Wikipedia見るだけでも……

1120年(宣和2年)、方臘の乱が起きる。韓世忠は王淵指揮下の将校として鎮圧に従事する。反乱軍を破り、ついには方臘を捕虜にすることに成功した。
このとき、韓世忠の活躍がめざましく、王淵から「万人敵」と賞賛される。しかし、方臘を捕らえた功績は辛興宗に奪われてしまう。
また水滸伝においてもこの功績は魯智深のものにされてしまっている。

1121年(宣和3年)にも金を大敗させ、盗賊を捕らえている。
また、金の侵入により王帥数万が敗走するなか、一人で敵の包囲を破り、なんとか欽宗を逃亡させることに成功している。

靖康の変(1126年)の後、高宗を済州まで護衛し、以降は抗金闘争に明け暮れることになる。
「黄天蕩の戦い」では妻の梁紅玉とともに8千の兵で金の10万という数の差を巧みに水撰で覆し、金兵2万5千を倒すという殊勲を挙げる。
また、1134年(紹興4年)には高宗から「中興の武功第一」と称された。

ここまでの功績あげてる上に、芸者だった妻の梁紅玉とのラブロマンスも有名、夫婦仲むつまじいはずだったのに……
楊令伝で出てきた時は、おおついにあの大物が!と興奮したのに……どうしてああなった