夏目漱石の『こころ』
不朽の名作にして純文学の頂点に立つ作品、夏目漱石の『こころ』について語りましょう
小学生向けの簡略化された「吾輩は猫である」を読んで読んだつもりなっている自称読書家のBBAがいた すっげえダルかった。一回挫折して最近読破した。もういいよ、わかったから早く終われよって感じ。猫は色々な所に警句みたいのが盛り込まれてて長いけど飽きなかったな。 「顔を合わせるたびに『申請しといたから』と言われるため、仕方なく承認しましたが…。上司の書き込みがウォールに出るたびに『いいね!』を押すのは疲れるし、
上司のドヤ顔が目に浮かんでうんざり。自分も以前のようにのびのびと発言できなくなったし、気づけばもう何カ月もログインしてません」(30代女性) お嬢さんは結局 私(先生)とKのどちらが好きだったのか 数珠玉を延々と数えるくだりが、妙に心に残ってる。うすら寒い気持ちになるんだよな。Kはあすなろ白書の頃の筒井道隆のイメージ。 >>15
先生のことに決まってるでしょ。
Kのことなんてただの変わり者としか思っていない。
男としてはOUT OF 眼中。 教科書に載ってるのって最後の手紙の一部だけだよね
あそこだけ読んで何もかも理解した気になってもらっちゃあ困る >>18
今も教科書に載ってるの?
俺の高校生の時(昭和63年度卒業)はもう教科書には載ってなくてプリントしたもの渡されて授業受けたな。
代わりに森鴎外の「舞姫」が教科書に載っていた。 今年さんざんやらされたよ
なんで友人の名が「K」なのかって訳のわかんない問題まで出た。 私の実家って何処なんですか?
本文には載ってなかったんですけど。 「先生」の奥さんと「私」の間に、微妙な空気感じたなぁ
勘ぐり過ぎかw >>22
大岡昌平だっけ、あの小説は先生の死後「私」が奥さんと結婚して書いた小説だ、と言っていたのは。 「私」は、奥さんの死を区切りに語り始めたんじゃないの。 寂しくって仕方が無い
つまり、自分も他人も信頼できなくなったからだよ こころを語るに足る知能の持ち主はここにはいないのか
残念
>>24 >>31 で一応語ってるよ ご意見などお聞かせください 見当違いの憶測を語りだと言うのなら
いくらでも語ってやらあ そうだなあ 読書経験の浅い高校生が、本文(教科書不掲載部分を含め)だけで分析的な読解ができる便利なテキストだからかな。
実写版キャスト
先生 堺雅人
K 高岡蒼甫
お嬢さん 宮崎あおい
奥さん 高畑淳子
>>39
高畑さんぴったりです!
「よござんす、さしあげましょう」のセリフが似合う女優さんは少ない。
堺雅人の先生も、若い頃から晩年までうまく雰囲気が重なり続けそう。
Kは二枚目過ぎてはいけないので、津田寛治あたりでいかがでしょう。
若い学生の「私」は向井理できまりかな。
お嬢さんの死後、縁者のない遺骨を預かる「私」。
先生の墓に遺骨を納め、祈りを捧げる後ろ姿、
カメラがパンしてその横顔は、老けメイクの向井理。
そこでタイトルバック始まる! 「こころ」
こんな感じですかね。
市川崑の『こころ』は名作。
先生(森雅之)がK(三橋達也)の死体を発見して、机の上の遺言の中身を確かめるところは背筋が寒くなる。 そうですね、叔母さんの一族がいるはずですから。
とはいえ、先生の言葉から疎遠気味なのは確か。
従兄弟の代になると、もう縁が切れているも同然だったりして。
では、「私どもよりもあなたが最初にご焼香を」と従兄弟が「私」に勧める。
そこで遺影に手を合わせる「私」。カメラがパンすると老け顔の向井理。
そこでタイトル 「こころ」
先生はどうやって自殺したと思いますか?
自分は何故か、崖から海へ入水したというイメージなんですが 静を悲しませないための3条件
@ 自殺と察知されない
A 自宅で死なない (「私がいながら」も「私が家を空けなければ」もだめ)
B 死体が損壊されない状態で見つかる
と考えると・・・ 1と2はともかく、3は難しくないかな
遺体が見つからないようにしない限り。学生の「私」がどうにかしたのか・・・?
そもそも学生の「私」が東京に着いた時には先生は亡くなっていたんだろうか 「私」が駆けつけると、先生は平然とお茶を飲んでいて、
「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」
と言った。 >>41
高畑さんは白い巨頭でのファビョり具合が最高だった >>51 雪国の里山を散策中に道に迷って頓死、とかいうなら全条件満たせるのですが、何しろ先生の死期は夏。
炬燵でCO中毒というのも同様に却下。
ボート釣りで転覆・・・先生は泳ぎが達者。
虎列剌・窒扶斯・・・なりたくてなれるもんじゃなし。
脳卒中・・・先生、酒はやめてたし。
あえて毒茸か青梅でも食べてみるしかないのでしょうか。
>>52「これを旨く拔いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して拔いてくれ」
あ、作者が別ですか。
カミソリが喉に刺さったまま、平然とお茶を飲むわけないか。 息子2人戦死、面目保てた…乃木大将の手紙発見
日露戦争(1904〜05)で中国・旅順を攻略した陸軍大将、乃木希典まれすけ(1849〜1912)の手紙が見つかり、入手した広島市の学校法人修道学園が8日発表した。
自刃する2年前、かつての部下に宛て、日露戦争で約6万人の死傷者を出すなど多大な犠牲を強いた責任を感じ、「弊家へいけハ小生共しょうせいとも一代いちだい」と乃木家を断絶させる決意をつづっている。
手紙は1910年7月6日の消印。陸軍時代の部下で、同学園の前身の修道中学校総理(理事長)だった佐藤正に宛てた。乃木も後に学習院院長となり、同じ教育者として交流を深めたという。
手紙では、広島の特産品をもらった礼をつづった後、戦争で跡継ぎの2人の息子を亡くした乃木に養子縁組を勧める佐藤に対し、「小生共一代」と跡継ぎのための養子は考えていないと記した。
また、天皇陛下や戦死した将兵の遺族に対し「申譯もうしわけナク」と謝罪し、息子2人の戦死は「愚父ノ面目ヲ添ヘタル」と、かえって面目を保てたとしている。
(2012年2月8日15時31分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120208-OYT1T00678.htm?from=navlp
殉死だ殉死! そんな時代だったんだなあ
「広島の特産品」って何だったんだろう >>27
こころ血潮(実践)⇔懐疑理性(理論)
だと思っている。
先生は「愛の高貴な理論化」だから静とはできない。孤独。
私とは遺書ではじめて心臓云々書く。
Kも以前は(漆の心臓)死ぬとき初めて血潮が見れる。
つまり、先生とKは死の瞬間にしか愛=こころのつなかりもてない。 >>58
概ね同意します。
ただ、Kが先生に見せつけた血潮は、すでにどす黒く粘って(まるで漆のように)いたように思われます。
己が恨みや嘆きを先生に突きつける一方で、その真情は全く語らない(当然遺書も素っ気ない)。
そのため先生はKを最後まで受容することができず、「よそよそしい頭文字」で呼び続けます。
しかし、先生は「温かく流れる血潮」を私に浴びせ、その真情を余すとこなく伝える。
その結果先生の死後も絶えない敬慕が生まれる。
そんなふうに考えていました。 >>59
概ね同意します。
K→先生→私、と反省されているのはその通りだと思う。
「受容することができず」ってとこもうちょい訊きたい。
先生とKの関係をどう捉えてます?
あと、私がなぜ『こころ』と呼ばれる文章を書いたのか。
どうお考えですか?
>>60
先生とKの間にいわゆる「心の交流」はないと考えています。
Kが自殺した際、先生は今後の運命をぼんやり危惧するだけで、悲しむことはありません。
保身が先に立ったというより、Kの喪失を惜しんでいないせいでしょう。
先生が自分の罪を明視するのは、己が死を意識してからです。
「私」が『こころ』を書いたのは、「真面目に人生そのものから生きた教訓を得たい」と願う人が、自分の他にもいると考えたから。
ただし、先生が「記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたい」と望んだ静の死を待って、「私」は語り始めます。 >>61
遅れましてすみません。あなたの読み方は全く正しいと思います。
しかしその上で書いておきたいこともある。
先生は「Kの喪失を惜しんでいない」訳ではないと思われます。
それにしては、@死ぬ前に誰かに伝えたいという「自己のため」、
A人生の教訓を与えるという「私のため」を越えた鬼気迫る「こころ」がある。
(「私」の文章はそれに比べると「観照的」といえるほどに。
実際「私」は父という身近な人の死に際しても、あるいは父と先生の死後に記した文章でもほとんど揺らいでいない)
先生は「よそよそしい頭文字」を使わざるをえなかったのではないでしょうか。
実際によそよそしく思っていることと、よそよそしくしか書けないことは別だと思うのです。
我々が『こころ』を読むときにあまりに「観照的」ではないかと素朴に思ってしまいます。私個人として。
(長くなったのでで『こころ』が書かれた理由は割愛します。すみません。) ご教示ありがとうございます。
「Kの喪失を惜しんでいない」は確かに的外れですね。
先生にとってKとは「宿痾」・「厄難」のような物だったのでしょうか。
晩年の先生は「人間の罪」を見つめます。Kは罪の象徴。
では罪とは。「嫉妬」や「虚言」よりは「浅慮」と「傲り」ではないかと考えています。
軽はずみな親切心や、意識しないほどの優越感が、先生とKの悲劇の源。
漱石はなぜ友人のイニシャルに「K」を選んだのか。
恐らく「荊」のメタファでしょう。
先生の心に植え付けられた荊は、年月とともに繁茂してゆきます。
やがて荊冠が頭を締め付け、荊垣が心を閉じ込めていく。
眠り姫よろしく荊城にとらわれた先生は、死に向かわざるを得ない。
よろしくご意見をお聞かせください。 俺的には漱石の中では「こころ」が一番の名作なんだが。 KはKYのK
先生とお嬢さんの間に勝手に割り込んできやがって
しまいには、先生への当てつけのように自殺してしまうとは
だからKなんて名前で呼ばれるんだよ
本当に頭に来る奴だわ
こんな奴のために悩まされる先生が可哀相だな 一つ屋根の下に若い女一人と若い男が二人。
こうなること先生は予想できなかったのかね? この先生って酷い人間だよね。たった一人の親友を陥れて。
女の腐った奴みたい。お嬢さんとKがカルタやる時の
嫉妬メラメラさせるところが怖すぎるわ
どっちかっていうと、Kはお嬢さんよりも奥さんのほうが
好きそうというか似合いそうだと思ったけどどうだろう
集英社版の解説で、女(有名人らしいが)の感想が酷過ぎた。
>>70の感想と似てるが。 どう感じてどう思ったかは読んだ人の自由だけど、この夏目漱石の文章を読んで、Kは邪魔もの、親友裏切る先生は最低、ってそれだけで片付けられるのは悲しい。
上手く言えないけど、この物語の"何か"をわかってほしい。 「恋は罪悪ですよ」
結局、これに尽きると思うがな。 先生はさー、体を動かすバイトとかすればよかったと思う 先生の叔父も、当初は親切心で実家を引き受けたのかもしれません。
しかし、「世話をしてやっているのだ」「若いのだから丸め込めるはず」といった傲りや慢心が、彼を欲の途へと駆り立てました。
先生もKに対し全く同じ失敗を繰り返す。
『こころ』とは弱い心を持つ「人」の罪深さを描いた作品だと思います。
しかし先生の真情を受け継いだ「私」は、その事実を客観的に受け止め、
先生と「人」を許容する。
『こころ』からは、そんな「人」の靱さも読み取れます。 結構立派な先生が、こころは同性愛として結論づける人がいて
気分悪かったのを覚えている。
お互いの過度のもたれあいに全く無いわけではないと思うけど。
でももっと人の持ちうる善性をより追求しているうちに、悪性も自身にも
人にも先生にも、あることをあまりに軽んじてしまった時からKは病んでいたと思う
それにしても何年か前にみた、こころのアニメは酷かったことを付け加えておく。 「我輩は猫である」「坊ちゃん」等、青空文庫の名作が無料で読める
iphone対応アプリ sReader Lite (無料)
http://itunes.apple.com/jp/app/sreader-lite/id492514436 高校で読まされた時には何にも感じなかったのに、大人になって読んだら苦しくなった。
こんな心理があることをよく的確に描けるなあと思った。
しかも、感情的じゃなく、淡々と書いてるんだよね 「こころ」を学んだとき、Kになることはあっても先生になることはないだろうと思っていた。
まもなくKの立場を経験し、長じて先生と似た失敗をやらかした。
(別に恋愛のもつれとかではない。ちょっとした虚栄心と同情から引き受けた問題が深刻化した)
その頃は自分の罪に手足を縛され、何事にも興味関心の持てない状態となったが、
数年も経つと罪悪感は薄れ、なんとなく立ち直ってしまった。恐らく防衛機制が働いたのだろう。
先生は自分の罪を一生正視し続けた。
その意志の強さは敬服に値する。