中国大返しの凄いところは、本能寺の変の翌日(遅くても1日半後)にはことのあらましをほとんど理解して、
翌々日には清水宗治に腹切らせて大返し始めて、変の一週間後には姫路城で遅れた兵を待つ一方で兵士に休息取らせてる辺り。
つまりスピードは「普通」に近くても情報と判断のスピードがパないんだな。
この辺り、主君の信長のやり方をそのまま踏襲してる。
まあ進軍先が自領姫路のちょい先というのも幸運に働いたかもだが。

ちなみにその合間を縫って中立の中川清秀に「信長公は生きておるで」とフェイク情報の手紙も出して味方につけることも成功してる。

関ヶ原も似たような進軍スピードと言うけどこっちは大返し完了(関ヶ原終了)までに三か月くらいかかってる。
それを10日前後で仕置までやってのけたのが秀吉の凄いところなんだな。