至高を目指す人のための文学教室!【1】
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至高の文学を目指す作家のための文学教室です。
共に切磋琢磨し、文学について語り合いましょう。 至高中の至高、ノーベル文学賞の発表が近付いて来ましたね 流石にもう貰えるでしょ?
今年はチャンスが2倍だし つーか、ハルキ以外誰も予想にすら名前が上がらないのが悲しいところですね 他に候補がいたらマスゴミが言うじゃん
ハルキが仮に取ったとして、その後を見ていてごらん
「次はこの人だ」みたいなのが出て来るかどうか 日本の話ね、海外の状況は知らない
でも、ディランが取るぐらいだから、そっちも手薄なのかもね 【生産性0 納税額0】 世界経済の癌細胞、株式市場
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/stockb/1564888053/l50
世堺教師マITLーヤの出現のタイミング
マITLーヤは、一般に知られるようになる最良のタイミングを待っておられます。
世界には依然として、マITLーヤや彼のアイディアと全く関わりたくない と思う膨大な数の人々がいます。
最良のタイミングは、経済制度が崩壊することによって西欧社会が経済的に挫折し、初めて現実に目覚める時です。
それが、つまり崩壊によって生じる現実感覚が、マITLーヤが待っておられる要素の一つです。
世界人口の3分の2が貧困状態で生活しているとすれば、経済システムはうまく機能していません。
私たちの自己満足のせいで、その経済システムから取り残されている人たちのことは考えようとさえしませんでした。
マITLーヤの主な任務の一つは、
このような自己満足に冷や水を浴びせ、自己満足に浸っていると非常に居心地が悪いと思わせることです。
u4t847.html
富は自己満足をもたらす傾向がありますが、マITLーヤはこれを全ての悪の根源と呼んでいます。
分離が妬みを生じさせ、それゆえ犯罪を引き起こします。
それは我々全員が平等な地点から出発するという偽りの前提に基づいています。
勿論、誰も同じ地点から出発してはいません。飢えて絶望している人々の数は増加しています。
それにもかかわらず先進世界中の全ての国で大富豪も増えています。
bc-04/radio-05
>>13
ニーベル賞級の作家も自分で挙げられずに至高の文学とか主はバカだろ ハルキの何が世界文学かだ
俺は届いている部分もあると思う
トータル足りていないというだけでね
それに匹敵する文学は残念ながら国内にはない 年齢別無職表
18歳 何をするにしても余裕すぎる年齢。甘えるなカス
20歳 2浪の人間なんてザラにいる。人生に絶望とか甘え
22歳 大卒の友人がやっと働き始める歳。まだスタートラインに過ぎない
24歳 一度挫折した人間が働き始める年齢。ここまでは余裕
26歳 努力次第でどうとでもなる。成功者でもこの歳まで放蕩生活とかザラ
28歳 努力と才能、幸運のうち2つは必要。常人最後のスタートライン
30歳 3つなければ終了のお知らせ。奇跡を信じて働け
32歳 天才だったり親が金持ち権力者だったりしない限りまともな人生は無理
34歳 まだ生きてたの?
36歳 もう死んでやれよ。親を苦しませるな
38歳 働きたい?言うのが20年遅いよ。500円あげるから縄買ってきなさい >38歳 働きたい?言うのが20年遅いよ。500円あげるから縄買ってきなさい
スレ主、今ここ 至高の文学とは己の中にあるものだ、外に探すものじゃない
これが至高の文学だ! というのが提示されたとしても、それはあくまでも一つの答えでしかない
いうなれば、文学という山の山頂に達することができれば、それが文学の至高に達したということだ
そして、山は一つじゃない、目指す文学は人によって違う
他人が文学の至高にたどり着いたとして、それが自分がいま登ろうとしている山とは違う山ならば、そのルートマップに従って登ろうとしても、それは違う山の地図なんだから道に迷うだけ まあ、でも他人の評価ってこともある訳で
自分以外の人が「スゲーな、至高だな」と認めてくれて
初めて文学の高みってことになる
その一番わかり易い、端的な例がノーベル文学賞ってことでね 2018年のノーベル文学賞にオルガ・トカルチュク氏
2019年のノーベル文学賞にペーター・ハントケ氏 何か悩んでることがあるなら言ってよ。僕でもなにか力になれるかもしれないし 372 名前:この名無しがすごい![sage] 投稿日:2019/10/11(金) 05:11:01.11 ID:aodmxqxI
みんな分かってるとは思うんだけど、
ラノベは文章じゃなくてアイディアと構成展開だからね。
今は公募作品よりもなろう作品の方が書籍化数、アニメ化数、売り上げ数共に多い。
出版の近道、作家の側に複数社のオファーを選ぶ権利があるから、格上の感すら出てき始めた。
そんな中で、市場のニーズとして狭い純文学をどう盛り上げていくか、
ワイスレは一つのヒントになろうかと思います。 なんでここでいきなり純文学が出て来るのか疑問ですね
ライトノベルの対義語は一般小説でしょう 何言ってんの
ライトノベルは一般小説の一形態だろ
さらになろう系はライトノベルの一形態 単にその人が純文学に興味があるってだけだろ
何かおかしいか?
いきなり至高とかいいだす奴よりはまともだと思うが 純文学にはなろうルートなどというものはない訳で
名だたる文学賞のどれかにパスする以外にはありません 純文学の商業化と言うならハルキが一番成功している
文章の読み易さ、ライト化のおかげでしょうね 成功と金に目が眩んで、
なろうに蝟集している連中は愚か者だけどね 【文学とは何か】
文学とは、作者と世界との全存在を賭けての格闘である。 映画『天気の子』
「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」 【文学のフロンティア】
21世紀文学は「意味」とどう対峙するかが重要。
「意味」を直接的に目指してはいけない。 ポットの中身と掛けまして
ここのスレ主と解きます
そのこころは? まず何をもって目指すべき至高の文学とするべきなのだろうか? 何かっつーと、格言じみた言い廻しをするやつって女にモテないよな 文学は、「文学とは何か?」を考えることも目的の一つ
それを作品上で示すこと 【文学のフロンティア】
20世紀文学が等号のあくなき探求だとするならば、
21世紀文学はその永遠なる拒否である。 文学には誰も興味ないのか?
こっちは創文に立てるかな 悪人正機(あくにんしょうき)
浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、
「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。
阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。
すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。
よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、
阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。
ソクラテスの無知の知に近いよな
その倫理版だ
ある意味文学の本質 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています