車谷長吉 その3くらいッ
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とても読んでみたいがこういう同人誌はどこで購入するのでしょう
アマゾンにないし
東京だったら模索舎とかいかなきゃかえないのかな >>209
俺はネットでたまたま見つけたよ。
検索すれば出てくるよ、フツーに。
確か京都の書店さんが扱ってて
もちろん通販してくれる。
本代1000円+送料だったから
かなり良心的な値段ではないかな。 亡くなったの去年の五月だっけ。
もう新刊は出ないんだよね。
いまは前に読んだの繰り返し読んでる。
遺稿集買うわ。
これでおしまい。 >>213
あの年の芥川賞・直木賞は変だったよ。
芥川賞→藤沢周・花村萬月
直木賞→車谷長吉
藤沢周はまあいいとしても
花村萬月と車谷長吉は逆だろ。
車谷はエンターテイメントの作家じゃなくて、
純文学、それもかなりハードコアな私小説作家
なのは明らかなのに、受賞は直木賞になった。
選考の裏舞台はよく分からんが…
当時の新潮編集長の前田速夫もあれは残念だった、
と去年のインタビューで答えてる。
車谷が新人と呼ぶには相応しくないと思われたのか、
受賞作「赤目四十八瀧心中未遂」がエンタメとしても
よく書けてしまっていたのが理由なのか…
今でも不思議なのだよ。 直木賞にしては極めて珍しく、反対意見なしの圧倒的受賞だったんだよな
あれは選考委員も偉かった
「震災のあとにこんな作品に授賞できない」みたいなトチ狂った選評で落とした芥川賞と対照的で、
純文学の賞よりも正しく車谷の真価を評価したわけだから俺にはむしろ痛快に思えたけどね >>216
まあ、確かにそうなんだが……
ノミネートの段階で何故、直木賞になったのか…
候補作の選定って、選考委員はやってないよね?
日本文学振興会かね?
誰が、今回の車谷は直木賞で、と決めたのか。
その背景が分からないんだよ。
車谷は前回の芥川賞を逃して悪態ついた文章を
発表したりしたから、太宰の芥川賞騒動ではないが
嫌われていた可能性は高い。
今や「文壇」なんてものは無いが、賞レースに
介入する発言力のある作家も居るかもしれん。
その事情を呑み込んだ誰かが、
車谷受賞を狙うなら、むしろ直木賞に振り分けた
方が確実と読んだ可能性もあるんじゃないか、と。
車谷は、芥川賞・直木賞の前に
伊藤整賞を辞退してる。
選考委員の安岡章太郎の説得を振り切ってまで。
完全に芥川賞・直木賞を狙いに行った作品だった。
そうした賭けに出た車谷の執念……
結果論としては直木賞の選考委員の目の確かさを
実証することにはなった。
確かに90年代くらいからの直木賞作品は
下手な純文学作品を凌駕してきた、とも言える。
しかし、なぜ車谷を直木賞にノミネートしたか、
芥川賞の枠ではなかったのか、の疑問は残るなあ。 >>217
単にメディアの違いかと
文學界の一挙掲載でない連載作品で単行本だったからでしょう
芥川賞の候補として挙げるわけにもいかないが、文藝春秋社の出版した作品であれだけの傑作だから、
最高の話題になる賞である直木賞をあげたくなったんでしょう
ただ、車谷本人によるとあの回の候補作7作品の中では、赤目〜は候補選定の段階では7位だったそうな 山田詠美も芥川賞で落としまくられたあげく直木賞を一発で取ったよな
直木賞の選考委員って、いろいろ悪口言われてるけど、実はいい小説を見る目は確かなんじゃないかと思う
個人的には、佐川光晴は芥川賞5回落ちてもう対象にはならなくなってるけど、
直木賞候補になったら一発で取れるんじゃないかなと思ってる
ちなみに、俺は車谷が直木賞でも別に残念とは思わないな >>219
俺は、車谷自身が「純文学」にこだわっていた、
と考えるので、ハッキリ言って残念だね。
賞は結局、出版社の商売のタネだし、
その時々で揺れる。曖昧なもんだ。
出版社の意向を汲んで影響受けたり、
選考委員の個人的感情とか下らないことに左右される。
あんまり意味なんて無いわな。
後から見れば、選考委員の見識を問われる
ような事も多々ある。
しかし、それでも、車谷は芥川賞が欲しかった、
のだろうと俺は思う。
車谷はエンタメ小説なんぞ鼻クソみたいに
見下していただろうし、実際そう書いてる。
ジャンルの違いだから、上下じゃないんだがな。
だから、車谷の同志・前田速夫も残念、
と言ったんだろうし
納得がいかなかったんだろ。
純文学をやりたくて、何年も放浪した末に
デビューできなきゃ自決する覚悟で
再起した男なんだからな。
取らせてやりたかったよ、芥川賞。 >>220
うーんそれは車谷本人に聞いてみないとわからんけど、直木賞だって純文学の作家はいろいろ取ってるぜ
あなたが作家だとしてそう考えるのは勝手だけれど、車谷本人までそうだったと決めつけるのはいかがなものかと
そもそも直木賞は候補に挙がるときに本人の承諾なしにはノミネートされないし、少なくとも受賞して良いと考えてたはず
本当に芥川賞しかいらなかったら伊藤整文学賞のように辞退するはず
受賞したときもコメントを求められて「男子の本懐」とコメントしてたから、はっきり言ってそれは余計なお世話でしょ
「取らせてやりたかったよ、芥川賞」とか超上から目線だ あんた、車谷が芥川賞落とされて、
どれだけ悪態ついた文章を発表したのか知らないのか?
選考委員のワラ人形作って深夜に
神社の木に打ち付けて恨みを晴らそうとしたんだぜw
それも車谷の創作かも知れんが、
審査員やライバルの実名をあげて雑誌で
発表したんだよ。
それくらい芥川賞に執着してたんだ。
通りすがりのニワカはすっこんでろ、この馬鹿が。 お前みたいな、キレイ事言って自分の正しさに
酔ってる正論厨みたいな人間を
車谷は最も嫌っていたと思うぜ。
もっと車谷を読むんだな、
正論野郎には分からんだろうが。 >>222-224
3レスも使うとかよほど悔しかったんだね
車谷長吉全集も持ってる俺にニワカとはなかなか勇気があるなw
芥川賞に落ちたときのことを書いた短篇は「変」だろ。それくらい知ってるに決まってんでしょ
芥川賞落ちた後に藁人形作った(そもそも事実かも定かではない)という短編小説を書いたということと、
あなたのチンケで通俗的な妄想とは何の関係もないですよ
いるんだねえ、こういう、作家に自分の幻想を一方的に押し付けてるやつって
車谷なら「私はあなたのような"文学好き"が嫌いですのでお付き合いはご遠慮します」とか言っただろうな >>225書いた後でそもそも車谷の作ったのって藁人形だったか?と思って読み返してみたら、
やはり思った通り、藁人形じゃなくて紙を切り抜いて作った人形だった
>>223がいちばんのニワカだったのでした 笑 当方フツーの仕事してて未婚貧乏中年生活が長くなるのだが
結婚してるだとか平均生活水準みたいな人を羨ましい風にしてるほうが場の空気も和むし
ネタにしたり自虐したりでほどほどに楽しく折り合いをつけてる生きている。
結婚してお子さんもいて経済的にも困ってない・・みたいな人生だけど本当は全然幸せそうじゃなくて正直全く羨ましくないおばさまにかぎって、
こちらが幸せそうににヘラヘラしてると八つ当たりやいじわるをしてきて驚く事が多い。
セゾンで働いていて今風にいえば「非正規雇用の謎なおじさん」だった車谷もこういう環境にいて
そういう輩にいやな思いをして「愚痴死」なんて言葉を思いついたんじゃないかなーと思ったりする。
愚痴死ってことば、仏教用語風だけど新しくていいねw まあ、洞察力は有り余ってる人だから、そういうことがあったのは想像に難くないな
しかし人間の厭なところばかり見えて、つらかっただろうな
結婚でそれも和らいだのだろうか 帰化植物が起こす大きな問題は在来生物相の撹乱である。特に、前述のように海洋島ではその影響が著しく、
在来の植物を絶滅に追い込む要因にすらなる。このような判断は20世紀後半まではあまり意識されず、そのために安易に外来種が導入された事例が多々ある。
それ以外の地域では、多くの帰化植物は人為的な撹乱地にのみ生育するものが多いが、なかには在来の植生に食い込んで大繁殖する例も少なくはない。
セイタカアワダチソウのように他感作用で他の植物の生育を妨げるものや、ギンネムのように土壌を窒素過多にするものは植生の自然な遷移を妨害する。
大量に増えることそのものが人間生活に影響を与える例もある。日本では琵琶湖等でコカナダモが大繁殖し、
漁業などの妨げになった例もあるし、ホテイアオイやボタンウキクサは熱帯各地で運河などをせき止める被害を出している。
植物そのものが鋭い棘をもっていたり毒があったりするために被害をもたらす例もある 目新しい話ではないけれど
著名人のコメントがあまりにも見つからないのでペタっとしとく
ttp://www.hochi.co.jp/entertainment/20150519-OHT1T50000.html 遺稿集「蟲息山房から」をやっと入手して読んだ。
脳梗塞だったんだね、車谷は。
2011年1月に診断が出て自覚症状は
2010年秋から、と奥さんは書いてる。
無念だったろうな、車谷は。
巻末の脳と指のリハビリのための日記を
読んでたら、永井荷風の断腸亭日乗を思い出した。
「正午 浅草」しか書いてない晩年の荷風に似て、
「西瓜をこうて喰う」が連日続く日記の異様さ。
冥福を祈る。 >>233
お前「取らせてやりたかったよ、芥川賞。」とか阿呆なこと書いてたやつだろ
勝手な想像で知りもしない他人のことを忖度すんのやめたら
死んでせいせいしてるかもしんないじゃん 六代目山口組を痛烈に糾弾する武闘派ラッパーが現る
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/4649/1470640549/
511 名無番長 2016/09/29(木) 05:19:51.90 0
素人のガキがコソコソやってるような話ならまだわかるけど幸平の看板チラつかせたヤツがコレやって全然問題になんねーんだから色々終わり過ぎだわ 夫・車谷長吉 単行本 – 2017/5/12
高橋 順子 (著)
この世のみちづれとなって――
十一通の絵手紙をもらったのが最初だった。
直木賞受賞、強迫神経症、お遍路、不意の死別。
異色の私小説作家を支えぬいた詩人の回想。
【本文より】
長吉は二階の書斎で原稿を書き上げると、それを両手にもって階段を降りてきた。
「順子さん、原稿読んでください」とうれしそうな声をだして私の書斎をのぞく。
私は何をしていても手をやすめて、立ち上がる。食卓に新聞紙を敷き、
その上にワープロのインキの匂いのする原稿を載せて、読ませてもらう。
(中略)
それは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように
新聞紙を敷くことも、二十年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、
かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく、怖いような
生の時間だった。いまは至福の時間だったといえる。 (本文より) 深川図書館特殊部落
同和加配
人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 山形県立中央病院は、3年前に蓄のう症の手術をした県内の30代の女性が
手術中に誤って目の付近の筋を損傷し右目が自由に動かなくなったとして、
女性に970万円余りを支払うことで和解したと発表しました。
山形市の県立中央病院の発表によりますと、3年前の平成26年10月、
県内の30代の女性が蓄のう症の治療のため、副鼻くうの手術を受けた際、医師が器具の操作を誤り、
目の付近の筋を損傷する医療ミスがあったということです。
女性はその後、県外の病院で治療を続けましたが、右目が自由に動かなくなる障害が残ったということです 深川図書館特殊部落
同和加配
人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 まず贋世捨人読んだ。
時系列を考えると次何読んだらいいの? 蓮實重彦bot‏ @shigehikohasumi · 10月22日
車谷長吉なんていうポストモダンのエンターテイナーがなんでサッカーのことを書くのですか(笑)。「私は生まれつき運動神経が極端に鈍い」ってわざわざ書くまでもなく、
そんなことは彼の文章を一行読めば馬鹿にもわかる。 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
NQJ3X 江東区立深川図書館特殊
銅和加配
在目特券
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る 見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る 見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る 見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談 見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用
翌日、被害者を公務員が脅していた 十年くらい本を読んでなかったのでお亡くなりになってたの知らなかった。ショックだけど死に様は納得いくというか。
図書館で死んだ年の雑誌借りてきた。
近所なんでさっき駒込天祖神社改めて見てきたけど、やっぱあそこは東京育ちにもちょっと異質でコワイよねw好きそうww 第34回講談社エッセイ賞はこだまさんの「ここは、おしまいの地」(太田出版)と高橋順子さん(73)の「夫・車谷長吉」(文芸春秋 今日は氏の命日だ
草葉の陰から
ざまぁ見やがれ
って言ってそう 作家・車谷長吉さんが、誤嚥による窒息のため69歳で亡くなったのは、2015年のことだった。
稀代の小説家を看取ったのは妻で詩人の高橋順子さん。2人の出会いは29年前、車谷さんから突然届いた1枚の絵手紙に遡る。
「古風な出会いでした。絵手紙は毎月1通ずつ計11通届いたんですが、独り言のようなことが書いてあったりして、受け取るたび薄気味悪い気持ちでいました」
その後、紆余曲折を経て、1990年の大晦日に、初めて車谷さんと会った。
「ああいう絵手紙を寄こすのは、どういう人かなぁという興味で会ったんです。でも何にも喋らなくてやっぱり薄気味悪いな、と(笑)。ただ、喫茶店を出て表で見ると、とても綺麗な目をしている人だと思いました」
翌年、小説集を自費出版したいと相談を受け、2人は頻繁に会うようになる。93年、「生前の遺稿」として書いた『鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)』が2つの文学賞を受賞。その受賞エッセイには、愛の告白めいた言葉があった。
それを読んだ高橋さんは、この作品を最後に出家するつもりだった車谷さんに「この期におよんで、
あなたのことを好きになってしまいました」と手紙を書き、車谷さんは「こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」と答えた。
こうして遅い結婚をした2人だったが、高橋さんは、
「結婚生活は、それは楽しいこともありましたが、修行のようなものでしたね」
と言う。結婚から2年後に車谷さんが強迫神経症を発症、夫婦が共倒れする危険が常にあったからだ。 と言う。結婚から2年後に車谷さんが強迫神経症を発症、夫婦が共倒れする危険が常にあったからだ。
「でも不思議と、離婚しよう、と言う気にはなりませんでした。それを言ったら、あの人は絶対『はい、わかりました』と言うと思った。試そうとすら思いませんでしたし、あの人も一度も離婚を口にしませんでした」
低迷期から『赤目四十八瀧心中未遂』での直木賞受賞、ピースボートでの世界一周旅行やお遍路などについて書かれるが、その間、2人は片時も離れずにいた。
2人が最も大切にしたのは、原稿を互いに見せ合う時間だったという。
「そうしないと編集者に渡さない、儀式のような時間でした。車谷は命にかえても書きたいと思っていたし、私にとっても、詩を書くことはこの上ない喜びでした。
互いに一番大切なものを最初に読んでもらい、読ませてもらう。それは本当に幸せなことでした」
まさに「この世のみちづれ」として、2つの魂が深く交流した夫婦関係だった。
評者:「週刊文春」編集部 【本文より】
長吉は二階の書斎で原稿を書き上げると、それを両手にもって階段を降りてきた。
「順子さん、原稿読んでください」とうれしそうな声をだして私の書斎をのぞく。
私は何をしていても手をやすめて、立ち上がる。食卓に新聞紙を敷き、
その上にワープロのインキの匂いのする原稿を載せて、読ませてもらう。
(中略)
それは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように
新聞紙を敷くことも、二十年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、
かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく、怖いような
生の時間だった。いまは至福の時間だったといえる。 (本文より) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています