【淡海乃海 水面が揺れる時】イスラーフィール総合スレ★24
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【淡海乃海 水面が揺れる時】イスラーフィール総合スレ★23
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1588641865/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 澄酒とか石鹸とか、基綱がやった施策を幕府主導でやればやるほど幕府の権威が勝手に上がるから
朽木スタートよりもよっぽどイージーモードな気がする
幕府のトップでなければ出来ない様な強引なこともできるだろうし >>846
雅敦って若死になのか…て本編で雅敦って死んでたっけ?最新話だともう1588年になってるが そう言えばマンガの方では石鹸は下剤扱いだと書いてあったけど
淡海世界ではあくまで手指の洗浄剤だよね? >>851
朝鮮や明との交易も本編よりずっと楽にできそうだしな >>848
今はエタってる武衛様かも
キャラじゃないか 麿の方は宮中で陰陽師がいるんだから
カレンダー作って売ればいい >>852
天正6年 1578 3 28 32 腫物を患う。 『兼見卿記』同年月日条
天正6年 1578 4 9 32 織田信長の内大臣辞退の申し出について、雅敦の所にて諸卿と協議する。 『兼見卿記』同年月日条
天正6年 1578 6 22 32 父・雅教が数ヶ月の治療にもかかわらず回復しない雅敦の病の平癒祈祷を吉田兼見に依頼する。兼見は雅敦を見舞う。吉田牧庵の診察を受ける。 『兼見卿記』同年月日条
天正6年 1578 6 23 32 吉田兼見が雅敦の病気平癒の祈祷をする。 『兼見卿記』同年月日条
天正6年 1578 6 29 32 吉田兼見による雅敦の病気平癒の祈祷が結願を迎える。御祓・撫物が飛鳥井家に送られてくる。 『兼見卿記』同年月日条
天正6年 1578 8 6 32 死去する。 『兼見卿記』同年月日条
https://rekimoku.xsrv.jp/2-zinbutu-01-asukai-masaatsu.html
どうにも病死っぽいから
回避はできてなさそう? 幕府は金儲けさえできれば兵も雇えるし復活は楽だと思う。
元々酒の販売権は幕府の管轄な部分が大きいからガンガン儲けて
足軽を揃えて直轄領をある程度増やせれば将軍の権威なんてすぐに戻る。
細川吉兆家が亡んでるから将軍親政もできるしな。 扁平上皮癌じゃね
外科処置の知識も技術も無いから寝て祈祷するしかないわけで 幕府がイキリ始めたら周囲は危機感おぼえるだろうなぁ 石鹸の日本デビュー
日本に初めて石鹸が入ってきたのは16世紀。種子島への鉄砲伝来と同じころです。
このころの石鹸は大変な貴重品で、手にすることのできたのは将軍や大名など限られた人たちだけ。
洗浄剤というよりは、下剤などの薬用に使われたことのほうが多かったようです。
石鹸を持ち込んだのはそのころ交易のあったポルトガルの船。
ポルトガルでは石鹸のことをシャボン(sabao)と言いますが、日本でも第二次世界大戦前くらいまでこの呼び名が使われました。
語源はフランス語のサボン(savon)と同じく、サボナという地名だと考えられています。 野暮なツッコミは承知だが、実のところ基綱の金策で一番首を傾げるのが
石鹸づくりだったりする。油の確保が思いつかない。獣脂は捕鯨地域以外
あてに出来ないし、綿の実油は栽培の普及までに時間がかかるし、そのまま
売りに出した方が儲かる気がする >>857
どういう病気か知らないけど、
本編は朽木の援助で栄養状態良さそうだし、石鹸も普及してるしで
病気自体に罹ってないのでは https://www.biwako-visitors.jp/guide/detail/426?categories=1
2P目の地図いいなこれ
岩神館と朽木城って意外と離れてるんだな、とか
むしろ西山城の方が近いまである(高低差無視すれば、だけど) >>863
話の中での石鹸の生産量や価格が分からないからなんとも言えないけど、比較的少数で高級品だったとすれば胡桃や胡麻、もう少し生産量を増やすのなら松脂ぐらいかな。
あと獣脂だと猪の脂が当時としては比較的入手がしやすそうだけど、どれぐらいの量が定期的に集められるかは分からない。 荏胡麻(=シソ)、大麻、亜麻も油がとれる
蝦夷交易があるならアザラシなどもあるかもしれない
煮干し・干鰯副産物の魚油はどれだけ得られるか…
食用にならないが超荒れ地にも育つ油作物もある 石鹸の元になる油に関しては俺も疑問に思ったな
その土地に産業として確立しているならまだしも、各家庭で石鹸を作ってるって話だったから余計にね
作物を育てるのもだけど、油絞りそのものだって、片手間にできるとは見えないからなあ 綿の種を使った綿実油だろうね
油絞りは一括でやれば手間ではないね 史実の下剤オンリーじゃなくて手や身体洗うのにも使われているのは
多分基綱自身と周りの人間が使い始めて用途が周知されたからじゃないかな
歯ブラシも我慢出来ずに早々に作って使ってたはずだし、衛生にはうるさかったはず
あと確か本編の何かの籠城戦で石鹸使える上級武士ほど衛生状態悪化するなかでも生き残れてたから評価されてたっけ 品質保持の概念なんてねーから特定のどれか1つってこともなく
色々な油が使える製法だけ公開して各々やれる手段でやってただけじゃね?
原料も違えば出来もバラバラだろうし工夫して質のいいものとか作ってるとこはそれだけで隣村より金持ちになったりするやつ まあ日用品としてのとりあえず効率重視で作るものとか、色々気を配って朝廷への献上用のとか違うだろうしね 初めは荏胡麻と菜種で綿花栽培が根付いたら綿実油だろうな こういうことだろ
朽木3歳竹若丸が澄み酒と石鹸を朽木名産として金を回し始めて以降は分かる
が、朽木2歳竹若丸の施政として朽木谷の集落の各戸で石鹸作・・・れるほどの
油の確保は魔法のランプだよなと 朽木の早くからの直轄領は戦国時代的にはかなり衛生状態良さそうだから、生まれられたらラッキーやな >>879
です。基本的に油は必需品であり、とりわけ植物油は高級品でもあった
兵役の無い本編朽木なら、いずれシステムが回るけどそれまでがね、と言う事です
米作(収穫後の藁も含めた加工込み)に兵役と、多分それで手一杯だったと思うのですよ 北近江を併呑したころは綿の種の配布も数年掛だったしねー そもそも朽木谷の各家で石鹸を作るなんて描写があったっけ?
各人が原材料を持ち寄って村全体の共同作業で作っていると勝手にイメージしていたのだが。 都と敦賀の間ということで金さえあれば買うことも可能だろうね それ以外にも、浅井領奪取後は石鹸や済み酒の製法が流出しそうだけどな。
特に済み酒は史実で室町末期に出現しているから、朽木が長期独占しているのは不自然。 製法よりも原料の米を毎年コンスタントに大量に確保できるかどうかが問題では。 史実の灰を入れた記録が1600年で淡海本編が未だ1588年
上澄みを掬って作る済み酒はあったが価格でも量でも勝負にはならんだろう 買う人がいなければお金には替えられないのに大金稼げすぎなのではってのが気になったな
米で儲けるほうは納得が行くんだが 一応大消費地の京が近いし機内は経済力は大きいしな
なんなら比叡山がお得意様だったまであるだろうよ 後で焼いちゃったけどw >>891
史実に酒で大儲けしてる人がいるからそこは考え過ぎだな >>894
山中鹿之助の長男は清酒で儲けて豪商の鴻池を立ち上げて、鯰江ブルちゃんの一族が六角滅亡後に武家を廃業して酒屋を立ち上げて豪商の三井を立ち上げた >>895
そいつは両替商でボロ儲けした
清酒で儲けたのは江戸幕府が出来て大名が江戸に集まってから
三井高利の主業は質屋 何をそんなにこだわってるのかしらんがそもそもエンタメif歴史なのだからこの作品中では清酒で儲けられた/できたでいいんだゾ
ほかにできそうな金儲けだとかじゃあ清酒で稼ぐにはとか話題膨らませるならともかく否定だけされてもそうですか、としか言いようがない 長期独占とか稼げすぎとかはこいつの脳内妄想だから相手にするなよ 脳内妄想はなろうでアウトプットすれば
上手くいけば書籍化出来るかもよ ほんとそれ
人様には〇〇はありえないより〇〇はありえるで語りかけろよ 俺はここがいまいち飲み込めないと言ったら
実例があるというから
見てみたら的外れだったから全く違うよねと言っただけ
有り得る有り得ないの話じゃないな 澄酒も初期のブーストアイテム扱いでしかないしー
ま、石鹸の件も大量に作るだけの油は無いから値崩れしてないんだろうというのはあるんだが
ただそれだとどれだけ農家の助けになっているかが分からんw
後は商人への課税をどうしているのかという素朴な疑問が
商人へは店舗構えると課税かね?あとは楽市出店料とか? どうしてかな
あれほどの銃や兵を買う金を関を廃止していない他国に輸出してかき集められるのかというのは当然の疑問だと思うが
高級品ってもんは大量にあっても大量に売れるわけではないものだし すみ酒で大儲けしてるのに身体に悪いからと目出度い日にたしなむ程度にしか飲まない
ライバルになりそうな2人には酒や甘いものを送り付けるマフィアのボスのような殿様がいるらしい 鉄砲、刀、武具は自作してる
関を廃してない他国と言っても、卸先の基本は近隣の大量消費地である京
領内は関を廃したから小浜、敦賀などの北陸方面から来る商人が経費削減の為に朽木谷を通り道にするから
その際に朽木の特産を仕入れて売るという流れができた
そして領外との関は廃してないだろうから、商人への課税はそこで行っていると考えられる 石鹸は高級なのではなく貴重品
手軽に作って他の用途に使う需要掘り起こしてるんだよ >刀鍛冶と鉄砲鍛冶は物納にした。四割を治めさせ六割は自由に売らせた。もっとも出来るだけ鉄砲は朽木家で買い取っている。 >>910
本格的に荒廃したのは応仁の乱の頃で
この時代はそこまでじゃない
支配者がコロコロ替わったせいで
むしろ町衆が団結して運営していた面もある 天文二十二年(1553年) 七月
>今では年間二十丁程を生産している。朽木家でも三十丁を所持する事が出来た。
>二、三年後には年間五十丁は生産可能になるだろう。
6年後に高島七頭で争うときに200丁あっても変じゃないよね? 卸売と小売の違いが分かってない人がちょくちょくいて草 シイタケの主生産者は綾ママなのでは
?「包装紙に母上の絵を描けば売り上げがさらに上がるのでは」 今の椎茸と当時の椎茸の価値の違いが凄まじいからな
今のマツタケ以上だろ >>896
そら土倉を始める酒屋がいっぱいいて並べて語られるくらい密接だもの
酒で設けた人がいないってどういう思い込みなんだ >>920
それは天下が治まり江戸バブルの結果出来たものでしょ >>921
土倉を営む酒屋が出てくるのは鎌倉後期から室町の頃 >>919
輸出財にもなるから完全にマツタケ以上だね 考えてみれば、当時の超先進国である明が喜んで買ってくれるんだもんな
日本にとっての戦略物資と言えなくもない 今ですら松茸の価値は限定的だしね
ヨーロッパ人には松茸は靴下の匂いにしか感じられないらしくて
それなりに山に生えてるけど誰も食べたがらないらしい 高級食品で保存がきいて軽くて扱いも楽なんて商人にはたまらん >高級食品で保存がきいて軽くて扱いも楽
明のほうでなんか銀たりねーから椎茸で取引しようぜ!とかなってたら笑う
刑務所のタバコ的な チョコパイは北朝鮮だっけ
近年のアメリカではインスタントの袋麺らしいな >>926
書籍でも各地の国人領主に製法教えて
それぞれ無秩序に広がらないようにはしてたんじゃない?
じゃないと明とかまで流出しちゃうし
あと書籍は十分に価値があるからお布施とは言わないと思う
お布施という時は大部分が善意で利益が無い時 >>932
実質戒名買うもんだから一応利益あるんじゃないかなw >>925
中国人ですら進んで食おうとはしないらしいし 日本の松茸と中国北朝鮮の松茸はキノコとしては近似種ではあるけど違うものだからな。
カナダ産の松茸なんてマッシュルームの一種だし。
全く香りが違うからね。家格後10倍違うし。 先進国家の王侯貴族が求めるものって物凄い金になるだろうからな
船一隻と磁器のティーセットが交換されたり香辛料と金が等価だった時代だもの なついw
麿の新金策はどんなだろうな? 植林は時間掛かるし乱世だと荒らされる
足利までかませるとなると大規模な交易か、銅鉱石の輸出を止めて金銀
摘出あたりだろうか? >>935
明らかに真っ白で違うキノコやろ…てなるよなぁ >938
麿にそんな力は無いだろうw
嫌われてる足利に力を付ける理由もないし、そんなことしたら三好に殺されるわ。
幕府と三好を両天秤に掛けてどちらにも利があり、自分が大儲け出来て
先行投資に金が掛からないのは澄酒ぐらいだろう。
酒の販売の税は幕府の管轄だし、松永弾正の押さえてる奈良周辺は当時の酒の一大産地だ。
幕府に税を納める事で幕臣がバカなことをしないように抑え、弾正に力を付けさせて
将来的に弾正と敵対する三好孫四郎を抑えさせる。
三好孫四郎をこのままにしておくと、永禄の変で義輝と一緒に殺されちゃいそうだし。 酒屋をするなら後の世の成功例に則って
運輸業、金融業に業種を広げてくるだろうな
くらま流を使えば全国に諜報網も作れるし一石二鳥 そして子孫は政界入り<昔の議員は酒屋上がりが多かった 本伝の方では筒井順慶が出て来なかったけど、順慶は元綱と同い年で共に二歳で父親を失っているから本伝で順慶から見た基綱評を読んでみたかった。
出来れば外伝でも良いから出番が有って欲しい。 >>943
あいつどうなったんだろう?
名前はたまに出てきたよね 順慶て、お前坊主のくせに何やってるんだよw
というぐらい世俗にまみえてるよね。 「洞ヶ峠を決め込む」と「元の木阿弥」の2つのことわざを残した偉人やぞ 室町御所がどんなところ気になって調べてみたら、応仁の乱から義輝の代までに何度も縮小されて再建されていたので大きめお屋敷程度の広さしかなかったのな とはいえ、朽木世界だと新次郎の朽木軍2000と元からの幕臣600を籠城させていたのだからそれなりに敷地はあるのだと思う。 >>948
最盛期でも100×200m程度の広さだったのでそんな広く無い レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。