夏目漱石の『こころ』
不朽の名作にして純文学の頂点に立つ作品、夏目漱石の『こころ』について語りましょう
>>83
>先生は自分の罪を一生正視し続けた。
だったらお嬢さんと結婚してなかったろうなw Kを自殺させてしまったから自分だけ幸せになることはできない、じゃなく
Kを自殺させてしまった上にお嬢さんとの婚約破棄なんて罪の上塗りだ、って思考になったんじゃない?
私もショックな事があって自責の念に駆られた時、自分について決まっている事を変えるのはいけない事だと思い込んで斜め上の判断をして
より悪い方へ進んだことがある。
積極的行動が出来なくなるというか。 先生の場合、むしろお嬢さんと結婚したことによって罪を正視しつづけような気がする。
本当に無責任だったら問題の元になった女も何もかも放り出して出奔しそう。
今に比べたら精神的にも潔癖だったから学生の頃はわかったような気でいたが。
年取ってみると、なぜKが自殺したのか理屈では自身に潔癖で友の裏切りと
自分自身に絶望して・・・などなど理由を思い浮かべてみることは出来るんだが、
肌ではわからない。鬱病だったんだろうとぼんやり思う。これが年を取ったということだろうか
Kという人間は自分とはかけ離れた人物なんだな。 Kも真面目過ぎるよね。
先生が裏切った時、自殺するんじゃなくて「裏切りやがったなこの野郎!」と怒る方向に行けば良かったのに。
つーか先生も、Kに打ち明けられた時、「俺もお嬢さん好きなんだ」と言えば良かったのに。
この二人、ちゃんと向き合って衝突してないよね。 殴りあったり罵りあったりするのも無様でみっともないって思っちゃったのかな
他の友達にお互い悪口言い合うようなことも無いくらい閉塞した関係だよね。
先生は世話してやるみたいにKにいつも兄か教師みたいな上からの態度で、
KはKで泰然自若としているけど、その関係が崩れることがそんなにも致命的になることだろうか この作品について語られる場合、なんでもかんでもKKって流れになるのは教科書にその部分しか載ってないから? 教科書はどこの部分か知らないが、自分とこの学校は選択現国取った奴は丸々全部やったぞ。
エスカレーター式の学校だから受験勉強入れない分、内容を掘り下げる授業形式だった。
二週間で全部読んで週明けの授業で各章ごとに要約と全体の感想文は原稿用紙2枚以上。発表あり
発表は年に二回回ってくる。ちなみに自分は芥川の或る阿呆の一生と谷崎の細雪が発表
2週間に一冊づつこの手の文豪と呼ばれる本読んだな。 >>90
やっぱりそこがクライマックスだからでは?
先生の人生を決定的にした部分だし。
私も、大人になって全部読んだときにもKのところが一番しんどかったしいろいろ考えたし印象に残った。
Kがもっと明るくて柔軟で、先生に気楽にいろいろ言える人だったら違ってたのにね。
でもそうだったらそもそも先生と仲良くなってないか(というか仲良かったのだろうか?この二人) うちなんて中学と高校で二回もやった気がする。
Kの自殺の箇所だよね。 こころは友情の裏切りという学生にはわかりやすい心境を扱っているからなあ
選択国語でこころも全編やった91だが、
最初授業が始まった金色夜叉やたけくらべの読みにくいこと共感しにくいこと
最後の方のプロレタリア文学の領域の蟹工船や夏の花などの暗いこと救いがなことといったら
こころはその中でも、他人の葛藤や覚悟の程を垣間見えたのは若い頃心に残った
ただ最期の明治の精神に殉じた。というきっかけはぴんと来なかった 教科書でKのあたりだけ読まされても、その前の伯父さんに裏切られた前提を読んでないとほんとの意味が分かんないよね。
明治の精神に殉じたというのは、その時代の人じゃないと分からないのかな。
私は、「ちょうど良いきっかけが出来た」くらいにしか想像出来なかった。 夏目漱石の「坊っちゃん」は、これだから田舎はいやなんだ! ケッ!と田舎をバカにした小説である
精神を病んでいたところに、正岡子規から田舎で教師をやってみないか、と誘われて行ったものの
道後温泉に行ったとか、そば屋で食ったらおいしかったので何杯もおかわりしたら、その一部始終を
必ず誰かに見られており、「田舎にはプライバシーというものがないのかよ!」と激怒
そのうらみつらみを元ネタに、小説に書いたもの
ところが、1977年に中村雅俊主演の映画「坊っちゃん」が公開された
原作とはストーリーが違い、型破りな教師と田舎の純朴な生徒たちとのふれあい、とさわやかな内容に改変されており
これが大ヒット、松山・道後温泉ブームが起き、地元もこれに乗った形となった
伊予鉄の路面電車などは、「マッチ箱のようだ。乗ったと思ったら、もう終点。どうりできっぷが安いはずだ。」と
けなされているにもかかわらず、その「坊っちゃん列車」を忠実に再現(笑)
そうなんだよね、明治の精神というか時代に殉じるなんて今では多分そんな人いない。
だから先生を含めて何かに殉じるという気持ちがわからないのがもどかしかった覚えはある。
だから結局あの時代の生の空気を知っていないと読み違えることあるんだろうなと思う お嬢さんを巡っての先生とKの葛藤があれだけ繰り広げられた一方で、肝心のお嬢さんの意思が完全スルーだったのが何か気持ち悪かった。
きもいって意味じゃなく、違和感とか納得行かないみたいな意味で。
物みたいな扱いだよね。本人も何を思っているのか(何も疑問に思っていないのか)全くわからない。
それもあの時代は普通の事だったのかな。 奥さんの、よござんす。差し上げましょうで嫁入り先決定だからなあ。
ただ母親だからどこかで娘の意も汲んで選択した気もする。
そもそも婿候補として書生に招いた気がするしKは行き先無くて元々先生が世話した
いきさつだったと思うから、最初からどこか恵まれない人で眼中にも無かったような お嬢さんと奥さんは元々先生が良いと思ってると私は思ったけどな
Kは女受けしないもの
もっといえば家族を他人を支えるような余裕がどこにも感じられない
奥さんは最初ないし早くから先生を婿候補に見ていたと思うよ。
お嬢さんの真意は明確でないが、結婚後の様子を見るに先生よりだったようには見える。 先生は、自分の友人を死に追いやったあげく、それを精神的自己ストレスの
理由にして、仕事もせずにぶらぶらし、略奪で手に入れた奥さんを勝手に
見放す、誠に勝手な人間なのです。いわば、「人間のクズ」の見本のような
人と言えるでしょう。 奥さんがお嬢さんの意思なしに認めるわけがないとか言ってただろ
先生との結婚は完全に自分の意思 お嬢さんは草食系な先生の当て馬にKを選んだだけで、Kのことなんて全然
好きではなかったと思う。
彼氏の相談をさんざん男友達にしといて、いざ男が「俺にしとけよ!」って
熱くなったら「そんなつもりじゃなかったのに…」って男二人の間で悲劇の
ヒロインぶるようなタイプ。
お嬢さんにはKは単なる当て馬でしかないから死んだことも何とも思ってい
なくて、先生に「この私はあなたを選んであげたのに一体何が不満なのよ?」
とか思ってそう。
逆に先生は自分のしでかした罪を背負うためにお嬢さんと結婚したけれど、
恋の熱がとれてくると親友を裏切ってまで欲しかったお嬢さんがこんな女
だったのかと静かに絶望。
と家庭板に毒された自分がゲスパーしてみる。 奥さんの下宿はモーツァルトにおけるウェーバー家を思い出す。 >>107
自分もそうだとは思う。
けれども下宿で二人きりできゃっきゃしたりお嬢さんとKの怪しい描写が描かれすぎている印象がある。
お嬢さんの無邪気さに起因するにしても、二人でコソコソしている理由がわからない。 >>108
モーツァルトはアロイジア・ウェーバーに振られて妹のコンスタンツェ・ウェーバーと結婚したからな。
下宿屋の母親の策略もあったでしょうね。 >>46
先生の自殺方法って、なんとなく布団の中で睡眠薬か青酸カリ使って
きれいに死んでいそう
首吊りやリスカだと、静に強いショック与えるし Kは布団の中で、頚動脈切りだっけ。
同じ方法をとりそう。
失敗もしそう。 >>114
先生は私宛の告白で「静に残酷な衝撃を与えたくない」みたいな事を
書いていたはず
だから自死の方法も見た目がきれいな薬物だと思う 私は、先生はどこか人目につかない遠いところで静かにいなくなった印象があったな。
デスノートのナオミの最期みたいに 先生の「あなたは腹の底から真面目ですか。」という質問に対して
「私」が言った「私の命が真面目なものなら、今言った事も真面目です。」って答えになってない気がするけど、どうなんだ。
余裕のないこのセリフ自体に「私」の真面目さが出ているから、先生は話すことを決心したんだろうか。
ずっと気になってたけど特に解説してくれる本も人もいないので、いまだに引っかかってる。 最初に読んだとき、Kがイニシャルで書かれているのが、
なんとなく気味悪かったのを覚えている。
自殺するという展開があったから、よけいに印象に残ったのかもしれないが・・・
「こころ」は明治版上流階級のゲイ物語ですよね。映画「ブロークバックマウンテン」は現代版ガテン男のゲイ物語。ホモ物語も読み比べ、見比べすると面白いですね。
「こころ」を現代版に書き換えるとどんな感じになるのだろう ...脈々と受け継がれ現在ではラノベと呼ばれている。 ・最初に出てくる外人の裸が気になる描写
・話したこともないオッサンに出会えないかと、毎日浜辺に出かけていたところ
生々しい描写が許されない時代だったけれども、それにしても、ゲイが気になる男に接近していく努力の過程を上手く表現出来ていると思います。
先生と私には同性愛的要素は感じません
むしろ、若かりし頃の先生のKに対する仕打ちに歪んだ愛情を感じます 「こころ」を同性愛小説として認めない人たちは、どの人も私と先生が海岸で出会い、私がしつこく海岸で待ち伏せしたときの状況や心境を上手く説明しないし、見事にスルーしている 同性愛小説だと思ってるけど、
フンドシ爺さんと「私」じゃ萌えねーんだよ
老け専うぜー!!!
あれは先生(若)とKさんの同性愛小説だ どう読もうと自由。
ホモにはホモの世界がある。
ホモの脳内のことだ。
だれも否定はできまい。 途中までしか読んでなくてごめん
先生って何歳? 明確な歳の描写って出てくるの? >>135
いちおう
ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/2694790.html 本質をわからない愚物は、なんでも同性愛に結びつけるんだよね。
前半の私と先生の物語のが共感できて楽しかった
遺書編はひたすら退屈、糞 >>128
男性を好奇の目でみる=ホモとしか考えられないのかよ…
ホモは思考が狭すぎるな 200枚以上の遺書を感銘深く読ませてしまうのが作品の肝 たしかにw
アレって一応遺書なんだよな、忘れてたわ。 >>142
レズの大量殺人者だろ。
ひたすら機械のように日本国民を殺す、アカい殺人マシーンな。
賠償金は、キチガイ殺人外道全員の命と資産だ。朝日新聞社などは当然消滅だ。
今さら泣きを入れたって遅いんだよ。こいつの仲間友達同胞はすべて消去だ。人間の形をした殺人生物だからな。 続編が読みたい
続明暗みたいに誰か書いてくれないかな 完結した作品に続編は不要です。
先生が死に、奥さんも死んだ時点でこの作品の世界は閉じるのです。 続編は読者がそれぞれ想像して楽しむものだ。
誰かが書いたとしても、私はそれを一意見としてしか取れない。
>>150
続編って何書くの?
先生の死後の「私」の人生?
それって意味あるの??
先生は生きていた!
アイルビーバック!!!!!!!!!!!!
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先生とKが房総半島を旅行した場面は、カモフラージュでお嬢さんを好きになっているフリをしているけど、「やっぱりお前が好きなんだ」と、ゲイ同士が熱い愛を確かめ合ったシーンだと思う。 先生はともかくどういう解釈したらKまでホモになるんだよ
Kがホモかどうか察せる描写なんて皆無だったろ 先生は嫁に冷たすぎる。
死んでしまったKをずっと想い続けているのである。 >>160
だって先生がお嬢さんに結婚申し込んだのはお嬢さんが好きなんじゃなくて
Kがお嬢さんに心惹かれて、Kが自分から離れて行くという嫉妬に駆られてだもの
先生が本当に愛していたのはK
先生はヤンデレ
なんかさぁ…ホモだのヤンデレだの、今の尺度で考えすぎじゃないか?
別に否定はしないが、なんでもかんでもそれらに当てはめるのは如何なものかと >>162
そういう言葉が無かっただけで、「ヤンデレ」という概念自体は大昔からあったと思うけど >>162
お前アホだろwww
ホモ文化は昔日の方が隆盛を極めていたぞwww 下宿してお嬢さんに出会うまではKは先生に精神的に依存していた。
しかし、お嬢さんと出会う事によりKは変わっていく。もはや先生を頼りとする必要も無い。
「K…、お前の…お前の大切なものを奪ってやる…!」 K「き、貴様が娘付きの下宿に住んでるのは偽装だったというのか・・・」
先生「な・・・なにを根拠に・・・あっ」
K「チュッ!」
先生「アッー!」
K「俺と貴様を隔てるものは・・・」
先生「襖一枚だけさ・・・」
K「心の中の襖も取り払ってしまえばいい!」
先生「はぅ...お、お嬢さんが...お嬢さんが見てる...><///」 勃起したwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>159
先生がKに執着するとなんでKがホモってことになるんだよ >>168
159だけど155とは別人だよ
なんでKがホモなんだってレスに対して
Kがホモなんじゃなくて、先生がKに執着(限りなく同性愛に近い感情)していた、
って意味で書いた
っ >>169
先生がホモという解釈は一応認めた上で>>155のゲイ“同士”に対して
> Kがホモかどうか察せる描写なんて皆無だったろ
と反論した
そこにお前が「いや先生はホモだ」とズレたレスしてきたわけ
俺は>>155にKはホモじゃねーだろと言っただけで先生のことなんぞ聞いてない 私はその人を常に兄貴と呼んでいた。だからここでもただ兄貴と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚からない遠慮知らずというよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「兄貴」といいたくなる。竿を握っても心持は同じ事である。
よそよそしい避妊具などはとても使う気にならない。 >>166
先生が受け入れる方なの?ww
私の中のKさんはもっと儚げで積極的にガンガン攻めるイメージじゃないんだが 忘れられない! 国語の教科書のあの話
国語の教科書で、出会ったたくさんの作品。
誰にでも、忘れられない想い出のストーリーがひとつはあるのではないでしょうか。
今回は、社会人300人に、「国語の教科書に載っていて、最も印象に残っている話」を調査。多感な少年少女の心をとらえた作品について聞いてみました。
Q .国語の教科書に載っていて、最も印象に残っている話を教えてください。
■「こころ」
・教科書に載っていたKとの部分が、授業で扱うにはセンセーショナルだなと感じたことを覚えている。続きが読みたくて、図書館で借りて一気に読んだ。 (24歳/女性/運輸・倉庫)
・「恋は罪悪」とか、「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」とか、登場人物が話す独特な言葉を、友人とよくまねをした。(25歳/女性/金融・証券)
http://student.mynavi.jp/freshers/column/2012/09/post_225.html >>176
>・「恋は罪悪」とか、「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」とか、登場人物が話す独特な言葉を、友人とよくまねをした。(25歳/女性/金融・証券)
これは、ほほえましいwwww >>166
ワロタwwwwwwwwwwwwwwwww 映像化結構されてんのな。
今日朝からBSの日本映画チャンネルが無料だったんで何となく番組表みてたら
1955年作成の「こころ」やっててついつい見てしまった。
スレチだけどモノクロ映画を最初から最後まで見たのは初だな。
内容に関しては言うまでもあるまい。 かんけーないからぁ〜、あ〜、かんけーないからーっ! >>157
Kはノンケ
先生はバイセクシャル(ホモ寄り)
ちなみにこんな感じ
お嬢さん
↓ ↑
先生→K
冒頭の海岸のシーンに出てくる外人は、どこで尻会ったのだろう。
一夜の火遊びだったにちがいない