同居している人と暮らすならその考えは理解できるしお互いやめて欲しいとことは話し合えばいい
でも、なろうはあくまで趣味で切り捨てようと思えばいつだって切り捨てれる。
他人の考えをすべて理解して納得しようとするなんておかしいとかじゃなくて傲慢。

恐怖云々は、はっきりいってなろう小説そのものが無自覚の犯罪予備的なところがあるので
わからないまでもないけど踏み入れることのできない話ではないか?
自分の好きな漫画家さんマンションから出てこないからやばい人認定されて家の前にゴミ山積みされたりした
とか、書かれてたけどそれは群像心理なところも含むのであまり語らない。

自分がなろうをみないほうがいいと考える結論は
「他人の性癖っていろいろあるじゃない?
で、それに他人の理解もとめても仕方ないわけ。
なろうって読者と作者が共同、共有の精神的自慰行為し合える場所なんだから。」
「自分の他者が違うのに他社を理解するなんて傲慢極まりない」
「自分の価値観が正しくて、他者にも認めて貰いたい。」
「相手の価値観を見るという行為には会社などでは考えないといけないがネットとか見識の他人は自分の
価値観かくさないから。本当に正直にやってる。普通の「神経じゃ無理」
ということ。ここまで書いてなろうを理解しようと努めるならそれはもういばらの道でしかないよ
自分が楽しめてるならともかく

長文すまん買った