【ものぐさ】岸田秀【精神分析】
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アメリカ相手に今やばいことになってんですけど、どうしたらいいですか?
と聞いたら、解決策なんかわかるか!と言われそうだ。
最近新刊でないが健在なんだろうか?
年取っても劣化せずに数年前までいろいろ出してたのに。 >>4
この先生は学者気質が強いというか、分析するのが俺の仕事だ、
みたいに割り切ってるとこがあると思ったので。 この人絶対に学者気質が強いはずがない。
その正反対の漫談家、エッセイストの類でしょ。
愛読者ならわかるはずだが。 言いたかったのは、この人のセルフイメージはあくまでも分析家であって、
実践家じゃないってこと。ほいほいテレビに出て、あーすべき、こーすべき
言うような似非学者じゃないってこと。 この人の本は面白いんだけど、分析のための分析のようなとこがある。
よく使うフレーズが、「かといってどうすればいいかはわからないのだが」だもんな。
知行合一の立場からすると随分批判があるんじゃないの。
俺は好きなんだけどさ。 一人で書いててスマソだけど、この人は徹底的に分析
することで母親の支配欲から自由になれたわけだから、
分析のための分析も悪くないのかも、とも思った。 東京電力や原子力保安院や民主党、菅直人をこき降ろす文章書いてくれ。 社会科学ってのは自然科学とちがって、
経済学にしたところで現実には殆ど役に立たないじゃん 人文科学って「だから何?」
ってのが多いよなw
ほとんど趣味の世界w それは、日本の学者の本しか読んでないからそう思うんじゃね? 一度でいいから講演を見たかった。ていうか本人生で見たい。 和光大学のすぐ近くに住んでるから、何か親近感あるんだよね。
同じ鶴川駅で乗り降りして同じ風景を見てたんだなあって。 職場に和光大学OBがいたのだが、
その人が絵を描くのが好きで、芸術学科出身だったが、岸田秀の話をしたら通じたな。
岸田秀って和光大学では学科が違っても有名教授なんだなとおもった。 そりゃそうだろw
和光にはそんなもん多分岸田秀しかいねーだろ 今月のユリイカに、岸田秀、寄稿してるね。
和光のキャンパスで何回か会ったけど、こちらが岸田の唯言論を使って、いろんなことを組み立てても、
「それも幻想かもしれないね」
と見事に全部かわされた。あの頭の回転の速さは天才的。
岸田理論に詳しい人に質問。
最近になって岸田理論を知って、性本能が壊れてるってマジか!?と驚いたんだが、
フロイトを読み返すと、あらゆる人間の行為には性本能があるっていっていて、
正直なところ「どっちなんじゃい!!」と混乱してるんだが、どっちなの? >>23
性のエネルギーは残っているがその発現形態が壊れてる。
だからそのエネルギーを芸術で発散することもできるし、
変態行為でも発散することができる。
みたいなことだったような希ガス。
その辺りの話は伊丹十三との対談本が面白かった。
性のエネルギーは残っているがその発現形態が壊れてる。
あぁ、根本的にわかってなかった。リビドーと本能を一緒にしてたわ。
性のリビドー事態はあるんだけど、その本能(行動規範)が何らかの理由(諸説あってややこしい)で壊れたと、なるほど。
じゃあ人間の子供を生まれたまま、隔離して成人になってエロ本見せても、勃起はしないと。
「女」の裸が如何に素晴らしいものであるかを教育して初めて勃起するようになるってことでいいのか?
上記の子供を、生まれた時から「靴」に喚起を促すように教育したら、靴に勃起するようになるかもいれない。
面白いな、じゃあ性のリビドーを誘発するものは自我からきてるんだとしたら、オカマはどうなるんだろう?
「男」の体を持って生まれて親から「男」として育てられて「女」に興味を持つように教育されても「男」に性的なものを
感じてしまうのはなんでだ? これは本能(行動規範)が壊れているから、説明はつくけど、親から「お前は男なんだ」と教育された
(親の自我をとりいれた)にもかかわらず、「女」という性別を選んでしまうってのはなんでなんだろう?
もうそれは本人が選びとったからとしか言えないのかな(でも本人は自分から選びとったなんて思っていないわけで・・・)
つづく
もっとこの問題につっこめば、「ものぐさ性愛論」で岸田が「唯言論だって、たとえば性同一性を決定する遺伝子が発見されたりすれば、覆されます」って言ってるわけ。
デイヴィッド・ライマーみたいに、子供のとき割愛に失敗して、親から知らされず強制的に「女」として育てられて、それでもなんか自分は「女」じゃないなぁーってのは、
つまりデイヴィッド・ライマー自身がそれを選びとったとしても(本当に親から男なんだという事実を知らされていないのなら)やっぱり偶然にも程があるとしかいえんが。
もし性同一性に遺伝子が関係してるんなら、「唯言論」やばいんじゃないの。俺遺伝子について全然知らないから
遺伝子に詳しい人教えて。 性的唯幻論・・童貞のときは読んでて実感分からなかったが、はじめてセックスして、こういうことだったのか!ってよく分かった気がする。 熱い議論をしたいと思ってのぞいたが、
岸田秀って読んでる人いないのかね・・・・ 妄想ならつじつまが合ってない部分がないといけないわけだから、
岸田理論のどこらへんが矛盾してるのか、ちゃんと指摘しないと話にならないぞ・・・。 つじつまが合ってる妄想というのも充分ありうると思うが。
おまえらがごちゃごちゃ言ってることこそ、ただの幻である。 つじつまが合ってる妄想
つじつまが合ってない正論
どっちがいい・・・? 妄想に対置させるなら「事実」でしょう。
正論かつ妄想というのもあると思うよ この国の戦前戦中の発狂ぶりとその要因を、ここまで明快に示してくれた論は無い
唯幻論が真理かどうかは知らんが、唯幻論の視点で見ると理解できる事柄は多い >>37
岸田秀的に言えば、事実とかいうのも観念で作られた疑似現実の産物にすぎないってたぶん言うだろうな・・・。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識していないのなら、
妄想を持ってないと言い張る正常な人間も妄想患者になる。ただ疑似現実に適応する妄想をもってるというだけで。
妄想って岸田理論にしたがえば貶し言葉にならないよ。むしろ褒め言葉。人間70億人総妄想患者なんだから。
をを、こんなスレがあったとは。
ずいぶん前に会いにいったなあ。「ものぐさ精神分析 ― 二番煎じ」の初版本にサインもらった。 >>40
いや、だからデタラメって言うのはいいけど、どこらへんがデタラメなのか具体的に言ってくれないと
議論にならないんだって・・・(このスレッドで岸田秀を批判する人は貶してるだけで、批判内容が全然見えてこないから盛り上がらないんだよ) 議論のための議論に時間をさける人はそうはいない
本当に忙しい世の中だわ 特権階級になりてえ ドリーさんみたいな真面目な書き込みあるとうれしいな
講演とかトークショーやってほしいな、岸田先生に
いまどんな考えで日々を生きているのか知りたい 岸田先生の性欲論、男にとって女はモノだから女の方から求めてくると男は萎えてしまうっていうくだりは興奮しない? >>44
議論のための議論?
唯言論の致命的な弱点としては上述したテーマ、けっこう面白いと思うけど。
白黒つけれそうな問題なので堂々巡りにもならないと思うが、みんな興味ないのかねー。
岸田っちの唯言論は性別に『女らしさ』と『男らしさ』みたいなもんは
元々備わってなくて教育で植えつけられるって言ってるのよ(あと本人の好み)
となるとデイヴィッド・ライマーみたいな事例はどうなるんだってことになる。
男として教育さられても、自分の選択で『女らしさ』を選んでしまう。
唯言論でいえば、こういう人をオカマやオナベにカテゴライズするんだけど、
デイヴィッド・ライマーの場合は実際『女』だったんだけど本人は知らなかったらしく、
それでも『女らしさ』を選んでしまった。これは唯言論的にどう説明するんだろうって話。
岸田秀の著作は何十冊と読んでるけど、デイヴィッド・ライマーのことを言及しているところがないんだよね…。
あーもうひとりごとみたいになってきたんでやめるけど、唯幻論大好きなのに
この問題だけ引っかかってむしゃくしゃするわ。
岸田秀に直接会って訊きたい。
>>ドリー
えらく熱心なようだけど、
いい加減こういうまがいものは卒業したほうがいいぞ。
ほんと、時間の無駄。 >>49
上でも言ったが、精神分析なんてインチキなのは大前提として当たり前なのよ。
だから唯幻論に対してまがいものってのは批判になんないわけ。『まがいもの』とか
『デタラメ』とかそんな誰でも言えるような月並みな貶し方をされても、つまんないのよ。
貶したいなら、唯幻論じゃ説明できない現象を提示したうえでやってくれ。
じゃないとスレが盛り上がらねぇ。 出鱈目なのがわかっていてのめり込むって、
意味わからん…
池沼でつか…?w >>51
精神分析なんて、実態のないものに名称や概念をつけてるだけなんだから。
デタラメだから何でも言いたい放題。安心できればいんだよ。宗教と同じ。
ただ、あらゆる現象を考察してそれに応じて累積されたものが精神分析なので、
他の価値観を否定して、見たくないものに蓋をしちゃう宗教よりかはなんぼかマシってこと。
くだらん本に入れ込んでないで、
もっと現実に向き合ったほうがいいなw >>53
そのくだらん本のスレッドを覗くお前はなんなのかw
ドリーさん、がんばれ
岸田先生に会うオフ会とかないかなー >>54
ときどき
おまえのような阿呆をからかいたくなってなw
岸田は物質でないものは全て幻想だと言い張っているだけ。
典型的な唯物論を唯幻論と称している。
そんなことだから海外の精神分析学者や思想家からは全く相手にされず、
日本の無知蒙昧な民を相手に商売することしかできない。 >>52
精神分析といえば、日本では精神病の治療方法というのが一般的だが、アメリカでは
商品開発や社会統制に使われるような実践的な学問。妄想とか机上の空論なんかじゃない。
と言うことをようつべの「自我の世紀」を見て知ったです。
日本ではアメリカでさんざん実験された結果を活用して社会統制してるんでしょう。 >>58
プラグマティズムな。
岸田と伊丹の対談で、伊丹が「アメリカの精神分析はプラグマティズムでしかなくてね。
あんなにつまらんものはないですよ」と言ってたな。
というか、そういう実践的だの商売に使えるだの、
これ自体アメリカが抱える共同幻想ともいえるがね。 >>57
ちなみにアメリカの大学に長くいて、アメリカでも評価が高い柄谷行人いわく、
アメリカではユングあたりはトンデモというかオカルト扱いで、
学者の間ではまともに取り合っていないとか。 岸田先生はもう生きてる間に何か出版や講演は予定にないのかな? >>57
欧米の国家基盤を揺るがすことばっかり言ってるんだから
どんなに優れた思想でも受け入れられ難いだけだ
インディアンの虐殺を隠蔽しなければならない故の反復脅迫としての侵略戦争だの
白人は黒人のアルビノでアフリカで差別されて寒冷地へ追いやられたことによる
劣等感と恨みが近代の有色人種差別と文明発展の動機なんて
たとえ事実だとしても反感を買うだけだろう
吉本隆明の岸田論がFA。
論旨が粗っぽいし、突っ込み所満載で論破する自信もあるが、
日本の学者には珍しく海外の借り物でなく、
自分の頭で考えた独創性があって面白い。
岸田も吉本の追悼コメントで、これを嬉しそうに回想していた。 人生の貴重な時間を
岸田なんかのゴミ本読んで潰すのは
実にもったいないなw
>>67
学者でも臨床医でもなく、あくまでフロイトをネタにして、
面白いことを書くエッセイストだからさ。
学歴ガーとか言うのも野暮。
伊丹さんみたく岸田本を真に受けて、
原書で精神分析関連の本を読みまくって勉強して、
学者と対談したりする人もいるけどね。
吉本は、伊丹の行動を笑っていたな。
小説家も芸能人も変に真面目に勉強するとつまらなくなるとさ。
実も蓋もないことを平気で言うのが吉本らしいが。 自分は最近絵を初めて、日本の画壇というものも少し詳しくなったが、
絵を売ってそれだけで食えるのは一握り。
だからたいていは美大教授や絵画教室や原稿書きで食ってる。
それで、みなさん箔をつけるために海外留学のことをプロフィールに書く。
国費で研究員派遣、留学、遊学、渡欧、卒業、まあいろんな書き方だが。
ただ、イタリアあたりに行って美術館を見たくらいでも、
渡欧なんて大げさに書き込む。
岸田のいた大学教員の世界も似たようなものなんだろうな。 今NHKで、ギリシャ文明についてやってます。
最初はアフリカ、アジア文明を引き継いでいることが自明だったわけですが、
嘘と捏造により、白い文明にすり替えされていく過程が、最新の調査によって
語られています。
凄いです。岸田氏の、「嘘だらけのヨーロッパ史」の内容にほぼ沿った内容です。
大理石のまっしろな彫像たちは、本当は極彩色だった、それを大英博物館で真っ白に洗浄していた、等。
驚愕の事実です。ナビゲーターの男優が、まさしくはまり役で、鬼気迫る演技と語りで
いかに事実が捻じ曲げられていったかを追ってくれます。面白かった。
そして番組終了直後のニュースで、原子炉の再稼動が報道されました。
嘘と捏造の塊のギリシャ文明を告発した直後にこのニュース、これは偶然でしょうか? 大英博物館で彫像の洗浄を指揮したイギリス人の言葉、「もっと白く」が
とても印象に残りました。彼は世界を白く染めたかったのでしょう。
白色にこだわる彼らの気持ちは私たちには理解不能ですが、バナールや岸田秀氏の思考の補助線によって
彼らの気持ちが理解可能になります。
エジプトへの出稼ぎ傭兵として、当時貧しかったギリシャ人がエジプトを訪れ、
その巨大な文明に驚き、それをギリシャに持ち帰ったという説は、面白かったです。
それはギリシャ文明がヨーロッパ独自の文明であり、白い文明であることを根底から覆す事実です。
白い文明、ヨーロッパの文明は褐色、黒人達の文明のコピーに過ぎなかったのです。
ただ今回の番組ではそこにキリスト教が深くかかわっている点が掘り下げられていませんでした。
主に産業革命で調子に乗ったイギリスの陰謀がクローズアップされていましたが、
それでも十分見ごたえのある番組でした。 欧州文明がアラビアなど他地域の文明の影響を強く受けていることは昔から常識で、
数学や音楽、美術、建築などに特に影響が顕著とされているが。
近代になっても欧州の芸術家はアラビアの様式や風俗に学んでいるが。
欧州が特権的になったのは15世紀の大航海時代以降なのも常識だが。
ギリシャ神殿が当時は金色などで彩色されていたのも昔に判明しているが。 判っちゃいるけど止められない。それが隠蔽(抑圧している)ということ。 >>75
そうかもしれないが、常識力が衰えてるんだよなぁ
だからマスコミにやられてしまう >>75
アフリカ・アジア文明とは別に、ヨーロッパ文明なるものが同時に存在していて、
それがお互いに影響を受けあった、という趣旨に受け止められかねないのですが、
今回の番組で肝の部分は、明らかに強大なアフリカ・アジア文明が先に存在しており。
それをギリシャがコピーした、という部分であってると思います。
あなたの仰っていることは
他人の金を盗んだ犯人が、様々な証拠を突きつけられた結果、
ちょっと借りただけだよと言っているようにも思えます。
それは言い訳に過ぎないと思います。
↑あなたが言うようにギリシャよりオリエントが先行していて、
ギリシャ文明はオリエントの後追いというつもりで書いたが。
柄谷行人なども昔から指摘していたよ。
ギリシャ文明も、後のローマ文明やルネッサンスなどで何度も価値を再確認され、
その都度ある種の神格化がなされたのも常識だし。 >>78
75を読み返したが、アラビア→欧州への影響と書いただけで、
アラビア⇔欧州の相互影響とはどこにも書いてない。
まあ、人類の起源がアフリカという説が現代では有力だし、
ギリシャや欧州文明が他地域の模倣や影響があるという説も常識だがね。
その指摘は岸田の手柄ではないよ。
岸田は新書レベルの学説を面白おかしく自分の色をつけて語るのが上手い、
いわば昔でいう講釈師だな。
講釈師としては一流だがね。 >>73
この程度のことを知らないで感心するって、
どんだけレベルが低いんだ…w
こういう奴が岸田みたいな似非に騙されるんだな…w >>85
同意。
岸田本は語り口を楽しむもので、明らかにされた事実に驚くものではないと思っていたが。
まあ、無知って毎日が新鮮な驚きに満ちていて楽しいかもね。 アメリカがインディアンの犠牲の上に成り立っている、なんてことは歴史を勉強すれば分かることだし、
西部劇見ても明らかだし、定期的に映画化もされてる。当り前と言えば極めて当り前のことだな。
だが、お人好しの日本人の常識からすると、意外に見過ごされてることだ。まぁ読んでみれば色々と気づきを
与えてくれる本ではあると思う。そういう意味では、高山正之の変見自在とも相通ずるものがある。 問題はそんな分かりきったことじゃ無いんだが。
秀の何を読んでるのか疑問だな。 >>90
当然変見自在ぐらい読んでるよな?少しは話を広げてみろ。バカ 最近は日本がアメリカと戦争したことも知らない若者もいるとか。
アメリカの電子レンジに猫入れて家電メーカーを訴えたのと同じでジョークかもしれないが、
それなりにリアリティがあるのも事実だ。
そんな若い日本人の教養が低下した昨今、73みたいなのがいても不思議はない。 岸田ってとっくに過去の遺物になっていると思ってた…
まだ現役なのか…? 岸田の思想を世間に浸透させて素敵な世界を
だけど岸田の書物を読みまくるのもいいが
本人の魅力が何より素晴らしい 唯幻論って一部の人にはウケるけど、世間一般の人は無視するよね
心理学者や精神科の医者やカウンセラーも無視
やっぱりタブーに触れる感があるのだろうか 無視とかゲテモノ扱いみたいなあしらい方だが
そもそも精神医学とか心理学がこじ付け学問なんだから
より説得力のあるこじ付けのほうが一流なんじゃないの? 日本人だけでなくすべての人は幻想の中に住んでいるけど認めたくないのだろうね
文化やカルチャーや思想の違い認められても家族や親子関係まで
共同幻想とは思いたくないのか 共同幻想論を儚さの認識と言い換えれば、
日本人にとっては当り前の話じゃないの そういうのとはちょっとレベルが違う。もっと深いところでの幻想。 インド人にカーストなんて共同幻想だと言ったら激高しそうだ >>104
日本は一神教でもないし相対主義がはびこっているし、
諸行無常、感覚と関係性の社会からね。
言語的論理重視な、シーケンシャルな歴史感を持つ社会ではないし。
唯幻論に目から鱗とか激怒するとか、
そういうダイナミックな反応は少ないでしょ。
「え?全部幻?ハハハ、まあそんなもんかもしれんですなあ。
まあそれでボチボチやっとるんだからいいのと違いますかwww」
というのか平均的反応かと思う。
ものぐさ、続まで読んだけど幻想とは何を指しているのかいまだにわからない。
どこの誰かさんが作った価値観のひとつでいいのかな? 作ろうと思って作ったものじゃないからなかなか本人もそれと気づかないけどね。 >>109
ありがとう、氷解しました。
理解しようと頑張りすぎました。 確か対談集ではよく突っ込まれてて、いろいろと答えていたような気がする >>109基本無意識に作った
どのような共同幻想も作ろうとして作ったわけではない
法律などは意識的に作っているけど、状況次第や解釈次第では
その通りに動くとは限らない
共同幻想の中にいることを皆薄々気づいてはいるが、はっきりとは認めたくない
岸田さんに共感する人は今有る共同幻想の中では居心地が悪いひとなんだろね ちなみに「無意識に作る(○○する)」という言い方は日本語的にはわかりにくいかもしれない。
これは「○○しているが、そのことに気づいて(意識して)いない」「意識せず(知らずに)○○する」と言うのと同じことです。
"No one knows"が「誰も知らない」という意味であるのと同じ感じです。
ただ精神分析的にいわれる場合の無意識は、表には別の意識(認識)があって、
その裏に本来の(心に意味の通った)無意識がある、というような場合に使われるんだと思いますけど。 確かに居心地が悪いです。
まことしあかにしきたりじゃ!と怒鳴りがちな親戚がいるものでw
岸田氏は現代のバザーロフ(父と子)の再来かと胸踊りながら読んでました。
毒親という言葉を作ったのは岸田さんなのかな
当時ピッタリなネーミングセンスと思った
共同幻想の部分でもっとも触れていけないは血縁や親子も幻想ということだろうね 血縁や親子が幻想ていうんじゃなくて、血縁や親子という関係に様々な幻想が張り付いてるていうことね。 たしかに動物にも親子関係はあるし、愛情をもって育てる
本能によって子育てし、独立追い出しも本能だ
人間の世界では子育て放棄は非難されるけど
野生の世界でも初産で上手く育てられなかったり、弱い子は捨てたりするらしいね
動物園の育児放棄とは違うけど だからその「愛情をもって」とか「本能だ」ていうのも人間の勝手な幻想(の裏返し)なわけであって。 もちろん。全ては幻想ですから。
現実という名の幻想。幻想という名の幻想。 身体や心もしくは感情はあるでしょう
それを表す言葉や文字は幻想でも、自分とよく似た誰か(人間)がいて
熱を持っていて重さがあって声(音)を発して生きている
存在自体は否定できないと思う
人間なら五感はあるし、赤ちゃんでも快、不快は必ずあるし 母子の共同幻想の中では居心地が悪かったのが騎士田先生なのだろうか? 超パーソナルな家庭不和や神経症から、
「世界がー」「人間はー」「文面のー」と
大風呂敷を広げ続けて半世紀余りなのは、
一講釈師として凄いと思う。
そこは評価する。 ある学生との対話
「先生は本気で人間社会の全ては幻想だと考えますか?」
「もちろん。だから私は唯幻論の本を何冊も書いている想」
「そうですか。ならばなぜ先生は自殺しないのですか?」
「は?どういうことかね?」
「全て幻想ならこの世に意味も価値もありません。
そんな世の中に生きても意味もありません。
本気で唯幻論を唱えるなら絶望して自殺するはずですよ」
「………」 岸田の唱える幻想の最たるものは唯幻論というオチ。
本気で信じる奴がほとんどいないから共同幻想未満だが。
そこが救いとも言える。 >>124
実話?
>唯幻論を唱えるなら絶望して自殺するはずですよ
幻想のなかで生きていく。 >>125
>幻想の最たるものは唯幻論というオチ。
オチ違て基本やろ? >>126
「二番煎じものぐさ精神分析」にある逸話で、
橋本治の「とうに涅槃を過ぎて」という本の、
「ものぐさ精神分析」の短い書評に引用されている。
橋本いわくこの学生は甘えた慇懃無礼で、
岸田は「でがらし〜」を出す前に死んだ死人である。
死人が学問という幻想を幻想として演じることで身をもって唯幻論を啓蒙して、
世が幻想であることすら気付かない馬鹿ども達に抱き込み心中を謀っていると。
はっきり言って岸田の金太郎飴な唯幻論本群より、
橋本の短文の方が深くてシャープという皮肉。 【民主党】人権救済法案を了承 反対派の意見押し切り 前法相の小川敏夫が座長の法務部門会議★7
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346246590/l50
公明が自民裏切って民主と緊急党首会談やったそうだし、ガチヤバ
俺もその口だけど、唯幻論は卒業するためにあるのかもね
>>130
>>128の続きだが、橋本は「ものぐさ精神分析は必読書であり、それ以上でもそれ以下でもない」と結んでいる。
通過儀礼的に一度は読んで卒業しろということかね?
ここに引用するのに読み返したが、やはり橋本は頭がいいわ。 >>131 そう思うな。
子供の時からのしがらみで何となく住んできた家を一度取り壊して更地にするようなものでしょう。
その点唯幻論は破壊力は強いから、取り壊しは楽。
ただしその相対主義という更地でやっていければいんだろうけど、普通はどこかから設計図を見つけ
てきて自分が住みやすい家を建て直すんじゃないだろうか。 >>128
>抱き込み心中を謀っていると。
心中なんて謀ってるか? 橋本さんは今住んでいる世界に居心地の悪さをあまり感じていないと思う
幻想だと知っても、ああそうなのね、で終わる
多様な価値観を持っていて、臨機応変に使い分けられる
居心地の悪い人は大変な思いをして幻想に合わせ、苦労し嫌々従っている
そういう人ほど性格に柔軟性がなく、狭い世界の価値観を頑なに信じている
だからこの世が幻想だと分かった時は衝撃と混乱と怒り(大げさ!)を感じるのかもね
いや自分のことなんですけどねw 岸田が筑紫哲也と対談して、「なんでも幻想では空しいという意見もありますが?」
みたいなことを聞かれた。
岸田は、「浅間山荘事件やファシズムとか、失恋で自殺とか、そういう悲劇を回避するために、
思想や国家や恋愛なんて幻想というオルタナティブな意識も持った方がいいということで、
恋愛や人生を否定するわけではない」
という感じで答えていた。
その後もオウムがあったし、通過儀礼としてハシカの予防注射みたく、
唯幻論は若いうちに広く読まれるべきかもしれない。
ただそこに留まっても仕方ないがね。 >>132
>自分が住みやすい家を建て直すんじゃないだろうか。
家=幻想だ。通過や卒業はしなくていい。 >>132更地にして立て直す人は不幸なんだよね
普通は土台は残して住みやすいように表面だけをリフォームすればいい
土台からやり直すなんて大変だし、立て直したところで住みやすい家に
なるかは時間が経ってみないと分からない
前より住みづらい家になるかもしれない
設計図もどこにあるのやら >>134
>幻想だと知っても、ああそうなのね、で終わる
>世が幻想であることすら気付かない馬鹿ども達に抱き込み心中を謀っていると。
終わってない。批判してる >>134
母子愛が幻想だと分かった時は誰でも衝撃と混乱と怒りを感じる >>139どの程度衝撃を感じるかは個人差が大きそうだ
親といい関係を築いてきた人は少なく
本当の意味で愛情をもらえなかった人ほど激しく混乱しそうだ
フロイドはあくまで医者で、神経症を治すために精神分析を構築した
岸田は母親の欺瞞の愛情から神経症を発症したのを、
フロイドを読む事で治療し、唯幻論を作った
健康人に薬いらずって事で、別に岸田が嘘くせーと思うのも
健康的な精神でお持ちで羨ましうござんすねってなもんですが、
唯幻論で神経症を治した経験があると、また違う想いがあるってもんでさあ
いやまったくものぐさ精神分析に出会ってなければ今頃どうなってたかgkbrだぜ アメリカではアダルトチルドレンが話題になり、何かでカウンセリングを受けると、
催眠退行療法で幼少期のトラウマをあることないこと引っ張り出して、
出口なしのアダルトチルドレン神経症患者に仕立てる被害があるとか。
そのうち前世の記憶がー、になるとクライアントは医者(?)から離れられない依存性顧客にされてしまう。 制度、文脈、貨幣論とか、組織や関係、価値の幻想性を思索する思想は昔からあるけどな。
岸田で初めてそれにぶつかり、いいことあったならそれは結構だね。
伊丹十三は四十過ぎで岸田を読み、母子幻想の枠に生きていると悟り目から鱗だったと。
「たんぽぽ」のエンディングのイメージだな。
伊丹も妹などの話ではかなり濃密な息苦しい母子関係だったらしいね。
それで精神分析に凝ったが、最期は残念な…。
岸田いわく「私が背中を押してしまったんですよ…」 岸田の本読んで自殺しようと思う奴いるの?
俺は親が全部悪いんだってことがわかって良かっただけだよ あれはヤクザにピストル突きつけられて飛び降りたんじゃないの まあ日本人は喧嘩両成敗の良識(幻想?)を持つから他者が100%悪いとはなかなか思い至らないわな。
自分の経験でも(周囲を見ても)当事者の一方だけが完全に悪いとかほぼないしな。
そういう極端なケースが本当にあるなら逆に解決は楽だね。 岸田の売春肯定論は秀逸だよ
売春が人の道に反するとかいうのは全部幻想だから >>148
君が困窮でもしたら抵抗なく風俗やホモ売春とかで体を売って稼げのるか?
売春=悪や家族制度が幻想だとして、家族が売春をしても平気でいられるのか? >>142
因果の綾も幻想で治った効いたもまた幻想 >>149
岸田理論はおまえみたいなおぼっちゃまには理解できないだろうな
全ての常識を否定することから始めないと
甘っちょろいものじゃないんだよ
おまえは岸田の本読まないほうがいいよ、精神的に弱すぎるから どこをどう読めば「売春肯定論」なるものが見えてくるのか。 は?売春万歳!でなければ精神弱いか?www
すべての常識を否定して、それで真実が見つかるとでも?
すべてが幻想ならば、共同幻想を剥いでもパーソナルなメタレベルの幻想に自縄自縛のオチにしかならんぞ。
本質が坊ちゃんでナイーブな伊丹ですら、
「ものぐさ〜」の書評でそれを指摘していたよ。
まあ指摘だけで答えはなかったようだが。 >>151
性的唯幻論という幻想に絡めとられているな。
後でまた「騙された〜」とな。
カルトや詐欺は、元信者や被害者を狙うらしいね。
ひっかかる奴はずっとひっかかるんだと。 >>154
>共同幻想を剥いでもパーソナルなメタレベルの幻想に自縄自縛のオチにしかならんぞ。
基本や。オチちゃうわ。
>>154
>すべての常識を否定して、それで真実が見つかるとでも?
真実云々じゃなくて、自分が納得できる常識を身に付ければいい
他人から見れば幻想かもしれないが、本人が納得してるから揺るがない
夏目漱石の言う自己本位ってヤツだ >>152
岸田を真に受けるような精神薄情がよく言うわ 岸田が10代で味わったパラダイムチェンジを今の俺らも味わってるわけだ
流行りそうだな でも岸田を知ると、世の中にまずは「人間は動物と違い、本能が壊れた動物である」と
いうことを広めたい。
その「動物と人間は違う」ということだけでも小学校くらいで習わせてほしい。
もしくは、人間社会というのは幻想が基盤という思想だけでも。
俺はそうすることによって、世の中が優しく生きやすく、今よりもっと素敵な世界になると思うんだ。
別に真実にする必要はない。アイディアとしての岸田秀の思想を広めたい。 「人間は動物と違い、本能が壊れた動物である」って思想でもなんでもないじゃん
事実を言ってるだけ、岸田は分析だけして何も変えられない口だけ男
友達が「人間には子育てをする本能がそなわってる」って声高に言ってたんだけど、
どうやって論破したらいい? 教えて。 中世のヨーロッパじゃ貴族は自分の子供育てなかったし、歴史を調べれば母性本能なんてない
ことは明らかだよ、詳しくは「疑わしき母性愛」を呼んでくれ 本能が壊れているのであって「無くなって」いるといことではないからね。 ↑
そんなことみんな知ってるよバーカ
恥ずかしい奴(笑) 君が知ってるかどうかはともかく、皆がわかってるとまでは思わないな。 165だけど、
166の意見を言ったら、
「じゃあ、どうやって人間の祖先は子育てを始めたわけ? 子育ての本能が壊れてるとするなら
子育てなんてだれも始めずに、人類は滅んでるんじゃないの」
って言われた。
どうしたらいい? だからそこで宗教やらの外部の圧力で子育てするようになったんだよ、誰も子育てしなきゃ
人類滅びるだろ、母性本能なくたって子育てぐらいできるだろ
だから本読めよ 大昔はまだ人間も半ば獣だから、本能がそれほど壊れていなかった。
だから種の保存本能だかそういうので、
育児本能が発揮され絶滅を免れた。
進化するにつれ本能は壊れたが、文化、文明、社会通念、法律などにより、
壊れた育児本能を補完し繋ぎ合わせて、
なんとか絶滅を免がれ今に至る。
それから壊れた本能も本能に違いないから、
動物みたいに目的にストレートに奉仕はしないものの、
能力そのものが発揮されないわけではない。
自分の食欲、性欲、睡眠欲を顧みればわかるだろうが。 というか170みたいな馬鹿はリアルで人に理論をぶつ資格ないな。 >>171 172
素人で申し訳ないが、そもそもなんで本能って壊れたの? なんか既成事実みたいに言ってるけどそれも仮説(幻想)ね。
本能は壊れてないと堅く信じてる人もいるようだから。
岸田はボルクの胎児化説を採ってたと思うけど。言語の獲得と同時(表裏一体)とかも言ってたかもしれん。
>>175
一人目の人類は大変だっただろうな。
周りみんなサルだもんな…。 >>175
おまえ頭悪いから書き込むな、レベルがいっきにさがった ここの住人はほんとレベル低いは、まるでわかってない
幻想って言葉だけが独り歩きして、変な使われ方してるよな
幻想って言葉はフロイトの「ある幻想の未来」ていう論文からきてるのよ
この論文の中でフロイトは宗教は幻想(錯覚)だって言ったのよ、ここから
岸田が唯幻論っていうのを言い出したんだな、それで一番重要なことを簡単
に言えば、岸田は自我の支えとなるものは幻想だって言ったんだな、自我
の支えっていうのは宗教やら、文化やらのことだな、身近の例で言えば
親の言うことをなんでも聞く子供は親のことを強くて正しい存在だと錯覚
してるわけだ、そういう子供の錯覚のことを幻想と言ったんだな
そこで岸田が自我の支えになるものは全て幻想だって言ったのを勘違いして
世の中の全ての出来事は幻想であるみたいな考えが広まってしまったわけだ
そしてインチキ宗教の教義みたいに自分の都合の悪いことはなんでもかんでも
幻想に過ぎないみたいな変な意味でとられるようになってしまったわけだ
岸田の本を理解したいならフロイトの「ある幻想の未来」をまず読むべきだな
↑それでは岸田理論の柱の「人間は本能が壊れた存在」はどう解釈しますか?
人間の育児本能は?
人間の本能はいつどのように壊れたのか?
今のスレの話題はそのことですが。
どうせならスレの流れに沿って発言しましょう。 吉本の共同幻想論のパクり。
国家も宗教も幻想であると。
もちろん理論の程度は吉本がはるかに上。
1945/8/15を経験した少国民や軍国青年なら割とすぐに思い付きそうなアイディアだが。
日本人はもともと多神教の相対主義だしな。
「そんなのお前の思い込み、仮の姿だよ」と。 >>178
うむ。それを奪われたりしたら、自殺したり、廃人になったりするような
のっぴきならないものについて言ってるんだよね。この世は夢か幻か、
みたいな見方とは違うだろうな。(自我が崩壊してもそう感じるから、重なって
る部分はあるが)
岸田の本を読むと、何ともいえない掻き毟られるような不安感を覚える。
それが、今日本人が感じているであろう不安感とダブる。 自我の支えになるものは全て幻想だ、ていうより
自我の支えになるものも全て幻想だ、ていうほうがしっくりくるんだが。 >>181
岸田は吉本と対談して、吉本の共同幻想論をヒントにしたと白状しているが。
そこで吉本には「あなたの理論は穴だらけでいくらでも論破できる。
でも日本の学者には珍しく個性もあって面白い」と言われた。 >>180追加
小林秀雄の「様々なる意匠」もあったな。
まああらゆるイズムはただのお仕着せのデザインという発想は、
日本人の本音ということだ。
三浦雅志いわく、戦前の小林の仕事は左翼文学に対して、
「左翼思想なんて幻想だよ」と冷笑することにつきると。
日本人はそういう体質なんじゃないかね? 君が知ってるかどうかはともかく、皆がわかってるとまでは思わないな アテネのことはよく分からないが、太平洋戦争が「元をただせばペリーへの
復讐だった」というのは、心理学的にはどうあれ真実だと思う。
さもないと、あの戦争にいたる日本の愚行が一つとして説明できない 日本がアメリカの植民地であるのはともかく
中韓に対しての土下座外交ぶりもひどい
繋がっているのかな 岸田理論だとアメリカだけに卑屈になるってことだけど、どこにも見境なく卑屈になってるよな 中韓に卑屈なのは左翼の誘導だが、左翼の本音は反米だな。
左翼はアメリカには謝罪しない。断罪する立場にまわるな。 先の大戦について何も考えたくないのかな
大敗したアメリカだけでなく、進出した中韓アジア諸国も含め無かったことにしたいのか
前にばあちゃんが空襲について話してくれたけど、アメリカ憎しというより
大きな自然災害にあったかのような昔話になっているね >>192
>前にばあちゃんが空襲について話してくれたけど、アメリカ憎しというより
>大きな自然災害にあったかのような昔話になっているね
うちの親は岸田に近い世代だが、空襲で家を全焼され、
未だに空襲のことを生々しく語る。
暴力的なアメリカ映画や、ブッシュ親子の中東での戦争とか、
完全に日本への空襲と重ね合せて見ている。
アメリカは本質として非常に暴力的で傲慢だという確信を持っている様子。
ちなみに左翼でも右翼でもなく、ノンポリに近い。
ネトウヨの言うような、日教組だのの戦後民主主義的な自虐史観にも、
戦時中の愛国主義一色にも懐疑的。
昨今の中韓にも怒っている。 >>191
>左翼はアメリカには謝罪しない。断罪する立場にまわるな。
意味不明。ということは右翼や中道はアメリカに謝罪するわけか?
日本如きが大陸や南方にしゃしゃり出て、
欧米列強様の利権を荒してゴメンなさいか?
パールハーバーゴメンなさいか? >>192
>先の大戦について何も考えたくないのかな
>大敗したアメリカだけでなく、進出した中韓アジア諸国も含め無かったことにしたいのか
これは誰が「何も考えたくない」なのかな?
左翼か?右翼か?日本人全般か?岸田か? 「日本近代を精神分析する」で出てきた
内的自己と外的自己に絡めて民主党政権を語ったり
福島原発の対応を語ったりしていて面白いね。
この外的自己と内的自己の分裂という葛藤はペリーショック以来
日本人の行動を規定しているらしいけど。
またここで出てくるとは思わなんだ 幻想と分かっていてもそれがないと生きていけないのは悲しい 反日運動の高まりに対し、
岸田秀は、中国人および韓国人の民族性をどのように精神分析するか知りたいな。
ものぐさでは、結構、朝鮮人擁護のスタンスだったけど。 特に中国人なんか内的自己と外的自己に分裂してないからな
誰にでも見境なくケンカうるからな 岸田は民族性については語りそうにないけどね。国家アイデンティティーなんかについては語りそうだけど。 北朝鮮の金日成は天皇になりたいんだよ、という吉本隆明の分析は鋭かったな。
西洋的なファシストというより、アジア農耕社会での生神様になろうとしていると。
日本も農耕社会を完全に抜ければ天皇制も意義がなくなるんだろうね。
北朝鮮やかつての毛沢東時代の中国が、前近代的な農耕社会のままなのは、
独裁者が生神様でいたいがためかもしれない。
中国も、毛沢東が死んでから、工業化が進んだしさ。
それ以前は手作業の、古い農業を国を挙げて礼賛していたし。
岸田もそれくらいの分析をしてほしいところだね。 国のリーダーを直接選挙で選ぶようになれば天皇や生神はいらんと思うね。 >>209
なりたいどころか、実質あれは(大日本帝国を模倣した)天皇制なんだよ。それくらいのことは岸田は言ってるとおもうけど。
農耕社会とかどうとかはいかにも古臭い見方だね。 ↑そう?ならば、どの本に書いてあるか教えてくれないか?
岸田による北朝鮮≒擬似天皇制とは興味深い。
是非読んでみたいね。 古臭いというか、実際に毛沢東も文革で古臭い農耕社会に回帰したわけでね。
そういう社会でないと絶対権力を維持できない古臭いシステムだからさ。
古臭いシステムの評価が古臭いのは当たり前だろう。 天皇制にまでは言及してなかったかもしれないが、北朝鮮が大日本帝国を模倣してるというのは言ってた(書いてた)はず。 石原都知事も大江健三郎との対談で、
我々の子供の頃の戦時中の日本は今の北朝鮮みたいだったと言ってた。
ま、ありきたりな意見だわな。
石原も大江も岸田も同世代だしな。 天皇は記号のようなものと言う人がいるよね。
そういうものになろうとしていると吉本隆明は言っているのだろうか?
それだと実質的な権力はありそうにないのだけれど。 >>207いつになったら日本は内的自己と外的自己の分裂から解放されるのだろうか
外圧がないと変われない国だから、今度の総選挙は荒れそうだ
>>207
中国は内紛や権力抗争、競争があまりに凄まじいから、
外交が得意そうに見えて意外に下手で、
外国に関心が薄いとも言われているな。
近代以後、一度も戦争に勝ってないとも。
日本への理不尽な干渉や圧力も、あくまで内政や政争の材料で、
本気で対立しているわけではないとか、
そういう意見もよく聞く。
国としての外的内的な自己以前に、国のていをなすのに常時必死というかね。 >>214
>北朝鮮が大日本帝国を模倣してるというのは言ってた
欧米列強の帝国主義の恐怖と屈辱にさらされた日本が、
朝鮮など近隣国に同じことをしてそれを合理化しているという、
例のロジックの流用かな?
虐待された子供が、親になって自分の子供を虐待するみたいな。
(ちょっと違うか?)
まあ、王族を追放した革命家が、自分が王様になるというのも世の習いだね。 >>218大陸国家でとにかく国が大きいし人口も多い
一つの思想でまとめるのは無理だ
それでもチベットやウイグルが独立したら面積は半分になってしまう
あの国に著作権が育たないのは文革でインテリを一掃したせいだろうか >>220
公徳心が欠片もないからだろ。
室内でも痰を吐き放題、公衆トイレなんか不潔の極み。
自分さえよければ、他人からどう見られてもいい、
そういうメンタリティなんでしょ。
形而上的な文化や概念に対価を払うという、
文化的な心情がまったく育っていない。
友人が、20年前に中国に留学して、中国の悪口をさんざん聞いたが、
今となればすべてその通りだった。 このへんが最近(つっても2005年だけど)の言説みたいね。中国についても書いてるみたい。
http://www.geocities.jp/nowandthenwy/dvd-ronbun-04.html
これはどの本にまとめられてたかなぁ。「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」かな。 昔はパトロンがいて芸術術活動にお金を出してくれたけど
今は一般人のファンやお客さんが支えているのだから
著作権や印税がないと暮らせないし創作活動も続けられない
文化が育たない >>222
超流し読みでの雑感。
岸田は昭和一桁らしく、大東亜戦争のことが片時も頭から離れないんだな。
今の中国が、かつての大日本帝国のように、
アジア解放の戦いをしようとしているという見立てはどうかね?
確かに日本と違い、なにかと超大国アメリカと対立したがるが、
これはアメリカが邪魔なだけではないか。
中国は単純に自信過剰な中華思想と、前近代的な帝国主義で、
領土拡大やら発言力強化を目指していると思うがね。
>>224
「大日本帝国の場合、その意図したところは、見方によって
アジア解放と見ることもできたしアジア侵略と見ることもできたのと
同じように、中国の場合も見方によって、いずれにも見ることが
出きるが、いうれにせよ、現在の中国は日本を、かって大日本帝国が
中華民国を見たように見ているのではなかろうか?」
と岸田は書いているのだが。 なんにせよくだんない見解だわな
50年ダブりのSF研の主の妄想を聞かされているよう 岸田秀って面白いんだよね。
人間ってのはそういうもんなんだろうって。
ただご本人も認めているように若くないし古いタイプではあるんだね。
そういうところを注意して読むとやっぱり面白いよ。
まあ、エ藤淳との対話で天皇はあるならあってもいい、とか言って
いてどうあっていいというのかよくわからなっかったり
するけど。
まあ、岸田秀も人間だから完璧ではないだろうし。 だから世界とはくだらないことをひきずってんだな。
50年ダブりの(何百年何千年ダブりの)SF研の主の妄想のようなものを。
岸田はそれを説明しただけとも言える。 >>229
つまりあってもなくてもいいようなものだということを言いたいんだよ。 >>230
無理矢理な贔屓の引き倒しご苦労
こういう信者がまだいるとはね >>231
あってもいいしなくてもいいという言い方はしてたと思うんだよ。
ただ、いまのようなかたちで天皇があるのとないのとでは
事情が大きく変わると私は感じているんで。
そこが曖昧というか現状維持にも聞こえるし古いタイプの人の
当たり障りのない発言にも聞こえてしまったので。 結局、岸田は結論先延ばしでリスクを取れない付和雷同な典型的日本人なんだよ。
日本という共同幻想から一歩も外に踏み出せないのさ 「岸田秀研究室課外掲示板」ってあれ何なんだろう?
よくわからないんだが。 天皇制は、岸田理論からすれば、幻想装置の一種であって、
除去したり他の装置に代替しても問題ない。
あってもなくてもいいとしか言いようがない。
天皇制を廃止することによる一時的混乱、永続的な伝統とアイデンティティーの喪失変容の
是非についても、これまたどっちでもいいとしか言いようがない。
しかし、反米ナショナリストの岸田としては、
現状で別の幻想にすぎない外来思想をごり押しして天皇制を捨てることは、
米国、西欧文明への日本文明の再度の屈服を意味する愚かな行いで、
決してすべきでないとおもっているだろう。
それを他人や学生向けの言葉、、、
普遍的な意見学説として言えないだけで。 天皇を差別思想とする人や天皇そのものを犠牲者と説く人や
無責任体制(これは官僚病とつながりはないのだろうか)の構造を
支えていると主張する人たちからは我田引水とも見える結論なのかも
しれないね。
単なる幻想装置とはどんな幻想装置なのだろう?
他国の要求で廃止しましたは論外だが
国内にある天皇制議論みたいなものにも岸田はあまり関心はないのか
(ただの幻想装置?ということで)
踏み込まないという感じだなあ。
ものぐさ精神分析のナルチシズム論や空間・時間論どれも
わくわくするのになあ。
天皇だけがただの幻想装置だとすると何言ってるかわからないなあ。
吉本隆明もわからないけど。 >>240
そもそも、岸田にとって、
存在するべきでない歪んだ病的な幻想というのはあるだろうが、
存在するべき、みんながそれに騙されるべき有益な幻想なんてないだろう。
(倫理学の観点からは、そのような幻想は確かにあるが)
所詮幻想なんだから、本人と社会にとって害がなければ、
そのような幻想が現にあるならそのままあってもいい、
としか言えないだろ。
単に幻想にすぎないものが総理大臣を任命するのかい?
官僚は天皇の僕であることによって自らに責任はない
しかし象徴となった天皇にも責任はないと言ったのは誰だったか?
それに反して「なぜ昭和天皇は靖国にいかなかったか。それは自分を否定することに
なるからである。昭和天皇は権力を持たないふりをして
無責任体制のなかに自分の絶対権力を隠蔽したのである。」
という見解も面白かったな。
害であるかないかではなく確かにわれわれを規定しているこの天皇というものを
知りたいんだね。
それとも岸田は天皇はアイドルのような幻想装置だから
あってもなくてもいいというのだろうか?
まあそこらへんは彼には期待できないなと私は思っているが。 >>242
それはまず歴史学で明治憲法制定からサンフランシスコ条約までの史実をおさえてから、
しかるのちに元老、天皇、陸海軍、GHQ、米国国務省、極東委員会など多数当事者の意図を分析し、
天皇が纏っている、あるいは纏おうとしている幻想を分析するという流れになると思う。
岸田は、昭和天皇の纏う幻想に虚偽があることは直感で看破したのだろうが、
背景の史実を詳しく押さえてはいないだろう。
法律家で歴史マニアの岸田ファンが上から目線でいうのも大概だが。 無責任体制というのは丸山真男の言葉である。
靖国に戦犯が合祀されて天皇が参拝をやめた。(側近たちの参拝に
不快をもらした 当時の宮内庁長官のメモによる)などの文は植田という人のサイトで見知ったものである。
「天皇がわかれば日本がわかる」斎川 眞なども面白いと思うが。
結論としてはわれわれは昭和天皇パラダイムのなかにあり
対米追従をとるかそこから脱却し国民主権を確立するしかないということである。
まったく岸田氏の感慨とは違ったものであると思うが。 もちろん然る後も天皇家は尊重されるだろう。
しかしあってもいいとかなくてもいいとかの談義はそのことを言っているわけでは
ないだろう。 天皇というのは何の実権・実力ももたないけどそれを奉る者にとってはご利益があるんだね。
まさに「天皇」という錦の御旗だね。 >>246
それは戦後にイメージ化された天皇じゃないの?
「天皇とはそもそも法律用語である」
なぜ天皇が錦の御旗になるのかって問題もあるね。
それがわれわれの政治構造に関わるからじゃないの? 「天皇の性格は政治的性格が主である。天皇の宗教的性格は、
政治的性格に従属して存在する。この事実を、自分勝手な思い込みで、
日本人がねじまげるから、間違うのである。」
斉川 眞 『天皇がわかれば日本がわかる』 >>239
そこまでして無理に教祖を弁護しないといけないの? >>239
国民全体規模のアイデンティティの喪失がどうでもいいなら、
森羅万象なんでもどうでもいいだろ。
ペリーショックも本能の崩壊もすべてどうでもいいわな。 「象徴天皇制という幻想装置」と「対米従属」というのが
対だというのが岸田には見えなかったのかな?
富田メモや天皇の沖縄メッセージの文書もやはり知らないことだったのだろうか?
まあ、富田メモが出たのは2006年だけど。 富田メモについては、その意味合いが議論されているみたいだけど
沖縄メッセージの文書やマッカサーやアメリカとの直接交渉と
並べるとその方向性がどうしても見えてくる気がする。 あ、くわしく知らないけどね。
でも幻想というとなんでも幻想でしょう。
戦略ぐらいにいってほしいね。 >>253
たしかに、成り立ちでいえば、その2つはセットやね。
天皇制完全廃止されて日本が完全に民主化(?)されることが決まっていれば、
9条は必要なかったし、日本側が9条を受け入れることも無かった。
日本側は、1条があるから9条を受け入れざるを得なかった。
そして、9条による非武装主義、戦争放棄があるからこそ、対米従属せざるを得なかった。
しかし、現在では、9条は自衛を認めるとの解釈であるし、
象徴天皇制を維持したまま、対米従属をやめることは可能。 私が対だと思うのは象徴天皇制は「人間宣言」してるってことね。
岸田は万世一系の幻想があればまた危機状況のとき天皇を中心に団結
出来るといっているがあなたも言ってるように代替できるような
アイドル的存在のために命をかけるだろうか?
万世一系なんて天皇家のためでしかない。
大事なのは日本人の神である先祖の霊性を継いでいる存在ということである。
岸田はそれを欺瞞と言っているが。(その一方で万世一系の幻想と言いながら
なぜか持ち上げるわけであるが。)
こんなたいした価値の抱けない象徴天皇制を仰ぎみながら背負いながら
なんのための脱・対米従属なのであろうか?
その程度の国家の価値に日本人は奮起するのであろうか?
そんなものを守らされる背負わされる日本人に国の形が取り戻せる
だろうか。
基地問題は永遠に続く。集団自衛権は紙切れに過ぎないと
誰かが言ってたような。 >>259
あなたがあってもなくてもいいようなものを
なぜそんなに維持したいのかわからんが。
岸田も天皇を神と強化することで一致団結してきた。とこれまでの
日本史について述べ
いつのまにかシフトして万系一世の幻想でまた団結できるとか暢気?に
結論してる。万世一系の条件は権力が他から身を守るためのものであって
神という他から支持を得他を支配するための資格とは違うだろう。 >>260
兵士はまず第一に戦友のために死ぬ。戦友の一体感を作るのが訓練。
ただまあ、橋下首相の命令で死ぬのは嫌だな。
…というように、党派性のない中立的なシンボルは何かしら必要だろう。
たいした価値を抱けるかどうかは、国民の選択。
象徴天皇制と言う貯金箱にみんなが「価値」を投げ入れれば、
そのことによって象徴天皇制は価値が出る。
みなが>>260のように価値がないと思ってしまえばそうなる。
貯金箱を取り替えるのは可能だが、同等以上の価値集金力があるか、
集めた価値・カリスマを濫用されないかは難しいところ。
>>261
天皇制の効用について、理論的に議論し説明することそれ自体が、
鼎の軽重を問うことであり、天皇制の価値・効用を貶めてしまう。
そのため、、天皇制を維持したい人間は、
心の中で廃止論者を無教養とさげすみつつ、肝心なところで口をつぐむしかない。
まあ、ここでは口をつぐむ必要は無いけれども。 戦友となるためにはまず召集が必要だろう。
なんの権限でそれをやるのか?対米従属との対決にせよ
国民の命がけの支持も必要だが
そういえば2,3日まえだったかみのもんたが「多くの日本人が沖縄なんて外国と思ってますからね」
と言っていたが。
貯金をいくらしてもそれが思想にはならないだろうね。
人気投票にすぎないだろう。
そう。岸田もわたしは天皇絶対擁護論者ではナイと言っていた。
口をつぐむ必要はないのである。 イラク戦争のときは国連やアメリカの要望という錦の御旗があったわけだが
象徴天皇の要望では後方支援でさえ無理だったろうな。
>>262
> 万世一系の条件は権力が他から身を守るためのものであって
確かに北朝鮮を見てるとどうもそうみたいだね。
でも日本の場合は違うような気がするな。むしろ前例主義のようなものだと思う。
誰が強いかではなくて誰が正統かと。奉る側がね。 ああ、スマン。権力てのは奉る側の事を言ってるんだね。天皇側の事かと勘違いした。 >>267
だからそうだよ。結果的にそうもっていくための条件だよ。
中国のように系統にとらわれず力の強いものが継承できるという
制度を阻止するための。 ネトウヨなんて言葉もあるが、国家論になると過疎スレががぜん盛り上がるな。
天皇ネタを振った甲斐があったわ。 ここは岸田説を論じるところで、漏れの天皇観について議論するところではないと意識しつつ…
>>264
天皇制については、以下の評価軸があり、それらを別個に議論すべきであろう。
・理論的側面:制度自体が理論的に正当化でき、正義にかなうか
・社会的効用の側面:あると害悪なのか、便利なのか、無くなると困るのか。
・個人的嗜好の側面:歴史や由緒に価値を見出すか。
岸田としては、それぞれ以下のような立場ではないか。
理論的側面:あってもなくてもどうでもいい
社会的効用:国家的危機の際に神・・・カリスマか象徴として国民統合に資する。効用あり。
個人的嗜好:古い人間で、反米で、天皇制が好き。
>>265
私の個人的な天皇擁護論については冒頭の観点からオミットしますが・・・
岸田の天皇観は情緒的に過ぎると思う。
>>267
なぜ王権というものが、洋の東西でそれなりに成立維持されていたのか、
その社会的な機能はなんなのかということへの考察が必要でしょう。
>>269のように。
誰でも支配者になれる平等な社会は、誰もが権力闘争にまきこまれて
めんどくさいのではないかというのが私見。
権力闘争が激しすぎると、肝心の統治行為に割ける労力が少なくなる。
権力闘争だけに長じても、ヘラジカの角になるかも。 >>271
ですます調とだである調が混ざってて見苦しいな。すまん。 日本の場合は武士社会では権力闘争がつづいたわけだけどね。
しかし神の声を授かるのは天皇だけということで皇室は守られていた。
だから日本という国が権力闘争からまぬがれていたというわけではない。
主権というのはこの国に対して誰が責任を持っているかということでしょう
。
あなたの天皇観はロマンチックですね(笑) >>273
いやいや、武家社会・・・封建社会だって、
基本は相続による財産と権力の継承なんだから、
プチ王権みたいなもんでしょ。 いずれにせよ武家社会は実力のあるものが出てくればそれで
終わりだろう。(実際終わったが)
天皇のような神話がないのは北朝鮮のようなものかな。
結局、「王」ではないのである。 >>273
まあ昔は「国」が寄り集まって日本が出来ていたわけだが。 岸田秀は残りの人生でどんな夢を持っているのだろう?
俺は彼は過小評価だと思うし、だが彼はそこにはそんなにこだわってはいなそうだし、
とにかく彼の笑顔になれる、何かしらの力になりたい。
岸田さんはいつもニコニコしてるが、
なにか勝利の笑顔というよりも、やはりどこか、
切なさを感じてしまう。 岸田先生にツイッターやってほしい
「幻想なう」とか。 じゃあずっと幻想なうとしかつぶやかないボケ爺さんになるぞ 岸田秀のものぐさ精神分析は、私の本ベスト10の中に間違いなく入る。
『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『痛快!憲法学』小室直樹
『空気の研究』山本七平
『閉ざされた言論空間』江藤淳
ぱっと思い出してみると、この上記著作がかなり印象的。 唯幻論大全て今までのを再編集したただけ?
それとも書き下ろし? 『岸田秀 唯幻大全』を一気に読んだ
いままで2、3冊を読んでいたけれど、ほぼすべてを読んだ。
歴史論、は今の自虐史観にまっこうから対立する論考で、読んでいてそう快でさえあった。
自国にたいする誇りと自信がわててきた。
SEX論も楽しくかつ、面白く読めた。
特に売春は本人が生活のため納得し、わりきっているならいいのではないか云々
のくだりは目がさめるような新鮮な説で面白かった。
実際にお説の通りのことを買春でそういう女にあったことがあるから尚更だ。
とにかく、怒涛のような論述に圧倒されてしまった。
オススメします。 生活の手段として体の一部を用いることには文句は言えないが、
その場合誇りを失うという、代償があると言っていたような。
割り切っている人なんて、いないでしょう?
あなたは体の大切な一部と、その人の誇りを金で買って平気な人なんですか?
一体どうやったらそんな読み方が出来るのでしょうか??
彼は売春する女の惨めさとともに、買春する男の醜悪さもきちんと批判してますよ。 セックスが好きで好きでたまらない女が、大っぴらにそれを表明すると、
今の日本では軽い女として見られるだけなので、隠れて売春などという行為で
その欲求を満たすしかない、女のセックスの不自由さについては書いてありましたが、
そのケースと、生活のために身を売る女はまったく違うでしょう。
援助交際について彼は、本来誇りを失う売春行為をしても、彼女らが全然平気にみえるのは、
現代日本がアメリカに対して誇りを失っていても平気でいるという、国家の現状が
彼女たちにそれを行うことを可能にしていると述べています。 岸田先生元気ですか?
ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか? ロックフェラー帝国の陰謀-見えざる世界政府(原著1976年) 警察 自衛官 松本 村上 中島 田村 安田
刑事と息子 タクシー運転手と娘 歯科医 群馬 岡山 板橋 赤羽 宇都宮 井上 山口その他
で検索。 岸田先生は著書の中でよく、屈辱とか卑屈とか卑劣といった言葉を使いますよね。
それって、どこに基準を置いた価値観なんでしょうか。
生得的なものではありませんよね。
生得的なら快か不快だけですし、たぶん社会的な価値基準になるんでしょうけど、
あらゆる価値を相対化しながら書かれるエッセイの中で、突然屈辱とか卑劣といった言葉が出てくるのが違和感あります。 俺はこの人の根本は右だと思う
新しい歴史教科書問題は当時かなりガッカリしたけど、一方でそういう選択もしょうがないか…とも思った
少なくとも「日本人(の常識)」を素直に受け入れてる感じはする
そこが基準じゃないかな 右でも左でもないと思うけど、
この人の神経症が治らないのは、
育ての母が自分を愛さなかったという事実を、一歩引いた目で見ることができずに、
いつまでも恨みがましく責め立てる姿勢にあるんだと思う。
他者を責めるには、その国の常識しか基準がないし、常識によって母を責めている以上、
その価値観を全ての考えに援用せざるを得ない。だからちょっと変になる。
対談でも馬鹿なタレントなんかが当たり前のように常識を前提に話し出すと、安易にそれに乗っかるところがある。 自分の母子関係に限って愛っていう幻想じみた言葉を使うのが岸田秀らしくないし
愛する=善 愛さない=悪 って感じ方がこれまた岸田秀らしくない
普段はドライな岸田秀がお母さんの話になると情緒纏綿とするのが笑える >>302
その基準を探し、あるいはずらそうとする行為そのものが「卑屈」ということです。 “基準を探す”こと、それに“ずらそうとする行為“は卑屈ではないよ。 「屈辱」は当人がそう思えば(感じれば)屈辱。つまり各々の屈辱の定義に従う。外部に基準があるわけではない。
「卑屈」は屈辱であることを(うすうす)認めながらも何とか取り繕ってそれに甘んじている様、といったところか。
「卑劣」も当人の基準による。これはもっぱら相手の行為に対する言葉だけど。 >>309
そういうことを聞いてる質問じゃないと思う
それに基準は外部にあるわけじゃないというのも違う
内在化された基準は外部から取り入れたものだよ いや、屈辱の場合は人それぞれじゃないかなぁ。ナルシシズムの挫折とかが出発点だろうか。
そもそも屈辱ていうのは共通化された価値観てものじゃないから外部から取り入れられるようなものじゃないと思う。 >>311
何を持って屈辱とするかは文化によって規定される
日本文化というのは口唇的性格の強い血縁幻想を基盤としてるからこそ
岸田秀は母親に愛されなかったことにいつまでの執着する
嘘をつかれて屈辱に感じるのは当然だというのが日本人
嘘をつかれて当たり前と思うのがインド人
屈辱感自体は共通のものではないがその基準は文化に依拠する 「屈辱」というのは面目を失ったと感じることであって社会的な意味合いを帯びた言葉
本来は幼児期のナルシシズムの挫折に使うような言葉ではない それは違うと思うなあ。
文化的に規定された屈辱というのもあるだろけど、だからといって各人がそれにのみ屈辱というものを感じてるわけではないと思う。
文化的に汲み取られていない個人的な屈辱の基準というものがわんさとあると思う。
また岸田が日本を主体にして屈辱というものを語るときでも、それはこの文化的に定義された屈辱とは同一ではないと思う。
>>313
いや、面目なんて社会的に構築されたナルシシズムの最たるものじゃないですか。 >文化的に汲み取られていない個人的な屈辱の基準というものがわんさとあると思う。
そんなものはない。
文化に根拠を持たない私的幻想など存在しない。
>いや、面目なんて社会的に構築されたナルシシズムの最たるものじゃないですか。
その通り。
だから屈辱(面目を失う)は社会的な感情。
社会的な感情であるということは、文化によって異なるということ。
生まれたばかりの赤ん坊は羞恥心なんて持たない。
ところが長じるにつれあることを恥ずかしがるようになる。
そのあることというのは文化によって決まる。
屈辱という心の働きの根はそこにある。 >文化に根拠を持たない私的幻想など存在しない。
言語矛盾ですな。私的幻想だからこそ文化には根拠を持たないのでは?
だいたい「嘘をつかれて屈辱」>>312てのもわけ分からんけどね。そういう場合もあるだろうけど。
インド人だって嘘をつかれて屈辱に感じる場面もあるだろうに。 >>316は唯幻論を全く理解できてないなw
私的幻想を吸い上げて共同化されたものが共同幻想。
その私的幻想の出発点は母親との関係。
母というのは社会の一部であって、つまり私的幻想は社会に根拠を持つ。
>>312は私の書き込みじゃないが、「嘘をつかれて屈辱」というのは文脈的に見て、
母親にウソをつかれた岸田が屈辱に感じたことを指してるんだろう。
「そういう場合もあるだろうけど」と言ってしまえば、岸田理論は成立しない。
あくまでも社会的、民族的傾向によって価値観は異なると考えるべきだ。
この岸田的考えに同調できないのであれば、岸田主義者をやめるべきだ。 岸田は別に屈辱に感じているわけではないと思うけど。
だいたい岸田主義者なんていってる時点で何も理解できていないね。 >>318
でもそれは岸田本人が認めてることだから……
『フロイドを読む』未読の人?
それと「岸田主義者」って言葉は自戒の念も込めてあえて使ってる。
伊丹が言うように唯幻論ってのは、論理性とか合理性とか、矛盾律とか同一律とかの上の立脚した論であって、
つまり、論理性とか合理性という幻想を採用した上に成り立ってる。
ってことはさ、これは主義の一つに過ぎないんだよ。
唯幻論が世界の真理を解き明かすなんて考えるのは、そのへんのやばいカルトにハマってる人とおんなじ。 岸田で屈辱て言えば日本がアメリカに開港を迫られた云々のくだりだと思ったんだけど。
母親とのくだりでそういう事言ってたっけ?それって「フロイトを読む」のどのあたり? ああ、「恩着せがましさ」の最後のほうにそれらしき記述があるな。
>あるいは、恩着せがましくふるまうことによって、わたしは母とわたしの関係における母の立場にわたしを、わたしの立場に相手をおき、
>母に味わわされた屈辱を相手に味わわせ、代理の復讐を遂げていたと解釈することもできる。
確かに客観的に第三者から見れば「屈辱」という言葉で済ませられるだろうけど、
当人にとってはそんな生易しいものではないという感じがしたんで、岸田はそう感じてないと思ったんだ。 まあ、よく考えたら岸田先生の文章は論文じゃなくてエッセイなんだから、筆者の個人的な感想が紛れ込むのは当然なのかなと言う気もしてきた。
エッセイの中にはときどき、「私は○○の理念をもっているが」という記述もあるしね。
人間は何らかの幻想を持たなきゃ生きていけないわけだけど、そこで岸田先生はいわゆる社会通念を取り入れて、それに従って生きているんだと思う。
どんな幻想を採用しようと自由だけど、岸田先生個人は「法もモラルも関係ない」という考えにいかなかったところが、多くの人に読まれた理由になってるんじゃないのかな。
人間の性行動の説明でも、本能の壊れた人間においては、椅子に欲情しようが性器に欲情しようが、どちらがより豊かであるということはない、と言っておきながら、
売春や強姦を「貧しい」とか、「貧困」な性行動であるとも言ってる。
これは一見矛盾しているようにも見えるけど、貧しいとか貧困とか卑劣とか卑屈とか屈辱とかいった人間臭い言葉が出てきたら、それは岸田先生の個人的な感想なんだなと思って読めばいいと思った。 きみの考えにはちょくちょく?て思うのが出てくるね。 >>323
例えばどこが?なの
ROMってたオレの感想としてはsage進行で書き込んでる人よりもage進行で書き込んでる人のほうが論理的に感じる 筆者の個人的な感想とか、人間臭い言葉とか、じゃあ今まで岸田を何だと思って読んでいたのかと。
何ならこんなの全部岸田の個人的な感想どころか妄想なんだから。 妄想性のない感想なんてありませんよ
妄想が入ってない学問なんて物理学の一部だけじゃないのかw
(学問というとおおげさか…人の考える新しいことって意味) >>325-326
322で書いたことが通じてないな。
岸田先生の文を、説を論じた論として読んでいたからこその疑問だったんだが、その点が理解できなかったのかな。
論を読んでいると思ったらそのなかにややこしい形で感想が紛れ込んでいるから、そこに混乱を感じた。
そうではなくて、論ではなくエッセイだと割り切ればよかったという意味。
分かった? ヒトは感情の動物といいませんか?また、社会的動物ともいいませんか?
これだけの情報化社会なのですから、価値観にも多様性があるでしょう
価値基準とは幻想とはいえ、そのヒト個人の行動指針であると愚考します
それが確立していないと、アノミー・ゲシュタルト崩壊・統合失調的のような社会的に病的症状を呈するでしょうから
自らの価値観に抵触することがあった場合に、ヒトは感情的反応をあらわにするのでしょう
例えば、パワハラ上司に衆目の中でガミガミ言われても、一言も抗弁できずに頭を下げ続ける自分に屈辱・卑屈さを感じるでしょうし
自らの身あるいは弱い老人が振り込め詐欺にかかるのを目の当たりにすれば卑劣さを感じるでしょう
自らの価値基準があるからこそ、事象に対しての判断なり感情が発生するものと考えられます
岸田先生には、岸田先生なりの価値観があるのですし
>>302さんにも、>>302さん独自の価値観がおありでしょうし
こんなこと書いてる私も、私なりの価値観に従って目前の事象に対処せざるをえないわけです
それら個別の価値観は、どちらかがより正しいとまでは言えても、絶対的に正しいとは言えないという点において
「相対的」というくくりかたが成されるのだと思われます 唯幻論で唯一説明不能な存在がサイコパス。
サイコパスは他者からの承認がなくても、自我が崩壊しない。
しかも社会的な規範を一切取り込まず、表面的にそれを演じて見せるだけで、普通に生活している。
サイコパスは病気ではないし、その数も多い。
現実にサイコパスが存在しているということが、唯幻論の限界。 サイコパシーは神なんか信じないからサイコパシーなんだよ 岸田の説だとサイコパスの自我はうまく説明できんな…… 身近でサイコパスであろうと思われる者と接したことが無いので
少しググってみた
そこで、サイコパスとは、自分自身に絶対性を付与する信奉者なのではないか?、と仮定してみる
自らが絶対の基準なのであるから、他者からの承認など必要としない社会的規範に取り込まれ従う義務感も生じない
自らの情動には忠実ではあるが、他者の感情を重んじ顧慮するつもりもない
神という観念すら、一種の他者に過ぎないのだから、自らの絶対性に照らし合わせれば
神の持つ絶対性は認められないものとして、否定または無視しているかもしれない
唯幻論的に見れば、サイコパスがもっているであろう自己への絶対性もまた
サイコパス以外の一般的な人々からみればなんの根拠にも基づいてはいないということで
相対化されてしまうのではなかろうか? >>337
岸田の説をちゃんと理解してないだけだよ。 蛇足の好きな私ですから、サイコパスについて補足をいたしたく
サイコパスの世界に、一流二流が存在するのか知りませんけどーw
サイコパスが自らに絶対性を感じているのならば、それなりに有能(←語弊があるかもですが)なわけで
人間の心理を読むことに長けている、そして、人間というものが構成する社会の動向を洞察する力に秀でている
結果、自分の目的(利害や欲得)を達成するために、他者を操作することに優れていてこそ
一流wのサイコパスと思われます
また、サイコパスがその絶対性から、自身を神格化しているか?という点ですが
通常、神には慈愛と懲罰の二面性が付与されており
サイコパスが、自身に慈愛を求める・感じることはあっても(←それさえも不確定ですが)
他者に慈愛を注ぐことは、まず無いと思われますし
>>338 で仮定したとおり、神観念さえ棄却している可能性を踏まえますと
自らを神格化している可能性は低く、ヒトとしての自己認識はあると推測されます
そして、これは多少違う見解になるかも知れませんが
サイコパスとは、全能感(自己と他者の峻別という認識力の欠如)を抱えたまま
オトナとしての悪知恵(狡猾さ・世間擦れ)を身につけた存在であるのかも知れません
「オレのモノはオレのモノ、オマエのモノもオレのモノ」的な 岸田ゼミの関係者でした
「サイコパス」については以前岸田先生に直接尋ねたことがあります
岸田先生の回答は「サイコパスというものはいない」というものでした
サイコパスの存在そのものを認めないのが岸田先生の立場です オレのセイカクはサイコパス、
オマエのセイカクもサイコパス >>341
それはないとおもうね。精神病質なんてコッテコテの精神分析学上の概念じゃないか。 >>342
かもねーwww
触らぬ髪にたたり無しw サイコパスって何も解明されてないからな。
遺伝的なものなのか、脳の問題か、生育上でそうなるものなのか全く分からん。
いることは確からしいけど、原因が分からない以上、調べようもない。
ある局面においてサイコパス的であるということはあるだろうが、一貫してサイコパス的であるということを確認する手段はない。
まあ、オレはいると思うけどね、サイコパスって。安倍首相とか。 うちゅくちいくにっ!は単に奇跡的に馬鹿ってとこかと…
あ、でも出現率はサイコパスよりずっと低いかも知れんw
あとそれ、サイコパスはいるからサイコパスはいる、というトートロジーになって無いか なんかUFOはいるかいないかみたいな話だな。UFOはいる(というかある)に決まってるんだけど。
つまり、君(たち)が話題にしている「サイコパス」がどの空想上のキャラクターを想定しているのかを具体的に挙げなきゃ話が全然通じないね。 ども
空気固定ないしはスレ殺しw、こと 髪です
君 とは、私のことかな?
私は、wikiの項目をザッと眺めてみただけ
注目したキーワードは「北九州監禁殺人事件」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」
あまりの残虐さのため報道規制が敷かれたといわれる「北九州監禁殺人事件」の
犯人の、たったひとりで大家族を相互に殺害せしめた心理コントロール能力
「羊たちの沈黙」「ハンニバル」のハンニバル・レクター博士、を想定?している 岸田先生が「サイコパスというものはいない」とおっしゃたのはいつごろのの話しなのかな?
当時の先生と今の先生とでは、サイコパスに対する見解が違うかも知れない
先生が今でもサイコパスの存在を否定するのであれば
現にサイコパスの存在を主張する学者や臨床医がいる以上
先生には、その主張する唯幻論に基づいて、存在を否定する反証の必要性や責任がおありなのでは?
ただ、いないと言うのではなんの論拠ももたないと思われます
別に、岸田先生や>>341さんを煽っているわけでは無いので、その点はあしからず 東アジアよりアメリカにサイコパスの発生比率が高いのは
神Godという存在の唯一絶対性があるのかも知れない
サイコパスは、神の絶対性を自らに取り込むと同時に
神観念を棄却するため自らを神格化することもない
神観念を維持したままであるのならば
宗教系カルトの教祖にでもなるのではなかろうか?
対して、東アジアにサイコパスの比率が低いのは、多神教という背景と
こと日本においては、人間関係における相互承認が自我を支えるものとなっており
「絶対」や「絶対主義」というものが、受け入れがたい・馴染みのないことから
低比率につながっていると推測される サイコパスはその絶対性により、他者の思惑や立場に配慮をしないのだとすれば
他者に対する危害、いわゆる犯罪等に手を染める傾向があるのは当然であろう
社会に順応している大多数の人々から見れば、反社会的なのであり
だからこそ日本では、反社会性パーソナリティ障害と命名されているのであろう
しかし、私個人としては
自己絶対性パーソナリティ障害、または
独善性パーソナリティ障害、と改称したほうが適切かと愚考するところです なお、wikiの存在の項目を読んでみるに
サイコパスとは
自らの欲望達成が目的となれば、他者を踏みにじる反社会的存在となり
公共・パブリックへの奉仕が目的となれば、政治家・警察関係者・弁護士等になると思われる サイコパスに関する持論は、概ね以上でございますので
スレタイに沿った話題にお戻りください
失礼しました サイコパスってニーチェの超人のことでしょ
唯幻論によると超人の達成は不可能だけどね いやむしろ唯幻論なら超人は可能かもよ。カッコつきの超人だけど。 社会や他者との心理的な関係を完全に断ち切らないと超人にはなれん
ニーチェは発狂したがサイコパスは余裕で生活してる
これはどう考えても成ろうとしてそうなったのではなく生得的なものと考えるべきだろう
マーサ・スタウトなんかを読むとサイコパスは幼少期から無感情な性質らしい てか精神病質(サイコパシー)だけじゃなくてガチの精神病でも普通に生きられる世の中になっただけじゃね? 寄りかかるものがないと自我は立ってられないっていう岸田秀の説もあやしい。
その上、誰かに自分の自我を常に認めてもらってないと不安になって生きていけないってのも変な話だ。
独房の死刑囚だって発狂なんかしないぞ。
全ての人間に無視されたまま生きてる人なんて大勢いる。 自我のよりどころが必要ということであって、それが社会や誰かに認められていることだとは限らない。 >>359
岸田はそうはいってないぞ!
自我は! 他者に! 承認されてこそ! 自我!
そう言ってた 自我は、個人の内部に根拠がないのだから、存立するためには外部に根拠を求めざるを得ない。
自我は他者に支えられてはじめて存立し得る。
他者に愛され、受け容れられ、承認され、賞賛されることによってはじめて存立し得る。
自分が自分を愛し、受け容れ、承認し、賞賛できるのも、他者のそのような支えがあってこそである。
われわれは他者に愛されている自分を愛するのである。
逆に言えば、他者に愛されていない自分は愛することはできないのである。
他者の承認なく、愛すべき自分のイメージをつくりあげ、自分ひとりでその自分のイメージを愛していれば、それは精神病者の誇大妄想である。
自分は正しいとの確信があればそれでいいではないかと考えられるかもしれないが、
それは商人が自分の商品に勝手に高い値段をつけるのと同じである。
それでは客は来ず、商売は成り立たない。
商品が商品となるためには、それにつけた値段でその商品を買う他者が少なくとも一人はいなければならない。 自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。
相互承認の中でしか、人は生きられません。
相互承認によってしか、自我はありえないのです。(姜尚中、『悩む力』) >それは精神病者の誇大妄想である
あと「自我なんかなくても生きていけるならばそのほうがいい(でもそれは無理だろう)」とかも言ってたな。 こんにちわ
また、おせっかいをヤキに参りました
「絶対」という概念についてです
「絶対」を信じる者からみれば、全てを相対化する「唯幻論」はフィクションにすぎないでしょうし
「唯幻論」からみれば、「絶対」もまた幻想のひとつにすぎないとしてフィクション化あるいは否定されるのでしょう
「絶対」を信じる存在
「唯幻論」の立場に立つ存在
互いに存在するという 事実 だけが残るわけです
ここからは、憶測になりますが
岸田先生が、「サイコパスというものはいない」と言われた背景には
何かをうすうす感づいておられたのか
あるいは、あえて深くは論及されなかったのではないか?、と推察いたします 神Godとは、絶対・無限・万能の存在でしょうね
対比すると、人間とは有限の存在なわけです
人間が万能であるのならば
10階建ての建物から身を投げてもキズひとつ負わないはずですし(←悪魔のささやき?)
食事・排泄・睡眠はおろか呼吸の必要も無いでしょうし
死すら超克できるはずですから
ニーチェは、神を放棄して、人間に万能性を見出そうと試みたのでしょうが
現実の人間の有限性を否定しえなかったために(←当然ですよね?)
その挫折感や行き詰まり感から発狂するにいたったのではないでしょうか?
もっとも、狂気の中にあったニーチェ自身は、自らに超人性を感じていた可能性はありますが 自我とは、なにも生身の他者の承認だけに存立するだけとは限らないのではないでしょうか?
神やおカネやイワシの頭などの信仰上の他者からの承認を感じ取れれば
自我は存立できるのかもしれません
そして、イワシの頭は例外というか冗談としても
神やおカネを信仰する者同士(同一宗教の信者や拝金主義者)は
同じ価値観を共有するものとして、互いに承認し合うのではないでしょうか?
また、自分自身の思想信条に忠誠をつくす者も存在するでしょう
その者にとって、他者とは自らの思想信条を補強するものであれば同志となり
自らの思想信条を脅かす存在であるのならば、粛清・排除の対象になるのかもしれません
>>357
しごくもっとも、です >ニーチェは、神を放棄して、人間に万能性を見出そうと試みたのでしょうが
永劫回帰ってそういうことじゃないよ
クソミテーな人生だけど妄想に逃げずに真正面からこのクソ人生を無限に生きてやるぜっていう宣言でしょ >他者に承認されなければ自我は存立しない
岸田のこの考えってさ、厳密にいうと、
「他者から承認されたと思い込むことが出来なければ自我は存立しない」ってことでしょ。
他人の脳みそは覗けないわけで、他者が承認してくれたってことを確認する方法は存在しないからね。
つまり、他者からの承認ってのは、自分自身の思い込みであればいいわけだろ。
「あいつは俺を認めてるはず」「社会はオレを評価したはず」
勘違いでもいいからそう思い込めさえすれば自我は安定しますよってことを岸田は言ってるわけだ。
「あの女のオレを見る目つきはあれは俺に惚れてるに違いない」とかいう壮絶な勘違いであっても自我は安定する。
そういう他者を持たずに、人間の自我は安定するんだろうか。
岸田は安定しないと断言してるが。 >>371
なるほど、よくわからんw
クソミテーな人生だけど妄想しつつも真正面からこのクソ人生を有限に生きてやるぜっていうのが
私の立場であるのかも知れません・・・ >神やおカネを信仰する者同士(同一宗教の信者や拝金主義者)は
>同じ価値観を共有するものとして、互いに承認し合うのではないでしょうか?
岸田秀の共同幻想ってそういうことでしょ
神やアイドルからの直接の承認がなくても横のつながりがあればそれは他者からの承認と同義だろ
その横のつながりを共同幻想と呼んでるわけだし
問題は誰とも共同化していない哲学を持ってそれに沿って生きることで自我は安定するのかってこと
サイコパスがいるとすればまさにそういう生き方をしているわけで
岸田秀の理論とは齟齬が出てくるっていう話 >それは精神病者の誇大妄想である
>精神病でも普通に生きられる世の中になっただけじゃね? >>374
承認 とは、受動的・被支配的なのではないでしょうか?
また、私は>>370において
>また、自分自身の思想信条に忠誠をつくす者も存在するでしょう
>その者にとって、他者とは自らの思想信条を補強するものであれば同志となり
>自らの思想信条を脅かす存在であるのならば、粛清・排除の対象になるのかもしれません
と書いたわけですが
その者にとって、他者とは思想信条を補強する材料にすぎないという意味において
能動的・支配的であるのかも知れません
サイコパスが実在するのであれば、以上のようなものかも知れませんし
その思想信条も、万人が受け入れる絶対的根拠に基づいてはいるわけではないので
「相対的」存在とは言いうるのではないでしょうか? 蛇足です
承認とは
する側からすれば、能動的・支配的ですし
される側からすれば、受動的・被支配的、なのでは?
相互承認とは、まさにお互い様ですな それは厳密にはいえないなぁ
される側が受動的で被支配的とは限らんぞ
つまるところ承認される側の思い込みに過ぎないわけであって
他者が分かりやすく「好き」と言ってくれれば受動的で被支配的に見えないこともないが
「キライ」と言われてもキライキライも好きのうちとか何とかで承認されたと思い込む場合もあるわけで
その場合はむしろ能動的で支配的であるともいえる
本当に厳密にいえばする側にしろされる側にしろ能動的で支配的であるともいえる
される側であっても最終的に「された」と決定を下すのは自分であるわけだから
その決定は能動的で支配的なものとなる 髪降臨
また、ツマランことを思いついたんでカキコ
サイコパスと常人の違いです
サイコパスは、他者を自らの目的のための道具と見做しているのかもしれません
対して常人は、他者を自らと同格の一人格として一定の配慮を払っているでしょう
サイコパスが権力と結びつけば
ヒトラー・スターリン・毛沢東・金日成・ポル ポト、となるのかもしれませんし
権力と無縁であるのならば、身近な凶悪犯や独善的な職業人にとどまるのでしょう
いわゆる独裁者が「個人崇拝」を求める背景には、他者を思いのままに料理できるという全能感があると思われます
そして、超人性を感じている可能性もありうるわけですが
むしろ、絶対権力から遠ざけられる恐怖(暗殺等)ゆえに、極めて現実主義者的側面を抱えていると考えられます
サイコパスの、他者への(精神の)征服行為が「承認」に含まれうるか否かは議論の分かれるところです 駄文
常人を超えれば、超人(=非・常人=常人の視点から見れば狂人)となる
発狂後のニーチェ然り
あるいは、生活者として破綻し逸脱行動を繰り返すサイコパス然り
赤ん坊は狂人ではありませんが、無力でありながらも親などの庇護を受けることによって万能感の中にあるでしょう
狂人(超人)もまた、生活者としては無力ながらも身の回りを世話してくれるヒト様の存在により
万能感を感じているかもしれません
狂人の意識は覗けないので不明ですが、神観念が消失していないのならば自らを神格化している可能性も残ります >>371 において「妄想」という単語がでてきたのでこだわってみた
妄想とは、ココロの「遊び」でしょう
銃弾の飛び交う第一線の戦場では、現実を直視し続けなければならない
でなければ戦死戦傷につながるのだから
しかし、日常において現実直視だけではいかにも味気ない
だからこそ、妄想や空想に遊び
互いにヨタ話し・エロ話しにハナを咲かせ
あらゆる趣味や娯楽、そして性欲の充足に興ずるのでしょう
いわゆる非日常性ですね
現実一本槍では、ヒトによっては精神に過負荷がかかり
精神疾患になりかねませんから
私は、すでに発症しています
ですから皆さん、心を守るためにもちゃんと遊んでください!
中には、仕事や勉強を遊び心でこなされている方もいるでしょうけど(例・発明王エジソン)
↑ホントはageで書きこみたい一文です ・・・スレを殺しにまいりました・・・
しつっこくサイコパスについての推察です
他者を道具と見ているのならば、反射として自らをも道具視している可能性があるのであり
自らが道具であるのならば、何のための道具であるのか?
信仰のためなのか?(←可能性は低いです)
思想信条のためなのか?
愛憎のためなのか?
反社会的(犯罪的)願望・欲望のためなのか?
蛇足です
日本語において、人間をあらわす「者」と物体をあらわす「物」とが同じ発音であることに
何か意味深なものを感じるのは私だけでしょうか?
そして、人物を評価するのに大物・小物の文字表現がなされるのは偶然なのでしょうか? >>386
蛇足についての蛇足です
日本語における「モノ」は古代において「オニ」を表していたなんて説があります サイコパスに関する締めくくりを述べさせていただきたく
常人は、理性・常識・良識・倫理・道徳等呼び方はどうあれ他者と折り合うことで社会にて適応をしているわけですね
いわゆる犯罪者は、上記したようなココロの留め金(ストッパー)を失って触法行為に及ぶのでしょう
サイコパスは、絶対性・全能感を抱えながらも自らを無力と自覚しているうちは社会に適応しているよう振舞うのでしょう
しかし、生活の破綻や権威権力の一端に取り付くことでストッパーを失い
反社会性や独善性に満ちた常人から見ると逸脱した行動に出るのでしょう
無論、>>338 におけるそもそもの仮定に誤りがあるのであれば
その後の論理展開は全く意味をなさないモノであります
反論などありましたらお待ちします、そうすれば
サイコパス自体が存在するのかやその定義づけの変更など議論に弾みがつくと思いますので
>>387
なるほど、古代において人心を惑わし操り人々に害をなすサイコパスは
鬼(モノ)のように鬼(モノ)として恐れられていたといったところでしょうか? ああ、ここは岸田先生・ものぐさ精神分析のスレッドでしたね
サイコパスを深堀りするのはスレ違いなのでしょう
すいませんでした ほかに書き込むところが思い当たらないので、ろりあえずここに・・・
「絶対性」という不合理についてです
それは、神に絶対性を付与することで、人間は合理性・現実性で社会を営もうという知恵ではなかったのか?、ということです
従って、神を否定すれば宙に浮いた絶対性は
思想に取り込まれるか、人間自体に取り込まれるでしょう
思想に取り込まれれば、その思想は人々が隷従させられる全体主義的思想となるでしょうし
人間に取り込まれれば、自らにそして相手に過重な負担を要求する重圧社会になりうるでしょう >>390
上記、補足しておきますと
一神教世界を想定したものであり
よって
限定的な役割・力しか持たない神々の
多神教世界とは別のハナシです まあ、そういえます
キリスト教に代表される一神教の
万能なる神よ!
というヤツです
・・・ああ、スレ違い・・・ 全知全能なる神よ!
のほうが、より適切ですかね?
・・・いずれにせよスレ違いだなぁorz・・・ 「全知全能の神と比べると人間は惨めな存在である」
というのはものぐさ精神分析につながる。 もちろん全知全能も絶対的神も幻想(人間的営みである)
というのだろう。
どうせ人間的営みであるなら(本能が壊れた人間の幻想・文化)であるなら
どういう幻想の形がいいかかというのであろう。
それが「ものぐさ精神分析」であったと思うんだけど。
だから本能が壊れたゆえの「幻想」というところに共感した人も
そのあとはおおいにあるいはいくらかは意見が分かれていくのだろう。 以前雑談板で岸田をネタにしたスレ立ててみたら思ったより好評でわろた
一定の魅力はあるみたいだ 20年ぐらい前に学生の頃読んだ時に衝撃受けたけどね
幻想に支配された実社会では実存の否定にも繋がるから主流にはなりえないよね >>401
自分もハタチの時に読んでかなり影響受けたし救われた
でも、もう近著には心を動かされない
なんでだろう もう何番煎じもやって味がしないどころか飲めたもんじゃないのか?
ほとんど出がらしのあとだもんなあ。
でも結構影響受けた人はいるのでその人たちの活躍に期待できるのか。
宮崎駿も「ナウシカ」つくった頃、岸田秀の話をしてた。
「ナウシカ」に絡めていたわけではないが。
ここのスレ主は岸田秀に会いたいそうだが
ものぐさ精神分析が最初出た頃、氏の住所なんか載っていて
私は手紙を書いたがいまもそこに住んでおられるのだろうか? でも二番煎じだからってよりも岸田秀の趣味思想でしか
なくなってきてるもんな。 これこそ事実であり、真実なんだろうけど20世紀であり、昭和の事実なんだよ
今は平成、そして21世紀 日本国は精神分裂病説、仮に正しいとして
この前の大震災のときは諸外国から分け隔てなく援助してもらって、日本も主体的にふるまったんで
もう精神病は治ったと、岸田先生がどこかの雑誌に書いてたけど
領土問題とかTPPでまた元に戻ってしまったんじゃないの? >>411
>>411
諸外国から分け隔てなく援助してもらったんで主体的に
ふるまえたともよめるな。
そうでなくなったらまたすぐ分裂する立場の弱い子なんだ?
それともそれ以前に主体的になる兆が日本人内部にあったのかな? 「官僚病」はどうなったんだろう?
システムと一方で言ってるのだから「病」
と呼ぶ必要があったのかどうか疑問だが。 じゃあシステムは何のためにあるの?
岸田秀も「問題はシステムである」と言ってるんだが。
「システムが問題ではなくそれに依存することが問題である」
ならわかるんだが。
この人はなにがいいたいんだかわからなくなったね。
読んでいて面白くもないしわかりやすくもない。 >>417
それがなんで「病」なんだい?
仕組みだろう。日本人が伝統的にこの仕組み(不良品)でやってきたのなら
その仕組みを改変すればいいんだよ。
もちろんこれは簡単なことではない。
「病」とつけたがるのは自分の出番がないからじゃないか? 江戸時代にはまともだったのが、その後変になってったから「病」てことじゃないの。 岸田秀は「大和政権を中心に日本をつくったころから自閉的共同体の
集まり」と言ってるそうだが。
それとウォルフレンなどを読むと「民は依らしむるべし知らしめるべからず」
でこのときの官僚体系の延長だと主張している。
それに岸田秀は文化は松葉杖だと言っているので
どうあれ官僚システムが病とは言えないのではないか。
(もちろんその松葉杖を利用して私腹を肥やすのが病だというのなら
別だが、それは個人攻撃で嫉妬であり問題はシステムだと言っているのだから)
松葉杖を改良することを指摘しているのだから。 420の
「民は依らしむるべし知らしむるべからず」
はウォルフレンが江戸幕府の体制を
威光によってよって従わせ情報開示はしない、というような意味で
つかっていた。 病である人間がつくったシステムをさらに病というのは冗語だろう。 官僚病なんちゃらって本の話かな?
読んでないから話に加われなくてさみしんぼ 病って言いたいんだよ
どんな病かって聞いたらシステムの問題だってさ。
なんじゃそりゃ? じゃあシステムを入れ替えろよ
本能が壊れた人間のやることだものおかしなとこもあるだろうさ。
病が治るとかそういう問題じゃないだろう。 病だけに移植は効かないんです。
しかも移植したことによる病なんで。 へえ何言ってるのかわからないけど
じゃ、どうするの?
病って言いたいだけじゃない?
システムを移植したわけだ。で移植はできないと? 428
こういう言い方してるとほんとに何をしたいのかわかんないね。
入れ替えろってのは改変しろって事なんだけどね。
改変できないと・・・じゃあ何をしろって話だよね。 外科手術はできないから
精神分析の出番だと言いたいんだろう。(笑)
見え透いた手口(笑)
「入れ替えろ」からやっと見つけた「移植」の連想(笑)
外科手術じゃないことはわかってるんだが。
岸田秀はやはり自覚すること、国民の自立を主張してるよね。 歴史や社会に対して精神分析の手法を用いる事ができるってとこは押さえてるんだよね?
岸田はフロイトはそのつもりで精神分析を構築したというようなことを言ってたけど。
「ある幻想の未来」の"モーセと一神教"とかだったかな? >>435
岸田はフロイトが生きてたら私は破門されたでしょうね。とも言っている。(笑)
精神分析の方法が有効なら使えばいいけど
既に人間そのものが病(神経症)であると言っている岸田が
問題はシステムだというときなぜそれを病としなければならないのか
よくわかんないなあ。と思ったたけなんだけど。
システムの不備(歯止めが機能しない)で十分じゃないかな。
文化は松葉杖だと言ってるんだからその松葉杖をさらに病というのは
どうなんだろう?
精神分析の方法を使うとシステムの機能不全も病とことさら
呼ばなければいけないのかな。? 神経症の人間が作った社会システムだから、そのシステムも必然的に病的だと。
で、暴走したときに止められないのは、同じ症状を持つもの同士だから。
とかいうノリじゃないの?
読んでないから推測だけど。
しかしスレがにわかに活気だって俺は嬉しいよ そういうノリはいらないんじゃないかな(笑)
文庫本はタイトルが「歴史を精神分析する」に変わっているから
こっちのほうがいいよ。
“構造的統一を欠く日本文化”とかタイトルがついてたら飛びついたんだけどな。
なになに症候群とかシンドロームとか一般に流行ってたから
またかと思ってしまった。鬼面人を脅すってやつ?
そういう印象ね。
これについてはまた書き込みするかもしれないけど
読んでみるとけっこう面白い。
「日本人を官僚病から救うために」(このタイトルも気恥ずかしいんだが)
で理解してたので先入観があった。
私にとっては「ものぐさ精神分析」(このタイトルのおちゃらけではない脱力感はいいね)
に並ぶ大事な本になりそう。 438
訂正→構造的統一を欠く日本文化とかいうサブタイトルがついてたら >>437
どの社会も、そこの国民の平均的なレベル以上の政治家指導者は出来ない
って説に納得させられた。 >>438
文庫化されてんだ
ありかと、読んでみます。
>>440
全くだよね
俺も厳密に言えば違法なこと、結構やってたり見てみぬ振りしてるから、
政治家の不正とか見ても、まあやってるよな、で腹もたたないや。 >>438
単行本(新書館)の帯は
「なぜ官僚は腐敗するか?」
だね。 岡田斗司夫との対談も興味深い
岸田 じゃあ、その社会をどう運営するのかは、誰が考えるのかな。
岡田 だから、そんなことを考えるのが不幸の始まりだって、
先生、本の中でおっしゃってるじゃないですか。
自分で責任のとれない範囲のことを、誰かがみんなのためになんて。
岸田 じゃあ、それでいいのか ↑この対談はサイトで探せる。“精神分析はもういらない”だったかな
本は「しゃべる唯幻論者」 >>444
そこで引けるのは偉いと思うわ
分からない分かってないのに、分かった振りして語る人の多いこんな世の中じゃ 構造的統一を欠くから誰が政権とっても日本を、まとめるって
ことにならないんだね。
(コロコロ総理が変わるのも、そのせいか)
天皇にイメージ的に日本の統一性を描いているだけで。
皆、仲良くというか。
だから天皇は政治的に平等でなければならない。
誰もぬけがけで接近してはならない。
それに我々は守られていると同時にまた、それは足かせともなる。
それを越えるようなシステムを獲得する契機が
日本人に今後あるのだろうか。 まだこの人和光にいるの?
授業とっておけば良かったかなw 白人「イタリア行ったら肌が白いってバカにされまくったww」海外の反応
tp://10000km.com/2013/12/24/ginger/ ※454
白人至上主義は健在だよ。白い人が差別すると色々問題なので、有色系の白人で嫌がらせするって聞いたよ。実際イタリアはそうだったよ。純粋に近い白人は皆非常に優しい。温厚。浅黒な奴が糞。 岸田秀いい加減に日本の歴史から消えてくれ!!!自虐史観もはなはだしい。大体が、論理学や数学、人工知能周りから
心理学に接近しないで、精神分析に擦り寄っていくというのが、人間として、どれだけあさましくて、文学的な遊びでしかないか。
情念に引っ張られ続ける悲しい年寄りだ。もういい加減、棺桶は入れよ。最悪の文系のゴミだよ。
自殺する伊丹十三のような3次元人はもう見たくない。最低限、相対性理論や確率力学の視点を持った人間に世界を語らせるべき。 現在の韓国や中国を見て、脱亜入欧を否定する岸田秀の考え方に同意する人は、もう、いないだろう。むしろ、韓国などは、近代化に失敗し、ヨーロッパ的な価値の受容に失敗した、と、
筑波大・古田教授が言っている。いい時代になった。こんな奴の本、見つけたら、蹴飛ばして踏みつけてやる。 隔離したからって靴に感じたりはせんな。どうして分からないんだろうな。
文学的な馬鹿ばっかりいるんだよな。岸田秀周りって。
イメージや観念だけじゃなくて、それを性快楽で焼付けすると、
そのイメージ通りの性的志向や性自認の人間に変貌していくんだよ。
だから、昔からよく言う、男がオナニーしすぎるとお釜になるというのは本当だ。
もっと、観念や行動自体が実はホルモン分泌と密接に結びついている。
それが分からない奴が、必死で、幻想だからありなのか、してもいいのか、
みたいに、論理で考えている。論理じゃないのにな。分からないんだなぁ。 だいたいが、一般の精神科医ですら性同一性障害のこととかさっぱり分からないよ。
専門に診ている医者じゃないと。
岸田秀の本読んで感じるのは、そう言う分野はまるで分からない人だな、ってこと。
フロイトの伝で妄想たくましくしてるだけで、実際の知識じゃない。だから、本能が壊れているからって
岸田秀の言説で観念的に性の事考えるのはやめた方がいいよ。
理論に値する理論ならあらゆることを同列に語れなきゃいけない(例えば天皇制と性倒錯)と言ったって、まず、時間的制約で何でも分かる人間はいない。
社会学的なことだって、全体のことは同時に分からない、って鉄則があるんだから、理論で全部語れるわけが無い。
部分を積み立てて類推した過去の集成体でしかない。岸田秀自身が分からないこといっぱい抱えているというのが、子供には見えないもんなんだな。 もっと脳や心には、論理学や数学のような左脳的アプローチをするべき。
でないと、無意識とか言う、中途半端な文学的アプローチしか出来ない。
それでは、実際に自分をも支配するホルモン分泌の罠から自由になれない。
無意識を考えるようなセンスで、情動を開放するとき、それはミスターホルモン
になっているから。思考にカタルシスとか求めてちゃいけない。
それがまさに限界だと思う。そう言うやり方では、自ら経験して知る、と言うネアンデル的な
方法論となんら変わらない。性のことが分かったときには、自分がオカマになっていたりする。 無意識てのは日本語的に言うと「意識していない状態」のこと。
「無意識」なる何かが存在するわけではない。
他の人には見える(感じる)ものを見なく(感じなく)することが出来るその精神機構こそが無意識の妙であり、
それを見れる(感じれる)ようにするのに不可欠なのが精神分析。 だいたが、カウンセラーにはスーパーカウンセラーがいて、
定期的に相談したりカウンセリング受けているという時点で、
大司教かよみたいな世界だ。 馬鹿大学じゃ、基礎科目の物理も、相対性理論の説明で終わっちゃって、
量子力学なんて手が回らないからな。無理もない。
信者がいっぱいいるわけだぜ。 おいおい
急にレスが伸びてると思ったらすごいファンが来てたのか 「ものぐさ精神分析」の正・続は今も間違いなく名著だな。
中にはトンデモ学説っぽいものもあるが、それはそれでそんなに気にならない。
それよりも岸田の本、特に「ものぐさ」あたりの初期のものを読んでると
人間洞察の鋭さにしばしば感心させられる。
フロイドとかにヒントを得ているのかも知れないが、この人の洞察力はマジ半端ないわ。 同感。
俺はこの人の本を読んでから、何かにつけ「自分は何か欺瞞しているのではないか?」と考える癖が付いた。
それ以来いろいろだいぶ楽になった。 ものぐさ精神分析は、何か空想の主人公になりきって(白人含む)漫画を描いたり、
まったく想像のファンタジー世界を作ったりと言う、
子供の頃からのナイーブな感性を破壊する本。
美術系とかクリエイターには、嫌われる。
岸田秀には美術を理解する能力があまりないと思う。
だから、ものぐさ精神分析の文庫本のイラストもきもい。 自分の行動や思考癖を思想的なもので矯正しようとするのが、弱者の発想。
思ったが速いか手が出る人に負け続ける。天性の才能に踏みにじられ続ける。
岸田秀的に精神分析で自分を治そうとすると、とことん、そんな感じになる。
恥を恐れる自分を捨てたほうがよっぽど良い。外向的自己万歳。アメリカ万歳。 分裂病が人格の一貫性がないと考えるのは浅はかだ。発症している急性期には、
たしかに支離滅裂になるが、長く生きていれば、そのばらばらになった思考が
すべて一本の糸になってくる。もっと大きな人生のスパンでは一貫性が保たれている。
ばらばらになった思考自体、すべてその人を構成する材料だからだ。結局は全部必要だ。
当時の日本人が分裂病的と言う発想自体、思い込みだと思うが、その分裂病観にも疑問がある。
やはり全体のことは分からないのだよ。 こう言う行動は、卑屈な外向的自己に基づく行動だから、くだらない、とかいちいち考えて行動するの?
素直な他人への共感能力が破壊されるだけだと思うよ。絶対に無駄。 小保方は、、国民を騙して、税金で年収1000万円超えてます
小保方晴子うそつき会見ワロタ
笹井芳樹も
確信犯で大ウソをでっちあげている!
計算メイク&服装&涙www by東浩紀
研究者のくせに、科学的根拠ゼロ回答!!!!!w
「小保方は”私は幼かったから許して”以上のことを言っていないw」
小学生でも分かる、論点ズラシの詐欺トークww
法律に逃げた時点で、ペテン師確定w
妄想癖でstap細胞があるとかw200回見たとかww
ふざけんなブス
騙されている低学歴クズ多すぎ >>468
栗本薫=中島梓がものぐさに感銘して岸田秀に私淑してた。
あれほどのクリエーターは強いんだろうね。 >>475
知らんかった
今年は翻訳だけどこんなん出てる。
高校生からのフロイト漫画講座
ttp://honto.jp/netstore/pd-book_26101321.html 本音も建前も社会的に認識されているもの。
内的自己は社会的に、あるいは本人にも認識されないもの。 無意識過剰男こと石原慎太郎こそが我々の内的自己である 何で日本は自殺者が多いのか
自我が弱いからでしょうか 岸田さんは「人はオノレの自我を守る為に自殺する」って言ってるね
つまり、今の日本は生きていては自我が保てない社会なんだろう。 宗教 ない
文化 未熟
共同体 崩壊
松葉杖が家族と仕事ぐらいしかないから、職を失って更に離婚でも突きつけられたらもう支えるものがない
だからこんなに自殺が多い >>482
日本人の場合守ってるのは自我ではなく世間体や見栄のような気がする。。 平均脳重が欧米人より150グラム多いモンゴロイドじゃないですか。
何か他に具体的な理由があるんだよ。
コーカソイドの方が前頭葉が発達していると言うし。
間違っても、世間体を気にするから、とか、
考え方の問題にしないことですな。 >>486
>何か他に具体的な理由があるんだよ。
どんな?
考え方の問題というより環境的な問題からその考え方も来てるってことでしょう。 考え方というのは脳の発達・進化にも影響するとおもうけどね。 さて、またスレを殺してみようかな?
心理学の世界では、ヒトには承認欲求というものがあるそうだ
他人から認めてもらうことで自我が安定するということであろうね
一神教の世界であれば、神Godの承認を得られたと信じられれば
例え孤立していても、あるいは自我の崩壊はまぬがれうるかもしれない
他方、今でもムラ社会的要素を多分に抱える日本においては
他者からの承認に自我の安定が依拠している面が強いのであろう
したがって、村八分という社会的制裁により孤立に追い詰めて
社会に対する罪を反省させたり、疎外感を味合わせて自殺に追い込むこともあるであろう
これは、欧米のような一神教世界とは違う日本型の秩序維持構造だ
ハナシは変わるが、アキバ無双のK藤
誰も見ないようなケータイの掲示板に孤独な悩みをネガティブに書き続けても
注目、いわば承認してくれるヒトはいないわな
で、無差別大量殺人という最低最悪の凶行に及ぶことで殺人者として脚光をあびることで
社会的に認知されるとともに、同時に社会的に自殺もしているわけだね
こないだも、拍で似たような件があったよね
現実の人間関係は希薄、ネットでの注目をあびるための奇怪な発言等が逆にドン引きされての
結果としての孤立、そして通り魔殺人という凶行
あの男は、「目撃者」としてテレビクルーに囲まれてインタビューを受けている時に承認されたと
感じていたことであろうよ
無論、他者からの疎外されることだけが自殺の原因になりうるわけでは無い
自らに深刻な悩みを抱えていて、それを相談する身内・仲間がいたとしても
相談をもちかけることで、相手に迷惑をかけたくない、そういうカッコ悪い自分は見せたくない
そうして自らを自身で疎外に追い込んで自殺にまでいたるということもあるであろう
これは、上記のほうのレスの文脈にでてくる世間体や見栄なのであろうね >>487
>>488
なんかそれじゃぁ、獲得質で這い上がらせようとするどっかのヨット塾みたいだよ。
考え方で自分を変えるなんて回りくどい。 ネットってある程度、匿名性あるのに、ドン引きってことあるの?
妄想じゃないの? 私は、2chくらいしかしないから
ほかのSNSとかわからないんだが
テレビで視聴した範囲の情報では
カメラ付きPCみたいなのでリアルチャット?みたいなことしてて
そこで奇声とか発して注目をあびようとして
逆にチャット仲間から気味悪がれて疎外されていったらしいよ >>491
獲得質ってよく知らないんだが
どっかのヨット塾って何故?
君の言ってることも一つの考えであることに変わりはないだろ? 暗い気持ちを抱いていれば
自分の人生も自分の目に写るセカイも暗く見えるであろう
逆に、明るい気持ちをもって毎日を悔いなく生きれば
人生もセカイも明るく感じられるであろう
そういう明るく楽しそうなヒトは
近寄りやすく楽しみを分け合えるヒトなのであろうから
現実でも好感をもって受け入れられて
自然と他者からの承認を得られる機会も多いであろう
自分の考え方・気の持ちよう次第で
自分を取り巻く人間関係などの環境因子が
変化する可能性はあるかもしれないね 承認されたいと待っているようでは、承認は訪れないであろう
与えられたいと期待しているだけでは与えられないのであり
自ら与えてこそ、与えられるのである
承認をただ待っていても、他人は無関心なのであり
承認をすることによって、相手も承認の舞台に登壇するのである
変なプライドに凝り固まって与えられて当然だ、という態度でいたり
オムツの取れない幼児のように与えられるまで待っているような消極さでは
承認は程遠いモノになるのではなかろうか? 上記>>496は、抽象的すぎたかもしれん
日常において
小さな親切をし
大きなお世話をして迷惑がられないよう心がけ
アイサツという形の承認をされたら
こちらもアイサツの承認を返し
困ってそうなヒトを見かけたら
手伝いが必要か尋ねて
必要であれば手助けする
これくらいからでもいいと思う 蛇足だけど
困ってそうなヒトを見かけても
それが自業自得・因果応報的なモノであれば
放置プレイしちゃったり
逆に追い込みかけちゃうんだけどねw
テメエのケツくれえ
テメエで拭けよ、ってな ※493
大和魂は進化論なんだろ。43:00辺りから見ると分かるんだけど。
ttp://www.youtube.com/watch?v=6Wh3-qXI080#t=2792
わざとこの人に近い考えを嫌味で言ってたんだよ。モンゴロイドが150グラムどうとか。
岸田先生の本では、むかぁし、発達障害とか自殺に追い込んだとかで載ってなかったっけ?
ごめん。うろおぼえなんだ。獲得質ってのは正確にはもっと長いスパンのことを言うので、
個人の努力を意味してないのも知ってるんだが。ノリで言った。
岸田先生も、ネオテニーについて書いてたじゃないか。 テメェでテメェのケツを拭けない人間もいて、
それも人間の概念の内に含まれている。
人間の定義をあくまで自立に置くのは、間違っていると思うけど。 それもまさにホルモンバランス。書物の中の言葉から始まっていることじゃないんだ。 自業自得とか、因果応報と言う考え方も、
仏教の業、みたいな差別的表現に感じるね。
すべての物事には理由があってしかるべきなのに、
精神科の治療では、この医者の治療で悪くなった、
と言う単純な因果関係すら認められないことが多い。
そう言う患者が実際にいて、精神分析に希望を見ようとするんだけど、
結局、がっかりするってことを一番、言いたいんだよ。
統合失調症は精神分析では治せない。
一部のケースで診てるけど、それは何なんだろうって興味があるから
色んな所をウォッチしてるのさ。 精神分析で自己分析して見ようなんて奴は、人に言えないことで悩んでたりするだろ。
でも、医者ってのは神様じゃないんだな。職業倫理ってのすら当てにならない事だってある。
とにかく一般には、犯罪者の悩みや、性的逸脱者の悩みに答えてくれるような人種じゃないんだな。
非常にお堅い、自分の回りのことしか考えないのは、嫌な優等生と同じだってことだ。
精神病の猛烈にこじれた話なんて、まともに取り合う人もいない。
それは精神分析を勉強した医者だって同じことなんだな。
それに気がついてない奴がいるんじゃないかと思っているんだ。
結局、最後は、自分しかないぜって。 × 人間の定義をあくまで自立に置くのは
○ 人間の定義を完全な自立に置くのは 黒人→白人から始まったいじめの連鎖
中韓叩いてる時が落ち着きます おいしんぼぐらいで何であんなに騒いでるんだろう
あれを認めたら自我が崩れちゃうんだろうね 日本代表なのに監督は外国人
内的自己に見えて外的自己だ >>503-504
何があったか知らんがガンバレと言いたくなる 伊丹十三監督の自殺って岸田秀となにか関係あるのって本当ですか? 伊丹十三と岸田秀が深い関係なのは既知だが、自殺まで関係あるとかは初耳。 >>503-504
随分否定的だな、精神分析医は神じゃないけど、岸田は神に近い存在だよ、信じることが大事なんだよ そういえば岸田さんはフロイドのことを「フロイド大明神」と言っていたねw
さておき、唯幻論も、世界の成り立ちを解釈する取っ掛かりという点では宗教的なモノではあるかも知れん
しかし、神秘的でなく超越的でないという点で宗教と決定的に異なる
俺は唯幻論のそこが気に入っている 今日本屋で岸田先生の新刊みて叫んでしまったよ、引退したと思ってからね、即買いしたよ 愛も情も恋もないが私は死ねない
ただ求めて終わる人生 そう言えば釈迦が「愛する人に出会うな」
といってるそうである。
「執着があなたを悩ませるだけだ」とかなんとか
釈迦にとっては愛とは幻想というより妄想みたいなものなのだろう 信じるか信じないかしかない岸田秀なら
つまらんな
一かそれとも零かを相手に迫ってそれ以外の選択を許さない宗教のようだ 岸田秀を信じるということは岸田秀を信じないということでもあります。 >>522
だからわざわざ信じなきゃいいじゃない。
あ、そうかそういう考えもあるのか。
それで十分だよ。
何が何でも「幻想」だと信じたい。
でもそれを信じると幻想であることの矛盾が生じる。その考えも幻想なのだから
だから岸田秀を信じない。信じないことが信じること。(笑)
「向こうから釈迦が歩いてきたら釈迦を殺せ」
釈迦を拝むな自分自身に帰れ。という仏教の方がこの点では正しいように
思う。 唯幻論は信じるかどうかではなく納得できるかどうかだと思う
岸田が持ち出す具体例はわりと科学的には間違ってたりもするが
専門家に指摘されても本人は撤回しないどころか全く気にもしてない まあ科学も一つの宗教ですから。人類史上最も巧妙な。 >本人は撤回しないどころか全く気にもしていない
だから何? >>526
科学が人々を幸せにすると信じてた意味においてはね ピタゴラスなんて数字は神の贈り物で
これを解明することによって世界も解明すると信じてた。
でも自分の弟子の一人が無限小数なるものを発見して
失望してその弟子をほかの弟子に殺させたとか言われてる。 ある科学者が「科学は人間の存在については手も足もでない。」
みたいなことを言っていたが
だから岸田秀のような人の言うことが意味があるのはわかる。 >>528
俺は526じゃないけどたぶん526が言いたいのは
人類の営為は科学も含めて全ては幻想なので
幻想を現実視しているという点において宗教と差がない
と言いたいんじゃないかな
岸田スレだし ピタゴラスは科学者ではなく
万物の根源を数とみなしていた神秘主義哲学者です >>532
別に科学者と言ってはいないよ。
学問と呼ばれるものだってその神秘主義とやらが入り込んでた
と言ってるだけ。 >>531
ふうん。岸田秀も言ってたけど科学の場合技術と結びついたりして
実用的な結果をもたらす一面があるから
そういう概念で言えばいわゆる宗教とは一線を引いてもいいと思う。 見えないし、測定できないし、数値化できないし、
心のありようを扱うという時点で、自然科学的な証明の仕様ができないのはしゃーない。
ただ、神とか仏とか、神秘的超越的な存在を持ち出していない。
多くの臨床例を参考にしている。
割と筋が通っている。
というところで、俺は唯幻論に納得した。
実際、唯幻論を元にオノレの人格を考察することで、自分自身神経症的症状が割と収まった(と思う)。 しかし本人がうつ病を治療するのに薬で治したっていうのがなんとも
なぜ精神分析で治さなかったんだ 岸田秀はフロイト大明神とか言ってるの?
軽い冗談なのかも知れんけど誤解を招くぞ。
その内フロイトが神秘化されて精神分析を会得するのが悟りのごとく
されて・・・(笑)
フロイトに「終わりのある分析 終わりのない分析」って言葉があるが
一つの症状に対して分析の終わりがあるとしても 人はまたあらたなトラウマに
見舞われるかも知れず分析そのものに終わりはないってことらしい
けど、人生に悩みは尽きないってことだろうね。
そこをちゃんと抑えておかないと釈迦のように神格化されてしまう。
浄土におわす仏陀「(釈迦)のごとく。
>>536
それ岸田秀のこと?
鬱は遺伝的なもの生理学?みたいなものとも認めているのかな? 説得力はあるけど科学的に間違ってるのが見えてきてるよな。
理路整然として説得力はあるけど実は正しくなかったというのはたちが悪いんだよ。
例えば共産主義の失敗。 >>535
>多くの臨床例を参考にしている。
これは本当か?確か臨床経験はないって書いてたような 科学はいかに理路整然と説得力のある理論(仮説)であったとしても
実験結果、観測結果と合致しなければ捨て去る。
そういう判断にさらされない(そういう判断にかけにくい)フロイトや岸田の理論は正しいという保証はない。
岸田自身そのことはわかっていて自らの理論を物語(フィクション)だと語っている
その上で、そのフィクションで治ればそれでよしという立場。
なんだかなあ。どうんなんでしょうか。騙されたような詭弁のような。 理論が物語というのとはちょっと違うな。
これこれこういう環境で親がこうだからこういう抑圧があって・・・というような物語。
でも岸田が自身の神経症の原因として語った物語はやっぱりすごく説得力があるんだよな・・・
本当にただの物語、他の物語(たとえば狐に憑かれてとか)と置き換え可能な物語なんだろうか・・・ というか「神経症」という語自体が精神医学の世界から消えてるらしいから
やっぱり幻だったのかな。まさに唯幻論。 >>541
関係性の考察かな?
この場合、親と子の関係性の考察 しかしドヤ顔で書いてしまったけど俺の書いたことは全部岸田自身が著書で書いてることなんだよな。
私は岸田大先生には多大なる影響を受けました。 >>540
言い換えれば理論に反する実験・観測結果が出てくるまでは真実だと信じられるということだね。
今の科学は理論に合致する結果が出るまでひたすら金をかけて実験するみたいだけど。 精神分析は、自然科学とは土俵が異なる。
「物理」ではなく「意味」を問題にしているので、実験や観測で証明出来る類の話ではない、
ということは岸田さんも最初から言ってるし。
実際、そんな証明は未来永劫不可能だと思うし。
合理性、蓋然性の有無は追求すべきだろうけど、その正当性が自然科学的に証明出来るかどうか
という所にこだわるのは不毛な気がする。
そこを追求するのは、神になることを目指すのに等しいように思う。
人格の成り立ちを科学的に証明するなど。
不毛なだけでなく、しばしば有害であるようにも思う。 人間という生物は、この世を生きていくにあたって、世界の成り立ちを解釈する為の体系を
どうしても必要としてしまうものなんだろうけど、
で、従来、その多くは宗教であったり国家であったり主義・思想であったりしたんだろうけど、
唯幻論もマーそういうモンの一つということでいいんじゃないかと。
この世を生きていくのは実に理不尽で不可解で難解で、誰しもいろいろ悩んだり病んだりしているんだろうけど、
もちろん俺自身もいろいろ悩んだり病んだりしたものだが、
俺は唯幻論を知ることで、少しはスッキリした。病もある程度は治まった。
その辺は、人によって、自己責任で、宗教でスッキリしてもいいし、主義思想でスッキリしてもいい。
(勿論、人に迷惑をかけない限りにおいて、であるが)
要は、そういう一助になればいいんじゃないかな。
こういうモノは。 岸田さんはよく「フロイト大明神」という言い方をするけど、この言い回しというのは、暗に
「フロイト理論とて、(宗教も含め)世に数多ある人間観のうちの一つに過ぎないんですよ」
という思いを含んで言ってるんじゃないかと思う。
確かに岸田さんにとっては、仏教でも神道でもなく、軍国主義日本でもなく、フロイト理論こそが
最も納得がいく体系だったんだろう。
あれこれ悩んだり病んだりする中で、フロイト理論に当て嵌めていろいろ考察して
ある程度スッキリしたり治ったりしていったんだろう。
しかし、岸田さんは、フロイト理論を絶対視していない。
実験やら観測やらによって証明されるところの、自然科学的な正否にこだわっていない。
フロイトを読み、「おお、なるほど!」という部分は参考にし、よく分からない部分はよく分からないものとし、
自分なりの世界観を構築していったんじゃないかと。
要は、俺らも、自分なりの生き方を考えていく取っ掛かりの一つとして、参考になるならば岸田理論を参考にして
それで元気に生きていけたら、それでいいんじゃないかなと。 >>549
岸田秀が「フロイト大明神」というのは
ひじょうに日本的な人だからじゃないかと思うが。
日本人は優れた人を死んだらすぐ神にしたがるということだし。
彼は40代の頃から、すでに自分の戒名を用意してたそうだし
彼の誕生日がキリストと同じということでキリストの生まれ変わり
と自分を言っていると紹介されていた。
このおおらかさ?(笑)は日本人がキリスト教徒でもないのに
教会で結婚式を挙げたりクリスマスをしたり
神教や仏教にそれほど関心もないのにお寺や神社で結婚式をあげたりに
通じているように思う。 でフロイト理論も幻想であるということをいうために
「フロイト大明神」 という茶化しというかつっこみを自分にやっているのだと
したらそれは紛らわしくもあり
ときに逆効果でもあり両刃の刃であり
信仰の対象に堕ちてしまう。あるいはどっちつかずに風化してしまう?
私など岸田ファンという言い方も苦手であったが。(笑) 宗教、占い、自己啓発セミナー等と同種のカテゴリーに入る
信じることで救われた感を得られれば何でもいいって人向け 岸田理論は極端な言い方をすることによってスッキリしたわかりやすい理論になってるんだよな。
極端ないいようによって切り捨てる部分があり、自然科学のような厳密さはないし誤謬も入り込むかもしれないが、
確実に一面の真実は突いているように思う。例えば人間は本能が壊れた動物だという。
しかし人間には食欲も性欲もあるし、発情期がないと言っても春や秋になるとなんかムラムラする。
それでも壊れていると言い切ることでわかりやすい形で人間の特殊性が浮かび上がる。 >>553
>しかし人間には食欲もあるし性欲もある。
だから壊れたと言ってるわけで無くなったと言ってるわけではない。
大体「欲」というのは欲望のことで、それについて岸田はこう言っている。
「本能的行動様式を失ってしまったとき、人間の本能は欲望に
変質したのである」
「ものぐさ精神分析」性欲論
だから岸田はけっこう丁寧に言ってるんだよ 伊丹十三が「哺育器の中の大人」
のなかで「でもうちから湧いてくるエネルギーのようなものが
本能と言われるようなものを感じさせるんですが」
と発言したとき岸田は「だから無くなったと言ってるわけじゃなく
壊れた」と答えている。 岸田の言ってることで普遍性がありそうなのは
人間はどんな人や集団でも
何らかの物語にもとづいて行動しているってとこかな
どういう経緯で本能が壊れるに至ったかとか
日本がアメリカに強姦されて分裂病気質になったとか
そういう各論的な岸田流解釈については
世の中で無数にでっち上げられた物語の一種に過ぎないので でも、なんでそうなんだろう?どうして
物語にもとづいて行動してるんだろう?って疑問は湧いてくるんだよね。
まあ彼なりに少々粗くても考察してみました。
ということなんだろうけど。
集団と私との関係性についても。 物語というか文章、言葉だね。
言葉は文章に、文章は物語に発展する。 そうだね。人間は言葉を持つ動物だからだ。とも言えるね。
ではどうして言葉を持つのか?となって
結局「本能が壊れた。」になる
他にもっとうまい仮説が出てくればそっちでもいいんだけど。(笑) ネアンデルタール人は火を使ったり死者を埋葬するなど文化は発達していたが
肉体的に声帯が未発達だったから言語で会話するような発声が出来なかった
それに比べて現生人類は言語を発声できる構造の肉体を持っていたから
コミュニケーションの手段として会話が発達した
生物学の素養がほとんどない岸田理論だけで
生物の一種である人間の進化の領域までを全てカバーした物語を作れるわけがない >>560
それも考えられるにしてもなぜ声帯が発達したか
それは言語を発しようとしたから。
なぜ言語を発しようとしたか本能が十分に発達できず
あ〜あ〜っという喃語のような叫びで意思疎通を始めるしかなかった。
とも言える。 必要は発明の母ですね
声帯を発達出来なかった人や部族は死に絶えたのかもしれなない
言葉のかわりに手話でもよかったけど情報量が少ないのが難点かなw
民族や部族の数だけ言語や方言があるけど文字はあまり増えなかった感じがする
文字は2次的なものだからだろうか 声帯って語いう語が誤解を生んだな
ネアンデルタール人は上気道そのものが短いのでどうにもならなかった
獲得形質は遺伝しないので
一族みんなで一斉に鍛えりゃ次世代の気道が長くなるってもんじゃないんだ
そもそもそんな部位を鍛えて長くする鍛錬法なんて思いつかんしな
生物進化は小さな突然変異と自然淘汰の累積した産物なので
声帯を酷使して鍛え込めば声帯が強い子供が生まれるなんて事ではないんだよ >>563小進化と大進化がある
戦後日本人の身長が伸び足も長くなった
食事とライフスタイルの西洋化が一番の原因だけど願望も大きいと思う
戦国時代の武将も今とあまり変わらないくらいの身長だったという説もある
白人のように大きくスラリとした体型になりたいと願いそうなった(限度はあったが)
岸田さんも対談で願望型進化と言っていたと思う
声帯も小進化で発達したのでは? また新刊が出てた。
「絞り出し ものぐさ精神分析」
2008年あたりから出なかったから
もう打ち止めかなと思っていたら
2012年頃からまた出るようになった
本人はもう新刊は出ないといってるが
さてどうなるか。 どういう理由で気道が長くなったのかは知らないが
ネアンデルタール人も火をつかったり墓をつくったりしてたとすれば
すでに言語らしきものはあったんだね。
声帯が発達してからは発声によるやり取りで会話は豊富になったであろう。
いずれにせよ言語は人類にとって病のようなものというのが岸田理論だけど。 発声によるコミュニケーションは他の動物だってやってるし
どう考えても言語は意思疎通の伝達手段として発達したものだろう
岸田秀に言わせると人間だけが特殊な存在で
本能による行動規範を見失った人間がやっていることは
他の動物がやってることの見よう見まねが起源らしいが
高度な類人猿は人間に近い狂ったようなことも色々やってるらしく
岸田の考えは動物の生態を知らない人の勘違いが混ざっていると
日高敏隆に突っ込まれてたと思う
ちなみにその日高は岸田唯幻論を流用したような
「全てはイリュージョンである」という自説を晩年に提唱していて
人間だけではなく他の全ての動物が知覚する世界も客観的ではなく
各々の生物の思い込みの力が認識を作っているそうだ その動物の世界がイリュージョンというのは
本能としてのイリュージョンなの?
種としてイリュージョンが決定していればそれは本能といって
いいんじゃないかな。
人間の場合「私的幻想」という言葉でいわれるように
生まれたとき自閉的状態で各々が教育によってしか(母親にはじまる)
共同性を自覚していけないということが問題なのだと思う。 つまりほかの動物のように決定したイリュージョンを持たないということ。
結局人間の発声はコミニュケーションの道具というより
コミニュケーションの不全による嘆き、うめき、叫びのようなものではないだろうか。
それをなだめる為にいろんな言語(言葉・文化)が手渡されるのだけど
これらはラカン派の人たちに言わせればニセのルアー(餌)である。 人間だけが変な事をしているという観察を前提として
メカニズムを想像したのが唯幻論で
人間が一番変な事をしているけど
変な行動をしているのは他の高等な類人猿も同様で
人間と他の動物を断絶させる切れ目があるわけではなく
グラデーションがあるだけだという観察結果を前提として
メカニズムを想像したのがイリュージョン説ってやつだろう
日高は岸田とも対談してたし
岸田の影響を受けているのは明らか 猿の生まれてからの無力無能期間て結構長いんかな?
人間は本能が壊れているというのが岸田理論の出発点のようだけど、
人間の本能が壊れた原因は、無力無能期間の異常な長さだよね パンダとかカンガルーとかもかなり未熟な状態で生まれてくるけど本能が壊れているようには見えないね。
無能無力状態の有無と本能の損壊は直接の関係は無いんじゃないかな。相乗効果はあっても。 本能が壊れたという大前提だって客観的な事実というわけでなく
生物に対する岸田の解釈にすぎないからな
岸田説のように
人間は正常な本能が壊れたから応急処置で幻想を作った
というのではなく
幻想を介した世界認識というとてつもなく柔軟性の高い超高等な本能を
通常の進化として獲得しただけ
という解釈も出来なくはない
いくら岸田の価値観では人間が他の生物より劣っていると感じていようとも
幻想を発達させたおかげで
他の生物種との生存競争に圧勝しているという現実があるのだから
生物の本来の目的である生存を勝ち抜くという価値観をあてれば
人間が圧倒的に優秀と言わざるをえないのは事実なのだし ただねえ。そういう意味で勝利しているなら人間同士がいがみ合うような
数多の宗教もいらないだろうしもう少し満足感があってもいいし
ここで根拠を議論することもないような。 つまりねえ本能が壊れたことが幸いした
くらいのことで根本的な虚しさは拭いきれない。
どうだろうか? なぜ我々は根拠を知りたがるのだろうか?
自我が幻想だからである。 でその幻想(自我)が本能というのはちょっと違う気がするんだよね。
自己正当化に過ぎないような・・・・ 単に他の生物との生存競争に勝つというのが目的であればもう充分満足したろう
って感じなんだけどね。 >>577
他の生物の本能が備える堅牢な行動規範と比べて
不安定で虚しさを感じるという自我の特徴があるのは確かかもしれない
しかしそれは
単純な機械よりも複雑な精密機械のほうがデリケートなように
他の生物ではとても実現できないほどの異様なまでの汎用性の高さ
という超高性能な長所を得た代償として必然的に生じる欠点とも解釈できるので
欠点を補って余りある利点ゆえにこういう形に進化した
というだけにすぎないのかもよ >>579
岸田理論が万全だとは思えないが
それだと他人事のような気がするんだよね。
この私の違和感を説明してくれないというか
まあ、裸のサルと言われるような状態で人間は逃げ回ったり
していた歴史を思えばその時点で滅びた可能性は高かったわけだろう。
そんなリスクを背負うものかね? 肝心なのは現状の人間が幻想を介してしか世界を認識できないという点であって
それさえ押さえておけばそこに至ったプロセスなどの他のことは瑣末な問題だと思う
岸田が言うように
本能の行動規範が壊れた穴埋めに幻想で急場をしのいだとみるにせよ
あるいは
幻想の柔軟性が能力として有用だったから邪魔な固定的規範を退化させたとみるにせよ
いずれにしても
現状に至るいきさつについてはどうやったって想像の域を出ないのだし
起源や経緯に関してどんな物語を信じようが
それほど決定的に重要な違いでもなかろうって気はする 人間の幻想がどういう性質のものか
ってのは考えて悪いものじゃないな。 邪魔な固定規範というものがどういうものか
説明しない限りはその論は弱いんじゃないか?
最初から失われていたと考える方が妥当。 >>573
>他の生物種との生存競争に圧勝しているという現実
>生物の本来の目的である生存を勝ち抜くという価値観
てんで幻想だね。 >>583
幻想による規範はどんな形を取ることも自在というのが特徴なのに対して
岸田が言うところの
他の動物に備わっていて人間が失った本能による行動規範の形は
自在ではなく種によって固定的なので幻想の持つ自在性とは同居しにくい
なので幻想を維持するには邪魔になるだろうってだけの意味だよ
>>585
全ては幻想であるという一番肝心な現状分析については別段異論があるわけじゃないんで
そうつっかからなくてもいいと思うよ >>583
だからそれじゃ人間の幻想が本能であるという説明にはなってないんだけど。 ごめん。587は>>586ね。
全ては幻想という意味合いと誤謬を幻想というのはちょっと
違うんじゃないかな。
あのとき怪我して結果的によかったからわざとあの時怪我したんだ。
というのは違うだろう。
それをどっちでもいいじゃないか。というのは認識の場においては
どうなんだろう? 人間は本能の代わりに幻想(現実を歪曲した形で表象したもの)を規範にして行動すると言ってるだけで
現実世界が幻想(存在してない)とは言ってない でも「全ては幻覚である」って説もちょっと面白いかも
大乗仏教唯識派とかそれに近い気もする 「全てはフィクションである」と説いたナーガールジュナの中観派は
唯幻論と発想が似てると思ったことはあった 「色即是空」
というのを私は以前、色欲は虚しいと思っていた。(笑)
そのあと現象は空虚であるということだろうと思いなおした。
(岸田氏の本など読んでたからだろうか?)
あるとき仏教の解説本を本屋で立ち読みしていると
「空」というのは空極の物質のことである。
と書かれていた。
つまり自然科学で言えば原子のようなものになるだろうか。
単に「現象は絵空事」というような意味でいってるんじゃあないんだなあ
と思った。 仏教にはこの宇宙は結ぼれである。
元々は一本の糸のような清浄な流れであったが
あるときその流れはひねったような状態となり結ぼれができた。
元々の清浄な流れに還ることが仏教の主張である。
と今はもう亡くなったSF作家のエッセイに書かれていて
若かりし私は感嘆した。
ただ元々の流れに還るといっても何らかの修行によって
還れるのだろうかどうかはわからなかったのだが。
死ねば還れるのかな?
仏教はこの世に未練を残さなければ輪廻を逃れられるそうだけど。
日本人にはこの輪廻という解釈の仕方がむつかしい。
というか馴染みが薄い。
仏教はこの世は苦という前提だし。
それに輪廻というのはインドの伝統的な考え方らしい。 >>591
幻覚を見せる機能まで幻覚ってことはないだろう? 悟り?を開いた人には生とか死はないのだろう。
涅槃に入るという言い方はそういうことかな。
池田晶子氏が「死はない」と言っていたが。
生きているうちは死は他者の死であるし
死んだら自分はもういないのだから。
岸田秀氏の言うように死というのは自我を持つからこその
観念なんだろう。 >>589
現実世界は存在していない、と言う場合の「存在」もあるだろうし(ただしそれは無意味だと言われるだろうけど)
岸田秀もその事を言ってるわけではないにしても、それくらいは念頭に置いてると思うけど。 存在なき存在
勇気なき勇気
正義なき正義って言葉遊びじゃないよね。
岸田秀は現実があるとかないとかは語ってないんだけど
(動物の本能は現実に密着してるっていう言い方はよくしてたよね)
それから
「ここにテーブルがあるってのは幻想じゃない」と
『哺育器の中の大人』で発言してる。
つまり我々がテーブルと呼んでるなんらかの物≠ェあるというのは
幻想じゃないという言い方はしてる。
ほかのところで「宇宙なんてほんとはないかもしれない」ってなことは言ってた
けどこれは我々の空間認識について言ってるのだろうと思った。
彼には「時間と空間の起源」という文章があるし。 仏教はインド哲学なのでその辺は特にうるさく突き詰めているな
おおむね小乗仏教系では
テーブルという名称に対応する実体が素朴に実在すると考えていて
大乗仏教系では名称に対応する実体は実在しないとしている サッカー日本代表は強いという幻想を共有していた日本人 >>598
バカの壁の養老孟司も同じこと言ってる
養老孟司はむかしから岸田を行為的に評価しているね
ふたりとも今で言うある意味、強烈な個性の母親に振り回されたアダルトチルドレンだが >>601
岸田の母親を強烈な個性と表現するのはちょっと違うな
アダルトチルドレンという表現も稚拙というか曖昧だね
あなたはおそらく頭の良い人なんだろうけど、岸田や精神分析については
よくわかってない人だね、別に恥じることはないよ、知らないほうが普通だから >>602
養老孟司が岸田の本をコラムで取り上げて、
「自分と同じで強烈な母親に〜」とか書いていたんでね
そのくだりは俺の我見でなく養老の受け売りね
岸田はものぐさ精神分析のシリーズ全部と
あと三四冊よんだかな?
まあ、金太郎飴の面白い講釈師として楽しんだよ
こんな過疎スレで即レスして、しかもそれが明後日の方向の見当違い
ま、それも人生だ、恥じることはない、頑張れ こないだ本屋行ったらバカの壁の続編みたいなのが2つくらい目立つとこにあったわw
すっかり商売に走ってんなあとw >>603
これに関してはものぐさ精神分析の「わたしの原点」だけ読めばいい。
強烈な母親というのは(本人にとっては)確かかもしれないが、強烈な個性というのはニュアンスがかなり違うと思う。 >>603
金太郎飴をそんなに読んだのか?
物好きだな
でなければ何かを期待して読んでいたんだろう?
で、これ金太郎飴だと思ってやめたんだろう。
でもこのスレに近づくのはアホらしいとまでは
思い切れなかったのね >>606
山本夏彦や小林信彦や近藤唯之のコラムとか岸田の本とか、
金太郎飴ものは暇つぶしに最適なんだよ。
マンガやミステリーがまったく読めない自分には、
ナイトキャップ代わりや電車での暇つぶしにもってこい。
わかりきったこと毎度おなじみのハナシを手を替え品を替え書いているので、
頭も神経もあまり使わずそこそこ楽しめる。 >>604
なんせ四百万部も売れたからね、バカの壁は
養老センセの欲もあるだろうけど、出版社がこの鉱脈を見逃さないよね >>607
暇つぶしとは言え面白くもないものそこまで読めないだろう(笑)
それか、よほど思考停止してるんだな。
金太郎飴のような人なんだな(笑) >>609
思考停止はお前さんだろ
2ちゃんなんてアタマ使わない暇つぶしの骨頂ではないか
まさかここでガチの思考活動をしているつもりかい?
俺も本腰を入れて頭使う読書も、昔より減ったがそれなりにしているがね
つーか俺、絵描きなんで本気の精神活動は絵がほとんど
学生時代みたいな本気の読書をする余裕はあまりない
お前さんが2ちゃんに入り浸ったりテレビ見てる時間に
まいどお馴染みのテープレコーダーみたいな本を読んだりするだけ
小沢昭一が、志ん生の古典落語を聞いてから寝たのと同じ
枕頭の書に知性フル動員の斬新な内容の本を選んだら不眠症になるわね
w 小沢昭一は金太郎飴なんて思って聞いていたわけじゃないだろう。
晩酌のようなものだったか飴にしたって黄金飴かもしれんね。
なぜ金太郎飴という言い方をするのかが不思議でね。
岸田秀の本は落語として読んでないので金太郎飴と思って読むことは
ないなあ。
なんて言ってたかなあと思って読み返すことはあるけど。
岸田秀はいろんな読者に向けて幻想論を説明して
同じことを手を変え品を替え言ってるんだろうけど
理解した人が別に読む必要はないだろう。
芸風が好きだという人は読めばいいが私はうんざりしてるんで(笑) 2ちゃんに来るのは同好の人と話ができるのは
楽しいと思ってくるんだけど理解やそれについて
評価が違ったりするんでそれなりに考えてしまうね。
(本でもそうだけどね) >>603
お前養老の本しか読んだことないんだろ、アダルトチルドレンなんて言ってる時点でまるわかり
お前みたいな薄っぺらの人間が描いた絵なんて凡庸の極みだろうな
なんの才能もないのに自分は特別だと思ってるんだろ
幻想から目覚めて現実と向き合え この一連のやりとりはkakaku.comみたいに笑顔で殴り合ってるって感じではないな
強いて言えばおっさん同士がベロちゅっちゅしている絵面が思い浮かんで大変気持ち悪いと言うか
いい年して自分の自慢を武器に相手を殴るとかYMOかよと言うか 養老さんの本でアダルトチルドレンがどうこうとか出て来たっけ?
すぐアダルトチルドレンとか言いたがる人って、河合隼雄とか加藤諦三とか読んでそう ↑その二人と岸田秀は五十歩百歩の似たもの同士だわ
サッカーで言えばトルシエのフラットスリーみたいなもの
三馬鹿大将おててつないで仲良しこよし
素人さん相手にエセ科学のなんちゃって心理学で売ってるだけのね
年に一度くらい岸田スレに寄るけど
いつも同じ信者が必死に教祖様の親衛隊をしていて
可笑しいのを通り越して哀れになってくるね 年に一度寄るってかなりのファンなんだな。
なんだかんだ言っても気になって〃しょうがないってやつ?
それとも勘違いの優越感に浸ってるのかな? >>621
私はあなたがもう少しまともに自分の世界観を述べてくれたら
岸田の親衛隊をする気はないんだが >>621
岸田は別に自分の言うことを科学だとは言ってないけどね。
フロイトは自分の学説を科学にしようとして無理をしたとかなんとか言ってなかったかな。
岸田に言わせれば科学も幻想だろうしね。
確かに科学は人間のこころを説明できないしさ。 かといって精神分析が人間の心を高い確度で説明できるのかといえば
占いや宗教と同じ程度にしか説明はできないけどな 高い確度ってなんだよ(笑)
占いが「社会は共同幻想」だと言ったことがあるだろうか?
宗教は「人間は本能が壊れている」
と言ったことがあるだろうか?
もっぱら神や超自然的なものにすがっているだけだろう。
同じ程度にしか説明できないとはどこをどう見たらそうなるのか
不思議である。 私はフロイトとかユングとかの精神分析がわからなかったので
この本を精神分析と思ったがネーミングは何でもいいね。 岸田秀の理論て不要に熱くなってる人を冷ますことへは有効だけど、熱くて
何が悪いんだろうか、と言うべき局面では何も言えないんじゃないのかな。
例えば民族主義者や国防論者や子供を構いすぎる親やわいせつ物取り締まり
へは有効だけど、たとえばラーメンに一生かけて終わった人とか、絵画に一
生かけて終わった人、映画にかけて終わった人、…へは、あの思想は言うべき
ことが見つからないんじゃないか。というのは岸田のいう幻想には、冷ます
効用はあるが、幻想と自己の生存と同一化してしか生きられなかった人への
共感や思いやりはない。持てないようにできてる。ただシニカルに見る
ことができるだけじゃないですか?それがあの理論の一面性というか、
半面性と言ってもいいが、そこを形成する要因になっていると思う。
だけど人間が何かと自己の生を同一化して生きていくことには普遍的な
性質がある。そこでシニカルにしか見れない。そこは人間把握としての欠陥
だと思いますね。言い換えれば共同幻想批判としては有効だけど、そこだけ
なわけで。 >>626
岸田秀と三枝充悳の対談本でも読んだら? >>629
そこだけ有効性があれば充分じゃないかな?
なんで絵画に一生かけて生きた人に思いやりがないとかいうのか
思いやりを要求するのかもわからない。
まさにそういう意味では岸田は幻想論というひとつの絵を描いてきたのだろう。 >>630
私はその本を読んだことはないが
仏教関係の人との対談みたいだね。
上の方のレスにもあったが仏教は元々は宗教というより
インド哲学というか救いのための教義ではなく
悟り(自らを悟る)ためのものであり
現在は大乗みたいな救いの仏教みたいになってるようで
そのへん混在してるみたいだけど
幻想論と通ずるような観察・認識があっても当然だろう。
釈迦は宗教をやってるわけではなかったそうだから。
まあいまでいうインテリかな?
それと私も描いたが岸田氏はキリストと同じ誕生日で
自分を「キリストの生まれ変わり」と言ったり
戒名を既に用意してたり日本的なおおらかさがあって
紛らわしい。
しかし幻想論は別物として私は受け取っている。
細かいところではかれもときどき論理破綻して失敗してるし
三浦雅士(この人が岸田秀を見つけた人?元現代思想の編集長だけど)
も「幻想論のどこからそういう考えに帰結するのかわからない」
とか言ったりしてる時もある。 以上のようなわけで仏教関係の人と岸田の対談とかに
あまり興味はない。
ただ部分的な気に入らなさから全体を捨てる気にはいまのところならない。 >>631
岸田秀理論では例えば作家の生む作品とは、勝手な物語をこしらえ
て自慰している。自我の不全感を慰め、慰撫する。というやはり冷笑
することしか出てこないと思うんですね。岸田からすれば馬鹿なこと
をしている人間だと。「何で思いやらなきゃいけないのか」。無論
頑張って思いやる必要はないわけです。しかしじゃあ何が出てくる
のかと言えば、物語にたいする冷笑しか出てこない理論じゃ
ないか、他には出てこない理論じゃないかといいたいわけ。人間が
物語を作り生きていくことに冷笑を浴びせるのが岸田秀の理論。他に
ここからは出てこない。そう見えるわけです。
そこでは子供をどこまでも支配していたい母親だとか、他人を巻き
添えにしていく物語・幻想への批判としては有効だけど、自己が
生きていくために物語をそのつど発見し、編み出し、それで生きてい
ける人間がいて、そこで美的に成りたつ物語を作るのが作家だけど、
それらすべからく「下らない」という以外の言い方が岸田の理論では
可能か。可能ではない。可能ではない理由は理論そのものに内在して
いる。それは人間存在にたいする見方としては貧しいのではないかと
言いたいわけ。 要は食わず嫌いてことだな。
まあ「仏教と精神分析」は一度読んだけど、なんか専門的で岸田秀の他の随筆に比べるとあまり面白くはなかった印象がある。 人間がもともと貧しい(本能が壊れて生き生きとした現実を失ってる)
という理論だから「人間の見方が貧しい」と言われても。
そんなら代案を出してくれってことにならない?
(別の見方)
芸術至上主義みたいなものも貧しいなあ、と思ったり。
そういうのが消えて喜んでる。(同時にさみしい)(笑)
人間は今後そういう合間を縫って生きるしかなくなってるんじゃないか?
恋愛至上主義も貧しいと思うが岸田秀は恋愛に頑張ってるらしい。
(恋愛なしには仕事にも頑張れないって言ってた。
昔の本には「恋愛してないと仕事ができない芸術家」とか揶揄してるような
言い方してたんでそういうことではダメなのか、と私は受け取っていた)
(そしたら本人のことか)
「岸田さんが、おいしいとか気持ちいいとか、実感があるものってなんですか」
「やっぱり愛ですね。愛は空極の幻想ですね」
「やっぱり愛は幻想ですか」
「うん。しかし幻想だからって、バカにしたもんじゃないと思うんです。
幻想のおかげで二人が結ばれて、ずっと長く幻想が続くということもありえるえるからね」
幻想だって言ったってひとつの技術を追いかけていくことや(ラーメンの
味ひとすじにせよ)
ひとつの物語や絵を目指すことを人が喜びにすることはたしかだと思う。
幻想論があろうがなかろうがこういう時代では「熱して冷めやすい」時代では
あると思うけど。 >>636
食わず嫌いってこととは違うのでは。
図書館でパラパラとは見たような記憶がある。 岸田も言ってるように
人間は自我を安定させるためにはなりふり構っていられないのだよね
知識を広げようとせず自分の知る範囲だけで殻を固く閉じて守ろうとする人は
そうせざるを得ない理由がそれなりにあるから無理強いはできない >>639
特定の人に言ったのでないなら
人間は誰しもそうであろうから同意する。 メタって結局上から目線に立ちたいだけの
傲慢な子供の幻想の魔法の杖なんだね そうやって君は上から目線に立ちたくて
魔法の言葉を並べるわけだ。
敵対する者同士は似るとはよく言ったものだ >>637さんが岸田秀も恋愛を生きがいにする人間に含まれるとか面白い話
をしてくれてるけども。そうであれば、たとえば赦されない相手との恋愛に
落ちた場合、岸田秀とその相手が合意の上で心中することも絶対ありえない
とは言えないことになりますね。その場合世間はこう言うでしょう。「すべて
は幻想と看破していた学者が幻想のために心中。ありえない。なぜこんな
馬鹿なことをやったのか」
幻想であると看破することとそれから逃れることとは別で、個人がある物語
・幻想に同一化することには運命的なものが付き纏っている。たとえば
絵画に一生を費やしてきた人間が、もう描けなくなったと思った瞬間、
首をつった、という事件も起こり得る。そういうことというのは、世間では
馬鹿だ、家族の悲しみ・世間の迷惑考えろ、というのが主流だったりもする。
しかし、人間の自由というのは有限なもので、有限であるからこそその人間
がある。というのが真理だと俺には見える。岸田の用語でいえば、幻想は
有限。だからこそ人間はある。Aさんと結ばれないならBさんと付き合えば
いい。というのは幻想というのを取換え可能であると看做すから言えるので
、実はそうではない。
実は岸田自身も、上に私が書いたことには気づいている。あの理論の
読まれ方には絶対相対性というのがある。しかし人間は絶対相対性として
は生きられない。絶対相対性として読まれてしまうから、「よくあんな
心中とか自殺とか馬鹿なことを(苦笑)全部幻想なのに」というふうな目
線で見る人があの理論から生まれてくる。しかし人間はそういう人の言う
自由としては生きられないし、生きられないことは岸田自身が知っており、
しかし幻想論としてはそのような1個の運命としての人間は揶揄されたり
愚かとされたり「岸田さんの本読んでればこんなことにはならなかったのに
(苦笑)」と思われたりする。そこで人間把握としては究極では不十分じ
ゃないのか、という感想は俺には残りますね。 >>645
岸田秀は生きるのも趣味だし死ぬのも趣味だとか言ってた気がする。
ある女性の小説家だったかエッセイストだったか
その人との対談で言ってたけど
その女性はそのあとしばらくして自殺した。
別に岸田秀の幻想論は人の自殺を回避できるとは思えない。
たいした生きる意味はないんだと思い無理して生きてた自分に別れを
告げるかも知れない。
岸田秀がそんなに簡単に幻想を取り替え可能と思っている
わけではないだろう。 >>645
岸田はこんなふうにも言ってる。
「でも、楽ですよね、全部幻想だって言っちゃえばいいんだから。」
岸田「いや、楽というのは見せかけで、心の底では悩んでる。」
「幻想だけでは解決できない?」
岸田「やっぱり解決できない問題はいっぱいありますからねえ。」
まあ、岸田秀も幻想の向こうに何かを置いているのだろう、と思う。
しかしそれが神であるとかそういうものではないだろう。
岸田秀も単に相対性だけで生きてるわけではないだろう。
本能を失った人間ならその失ったものへの希求みたいなものはあるんじゃないの?
ただ皆が自分のの見るところこそ現実であるかのように振舞って
いたときにいや誰の現実も幻想だ。という人が出てきたら
びっくりするよね。
あっちに引っ張られこっちに引っ張られ落ち着く間もなかった
人も一応一息ついたって感じじゃないか。
でも皆幻想というとあなたの言うような相対性のなかに
落ち込む危険性もあるわけだよね。 >>645
つまり絶対相対性としては生きられないのに
相対的な基準のなかで右往左往してるだけみたいなね。
岸田秀がそんなこと言ってるかどうかは別として。 >>645
ただ絶対を希求するのが人間だとしても
自分がそれを知っているとか掴んだとか言う人がたくさん出てくる
危険性はこちらにもあるよ。
だからまあ用心すべきだね。 色々なレスがあって、それに反応するのはちょっと控えて岸田秀が自分に
とって何だったかを先に書いてみたい。
彼が1980年代『現代思想』誌で登場して著名人と対談したものや、伊丹
十三とやった『哺育器の中の大人』とか、『モノンクル』とか、一時期読んで
感心してた時期があります。冴えてるな、と思ってましたね。
ただその後、俺も色々読書もし、岸田の愛読者の話も聴き、という中で、
どこかが足りない気がしてきた。それが何かは最初は見えなかったんだけど
、やはり年数の中で徐々に見えてくるものがあった。岸田の幻想という
タームにある醒め方は、人間の生涯の実相を捉えるものとしては不十分で
あり、共同幻想というところでだけは有効。というここに書いたような感想
がはっきりしてきた。岸田の愛読者はシニカルで人間嫌いで醒めたがりで。
という特徴が、あの理論に起因する、として映るようになった。そういう
知的エピゴーネンをみてて、どうも自分が人間について相当分かっていると
いう考えを抱いているようで、俺にはみててそれはひどい勘違いにみえた。
あれを愛読してこういう人間になる。こういう舐めたがり人間を生産する
というのは、岸田が望んだ読み方ではないかもしれないが。しかしそういう
愛読者を生産する要因はあそこにはある。ダメというしかないと思うように
なった。
そういうことで、俺の読み方を他の人も感じており、あの理論はもう
愛読されなくなったと勝手に思っていたところが、意外やここにこんなに
まだいるということで(笑)岸田のこともずっとフォローし、相当読んで
知っているようだし、ちょっと書いてみようと思った。 岸田も社会理論と言ってるのだからそれでいいんじゃないかな?
人間の生涯の実相ってなんだよ?そんな実相ってわからないって言ってるのが
幻想論じゃないの? そんな肩肘はって読むような本だったっけ
だいぶ前に読んで記憶も薄いけど
わりと気楽な感じの本だった気がするのだが >>651
なんか凄い使命感だなあ(笑)
こんなに(支持者)がいたのかと言ったってここ過疎スレだよ。 >>652
>岸田も社会理論と言ってる
それは知らなかったが実際には自我から岸田の理論は始まっている。社会
だけを論じている訳ではない。
>人間の生涯の実相ってなんだよ?そんな実相ってわからないって言ってる
>のが幻想論
岸田の幻想論は人間を定義するものだろう。本能が壊れ、その代理として
自我を生んだ。それが岸田のいう定義だ。そこで価値あるものを基準にし、
追求し、価値を満たすことで安定する。価値があるとみなしているが、実は
それはそう認識しているにすぎない。物語を創作し、なんとか生きていく
にすぎない。実は冷静にみれば価値もそれを追求する物語も生きていくため
に捏造された幻想である。人間の生涯などどうしようもないものだ。
立派な生涯などあるわけがない。何故なら人間は勝手な物語を作り、生きて
いくにすぎないからだ。
そういう人間観が生まれる土壌があの理論にはある。だがそれは
個人の生について回る生まれ持った資質の、あるいは育った環境の、強
いる命運へは問わない、そのため上記のような舐めた
人間観が生まれてくるにすぎない。個人の生まれ持った資質や環境が個人
をつくることへ盲目であり、物語・幻想はそこから生まれてくるものであり、
そう考えていくと、決して幻想論のいうような簡単なものではなく、
そう生きるしかなかった必然があったことが浮かび上がってくる。個人の
そういう命運について、盲目でしかない。しかもそこで軽視しうる
ことを指して「実相をつかめない」「あまりに調子のいい理論」
とみなすわけだ。
岸田の理論からはこれらは必然的に生まれてくるものだろう。読んでいれば
分かると思うが? 「全ては幻想である」みたいな「全ては〇〇」て表現は未熟な思春期の若者を引き付ける
ものがあるんだろうけど、だから岸田が間違ってるとは結びつかないと思う。 科学では全てを説明できないことを強調する人って
科学以外の何かで全てを説明出来る気になっちゃう人が多いよね >>658
どこからそんな話が出て来た?と思ったら
624を書き込んだ人間のことか >>651
「足りない」という言葉を選ぶところからみて
岸田秀の言葉だけで何かが満たされることを期待したのに
裏切られたので読者までキライになってしまったのね >>656
「環境というよりはかれのの資質だ。
なぜなら同じ環境に育った双子でも性格はちがう」「環境だけに起因させることは
できない」
というようなことで資質については語っていたね。
もちろん環境についてもまったく無視してるわけではないが。
これは酒鬼薔薇事件について述べていたときのもの。 >>653
「気楽に読める本」というよりは、「気楽に扱うことで成立する
本」といったほうが妥当だろう。実際あの理論では人間を「たいした
ものではない」「勝手な物語・幻想によって生きていく」として処理
してしまう。よって読書は暇つぶし・余暇としてしかしない知的遊び人
が主な読者になったりする。80年代からそういうところは
あった。そしてその読者に読まれる理由はあの理論に内在していたと
言える。人間への視点がそういう読者-遊び人-を呼びよせていたとい
うことだ。人間への見方がたえず醒めることを促し、何事にも本気
にはならず、斜に構え、他人の懸命な姿を流しみて内心せせら笑う。
その手の連中に好まれる傾向があったということだ。 >>664
それは岸田理論というより時代のせいじゃないの? あの頃はポストモダンとか江戸礼賛とか流行ってたしね。
大人は株や土地転がしをやってサラリーマンは接待費で浮かれ
って感じ。 >>664 >>665
時代に関係なく、岸田の本は軽く読み飛ばす連中がみな、
軽薄な遊戯的インテリかといえばそうではない。
一人の人間の中にもいろんな要素があるし、
読書家はいろんな本をいろんな扱い方で読むわけでね。
岸田のは眉唾で笑ながら軽く読み飛ばして、
他の本で真面目に学んだり考える。
そういう人も多いだろうし、それが岸田を読む姿勢として正しいということだ。 シラケ世代は70年代。
学生運動の下火、オイルショックやニクソンショックで高度成長終焉の不景気、
ウォーターゲート事件やロッキード事件で、
米大統領、日本の総理が失脚。
そういう不透明な時代に若者がシラけて、
既成の権威が崩れ、オカルトや終末論がブームになった。
岸田のものぐさシリーズが受け入れられたのはそういう時勢に乗ったから。
岸田こそ、ある意味シラけ世代の先行ランナーだった。
日本でポストモダンが流行り言葉になり、
土地転がしが横行したのは80年代後半。
シラけ世代とは時代が違うし、シラけ世代の悲観的退嬰的とも違う。
バブルは楽観的で自己肯定的だった。
江戸ブームなどまさにそれ。 >>669
80年代はけっこうシラケ世代の人が活躍してたんじゃないの?
ユーミンとか坂本龍一とか糸井重里とかは
シラけを過ごしてバブルやポストモダンの頃
開き直ったように花開いてる
「おいしい生活」なんて糸井のキャッチコピーでしょ。
そう言えば宮崎駿も岸田秀の名前を出してたりしてる。
そう単純にシラケ世代とバブル世代をキッチリ分けられないと思うね。 >>668
あんた自分の自慢話してるだけだろう(笑) 「あれもこれも幻想」というのは
ポストモダンの多様性、相対性の思想とうまく絡まって
そういうところでもてはやされた感もある。
「単に消費されるだけ」の時代に>>668のようなのが一緒になって
岸田秀を消費してたのだろう。
真面目な本を読んでたという人が
いまだにこんなスレにきてなんか言ってる >>637の話とか読んでると、幻想という呼び名とは裏腹に岸田自身は恋愛
に没頭したり、愛を語ったり、する人間だということですよね。つまり、
共同幻想にたいしては他人を無理矢理幻想の巻き添えにするかぎりでそれは
醒めた方がいい。しかし、個人の幻想にかんしてはそれで人間が自身の物語
を生きるということを肯定的に見ている。そういうことですね恐らく。でなけ
ればそれは80年代の或る種の読者が読んでいたような、知的遊びのオモチャ
にすぎない。しかし、岸田自身にはそういう知的遊戯をさせる心づもりは
なかった。ただ当時の読まれ方にはそういう知的遊戯の道具にする読者も
いたと。
共同幻想と個人幻想の差異がある、というところでは実は先に幻想のターム
を使った吉本と同じですね。吉本も1995年頃のインタビューで、「個人幻想
には共同幻想と違ってillusionという意味はない。実は同じタームで
括らない方がよいのに自分は同じ言葉で括っちゃった」と言ってる(『吉本
隆明が語る戦後55年E』政治と文学をめぐって/心的現象・歴史・民族64頁)。これが
吉本の幻想論の鍵だと思ったが、実は岸田の幻想論でも、醒めることを奨
めるのは共同幻想にたいしてであって、個人がしばしば没-交渉的な、他人
には計り知れない感性や論理で自己の運命をたどる個人幻想に
たいしてはそういうことはない。むしろ岸田自身は個人幻想の重要性を知り
、自身もそれで生きている。
そういうことでよいかと思うんですけどね。 >>675
このスレッド内で検索して
科学で説明できる出来ないって話をしてる書き込みがどこにあるかっちゅー話やがな >>676
637だけどうまくまとめてあるなあと思った。
吉本隆明はそういうこと言ってたんだ。
ああ、そういうことか、と思った。
岸田秀がそこまではっきり言及しているというのは
あいにく知らないんだけどかれの言葉の端々に時折
根源的なものを感じる。
(あるいはいくつかの文章に)
でも自覚的ではなかったのかな、と。
「哺育器の中の大人」の文庫版の解説で吉本隆明が言及していたことが
こういうことだったのかとわかってうれしい。
厳しいとともに非常に好意的な文章である。 >>679
ああ…どうもかたじけない(笑)ちなみに
>「哺育器の中の大人」の文庫版の解説で吉本隆明が言及していたこと
とはどういうことだったか教えてもらえたらありがたい。 岸田の理論は粗くて穴だらけ
いくらでもアラをついて批判は出来るし、共同幻想についての認識も批判できる
でも日本の学者には珍しく舶来思想の輸入で終わらず自分の頭で考えた痕跡は見える
そこは評価したい
そんな感じで岸田を生暖かく上から褒めてたわ、吉本は 吉本の持つ岸田観は自分のそれに近い
さすがは横綱相撲かと 岸田と吉本は関係ないんで、吉本の話はご遠慮ください >>680
「わたしははるか以前に、岸田さんとは対談を
やったことが一度だけある。
そのとき国家の共同幻想について話し合ったとき、
個人が共同幻想のなかに入りこむときは、
かならず逆立ちして幻想が身体で、身体が幻想のように
入ってゆくものだという説明が、個人幻想のの集合が
共同幻想なのだという岸田さんの考えからは
納得してもらえなかったことを記憶している。伊丹十三さんが
この本のなかで持ち出しておられたが、やはり岸田さんは現在でも
納得しておられないことがわかって、とても懐かしかった。
わたしはいまでも岸田さんを説得する自信があるが、
そんなことはどうでもいい。」
そのまえに岸田をベタ褒めって感じで
「どんな手段を折衷しても狙った獲物を射止めてしまえば
文句ないだろうとという大胆な実行者の匂いが文章や対話のなかから
にじみ出てくる。
読者はこの匂いがたまらなく好きなのにちがいない。」
そんな吉本が
個人が(自己が?)共同幻想のなかに入っていくときの
譲れないかのように言ってるので
なんだろう?と思っていた。
吉本は‘逆立ち’と自分の感覚をそのまま言葉にしているので
他の者にはちょっと伝わりにくいかもしれないな。
でも、いまでも説得する自信があると言っているから
個人と共同幻想の関係についてはかなり見極めていたのかも
知れない。 684の訂正
>個人が(自己が?)共同幻想に入っていくときの
構造は
>個人と共同幻想の関係についてはかなり自分なりに見極めて
いたのかも知れない >>680
吉本は岸田の共同幻想(社会)の見方はかなりつよく支持してるのではないか
と思った。 それから岸田の言い分としては
「社会は私的幻想の一部しか吸い上げない。
だから共同化されない私的幻想は他の集団や友達、恋人
あるいは小説を書く事や演劇をやることで私的幻想を共同化していく。
ここに自分の物語が書かれる。
もちろん社会と対立したり折り合ったりしながらなされるようなことも
あるだろう。
社会はそうして多かれ少なかれ変わりゆく。
まあひっくりかえることもあるわけだ。
社会が硬直化して人々の私的幻想をうまく開放できないというか
吸い上げきれないのであれば。 人は共同化されずに取り残された部分を自己というのかな。
すると全面的に共同化されるということはないわけだから
どこまでいっても自己は残ると。 岸田秀がユングの自己実現のことを言っている。
「自己実現というのはユングの言葉ですが、ユングは
、人間は内在的な才能、可能性があって、それを実現するのが
自己実現であって、人生というのは、その自己実現の過程であると
捉えています。たしかに、誰でも自分のなかに隠れた才能や
能力があるととらえるのは、人を元気づける考え方です。
しかし、ユング派その自己実現を容易なものと考えているわけではないのです。
ところが、最近の若い人たちが自己啓発セミナーに何十万円も
払って行ってみたり、新宗教のはしったりするのは、何か簡単に
自己実現できると考えているからでしょう。
オウム真理教など、まさにそうです。信仰して教祖の言うとおり
にしていれば、問題はすべて解決するというのですから。
>>686
岸田が吉本と対談して、吉本さんの共同幻想という言葉だか概念だかお借りしました、とか言ってたな
フォロワーというか影響を与えた人には少しは好意的になるわね
人情として >>691
そりゃあ、そうだろうけどね。
悪い気はしないだろうから。
でも、ちゃんと読んでるなあ、という気はした。
でも、そこは私の感想なので >>684>>685
引用ありがとうございます。俺もせっかくなので、2012年3月に吉本が
逝去したときの『週刊ポスト』掲載の岸田秀コメント全文書いてみます。
自分とはまったく同じとは言えないけども、影響も受け、respectも持って
いたということなようですね。二人の思想の関係を考えると興味は尽きませ
ん。
《吉本さんの考え方に出会ったのは70年代、40歳を過ぎてからでした。すべ
ての著作を読んだわけではありませんが、『共同幻想論』や『言語にとって
美とはなにか』には影響を受けました。
国家や社会は確固たる現実的基盤の上に立っているのではなく、多くの人
の共同幻想で成りたっている−吉本さんの共同幻想論に触れたとき、思わず
「そうなんだよ!」と膝を打ちたくなるほど共感しました。
かつて日本がアメリカを相手に起こした日米戦争にしても、日本人は
共同幻想によって誰一人疑うことなく、じつに真剣に戦いました。しかし、
戦争が終わるとその幻想はきれいに消え去り、誰もが「何をやってたんだ」と
我に返った。共同幻想で考えれえばストンと腑に落ちるのですが、当時、
そんなことを考える人はいませんでした。国家を幻想という概念で捉える。
−独創的な理論ですね。
10以上前に一度だけ対談をしたことがあります。私の考え方を評価してくれ
まして、「大雑把だけど自分の頭で考えている」と仰っていただきました
(笑)。
でも100%意見が一致したわけではありません。考え方が食い違うことも
あって、互いに歩み寄ることのない議論にもなりました。吉本さんは、その後
どこかで「岸田さんは私の理論を理解していないが、そのうちわかるだろう」
なんて書いていましたが、今となってはいい思い出です。》
(『週刊ポスト』2012.4.6所収『思想界の巨人を前に著名人たちも悩み考え
続けた 吉本隆明との「格闘」』より) >>693>10以上前に一度だけ対談をしたことがあります。
は誤り。
正しくは↓
“10年以上前に一度だけ対談をしたことがあります。” >>593>共同幻想で考えれえばストンと腑に落ちるのですが
正しくは↓
“共同幻想で考えればストンと腑に落ちるのですが”
むつかしいね。主体と自我との関係みたいなことなのかな?
自我が出来た時に自己をも生まれるとすれば
逆方向に互いを映し出してるとも言えるので
吉本はその感覚を逆立ちと言ったのかも知れない。
岸田は自我を私的なものと共同的なものに分けて
私的幻想を共同幻想がそのまま吸い上げるイメージ構造で
説明してるので自己が取り残される感が強い。
岸田もあまり自己という言葉は使わない。
日本人の場合自己と社会が未分化
自他が未分化ということがあるせいかなあ。 吉本の共同幻想はマルクスから来ているので
国家論から始まっている
岸田のはパーソナルな自己治療から始まっているので
起点や方向が正反対
岸田の共同幻想が個人幻想の集合なのはそのため
吉本のは個人幻想の集合のはずの共同幻想が
なぜか共同幻想になったとたん別物に変化してしまい
個人を圧迫すること、それを逆立ちと言っている だから自己と対立するものとしての自我(共同化)
と考えていいんじゃないかと思ってるわけ。
このユング流の自己を岸田はあまり語らない。
別のところでは「幻想だけでは解決できない。根源をいつも追求している」
とか岸田は言っているのであるが。
吉本のことはあまり知らないが元々詩人であることから
この内奥の自己というものに敏感なのかなと思っている。 >>698
それだとなぜ圧迫するのかという理由が語られていない。
自我(社会性)は自己疎外でもあるからだろう。 吉本の言う「逆立ち」はフロイトの言う「超自我」のこと? >>701
吉本の共同幻想が国家論から始まっているのなら
そういうふうにも考えられるよね。
岸田と吉本はどんな対談をしたのかな? 今年の4月に出た岸田秀・訳「高校生からのフロイト漫画講座」
では岸田のあとがきでもフロイト表記になっているので
まあ、いいんじゃないでしょうか(笑) 新刊出てるの発見して久々にこのスレ来てみたら結構伸びてんじゃん
うれしいことだ >>705
久しぶりに俺がここに来たからだろ
アンチや信者にうまくパス回ししてるからさ 岸田さんの場合、私的幻想と共同幻想の差異というところにいつも重点が
置かれていて、たとえば人間は根本善人であるという、或いは家族は分かり
合えるという、或いは話せば分かるという、そういった諸々共同幻想があり、
桎梏になってたり、抑圧になってたり、それがいつでも行為の分析のときに
出てくるものとしてある。
しかしじゃあその私的幻想、嗜好と言ってもいいが、がどうやって生まれた
のか、というところではいくつか発言を読んだ限り、手ぶらに近い感じが
あります。共同幻想の質や強度によって反発や同化やが生まれ、それに伴い
私的幻想の発露の仕方も柔らかくなったり強くなったりもする。
酒鬼薔薇事件の分析で「酒鬼薔薇くんの独創性」ということで「自分を
作った独創性」ということを言っています。遺伝や環境プラス本人が選択
したpersonalityがあると。柳美里との対談「荒れる子供たち」で言ってい
る。 707つづき
しかしその場合、選択するといっても、可能性が本人には見えない場合、
つまり前にもここに書いたように、個人の可能性というのは無限ではない。
世界というのは無限ではない。快楽殺人という内面というところで既に内面は
決定されてしまっている訳だから、生き物を殺すことで射精するような
内面が物ごころついたときに既にあったというのは、「自分でpersonalityを
選択した」とされるのはちょっと酷だし「選択」にはなってないと思います
ね。どうしてその内面がじゃあ既にあったかといえば、酒鬼薔薇くんの責任
ではないだろう。つまり、個人の内面がどう形成されていくのか、という
ところでの見方・方法がない。そこでは岸田さんの視点はちょっと粗雑に
過ぎる。強引に過ぎると思う。その辺で岸田さんの幻想論は文明批評として
の方法にはなるんだけど、個々の内面性へは届かないところが出てくるよう
に思える。
もっと言えば、個人の幻想が生成する過程での世界-経歴という概念がない
。自我に先行し、personalityの因子となる経験の概念がない。それだと個人
の幻想の生成には届きはしない。なので先の分析のような粗雑さが出てきち
ゃう。あれが「選択」なら一層重罪になる。しかし今の心理学でも岸田さん
のようなそういう見方はさすがにしないだろうし、酒鬼薔薇くんへも、更生
記録を仄聞したかぎりは更生の方法はよく考えられていたようなんで、さほ
ど心配はしてないんだけど。 >>706
ああそうなの?
ご苦労さま
コテまで湧いてにぎやかでいいね〜 酒鬼薔薇は殺人者遺伝子と親がイカレてたのが原因で、独創でもなんでもない
遺伝子と環境につくられただけ、本人の意思なんか介在しない、平気で人殺せる奴に
自由な意思なんてものはない、何も考えないからできるだけ、独創性とは真逆 遺伝子と環境と選択というのを岸田さんは行為の因子として置いているよう
だが。そこが曖昧にすぎると思う。個体の心への視線としては役に立たない。
岸田さんの言うように可能性はあるに決まっているわけだがその可能性は
有限なもの。制限されたもの。選択はあるが、選択される駒はすでに決定さ
れている訳で、そこで自由はなかったと捉えられる。岸田さんの発育観はそ
こが曖昧なので責任論に簡単に滑り落ちてしまう。「殺傷によってのみ性的
快楽が持ち得る」というのは悲惨な事態であって、「悲惨」であるという認
識がどうも岸田さんにはない。それがなければ更生の根拠自体が曖昧になる
。自己が自由に選択したとなれば自己責任論だから悲
惨だとかの認識にはならない。人間ができるだけ自由であろうとするのは普
遍的な性質であるが、にもかかわらずああいった内面性にしかならなかった。
その事実への眼差しが必要なわけで。方法として貧困である。
精神疾患への偏見は根強い。岸田さんの理論は「正常」という概念が
共同幻想であるというところまでは行くが、では精神がどう生成するか、とい
うところは手ぶらであり、どこかミシェル・フーコーに似ており、共同幻想
批判としては有効だが個体そのものの考察としては無力という感じがある。 このスレを眺めてて改めて思ったのは
誰かが発明した体系的な理屈を
「ここがなんか違いそう、あそこに違和感がある」って
各論をもっともらしく批判するのはわりと簡単に出来るけど
その批判をまとめて並べても
元のたたき台にとって替わるような一貫性の有る体系的な説明に
なるかというとぜんぜんなりそうもないってこと 長文のやつは同じ日本語とは思えないくらい何言ってるかわからないw
本人は気持ちいいんだろうけど
簡潔に誰にでも理解できるように表現しないのはなぜなのか
そんなテーマの話もあったねそういえば >>713
いいんじゃないの?別に全否定してるわけではないので。
>>714
誰でも理解できるなんてことはありえないよ。岸田のいうことだって
ある人には
よくわからないこともあるので伊丹も「保育器の中の大人」
で繰り返しあれこれ質問しているのだろう。 >>713
おまえ頭悪そうだな
読んでて恥ずかしいよ その伊丹が岸田が好きでなかったラカン派の人と
次に「快の打出の小槌」の講義を出してるのは面白いね。
伊丹とは最後まで親しくしていたわけだけど。 717
>伊丹とは最後まで親しくしていたわけだけど
岸田は 分かりやすい文章で書いてくれ
読みやすい文章で書いてくれ
手短にシンプルに書いてくれ
長くなりそうならレス番分けてくれ
長文の人の文章は、本当何言ってるか分からん
理解したいという気持ちはあるんだが、論旨に全然ついていけん >>713
まあ、こういう短文をレスし合う匿名掲示板で
独自の広範な世界観を示せと言われてもそれは無理だな
個別の案件に対するレスをつないでもそれが
広く網羅された世界観になるわけもないし
スレを上から眺めて優越感を得たい痛い子としか思えんなぁ >>707
岸田秀がそういう言い方をしてるとしたら意外です。
私の知ってるところは岸田秀の言わんとするところは
彼の場合、「殺人が趣味」だという結論です。
「オウムの場合には信仰のためといいう一般には通じないにしても
一応理屈があった」
「しかし、少年の場合には、一般に通じるも通じないも、まったく理屈がない。
殺人が趣味としかいえません。」
「殺人が趣味となると、それは当然、人々に通じるものではないですから、
世の中のひとは大きなショックを受けることになったわけです。」 722(つづき)
「社会的な議論にもなったのは、14歳の少年ということで、
大人のような罪は問えないということです。」
「少年だからこそ、こうした子供を生み出した社会や学校教育、家庭
ということに注目が集まったと言う面があります。」
「しかし、しゃかいや学校が悪いといったっら、本人には
責任はないのかということになります。」
「責任と権利は一体です。大人と同じような責任を問うならば、
権利も与えなければいけないということです。」 722や723のような論旨を中心にして
少年法や家庭、社会の問題、精神鑑定のむつかしさなどについても
語っています。
彼は社会のなかで彼のような性格の殺人やらそのほかの犯罪を
どう扱えばいいかに焦点をあてているのであって
彼自身の趣味がかれが選べるものではないから
彼の罪であるのかどうかということを論じているのでは
ないと思います。 私もその柳美里との対談は読んでみようと思います。
読んだかもしれませんが忘れているので。
722.723などは「日本人の不安を精神分析する」
のなかの第2章の酒鬼薔薇事件から引用。 >>722>>723>>724>>725
はあ。なあるほど。私も「日本人の不安を精神分析する」 は読んで
みようと思います。それで、“酒鬼薔薇くんの選択”というところを
喋ってる箇所をせっかくなので私も一部抜粋してみます。
《遺伝か環境かというのは昔からある論争だけど、遺伝説も環境説も
、正反対でありながら遺伝プラス環境ですべてであって、本人に責任
がないという点では一致しているんですね。しかし、遺伝と環境で全部
説明がつくわけじゃない。人間と言うのはオリジナリティーという
ものがあるんだと、だからこういう遺伝的条件とこういう環境的条件
があって、それらの条件の規定の中にいるということは間違いないけ
ども、それらの条件で人間というのは100%決定されるのではなくて、
それらの条件をとらえ返して、どういうパーソナリティーを形成する
か、というところに本人の決断と選択があるんであってね。
だから酒鬼薔薇くんは、そういうような条件の中でああいう行動を
するようなパーソナリティーを自分で独創的に……。独創性というと
なにかいいことみたいだけど、悪い独創性もあるんで、彼の個性という
か、彼はそういう状況の中でああいうパーソナリティーを選択したんだ
と考えなきゃいけないんじゃないかと思うんですけどね。》
(『しゃべる唯幻論者』「柳美里との対談 荒れる子供たち」青土社
174-175頁) それは彼なりの選択があった。ということじゃないですか?
それなりに子供たちには快があるので昆虫採集をする。
そういう趣味の選択はあるんじゃないかな。
普通子供が昆虫採集でとどまるところを彼は人を殺すというところまで
趣味が高じたというか。
趣味を持つのにいいとか悪いとかないですが
社会的に問題だ。ということではないでしょうか?
人間存在の不条理でしょうが。 この人間存在の不条理を社会はどう解決するかを
問うているのではないでしょうか? まあ、岸田氏も「根源的な追求に最終的な答えなんかないと思う。」
と言ってるので解決なんてないんでしょうが。
根源的なところを問題提起するということはやりつづけたいんでしょう。 >>722
橋本治がサカキバラのことを「少年の犯罪だと驚く人もいるが自分は逆。
あれが大の大人の犯罪ならそっちの方が恐ろしい」とか書いてたな。
橋本は別のことで、「幼児サディズムを人は克服できるか?」みたいなことも書いていたな。
たしかに子供はまだ痛みがわらんし常識も理性もないから、
ときに理不尽に残酷になるわね。
虫をいたぶりながら殺して喜ぶとかさ。 >>721
心に突き刺さった言葉だけ抜き出したのだね
721をネタに自己分析をしてみなさい 人殺しを独創性と言うのは間違ってるね
薬物中毒と同じで自分で自分を制御できなくて殺しただけだろ
独創性は自分の意思と努力から生まれるものだろ 薬物中毒でもないのになぜ自分を制御できなくなるんだろうか? >>732
岸田はその自分の意思とか努力を言ってるみたい。
独創性はプラスのパワーを持つこともあれば
マイナスのパワーを持つこともあるということ。 岸田「独創性というとなにかいいことみたいだけど、悪い独創性も
あるんで、彼の個性というか、彼はそういう状況の
中でああいうパーソナリティを選択したんだと考えなきゃ
いけないんじゃないかと思うんですけどね。」
「そういう中からやっぱりニュートンならニュートン、フロイドなら
フロイドが出てきたんで、そういう条件の中から本人が自分をそのように
作っていったということでね。」 独創性のマイナスパワーが人殺しで、プラスのパワーが科学者の発明、芸術家の作品だって言うのか?
どっちにしろ選択って言葉には違和感があるね、特に人殺しだの薬物中毒だのを自分の意思で冷静に分析して
選択する奴なんているのかよ
昆虫採集と人殺しを同列に扱ってるなんてクレイジーだな だからあの酒鬼薔薇事件と、今の一連の少年たちがキレる
と言われてるのとは一緒にできないなあという気はしますね。
と柳の発言が続く。
つまり酒鬼薔薇少年は自分のパーソナリティに自覚的だったということかな。
「ぼくはあのアニメに出てくる堀越二郎みたいになろう」
みたいな? >>736
>昆虫採集と人殺しを同列に扱ってるなんてクレイジーだな
だからショックを受けてるんじゃないの? >>736
選択といっても感覚的なものだと思うよ。
道義的なこととか規範的なことを考慮するわけじゃない。
趣味的なものを選択するわけだから おいお前ら、近親相姦ネタは興味あるかい?
父親とセックスしたがってる女がいて相談求めてるみたいなんだけどさ
いまんとこいろいろ聞き出したり乱暴に解釈ぶつけてその反応を見てるとこ
俺の興味としては近親相姦のタブーを乗り越えるメカニズムみたいなの事を考えてるわけよ ひとりであれこれ考えるのも楽しいんだけど、たまにはお前らと一緒にワイワイ考えるのもいいかなと思って
未熟な俺の唯幻論の理解を助ける、相談者の助けになるかも
という2つの目的なわけです
興味ある方いたらスレ紹介させていただきたいのでありまうす >>740
面白いなあ。一昔前のドラマでは実の父親に犯されて、男女の関係に
なり、でも娘はこの関係に疑問を抱いて、で臨時教員の生物教師に
助けを求める。いつしか二人は恋に落ちる。二人の関係がばれて一時期
離れたり。最後はこの女生徒を助けるために教師はこの父親を刺す。
でもよく考えてみれば、この父親が男女として波長が娘と合わない
ところがあった。束縛や嫉妬が強く、異性として愛せなかったから娘
は離れたがった。とも考えられる。『高校教師』ってドラマ。
それを思い浮かべると、時代が変わったと思えますね。娘の方が
父親とヤリたがっているとは。名目上は親子だけど実体は男女という
ことになってしまうわけね。双方で納得がされているのなら別にいい
んじゃないかと思いますけどね。ただ、近親相姦では障害者が生まれ
やすいというデータもあるようだから、子供は止めた方がいいでしょう
ね。
それで一時実の父親と男女になって、それもいつかは世の男女のよう
に別れたりするかもしれないんだよね。世間へはすべて隠している
ままに。お互いに納得できていればいいんじゃないのって思います
けどね。「いいじゃないの幸せならば」って昔の歌を思い出す。 岸田説ではこうだな。
「現実に近親相姦でできた子を調べてみると、確かに
、そういった障害のある子が比較的多いのは事実であって
だから、そういう事実がこの遺伝説を遺伝説を支えてるわけなんですけれども
、もう少し考えてみるとですね、現在の、この近親相姦のタブーがある
という社会の中でですね、近親で性行為を行って子供まで作るような
人たちがどういう人たちかということです」
伊丹「つまりタブーに洩れた人がタブーをを犯す。その結果が
障害児である、ということは、障害児が原因でタブーができたんじゃ
ないんですね。」
「障害児は、この場合タブーの結果なんです、因果関係から言えば」 >>745
岸田著作の何を読んで何を読んでないのか知らんけど
時代が変わったね〜とか
お互いが良けりゃ〜とか
そんなもんしか出てこないのか!
そんなの唯幻論とは全く関係ないただのおっさんの感想じゃないのよ
もっとこう岸田の理論を絡めてこうぜ
興味持ってくれたのは嬉しいから、びっぷらでファザコンでスレ検索してみて
よかったら書き込んでくんなまし 他の人も興味あったらよろしく〜
普段偉そうにここで発言してるお前らの腕見せてくれ >>738
60年代のイギリスだかの映画「コレクター」ですでにそういうイメージは提示されている
それ以前にもそういう猟奇殺人もあったろうしね
TBSディレクターの鴨下信一は昭和40年代のクロニクル本で
「コレクター」がショッキングだったと書いている
とうとう開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったと
オタクとか、たしかに時代はそういうものを、
もっとライトにだけど容認するように変わってきた 快楽殺人にも近親相姦にも関心が無い私が
当てずっぽうな見解というか疑問をあらわしてみる
サカキバラ事件のほうは
あの晒し首?とサカキバラセイト名での犯行声明文の発信までで
一連の快楽殺人が完結する本人の内心での物語であったのか?
であれば、またまたと言われそうだがこれは殺人という屈折した形をとった
社会への承認欲求ないしは社会への自己アピールなのであろう(物語の共有)
社会に対して自分を捕まえられるのか、とのゲームをプレイしていた感覚もあったのかもしれない
かたや、あの晒し首?と犯行声明文は、次々と快楽殺人を犯しかねない自分というものを
早く見つけて捕まえて欲しいという一種の救難のサインであったのか?
快楽殺人自体は、他者の生死を自分の思惑のままにおくことにより
自身がヒトを超えた存在、いわば神に等しき存在になりえたという錯覚・幻想・満足感を
得られるために行われるのであろう
さて、近親相姦のハナシのほうなんだが
昨今、草食系男子というコトバがあるそうだが
オトコらしさを感じさせるオトコが減った、悪い言葉で言わせてもらえば
女々しいオトコが増えたということなのであろう
身近な同世代の男たちを見渡しても男らしさを感じないのであれば
恋愛の対象にならないのであり、無理に恋愛をすればそれは異性愛というより
同性愛的心情になってしまうのではなかろうか?
そこで、一番身近なオトナの男である父親に求愛的感情を抱くことになりうるのではなかうか?
また、草食系であるということは、女性にガッツいていない
いわば、モテるための女性に対するサービス精神とサービス行動に乏しいということもありうる
一方、父親にはそれなりに父性愛というものがあり、自分の娘がかわいくていろいろやさしくする
結果、一番サービス精神旺盛な父親に求愛的感情を抱くことにつながるのではなかろうか?
父親とセックスしたがっているという女性、余程、身近の同世代の男性陣に恵まれていないのか
男性は女性にサービスするべき存在としてのみ見ていて、サービスの悪い父親以外の男性が目に入らないのか
以上、勝手なことを書いてしまいました、批判は甘んじて受けます 上記>>750、家族には家族愛というものがあるのは
ある意味当然なのだから 求愛的感情 の部分は 性愛的感情 に読み替えてください
うーむ、それとも
通常は家族愛はあるにしても一定の年齢に達すれば
家族にに対する嫌悪感とまではいわないものの
一個の人格として扱って欲しいという欲求が発生するはずなのであるが
いわゆる親離れなのだが
件の女性は、幼児のような「パパだーいすき」という心情のまま
肉体がオトナになってしまったのであろうか?
自らを庇護してくれる絶対的存在である父親に身も心も許したいというような
また、普通の親であれば自分の子が立派な大人
つまり一個の社会人として成長するのを希求するのであるのならば(子離れ)
父親とセックスしたいと願うほど娘を溺愛しているかもしれない
父親自体にも問題がありうるのではないのか? 自我というものが単独で存立しえないモノと仮定するのならば
自らの自我を認証してくれる自己以外の存在を必要とする
それは、文字通り自分の存在を肯定してくれる他者であったり
社会からの認証または社会への参画であったり
一神教圏であるのならば信仰する神Godからの認証であったりするであろう
父親とセックスしたいという女性の自我には
内心において肥大化または理想化した父親の存在無しに
自我が安定しえないという構造がありうる可能性も推測できるのではなかろうか?
・・・ものぐさスレなのに、いらんコトで3レスしてしまった気もするが・・・ まあタブーがあるというのは欲望があるからだというので「父親と
セックスがしたい」と匿名掲示板で告白する分には
ある意味驚かないのですが
近親相姦のタブーは岸田説では役割説なので
そのタブーは自分のアイデンティティのために必要なわけですよね。
自分は父親の娘であるというアイデンティティが壊れるので
禁止がある。
内的な禁止が働いている。
父親とそういうことになれば母親との関係はどうなるんでしょうね?
母親は母親のままでいてくれるんでしょうか?
単純に母親の男を盗ったということでもないし。
生まれてくる子供にとってはその男は父親であると同時におじいちゃんだよね。
このような自分というものに混乱を来たしてまで
普通近親相姦みたいなことはやらないでしょうね。
「お父さんみたいな人と結婚したい」という女の子(女性)
はテレビとかでもよく見るし
父親というのは母親との距離感とも違うので
父親であると同時に男性としても意識するのかな。
だから逆の場合は極端に嫌われる。
「お父さんみたいな人と結婚したい」という娘は
お父さんが好きでもセックスの対象にしてはいけないということは
自覚しているみたいですね。
自らのアイデンティティのために。 >>736
選択にも「する」選択と「しない」選択とがあってだな 娘が母親と同性愛関係を希望していたら
ある意味もっとショックでしょうか? 近親相姦ネタでもって遊んじゃおうって見えるんだけど。ずいぶんいい気な
もんだと思うね。岸田のスレの性質みて遊べると思ったのか。気の効いた理論
でも言ってくれるとか。岸田の理論だから遊べると思ったのか。そのいうのが
お似合いだと思われたとしたら相当舐められてるということだな。どのみち
かつてはニューアカで一世を風靡して文化人やら知的遊び人のオモチャの
一種だったわけだしって。
実際に当事者になった人間は傷つけたくない気持ちと、でも家族とHはで
きないとか、相当悩むだろう。あるいはもうしちゃってるなら尚更。当事者で
ない人間が気の効いた知的玩具を欲しがってそれでどうするんだい。
この手のに手を貸すってことは岸田理論がそういう玩具であると認めた
ことになるじゃないの。この人の立場というのは当事者でもないのに介入
して、それでどうしようというのかちっともよく分からない。あーだこーだ
口を出すだけで、それでどうもしない。野次馬に過ぎないわけでしょう。
そういう人にとって岸田理論は恰好な知的玩具だって見えてるわけよ。
そういう使われ方、認めちゃってるんじゃない。 >>756
へえそれでいいじゃないの幸せならばって言ったのか?
何も言わなくてよかったんじゃないか? >>746
つまりどういうことだってばよ!
あなたなりの言葉で言い換えられませぬか?
実はそこ、ちょっとよく理解できていないもんで
>>750ー752
俺はエレクトラコンプレックスだと思って、あちらのスレでもそう指摘した。
それは途中まではあってると思うわけね。
ただ大学生になってから、父親とセックスしたいと明確に認識した、という事実はエレクトラコンプレックスだけじゃ説明つかないんじゃないかと考えたワケ。
あなたの話はところどころフワッとした言い方があって、ちょっと俺には掴みきれない部分があるから今はなんとも言えない
よかったらあっちに書き込んでみてよ
ファザコンな私の悩みを聞いて
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1404495248/ >>753
あっちのスレ読んで貰えたらわかるんだけど、母親とは小学校低学年で死別してるんだって
俺もこれはアイデンティティーの問題として考えててさ
父親とやりたいってことは父娘から男女になる必要があると。
そうするとね、自分はこの男の娘であるっていうアイデンティティーをどうして捨てられたのか、ということがわからないワケ。
アイデンティティーの土台も土台なわけじゃない?親子関係って
まあ今はもう私は父親の女だってことで自我を支えてるんだろうけどさ。
親子関係というアイデンティティーの基本を崩さざるをえないほどに彼女の自我を追い込んだものはなんなのかと
そこが自分の興味ポインツですね
亡き母と同一視してんじゃねーの、なんてのも思い浮かぶけどこれはまだ理屈がつながらないっす 以下もしこの近親相姦ネタに興味ある方、あちらにも書き込んでくださいまし
本人にもいろいろ質問していいんだからね
まあちょっとネタ臭くなって来てるけどw
俺は唯幻論の話がしたいんだぜ
>>756
君は来なくていいから あー書き込みしてる間にひらめいちゃった
その娘、父親にもまともに親らしいことされてないんだきっと
子供の頃娘は祖父母に面倒見て貰ってて、父親はワーカホリックか?ってくらい仕事ばかりだったらしい
育てられてないんだわ父親に
少なくともかなり希薄だった
だからもともと父親なんかじゃないと
あースッキリした
たぶんこれ原因の一つだわ
お前等も洞察を披露頼むぜ 父親とやりたいと思っただけで娘から女になるのかな?
そのことを父親に告白したのならいざ知らず。
性的な趣味なんて幼少の頃のちょっと
したきっかけで決まるというからこの父親にそういうものを感じるようなものが
幼少の頃かになにかあったのかも知れない。
この父親があまり父親らしくないのかな?
父親というのは「掟」であり「お前は近親相姦してはならない」と
教える機能だと佐々木孝次と伊丹十三の本で読んだけどね。
ただ古代のエジプトの王家とかでは、いわゆるわれわれが考える
家族とかではない。そうである。 今頃近親相姦女子の細かい情報出してるが最初っからそういうのは情報と
して提示しておくもんだよ。情報ないのに色々書いてくれた>>746や>>750
みたいな人が気の毒だぞ。
>>758
>つまりどういうことだってばよ!
>あなたなりの言葉で言い換えられませぬか?
じゃないよ。情報何もない中で書いてくれた>>746に礼くらい書けないのか?
勘違いが甚だしいぞ。
>>761
>あー書き込みしてる間にひらめいちゃった
そらあんたはずうっとそのXさんと対話してて情報あるんだからひらめいて
当然ですよ(笑)>>746>>750は情報ない中で書いてくれたんだから大変
だったろう。肝心な情報もないのに付き合ってくれた彼らに感謝しておくの
が筋だ。
君がやってるのは「後だしじゃんけん」みたいなもんだ。情報ない
まま書かせ、「実はこうでした」って何、人をおちょくって遊んでる。
自覚してないままやったのか意図的かは知らないが。やってるのはそれだ。
卑劣だという自覚もないままやってるようだが。相当に失礼なんだよ。
しかも無自覚だろう。相手にされなくなるぞ。 >>763
情報後だしって言われてもなぁ
すでに>>747でスレは伝えてるわけで。
それ読まないで発言してんのは俺のせいじゃないわw
スレ読まないでレスしてる人もいるけど、近親相姦一般の話としてはちゃんと会話できてるよ
>>746にお礼ってのもわけわからんよ。
保育器の中の大人の一部分を書き出しただけだぞ?
読んでる人なら知ってる話なんだけど…お礼いんのか?
>>750に失礼ってのもわからん
750に言われるならまだしもなんでアンタが言うのw
取り敢えず君は唯幻論どうこうすっとばして俺を攻撃することが目的になっちゃってるから、一旦おちつこ。
で唯幻論に絡めた発言が出来ないなら俺に絡むなよ
もう相手してやんないからね/// >>762
あー、「父親相手にセックスすること」が単に性癖なんじゃねーのってこと?
考えもつかなかったわ
たぶん違うだろうという気はするけど反論もできないやw
父親が父親らしくないのは、なんかそんな気がする。
娘が惚れる父親っていうと、格好良くて立派なイメージ持っちゃうけど、なんかちょっと違うんだよね、彼女の父親は。
近親相姦を禁止してくるのは同性の親じゃないのかしら
娘の近親相姦を父親が禁止するってなんか変じゃね?
ライバルとして母親が禁止するならわかるんだけど
まあ大した話じゃないからいいかこれは。 >>765
父親というのは娘の中に内在化される父親だけどね。
象徴的にいうと母親が快。快と同一化する心を切り離し
不快に耐える人格を形成する。
この父親がそういう機能を果たしてない。
ワーカホリックみたいな感じというのは自分にとっての快(母親)
を目指す性向とも捉えられるのかな。
社会的規範とか家族の規範とか「掟」を教えることができない
ってことかな?
この娘さんは2度3度夫婦の寝室を目撃してるみたいだけど
ドアを開けっ放しとかだったのかな? 父親がきっぱりと社会規範を持っていれば
この娘さんは思春期の頃には失恋していたんだろうけど。
父親にとってもこの娘さんが「快の打ち出の小槌」に
なっているんじゃ? それからこの娘さん(他のレスをしている人の中にも)
幸せという言葉が出てくるけど
「自分自身になる」みたいな欲求をそう言ってる気がした。
「父親というのは自分自身であってはならないと子に教える。
つまり分裂した自分をもたらすことだ。」
つまり規範と快に引き裂かれた自分という不快に耐えること。
まあ、自分自身になるというファンタジー性に気づく
ということかな。
誰かとそうなりたいという欲求は結局アンドロギュヌスしか生まないみたいな
ことだったかなあ? 768アンドロギュヌスってどういう意味合いで
使われていたのかよく覚えていないんだけど。
なんか母と子が一体化してうまく社会機能を果たせない
みたいなことだった そう言えば親の性行為を目撃すること
をフロイトは「原光景」と言ってたな
これは子供の目には父の母への攻撃と映るそうで
母を失った彼女が父に支配されることが母親と自分との
同一視をもたらしてくれるものになっているのかもしれない。 >>766ー770
父親が娘の超自我を形成する役割を果たせてないと
現状が父親と娘の共犯関係ってのも納得です
もしかしたら父親は父親で娘を娘と思ってなくて、若い嫁さんぐらいに考えてんのかなぁ
性的な欲求は抑圧してるにしても。
それが娘には見えてて刺激されてたりして。
両親のセックスを何度も覗きに行ってるって話は、娘心が傷ついたってよりも、子供に対してずさんな配慮しかしない両親のエピソードに受け取りましたね自分は。
ドアが閉まってるときは聞き耳たててたんじゃなかったかな?
やっぱ亡き母親と同一視の線もあるかなぁ
ちょっと該当してそうな岸田の本のトコ読み直してみます
参考になりまうすサンキューです! >自分自身になるというファンタジー
これも納得です
父親に惹かれるのは愛情だと
たまたま好きになったのが父親だったんだと
彼女はそう言ってんだけど、そんなのは全く事実じゃないわけで。
まあ今の彼女はこれを支えとしてるだろうから、まだあちらじゃ指摘してないんだけど…
とにかくちょっと考えてきます
アンドロなんとかも調べてみる
レスどうもね!
つーかあちらに書き込んだほうがいいんじゃないかな
ここだと若干スレ違いな気もするんで恐縮なの
いいのかな >>772
>ここだと若干スレ違いな気もするんで恐縮なの いいのかな
お前さんねえ。こんだけここで大騒ぎしといて何だいそりゃ。あんたは
自分じゃ無自覚なだけの荒らし認定してあげるよ。ほんとおめでたいヤツ
だなあ。
お礼はいるよ。あんたの不躾な注文に応じてくれたんだぞ。反応してく
れた方には一言言うのが普通だろう。
ちらとそのスレ読んだけど。何か恋の始まりの不器用な男女の恋の始まり
でも読まされてるみたいでアホらしいというかまたうらやましいというか、
深刻にはならないなあ俺は。結ばれるといいですね、としか言えないな。
早く決着つければいいのに。しかし今のそのモジモジ状態が良いんだろう
しね。他人の恋の進展きかされるあほらしさだよこれは(笑)その女も
まんざらでもなさそうだし。これででもとんでもない大ブスだったらまた
面白いんだけど(笑)光浦さんやハリセンボンみたいなね(笑)ほんとは
親父は娘の気持ちに気づいてて、ただ顔が到底好みじゃない抱かない
避けてるとかね(笑)だったら大笑いなんでそっちの期待が大きいな。信
じられないおバカな結論でした!とね(笑) >>773
あのインセストタブーはなぜあるのかという話なんだけど。
それに一番最初に反応したのは君だろう。
荒らし認定したのなら荒らしに反応してるのは君ってことだな
君があんな反応しなきゃほかの人も反応する気はなかったろう
インセストタブーの社会的な意味合いは理解してるんだし
情がそっちに流れている人を相手にするのはかなりめんどうだしね。
ブスとか恋がうらやましいとかどうでもいいんだよ。
どうも情動的な反応をするのはあなたらしい。
嫉妬でもしたのかい?
確かにタブーがあるからこそ燃え上がるかもね。 >>774
深刻な顔したナルシシズムの匂いが相談者にも相談に乗る方にもすごくする
のでね。横目で苦笑するのが相応しい子だと思うね。あの女性は。
一応最初相談には乗ったけど、あれ以上言うこともないし、またくだんの
女性がドブスが原因で親父は敬遠してる可能性だってある。今の時代、何に
遠慮するのかとかはっきりしないしね。その親父が娘の変顔に恋愛感情が
湧かないだけである可能性だってありますよ(笑)特に遠慮もしてなくって
ね。>>774さんは森三中の大島や村上から熱い視線で見つめられて応える気
になるかといえば難しいでしょう(笑)別に嫌いじゃなくても恋愛はきつい
でしょう(笑)オアシズの光浦さんやハリセンボンの箕輪はるかはきついで
しょう(笑)そういう問題なら分かり易いわけでね。別にその親父が遠慮し
てるわけじゃないとね。ただ女として好みじゃないだけの可能性はある。
インセストタブーが何故とか色んな話があるけどそこまで広げる気には
ならないなあ。遠慮する理由はたぶんもうないよ今は。親父は遠慮してる
訳じゃない方に賭けるね(笑)
あなたタブーとか言ってるけど少なくとも私にはもうそういうのはないなあ
。ない人は実はけっこういるよ多分。男も女も年くっても性欲旺盛だって
ネットで動画世界中から回ってくるし分かってるしね。そんな皆行儀よく生き
てるわけでもないしさ(笑)身も蓋もないわけよ性の実体はね。
あの女性もかっこつけすぎだよ(笑)ただ顔が好みじゃないだけなら
仕様がないでしょう。いずれセックスしてやりまくってどのうち飽きる
かもしんないし。あきるまでは相当色んなことやるだろうけどね(笑)
顔射からhand jobまで。 あんたさ。人の好みを勝手に決めつけるなよ。
いいじゃないの。幸せならばって言うんだろう。
じゃあナルシズムの匂いがしょうがどうでもいいじゃないの。
幸せならば。
矛盾だらけのあんたの理屈は聞き飽きたよ。
タブーと性欲旺盛とどう関係あんのかわかんないけど。
性欲旺盛なら近親相姦でも強姦でもなんでもありの人なのね。 つまり近親相姦禁止は本能ではなく、やってる親子は多いし、合意の上なら問題ないということですね
ありがとうございます、わかりました これ個人の問題じゃなく文化的な問題だからむつかしいんじゃない。
個人の情がそっちに向かうのは自然なことだとしても
文化はそうした自然の情をある程度断ち切らなけりゃ成立しないんだろう。
この娘さんの事情はよくわからないけど人は自分の立場でしか語れないしね。 岸田秀に言わせたら性欲というのも本能じゃないんだってさ。 合意の上なら問題ないとか自然の情を断ち切るとか何を言ってんだ君らは
スレと無関係に個人の感想を垂れ流されても反応に困るぜ? スレとどういうのがどこまで関係あるのかは微妙だね。
岸田理論ではどうなるんだ? >>780
自然の情というのは本能が壊れた人間がほっとくと
身近なものに性欲を向けると言うことだけど。
フロイトも言ってるだろう >>782
4つ質問
・身近なものってたとえば何を指してるわけ?
・本能=自然
人間は本能が壊れた→自然な存在ではありえない
岸田はこう言ってるんだけど、「自然な」情ってなんなの?
岸田の本で「人間には自然な情があってほっとくと身近なものに性欲を向ける」なんてあいまいな記述は見たことないので。
・>文化はそうした自然の情をある程度断ち切らなけりゃ成立しない
文化を成立させるために自然の情を断ち切るの?
岸田理論だと人間は自然のままだと生きていけないから文化を作って、人工的に性欲に道をつけてあげる…って話なんだけどな
因果関係が逆になってるけど、これ説明願います
誰理論ですかこれは
・「自然の情」ってものがあって誰かとくっついたり自然にできるならば、なんでわざわざ文化みたいなもんを作ってそれを切らなきゃいけないの?
自然にできるなら文化なんて作らないで自然に生きてればいいじゃない
なぜですか? 自然の情というのは自然の情のごとく見えるってことだよ。
あのね。岸田も性欲は本能ではないと言ってるけど
皆が普通に使うようにつかうときもあるよ
それにならって普通に自然の情ってつかったんだけどね。
それから身近なものってのは「母親」だろうね。
フロイドが「幼児は母親と性交したがってる。」とか言って
顰蹙をかったんだろ?
まあ、一体化したがってるってことだけどこの一体化は性的な意味を持つんだろう。
あのさ自然の情といういう言い方は文化ができたあとにそう呼んでるもんで
岸田秀の言葉を借りれば退行現象のようなものだよね。
一次的ナルシズムに帰ろうとする。
性本能は本能的形式を失ったときエロティシズムに変質した。
「本能が壊れたのであってなくなったのではない」
という岸田の言葉があるけどだとしたら自然の情みたいなのも
なくなったのではないだろう
本能の形式を失っているのでほっとけばその情はどこへ向かうかわからないのだろう。 >>783
自然のままに生きていけないと自覚したことが
自然の情をそのままに生きれば死に至るってことと
変わらないんじゃない。
ずっと泣いてたけど泣き止んだようなものだよ。 試しに自然の情って単語を使わないで説明してみてくれない?
>自然の情のごとく見えるもの
なんてどうとでもとれちゃうでしょ
リビドーなの?本能のエネルギー部分なの?
他にもあやふやなとこあるけど、まずはこれからはっきりさせよう
専門的な用語使って説明してくれたほうがありがたい
意味がはっきりするから、いちいち定義合戦する手間が省けるよ あ、やっぱり説明いらないや
別に聞く必要もなかった おれ専門家じゃないから。俺も説明する気ないや
だって岸田の「ものぐさ精神分析」のエロスの発達も
読んでないのか覚えてないのかわかんないんだもん。この人。 自然の情っていうのはいわゆる情ってやつでしょう。
世話してくれる人に子供が信頼を置いたり
愛情を持ったり。
そういう人に性欲を向けるってことね。
社会規範と対比して便宜上、自然と言ってるわけね。 ちょっとよろしいでしょうか?
自然 という語義の曖昧さにより議論が混乱しているようです
自然=大自然・自然現象、いわば本能が壊れている人間に関わりなく存在する自然
自然=人間であるならば 当然 ありうるべき感情・行動としての自然
この二つの意味の違う自然が錯綜しているいるために議論が噛み合っていないようですが
〜近親相姦タブーと例の女性について〜
メモ帳に3分割したものを投稿する用意があります
スレ汚しになるからやめろ、といわれるなら投稿はしませんけれども
私としては、現状かなりデリケートな問題を抱えていると判断しておりますから
あまり関与したくないというのが本音にありますので >>791
人間のなかに自然に流れる情でしょうね。
大自然の情とか思う人いたんですか?
髪さんのそのメモみたいですね(笑)
「セックスの幻想が広がったから、人間関係が希薄になり
自閉的になったのか、人間関係が希薄になったから、セックスの幻想が
多様化したのか、どちらが先なのかはわかりません。両面があるのでしょう。
いずれにしても、人間関係を支える強い共同幻想を持ち得ないから、
自分にしか関心がなくなって、閉じこもる傾向が強くなっているのです。
性的幻想の多様化と「本当の自分」を求めるような傾向とは、
まさに現代の人間関係の希薄化を現しているのです。」岸田 秀
これ16年前くらいの文章ですけどねえ。 この(岸田秀の)文章の後、岡田斗司夫との対談とか読むと
個人的には面白いなあ。テーマがつながってるのかなあとか
思うんだけど。 この対談も気楽なようでむつかしいものがあるような
気がする。
岡田氏も岸田氏もやっぱりそれぞれの理念があるんだろうな。 >>793
珍しくアンカーがついたので、返信します
自然 という単語について補足を
自然=自然界、つまり気象現象や動植物の生態を指し示す自然
かたや
自然=人間なら当然なことだろ?=人間なら自然なことだろ?、と日常用語で使われる自然
この意味合いの違う二つの自然を混同したのでは議論が破綻するのではないでしょうか?
引用されておられる岸田先生の文章については
浅学非才の私としては即座に文意を理解しきれない
見解を書き込むかは別としても
時間をいただいて考えてみようと思います
用意してある文章については、いまだに投稿することを躊躇しております
臆病者ですので 自然の情というのは皮肉も入って使ってるんだと思います。
日本人は「親が子を思うのは自然の情だ」
というようなことをよく言っていた。
そういう次元での情だということですよ。
子供が親に向ける情もね。
そういう次元を言ってるんでこれがほんとに本能=自然
というような意味ではない。
これは佐々木孝次と伊丹十三の「快の打ち出の小槌」
からの引用で岸田理論とどうつながるのかなあと常日頃思っていたので。
確かにこれに該当する岸田秀の用語はそのままでは
見当たらないですね。 「親が子を思うのは自然の情だ」を
「親が子を思うのは当然の情だ」と言い換えても語義矛盾は生じないというのがひとつ
もうひとつは
親が子を思うのは天賦の情だ、本能によるものだ、という考えを信じているということ
「親が子を思うのは自然(から与えられた)情だ」と、当の親が信じるということ
これは、岸田唯幻論とは相容れない考えといえましょう
実際には、子による家庭内暴力・虐待親・親殺し・子殺しというものが存在するのですから
唯幻論的見方をとるならば、親子の情は本能によるものだという考え方は
その親・その子の思い込み・幻想であると解釈できますまいか?
ところで、例のスレdat落ちしたようなので
近親相姦タブーと例の個別事案を分析する必要もなくなったとも思われますが
どんなものでしょうか? >>798
そうでしょうね。そういう思い込みですが幼児は
親はそういう情を投げるわけです。
でその情に絡め取られてる状態では大きな社会規範は育たない
ので距離を置かせることをやるわけです。
それを切り離す断ち切ると少々物ものしい言い方ですが
言ってるわけです。 >>798
det落ちしたんですね。
髪さんのお好きなように。
彼女元気でいて欲しいです。 だけど岸田秀もすべて幻想とは言いながら
「現実が見えていない」とか「現実我」と「幻想我」
とかよく使ってんだけどな。
これもどうにかならんかな? 上記>>798の書き込みだけでは、いささか冷たすぎるようなので
少しフォローをさせていただきます
人間とは、感情に支配されやすい、あるいはされているものなのです
機械ではないのです
いとおしいものは、理屈抜きでいとおしいし
にくったらしいものは、理屈抜きでにくったらしい
家族間や恋人同士の愛情の前では
理屈とか分析とか唯幻論というものは無力にすぎないのかもしれません
>>799
私なりに端的にいいますと
かわいい子には旅をさせよ、と言うではないかということになりますね >>801
現実が見えていない 現実をそのまま見ることはできないので、自我というものを作りそれでもって周囲の世界を解釈して把握してる
その自我をさらに2つに分ける
現実我 周囲の世界に対応しようとする自我
幻想我 自分の一貫性や同一性をたもとうとする自我
こんな感じかな? 岸田のいう幻想もあのタームがそのまま妥当するのは共同幻想だけであって
つまりillusionという意味でね。上レスでいう私的幻想とかだと私的現実と
同じことでしょう。つまり私的な嗜好や好みや愛について、「これは幻想
なんだろうか。現実なんだろうか」と自問しても元々同じなんで、どうしよう
もない。吉本も言ってるし。そこの混同を岸田もまるまる引き継いでるので
上レスみたいにこんがらがってしまう。
「個人幻想とか対幻想とかは、特に個人幻想は、個人の錯覚や幻覚という意味
にとられるかもしれませんが、それとはまったく違う意味なんです。」
「共同の場合や制度的な場合と比較したらまったく違う意味になっちゃいます
。だから、本当は違う言葉を使わないといけないんでしょうね。僕は勝手に
使っちゃっているわけです」(『吉本隆明が語る戦後55年E』66頁)
前にもここで引用して吉本の幻想論も岸田の幻想論も同じ混乱をもってる
と指摘してるけどね。
岸田は吉本の概念をそのまま拝借したことで吉本の用語のまずさ、曖昧さ
までそのまま継承した。それを岸田の愛読者がそのまま継承して上レスの
ようなことになったと(笑)ちなみに人間には動物的神経系統では脳との
連繋で反射神経が作用し、植物的神経系統では内蔵や心が連携し、しかもそ
れら全体を内省する思考もありこれら3つの系統が相互に浸透する、という
のが吉本の90年代以降の展開で、人間のリアルな姿へはこの展開の方が妥当
していると思いますね。
岸田さんの唯幻論も個人幻想では幻想といっても現実と言っても同じで
しょう。個人にとっての世界を表しているだけのことで。愛情や憎悪やが
幻想といっても現実といっても個人の領域では何も解決はない。自我がある
から<私>もある、幻想もあるのと同じですからね。幻想といっても現実と
いっても単に言いなおしただけでね。同語反復にしかならない。まったく
不毛ですね。寄与するものは皆無でしょうね。 しかも岸田さんの場合、心的概念での幻覚・錯覚という意味でも>>801の
話だと幻想を使っている。まあ紛らわしいこと(笑)そこで幻想を使っちゃ読
者がよけいに混乱するに決まっているのにね。読者が気の毒だねえ。いたずら
に混乱してて。ちょっとした工夫にすぎないのに。 もう少し書かせてもらうとニーチェは真理について<それなくしては或る種
の生物が生き残ることができない誤謬である>と『権力への意志』で言ってま
すね。<真理の標識は権力感情の上昇のうちにある>とかね。よって<真理-
解釈-権力感情-支配>は連動している。あらゆる意味解釈には解釈者による
権力感情が内在している。ニーチェはこの場合の解釈を仮象とも言う。仮象
によって対象の有用性が測られるがそこには対象を有用性に還元する自己保
存の欲求がある。
岸田さんのいう幻想にはそれによって権力感情の上昇をはかるという意味
があると思える。中心に自己をおける体系なら何でもいい。自己を中心に
おくことこそが重要だからだ。真理の本質は自己を中心におくことにある。
本能が壊れたので自我が生まれたという場合、動物の本能は生物としての
自己保存欲求であるから、自我が意味付与をする場合、有用性に還元する
作用がそこに繰りこまれていくのは当然である。つまり岸田さんの幻想論
とは自我論でもあり、世界解釈をすることで自己を中心化する作用や自己
保存欲求と連結させることでもある。自我の役割の1つは解釈することで遠
近法を創造し、自己本位の世界を作り出し、自己をそこに位置づけることに
ある。
そうみてくると、岸田唯幻論にある厭世感や人間不信やはどこから起因する
のか。ニーチェと対照すると見えてくるところがあると思えますけどね。 『「日本人の不安」を精神分析する』を読むと、意外に岸田さんは国防問題
で日本がアメリカの言いなりでその代わり守ってもらっている、身売りして
良い思いをする売春婦みたいなもので、この屈辱感から目を逸らして生きて
きた。それを晴らすには国防で専守防衛するかこのままアメリカに守ってもら
うか決めなければならない。非武装中立は現実的ではない。とか、けっこう
言ってるんですね。これだと今の保守主義の政治家とそう変わらないよう
にも見える。
本能の壊れから自我を解いていく論では自我が権力欲求をもつところに着目
して色んな建前や主張や理想の内実を解いて行くわけだけど、国家の力の競り
合いから逃れられない現実にたいする日本人の態度決定が必要だとか、でな
いとアメリカへの屈辱感は消えないとか、保守主義政治家みたいになってきた
ところもチラと出ていますね。昔の吉本との対談では「西欧型の国家観では
日本人の国家観は掴めない」とか「占領されても良いことしてくれるなら
そのまま。それが日本人」とか政治家の煽りには乗らない、みたいだったのが
けっこう変わってきた。上で引用したような論は前は批判していたんだけど。
今は自分から言うようになってきてる。
自我が本能の代わりに生まれ、となると元々動物的欲求や理性の型式を
残したうえでの権力への意志へは透徹した目をもっていたはずなんだけど。
自我は国家でもあるので、「アメリカによる強姦」から自由になるには憲
法改正し国防軍を設立。でなければ誇りは回復されないとか言い出すかも
しれませんね。少なくともかつての「どうでもいい」みたいなスタンスでは
ないですね。生真面目に国家の誇りとか考えている。 だからそれは日本が西洋的な国家観に基づいて生きるなら、の話だろうね。 まあそういう例え話を繰り返しながら
「外圧がないと動かないのが日本人」というスタンスでしょう。
はっきり西洋的な国家観に基づいて日本人はこれから生きていくほうがいい
ときっぱり表明しないとこが
しどろもどろの日本人らしい。
それで岸田秀周辺にもだんだん熱気がなくなってきたんだろうねえ。 まあ外圧にしろ何らかの瓢箪からこまにしろ
日本がこれから新しい国家観や思想を持つのは至難の業というか
大変なことでしょうねえ。
国内で仲良くやっていればよかった時代アジアの風土の中で
息していればよかった時代とは違うんでしょうねえ。
わたしはこういうことよくわからないので困ってしまいます。 みんな岸田学歴詐称してたの知ってる?
本人の言い訳としては大学の事務手続きのミスなんだって 公表してたのと実際の記録?が違ってたらしいな
意識的にサバ読んでたのか、単に勘違いだったのかは知る由も無い >>812
そこに粘着してるキモい奴いるよね。
誰も岸田秀の学歴なんてたいして問題にしてないのに。 学歴と学歴詐称は問題が違うだろう。
ただ真偽の由は知るべくもないので黙っているのだろう。
いずれにせよ旧文部省からは精神分析学者とは認めてもらえず
講義をしてもいけないっておたっしがあったとか言ってたっけ。
テレビのニュースでやってた。 その後名誉教授にも推挙されてるから
もはやどうでも良かったんだろな フランスで授業にもほとんど出ず、エッセーみたいな論文出して学位もらえるとほんとに思ったのかね
詐称したと言われても文句言えない >>818
そのエッセーどこで読めるの?
見てみたい 「でがらし」の最後に掲載されてるやつかい?
私はむつかしくて読めなかった覚えがある。
岸田秀によれば「昔から同じようなことを言ってるようだ」とのことであったが。
論文とは違うが
岸田秀は共同幻想を「本能が壊れた人間」と結びつけたことは
評価しやすいのではないか?
誰かが岸田秀を読んでいたのでラカンも理解できた
みたいなことを言っていたが
たしかにラカンに「本能が壊れた人間」という発想が
あったらもっとわかりやすくなっていたのではないかと
思ったりもする。 >>815
精神分析学者なんて文部省の許可は要らないよ。そもそも大学教授なんて何の資格も要らないんだから。
精神科医は厚生省だし。 岸田は精神科医じゃないだろ。
文部省のおっ達しだかがあったので新入生らは私の講義が
聞けないと言ってたのは岸田自身だよ。
大学教授なんてなんの資格もいらないのと
岸田が学位をとったと勘違い?してたのは別だろ。
学歴詐称を意図していたわけではないというのならわかるけど。 少ない時は4人ぐらいじゃない。
多い時は7、8人じゃない
いない時は誰もいない。
いつもいるのはスレ主(笑) ロムってる人が五万人とか(笑)
私もいつも参加してるわけじゃないしな 俺はずっとロムってるが(長文は読み飛ばしてるが)
回してるのは二人かと思ってた ふうん。長文読み飛ばして二人でやってるスレ
ずっとロムってたのか?
感心々 ニーチェは西欧が道徳を価値化することで権力化したこと。畜群を権力化
したとみなすが、岸田幻想論でも社会や共同体を成立させる根底に様々な
道徳・中庸があり共同幻想化したことが言われる。これも畜群の権力化と
みなすことができる。
自我を権力への意志だとすると本能の代補という役割は妥当する。本能も
また自己保存の欲求を自然に発露させるものだからだ。結局岸田のいう幻想
とは自己保存欲求のための表象でありそのための解釈、自己中心の遠近法
である訳で、権力への意志である。岸田幻想論にイカれた人間がやたらと
醒めた風になる理由もそこにある。他人の権力意志である表象にどこまでも
付き合う義理はないからだ。自我の代補としての幻想という意味はそれである
。
しかし自我が人間にとってどこまでも選べる対象ではないこと、またその
自我とは内実が有限な可能性をもち、よって運命的過程をたどって行くもの
である。このことについて岸田幻想論はどこまでその人間の責任かという
1点で曖昧であり曖昧である典型が酒鬼薔薇事件のような中学生の起こした
凶悪犯罪である。岸田はこれを「自己がそういうパーソナリティを選択した
」とするが、そう云えるためにはそうならない自由もなる自由も同等にあっ
たことが言えなければならない。しかし殺傷することでのみ射精するという
性意識が形成されてしまっている段階で、これを言うのは-そうならない
自由もあった、は-ちょっと難しい。というより岸田の理屈は妥当しない。 830つづき
特異な母子関係にあったことが伺えるし、でなければそういう性意識は生
まれようはない。人間の自我とは何か。どういう生成過程をたどるの
か。どこまでそこには自由はあるのか。その考察があって初めて自由も語れ
るはずなわけで、岸田にはその考察自体が乏しい。「環境と遺伝ですべて
還元していいのか」と岸田は言う。この疑問は性意識がどのように生長する
のかというこの事件のポイントを等閑にすることで生まれる疑問であり、
どこまでが人間にとって決定的な要素になり得るか、という点も岸田では
等閑にされている。よって保守派の論客や社会不安におびえる一般人に近く
なっていくしかない。
岸田の幻想論の本領は建前としての道徳や善悪やが国家や社会やの権力意志
の表現であることを看破する場面、未曾有の事件が出て社会不安が増す
場面、で社会や隣人や子供についての共同幻想を指摘することで安定したい
心性が事実を見ないことを促すとし、一定の破壊力を機能させる。その意味は
ある。しかし自我そのものについては一般教養以上のことは言えない。文明批
判が中心の批評でありそれ以上は難しいということだ。 確かに自我を選ぶというのはおかしな話だね。むしろ自我が選ぶわけだから。
読んで字のごとく、選ぶ主体を「自・我」と呼ぶわけだから。 >>831
おまえほんとバカだよな
自我なんて寝てるときはなくなるんだぞ、そんなたいしたものじゃないんだよ
おまえはもっと科学の勉強したほうがいいよ、物を知らなすぎる >>833
寝てる時なくなっても起きたら戻るなら同じじゃないか。 >>833
よくあんなトンチンカンな文読む気になるなぁ
偉いわ >>836
よくトンチンカンってわかるなあ
ご教授を
君の頭がトンチンカンかあの文が本当にトンチンカンか
よくわからん >>837
よくわからんなら黙ってろ
質問があるならそれを書けば答えてやってもいいよ。
あれば書け
どうせ聞きたいことなんて別に無いだろ >>838
よくわからんから聞いているんだが
君がトンチンカンと思ったわけを 岸田秀を金太郎飴といった人もいたので
その人にも聞いてみたんだが >>831
の文は私にはトンチンカンのとこもあるが
私の知識不足か理解力の無さかも知れんと思っていたのでね。
それに岸田についてあるときから抱いていた印象が
彼によって少し納得してしまったとこもあるので。 だから具体的に質問しなって
どこがどうわからないの?
唯幻論に関することなら答えるよ
トンチンカンな文章について理解したきゃ書いた本人に問いただしてくれ
あれは書いた彼の意見なんだから俺に聞かれても困るし、俺が答えられるのは唯幻論についてであって、彼の話の内容の正誤なんかじゃないのよ いやトンチンカンって感じたのは君なんだろ?
だから君に聞いてるんだよ。
彼も彼の唯幻論について語ってるんだろう。
そのどこがトンチンカンなんだよ。
君の唯幻論があるならそのトンチンカンがどこにあるかを語ればいいんだろう。
それとも機械的に岸田秀の言ったことを繰り返すだけかい? >>842
>俺が答えられるのは唯幻論についてであって彼の話の正誤なんかじゃないんだよ
それでトンチンカンというのはどういうわけだ? 長すぎて誰も読まねえんだよ
バカなんだよ、おまえは >>843
・彼には彼の唯幻論があって君には君の唯幻論があるんだろ
なーんて言ってるから話が噛み合わない
俺は彼の唯幻論なんて知らないし、俺独自の唯幻論なんてもんも持ってねえよ
彼の語ってる唯幻論について知りたきゃ彼に聞け
岸田の唯幻論についてなら俺は知ってるから質問があれば答えられるところは答える
あの文章読んで得るものがあるならそれはそれで別にいいんじゃないの
どこがトンチンカンなの?どこがどこが?ばかりじゃなく聞きたいことがあるなら具体的に聞いてくれ
どうせ聞きたいことなんて無いだろうけど 彼には彼の結言論観があると言ってるの
岸田の唯幻論なら岸田を読むよ。
君に何を聞けって?その知ってる唯幻論で自分すら展開できないで
喚いてるだけのくせに 847
>彼には彼の唯言論観 →彼には彼の唯幻論観 岸田信者にとってやはり唯幻論は教義なのかな?
ただ唱えるだけのもので対話の道具ではない。
「フロイドの精神分析を自家薬籠中のものとし
卑小な我々の自我を快刀乱麻のごとく断つ。こんな面白い文章を書く
心理学の先生はいない」これはものぐさ精神分析の帯に
渋沢龍彦が送った言葉だが
昔は遠くなりにけりだ。
岸田の言ってることを教えるってさ。スポークスマンか?
具体的に答えるのは君だろう?
どこがトンチンカンなんだ?責任持てよ
の帯に 宗教とか教祖の御付きや後継者にこういう人がいて、それで通俗的に世間に広まって、
個人の思想があたかも普遍的で唯一絶対な真理の信仰とされるんでしょうな
ここで「何がトンチンカンなんだ?俺が俺が」と鼻息荒い人を見てなんとなくそう思った >>851
誰のこと言ってんの?
文章の前2行と3行目がつながらないんだが。
言葉の詐術としか思えないんだが。 >>851
君が>>842について言ってるなら異論はないよ。
「俺が俺が」って言ってるのは彼だもんな
まあ真面目なんだろ
彼はトンチンカンと言ったのは何となく癪に障る人物だったのかも知れない。
「どうせ聞きたいことはないんだろ?」というのは
「俺なんかに」というのが後に続いてけっこう謙虚なところもあるのかも
知れない。
私はほんとにトンチンカンと感じた理由が確固としてあるのなら
聞いてみたかったんだけどね。 851です
即レスついてちょいびっくり
↑IDもコテハンもないスレで、しかも引用の多い長文が連発なので自分でも誰のことかよくわからん
トンチンカン論争をしている人たち全般ということかな?
長文連発からはかなり適当な流し読みしかしてないから、誰がというのがわかりにくくなった
画家がモチーフの大まかな明暗を確かめるときのように遠目で目を細めてスレをザッと見た印象です >>855
は?
リテラルな子が多いのかね?ここは >>856
唯我独尊か
そういえば、ものぐさ精神分析だかで、岸田は日本のアジア侵略を投影の概念で説明していたなぁ
うっすらとそのことを思い出したわ >>860
そうくると思いました
まあ、「俺に言わせれはナントカは!」とか鼻息荒いのはいかにもみっともないなと
他山の石としたいところですな >>863
じゃあ自分だけでもコテでもつけろよ
ボヤくばっかりだなあ >>861
従来の日本人通りのご意見ですなあ
自己主張はみっともないとか
個々のレスには配慮せずざっと見渡した印象とか
集団主義を彷彿とさせるようなご意見で。
そして「俺が俺が」と人に対しては言いながら俺の言うことだけは聞けという
そうした意図が見え見えのご主張で。
ラクですなあ。そういう伝統主義は確かに。
日本で幻想〃と言ってると行き着く先はやはり其処ですかな。はは
気に食わない人間に
我が強いとか鼻息荒いとか言ってればいいわけで。 ようやく返したレスがこれとは泣けるなぁ。
サッカー協会のW杯の総括を思い出したわ。
プアで身勝手でズレてて。
あの独りよがりな長文や意地っ張り小学生の口喧嘩みたいなトンチンカン応酬を精読し、
順や誰の発言かまで追って読む人がいると本気で思っているのだろうか?
「これだから日本は」とかな。
外国の掲示板でも同じことをすれば「おいおい」とレスがつくだろうね。 >>866
ようやく返したレス?
何よそれ?
だからどこが独りよがりなのかな?そういう印象はどこからきてるのかな?
説明無用。問答無用
あなただけが達観してるみたいなレスばっかりでご苦労。
「これだから日本は」みたいな言い方もしてないが。
日本の構造はこうかなと言ってるだけで。 >>866
「そういうことはどういうわけで独りよがりだ」という説明や
分析もなく印象だってさ。
ズレてるのはあなたなんだが 分析や説明以前の通読や理解を自ずから拒むような文章を、独りよがりと呼ばずに何と呼ぶかね? >>869
拒まれているのは(あるいは拒んでいるのは)
あなたじゃない? >>869
かれはそれなりに問題提起をしていると思うが。
それを理解し得ないのはあなただろう。
しかも本人に言わずざっとみた印象だとか
ほとんど逃げだね。
あなたこそ読まれるのを拒み憤りだけ書き散らしているんだよ。 トンチンカン論争はどうなったんだろう?
誰が何をトンチンカンと言い、それに誰がどう反論して、結果どうなったのかさっぱりわからん。
自分なりの問題提起らしいが、端から見てトンチンカンと言われたことを根に持ち感情でやりとりしているようにしか思えん。
やりとりの当事者はともかく、第三子にはスレのマップでもないとわからんね。
連投される長文も、岸田の引用、他の住人の引用と自己主張がゴッチャでわかりにくい。
一方的に排泄するだけでなく、見物人にも多少はわかりやすくしようという社会性はないのかしらん?
社会性イコール悪しき集団主義なんかね? >>872
トンチンカンは「どうしてそんなこと言うのか?」というそれだけの
話じゃない。
なにをそんなにむつかしく考えてんだ?
岸田の引用とほかの住人の引用と自己主張がごっちゃでわかりにくい?
そんなにむつかしい概念使ってる?矛盾があればわかる程度だろう。
「社会性=悪しき集団主義なんかね?」
何言ってるんだ?
俺に分かるようじゃないと社会性じゃないってか?
共同幻想についてかれは言ってるだけだろう。 引用は鉤括弧でくくるとか、改行や行開けとか、地の文の文体を帰るとかの文章作法はあるけどね >>872
絵の例えでざっと印象を語ってた人の
どこがわかりやすいんだ? >>874
そういうのが下手な人もあるだろう
内容がわかればいいよ。
わからなければ聞くね。興味があれば。 子供のケンカは、VIPででもやってもらえんもんかな 「トンチンカン」とか「ざっと絵を書くときの印象」とか
子供みたいなこと言うから叱られてるんだろう >>863
>>879
IDのないスレだからトンチンカン君も混乱しとるのねw
長文で繰り返しマジな岸田論を披露したいのならコテハンつけてほしいね >>843
>彼には彼の唯幻論があって君には君の唯幻論があるんだろ
>>871
>かれはそれなりに問題提起をしていると思うが。
横レスを装った自演だったら悲しいな >>880
それ同一人物じゃないよ。
何を言いたいのかよくわからないんだが >>881
また意味がわからん。
それはどちらも私だが上の彼は「トンチンカン」と言った彼のことだし
下の彼はコテハンの彼のことだが。
横レスって何? >>881間違えた
彼はどちらもコテハンの彼だが上は「トンチンカン」
と言った人物にレスしたものだろう >>884
一人ボケ倒し漫才かw
ますます混迷の度を深めるトンチンカン君 >>885
何言ってんの?ちょっと勘違いしたくらいで? 小学生のケンカだなトンチンカンの言い合い
2ちゃんらしくていいわ >>893
おい野暮天!
上にかぶせんのは想定通りのレスだがいきなり宇宙はアホだろ
そういうときはちょっとづつ刻むんだよ
なんでも一発で話終わらるようじゃ女一人まともに口説けないだろ?
落語であるだろ?「お、刻むねぇ」とかさ 自分にレスしてなにか叫んでる
世界トンチンカン発見! 集団的自衛権や靖国参拝を見てると、安倍総理も内的自己と外的自己を統一できなくて苦しんでるな 文庫まで待とうと思ったけど絞り出しを買ってしまった
大全もほしくなってきた 絞り出しのあとがきに70歳になった2004年って
記述があるから今年80歳だね |||| ||||
||||=щ=========щ=||||
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| | ∧ ∧ | |
\ \( ゚Д゚)/ /
\ || ||/ /
|ノ \ノ |/
| .AGE.|
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∫|__.∧_|
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// | |
// | |
U U 大全まだ読み終わってない
今年中にはなんとかしたいが… 結局大全も買ってしまった
これでもう岸田さんの本を買うこともないのかなぁ NHK「『若い広場』〜生活向上委員会大管弦楽団
若者紳士録マイブック ものぐさ精神分析」
1月28日までにEね!が100超えれば再放送になるシステムのようなので、
見たい人は下記のリンクをたどり、「Eね!」を押してください。
70年代末の番組です。岸田さんは出てるのかわかりませんが、
ものぐさ精神分析は取り上げられている回のようです。
http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/offer/index1.html
出演:生活向上委員会大管弦楽団、殿山泰司さん、
中部博さん、磯村まさ子さん、川上健一さん、
伊丹十三さん、斎藤とも子さん >>907
紹介のコーナーは7分くらいっぽい
本人は出てこないようね このスレにレスがつくと「死んだのか!」と何故か思ってしまう
いやまじでw きのう新聞に出てた。
戦後70年関連で寸評的なのが。 岸田秀の本を読めば、日本人の弱点に精通して、
白人並みにメンタル強くなれるかと勘違いした奴のスレやな
先生自体が白人みたく無制限にふるまいたいアジア人と言うだけかも知れんで 920
なんや、こっちのスレに投稿した覚えは無い
皆生存をきづこうてはるのに、失礼なこと書けんで
ええと精神分析はアナロジーとして都合ええかな思うてます
けど、本当に強い国家作るには、やっぱ妄想みたいだよ メディア展望 No.643 2015.7.1
大阪都構想の否決
戦後政治体制から脱却の挫折
田中、民主党政権の失敗と同列
岸田秀(評論家)
http://www.chosakai.gr.jp/news/pdf/2707.pdf 922
『日本人が自由に決められないのは政治だけじゃない。
文化も、カルト教団の移入文化を受容することが中心のメディアがある。
言ってみれば、世代を追うごとにアメリカ化していくだけなのだから、
文化にもこだわってグズグズしていたら、将来、育った地域では
暮らせないかもしれない恐怖があるのが一般人。
ところで、とある宗教団体などは戦前もしくは大戦中から存在しているのだから、
もしかしたら、戦争中の弾圧や隣組の勢いで、衆人を監視しながら、外国の資源を流したり
している可能性がある。
そうなると、もしもの時は、まだ戦っているんだよ、と言うようなシンパシーを送って
おきながら、いざ、憲法改正にまで話が及ぶと、左翼的なつき返しをするのであろう
と思われる。
あるいは、そもそも、日常においては、表現の自由を声高に叫ぶため、自虐史観に基づく
ような左翼的言論を持ち上げるべく、外国の資源や情報をそう言う主張をする人物などに
流して、文化的にワンランク上になったかのような気分にさせるのがうまいのじゃないか。
そうは言っても、核心部分の知識は、どんな分野でも部外者には教えられないので、
結局、一般人は、阻害され、内向して攻撃的(逆恨み)になるべく仕向けられてしまう?
ここにも、また、まだ戦っているんだよ、と言うようなシンパシーは染み込み易い
のだろうか。』と言う妄想が出ました。 ある時、集団ストーカに狙われている妄想が出て、カルト教団の悪口を言いながら
公道を練り歩いていました。
そしたら、謎のおっさんが、
『全部、親を裏切って入信した、どうなってもいいような奴ばかり!!!』
と喚いてどこかへ消えました。
世の中には、悪い奴がいるもんだなぁ、と感じたものです。
宗教では、通常、2世、3世の方が格が高いんでしょうかねぇ?
それとも、親が大切と言うのは、幻想なんでしょうか。 >>922
あら
久しぶりに覗いたらこんな記事が!
サンキュー 私の義母はいつもため息ばかりついてて笑顔を見たことが無いって書いてたけど、これってたぶん慢性的な空虚感
というやつで今なら境界例と診断されてるかな マイクロ波犯罪と戦う奴らが
テクノロジー犯罪被害ネットワークNPOしかない世の中ってだいじょうぶなの?
なんか想像するにカルトの奴らは、人格がすぐブレイン・ジャック
されるように出来ているから、精神分析みたいに一貫したストーリーに
こだわる奴を消し始めている兆候じゃないか?
アメリカもそれに乗ってるから、哲学の認識論とか量子力学の不確定性原理みたいなもの
持ち出して、精神分析学を消そうとしていないか? ロシアとアメリカは、そういう意味で、軍事テクノロジーの方から、
精神分析を消そうとするやつらかも知れないね。 9.11や3.11のどさくさに紛れて軍事テクノロジーの脅しをかけてたり、
精神分析学を消そうとしているのが本当なら、これは気象兵器もあるかもね。
憲法を改正しないと、あとの世代がロボットかあやつり人形だよ ロシア「歴史的事実わい曲」とか
韓国「歴史修正主義」とか
これ全部ブレインジャックできるから歴史自体歪め始めた証拠じゃない?
あっちの方が嘘つきの集まりでしかない場合あるよね アメリカも学説のパラダイムシフトを筆頭に
反対いじめや認知的不協和のイケスの中に
国民を誘導しているかもしれないね。
目的は奴隷化。単線的にコンテンツを長年一ヵ所に集積されたら、
ロイヤルニートしか出現しないと考え始めているんじゃないか? 途中まで凄いと思って読んでたのに、いきなり進化論を印象だけで否定してて笑ったwww
ある道の専門家だからと言って軽々しく他の専門領域に首をツッコむのはバカを露呈するだけだからやめてほしいなぁ 史的唯幻論で読む世界史買ったけどなんか期待してたのと違った
バナールって誰やねん… この人は自分でもナルシシズムが強いと言ってるし今だと人格障害だと診断されてるかもしれない
太宰治を叩くのも近親憎悪・同族嫌悪だろう(これも自分で言ってたか) 最近 たかが人生、されど人生という言葉を聞いた。
色即是空 空即是色 と同じことなんだろう。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎のほうが老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱え心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心が招いたことで、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 >>951
創価本部や地区の平和やら文化会館周辺、またはその屋内でオウム真理教がやったみたいに
サリン噴霧したらいいと思う。 新刊良かったよ
白井聡の永続敗戦論のタネ本は岸田先生の本だから
時代がやっと史的唯幻論に追いついてきたな
岸田先生の先見の明には驚かされるよ ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=uWLnfkOLmfk京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足まいちゃりマイカー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 新刊でているんだ
昔岸ゼミに参加してました
楽しかったな >>965
うらやましい
本読み終わったけど面白かったよ 昔講義で何で結婚制度や一夫多妻制度があるのかと聞いたことがある
金持ちや権力者やモテ男はそんなものない方が女をたくさん簡単に得られる
人間の一夫多妻制度は動物と違って、一夫一婦制が複数なんだと言われた
母と子のペアが人間の原型、夫婦もそれと同じだそうだ 人間は共同幻想の世界に生きていると認めたくない生き物なんだよ
何かにすがって価値を信じて生きていた方が楽だし なんとなく検索してみたら専スレがあってびっくりしたw
ID無しなのが残念 ちょっと強引過ぎるところもかなりあるからね
白人に根強い有色人種蔑視感情の起源が
古代アフリカで白人がアルビノとして黒人から迫害されていた頃の無意識的な記憶が残っているから
とか言われても普通は妄想としか思われないでしょ クジラックスのロりエロ漫画『わんぴーす』(漫画『ワンピース』を皮肉ったもの?)で
『官僚病の起源』の
・共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である
・同じことであるが、仲間に対しては配慮が行き届き、実に心優しく人情深い
を思い出したよ 話題が変わりますがよろしいでしょうか。
最近怒りっぽくなり、やはり侮辱されていると感じるときに怒りの感情が出てくるのですが、
岸田先生の論ですと、怒りの背後には、己の無力感への恐怖があると仰られています。
そして怒りとは、その恐怖からの回復を急ぐあまりの、焦りでもあると。
とすると、怒りを感じたとき、己が感じている恐怖に眼から目を逸らさないで、
しっかり受け止めることが、怒りの発散を防ぐ一番いい方法なのでしょうか?
何故怒りに拘るかといいますと、忍辱(にんにく と呼ぶらしいです)という修行に興味があり、
実践したくなったのですが、どうにもこうにも言葉の説明に終始したり、御高説やらで、実践に使えるものが
見つけられなかったものですから。
動物なんか見ていると、本当にえらいなあと思うのですが。ろくに世話もしていないのに、
文句一つ言わない。彼らは本当に忍辱の修行を毎日していると思います。
たまにエサ、安いエサもって行くだけで、大喜びしもてくれます・・・・。 感情コントロールの実践性を優先するだけなら
高尚な思想を巡らすよりも
小手先のテクニックのほうがはるかに有効。
怒りを自覚したら腹式呼吸でゆっくり1〜2分間深呼吸して
副交感神経を優位にすれば物理的強制的にリラックスするので
手っ取り早く怒りは鎮まる。動物にはできない超簡単裏技。
仏教の悟りの境地など人間には無理だと岸田さんも言ってることだし、
深くゆっくり呼吸しながら怒ることは
人体の機構上できない仕組みになっているので、これで十分では。 >恐怖に眼から目を逸らさないで、しっかり受け止めること
とはつまり、己がこんなクソつまらん相手に侮蔑される程度の人間でるあことを平然と受け入れることです やってしもうた・・・
まず、その怒りの根源となるものの 実体 を把握する必要がありましょう
一、生活に実害のある性質のものであるのか?(生存・安全への侵害の恐怖)
一、プライド・自尊感情に脅威をあたえる性質のものであるのか?(自己愛への侵害の恐怖)
前者であれば実生活に支障があるわけですから、話し合い・交渉・根回し
あるいは法的手段の行使など実効性のある現実的な打開策を模索するべきと考えられます
後者のほうは多少厄介でして、自尊感情や被害者意識というものは内心においていくらでも肥大化しうるものなので
その回復・解消を図ろうと試みれば、最悪コロシアイにまでいたる性質のものです
ヒトであれば(特に男性であれば)譲れぬ一線というものもありうるわけですが
同時に自分はオトナであるとの自覚があるのであれば、『他愛もない』ことについては
「オレをバカにする方が、よほどバカだ」であるとか
「言いたいヤツには言わせておけ、オレにはオレの生き方がある」などと受け流し、割り切る心の余裕を持ちたいものです
もう一点加えますと、齢(よわい)を重ねたことによる身体条件の変化、弱体化しつつある自分へのいら立ちが怒りにつながっているのかもしれません
これはヒトの一生における通過儀礼、つまり更年期障害の時期を過ごされているとも考えられます
であるのならば、>>976さんが常人で真っ当な人生を営み、普通の人間関係を築いてこられたのであれば
今抱えておられる怒りや不安・焦りといったようなものは、更に齢を重ねることによりおのずと軽減あるいは解消の方向に向かわれることでしょう
(時間経過による解決)
言葉足らずで申し訳ございませんが、少しでも心安らかな日常の一助となることができれば幸いに存じます >>976
その岸田説だと怒ってるときに恐怖はちゃんと見えてるわけで
なのに恐怖から目をそらさず…ってのを目標にするのは目指す方向がおかしい
もう見えてんだから
目指すなら恐怖感の原因を取り除いて恐怖をなくすことじゃねーの?
怒りのコントロールならセルフイメージの修正が効果あるというのが岸田説だな
自分が思う自分と回りが思ってる自分とのギャップを埋める作業ってこったな 俺が怒るのは相手がバカで生意気だから、自分の無力感とは関係ない 自分の無力感をごまかす(覆い隠す)ために相手を「バカで生意気だ」と思うのを合理化というんじゃなかったけな。 なんて名付けようとそんなことはどうでもいい
仕組みがわかってれば ほんとそれ
名前つけただけで全て言い表したような態度とるやつは多いな そういう奴らは応用がきかないからな
自分の言葉で説明できないしそのためにいい例えをあげたりできないからすぐわかる 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
Y98FI NPO法人なんてん
京都市西部障害者
地域生活支援センター西京
住所:京都市西京区上桂宮ノ後町39
電話:075-392-1051
精神保健福祉士 社会福祉士
姫野真那 主任
人の家来て、家の中の食材についてあれこれと詮索したり、言葉の端をつき口答えばかり
して態度悪いねん。利用するヘルパー制度のモニタリングなどする気もなく、
人の家に来てぐちゃぐちゃと不満ばかり言って偉そうに税金から巻き上げる。
目つきも悪いし、何の役にも立たず、偉そうに態度悪すぎやねん。 岸田思想はメンヘラ岸田の知性化の結晶でしかない
自分の抑圧を知性化で押さえ込んだだけ 論理矛盾無く知性化出来るってのはたいしたもん
そんなことも理解できないカスが見当違いの批判やレッテル貼りをして早何十年ですわ アメリカで銃規制がなされないのはアメリカがそもそも原住民を銃で虐殺してできたという起源を持っているから
というのは本当だという気がするな アフリカで差別され北方に追われたアルビノの集団が欧州の白人になったという岸田説は
科学的には間違ってるんだよね 何年か前に茸のアンソロジー本に寄稿した文章読んだ
普通の植物(野菜だったか?)が嫌いでキノコが好きで
普通の魚が嫌いでイカとかタコが好きらしい
前者は私たちは多数派でございて感じでエラソーにしているのが気に食わないからだそうだ(うろおぼえ)
白人が嫌い(?)なのも同じ理由なんだろう このスレッドは1000を超えました。
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