【ものぐさ】岸田秀【精神分析】
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>>740
面白いなあ。一昔前のドラマでは実の父親に犯されて、男女の関係に
なり、でも娘はこの関係に疑問を抱いて、で臨時教員の生物教師に
助けを求める。いつしか二人は恋に落ちる。二人の関係がばれて一時期
離れたり。最後はこの女生徒を助けるために教師はこの父親を刺す。
でもよく考えてみれば、この父親が男女として波長が娘と合わない
ところがあった。束縛や嫉妬が強く、異性として愛せなかったから娘
は離れたがった。とも考えられる。『高校教師』ってドラマ。
それを思い浮かべると、時代が変わったと思えますね。娘の方が
父親とヤリたがっているとは。名目上は親子だけど実体は男女という
ことになってしまうわけね。双方で納得がされているのなら別にいい
んじゃないかと思いますけどね。ただ、近親相姦では障害者が生まれ
やすいというデータもあるようだから、子供は止めた方がいいでしょう
ね。
それで一時実の父親と男女になって、それもいつかは世の男女のよう
に別れたりするかもしれないんだよね。世間へはすべて隠している
ままに。お互いに納得できていればいいんじゃないのって思います
けどね。「いいじゃないの幸せならば」って昔の歌を思い出す。 岸田説ではこうだな。
「現実に近親相姦でできた子を調べてみると、確かに
、そういった障害のある子が比較的多いのは事実であって
だから、そういう事実がこの遺伝説を遺伝説を支えてるわけなんですけれども
、もう少し考えてみるとですね、現在の、この近親相姦のタブーがある
という社会の中でですね、近親で性行為を行って子供まで作るような
人たちがどういう人たちかということです」
伊丹「つまりタブーに洩れた人がタブーをを犯す。その結果が
障害児である、ということは、障害児が原因でタブーができたんじゃ
ないんですね。」
「障害児は、この場合タブーの結果なんです、因果関係から言えば」 >>745
岸田著作の何を読んで何を読んでないのか知らんけど
時代が変わったね〜とか
お互いが良けりゃ〜とか
そんなもんしか出てこないのか!
そんなの唯幻論とは全く関係ないただのおっさんの感想じゃないのよ
もっとこう岸田の理論を絡めてこうぜ
興味持ってくれたのは嬉しいから、びっぷらでファザコンでスレ検索してみて
よかったら書き込んでくんなまし 他の人も興味あったらよろしく〜
普段偉そうにここで発言してるお前らの腕見せてくれ >>738
60年代のイギリスだかの映画「コレクター」ですでにそういうイメージは提示されている
それ以前にもそういう猟奇殺人もあったろうしね
TBSディレクターの鴨下信一は昭和40年代のクロニクル本で
「コレクター」がショッキングだったと書いている
とうとう開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったと
オタクとか、たしかに時代はそういうものを、
もっとライトにだけど容認するように変わってきた 快楽殺人にも近親相姦にも関心が無い私が
当てずっぽうな見解というか疑問をあらわしてみる
サカキバラ事件のほうは
あの晒し首?とサカキバラセイト名での犯行声明文の発信までで
一連の快楽殺人が完結する本人の内心での物語であったのか?
であれば、またまたと言われそうだがこれは殺人という屈折した形をとった
社会への承認欲求ないしは社会への自己アピールなのであろう(物語の共有)
社会に対して自分を捕まえられるのか、とのゲームをプレイしていた感覚もあったのかもしれない
かたや、あの晒し首?と犯行声明文は、次々と快楽殺人を犯しかねない自分というものを
早く見つけて捕まえて欲しいという一種の救難のサインであったのか?
快楽殺人自体は、他者の生死を自分の思惑のままにおくことにより
自身がヒトを超えた存在、いわば神に等しき存在になりえたという錯覚・幻想・満足感を
得られるために行われるのであろう
さて、近親相姦のハナシのほうなんだが
昨今、草食系男子というコトバがあるそうだが
オトコらしさを感じさせるオトコが減った、悪い言葉で言わせてもらえば
女々しいオトコが増えたということなのであろう
身近な同世代の男たちを見渡しても男らしさを感じないのであれば
恋愛の対象にならないのであり、無理に恋愛をすればそれは異性愛というより
同性愛的心情になってしまうのではなかろうか?
そこで、一番身近なオトナの男である父親に求愛的感情を抱くことになりうるのではなかうか?
また、草食系であるということは、女性にガッツいていない
いわば、モテるための女性に対するサービス精神とサービス行動に乏しいということもありうる
一方、父親にはそれなりに父性愛というものがあり、自分の娘がかわいくていろいろやさしくする
結果、一番サービス精神旺盛な父親に求愛的感情を抱くことにつながるのではなかろうか?
父親とセックスしたがっているという女性、余程、身近の同世代の男性陣に恵まれていないのか
男性は女性にサービスするべき存在としてのみ見ていて、サービスの悪い父親以外の男性が目に入らないのか
以上、勝手なことを書いてしまいました、批判は甘んじて受けます 上記>>750、家族には家族愛というものがあるのは
ある意味当然なのだから 求愛的感情 の部分は 性愛的感情 に読み替えてください
うーむ、それとも
通常は家族愛はあるにしても一定の年齢に達すれば
家族にに対する嫌悪感とまではいわないものの
一個の人格として扱って欲しいという欲求が発生するはずなのであるが
いわゆる親離れなのだが
件の女性は、幼児のような「パパだーいすき」という心情のまま
肉体がオトナになってしまったのであろうか?
自らを庇護してくれる絶対的存在である父親に身も心も許したいというような
また、普通の親であれば自分の子が立派な大人
つまり一個の社会人として成長するのを希求するのであるのならば(子離れ)
父親とセックスしたいと願うほど娘を溺愛しているかもしれない
父親自体にも問題がありうるのではないのか? 自我というものが単独で存立しえないモノと仮定するのならば
自らの自我を認証してくれる自己以外の存在を必要とする
それは、文字通り自分の存在を肯定してくれる他者であったり
社会からの認証または社会への参画であったり
一神教圏であるのならば信仰する神Godからの認証であったりするであろう
父親とセックスしたいという女性の自我には
内心において肥大化または理想化した父親の存在無しに
自我が安定しえないという構造がありうる可能性も推測できるのではなかろうか?
・・・ものぐさスレなのに、いらんコトで3レスしてしまった気もするが・・・ まあタブーがあるというのは欲望があるからだというので「父親と
セックスがしたい」と匿名掲示板で告白する分には
ある意味驚かないのですが
近親相姦のタブーは岸田説では役割説なので
そのタブーは自分のアイデンティティのために必要なわけですよね。
自分は父親の娘であるというアイデンティティが壊れるので
禁止がある。
内的な禁止が働いている。
父親とそういうことになれば母親との関係はどうなるんでしょうね?
母親は母親のままでいてくれるんでしょうか?
単純に母親の男を盗ったということでもないし。
生まれてくる子供にとってはその男は父親であると同時におじいちゃんだよね。
このような自分というものに混乱を来たしてまで
普通近親相姦みたいなことはやらないでしょうね。
「お父さんみたいな人と結婚したい」という女の子(女性)
はテレビとかでもよく見るし
父親というのは母親との距離感とも違うので
父親であると同時に男性としても意識するのかな。
だから逆の場合は極端に嫌われる。
「お父さんみたいな人と結婚したい」という娘は
お父さんが好きでもセックスの対象にしてはいけないということは
自覚しているみたいですね。
自らのアイデンティティのために。 >>736
選択にも「する」選択と「しない」選択とがあってだな 娘が母親と同性愛関係を希望していたら
ある意味もっとショックでしょうか? 近親相姦ネタでもって遊んじゃおうって見えるんだけど。ずいぶんいい気な
もんだと思うね。岸田のスレの性質みて遊べると思ったのか。気の効いた理論
でも言ってくれるとか。岸田の理論だから遊べると思ったのか。そのいうのが
お似合いだと思われたとしたら相当舐められてるということだな。どのみち
かつてはニューアカで一世を風靡して文化人やら知的遊び人のオモチャの
一種だったわけだしって。
実際に当事者になった人間は傷つけたくない気持ちと、でも家族とHはで
きないとか、相当悩むだろう。あるいはもうしちゃってるなら尚更。当事者で
ない人間が気の効いた知的玩具を欲しがってそれでどうするんだい。
この手のに手を貸すってことは岸田理論がそういう玩具であると認めた
ことになるじゃないの。この人の立場というのは当事者でもないのに介入
して、それでどうしようというのかちっともよく分からない。あーだこーだ
口を出すだけで、それでどうもしない。野次馬に過ぎないわけでしょう。
そういう人にとって岸田理論は恰好な知的玩具だって見えてるわけよ。
そういう使われ方、認めちゃってるんじゃない。 >>756
へえそれでいいじゃないの幸せならばって言ったのか?
何も言わなくてよかったんじゃないか? >>746
つまりどういうことだってばよ!
あなたなりの言葉で言い換えられませぬか?
実はそこ、ちょっとよく理解できていないもんで
>>750ー752
俺はエレクトラコンプレックスだと思って、あちらのスレでもそう指摘した。
それは途中まではあってると思うわけね。
ただ大学生になってから、父親とセックスしたいと明確に認識した、という事実はエレクトラコンプレックスだけじゃ説明つかないんじゃないかと考えたワケ。
あなたの話はところどころフワッとした言い方があって、ちょっと俺には掴みきれない部分があるから今はなんとも言えない
よかったらあっちに書き込んでみてよ
ファザコンな私の悩みを聞いて
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1404495248/ >>753
あっちのスレ読んで貰えたらわかるんだけど、母親とは小学校低学年で死別してるんだって
俺もこれはアイデンティティーの問題として考えててさ
父親とやりたいってことは父娘から男女になる必要があると。
そうするとね、自分はこの男の娘であるっていうアイデンティティーをどうして捨てられたのか、ということがわからないワケ。
アイデンティティーの土台も土台なわけじゃない?親子関係って
まあ今はもう私は父親の女だってことで自我を支えてるんだろうけどさ。
親子関係というアイデンティティーの基本を崩さざるをえないほどに彼女の自我を追い込んだものはなんなのかと
そこが自分の興味ポインツですね
亡き母と同一視してんじゃねーの、なんてのも思い浮かぶけどこれはまだ理屈がつながらないっす 以下もしこの近親相姦ネタに興味ある方、あちらにも書き込んでくださいまし
本人にもいろいろ質問していいんだからね
まあちょっとネタ臭くなって来てるけどw
俺は唯幻論の話がしたいんだぜ
>>756
君は来なくていいから あー書き込みしてる間にひらめいちゃった
その娘、父親にもまともに親らしいことされてないんだきっと
子供の頃娘は祖父母に面倒見て貰ってて、父親はワーカホリックか?ってくらい仕事ばかりだったらしい
育てられてないんだわ父親に
少なくともかなり希薄だった
だからもともと父親なんかじゃないと
あースッキリした
たぶんこれ原因の一つだわ
お前等も洞察を披露頼むぜ 父親とやりたいと思っただけで娘から女になるのかな?
そのことを父親に告白したのならいざ知らず。
性的な趣味なんて幼少の頃のちょっと
したきっかけで決まるというからこの父親にそういうものを感じるようなものが
幼少の頃かになにかあったのかも知れない。
この父親があまり父親らしくないのかな?
父親というのは「掟」であり「お前は近親相姦してはならない」と
教える機能だと佐々木孝次と伊丹十三の本で読んだけどね。
ただ古代のエジプトの王家とかでは、いわゆるわれわれが考える
家族とかではない。そうである。 今頃近親相姦女子の細かい情報出してるが最初っからそういうのは情報と
して提示しておくもんだよ。情報ないのに色々書いてくれた>>746や>>750
みたいな人が気の毒だぞ。
>>758
>つまりどういうことだってばよ!
>あなたなりの言葉で言い換えられませぬか?
じゃないよ。情報何もない中で書いてくれた>>746に礼くらい書けないのか?
勘違いが甚だしいぞ。
>>761
>あー書き込みしてる間にひらめいちゃった
そらあんたはずうっとそのXさんと対話してて情報あるんだからひらめいて
当然ですよ(笑)>>746>>750は情報ない中で書いてくれたんだから大変
だったろう。肝心な情報もないのに付き合ってくれた彼らに感謝しておくの
が筋だ。
君がやってるのは「後だしじゃんけん」みたいなもんだ。情報ない
まま書かせ、「実はこうでした」って何、人をおちょくって遊んでる。
自覚してないままやったのか意図的かは知らないが。やってるのはそれだ。
卑劣だという自覚もないままやってるようだが。相当に失礼なんだよ。
しかも無自覚だろう。相手にされなくなるぞ。 >>763
情報後だしって言われてもなぁ
すでに>>747でスレは伝えてるわけで。
それ読まないで発言してんのは俺のせいじゃないわw
スレ読まないでレスしてる人もいるけど、近親相姦一般の話としてはちゃんと会話できてるよ
>>746にお礼ってのもわけわからんよ。
保育器の中の大人の一部分を書き出しただけだぞ?
読んでる人なら知ってる話なんだけど…お礼いんのか?
>>750に失礼ってのもわからん
750に言われるならまだしもなんでアンタが言うのw
取り敢えず君は唯幻論どうこうすっとばして俺を攻撃することが目的になっちゃってるから、一旦おちつこ。
で唯幻論に絡めた発言が出来ないなら俺に絡むなよ
もう相手してやんないからね/// >>762
あー、「父親相手にセックスすること」が単に性癖なんじゃねーのってこと?
考えもつかなかったわ
たぶん違うだろうという気はするけど反論もできないやw
父親が父親らしくないのは、なんかそんな気がする。
娘が惚れる父親っていうと、格好良くて立派なイメージ持っちゃうけど、なんかちょっと違うんだよね、彼女の父親は。
近親相姦を禁止してくるのは同性の親じゃないのかしら
娘の近親相姦を父親が禁止するってなんか変じゃね?
ライバルとして母親が禁止するならわかるんだけど
まあ大した話じゃないからいいかこれは。 >>765
父親というのは娘の中に内在化される父親だけどね。
象徴的にいうと母親が快。快と同一化する心を切り離し
不快に耐える人格を形成する。
この父親がそういう機能を果たしてない。
ワーカホリックみたいな感じというのは自分にとっての快(母親)
を目指す性向とも捉えられるのかな。
社会的規範とか家族の規範とか「掟」を教えることができない
ってことかな?
この娘さんは2度3度夫婦の寝室を目撃してるみたいだけど
ドアを開けっ放しとかだったのかな? 父親がきっぱりと社会規範を持っていれば
この娘さんは思春期の頃には失恋していたんだろうけど。
父親にとってもこの娘さんが「快の打ち出の小槌」に
なっているんじゃ? それからこの娘さん(他のレスをしている人の中にも)
幸せという言葉が出てくるけど
「自分自身になる」みたいな欲求をそう言ってる気がした。
「父親というのは自分自身であってはならないと子に教える。
つまり分裂した自分をもたらすことだ。」
つまり規範と快に引き裂かれた自分という不快に耐えること。
まあ、自分自身になるというファンタジー性に気づく
ということかな。
誰かとそうなりたいという欲求は結局アンドロギュヌスしか生まないみたいな
ことだったかなあ? 768アンドロギュヌスってどういう意味合いで
使われていたのかよく覚えていないんだけど。
なんか母と子が一体化してうまく社会機能を果たせない
みたいなことだった そう言えば親の性行為を目撃すること
をフロイトは「原光景」と言ってたな
これは子供の目には父の母への攻撃と映るそうで
母を失った彼女が父に支配されることが母親と自分との
同一視をもたらしてくれるものになっているのかもしれない。 >>766ー770
父親が娘の超自我を形成する役割を果たせてないと
現状が父親と娘の共犯関係ってのも納得です
もしかしたら父親は父親で娘を娘と思ってなくて、若い嫁さんぐらいに考えてんのかなぁ
性的な欲求は抑圧してるにしても。
それが娘には見えてて刺激されてたりして。
両親のセックスを何度も覗きに行ってるって話は、娘心が傷ついたってよりも、子供に対してずさんな配慮しかしない両親のエピソードに受け取りましたね自分は。
ドアが閉まってるときは聞き耳たててたんじゃなかったかな?
やっぱ亡き母親と同一視の線もあるかなぁ
ちょっと該当してそうな岸田の本のトコ読み直してみます
参考になりまうすサンキューです! >自分自身になるというファンタジー
これも納得です
父親に惹かれるのは愛情だと
たまたま好きになったのが父親だったんだと
彼女はそう言ってんだけど、そんなのは全く事実じゃないわけで。
まあ今の彼女はこれを支えとしてるだろうから、まだあちらじゃ指摘してないんだけど…
とにかくちょっと考えてきます
アンドロなんとかも調べてみる
レスどうもね!
つーかあちらに書き込んだほうがいいんじゃないかな
ここだと若干スレ違いな気もするんで恐縮なの
いいのかな >>772
>ここだと若干スレ違いな気もするんで恐縮なの いいのかな
お前さんねえ。こんだけここで大騒ぎしといて何だいそりゃ。あんたは
自分じゃ無自覚なだけの荒らし認定してあげるよ。ほんとおめでたいヤツ
だなあ。
お礼はいるよ。あんたの不躾な注文に応じてくれたんだぞ。反応してく
れた方には一言言うのが普通だろう。
ちらとそのスレ読んだけど。何か恋の始まりの不器用な男女の恋の始まり
でも読まされてるみたいでアホらしいというかまたうらやましいというか、
深刻にはならないなあ俺は。結ばれるといいですね、としか言えないな。
早く決着つければいいのに。しかし今のそのモジモジ状態が良いんだろう
しね。他人の恋の進展きかされるあほらしさだよこれは(笑)その女も
まんざらでもなさそうだし。これででもとんでもない大ブスだったらまた
面白いんだけど(笑)光浦さんやハリセンボンみたいなね(笑)ほんとは
親父は娘の気持ちに気づいてて、ただ顔が到底好みじゃない抱かない
避けてるとかね(笑)だったら大笑いなんでそっちの期待が大きいな。信
じられないおバカな結論でした!とね(笑) >>773
あのインセストタブーはなぜあるのかという話なんだけど。
それに一番最初に反応したのは君だろう。
荒らし認定したのなら荒らしに反応してるのは君ってことだな
君があんな反応しなきゃほかの人も反応する気はなかったろう
インセストタブーの社会的な意味合いは理解してるんだし
情がそっちに流れている人を相手にするのはかなりめんどうだしね。
ブスとか恋がうらやましいとかどうでもいいんだよ。
どうも情動的な反応をするのはあなたらしい。
嫉妬でもしたのかい?
確かにタブーがあるからこそ燃え上がるかもね。 >>774
深刻な顔したナルシシズムの匂いが相談者にも相談に乗る方にもすごくする
のでね。横目で苦笑するのが相応しい子だと思うね。あの女性は。
一応最初相談には乗ったけど、あれ以上言うこともないし、またくだんの
女性がドブスが原因で親父は敬遠してる可能性だってある。今の時代、何に
遠慮するのかとかはっきりしないしね。その親父が娘の変顔に恋愛感情が
湧かないだけである可能性だってありますよ(笑)特に遠慮もしてなくって
ね。>>774さんは森三中の大島や村上から熱い視線で見つめられて応える気
になるかといえば難しいでしょう(笑)別に嫌いじゃなくても恋愛はきつい
でしょう(笑)オアシズの光浦さんやハリセンボンの箕輪はるかはきついで
しょう(笑)そういう問題なら分かり易いわけでね。別にその親父が遠慮し
てるわけじゃないとね。ただ女として好みじゃないだけの可能性はある。
インセストタブーが何故とか色んな話があるけどそこまで広げる気には
ならないなあ。遠慮する理由はたぶんもうないよ今は。親父は遠慮してる
訳じゃない方に賭けるね(笑)
あなたタブーとか言ってるけど少なくとも私にはもうそういうのはないなあ
。ない人は実はけっこういるよ多分。男も女も年くっても性欲旺盛だって
ネットで動画世界中から回ってくるし分かってるしね。そんな皆行儀よく生き
てるわけでもないしさ(笑)身も蓋もないわけよ性の実体はね。
あの女性もかっこつけすぎだよ(笑)ただ顔が好みじゃないだけなら
仕様がないでしょう。いずれセックスしてやりまくってどのうち飽きる
かもしんないし。あきるまでは相当色んなことやるだろうけどね(笑)
顔射からhand jobまで。 あんたさ。人の好みを勝手に決めつけるなよ。
いいじゃないの。幸せならばって言うんだろう。
じゃあナルシズムの匂いがしょうがどうでもいいじゃないの。
幸せならば。
矛盾だらけのあんたの理屈は聞き飽きたよ。
タブーと性欲旺盛とどう関係あんのかわかんないけど。
性欲旺盛なら近親相姦でも強姦でもなんでもありの人なのね。 つまり近親相姦禁止は本能ではなく、やってる親子は多いし、合意の上なら問題ないということですね
ありがとうございます、わかりました これ個人の問題じゃなく文化的な問題だからむつかしいんじゃない。
個人の情がそっちに向かうのは自然なことだとしても
文化はそうした自然の情をある程度断ち切らなけりゃ成立しないんだろう。
この娘さんの事情はよくわからないけど人は自分の立場でしか語れないしね。 岸田秀に言わせたら性欲というのも本能じゃないんだってさ。 合意の上なら問題ないとか自然の情を断ち切るとか何を言ってんだ君らは
スレと無関係に個人の感想を垂れ流されても反応に困るぜ? スレとどういうのがどこまで関係あるのかは微妙だね。
岸田理論ではどうなるんだ? >>780
自然の情というのは本能が壊れた人間がほっとくと
身近なものに性欲を向けると言うことだけど。
フロイトも言ってるだろう >>782
4つ質問
・身近なものってたとえば何を指してるわけ?
・本能=自然
人間は本能が壊れた→自然な存在ではありえない
岸田はこう言ってるんだけど、「自然な」情ってなんなの?
岸田の本で「人間には自然な情があってほっとくと身近なものに性欲を向ける」なんてあいまいな記述は見たことないので。
・>文化はそうした自然の情をある程度断ち切らなけりゃ成立しない
文化を成立させるために自然の情を断ち切るの?
岸田理論だと人間は自然のままだと生きていけないから文化を作って、人工的に性欲に道をつけてあげる…って話なんだけどな
因果関係が逆になってるけど、これ説明願います
誰理論ですかこれは
・「自然の情」ってものがあって誰かとくっついたり自然にできるならば、なんでわざわざ文化みたいなもんを作ってそれを切らなきゃいけないの?
自然にできるなら文化なんて作らないで自然に生きてればいいじゃない
なぜですか? 自然の情というのは自然の情のごとく見えるってことだよ。
あのね。岸田も性欲は本能ではないと言ってるけど
皆が普通に使うようにつかうときもあるよ
それにならって普通に自然の情ってつかったんだけどね。
それから身近なものってのは「母親」だろうね。
フロイドが「幼児は母親と性交したがってる。」とか言って
顰蹙をかったんだろ?
まあ、一体化したがってるってことだけどこの一体化は性的な意味を持つんだろう。
あのさ自然の情といういう言い方は文化ができたあとにそう呼んでるもんで
岸田秀の言葉を借りれば退行現象のようなものだよね。
一次的ナルシズムに帰ろうとする。
性本能は本能的形式を失ったときエロティシズムに変質した。
「本能が壊れたのであってなくなったのではない」
という岸田の言葉があるけどだとしたら自然の情みたいなのも
なくなったのではないだろう
本能の形式を失っているのでほっとけばその情はどこへ向かうかわからないのだろう。 >>783
自然のままに生きていけないと自覚したことが
自然の情をそのままに生きれば死に至るってことと
変わらないんじゃない。
ずっと泣いてたけど泣き止んだようなものだよ。 試しに自然の情って単語を使わないで説明してみてくれない?
>自然の情のごとく見えるもの
なんてどうとでもとれちゃうでしょ
リビドーなの?本能のエネルギー部分なの?
他にもあやふやなとこあるけど、まずはこれからはっきりさせよう
専門的な用語使って説明してくれたほうがありがたい
意味がはっきりするから、いちいち定義合戦する手間が省けるよ あ、やっぱり説明いらないや
別に聞く必要もなかった おれ専門家じゃないから。俺も説明する気ないや
だって岸田の「ものぐさ精神分析」のエロスの発達も
読んでないのか覚えてないのかわかんないんだもん。この人。 自然の情っていうのはいわゆる情ってやつでしょう。
世話してくれる人に子供が信頼を置いたり
愛情を持ったり。
そういう人に性欲を向けるってことね。
社会規範と対比して便宜上、自然と言ってるわけね。 ちょっとよろしいでしょうか?
自然 という語義の曖昧さにより議論が混乱しているようです
自然=大自然・自然現象、いわば本能が壊れている人間に関わりなく存在する自然
自然=人間であるならば 当然 ありうるべき感情・行動としての自然
この二つの意味の違う自然が錯綜しているいるために議論が噛み合っていないようですが
〜近親相姦タブーと例の女性について〜
メモ帳に3分割したものを投稿する用意があります
スレ汚しになるからやめろ、といわれるなら投稿はしませんけれども
私としては、現状かなりデリケートな問題を抱えていると判断しておりますから
あまり関与したくないというのが本音にありますので >>791
人間のなかに自然に流れる情でしょうね。
大自然の情とか思う人いたんですか?
髪さんのそのメモみたいですね(笑)
「セックスの幻想が広がったから、人間関係が希薄になり
自閉的になったのか、人間関係が希薄になったから、セックスの幻想が
多様化したのか、どちらが先なのかはわかりません。両面があるのでしょう。
いずれにしても、人間関係を支える強い共同幻想を持ち得ないから、
自分にしか関心がなくなって、閉じこもる傾向が強くなっているのです。
性的幻想の多様化と「本当の自分」を求めるような傾向とは、
まさに現代の人間関係の希薄化を現しているのです。」岸田 秀
これ16年前くらいの文章ですけどねえ。 この(岸田秀の)文章の後、岡田斗司夫との対談とか読むと
個人的には面白いなあ。テーマがつながってるのかなあとか
思うんだけど。 この対談も気楽なようでむつかしいものがあるような
気がする。
岡田氏も岸田氏もやっぱりそれぞれの理念があるんだろうな。 >>793
珍しくアンカーがついたので、返信します
自然 という単語について補足を
自然=自然界、つまり気象現象や動植物の生態を指し示す自然
かたや
自然=人間なら当然なことだろ?=人間なら自然なことだろ?、と日常用語で使われる自然
この意味合いの違う二つの自然を混同したのでは議論が破綻するのではないでしょうか?
引用されておられる岸田先生の文章については
浅学非才の私としては即座に文意を理解しきれない
見解を書き込むかは別としても
時間をいただいて考えてみようと思います
用意してある文章については、いまだに投稿することを躊躇しております
臆病者ですので 自然の情というのは皮肉も入って使ってるんだと思います。
日本人は「親が子を思うのは自然の情だ」
というようなことをよく言っていた。
そういう次元での情だということですよ。
子供が親に向ける情もね。
そういう次元を言ってるんでこれがほんとに本能=自然
というような意味ではない。
これは佐々木孝次と伊丹十三の「快の打ち出の小槌」
からの引用で岸田理論とどうつながるのかなあと常日頃思っていたので。
確かにこれに該当する岸田秀の用語はそのままでは
見当たらないですね。 「親が子を思うのは自然の情だ」を
「親が子を思うのは当然の情だ」と言い換えても語義矛盾は生じないというのがひとつ
もうひとつは
親が子を思うのは天賦の情だ、本能によるものだ、という考えを信じているということ
「親が子を思うのは自然(から与えられた)情だ」と、当の親が信じるということ
これは、岸田唯幻論とは相容れない考えといえましょう
実際には、子による家庭内暴力・虐待親・親殺し・子殺しというものが存在するのですから
唯幻論的見方をとるならば、親子の情は本能によるものだという考え方は
その親・その子の思い込み・幻想であると解釈できますまいか?
ところで、例のスレdat落ちしたようなので
近親相姦タブーと例の個別事案を分析する必要もなくなったとも思われますが
どんなものでしょうか? >>798
そうでしょうね。そういう思い込みですが幼児は
親はそういう情を投げるわけです。
でその情に絡め取られてる状態では大きな社会規範は育たない
ので距離を置かせることをやるわけです。
それを切り離す断ち切ると少々物ものしい言い方ですが
言ってるわけです。 >>798
det落ちしたんですね。
髪さんのお好きなように。
彼女元気でいて欲しいです。 だけど岸田秀もすべて幻想とは言いながら
「現実が見えていない」とか「現実我」と「幻想我」
とかよく使ってんだけどな。
これもどうにかならんかな? 上記>>798の書き込みだけでは、いささか冷たすぎるようなので
少しフォローをさせていただきます
人間とは、感情に支配されやすい、あるいはされているものなのです
機械ではないのです
いとおしいものは、理屈抜きでいとおしいし
にくったらしいものは、理屈抜きでにくったらしい
家族間や恋人同士の愛情の前では
理屈とか分析とか唯幻論というものは無力にすぎないのかもしれません
>>799
私なりに端的にいいますと
かわいい子には旅をさせよ、と言うではないかということになりますね >>801
現実が見えていない 現実をそのまま見ることはできないので、自我というものを作りそれでもって周囲の世界を解釈して把握してる
その自我をさらに2つに分ける
現実我 周囲の世界に対応しようとする自我
幻想我 自分の一貫性や同一性をたもとうとする自我
こんな感じかな? 岸田のいう幻想もあのタームがそのまま妥当するのは共同幻想だけであって
つまりillusionという意味でね。上レスでいう私的幻想とかだと私的現実と
同じことでしょう。つまり私的な嗜好や好みや愛について、「これは幻想
なんだろうか。現実なんだろうか」と自問しても元々同じなんで、どうしよう
もない。吉本も言ってるし。そこの混同を岸田もまるまる引き継いでるので
上レスみたいにこんがらがってしまう。
「個人幻想とか対幻想とかは、特に個人幻想は、個人の錯覚や幻覚という意味
にとられるかもしれませんが、それとはまったく違う意味なんです。」
「共同の場合や制度的な場合と比較したらまったく違う意味になっちゃいます
。だから、本当は違う言葉を使わないといけないんでしょうね。僕は勝手に
使っちゃっているわけです」(『吉本隆明が語る戦後55年E』66頁)
前にもここで引用して吉本の幻想論も岸田の幻想論も同じ混乱をもってる
と指摘してるけどね。
岸田は吉本の概念をそのまま拝借したことで吉本の用語のまずさ、曖昧さ
までそのまま継承した。それを岸田の愛読者がそのまま継承して上レスの
ようなことになったと(笑)ちなみに人間には動物的神経系統では脳との
連繋で反射神経が作用し、植物的神経系統では内蔵や心が連携し、しかもそ
れら全体を内省する思考もありこれら3つの系統が相互に浸透する、という
のが吉本の90年代以降の展開で、人間のリアルな姿へはこの展開の方が妥当
していると思いますね。
岸田さんの唯幻論も個人幻想では幻想といっても現実と言っても同じで
しょう。個人にとっての世界を表しているだけのことで。愛情や憎悪やが
幻想といっても現実といっても個人の領域では何も解決はない。自我がある
から<私>もある、幻想もあるのと同じですからね。幻想といっても現実と
いっても単に言いなおしただけでね。同語反復にしかならない。まったく
不毛ですね。寄与するものは皆無でしょうね。 しかも岸田さんの場合、心的概念での幻覚・錯覚という意味でも>>801の
話だと幻想を使っている。まあ紛らわしいこと(笑)そこで幻想を使っちゃ読
者がよけいに混乱するに決まっているのにね。読者が気の毒だねえ。いたずら
に混乱してて。ちょっとした工夫にすぎないのに。 もう少し書かせてもらうとニーチェは真理について<それなくしては或る種
の生物が生き残ることができない誤謬である>と『権力への意志』で言ってま
すね。<真理の標識は権力感情の上昇のうちにある>とかね。よって<真理-
解釈-権力感情-支配>は連動している。あらゆる意味解釈には解釈者による
権力感情が内在している。ニーチェはこの場合の解釈を仮象とも言う。仮象
によって対象の有用性が測られるがそこには対象を有用性に還元する自己保
存の欲求がある。
岸田さんのいう幻想にはそれによって権力感情の上昇をはかるという意味
があると思える。中心に自己をおける体系なら何でもいい。自己を中心に
おくことこそが重要だからだ。真理の本質は自己を中心におくことにある。
本能が壊れたので自我が生まれたという場合、動物の本能は生物としての
自己保存欲求であるから、自我が意味付与をする場合、有用性に還元する
作用がそこに繰りこまれていくのは当然である。つまり岸田さんの幻想論
とは自我論でもあり、世界解釈をすることで自己を中心化する作用や自己
保存欲求と連結させることでもある。自我の役割の1つは解釈することで遠
近法を創造し、自己本位の世界を作り出し、自己をそこに位置づけることに
ある。
そうみてくると、岸田唯幻論にある厭世感や人間不信やはどこから起因する
のか。ニーチェと対照すると見えてくるところがあると思えますけどね。 『「日本人の不安」を精神分析する』を読むと、意外に岸田さんは国防問題
で日本がアメリカの言いなりでその代わり守ってもらっている、身売りして
良い思いをする売春婦みたいなもので、この屈辱感から目を逸らして生きて
きた。それを晴らすには国防で専守防衛するかこのままアメリカに守ってもら
うか決めなければならない。非武装中立は現実的ではない。とか、けっこう
言ってるんですね。これだと今の保守主義の政治家とそう変わらないよう
にも見える。
本能の壊れから自我を解いていく論では自我が権力欲求をもつところに着目
して色んな建前や主張や理想の内実を解いて行くわけだけど、国家の力の競り
合いから逃れられない現実にたいする日本人の態度決定が必要だとか、でな
いとアメリカへの屈辱感は消えないとか、保守主義政治家みたいになってきた
ところもチラと出ていますね。昔の吉本との対談では「西欧型の国家観では
日本人の国家観は掴めない」とか「占領されても良いことしてくれるなら
そのまま。それが日本人」とか政治家の煽りには乗らない、みたいだったのが
けっこう変わってきた。上で引用したような論は前は批判していたんだけど。
今は自分から言うようになってきてる。
自我が本能の代わりに生まれ、となると元々動物的欲求や理性の型式を
残したうえでの権力への意志へは透徹した目をもっていたはずなんだけど。
自我は国家でもあるので、「アメリカによる強姦」から自由になるには憲
法改正し国防軍を設立。でなければ誇りは回復されないとか言い出すかも
しれませんね。少なくともかつての「どうでもいい」みたいなスタンスでは
ないですね。生真面目に国家の誇りとか考えている。 だからそれは日本が西洋的な国家観に基づいて生きるなら、の話だろうね。 まあそういう例え話を繰り返しながら
「外圧がないと動かないのが日本人」というスタンスでしょう。
はっきり西洋的な国家観に基づいて日本人はこれから生きていくほうがいい
ときっぱり表明しないとこが
しどろもどろの日本人らしい。
それで岸田秀周辺にもだんだん熱気がなくなってきたんだろうねえ。 まあ外圧にしろ何らかの瓢箪からこまにしろ
日本がこれから新しい国家観や思想を持つのは至難の業というか
大変なことでしょうねえ。
国内で仲良くやっていればよかった時代アジアの風土の中で
息していればよかった時代とは違うんでしょうねえ。
わたしはこういうことよくわからないので困ってしまいます。 みんな岸田学歴詐称してたの知ってる?
本人の言い訳としては大学の事務手続きのミスなんだって 公表してたのと実際の記録?が違ってたらしいな
意識的にサバ読んでたのか、単に勘違いだったのかは知る由も無い >>812
そこに粘着してるキモい奴いるよね。
誰も岸田秀の学歴なんてたいして問題にしてないのに。 学歴と学歴詐称は問題が違うだろう。
ただ真偽の由は知るべくもないので黙っているのだろう。
いずれにせよ旧文部省からは精神分析学者とは認めてもらえず
講義をしてもいけないっておたっしがあったとか言ってたっけ。
テレビのニュースでやってた。 その後名誉教授にも推挙されてるから
もはやどうでも良かったんだろな フランスで授業にもほとんど出ず、エッセーみたいな論文出して学位もらえるとほんとに思ったのかね
詐称したと言われても文句言えない >>818
そのエッセーどこで読めるの?
見てみたい 「でがらし」の最後に掲載されてるやつかい?
私はむつかしくて読めなかった覚えがある。
岸田秀によれば「昔から同じようなことを言ってるようだ」とのことであったが。
論文とは違うが
岸田秀は共同幻想を「本能が壊れた人間」と結びつけたことは
評価しやすいのではないか?
誰かが岸田秀を読んでいたのでラカンも理解できた
みたいなことを言っていたが
たしかにラカンに「本能が壊れた人間」という発想が
あったらもっとわかりやすくなっていたのではないかと
思ったりもする。 >>815
精神分析学者なんて文部省の許可は要らないよ。そもそも大学教授なんて何の資格も要らないんだから。
精神科医は厚生省だし。 岸田は精神科医じゃないだろ。
文部省のおっ達しだかがあったので新入生らは私の講義が
聞けないと言ってたのは岸田自身だよ。
大学教授なんてなんの資格もいらないのと
岸田が学位をとったと勘違い?してたのは別だろ。
学歴詐称を意図していたわけではないというのならわかるけど。 少ない時は4人ぐらいじゃない。
多い時は7、8人じゃない
いない時は誰もいない。
いつもいるのはスレ主(笑) ロムってる人が五万人とか(笑)
私もいつも参加してるわけじゃないしな 俺はずっとロムってるが(長文は読み飛ばしてるが)
回してるのは二人かと思ってた ふうん。長文読み飛ばして二人でやってるスレ
ずっとロムってたのか?
感心々 ニーチェは西欧が道徳を価値化することで権力化したこと。畜群を権力化
したとみなすが、岸田幻想論でも社会や共同体を成立させる根底に様々な
道徳・中庸があり共同幻想化したことが言われる。これも畜群の権力化と
みなすことができる。
自我を権力への意志だとすると本能の代補という役割は妥当する。本能も
また自己保存の欲求を自然に発露させるものだからだ。結局岸田のいう幻想
とは自己保存欲求のための表象でありそのための解釈、自己中心の遠近法
である訳で、権力への意志である。岸田幻想論にイカれた人間がやたらと
醒めた風になる理由もそこにある。他人の権力意志である表象にどこまでも
付き合う義理はないからだ。自我の代補としての幻想という意味はそれである
。
しかし自我が人間にとってどこまでも選べる対象ではないこと、またその
自我とは内実が有限な可能性をもち、よって運命的過程をたどって行くもの
である。このことについて岸田幻想論はどこまでその人間の責任かという
1点で曖昧であり曖昧である典型が酒鬼薔薇事件のような中学生の起こした
凶悪犯罪である。岸田はこれを「自己がそういうパーソナリティを選択した
」とするが、そう云えるためにはそうならない自由もなる自由も同等にあっ
たことが言えなければならない。しかし殺傷することでのみ射精するという
性意識が形成されてしまっている段階で、これを言うのは-そうならない
自由もあった、は-ちょっと難しい。というより岸田の理屈は妥当しない。 830つづき
特異な母子関係にあったことが伺えるし、でなければそういう性意識は生
まれようはない。人間の自我とは何か。どういう生成過程をたどるの
か。どこまでそこには自由はあるのか。その考察があって初めて自由も語れ
るはずなわけで、岸田にはその考察自体が乏しい。「環境と遺伝ですべて
還元していいのか」と岸田は言う。この疑問は性意識がどのように生長する
のかというこの事件のポイントを等閑にすることで生まれる疑問であり、
どこまでが人間にとって決定的な要素になり得るか、という点も岸田では
等閑にされている。よって保守派の論客や社会不安におびえる一般人に近く
なっていくしかない。
岸田の幻想論の本領は建前としての道徳や善悪やが国家や社会やの権力意志
の表現であることを看破する場面、未曾有の事件が出て社会不安が増す
場面、で社会や隣人や子供についての共同幻想を指摘することで安定したい
心性が事実を見ないことを促すとし、一定の破壊力を機能させる。その意味は
ある。しかし自我そのものについては一般教養以上のことは言えない。文明批
判が中心の批評でありそれ以上は難しいということだ。 確かに自我を選ぶというのはおかしな話だね。むしろ自我が選ぶわけだから。
読んで字のごとく、選ぶ主体を「自・我」と呼ぶわけだから。 >>831
おまえほんとバカだよな
自我なんて寝てるときはなくなるんだぞ、そんなたいしたものじゃないんだよ
おまえはもっと科学の勉強したほうがいいよ、物を知らなすぎる >>833
寝てる時なくなっても起きたら戻るなら同じじゃないか。 >>833
よくあんなトンチンカンな文読む気になるなぁ
偉いわ >>836
よくトンチンカンってわかるなあ
ご教授を
君の頭がトンチンカンかあの文が本当にトンチンカンか
よくわからん >>837
よくわからんなら黙ってろ
質問があるならそれを書けば答えてやってもいいよ。
あれば書け
どうせ聞きたいことなんて別に無いだろ >>838
よくわからんから聞いているんだが
君がトンチンカンと思ったわけを 岸田秀を金太郎飴といった人もいたので
その人にも聞いてみたんだが >>831
の文は私にはトンチンカンのとこもあるが
私の知識不足か理解力の無さかも知れんと思っていたのでね。
それに岸田についてあるときから抱いていた印象が
彼によって少し納得してしまったとこもあるので。 だから具体的に質問しなって
どこがどうわからないの?
唯幻論に関することなら答えるよ
トンチンカンな文章について理解したきゃ書いた本人に問いただしてくれ
あれは書いた彼の意見なんだから俺に聞かれても困るし、俺が答えられるのは唯幻論についてであって、彼の話の内容の正誤なんかじゃないのよ いやトンチンカンって感じたのは君なんだろ?
だから君に聞いてるんだよ。
彼も彼の唯幻論について語ってるんだろう。
そのどこがトンチンカンなんだよ。
君の唯幻論があるならそのトンチンカンがどこにあるかを語ればいいんだろう。
それとも機械的に岸田秀の言ったことを繰り返すだけかい? >>842
>俺が答えられるのは唯幻論についてであって彼の話の正誤なんかじゃないんだよ
それでトンチンカンというのはどういうわけだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています