社はなんなのか気になります批評空間。 建築物を建てる際の公害について明日、図書館で本を選んで借りて学びます。 87考える名無しさん2023/06/06(火) 00:29:49.320
ランシエール「言葉の肉」
〈エクリチュール〉のキリスト教的解釈の場は、四つの概念によって定義される。すなわち、霊、文字、ことば(ヴェルブ)、肉といった概念であり、この四つの概念はバランスよく配置されている。つまり、ことば(ヴェルブ)が肉をもつかぎりにおいて、〈エクリチュール〉の文字は霊に変わる。 柄谷は遊動民の概念を押し出すことによって、それと、一方の柳田の山民とミックスさせることで、柳田のナショナリストの側面を殆ど消してしまった。そのことは、
柄谷の読者層に創価を通じて多数の在日朝鮮・韓国の読者が流れ込んでいたことと関係があるだろう。
柳田は大嘗祭の神官を務めた程の、本来が生粋のナショナリストなのだ。
柄谷のかつての盟友の浅田彰は部落解放同盟を嫌ったが、それは彼等がナショナリストであるからに他ならないだろう。
中上健次の晩年の天皇への回帰は中上の部落解放同盟との関係が強化されていった必然だった。そのことを浅田や柄谷は当然の如く嫌ったが、それを考えて見ても、熊野大学を
柄谷や浅田が引き継いだのはちょっと違うような。熊野は日本の伝統文化の根っこであり、在日に媚びる柄谷や浅田では歪んでしまう。在日を受け入れるのは良いが、わざわざ媚びてはいかんだろ。
ましてや、柄谷の本意には創価への忖度があるから。 近年の群像新人評論賞の受賞作のキーワードが、柳田国男の「故郷」と「有機的」であったことを見れば、その良し悪しはともかく、評論的には柳田の本来の姿への回帰は既に始まっていると見て良い。 >>142
「有機的」とは、解釈は色々あるだろうが、142の本を読んでない俺は「自然的」と解釈したが、これは英語のorganicに相当する。 哲学の起源をiBooksで買いました。渋すぎるから内容についてけんぞアホ柄谷。 さっき、哲学板の柄谷スレでdavid graeberデヴィッド・グレーバーの話題を見て、the dawn of everythingのPDFをちょっと見てみたが、
文体がmanifesto的で読みづらいのは確かだが、柄谷の文体もマニフェスト的で、研究者の文章に必要な視野の広さが無いんだよ。
つまり、たぶん研究者的に言えば、ずばり間違っているということになるだろう。
哲学の起源は柄谷が衝動的に書いたものらしいから、誰にでも分かるように、納得できるようにと考えて書いたものにはなっていない。
イオニアが哲学の起源であるとかは、現在では非常識の一つに過ぎない。 宗教の起源というと破壊と癒しのようだが、哲学は神の零落と人間の本性。 しかし神学にバランス偏るより悪魔社会学による補完が大事だ文学の魔女。 人間の本性は善と悪が混とんとしたカオスとロウの狭間。 いつでも善が勝つがしかし恋愛が成立しうるハラスメントない条件内なら悪が勢力化。 まあ色気の出し方としての善悪オーラは両方経験できる。 チャイナタウンなんかも似たような問題。日本人町、まだ財力ないから借りろ。 ギリシャからはやめてくれ。。。世界史はa,b,大学入学資格検定でも弱かった。地質学は満点でした。地政学って学問は嫌い。 ギリシャフランス自由民主。
ドイツ共産 まず自由を。 俺は日本史0点からフルまで経験。下った上り調子で。
各国史がやや有利か。 サイードのオリエンタリズムよりはわかりやすく馴染みがあるけど柄谷さんは。。。 高3春、代ゼミの模試で日本史が80点で全国20位だった。
「日出処の天子」、梅原猛のおかげ 俺は年末の私大記述模試とかハイレベル模試とか総合模試だな。
一応全部上位に乗ったけど、封筒が届いて講義の順が出来てる性が大事で
考えられないぐらい大学図書館で勉強研究したが。 客観問題は絶対かもしれないけど小論文記述は将来まで評価が上下するわ。 入試の形式で文章表現あがると思って慶應三田にした。 確かに採点みると読むにしても書くにしても話すにしても聞くにしても、
入試の影響は大きいがね。大学大学院に入ってからの学問が大事。 予備校模試の点より入学試験の点、学期末学年末試験レポート演習論文と重要度が
あがるのに受験自慢とかはなあ。 東大文3、京大文学部に一応、出願した。仮面浪人時代。
自分が在籍してる大学で共通一次を3回くらい受けた。
北大文1の2次試験も現役以来、再度行った。
北大修士の近代経済学、哲学を受けたが… パリソルボンヌ市は市大 教育大は県単位で重層に管理
国立は日大が抜きんでるが、その他は圏域を守護国戦国など将来まで課題。 暴力や怨恨、民と共に苦しんだ出世を仕上げた脳神経の異常な発達。赤門にふさわしい。 駿台電子情報専門学校が最終学歴です。大学の学費が青木家にあるわけない。兄貴はノースキャロライナ大学留学しましたが。 柄谷さん、バロウズのport of saints,出来上がって販売したら、amazonかiBooksで買ってください。。。 反文学論を購入しました。ウーバーイーツで働いて疲れた今夜読みます。 柄谷さん、僕は支離滅裂なカットアップ以外、何を主題にすべきでしょうか? 意味という病、も未読だったので、iBooksで購入しました。畏怖する人間も買います。 世界史の構造の英語のオーディオブックを買って持ってるの、俺だけかな?書いました?皆さん。 斎藤小平はSDGsについて皮肉も言ったが、概ねは前向きにSDGsを捉えているが、昨今の
景気上昇の原動力の主力は二酸化炭素削減などの環境技術の開発競争の激化だろう。それが株価を押し上げている。
環境技術の開発に狂奔すればするほど、ゼロ成長からは遠のくだろう。やはり、ポストモダンは無かったものとして忘れ去られていくしかないのかも。 >>183
訂正 斎藤小平→斎藤幸平
ジャネットは書き込み禁止?
俺が書けてるぐらいだから、文学板はレスの許容度に関しては最も緩めだと思ってるが。 哲学板のスガ秀実スレで森脇透青や松田樹のツイッターやノートで、今の40−50代は柄谷を
論じて来なかったというんだが、柄谷のようなinterdisciplinary学際的なライターはアカデミズムの人達は
取り上げにくいだろう。どこの国でも大体は同じではないか?
彼ら関西の若者は東京のジャーナリズムに期待し過ぎてるような。
文芸批評に関しては大学の教員が殆ど全部を占めるようになって、官僚化の傾向が強まったんだろう。 山城むつみさんは健在でしょうか?好きなんです僕。批評空間で一番好きでした。 NAM東京の読書会(太田出版だったか)で
山城さんの発表を聞いた。 マチウ書試論がスゴイと思いましたが、ほぼ、ドレウス「キリスト神話」の紹介かもしれないですね
http://makorin.blog.jp/archives/52219594.html 柄谷はフロイト「モーゼと一神教」がどうだと言ってましたか ,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ 先っぽだけでも入れさせてくれよ グジュグジュビチョビチョ
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、 哲学板に柄谷の本スレはあるはずなんだが、哲学板の阿保馬鹿どもが文学板に来てるのか?
哲学板の柄谷スレを何とかしろよ。
俺なんか哲学板もニュース速報板もずっと前に書き込み禁止になったから、文学板に書き込んでるだけなんだが。 ,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ ちーす! マラ谷でーーす
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、 関西・若手の森脇や松田樹は東京の柄谷や蓮實に囚われすぎだろ。
彼等の拠って立つ?人文書院には考古学書の翻訳出版をやって欲しい。そこで関西の若手学者を翻訳に動員すれば、地元の活性化にもなるし、人類学の思考実験の材料にもなる。もう哲学なんか死んでるだろ。哲学者や思想家という呼び名は現実から浮世離れした人間達への揶揄でしかない。 >>189
柄谷と彼の著作の翻訳者Wainwrightのインタビューを読めば良いだろう。
フロイトはモーゼが二人いたという説で気違い呼ばわりされる程の無理をしてる。
大体がモーゼは架空の人物。
冷静に考えれば、ヤハヴェはアドニスやナルキッソスなどのギリシャから近東の、一方通行的な愛を受ける美青年の神の姿がヤハヴェに投影されてるのではないか?
具体的には古代ギリシャのアルカイック時代(大まかに言えば、紀元前500年以前)のkouros貴族の?青年像がそうだろう。古代ギリシャやエトルスカンの同性愛というものには?
現代人が想定するような、愛の相互性は殆ど無かったのではないか?それはジャニー喜多川の例を見ても、年齢の離れた同性愛の全般に言えることかもしれないが。
一神教のような強烈な崇拝の集中性は、現代のオタクのアイドルへの執着にも散見される。
まあ、俺はフロイトの長たらしいコジツケを読む気にはなれないw
ズバリ言って、ヤハヴェが信者達にアドナイと呼びかけられることは、ヤハヴェに、かつてアドニスだった過去があるということだろう。
それはナルキッソスと同じく、愛されるが、愛を返さない神のことなんだ。それが一神教の起こりだろう。
つまり、ヤハヴェにおいては互恵性は否定されている。 >>195
古代ギリシャのシンポジオンなどに見る同性愛では、愛する者をeromenos、愛される者をerometesとして区別したような事情もあった。そういう関係が当たり前に成立していた。 >>196
>>愛する者をeromenos、愛される者をerometes
訂正
上は逆で、愛されるものがeromenos,
愛する者がerometes 柄谷交換様式論では、Dである普遍宗教は、反復強迫的に到来するのだというのであった。
その反復強迫がなぜ起こるのかというのを、『モーゼと一神教』を援用することで説明しようとしていた。
ところが、『モーゼと一神教』では「トーテムとタブー』の兄弟同盟による「原父殺し」(原父を殺して食ったこと)
の反復がユダヤの民による「モーゼ殺し」(モーゼを殺して食ったこと)ということなのだが、
柄谷「反復強迫」論では、そういう「トラウマ」になるようなことが全然論じられておらず、
むしろ「原遊動性U」段階は、自由で平等な和気藹々とした歴史的段階だったようなことになっている。
この柄谷説のトンチンカンなことについては、前々前スレあたりでさんざん話題になったので、
それを読んでから、なにかこのスレッドでの議論において見落としていたことがあると思うならば、
具体的に指摘してもらいたい。 681吾輩は名無しである2023/01/24(火) 14:21:23.17ID:aD6HJPf3>>687
柄谷スレッドにおいては、肝心なところは↓である。
同上
c.ユダヤ人はモーゼの要求する一神教の峻厳さに耐え
切れず,彼を殺害し,その肉を食べた。ユダヤ教にお
いて供犠の子羊を食したり,キリスト教においてイエ
スの聖体(パンと葡萄酒)を拝領するのは,はるかに
遠い過去のモーゼ殺害の無意識の反復である。
d.しかし『旧約聖書』にはモーゼの殺害について一行の
記載もない。彼を殺害した記憶はユダヤ人たちのあい
だで「抑圧」されている。
e.この記憶の「抑圧」ゆえに,ユダヤ人は反復強迫症に
陥っている。この反復強迫は,個人のものではなく,
集団としてのアイデンティティーに関わるもので,世
代から世代へと何世紀にもわたって伝えられる。そし
て預言者があらわれるたびに(たとえばエレミヤ,ゼ
カリア,イザヤ,そしてイエス)ユダヤ人は抑圧して
いる過去の行為を無意識に反復し,彼らを殺害する。
柄谷行人がまるで呪文のようにとなえる
「抑圧されたものの回帰」「反復強迫」のフロイト理論における本来の意味が
↑なのである。 >>199
>>c.ユダヤ人はモーゼの要求する一神教の峻厳さに耐え
切れず,彼を殺害し,その肉を食べた。ユダヤ教にお
いて供犠の子羊を食したり,キリスト教においてイエ
スの聖体(パンと葡萄酒)を拝領するのは,はるかに
遠い過去のモーゼ殺害の無意識の反復である。
子羊や子供、精々言って若者の肉を好んで食することはあっても、
モーゼのようなおっさんか、爺さんの肉を食うとか物好きすぎるだろw
これの元はフロイトがエジプトのosirisオシリス神話から、捏造再生産したものだろう。 統制的理念云々というのは、本来は認識論の問題、
イソノミアの「ノー・ルール(無支配)」というのは、無専制支配のことでジェファーソニアン・デモクラシーなどに近い、
柄谷行人の言うこととは、このように全然違う、
「抑圧されたものの回帰」に関しても、同じことがいえる。 >>201
アメリカ西部のロックバンドのCharlie Daniels Band やblues imageの曲に、Ain't No law in Californiaや、Ain't No rules in Californがあるように、アメリカも東と西ではかなり違う。ジェファーソンのデモクラシーは開拓時代の東部のものだろう。 >>195
>>フロイトはモーゼが二人いたという説で気違い呼ばわりされる程の無理をしてる。
モーゼという名前は12世紀のナイル上流のヌビアの王でmoses georgiosという人がいるから、
エジプトの南のスーダン地域由来かも。ヌビアの彫刻はヌビア人のhuman sacrifice人身御供の
証拠かも。そもそもアドニスの造形はヌビア由来ではないか?
現代人と古代人の美青年についての感性は違う。
古代人は無邪気さをもって、美の条件とした。 ジャネットならジャニー柄谷のケツ穴を買うだろうw
哲学板の栗原なら柄谷を現代のモーゼとしてバラバラに解体し、焼き肉にするかもなw マチウ書試論
今は、新約聖書・マタイ書は、ユダヤ人を批判するために書かれた。新約を聖書とする民族は、ユダヤ人を迫害し続けるのではないか。ヒトラーはその極端な例に過ぎないのでは、という理解。
吉本は後半でドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の劇詩「大審問官」を分析している。「大審問官」は、マタイ書のイエスと悪魔の問答をふまえている。
吉本は、マタイ書の問答はつまらないと言っている。「カラマーゾフの兄弟」論が主題だったのかと思った。 キリストやモーゼユダヤ教などを主役に扱わないほうがみんな繁殖あっていいんじゃないの。宗教といっても誰でも興味を持てば役割を果たせるはずで、独占や寡占はいけない。 ユダヤの民のほうが努力してるからヒトラーなどは無知だな、あるいみ迫害って
のは嫉妬だから嫉妬されてるほうが正しい気がする。
宗教上の問題で対立するならまだしも。 狐憑きでも主人公が食べられる話もある。
民俗学なんかだったらキリストやモーゼが特別でないことがわかる。 ここでナメクジ行為は一切禁止ですwww
,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ エホッ !
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、 ジョージ
@jo2geor2
14時間
映画『ゼイリブ』を例に、
イデオロギーの隠されたメッセージについて語るジジェクの動画に字幕をつけました
https://twitter.com/jo2geor2/status/1669641713739239424
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 吉田光雄 @WORLDJAPAN
1h
キャンドル・ジュン、記者会見をちょっと見ただけだと
「空気を読めず原発の話ばかりをする人」だとしか思えないけど、
会見を長い尺で見ていると人間性が伝わってきて好感が持てるようになるなー。 俺がキャンドル・ジュンなら、広末と連れにガソリンぶっかけて、火のついたキャンドル放りなげるけどなw モーゼもヤハヴェもヌビア人だったという説もあるが、それの支持者が増えてるんじゃないか?
モーゼの頃は、エジプトの南のヌビアのようなアフリカ大陸の東北部は文化の先進地帯だったろ。 明日のワイドショーはもうキャンドル・ジュンで一色やねw 試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録D
https://book.asahi.com/jinbun/article/14933308
朝日の記者が柄谷にインタビューしてるんだが、朝日のようなリベラルの中心勢力である通俗的リベラルの駄目な所は、
非常に文壇的なところであって、インタビューの初回の前置きで柄谷を紹介するのに「柄谷行人さん(81)は、戦後日本を代表する批評家・思想家だ。」と
やってしまうところにも現れる。
実際にリベラル文壇やリベラル・ジャーナリズムは文壇ボスの一方的な権力を積極的に容認する人が多い。これでは反スタ哲学が泣こうw
それに対して小林秀雄時代の保守右翼は、誰が偉いというのも一応あるけど、互いにため口で仲良くやっている。
左翼は文壇など認めるべきではないが。
以下のような、柄谷の詐欺的軽薄才子らしい妄言に取り合う人はいるのかね?
ルイ・ボナパルトは、ナポレオンの甥ということ以外に取りえのない男で、
労働者や貴族など階級や階層の代表というわけでもない。
マルクスは、彼が政権を取ったことについて、人柄や人脈で説明することを拒否する。
ルイ・ボナパルトというのは、交換可能でなんにもでもなる。
何も代表していないがゆえに、すべてを代表しうるわけだ。いわば、貨幣なんですね。
柄谷の失敗は浅田彰、スガ秀実、渡部直己、大澤らにタメ口を許さなかったことだろう。キャリアや年齢差を超えてタメ口で
話し合ってこそ、リベラルの良さがある。 >>226
>>インタビューの初回の前置きで柄谷を紹介するのに「柄谷行人さん(81)は、戦後日本を代表する批評家・思想家だ。」と
戦後の小林秀雄、花田清輝、吉本隆明らの活躍期間を繋いだら、50年に及ぶはずだが、朝日のような通俗リベラルは柄谷王国の存在を妄想する。 昔の雑文が無茶苦茶面白いね柄谷行人さんは。懐古趣味になりますけども。。 理系は暗唱だから順位とか関係ないんじゃ。書いてない人いる、しかも点数順位調整してるほうが人生有利。 デカルトを読むにしてもソクラテスを聞くにしても許可がないと荒らしじゃないの。 女性が筆者や登場人物の場合多くの読者は背負えない。 そういう意味で出版物は教授を通すか大学など図書館のほうが。 読み手が読んでほしくない人に書き手の書がわたるというのは問題。 基本的に文通なんだが過去の古典的人物と対話するという楽しみも制限されてこそ。 顔の形やプロポーション血統のセクハラ歴なんか考えて許可出せよ。 テキストが書き手から離れるとハラスメントのリスクを背負う。 暗唱のほうが理系は臨機応変に解法が取れて近似値も桁下のほうまで細かく計算できるから、
暗唱したもののほうが上位だけど。 物理は単純な世界構造の数式で人体、細胞や管理が痛むから履修しなくていい。
化学のほうがお薦め。 行きつくところが原爆でしかない。ロシアが配備するなら被爆国として敵に回って抑えよう。 原爆が最強兵器なら被爆国被爆地域のレベルが上がっているはず。実際は逆で下がっている。 例えば唯物論やカント物自体の仕上がりと物理教科では前者が圧倒的にインテリでいい。原爆は低偏差値でも買えて開発
でき使用の恐れがある。 化学 微分積分 代数幾何 確率統計、生物 気象 地学 心理学 人類学などが参考までに自分の理系の履修。 物理が侵食して来る領土に外国からというのは戦争だけじゃなく外交問題でもある。 いい効果は全くもたらさず災禍だけが記憶されている。 人体形成や精神形成自然環境までに悪影響を及ぼすのが物理。
学歴にあるのも噂の様に履修を避けて。履修した場合は大学組織に相談しよう。 物理で失敗したり被害受けたら古典力学。動きの中で恢復する。 野球が物理っぽくて競馬が力学っぽいとわかるかな。ガリレオって馬がいたり。 ユダヤ人が一神教になったのは彼等の議論好きで、周辺の他民族を馬鹿にしたい一心から、周囲の民族の多神教と差別化を図るためではなかったかと
思われる。ユダヤ人は他民族の神や風俗を馬鹿にするのが常だった。それはユダヤ人が救いようがないほどに、嫉妬深い民族だったから。ヤハヴェにまつわるエピソードが
それを証明する。 哲学板のスガ秀実スレで少し話題になった松田樹の柄谷行人についてのごく短いエッセイだが、柄谷自身の発言を引用するについては、
柄谷の質を取るという意味はあるが、柄谷的な捏造の罠に嵌る危険は免れない。
むしろ、若い頃の柄谷が批評家同士の座談会で、一番年下であるにもかかわらず、挑発的かつ最も大きな態度を取っていたことに注目すべき
だろう。後年の柄谷がアソシエ‐ショニズムや民主的なディスカッションを口にするのは良いが、何故柄谷は自分の若い頃のような先輩に
対して不遜な態度を取ることを後輩の浅田やスガらに要求しなかったのか。野球の大谷は日本の後輩らに「お前ら、俺にタメ口で向かってこい」と
唆してるそうだが。
柄谷の言うことを真に受けていては、柄谷像は掴めない。
スガ秀実みたいな柄谷や蓮實に媚びて批評家人生を送って来た人が後輩や若手の媚びに弱いということは有り得るが、彼に媚びたところで報われるとは
限らない。 柄谷行人「探究U」(講談社学術文庫)
第三部 世界宗教をめぐって
第二章 ユダヤ的なもの
フロイトの『人間モーゼと一神教』は、謎めいた書物である。 京大なら熊野寮の奴らが一番有望だろ。
森脇や松田、しげの、スパルタカスらよりは多分ずっと優秀だろう。
俺に10億あれば、熊野寮生全員を一年分の給料を前払いで雇って、週刊文学音楽批評誌を発行する。
中核派にそんな金ないかw ラッキーストライクは季刊未満で情報処理速度が遅すぎるんだよ。既存の関係業界紙も精々月刊で、しかも細かい記事が一杯で
散漫に過ぎる。しかも、ラッキーストライクは旬を過ぎた柄谷、中上、デリダとか、トレンドを読めなさ過ぎ。
ばーっと編集記者100人ぐらい集めてやらんと駄目。 人文書院で「スピリチュアルの考古学」の題で週刊文芸批評誌をやれ。
編集長は山内翔太で良い。 一神教つまりハーレムじゃないのは行動が早いさ。
しかし信じる強さ裏切られる脆さは紙一重。
ハーレムなんて行動が遅くなって男が群がり女がとられるな。
しかしいくらでも代わりがいるという繁殖に子孫に抜け目がない。
節目節目一神教で行動するほうが、強いと思う。
しかしハーレムというほうが同性愛を媒介しない世界でもある。 一人を意識する 多人数を意識する と考えてみたまえ、一神教夫婦と多神教ハーレムを織り交ぜることだとわかる
だろう。 一神教の主が意外に信仰を集めていることと、多神教ハーレムの模倣の人気が高いこと、そう説明がつく面もある。 行動するなら一神教 セックスの相手なら多神教ということか。 仏仏陀というのは独りのようでいろんな弟子歴史上も含めてや菩薩観音などがいる。
ある意味両方を取り入れたヒンズー教よりから、の仏教はネオだ。 日本民族の体格血統からすると織田信長のようでなく仏教がいいと思う。 だから西洋哲学の面からのキリストというものをあまり意識しなくてよい。 嫉妬ってのは相手を追い越し上回る能力だろう。ネガティブに醜く考えすぎない。 ある意味で日本文学の最高のシーンは六条御息所の嫉妬の生霊の段。 柄谷さんも人間関係がそういうことがゆかりなんだろうな。 フロイトという医者がいいかというと、患者を自分に合わせて選べない容姿性格。
ユングやラカンにも言える。そういうのを見上げていると間違っている。 その三人のおかしいとこは自分より魅力がある女性をクライエントにとること。
女性に任せておけばいいのに。しかも年下女性にセクハラしてたんじゃないの。
その中のだれか。 ある意味ドイツフランスには人事力がなく精神科の魅力からそれをうのみにしている。 そういうわけでその国らを敵にした方が日本もそれらもうまくいくと。 そこをたたけば世直しで勝てるわけだな。兵役でも結果が出てるから試合の結果も良い。 日本の精神科が先んじて先進化し世界の基幹になる日も近い。 世界の後鳥羽上皇に奏上するならいい話だろう。だれだっけ。 ギリシャ神話では智将オデユッセウス、ペルシアでは巨神兵なんかが家系の信仰だなうちは。 応仁の乱か もののけ姫なんかも良く描き切れてるね。 ある意味源氏とか神曲なんかはエロだよなあ。そういう接点はあるかも。 まあそういうの世界から集めて日本文学を作るとか新人賞でも何でもできてないな。 この世紀に世界でそんな文学が生まれたら新しいような古いようなものになる。 哲学板の柄谷スレでは、いまだに旧約聖書の中のモーゼに関連した部分へのこだわりがほんの少し残ってるが、モーゼの前で紅海の海水がモーゼの眼前で割かれ、彼等の
進行方向に沿う道が出来たとか、ヤハヴェの妻と噂のある女神Asherahアシェラには海上を歩く女神であるとかの話があることや、Samariaのヤハヴェと彼のアシェラの壷絵を総合すると、
ヤハヴェのカルトはフェンシングのマルシェのフットワークの信仰だったのではないかと推測する。
古代の生産活動や交換や交易の労働の殆どを占めるのは大量ないし、重量のかさむ資材や製品の運搬だった。
その運搬技術に長けていたのがモーゼの妻の出身であるヌビアだった。
マルシェのフットワークは重量物の運搬に最適だし、格闘技では敵に重い打撃を与えられる。マルシェのフットワークは
言ってみれば、楔型であり、一体で1トン近くの大きな壷に入ったワインやオリーブを揺らすことなく二人で運ぶことが出来る。
古代ヌビアの絵で大きな壷を棒に吊り下げて棒を肩に担いで運搬する2人の男が見えるが、この棒をアシェラのポールと呼んだ
ことがあったかも。
yahweh's yokeヤハヴェのくび木は謎とされてるが、普通にくび木と言えば、横に接して並ぶ二頭の牛のパワーを一体化させる
ためのものだが、ヤハヴェのくび木には前後に並んだ二人の人間のパワーを一体化させて、5−6人分のパワーを発揮させる効果があったのではないか?
それはひと昔前までの日本の金庫やピアノの肩バンドを使った運搬技術だったが。それを思わせるのがサマリアのヤハヴェの壷絵だ。
ここでは前後に二人の人物が立ち、脚を少し構え気味にし、両腕を腰の後ろで組んでいる。これは手を振らないことで重心の揺れを防ぎ、荷物の揺れを防ぐ。
大量の液体の入った壷を運ぶには丁度いい。例え、壷に蓋がされていても揺れが激しいと中身があふれ出す。 >>291
>>大量の液体の入った壷を運ぶには丁度いい。例え、壷に蓋がされていても揺れが激しいと中身があふれ出す。
日本書紀の崇神記でも、天皇家が河内の陶工の娘を嫁にし、姻戚関係が陶業と天皇家の間に出来たことが示唆されてるが、多分、陶工達は、液体や固体の食品などの入った陶器を大量に運ぶ、重量物運搬の仕事も請け負っていたのではないか?
現代の河内地方からはアート引越センターとサカイ引越センターが生まれている。 >>291
>>それはひと昔前までの日本の金庫やピアノの肩バンドを使った運搬技術だったが。それを思わせるのがサマリアのヤハヴェの壷絵だ。
ここでは前後に二人の人物が立ち、脚を少し構え気味にし、両腕を腰の後ろで組んでいる。これは手を振らないことで重心の揺れを防ぎ、荷物の揺れを防ぐ。
この絵で荷物の姿が見えないのがヤハヴェのカルトのaniconicアニコニックな性格を多分物語っている。
そのアニコニズムの内実は象徴的や抽象的とも言えるだろう。他にもあるだろうが。 >>291
>>>>それはひと昔前までの日本の金庫やピアノの肩バンドを使った運搬技術だったが。
今でもやってるけど、階段を使った運搬は余り見かけん。今のピアノ屋はショボ過ぎる。 格闘技より格技。
戦場で格闘家、神のゲームで格闘家、レスリングで格闘家。ストリートで格闘家。 格闘家に足軽センス500万ぶつけとけ、武器携帯するものも。 重い打撃は相手が跳ねない現実逃避の鈍い休ませて時間次元の損。 俺はレスリング最強のネプチューン討ち取ってる。その他大勢。 密教空手かソードアート 気功、射程のある特殊攻撃がいいと思う。
接近戦の打撃系よりカウンター受け身。 道場とかギルドで身につくが先天性より後天形質の獲得。 iBooksで来月また二冊くらい未読のを買います。 まあでも踊りや恍惚陶酔感が混然となった戦いのセックスとかそういうのが文学的だと思うが。 あるいみみんなに性的拘りがあって誰が勝ってるとかでないような。 だからバタイユとにもセクシーな踊りがないしな。しかもイキ狂いみたいなSM要素とか。 人間の性動をよく知っていてさらに偶然や運の要素もあるといった。 だから誰も同じである必要がないが共通のものもないわけでない。 そんな壮絶性体験をうまく表象して人のために言葉を紡いでいるといった。 それに障害病気トラウマなどを解消するような神聖を加えるとか。障害抱えて障害を顕在化する悪魔のような密儀するとか。
そういうのはあまりに文学的かもな。 あるいみで一般的なことを好いて人間の限界を試さない超えてかない様なのは俗的。 精神の性欲異常やアブノーマルな性癖、そういうほうがノーマル正常より
価値が高いだろう。それをみんなじゃなく誰か異性に認めてもらうことが孤独じゃないこと。 ある意味お互いの要求に答えて特殊な性欲を満たすこと、それが夫婦だろうと。 そういうときの第三者の女性、それが文学に大事だろ。 吉田光雄
@WORLDJAPAN
5時間
【独占】殴る蹴る、強制丸刈り…被害者告発!キャンドル氏、
元事務所スタッフへの暴行と愛人囲み(週刊女性PRIME)
#Yahooニュース 幼い頃からのキリスト教徒であるキャンドル・ジュンとキリスト教との関係で言えば、ろうそくの意味であるキャンドルのキリスト教的代表は
menorrahメノラ=装飾的な蠟燭台だな。ユダヤ教が起源だが、カトリックやプロテスタントもメノラと関わる。
ヤハヴェの妻と目されることもあるasherahアシェラの「tree of life命の木」はメノラの造形と関連付ける人も多い。 >>320
mother godess地母神的なアシェラの木ということになれば、アーモンドの木のような多数の枝分かれすることが多産のイメージとして注目されるんだろうが、日本では楠なんかも枝分かれが激しい。それは一神教の必然だろう。常に多数の神を束ねるという戦闘性を秘めてるのだから。 柄谷関連で言えば、長年に渡って、文壇のマスターである柄谷の中間的奴として密告や新参者への虐めや引き締めなどダーティーな仕事を
請け負って来た絓秀実がヘーゲルの「主人と奴の弁証法」に言及するのは必然だろうが、柄谷や浅田がまともに取り上げなかったことを、最近の
若手ライターが取り上げたのは絓秀実のためには嬉しいことだったんだろうが。若手ライターは一切、奴的な仕事をするべきじゃないと思う。
ヘーゲルのは18世紀末のヨーロッパ人インテリのアフリカ人やアジア人へのただの人種差別の話だから。 ヘーゲルが古代ギリシャ美術の熱烈な支持者だったことは良く知られてるが、そのギリシャ美術はエジプトの影響が大きいと言われるが、正しくはエジプトというよりもヌビアの影響と言い直すべきだろう。つまり、ギリシャの彫刻は地中海の白人文明にも類されるエジプト文明ではなく、ナイル川の少し上流の非白人ヌビアの影響を受けていた。
それを当時のヘーゲルが知っていたら、大変なショックを受けていたかも。モーゼや、ヤハヴェの起源をヌビアに模索する研究者が若干増え始めてる気がするがyahweh's yokeヤハヴェのくび木という時、ヌビアの彫刻の首が短いことからして、ヤハヴェのくび木のヌビア起源説には信憑性が高いと思う。重労働で首や脊髄に負担を掛ければ、首が短くなることは良くあるから。 >>324
>>彫刻の首が短いことからして、ヤハヴェのくび木のヌビア起源説には信憑性が高いと思う。重労働で首や脊髄に負担を掛ければ、首が短くなることは良くあるから。
ヌビア人は重い物の陸上や海上の運搬や輸送に長けていたと言われる。 柄谷行人と汪暉
柄谷は汪暉の日本語版『世界史のなかの東アジア -台湾・朝鮮・日本』(丸川哲史訳)の帯文で次のように書いている。
「中国の現状に関しては、社会主義的な体制を否定して、自由主義的にすればよいという見方が普通である。
しかし、自由民主主義と称する体制で、うまくいっている国などどこにもない。実際は新自由主義が支配しているに過ぎない。
一方で、中国では社会主義は存在しない。
事実上、新自由主義が席巻しているのだ。
そこに、いかにして社会主義を実現するか。汪暉が取り組んで来たのは、この課題だ。
彼の言葉で言えば、「脱政治化」された状況をいかにして「政治化」するか。これはまた、われわれの課題でもある。」
ジジェクの汪暉批判を参照するなら、柄谷のこの認識は汪暉の 「汎アジア主義」をそのまま疑いなく肯定した「偽善」的言説
ということになる。
中国は確かに「事実上、新自由主義が席巻している」のかもしれないが、
それはブルジョワ民主主義なき共産党指導の軍事的専制主義下の新自由主義である。
ブルジョワ民主主義はろくでもないものに違いないが、柄谷氏はそれに代わる理想の専制主義のヴィジョンを
、ほのめかしではなく明示的に語るべきである。中国に「いかにして社会主義を実現するか」
、「「脱政治化」された状況をいかにして「政治化」するか」といった課題設定は、
習近平政権を支える毛沢東主義左派的イデオロギー以外のものではない。
柄谷へのバーグルエン哲学・文化賞の授与は、決して交換様式Dの到来のような無償の贈与ではなく、
交換様式B・Cに基づいた有償の交換行為である。
柄谷が中国に対してジジェクのような態度を取っていたら授賞はなかっただろう。そのことを見ないのは「偽善」だが、
柄谷自身は「偽善」を「露悪」より評価するので、矛盾はないのかもしれない。しかし私は「偽善」が「露悪」より悪ではないとは思えない。 柄谷行人と汪暉
スラヴォイ・ジジェクが汪暉の「汎アジア主義」を批判する文章をハンギョレ新聞のウェブサイトに載せている
現在清華大学教授である汪暉氏には、中国政府のスポークスマン的な言論の自由しかない。
汪暉と言えば、先日柄谷行人が受賞したバーグルエン哲学・文化賞の選考委員であり、
授賞式において「世界的な民主主義の危機を迎える今日、柄谷さんの思想は特に示唆に富む」とコメントした
中国に「いかにして社会主義を実現するか」、「「脱政治化」された状況をいかにして「政治化」するか」といった課題設定は、
習近平政権を支える毛沢東主義左派的イデオロギー以外のものではない。 >>327
>>現在清華大学教授である汪暉氏には、中国政府のスポークスマン的な言論の自由しかない。
その通りで、中国の言論人なんてその程度だろう。
汪暉は、ひと昔前の新自由主義の本拠であるアメリカを批判してるだけ。
そして中国やロシア、インドは、その新自由主義をモダニズムの延長として引き継いでるだけ。 法律で罰せられない、事後的に罰せられるだけという理由で覗きたかりや粘り強姦の自由があるというのは自由主義の弱点だ、制限された自由というのを目標に立てる。 共産社会主義でもその問題が平等な恋愛を求める故に出てくる。 許されないのに無意識的に夫婦に持ち込む。という犯罪が絶えない。そうしないと。 世の中が嫌なものでなく楽しくてよいものという世の中に対する信頼が芽生えるような社会。 ヨシュア記でジェリコとイスラエルの戦争のまじかに迫った時、ヨシュアがジェリコの外で出会った剣を手にした不思議な人物が、
戦争のどちらの陣営にも与しないという宣言と、あらゆる場面で実行者ではないはずのエンジェルに剣を持たせた構図はコントラポストであり、
これは紀元前5世紀初め頃のアイデアではないか?
ヨシュア記にヘロドトスからの引用があるという説もあるが。 そんな話はくだらん!NAMのマニフェストを新しくしなきゃならんのだ!諸君!買って損した哲学の起源は。金持ちの道楽に過ぎない。iBooksで新書を今から買います。柄谷もたまにガキよりくだらんからなあ。。。 >>337
>>そんな話はくだらん!
NAMとか馬鹿も大概にしろ。世界ではヌビアやヤハヴェへの関心が高まってるところだ。 浅田と柄谷の対談は買いますわ。決めた。哲学の起源は。。。キチガイになりますよよんでて。 一神教の厳格さはニムロッドの返し矢の即時性と精確で過酷な処罰で現われる。そこにデリダ的なdifferance差延はない。
しかし、differanceのwikiは以前はあったと思うが、今は無いのだ。デリダはwikiで冷遇されている。 デリダ、ガタリ、ドゥルーズ、フーコーなんて学ぶ価値が無い。必要性そのものが無い。要するに全て経済、金の事なわけで柄谷行人さんが言いたいのは。money's matterですな。 倫理21をiBooksで買いました。こりゃ買って正解! >>342
お前はいよいよ支離滅裂だなwww
お前の最後は近いようだ。 ,, -''"´ ̄ ̄ ̄`"''-、
/ , -――-、-―-、\
/ ./ \|
,' | -― '、
| / ,,;;;;;,,, ,,;;;;,,,'、
.|,...、 / "´__` ´ _`'}
| i^.ヽ| ノ・―ゝ ; { .ノ・-ヽ',
'、.( .||  ̄ ノ .'、  ̄ |
\__ィ :::::: , -(_c、,ィ.)、 :::::|
|| | /ィく_ ,. -‐'┴ 、_>、 /
.|. '、 ヽヾl工l工lア/./ やりたいんだよ まだ見てる?
.| \ `' \__ノ /
/.\ 、`''-、 '⌒ /
-''´ヽ `''-ニ,,_`'ー―‐一'|、
エホッ! >>342
>>デリダ、ガタリ、ドゥルーズ、フーコーなんて学ぶ価値が無い。
こういうところが丸暗記好きの関東人らしいねw
何でも他人の言ったことを暗記するだけの不毛な青木ら関東人www
俺はフランスの先人達に「お前らも結構やるじゃんw」ぐらいな姿勢なんだが。
俺自身が物凄くクリエイティヴなんだな。 >>347
お前の一声でお前のカルト仲間が100冊ぐらい買うんだろう。 柄谷行人、バロウズ、キャシーアッカー、ケルアック、ギンズバーグは全部買いました。来月は柄谷行人iBooksをコンプリート。綿矢りさみたいな白痴に構ってられません。ビジネスマンなので最早わたしは。 nothing ir true. everything is permitted. rub out the words. cut word line immidiatry. destroy all rational thoughts. covid 19 is I invented. nothing virus, just economic subject. これを意訳せねばならないのです。柄谷さん。william seaward burroughs port of saints...
https://i.imgur.com/e7iHImi.jpg https://i.imgur.com/CUWg54B.jpg
今回の東欧の戦争ごっこは、テクノロジーの発展、刷新に繋がるだろうか?あらゆる意味合いで粛正なわけだ。他国を巻き込む節があるゼレンスキー、どうあがいてもプーチンに勝てっこない。you can't win jack blackですな。我が国も戦争すれば良いじゃないか。諸君。大不況だ。イザナギ景気ではない。 我々は何故、ロシアに加担しないのか?全世界が新ソビエトになれば、柄谷行人さんの世界共和国も夢じゃないわけだ。まだこの世には戦争がいるのだ。 民主主義がゼレンスキー、共産主義がプーチン。ユダヤ教が、ゼレンスキー。ロシア正教がプーチン。私は厳格なイスラム教徒。原理主義者。 ロシアは共和国を志向していないだろう。
NATO、アメリカの覇権に従う気がない。 日本はサハリンiiでエネルギーを調達して、ロシアの財政を助けてるよ。
それは日本からすれば、ロシアの為というより、一応は日本の国益のため。
中国やインドは無論、フランスもアメリカに反抗し出した。
世界はバラバラになりつつある。
世界の海運ではコンテナ海運の3大海運同盟があるが、コンテナ不況に加えた船腹過剰が災いしてか、海運同盟が崩れつつある。
海運のマーケット自体が断片化しつつある。世界の「交換」の90%を運ぶキャリアー、つまり海運が断片化しつある状況。
浅田彰の「構造と力」や柄谷の「力と交換」のようなフォルマリスト的発想では対応できない時代に既になってるんだよ。 サハリン2は頓挫してるような
アジアの海運の中心はシンガポール、
ハブ空港はソウルと前、聞いた。 >>360
>>サハリン2は頓挫してるような
Japan’s Mitsui says no plans to exit Russia’s Sakhalin-2 LNG project
in General Energy News 22/06/2023
Japanese trading house Mitsui & Co 8031.T has no plans to withdraw from the Sakhalin-2 liquefied natural gas (LNG) project in Russia,
a senior executive said on Wednesday, adding the operation was continuing super-chilled fuel exports to Japan. 0031考える名無しさん
2023/07/22(土) 02:42:49.240
「柄谷行人の初期思想」は「初期論文集」の文庫化ですかね
「意識と自然」受賞前の落選作「批評の死」は群像に乗ったのかな
「畏怖する人間」「意味という病」「マルクスその可能性の中心」とかの文庫は
まだ売りたいだろうから、そこからの抜粋ではないと思う
0032考える名無しさん
2023/07/22(土) 02:44:34.720
群像に載った
2200円、買ってもらうと思う 『科学哲学を越えたポパー』沢田 允茂 日本ポパー哲学研究会顧問
カール・ポパーの死去(1994年9月17日)を私が知ったのは,講演のために札幌に来ていて,18日の朝刊の新聞紙を見てであった。そのとこの新聞にはたしか「著名な保守主義の哲学者」という見出しがつけられていた。今になってもなおポパーを保守主義の哲学者と位置づけているマスコミの古さに苦笑したものである。ポパーを保守主義者とよぶのは唯物弁証法を方法論とする共産主義者を進歩的とし,これに反対するものを保守的と頭からきめつけていた一時代まえの一般的な考え方だったのは事実である。しかしこの図式が崩れたのは,一方ではソビエト連邦の内部での弁証法解釈の変化と,他方ではポパー自身の思想の発展によるものである。その結果として唯物弁証法の新しい解釈−−1970年代にはソビエトの思想界で殆ど定着していた−−と,ポパーの「予測と反駁」の方法論が殆ど同じものと解釈されるようになったのである。このきっかけとなったのはノーバート・ウィナーの「サイバネティックス」の思想である。 ソビエトでは最初の頃は,アメリカ資本主義のイデオロギーの表現にすぎない,と古い哲学者たちは片づけていたのだが,東独の哲学者や,ソビエトでも若い哲学者,数学者や物理学者たちがこの頭の堅い哲学者たちの解釈に反論を加えたことから論議が右へ揺れ左に揺れしているうちに,最後には唯物弁証法の科学的表現は,ネガティブフィードバックを通じて揺れ動きながら(oscillation)目的に近づいていくサイバネティックスの用語で書きなおすことができる,ということを公式の哲学の教科書的な書物にも書くようになった。
他方,ポパーの方も「反証理論」を「推測と反駁」という表現で拡張し,最後にはこれを「進化論的アプローチ」へと更に拡張していく過程で,1967年に発表された'Epistemology Without a Knowing Subject'の中で始めて「フィードバック 」という,サイバネティックスで使われる用語を導入して,それ以後,彼自身の考える知識の発展の図式をP1→TT→EE→P2という形で表現するようになった。勿論,彼は同じ論文で自分のこの図式とヘーゲルの弁証法との「ある種の表面的な類似性にもかかわらず,一つの根本的な違いがある」とはいっているが,解釈の仕方如何で根本的な同一性を見ることもできる。少なくともソビエトの哲学者はサイバネティックスの負のフィードバックのある行動を唯物弁証法と同じものと解釈したのだから,その立場をとるとポパーの進化図式evolutionary schemaとも同じだ,ということになる。その意味ではポパーの若いウィーン時代の経験からくるボルシェビズム嫌いとは別に,方法論的にはポパーと唯物弁証論者との立場には何の違いもないということになる。 ソビエトの共産主義は崩壊させている、ロシアはサンクトペテルブルグじゃないがフランスの自由主義より。
多数決同盟数ででは票数国力がないのがウクライナ。民主主義には程遠い。
人口が違う国家なのに票の効果が大きくなる小さいウクライナのような
国は脆い。同じ国土の広さじゃないなら同じ票数を並べないべきだ。 国際政治でも一票の格差を是正した方がウクライナは強い。 人口に苦戦するウクライナは援軍獲得に積極的でないと。武器ではない。 サイバネティクスやカール・ポパーや唯物弁証法よりも、花田清輝のエッセイ「群論」が1941−43年の間に書かれていたことに驚く。
緑いろの毒蛇の皮のついている小さなナイフを魔女から貰わなくとも、すでに魂は
関係それ自身になり、肉体は物それ自身になり、心臓は犬にくれてやった私ではないか。
(否、もはや「私」という「人間」はいないのである。)
頭の良い人はカッコいいことを言うもんだw
花田の時代なら、こういうことを30ちょっとぐらいの男がほざいたら、女の子にもてたろうが。 デリダが外部、交換に言及している。
柄谷行人の交換様式論は、各交換様式が他の交換様式に遷移する事を許容するが、4つの交換様式に分類不可の外部を許容していない、といえるかもしれない。資本の霊の力を語っても、4つの交換様式は揺るがず、むしろその理論を補強しているようだ。
デリダは「交換を特権視すると、情報という内容なき内容を特権視できる」と言っている。
ジャコブ「生命の論理」
[…]ゲーデル以来、ある論理体系が当の体系そのものを記述するのに十分ではないということが知られている
「ジャック・デリダ講義録 生死」(白水社)
すなわち、輻射が彼に紐づけられているという条件、あるエネルギー、たとえば光エネルギーが系の外部から到来するという条件です。平衡を目指しているのは気体プラス悪魔という総体であり、光が外部から与えられるとき、悪魔は仕分け、選択し、情報を得て、系のエントロピーを低くします。さもなければ、すなわち系の外部からやってくるこのエネルギーがなければ、悪魔は気体のなかで「盲目に」なってしまうことでしょう。結局のところ、外部からの供給を考慮すると、系の全体のエントロピーが増大することに変わりありません。
すなわち、組織化された系(これこそが、最も一般的で不可欠な概念です)において――「それが生きているものであれ、そうでないのであれ」とジャコブは明確にしていますが――諸々の要素は交換によって結合していて、これらの交換はまた、情報の交換であると同時に、物質とエネルギーの交換でもある、ということです。情報は――それがつねに系内部の物質やエネルギーの交換に結びついているかぎり――最も一般的な場となり、そこにおいてはさまざまなタイプの秩序――生きているのであれ、そうでないのであれ――が交差し、分節化しているのです。
情報がエントロピーと不可分である以上、そして情報だけでなく物質やエネルギーの交換も存在している以上、交換しか存在していないのです。そして、最も一般的な概念という支配的な位置にきた交換概念について、交換からコミュニケーションへの移行が行なわれ、情報の交換としての交換を、物質やエネルギーの交換よりも特権視するようになります。 0281考える名無しさん2023/08/06(日) 06:11:19.150
あれする吉本
吉本隆明「反原発異論」を読み終った。
僕は、柄谷行人の呼びかけで、何度か脱原発デモに参加したので、吉本の議論に違和感があった。
吉本隆明「情況へ」
自動車事故で年に何千人も死ぬだろう。だけど原発でそれだけの人が死ぬのか
吉本が、麻原彰晃に言及していた。
対談で、吉本の「あれする」という発言が気になった。
生前の発言で、死後の掲載で本人が手を入れる事が出来なかったのか、マイケル・ジャクソンのTHIS IS IT(あれ)のようだ、と思った。だが、吉本の死去は2012年、この対談の初出は1987年だった。
吉本隆明『「反原発」異論』(論創社)
吉本隆明・佐藤幹夫「吉本隆明「東北」を想う」
『飢餓陣営』三六号(二〇一一年)
吉本 オウムの麻原さんのマントラは聞いたことがないけど、ダライ・ラマの声はすげえもんだと思いますね。麻原さんも、ダライ・ラマの弟子だと言っていたんだから、もっと修行すれば凄いものになったのかもしれないけれど、ダライ・ラマの声は、聞いていると、意味は分かるわけはねえのに――向こうは分かって唱えているんでしょうけれど――抑揚だけはこちらに伝わってくるんです。
吉本隆明・小浜逸郎・高野幸雄「科学技術を語る」
『ておりあ』第6号(一九八七年)
吉本 これは企業にはいるととてもむつかしいことだったんですけど、それでも何としてでも、余りの時間が全部とられたとしても、二十五時間目を作って詩を書いていくっていう発想をぼくはとってきたから、この発想は、言ってみれば、もういわゆる生産主義的な、近代主義的な科学技術というものと、あるいは生産向上的な工業というものと、文学との関係を基本的に忠実にあれしてきたと思うんですね。
吉本 なぜならば、第一に、ぼくちょっとそういうことであれしたことがあるんですが、電子技術で、出勤しなくても仕事ができるっていうことがおこりうるんですね。
吉本 だからそこはちょっと新しいというか、これからあれする課題なんじゃないんでしょうかね。
(一九八五年)
0282考える名無しさん2023/08/06(日) 07:09:45.880
あれするは、吉本の「関係」するって、ことだろうと推測。 交換においても、海運の場合は民族性が凄く出て来る。日本の船主は全般に自社船を中古船市場で売ることは多いが、中古船を買うことは
従来は非常に少なかったが、近年は少し傾向が変わり始めた。ギリシャなど欧州の船主は新しく船も作るが、非常に中古船を買う。アジアでは日本と韓国が傾
向的に似てるが、中国や台湾の船主は中古船を割と買う。中古船の売りと買いのバランスが取れてるのは文明の古い国に多いということは言えるかも。インドや
パキスタン、バングラデシ、トルコらは船舶のリサイクルの大手でもある。日本や韓国が新船に志向が偏るのは一つは文明の起こりが遅かったために、中国製の
お古を古代から頂いてきたことへのコンプレックスが作用してるのではないかと思う。人類が造形という点で最も自由にデザイン出来て多様なデザインを生んだ
の素材はブロンズだが、その中国製ブロンズ製品のデザインの影響を弥生時代に一方的に受けたことの恨みが韓国や日本人の心の底に残ってるのかも。
デリダの場合はデコンストラクションに見られるように、金融業者の投機的な発想が元になってるのではないかという気がする。
ship deconstructionという言い方が何時できたか知らないが、割と使われる。
さらにship finance船舶金融はdeconstructionそのもののような。
船舶金融専門の業者は欧州に多いが、彼等はeconstructionist。 柄谷の遊動民が民俗学者であり、国学者でもある柳田の山民のイメージから始まってるのが、何とも偽物とかモドキ臭い。
なぜ、考古学や人類学のノマドから始めなかったのか。やはり、カルト臭さへの執着を柄谷は諦めきれなかったのか。 遠野物語じゃないが狂人などわけのわからないものを下に見る必要がないどんな立場であれ逆に不自然に上に見る必要もないけどな。 柄谷行人は、交換様式には、A=互酬交換、B=略取と再分配、C=商品交換、そして、Aを高次元で回復した「D」の四つがあるする。そのうえで、それぞれの交換様式が同時に存在しながらも、支配的な交換様式がAならば氏族社会、Bならば国家および帝国、Ⅽならば資本制社会、であるという。これはつまり、支配的交換様式によって歴史的段階が決定されるのだといっていることになる。
[言うまでもなく、国家とは諸々の力の絡み合う場である。しかし、さらに一歩遡って、人間の文化そのものを力の劇としてとらえねばならない。それは、錯乱せる自然としての人間的自然を矯めようとする力とそれに反発する力の織り成すドラマである。
…さて、文化が多少とも安定した構造として存立するためには、この垂直の力が社会全体に広がることを可能にする何らかのメカニズムが必要である。このメカニズムがいかなる形態をとるかによって、いくつかの文化を区別することが出来るだろう。以下、ドゥルーズ=ガタリにならって、それら諸形態の中から重要な理念型をとり出し、一般的な時代区分と対応させつつ、 (1) コード化−原始共同体、(2) 超コード化−古代専制国家、(3) 脱コード化−近代資本制の三段階の定式化を行うことにする。]
(浅田彰「構造と力」)
「錯乱せる自然としての人間的自然を矯めようとする力とそれに反発する力の織り成すドラマである」
柄谷説では、「原遊動性U」の段階について、この「錯乱する自然」という認識がない。
その抑圧されるべき「自然」(ニーチェ的には「ディニュソス的なもの」、バタイユ的には「呪われた部分」、中上文学的に言えば、神々の放埓みたいなものである)という認識がないにもかかわらず、「抑圧されたものの回帰」やら「反復強迫」やらというのである。 >>374
>>その抑圧されるべき「自然」(ニーチェ的には「ディニュソス的なもの」、バタイユ的には「呪われた部分」、中上文学的に言えば、神々の放埓みたいなものである)という認識がないにもかかわらず、「抑圧されたものの回帰」やら「反復強迫」やらというのである。
原遊動性Uとはそういうものがまだ無い時代だろう。それが狩猟採集民の中石器時代のことであって、諸説で年代のズレはあるが、
20,000 to 10,000 BP (Middle east)15,000–5,000 BP (Europe)という具合。今話題のヌビアで11000年以前前後ぐらい。
原遊動性Uの段階というのは中石器時代のことだろうが、諸説によって年代のズレはあっても、 ドゥルーズ=ガタリのいうコード化、超コード化、脱コード化はそれぞれ、柄谷行人のいう交換様式A段階、交換様式B段階、交換症式C段階に対応している。
これらが「錯乱せる自然としての人間的自然を矯めよう」(浅田)としているということで、
これは柄谷的には「抑圧」していることになる。
しかし、柄谷説では、原遊動性U段階は、のどかな平等で平和な段階ということになっているので、その「抑圧」さるべき「錯乱する自然」が、
あたかも、ないかのようなことになる。 〈エスの力は個々の人間に固有な生活上の志向を表現している。その生活上の志向とはその人が持って生まれた要求を充足することにある。ところで、エスには寿命を保ったり、不安によって危険を防衛したりする目的はない。この任務は自我が果たしている。自我は外界を顧慮して、満足を得るのに最も好都合で最も危険のない方法を捜し出すのである。超自我は新しい要求を主張することがあるかもしれない。しかし超自我の主要な仕事は、エス及び自我とは反対にむしろ本能満足を制限することにある。〉
超自我というものは、「持って生まれた要求」を抑制するということである。「持って生まれた要求」というのは、「錯乱せる自然」で、それを抑制するのが「抑圧」するということだ。
「抑圧されたものの回帰」というのは、「錯乱せる自然」の充足状態の回帰である。
(フロイト『精神分析概説』1940年) 〈エスの力は個々の人間に固有な生活上の志向を表現している。その生活上の志向とはその人が持って生まれた要求を充足することにある。ところで、エスには寿命を保ったり、不安によって危険を防衛したりする目的はない。この任務は自我が果たしている。自我は外界を顧慮して、満足を得るのに最も好都合で最も危険のない方法を捜し出すのである。超自我は新しい要求を主張することがあるかもしれない。しかし超自我の主要な仕事は、エス及び自我とは反対にむしろ本能満足を制限することにある。〉
(フロイト『精神分析概説』1940年)
超自我というものは、「持って生まれた要求」を抑制するということである。「持って生まれた要求」というのは、「錯乱せる自然」で、それを抑制するのが「抑圧」するということだ。
「抑圧されたものの回帰」というのは、「錯乱せる自然」の充足状態の回帰である。 マルクーゼの『エロス的文明』においては、文明(政治・経済的な支配の存続に役立つような労働力の維持・再生産)の成立にさいして、「死の欲動」と「リビドー」の組織化があったとしていた。
死の欲動の組織化としての殺人や破壊の禁止、生の欲動の組織化としての乱交の禁止(近親相姦の禁止による外婚制の成立)。これが文明化の二本柱ということであった。この説はフロイトの『トーテムとタブー』などに於いて論じられていたことにも、一応は忠実であると思う。
柄谷行人の場合は、人間個体における死の欲動の内向=超自我の成立から、特に説明もなく、一足飛びに社会構成体における「文化」(文明)の成立にまで跳んでしまう。 〈国家に抗する社会
レヴィ=ストロースは未開社会を平和な「冷たい社会」と考えたが、彼の弟子クラストルは北米の先住民を調査し、それがつねに他の部族と戦っていることを発見した。彼らが平和にみえるのは、国家を拒否して戦争を抑制しているからだ。
部族が生き残るためには、他の部族との戦争を指導する首長が必要だが、彼が王になることは許されない。必要もないのに戦争を始めると他のメンバーは離れ、首長は敵の矢を体中に受けて死ぬ。首長は一方的に命令するのではなく、部族の合意に従わなければならない。
この思想は、最近のグレーバーの「アナーキズム人類学」にも受け継がれている。従来は農耕が国家を生み、それが戦争を生んだと思われていたが、それは逆である。ドゥルーズ=ガタリがクラストルに触発されて書いたように、国家は戦争を抑止するために生まれたのだ。
続きは7月31日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)〉
池田信夫は、言っていることがめちゃくちゃだろう。
「国家を拒否して戦争を抑制している」と「国家は戦争を抑止するために生まれた」のでは、正反対だろう。ちなみに、クラストルの説についていうと、国家を拒否するために戦争をする、というのが正当であろう。
なお、「冷たい社会」というのは、未開社会のありようをいい、構造変化のない社会ということである。対するに、「熱い社会」は、運動し構造変化のある近代社会のことである。「冷たい社会」というのは、平和な(戦争をしない)社会という意味ではない。 柄谷行人第三回長池講義要綱
3
くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。 「国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである」(柄谷)
2009年の時点での柄谷説のほうが、クラストルの説に近い。
というか、池田信夫の場合は、近いとか遠いとかいうよりも、単にトンチンカンだけなのだが。 池田信夫も立派なオカルト教祖。彼が柄谷をライバルと思ってるのも好対照だなw 知識人とかいわれるようなマスコミ商売人には、なにをデタラメ言っても、どうせ誰も真に受けていないから、
みたいな居直りがあるんだろう。だからいくら滅茶苦茶なことを書いてもへっちゃらなわけだ。
じつはこれは、文学や思想にかかわることだけでなく、役所関係の書類なんかもおなじなのである。
あるいは、文壇論壇にかぎらず、人文系アカデミズムなんてのにしても、いわばお役所関係の最下層みたいなものだから、デタラメなのはしょうがないのであった。 「(価値の実体は)あらゆる社会に共通なる社会的労働共同体」(宇野弘蔵『経済原論』)
「(商人資本的形式においては)安く売る者と高く買う者との間に入って,いわば社会と社会との間に割込むことによって利潤をあげるのであって,その価値増殖は社会的に一般的根拠を有するものではない」(同上) 「宇野にとって、資本主義は基本的に商人資本主義である」(柄谷)
宇野弘蔵本人の書いていることは、まるで違うのである。 Kokaku Souhachi(古?荘八)
@W3BFFuYKtq5G8XT
6時間
わたしは、時々、サムエル記に出てくる話を思い浮かべます。
民が「自分たちにも王が欲しい」と言った時、サムエルは、
それは神に背くものだと大反対をしますが、最後は、神が譲歩され、
初代サウル王が登場するという話です。
いく坊
@Tam_0819
6時間
支配から独立しようとすることによって国家が形成される。国家は、
そもそも他の国家(敵国)を想定することなしに考えることは出来ない。国家の自主性、
つまり、国家を共同体や社会に還元できない理由はそこにある。」(中略)
「国家は他の国家に対して存在するのであり、国家の自主性はまさにそこにある」
いく坊
@Tam_0819
6時間
という柄谷行人さんの考えは、サムエル記上・8章のイスラエル国家成立の事情と
ピッタリ一致するという見解がありますね。それがきっかけで、
私は柄谷さんに興味を持つようになりました。 いく坊
@Tam_0819
6時間
柄谷行人さんの「世界共和国へ」というタイトルの本を思い出しました。
前々から私は柄谷さんの本を読みたいと思っているのです。
彼の思想は聖書に近いと聞くものですから。 > 前々から私は柄谷さんの本を読みたいと思っているのです。
> 彼の思想は聖書に近いと聞くものですから。
しかしもはや、
こういう台詞が宗教者の口から語れるのを見ると
背中に恐怖の戦慄が走るような段階になってきたなww こういう台詞が宗教関係者の口から語られるのを見ると 「エホヴァの証人」は旧約の解釈においては、考古学の新しい成果を取り入れて、進歩的な解釈をしてる。 「一神教は素晴らしい」なんて言ってる限り進歩は有り得ないなw ヌビアとヤハヴェの関係は最近の考古学では常識だが、そこに注目してるのはキリストの教派ではエホヴァの証人だけだろう。 64 プレアデス ▼ 2023/08/02(水) 23:36:14.25
ボクの元気なきのこ
65 プレアデス(本人) sage ▼ 2023/08/04(金) 06:06:46.27
俺の母親が聖霊だった件
「大丈夫色々考えすぎなくていいよ私達が守っているから!」
「おはよう??守っているから 了解 バイトがんばって!私も◯◯行くの迷う時気持ち切り替えて行くと正解と思った」
「大丈夫だよ心配しないでいいよ??」
「いつまでも気にしないでね??元気だして??」
こりゃ地球大丈夫なの確定だわ
聖霊がいるからw
66 考える名無しさん ▼ 2023/08/04(金) 23:29:19.65
いくらか口座に振り込まれたかい?
67 プレアデス(本人) sage ▼ 2023/08/05(土) 04:22:23.46
>>66
0円ですよ。
もう振込は終わりにします。
このご時世、詐欺だと勘違いされる可能性高いので。
緊急事態 お金をください 50~100万円です
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1690294344/ 河樹 彬
@e_rewhon
人間が関係のない幽霊がいない点に、幽霊の本質があり、
幽霊を考えることに人文科学の本質はある。と真顔で思う。>
かなかわ
@kanakawa12
8月26日
心霊現象って、人間が中心なのが変だなって思う
自分を食い殺したクマを恨んでるミーアキャットの幽霊みたいな、
全てに人間が関係のない幽霊とかいてもおかしくないやろ
午前11:24 ・ 2023年8月28日
河樹 彬
@e_rewhon
8月28日
《自分を食い殺したクマを恨んでるミーアキャットの幽霊》、
動物の霊(アニマ)は何故いないのか。いや、本当にいないのか。
この辺りは本気で、東浩紀にやってほしかったところではある。
本題が分かっていながら敢えてそれを迂回し、時間を浪費しているような、もどかしさを感じる。 河樹 彬
@e_rewhon
8月28日
柄谷行人は《小林秀雄から「批評」がはじまったといいうるとすれば、
まさに彼が「視霊者の夢」を肯定しながら否定し、
あるいは否定することによって肯定するという戦略的言説をとらねばならなかったからである》
という(「懐疑的に語られた夢」'83)。この意味では柄谷氏は今も批評を続けている。
河樹 彬
@e_rewhon
8月28日
柄谷行人《「批評」は、いわば幽霊を本気に受けとるところからはじまったのだ》
《その意味でのみ、小林秀雄は日本で最初の批評家であった。彼は、
理論理性によってこの世界を確定してしまう言説やそれに対する「批判」を同時に嘲笑したが、
それは》
河樹 彬
@e_rewhon
8月28日
承前
《彼自身「入院候補者」であると思われてもやむをえない「夢」によって可能だったのであり、
しかも彼はそれを懐疑的に暗示的に語るほかなかったのである》
(柄谷前掲書)。 466 考える名無しさん ▼ 2023/08/29(火) 20:56:49.15 0 [0回目]
> 柄谷行人《「批評」は、いわば幽霊を本気に受けとるところからはじまったのだ》
> 《その意味でのみ、小林秀雄は日本で最初の批評家であった。
この「批評は、いわば幽霊を本気で受けとるところからはじまる」
という意味が、現在の柄谷行人の意見と態度にまでそのまま連続している。
つまり、これが、柄谷行人に於ける、「内在」ということの、正しい意味ですね。 467 考える名無しさん ▼ 2023/08/29(火) 21:06:58.06 0 [0回目]
幽霊 = フェティシズム
本気で受けとる = 内在
近著「力と交換様式」において、
資本主義という対象、資本主義という現象に
向かい合う姿勢は、柄谷行人にとって、このように、
対立ではなく、内在という態度によって説かれています。
これは「力と交換様式」を読んでいる人にとっては、すべて自明です。
柄谷行人にとって、資本主義に対する方法とは、対立とか打倒というのは
最初からあり得ません。
それらが原理的にいって無理であり、
過去の蒸し返しと反復を為すに過ぎないものであることが
完全に予見され、既に、了解されているからです。
それに対して彼の方法とは、最初から、内在であり、
内部からの対抗運動というコンセプトでした。
しかし、こういうのはすべて、柄谷行人にとっての、基本です。
無知蒙昧なニワカ左翼の
モドキがどんなに暴れたところで
この前提は絶対に覆りませんんからww 小林秀雄ー柄谷行人の流れとか、もう二度と必要ないねw 俺自身はエホヴァの証人の信者ではないが、エホヴァが新しい医療の方向を作ったことはメリットとして認める人も多いんじゃないか? ↑
オマエ何回も何千回も何億回も嘘だけついて生きてて一体何が楽しいんだ?wwww > エホヴァが新しい医療の方向を作ったことはメリットとして認める人も多いんじゃないか?
輸血拒否に一体何のメリットがあるのか???
このキチガイwww 予想2023年12月31日の柄谷スレ。
1 荒らし厨(エホバ)は、やっぱりいる。
2 エホ厨はもう死んでいる。結果いない。
3 エホ厨は生きているが、しかし柄谷スレにはいなくなっている。
____
/⌒ ⌒\
/ 癶 癶 \
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ さー 君ならどれに賭けるかい?
| |r┬-| |
\ `ー'´ / > 403 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/30(水) 07:41:23.90
> 小林秀雄ー柄谷行人の流れとか、もう二度と必要ないねw
オマエがもう二度と必要ないんだよ
気づけボケ基地外wwwww 8月も終盤になってからまた再びエホ厨が柄谷スレ周辺に復活している。。。
これ一体どういうことかと? 392 吾輩は名無しである sage ▼ 2023/08/27(日) 21:45:04.32 ID:2XvXjtT9 [5回目]
柄谷行人の自己営業拡大戦略の失敗ね
393 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/28(月) 07:35:39.97 ID:ar5aSiA3 [1回目]
「エホヴァの証人」は旧約の解釈においては、考古学の新しい成果を取り入れて、進歩的な解釈をしてる。
394 吾輩は名無しである sage ▼ 2023/08/28(月) 10:14:36.29 ID:t+yisrCw [1回目]
ほんまなのかよwww
395 吾輩は名無しである sage ▼ 2023/08/28(月) 10:15:45.89 ID:t+yisrCw [2回目]
「一神教は素晴らしい」なんて言ってる限り進歩は有り得ないなw
396 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/29(火) 06:39:38.52 ID:iMeRg9Ag [1回目]
ヌビアとヤハヴェの関係は最近の考古学では常識だが、そこに注目してるのはキリストの教派ではエホヴァの証人だけだろう。
397 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/29(火) 14:01:11.73 ID:kpZ8OKfa [1回目]
九九と漢字ドリルから はじめよ
↑
これは本スレのログね。
そして、 哲学板ではこんな具合である。
↓
434 777 ▼ 2023/08/29(火) 07:32:20.93 0 [0回目]
ようやく、チカコーの主題は「資本主義に内在せよ」だととんでもない誤読をした基地外が消えたかw
435 考える名無しさん sage ▼ 2023/08/29(火) 07:46:30.54 0 [0回目]
またいるのかよ? ↑ このキチガイwww
436 考える名無しさん sage ▼ 2023/08/29(火) 07:47:46.13 0 [0回目]
今朝はリタリン何錠飲んで武装してきたんだい? 何だかんだ言っても、お前らのような阿保馬鹿と俺とでは勝負にならんよwwww > 393 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/28(月) 07:35:39.97 ID:ar5aSiA3 [1回目]
> 396 吾輩は名無しである ▼ 2023/08/29(火) 06:39:38.52 ID:iMeRg9Ag [1回目
> 434 777 ▼ 2023/08/29(火) 07:32:20.93 0 [0回目]
これを見るように、エホ厨の出没してる時間は、早朝の大体7時30分の前後で集中してるのねw
つまり、エホは、真夏のこの暑い日々において、起きている時間が、この時間しかない。
今日はたまたま、今ここの夕方4時頃にも起きて活動してる模様であるが、
エホが一日のうちで起きて活動できている時間というのは、大変僅かな時間帯だけである。
この他の時間は、彼はリタリンを最大限接種してずっと一日中寝ているだけの生活だからww
薬のお陰で一日に20時間は寝ている。
僅かな起きている時間と活動してる内容とは、
食事と脱糞以外は、全部ネットを見ているだけ、
涙目になりながら5ちゃんねるを睨んでいるか
残りの時間はすべて無料ポルノの中に埋没している。 >>414
柄谷やお前らのような柄谷の子分はもうすぐ消滅だ。 高橋源、島田、奥泉、山田詠美、川上未映子夫婦らには厳しく当たらねばならんだろw >>417
お前がエホヴァに囚われ過ぎなんだよ、俺ぐらい頭良くなってから、エエカッコしろ。 77 考える名無しさん sage ▼ 2023/08/30(水) 07:02:20.28
エホ厨再び哲学板上で圧倒的な敗北を蒙っておりますw
果たして、彼にはあと何日、生きれるのか?
芝高立正隣のエホ厨
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1690294344/ エホヴァの証人の信者はしぶといぞ。
それは宗教の一般に言えるが。
彼等と闘うとか時間の無駄、精力の無駄使いだが、似た者同士は争う。 エホバをわざわざエホヴァとか書いて寄こす奴はすごい馬鹿 今日もまたぴったり7時半に出現してるじゃないかwww エホバ相手に最初から全く争ってなんかいないw
完全に無視して自動的にスルーできるシステムを哲学板上で完成させる必要があるだけ
どんなに奴らが粘着でしつこくてもオマエラ絶対相手にされないんだと
はっきり証明できる体制を我々は作るべしだというにすぎない はっきり言ってエホバに奪われた人間はもうこの世では
生きていても死人であることが確定してるわけであって
生物学的に彼らが死ぬまで絶対何かが変わったり良くなったりすることもない。
有り得ない。
ただそういう文字通折ゾンビと化していて一般社会を襲ってくるエホビーに対しては
やっぱり断固として戦う必要があるわけで
エホバと戦う人間はエホバと似ているとかホザク奴らは言語道断であるわけでしょうw
そのロジックこそが奴らの罠である。
エホバは滅びるしかなくオマエラ既に死んでいるし、
決して人間社会の正義には勝てるわけないのだと
この場をもってすべて証明して見せつけてやる必要がある。 こうして見ると
1978年の映画でジョージ・ロメロ監督の「ゾンビ」というのは、
まさにリアルだww
あれはヨーロッパのキリスト教社会が抱えている腐敗した裏面の姿を
強烈に正しく描き出している現在の寓話だった。 >>424
ただそういう文字通りゾンビと化していて
一般社会を襲ってくるエホビーに対しては エホ厨はまた性懲りもなく完全敗北して今日は一日ひっくり返ってるわけ?w 太田出版の柄谷担当の女がサカキバラの本も担当して、サカキバラを相手にしてる内に頭がおかしくなったんだろ。
気違いと付き合うと気違いが伝染するから。
柄谷を担当した時点で、既にあれだがwww 本質は変わらないのに、言葉だけ変えて本音を言わないから。
シビアに言えば金が無いから、言葉遊びをしている。
金を儲けることは、全体主義とは違う。
人間は近代化した社会で金から逃れられない。柄谷行人が言う物神だ。
戦争などしていたら国は貧しくなる。
国防費増額して生活が豊かになるか。
あたし
@hehehe8888kun
58分前 > 人間は近代化した社会で金から逃れられない。柄谷行人が言う物神だ。 「われわれは、権力志向という人間性が変わることを前提とすべきでなく、
また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない(柄谷行人)。」
この二つの見解からひき出せるのは、差別意識は「人間性」の(主要な)特徴であり、
それがなくなることを前提とすべきではないということだ。
誰一人として取り残さないー外国につながる人々へ
@alalagilegalspc
昨日 21:26 重要なことは、権力と権威の相違を理解するように努めることである。
権力はつねに二者関係にかかわる。私か、他者か、ということである(Lacan, 1936)。
すなわち二人のうちの一人が、他の者に勝たなければいけない。
他方、権威はつねに三角関係にかかわる。
誰一人として取り残さないー外国につながる人々へ
@alalagilegalspc
昨日 21:26 柄谷行人は「力と交換様式」で墨子に触れているらしい(未読)が、
ある座談で「世界的に見ても墨子についてまともに書いている学者はいないと思います」
と発言している。近現代の中国、日本の学者たちが墨子について書いたものを凌駕する、
今までにない、まともな「墨子」に会えるなら、買ってみようか。
tetsu28go
@tetsu28
1:42 墨子が最も諸子百家の中では共産主義思想に近かったと云われるけど、
しかし墨子って、本当に存在したのか? しかしジャニーズの話というのは、
あれは聞けば聞くほどNAMと柄谷行人の話にそっくりだろう。 「お前をデビューさせてやる」ぐらいの話は柄谷、スガ秀実、渡部直己、佐々木敦らはやってるだろうが、
アイドルの世界と日本の文壇は似てる。容姿が良い奴の方が有利なとこも同じ。島田雅彦なんか顔が不細工だったら、
そもそもデビューしてないww 群像
@gunzou_henshubu
21時間
斎藤幸平さんの『マルクス解体ーープロメテウスの夢とその先』(10/26発売予定)
の装幀ができました。『大洪水の前に』と同じく装幀は大崎善治さん、装画はマツダケンさんです。
英国で今年出版された話題書Marx in the Anthropocene(ケンブリッジ大学出版)の
待望の日本語版!どうぞお楽しみに! >>439
斎藤幸平の場合は日本語版が英語版より、ずっと後に出ることの経緯を説明する必要があるだろう。
しかも、題名が似ても似つかぬものになってることの説明もいるが、漫画屋の群像はその役じゃないということか。
大塚英志の阿保馬鹿が純文は漫画に食わせてもらってるという阿保馬鹿なことを言ったが、全てを説明できるのがテキストだ。
テキスト、つまり純文を含む文学の役割は大きく重要過ぎる。 2023-09-16
微温化され中産階級向きにされる大江健三郎
9月13日の昼過ぎ、今日都内のホテルで、大江健三郎のお別れの会が開かれたというニュース
をX上で見た時、あっ私は呼ばれなかったんだという悲哀が突き上げてきた。衝撃を受けつつ
あちこち調べてみると、大江についての本を書いた榎本正樹は呼ばれたが行かなかった、
高原到も呼ばれたが仕事があっていけなかったとかポストしており、かなり幅広く呼ばれたらしく、
もしや蓮實重彦も呼ばれなかったのではと思ったが呼ばれていたようだし、
私がパージされたのは明白で、私は衝撃のため二日ほど仕事が手につかなかった。
そこで私は「眠れる森の美女」の舞踏会に呼ばれなかった魔女のごとくタタリ神となって
以後は語るが、近年、大江健三郎は中産階級向け、お茶の間向け、テレビ向けに微温化され、
デオドラント化されている。スピーチしたのは黒柳徹子、山内久明、朝吹真理子というあたりが
すでに微温的ではないか。 そもそも私が中学3年の時『万延元年のフットボール』を読んだのは、今どき天皇制などという
ものが生きていることへの怒りからであった。
だが、ノーベル賞をとっても文化勲章は辞退し、藝術院会員にもならなかった大江だが、
そのお別れの会を藝術院会員の池澤夏樹や天皇崇拝家の島田雅彦が仕切っていたり、
天皇制など平然と認めていそうな「なんリベ」の面々が参集する集まりと堕していた。
しかし、大江自身に責任がないとはいえない。大江だって人間だから、あさま山荘事件のあとから
次第に、中産階級的市民に愛される文学者になろうとして、障害のある息子を前面に出したり、
「谷間の村」を聖化したりしてきたのだし、当人にT・S・エリオットのような君主主義詩人を好きに
なってしまう部分もあった。
そこへ、この十年ほど、柳田國男やら谷間の村やら、微温的な方向へ大江を持って行くような
論者が跋扈しつつあり、まあ私はよほどの危険人物だと思われたのであろう。
とはいえ私は大江の九条護憲とか反核とか反原発に批判的だし、実際には今の日本では
そういうことをテレビで言うのは別に難しくはない、反天皇を言うのはむしろどんどん
タブー化していて、昔は「朝まで生テレビ」でも反天皇制の論客は出演できたが、
今では最初から排除されている。
川端康成の伝記を書いた時もつくづく思ったが、川端には「眠れる美女」を書くような危険で
反市民的な部分もあるのに、遺族と取り巻きの学者などはそういうことを隠したがる。
「魔界」くらいならいいが、臼井吉見ではいけないのだ。
だからまあ、これから、本来の初期の荒々しい大江健三郎を取り戻す戦い
が始まるので、「お別れの会」などというのは、微温的文化人の集いに
過ぎなかったと考えておくのが正しいことであろう。 小谷野敦ってamazonにへんてこなレビュー載っけてたのが
なくなってるんだけど、これは何があったの? 四方田 犬彦
3日
大江健三郎を送る会。帝国ホテル。
ただただ退屈。 l_i_t_e(邪魔という方は左記をNGお願いします)
友人に教えて追加で¥4000×人数をゲット可能
https://i.imgur.com/ZceR4K8.jpg 柄谷行人のいとこ、柄谷Cousin
二百
@temporary_dicta
0:14 柄谷さん、最近の世の中はなんと捉えますか?戦時下の東欧ですら、平和ボケしていませんかねえ? 村上春樹、村上龍以降に登場した作家っていてもいなくてもどうでもいい奴ばっかだからむしろ文壇政治的なものが重要になってくるんだろうな
作家にしろ批評家にしろ本当に大江、春樹、柄谷、蓮實クラスの凄玉なら文壇政治とは無縁に嫌でも話題になりますわ There is no such thing as Japanese Marxism
An interview with Kojin Karatani
Brian Hioe and Houston Small
Hegel remarked that Kant enumerated four examples of antinomy, but in truth contradictions are innumerable and everywhere, and they all can be sublated, if treated dialectically. But I think what Kant meant by “antinomy” is not the kind of contradiction that exists everywhere, but the kind that can never be resolved, no matter how dialectically you treat it. Having said that, the first and second antimony can actually be resolved. The first antimony goes like this, as you know: “Thesis: The world has a beginning in time and a limit in space. Antithesis: It is infinite as regards both time and space.” According to Kant both thesis and antithesis here are false because it is possible to prove both sides are true. And today, mathematicians and physicists talk about something like the expanding infinite, that is to say, the space can in reality be both finite and infinite. Either way, this is resolvable.
Meanwhile, the third antinomy is of a different kind. In my view, this is the only true antinomy. It goes like this; “Thesis: There is freedom. Antithesis: There is no freedom and everything in the world is determined solely in accordance with laws of nature.” Kant concludes that both are true and compatible. With this, Kant presented an antinomy that cannot be resolved. ヘーゲルは、カントはアンチノミーの例を 四つ挙げたが、実のところ矛盾は無数にいたるところにあり、そして、弁証法的に扱われれば、それらはすべて止揚されうると述べた。 しかし、カントが示す「アンチノミー」とは、いたるところにあるような矛盾ではなく、どれほど弁証法的に扱ってもけして解決されえないような矛盾だと私は思う。 とはいえ、第一アンチノミ―と第二アンチノミ―は実は解決されうる。ご存知のように、最初のアンチノミ―は次のようになる。「テーゼ:世界には時間の始まりと空間の限界がある。 アンチテーゼ:時間と空間の両方とも無限である。」 カントによれば、テーゼとアンチテーゼの両方とも真だと証明できるため、ここでのテーゼとアンチテーゼの両方が偽である。 そして今日、数学者と物理学者は、膨張する無限のようなものについて語る。つまり、空間は実際には有限でも無限でもあり得る。 いずれにせよ、これは解決可能である。
一方で、第三のアンチノミーは違う種類である。 私の見解では、これのみが真のアンチノミーである。 それは次にようになる。 「テーゼ:自由がある。 アンチテーゼ: 自由はなく、世界のすべては自然法則のみに従って決定される。」 カントは、どちらも真で、両立できると結論付けている。 これにより、カントは解決されえないアンチノミーを提示した。 There is no such thing as Japanese Marxism
An interview with Kojin Karatani
Brian Hioe and Houston Small
But I am critical of the people who say that the 1930s is being repeated. In the 1930s China was split and Korea and Taiwan were totally colonized. In the 1890s, however, China was a huge empire, and Japan and the U.S. were complicit as imperialist states. Isn’t it evident that the 1890s are similar to today more than the 1930s? Needless to say, similar crisis is taking place in the rest of the world. In my view, this situation is essentially about the old empires and modern imperialism. I tried to elucidate this in Structure of World History, and a recent book, Structure of Empire.
しかし、私は1930年代が繰り返されていると言う人々に批判的だ。1930年代には、中国は分裂しており、朝鮮と台湾は完全に植民地化された。ところが、1890年代には、中国は巨大な帝国であり、日米は帝国主義国家として共謀していた。1890年代が1930年代より今日に似通っているのは明らかではないだろうか?言うまでもなく、類似の危機は世界のそのほかの地域でも起こっている。私の見解では、この状況は本質的に旧帝国と近代帝国主義に関わるのである。これについて、私は『世界史の構造』や最近の著書『帝国の構造』で解明を試みた。 長い間、わたしは、里見浩太朗のファンであった。
里見浩太朗という俳優は、むかしの講談噺、村芝居、紙芝居の延長にあるようなテレビ時代劇を、
大衆(今日では皆、高齢者になっているだろうが)へ消閑のための娯楽として提供することに
生涯をささげた人で、分かったようなもっともらしげな理屈など決して言わない人だと思っていたことも、
ファンだったことの大きな理由であった。
ところが、先日、高橋英樹との対談番組をみたところ、里見浩太朗は、えらくもっともらしげな演技論や時代劇論を語っていた。
これには、こんな「分かったような」そして「もっともらしい」ことを言う人だったのか、見損なっていた、ということで、
たいへん嫌いになってしまった。
里見浩太朗に対し、三十年ほど前、物を知らない青年たちを相手の哲学漫談家、思想雑文家として好きだった柄谷行人が、
本人はどうやら本気で「学問」をやっているかのように思い込んでいるのがはっきり分かったころ頃、
それに対しておぼえたのと同じような幻滅感をもったということである。 #岩井克人 氏が文化勲章を受章したらしい。
昔『貨幣論』を「批評空間」に連載されているときから興味深く読んだし、
柄谷行人氏との本やテレビでの対談も面白かった。
僕は経済学は完全に門外漢だけどその基本的な考え方の中に
哲学や言語学に通じるものがあることを岩井氏の研究を通して知った。
パルナシウス
@Parnassius_gl
7:38 1978年 3月23日 木曜日の回
あいざき進也 渡辺真知子 杉田優子
構成 宮下康仁
プロデューサー 梅澤汎
高麗義秋
演出 大島敏明
制作 AV企画
制作著作 TBS 来年2月に柄谷行人論が出るとのこと。英語の単行本では初では。
ジジェクの推薦文付き。
Christopher Satoor
@aufgehenderRest
Out Feb 6th, 2024. In this book, Nadir Lahiji introduces
Kojin Karatani’s theoretical-philosophical project & demonstrates
its affinity with Kant’s critical philosophy founded on ‘architectonic reason’.
yusuke miyazaki
@parages
15:59 Tiktok LiteでPayPayやAmazonギフトなどに交換可能な4000円分のポイントをプレゼント中!
※既存Tiktokユーザーの方はTiktokアプリからログアウトしてアンインストールすればできる可能性があります
1.SIMの入ったスマホ・タブレットを用意する
2.以下のTiktok Liteのサイトからアプリをダウンロード(ダウンロードだけでまだ起動しない)
https://tiktok.com/t/ZSNfsvtA8/
3.ダウンロード完了後、もう一度上記アドレスのリンクからアプリへ
4.アプリ内でTiktokで使用してない電話番号かメールアドレスから登禄
5.10日間連続チェックインで合計で4000円分のポイントゲット
ポイントはPayPayやAmazonギフト券に交換できます
家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます 所詮数人のバカな年寄りがヒマつぶしてただけ
バカだから無駄と気づくのも遅い 匿名掲示板は思考を具体化する過程だからねえ。
それが見えない人にはずうっと見えないんでしょう。 最終的に出来上がった思考は、何処か別の場所にアウトプットされますよね。 >>465
>バカだから無駄と気づくのも遅い
言語行為論的に言えば(オースチン)
こういうのは、
「匿名掲示板は無駄だ」と、本人が信じたいだけなのね。
言説の構造として。
少なくとも、柄谷行人本人がチェックしていれば、
それは無駄だと断定することはできませんよね。 > 何処か別の場所にアウトプットされますよね。
> 少なくとも、柄谷行人本人がチェックしていれば
こういうのは、
「柄谷行人がチェックしてるはず」「無駄じゃないはず」と、本人が信じたいだけなのね。
言説の構造として。
少なくとも、このレスを見るだけでも
無駄だと断定することはできますよね。 ネットで柄谷の回顧録を読んでいると、なかなか面白い
漱石、大江、古井、中上への言及は当然として、
埴谷雄高と武田泰淳の小説を高く評価するというのは
これまで読んだことがなかった
具体的にどこがどう良いのか、知りたいね >>469
だからこの人は、単に柄谷スレの歴史を知らないだけだけですよw
「老人」的に云っても、
2ch以来柄谷スレの歴史はもう二十年以上あるんだから
柄谷スレで歴史的に何が起こってきたのかを
知らない人がいてもしょうがない。
柄谷は一時期自分で2chもやってたんだよw
(これはスガヒデミ情報だからマジ)
柄谷がスレ主になって回してたスレもかつて存在しました、 >柄谷は一時期自分で2chもやってたんだよw
>(これはスガヒデミ情報だからマジ)
こういう点が、こういう行動力が、
>>469=>>465とは違って
柄谷がまさに立派に柄谷行人であることの、
由縁であり、証しだなw >柄谷がスレ主になって回してたスレもかつて存在しました、
これは文学板のスレですね。
でも教えないからね
自分で探してねww で結局穀潰しのゴミのような人生を送っている世間的には頭の狂った病人があんたでしょう
誰からも尊敬されないクズ人生
もう結果は出ているじゃないですか
あとは自己否定すればいいだけ
スガヒデミ情報wというがスガが批評でねちっこく提示するソースは信用できてもスガが吹聴する与太話は全く信用に値しない
これ常識なwww > で結局穀潰しのゴミのような人生を送っている世間的には頭の狂った病人があんたでしょう
> 誰からも尊敬されないクズ人生
だからそれもあんたがそう信じたいだけなんだよww > スガヒデミ情報wというがスガが批評でねちっこく提示するソースは信用できてもスガが吹聴する与太話は全く信用に値しない
> これ常識なwww
これもあんたがそう信じたいだけ。
ともに願望充足ねw 匿名掲示板というのは単にひとつの手段なんだから
使いたいと思えば使えばいいと
前から言ってるはずなんだけど
なんでそれが理解できないかね? 匿名掲示板とはひとつのプロセスだと考えれば
匿名掲示板は使えますね。 >(これはスガヒデミ情報だからマジ)
だからそれもあんたがそう信じたいだけなんだよww
20年前からアップデートできないままの「老人」が
柄谷は(いまもw)2chを見てるはずだ!!!!とわめいてるだけwww > 匿名掲示板というのは単にひとつの手段なんだ
> 匿名掲示板とはひとつのプロセスだ
つまり、所詮数人のバカな年寄りが(人生を食い潰す手段=プロセスとして)ヒマつぶしてただけwwww
バカだから無駄と気づくのも遅いwwww ↑
「無駄だ」と言いながら、
じゃーなんであんたはそうして必死になって覗きに来るのか?
という問題が、なずあるわなw 実際に、現状のネット構造だと、それはこうして影響を与えてしまうわけでしょう。
>>481-482
が必死に覗きに来るように。
ここには何か典型的な「否認」の構造があるなw なずwwwww
ダッサwwwww
俺は過疎板に長年こびりついてるウンカスを笑いに来てるだけ
どこからどう見ても廃人の溜まり場ですよ、ここはw 否認の構造=人間の意識に於ける捻じれの構造
なんでそれを見れないわけ? >>486
なんであんたはそんな下らない意見に固執してここで必死になる必要があるわけ?w 意見への固執とか願望とか「必死に」色々言い替えてるけど
お前のありかたがまさに「典型的な」ゴミじゃん
そこらへんにいるネットに人生狂わされただけのゴミっすねw
お前みたいなのを見ると心底安心するんだよね、こうなっちゃ終わりという反面教師だからw こっちはまじめにおまえの暴論筋違いの偏見に
答えて応答してやっただけで
ゴミ呼ばわりする必然性は全くないな。
おまえが今まで柄谷スレをちゃんと読んでなかっただけのことだろう。 バカな年寄りの無駄なヒマつぶしなんか誰も真顔で読んでないから安心しろw 5ちゃんねる文学板の半分くらいの書き込みは↑の人のものなのだから、
ここが住処みたいなものなのですよ。
いってしまえば、かつては5ちゃんねるに多数おり、いまは大分減った精神異常者、
その残りのうちの一人ですね。 ↑
バーカ
柄谷行人の批判は多くは商業誌に載せることができないことがあるため
そのため肝心な柄谷批判、及びその周辺の出来事、
批評空間からNAMのネタまでがすべて
2CHから5CHのスレで批判されて、消費されてきたという、
そういう歴史的な経緯がちゃんとあるわけだ。
そういう全体性の中の批判の構造というのが読み取れない奴らは
何をやっていても全然ダメだ。
匿名掲示板の柄谷スレにはちゃんと全体性の中で重要な役割があるの。
それを読み取れない奴は批評以前。 残念ながら俺には>>492も>>493も同類にしか見えんわw
5chごときに人生狂わされて可哀想にな >>492
の書き込みは、
>>494
の人に対してのものです。
>>493
↑の人に対してのものではありません。 ≫お前みたいなのを見ると心底安心するんだよね、こうなっちゃ終わりという反面教師だからw
自分自身が、それどころの問題ではないでしょう。もうわかられているんですよ。 >>495
当然だろうw
でも俺、この板に来たのマジでちょーひっさしぶりだよw
お前が見当たらないから>>465を書き込んだらすぐに出て来たwww 相変わらずここに幽閉されていることが分かったんでもういいやw
じゃw 一日中書きこんでいるのに、ひさしぶり、とか見栄をはるだけでも異常だね。
とにかく、5ちゃんねるが、生きるすべてみたいなものなのだろう。 ↑ ↑
「反面教師」も糞も、おまえの年齢が幾つか知らんが
間違いなく碌な歳の取り方するわけねえだろうww
よくある凡庸な文学的あるいは哲学的な廃人のコースだ。
ちなみに柄谷スレの運営は歴史的にそういうクズからは一線を画してるからなw お前みたいに何もない人生だとこんなクソ板に俺がいるはず、と目の敵にすることすら生き甲斐になるんだからいいよなw
お前は相変わらず自分のみじめな人生に道連れを欲しがるタイプのクズだからこれ以上関わるのはよしとくわ
じゃあなお爺さんw 繰り返しいうが、なんで柄谷スレが殆ど唯一と言っていい、
匿名掲示板の中でも特権的で重要なポジションを帯びてきたというのは、
ちゃんと必然的で社会的な理由があって、
いわゆる商業誌では、権力関係からまともな柄谷批判が載せられなくなっていた
という社会の事情による。
だから、匿名掲示板の中でも、柄谷スレだけは、今まで特別な地位を帯びてきたのw ID:3oKnIafD
この人は、65、6だよ。自分が一番の年寄りなの。 >>501
どう見てもこんな時間に必死こいて柄谷スレ荒らしてるようじゃあ、
オマエ自身が、既に廃人の身の上であり
無職で、ニートで、ヒキで行き場がなく、5ちゃんに幽閉されてる身分なのは確実じゃないかww
つまりコイツは全部自分のことを棚に上げて自分のことを言ってるだけだったw
柄谷スレをやってる人というのは、そういうのとは全然違うんだよw 柄谷スレッドに意義なんかないだろう。
当の柄谷行人がどうでもいい存在なのだから、それについての書き込みに意義なんか生じようもない。
たんなる掲示板の書き込みですよ。 こっちが(柄谷スレ運営サイドが)何やってシノギやってて、
どうやって金を稼いで生きてるのか、機会があったら教えてやってもいいが
少なくとも、今ここを荒らしに来てるクズとは全然身分が違う
階級が違うし、高等フリーなんだよw 匿名掲示板色々ありといえども、柄谷スレにだけは今まで意義があり、役割があるの!w
それが見えないオマエは、ただの白痴なんだよwww 文芸誌よりは、たしかにレベルがはるかに高いですよ。
これだけ全般的に、先生を「解体」しているメディアは、ほかにない。
しかし、柄谷行人が、実際どうでもいい人なのだから、
それについての書き込みにも、意義はないでしょう。 >>506
>>階級が違うし、高等フリーなんだよw
金持ちだったとはいえ、たかが平民の柄谷の一族とその取り巻きが何をほざくかww
それはお前が成り上がり者の賤しい素性である証拠だよ。 ↑
うるせー 全部おまえの負けだ
早く消えろwww 柄谷さん、身体は大丈夫ですか?うちの81歳の父はとにかく膝が悪い。僕はウーバーイーツ配達頑張ります。 佐々木 中
@AtaruSasaki
16分
人類の平均寿命は長く推定20-35歳で、20世紀初頭にやっと40-50歳程度になっている。
平均寿命70-80歳になったのはつい最近。カフカは40歳、プルーストは51歳、
ニーチェは55歳、ジョイスは58歳、ヴァージニア・ウルフは59歳で死んでいる。 西欧の学者はローマ帝国の分析には卓抜さがあるが、アジアの帝国の分析は弱い、
交換様式という思考の道具は新規性のある分析手法だな、
これを使って帝国を分析するとまた違った見方ができるな バロウズはヘロイン中毒なのに、83歳まで生きましたね。 Nat10 #ShutItDown4Palestine
@nat108game
7時間
村上龍さんのRyu's Barの最終回のゲストがいとうせいこうさんと柄谷行人さんで、
そこで柄谷さんが自分は話すのが苦手で雑誌の対談とかで立て板に水のように話すのは
後で編集してるんですよとかいってたが、
ホームの批評空間で編集済みであるはずなのにあからさまに上野千鶴子さんに
ボコられているのを見て、本当にこの人はディベートが苦手なんだなあと思った。
もちろん書いたものが面白ければいいと思ってたので、
それで失望することもなかったけど。 >>510
うるせー消えろって?
俺は5ch文学板のみならず、日本の現代の文学のすべてだが。柄谷よりも遥かに重要な俺だがwww >519
中上健次の関係もあって、柄谷の読者には部落関係者が多いんだろう。
お前ら、部落関係者の疲弊は凄い。 ↑
おまえの正体がアンタッチャブル (不可触賤民) 新左翼運動で最高に疲弊した部落関係者を何とかしてやれという議論が出てくる前に、
柄谷やスガ秀実は逃げ切ろうとしてるだけだ。 └────────────v──────────────────────
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
ノ::,/ノ;ノ);;);;/~);;;ハ;ノ;;ノ;;人:::ヽ
/::::::l | ,=・= ンー―-t=・=、j l:::::::ヽ
/;::::::::j `ー-ノ ● ● ヽ一' |:::::::::ゝ.
/:::::r'rノ U ``‐、::::ヽ
/::::::レ' ゙Y⌒'ー─'⌒Y i:::::ヽ
ノ::::::/ l 、___,,ノ │ l:::::::::} ACIM(A Course In Miracles)とは、
{:::::{ l `ー'ー' | }::::::::j
l::::::l ノゝ、____,,ハ l::::::::l 人間の自我を消すことによって脱糞フリーの社会を目指します
|::::ヽ 666 ノ:::::::|
ノ::::::>、 、_, _/::::::::| もうどこで脱糞漏らしても臭いバレません。
(:::/ `'‐、__,r、‐--、 _ノ `‐;:::)
r':‐、 メ、_``>->---‐-''´ ノヽ あなたの自我を消すことによって。。。奇跡の脱糞!
,' ゙、ヽ/ / ,)/ ∧ j rv‐r、 / ゙、
i / ´ r'´ ,ノV `ー一' /./_」 `r‐、 }
l ;イl r'´ ノ ヾヾ、`( ̄ヽヽ; 574 考える名無しさん ▼ 2023/11/22(水) 18:40:07.33 0 [0回目]
斎藤幸平が注目された理由としては、ドイッチャ―賞受賞がいちばんでかいだろう。
そのつぎが、ドイツで博士号取得。
東大准教授になる前に、たいへんな売れっ子になっていたのだから、その肩書はほとんど関係がないといえる。
だいたい、東大准教授は大勢いるが、売れっ子と言えるような人は、今はいないのではないか。
575 考える名無しさん ▼ 2023/11/22(水) 18:42:33.14 0 [0回目]
日本人は、欧米のそれなりの賞をもらった人に、いまもむかしも弱い。
舶来信仰がまだまだ強いのである。
576 考える名無しさん sage ▼ 2023/11/22(水) 19:02:53.76 0 [0回目]
ドイッチャーなんかほとんど誰も知らないだろうにノーベル賞の若手版とでも
思われたのか
ただ人新世があれだけ売れたのはまずは高齢者からだと思ってるんだけど
577 考える名無しさん ▼ New! 2023/11/22(水) 19:09:54.23 0 [0回目]
ドイッチャ―賞について多くの人が知らないから、なんかすごいんじゃないか、というふうに思われたのではないか。
知っている人ならば、半分くらいはどうでもよい本がもらうことがある、でおわりだろう。
しかも、斎藤幸平の受賞には、史上最年少・日本人初、これがついている。 東大卒東大東大志望男性は顔でかいセクハラ明石原種じゃない古いセクハラ血統。 東大自体ギリシャの押し付け。ソクラテス以後経営のセンスない。鈴木大拙。 禅僧だな 禅永平寺など風雪の環境を荒らされた悔恨。 明石白日焼けも原種。永平寺曹洞宗。臨済宗は中国系。臨済宗は意識傀儡
増上寺芝。永平寺新潟、尼僧兵主力。 中公文庫(中央公論新社)@創刊50周年
@chuko_bunko
42分
◆12月新刊予告(書影公開です)
浅田彰『構造と力 記号論を超えて』
構造主義〜ポストモダン/現代思想を鮮やかに架橋した名著。その理論は今なお新しい!
中公文庫創刊50周年を締め括る、40年目の文庫化。
解説は千葉雅也さん。 構造と力-記号論を超えて (中公文庫, あ51-2) 文庫 – 2023/12/21
浅田 彰 (著)
文庫
¥1,100
シラケつつノリ、ノリつつシラケる――。最先端の知の位相を、縦横に、そして軽やかに架橋する。
1983年の初刊以来、40年にわたり読みつがれてきた名著、待望の文庫化!
ポストモダン/現代思想をはじめて明晰に体系化、1980年代には、「ニュー・アカデミズム」を代表する一冊として、
社会現象にもなった。しかし、冷戦終結後30年を経て、世界はいまだポストモダンのパースペクティブを描けていない。
本書の理論は、混迷する現代社会・思想状況を理解するうえで、今なお新しい。
〈解説〉千葉雅也
本の長さ
320ページ
出版社
中央公論新社 構造と力の文庫版1100円って、今どきには結構良心的な値段設定で出てきましたね。 私の構力本は、1988年に早稲田の古本屋で千円で買ったものです。
(当時の古本時価では結構安いほうだった)
久しぶりなので新しい文庫本買ってまた読み直しますよ。 >>533
中央公論はこの文庫なら売れると睨んで価格も決めてきたのでは? TwitterがXになったけど交換様式の“X”と関係あるのかな? 帝国の構造は世界史の構造のダイジェスト版みたいなものだな ――ポール・ド・マンと柄谷さんの交流は知られていますが、どういうきっかけですか?
柄谷 この出会いも偶然です。まず僕は、イェール大学でシェークスピアを教えていた、
同年のアメリカ人の先生と親しくなったんだけど、彼が僕にド・マンに是非会えって言うんです。
その頃はド・マンなんて知らなかったから、「誰?」って思ったけどね。あわてて大学生協に
著作を買いに行ったくらいで(笑)。だけど、その友人はド・マンを畏怖していて、すごいすごい、
って言うわけ。ところが、会うことが決まったら、「あの人は怖いよ」とさんざん脅すんだよ(笑)。
「厳しい人で、口が悪いから、酷評されるはずだけど、誰にでもそうするんだから、気にしないように」って。
だから、僕も会うのは嫌だったんだけど、実際に会ったら優しかった。もちろん、
最初から認められていたわけはなくて、「君の書いたものを読ませてくれ」と言われた。
その友達は、「読ませたら、ひどい目にあう可能性がある。それでも読んでもらった方がいい」と(笑)。
しかし、その後が大変でしたよ。日本で雑誌に連載しただけでまだ本になっていなかった、
「マルクスその可能性の中心」という評論を圧縮して翻訳することになったからです。
それで僕は、76年の春に日本文学の講義が終わった後から、その作業を本格的に始めた。
英文学者だった当時の妻、真佐子(旧姓原、のちに作家の冥王まさ子)の助けを借りて英訳し、
さらに、さっき言った友人やその仲間が一丸となってその英語を点検してくれた。論文の題は、
”Interpreting Capital”とした。『資本論』を読む、とか、解釈する、というような題ですね。
それを、ド・マンに渡しました。それから間もなく、彼から会いたいという連絡が来た。
待ち合わせたカフェの入り口に立って待っていたら、向こうからド・マンが笑顔で歩いてきた。
そして僕の草稿を、頭の上にかざしてヒラヒラさせながら、Vサインをして
「good!good!」って言うんだ。
https://book.asahi.com/jinbun/article/15067627 >>540
柄谷の好きな「モニュメンタル」な出来事の起きやすい時代だったんだろう。
だが、作品への賞賛は惜しむべきではないのは分かる。 結局マルクスの時代から何変わらない派閥争いと一向に代わり映えしない
なんとか運動の継続しかない。吉本のことをああだこおだ言うのが好きだが
70年以降は読みもしないくせに語って頓珍漢言ってる。吉本のせいに
するなっつーの。てか柄谷の本のどこがいいのかさっぱりわかんねー あのやたら勿体附けるポーズと言い回し(笑)蓮實も似てる、勿体附け。
アレ視てるだけで嫌気がさして苦笑しか出ない。出版界の左翼がいるから
いまだに偉そうにしてられる。しかし実際のところ、どういう威力が現実
社会にあるのかといえばまあ無い(笑)まあ既成の左翼に一抹の「我々は
やはり正しい」の自信を回復させたか否かというところ。 柄谷行人『哲学の起源』
「(引用者 スペインやフランスの植民地では)労働力が不足すると、アフリカから奴隷が買い入れられた。一方、イギリスの植民地ではそのようなことが生じなかった。それはすでに市民革命(1648年、ピューリタン革命)があったからである。」 ↑ もしこのデタラメがそのまま英語に訳されているとすれば、それは実に恐ろしいことだ。
アメリカ・バージニアにおける奴隷市場の発展 : リッチモンドとアレクサンドリアの事例を中心に
柳生智子
アメリカにおける奴隷制度とその変遷 - -植民地奴隷法制の形成 .
楪博行 柄谷行人が日本国内以上に海外で評価されているのには、彼の党派性、
文壇での振る舞い、社会運動の失敗といった側面と
彼の理論的仕事が切り離されて評価されているというのが大きいのだろうな。
Twitterがない時代の批評家・哲学者で本当に良かったよな。
CoMA
@n0n_ex1stence
昨日 1:01 けんちゃん
@kenchan5
1時間
柄谷が本居宣長を引き自然=生成を指摘して批判した日本の「グダグダさ」=悪い場所を
東は『訂正する力』で変化を許容しながら一貫性を保つ「自然を作為する」
という訂正する力をもって、積極的に読み替えている。 現在の柄谷行人は、イオニア自然学の「フュシス」を重視し、
>>548
Dは「向こうから来る」というように他力本願にたいし肯定的である。
イオニア自然学的(通説的にはそういうことになっている)な制作よりも生成を重視する思考、
本居宣長的な「自然(じねん)」の肯定、こちらのほうへ「転向」しているかんじである。
柄谷行人が振りまいている一向一揆についての「農工商民コミューン幻想」「無支配幻想」のほうは、
↑の「転向」とかかわるものかどうか、そこは定かでない。 柄谷行人によると、私小説とは、私のことを書く小説ではなくて、
その著者の実在の人物としてのコンテクストを知らなくては理解できないような小説である。
その例として柳美里を挙げていた。
mozuyamoz
@karrinto1
22分前 私小説なら、投稿サイトに面白いのがありそうだ。
私怨の塊のような私小説とか、作者の事情を知れば興味深くなるかも。
だが、現代では名誉棄損とかうるさい問題もあるだろう。
古代ギリシャでは、書かれた相手が自殺した例も二つ知っている。
作者の一人はアルキロクス、もう一人はヒッポナクスで二人共、
有名な紀元前7-6世紀の詩人だが多分二人共にかなりな醜男だったが、
いわゆる弱男の逆だった。 「笑い」の生産様式。生産力と生産関係とのズレが笑いを起こす。
金持ちの顔にアイスクリームが落ちる。
柄谷行人式に「笑い」の交換様式があるとすれば、
A呪術、B権力、C資本。ダウンタウンはBとCの結託。
同年代ゆえもあり、一度も面白いと思ったことは無い。知性の欠片も感じさせない。→
高橋明彦
@k7l0izwDPl1loDg
24分前 石川義正さんの文芸批評書『存在論的中絶』は妊娠中絶論ではあるが
小林秀雄の霊性論の現代版でもありポスト一九六八年革命における霊性主義的な思弁でもあり
柄谷行人さんと同じく欧米の最新ロマン主義の圏域にあり、
存在論的中絶じたいを存在論的に中絶せねばならない局面をどう思考するかが肝腎になる
江柿野るろあ
@ruroa2
1:15 むかし柄谷行人が「能は、Noだ。」と言っていましたけど、
当時は私が意味をまちがえて受け取ったということか・・・侵略者の文化
中村 考
@konakamura_
昨日 23:18 >>553
こいつ死ぬほどバカだよな
こういうコンプ丸出しで年中呟いて誰からも相手にされていない無職丸出しの爺さんって何が楽しいんだろ 中上健次が好きで著書は全部読もうと思っているが、中上健次全発言だけは買うべきか凄く迷う。中上の死後、柄谷が編んだ集成なんだが第三文明社から出ているのがなんとも買うのを躊躇してしまう ::|
::|  ̄ ̄ ̄\
::| / ̄ ̄ ̄\
::|/ ヽ
::|| _ / | ||__ |
::|LL/ |__LハL |
::| (・ヽ /・) V
::|⌒ ●●⌒ )
::| __ ノ 霊感マルチ商法の新しい切り札 それが「交換様式D」よ
::| ヽ_ノ /ノ
::|\__ノ |
::|| V Y V| V
::||___| | 能は生の否定とか言うこともあるが、少ないが「高砂」や「自然居士」とか、生を肯定する場合もある。
「能はNoとか、ちょっと聴いた?ww」byダブルヤング 今現在、日本は大韓民国と北朝鮮に侵略行為を受けている
いいか 「政治家に立候補する時、帰化朝鮮人の家系の人間か否かを公表する」
「または帰化朝鮮系は日本風の名前を名乗らせない、改名させる」を提出して過半の賛成を取って立法化されたら
大変な騒ぎになるだろう
それでいいじゃないか、それが狙いめよ 帰化朝鮮人に日本人のふりをされてこのまま緩やかなホロコーストに向かうなら、戦った方がまし
帰化人たちが暴動やら起こして、警察機構にも帰化人が主要なポジションにいるから騒ぎは収まらない、日本は荒廃の一途を辿る、夜道も歩けないぐらいに
でもそこでようやく海外の人間たちにも伝わるはずだ、日本が朝鮮人に乗っ取られて見る影もなくなっていると、やつらが日本でどんなことをしているのかと
自衛隊の機能も衰退しているはずだから中国だって武力で侵攻してくるかもしれん
日本は一度灰燼に帰すだろう、
だがこのまま帰化人に成りすまされて、日本人が日本の国で迫害されて、過半を帰化人に占められるよりよっぽどましだ
戦おう おしっこしたい
└────────────v──────────────────────
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
ノ::,/ノ;ノ);;);;/~);;;ハ;ノ;;ノ;;人:::ヽ
/::::::l | ,=・= ンー―-t=・=、j l:::::::ヽ
/;::::::::j `ー-ノ ● ● ヽ一' |:::::::::ゝ.
/:::::r'rノ U ``‐、::::ヽ
/::::::レ' ゙Y⌒'ー─'⌒Y i:::::ヽ
ノ::::::/ l 、___,,ノ │ l:::::::::}
{:::::{ l `ー'ー' | }::::::::j
l::::::l ノゝ、____,,ハ l::::::::l
|::::ヽ ノ:::::::|
ノ::::::>、 、_, _/::::::::|
(:::/ `'‐、__,r、‐--、 _ノ `‐;:::)
r':‐、 メ、_``>->---‐-''´ ノヽ
,' ゙、ヽ/ / ,)/ ∧ j rv‐r、 / ゙、
i / ´ r'´ ,ノV `ー一' /./_」 `r‐、 }
l ;イl r'´ ノ ヾヾ、`( ̄ヽヽ; >>564
右翼は朝鮮や韓国系の人間である場合が多いんだよ。 私は朝鮮人。富士山が大好きです、と社会庁か、どこかに、青木千雄、青木福美、青木康善、で行ったような。。。ペテン師の糞親父、バカチョン、起きて治安を治める青木起治さんは帰化しないまま。快適にプロパンガスでcomfortでバロメーターも測らずに、慶応ボーイの英語で横浜市を案内しています。
在日特権は確実にありますよ。。。きたねえなあ、親父は。。。
おまけに、隣の生徒がワキガじゃなければ東大入れたとか差別するわ、国際基督教大学受けて、白紙の紙に、天皇制について英語で書いて受かり、入学しないで、後々、早稲田の法科に行けば良かったとか講釈を垂れ始めますよ!姉さん、ピンチです。。。どうせ僕は偏差値42ですよーだ!方や、青木千雄は狛江高校63。。。ノースカロライナ大学に留学偏差値80とか。。。
涙も枯れ果てました おまけに、安、お母さんの田中家は金丸さんとか、田中角栄さんの恩恵に授かりくる。末っ子のまた末っ子の僕は、カラスなぜ泣くの?カラスの勝手でしょー🎵と山梨の従姉妹の姉ちゃんと歌う。そしてじゃんけんぽい、いかりや長介頭はパー! 関東大震災朝鮮人虐殺の際に、日本人の青木さんに、はんめ、はるべを救って貰わなければ、私は存在しない。しかし、お母さんは水子水子言うしなあ。。。弟いたら、俺はどうだったんだろう? 無名塾、なかだいたつやさんのあれ、奥田瑛二さんが、食えなかった頃、お母さんがご飯炊いたのかな?棚橋さんが忘れましたが、無茶苦茶むしゃむしゃ奥田瑛二さんは食ったらしい。。。お兄ちゃんはとにかく映画好き。。。ゴッドファーザーのオルゴールとか中学の頃、作ってて。。。大嫌いあの映画!ゴッドファーザー大嫌い! iBooksにnew associated movement宣言が、打ってません。。。公約はなんですか?柄谷さん。。。秋本治さんに一票入れます。りょうさんに論破されるだけですよーだ。赤いランプの終列車。 だから、柄谷さん、何をどうするんですか?まず、世界共和国に、地球全体をまとめるには、どのような行いをするのですか?机上の空論なんですか?僕も怒る時は怒りますよ! 柄谷さん、まさか、貢いだんですか?一億円だか。裏切るつもりですか?僕を。 柄谷行人さん、裏金問題は、岸田総理を忙しくさせすぎです。野党の糞どもは、ピントが狭い。 松田聖子、中央大学法学部通信教育課程を卒業「法律を学ぶことができた4年間は素晴らしい時間」
2024年03月25日 04時00分スポーツ報知
歌手の松田聖子(62)が中央大学法学部通信教育課程を卒業したことが24日、分かった。
学士(法学)の学位が授与された。
松田は数年前から、レコーディングやコンサートなど音楽活動の合間を縫って、
勉学との両立に励んできた。スポーツ報知にコメントを寄せ、「この度、
中央大学法学部通信教育課程を卒業することができたことを、大変幸せに思います。
中央大学で法律を学ぶことができた4年間は、私にとって素晴らしい時間でした。
あたたかくご指導いただきました先生方、関係者の皆様に心より御礼申し上げます」と心境をつづった。
1980年4月に「裸足の季節」でデビューし、40年以上のキャリアを誇る。
アーティストとして第一線を走り続ける中、悔いを残さないために、大学に進学して学び直すと決めた。
リカレント教育(=社会人になって学び直すこと)を通じて、新たな知識やスキルを得た松田。
いくつになっても挑戦を続け、結果を出していくのは努力の賜物(たまもの)だ。
来年はデビュー45周年を控えるが、「大学で学んだことを糧にして、
これからも仕事に励んでまいります」と誓った。 素晴らしい!
松田聖子でも卒業できる、中央大学法学部。 てめえ!柄谷!山形浩生さんに勝てねえ癖に!守銭奴! 山形はあんなキャラだけど
割と真面目にテキスト読んでいくタイプだから
次から次へとテキトーにその場の思いつきを言ってしまえてかつ平然としていられる柄谷みたいに教祖様になれないのは確か
まあ、ならんでいいけど