「こころ」を学んだとき、Kになることはあっても先生になることはないだろうと思っていた。

まもなくKの立場を経験し、長じて先生と似た失敗をやらかした。
(別に恋愛のもつれとかではない。ちょっとした虚栄心と同情から引き受けた問題が深刻化した)
その頃は自分の罪に手足を縛され、何事にも興味関心の持てない状態となったが、
数年も経つと罪悪感は薄れ、なんとなく立ち直ってしまった。恐らく防衛機制が働いたのだろう。

先生は自分の罪を一生正視し続けた。
その意志の強さは敬服に値する。